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1-1

 一人の少年が巨大な壁の前に立っている。華奢な身体を一回り以上大きいパーカーで身を包んだ少年だ。名前は岡山健(おかやまけん)。今年で十二歳になる。


 健は一蹴りで五十メートル以上ある塀を飛び越える。何度経験しても境界を越える感覚は慣れないものだと乱れたパーカーを直した。

 正規のルートを使えばいいのだろうが、あんな面倒な手続きを毎回のようにしていられない。


 ここは貴族街。先程飛び越えた巨大な壁に囲まれた閉鎖的な街。日本の一部でありながら治外法権を認められたこの地は春野家によって統治されている、というのが表向きの認識だ。表があるのなら当然、裏もあるわけで――。


「侵入者発見! 大人しく――なにっ!?」

「何か勘違いしてるんじゃありませんか?」


 押さえ込もうとする男の腕を軽くあしらって答える。

 面倒なことになった。


 貴族街には出入りする者を管理する門衛という役職がある。基本はローテンションで門の監視を担当しているが、侵入者や不審者の確保も門衛の役目の一つである。


 職務熱心で大変結構。などと心中で毒づきながら回避策を練る。

 本来、この中央門を担当しているはずの彼がいてくれれば話は早いのだが。


「なんや騒がしいな。なんかあった――お、健やないか」

「八潮さん、昨日ぶり。この人を説得してもらえると助かるんだけど……」


 顔を覗かせたのは健の顔見知りの門衛、名を君江八潮(きみえやしお)という。

 弱冠二十歳ながら、その実力は健の知る限りではトップに君臨する。

 似非関西弁と人好きのする笑顔は他者に親しみを覚えさえ、初めて会った頃の面影を感じさせない。


「堪忍、堪忍。まだ新人やし、大目に見てくれると助かるわ」

「新人の行動にいちいち目くじら立てるほど、心狭くないよ」


 八潮が出てこなければ、話は変わっていたかもしれないが。

 貴族街は日本の法律が通じない代わりに、貴族街のごく一部の選ばれた存在によってルールが作られる。その者が是と言えば是となり、否と言えば否となる。

 そして、健は選ばれた側の人間だ。


「健は紅札の持ち札やからスルーしてかまへんよ」

「紅札って……!? 実在、してたんですね」


 貴族街には四種類の通行証がある。

 一つ目は緑札と呼ばれる、住民用の通行証だ。本籍地が貴族街である者に与えられる。外の家に嫁いだり、破門されたりした者は剥奪される場合もある。


 二つ目は黄札と呼ばれる、企業の通行証だ。貴族街内の家々と繋がりのある企業に与えられている。個人ではなく企業に与えられることがほとんどだ。


 三つ目は青札と呼ばれ、春野家当主に認められた者に与えられる。

 許可証を持つ者は等しく貴族街のルールに従う者とみなされる。つまり貴族街内で起こった出来事はすべて自己責任となるのだ。


 そして最後の一つは紅札と呼ばれている。本来の最高権力者によって気に入られた者にあたえられる許可証。

 紅札を持っている者は、入出の記録を免除される。貴族街の長い歴史の中でも、持っていたとされるのは十にも満たない人数で、ほとんど都市伝説のような存在だ。


「あんな子供がどうして……?」

「気にせん方がええ。ここで長生きしたいんやったらな」


 先輩後輩同士の会話を背中で聞きながら、歩き始めた健は何気なく空を見上げる。


 気にしない。深追いしない。ただ与えられた役目に準ずる。

 それが、貴族街で生きていくために最低限必要なことである。


 そんなことを考えながら健は、豪邸を守る塀に覆われた巨大迷路のような街並みを迷うことなく進んでいく。十にも満たない時分から日常的に通っていれば慣れるというものだ。


 歩を進めるうちに塀はなくなっていき、代わりに澱んだ空気が場を満たしていく。

 暮らす者の陰鬱な感情が澱んだ空気を生み出し、澱んだ空気がさらに感情を落ち込ませる。堂々巡りだ。


 スラム街。ここはそう呼ばれている。行き場を失ったものが集う、貴族街の最下層。

 一度足を止めた健はどこからともなく紙袋を取り出す。中に入っているのは、貴族街に来る前に買い集めた大量の食料品だ。


「あ、健兄だ!」


 安物一色とはいえ、汚れていない健の装いはスラム街では目立つ。

 すぐに健を見つけた少年が喜色満面に駆け寄ってくる。何年もの汚れを積み重ねた襤褸を纏った少年を、健は当たり前のように抱き止めた。


「ヒデさんは奥?」


 目線を少年に合わせ、無表情に笑顔を乗せて問いかける。


「うん、タケ兄と話してるよ」


 礼を告げた健は少年と別れ、スラム街の更に奥の方へ進んでいく。

 一歩、一歩、進んでいくごとに空気はさらに澱んでいき、健の周囲を邪気が漂い始める。

 鼻孔を擽るのは一帯にこびりついた死臭。生きているか、死んでいるのか分からない人たちが道端で蹲っており、廃墟に隠れた人々の鋭い視線が健を差す。


 それら全てを横目に突き進む健はやがて廃材で作られた家の前に立った。このスラム街一帯を取り仕切る人物の住処である。


「ヒデさん、いる?」

「ん? おー、健か。一週間ぶりってとこか?」


 何やら神妙な面持ちで話し込んでいた初老の男性が振り返り、顔を覗かせた健を見つける。「いつものです」と持っていた紙袋を渡せば、その顔は喜色を宿す。


 健はこうして不定期にスラム街を訪れている。善意からの行動――ではなく、貴族街という一つの国を円滑に統治するために必要だからだ。


 ここには貴族街を恨む者も多く暮らしている。だからこそ些細な変化すら見逃せない。

 隅から隅まで目を届かせ、問題が起こるよりも先に手を打てるように。


「何かあったの?」


 スラム街のまとめ役である初老の男性ことヒデに問いかければ、困ったように傍らの青年と顔を見合わせる。

 青年の名前を健流(たける)。スラム街で暮らす子供たちのリーダー的存在だ。

 深刻さを窺わせる二人の表情と、ここに来るまでの道のりを思い出す。


「誰かが帰ってきてない、とか?」

「やっぱお前さんには隠し事できねぇか。ちび共の何人かが二日前から帰ってきてなくてな」


 やはりと心中で呟く。

 ここに来るまでの道中、いつもなら寄って来る子供たちの姿が極端に少なかった。

 気になっていたことと、二人の態度を符合させた健は小さく息を吐く。ヒデの口振りを察するに彼は健が踏み込むことを望んではいない。ならば――。


「気にかけておきます」

「助かる」


 気にかける以上のことはするべきではない。ヒデが望んでもいなければ、それ以上のことをする理由もない。

 子供たちがどうなっていようと健には関係のない話だ。たとえ、死んでいたとしても。

 いや、何かの実験に利用されていたととなれば少し面倒だ。やはり少し情報を集めておくべきか。


 目まぐるしく思考を回しながらヒデをいくつか言葉を交わした健が、最近のスラム街についての情報を仕入れてから別れを告げる。

 と、誰かに呼び止められた。振り向いた先にいる青年に張り付けた笑顔を向ける。

 スラム街で暮らす子供たちのリーダーを務める健流は今回の事件を誰よりも重く受け止めている。


「ヒデさんはああ言ってたけど、俺は健にも協力してほしいと思ってる」

「健流さんの気持ちは分かるよ。俺も出来る範囲のことは手伝いたい」


 健とて、貴族街での行動は制限されている。それでもスラム街で暮らす人々よりもマシなのは確かで、春野家当主関連のツテもある。


 期待に応えたいと、つい先程まで考えていたことを棚に上げた感情を顔に乗せる。

 言葉一つ、表情一つにも気を遣う。己の望む結果を得るために些細な挙動すらも手を抜かない。冷めきった内側の感情を健流が知る必要はない。


「王様にもそれとなく伝えてみるよ」

「っ助かる!」


 求めた言葉を得られた健流の反応は分かりやすい。

 この貴族街で春野家当主の協力があるのとないのでは大きく変わってくる。

 春野家当主と自由に面会できて、言葉を交わせる健はそれだけで金にも等しい価値があるのだ。

 信頼の内側にある野心に気付いていないふりをする健はそのままスラム街を後にする。


 街中に連なる高い塀を一蹴りで飛び乗る。迷路のような街なので、こうして塀や屋根伝いに移動した方が早いのだ。

 身体強化の術と気配を隠す隠業の術を重ねがけし、尋常ではない速さで目的地へと向かう。


 貴族街でもっとも大きい屋敷の屋根に飛び乗り、そのまま一段下の屋根へ降りる。ちょうど執務室の上だ。

 かけていた術を切った健は部屋の気配を確認する。

 執務室にある気配は二つ。どちらも見知ったものだと判断し、紅く光らせた目で開けた窓から侵入する。


「こんにちはー」

「……お前な、窓から入ってくるなって言ってるだろ。ったく……龍馬、菓子を用意してやれ」


 流れるように側近へ命令する自分を省みて、もしかして健に甘いのかもしれないと考えこむのは、先程から話題に上っている春野家当主、春野和幸(はるのかずゆき)である。

 健はといえば、もはや彼専用といっても遜色ない応接用の椅子に腰かけている。


 貴族街を統治する存在を前にしてとんだ不敬である。そもそも窓から侵入している時点でアウトだ。

 場合によっては、首を刎ねられてもおかしくはない。もちろん、和幸はそんなことはしないし、健だって分かっているからそんな振る舞いをするのだ。


「それで仕事(・・)ってなんですか」


 仕事を途中で中断し、和幸は書類の束を持って健の前に座る。

 ちょうど戻ってきた側近こと龍馬が用意したお茶と菓子を前に休憩時間だ。

 自分にだけに用意されたケーキを堪能する傍ら、健は渡された書類に目を通していく。


「一週間で二人。巫女が行方不明になってる」

「行方不明……探せってことでいーんですよね? 俺に頼むからには他にも何かあるってことでしょーか」

「さてな。……巫女が行方不明ってだけでも、お前に頼む理由としては十分だろ」


 貴族街を統治する春野家の始祖ともいうべき家柄、桜宮家。その血をひく者の中には時折、守護神でもある鬼神の加護を受けた者が生まれる。それらは生まれながらに特殊能力を有しており、女ばかりであることから巫女と呼ばれている。


 巫女は力が上手く制御できるようまで、桜宮家本家に預けられるしきたりだ。

 そして今回、行方不明になっているのはどちらも本家を出て三年以上経った者だ。外の世界にも大分慣れてきた頃。


「迷子とかじゃないのは確かか。……ていうか、護衛はどーしたんです? お供が一人もいないなんて不用心にもほどがありますよ」

「そこまで言うならお前にも護衛つけるか?」

「俺はいーんですよ。護衛なんて窮屈なものはごめんです」


 自分が巫女以上に価値のある存在であるという事実を棚に上げる健。

 このやりとりも数えきれないほどしてきたことなので、和幸は物言いたげな視線だけで終わらせる。健に何を言っても無駄だ。


「……目を離した隙に見失ったらしい」

「何のための護衛なんだか。単なる誘拐事件ならありがいですけどねー」


 面倒事を押し付けられた健の意見は辛辣だ。

 単なる誘拐事件が健に回されるわけがないのは分かっているし、何より直感が否を訴えている。悲しいことに、健の直感は外れた試しがない。


「しかし、一日で二回も行方不明の話を聞くとは……」

「スラムか」

「ご名答。子供が数人、二日前から帰ってきてないらしーよ。スラムで行方不明なんてよくある話ですけど」


 治外法権が認められている貴族街では人身売買のような危ない仕事に手を出す者も少なくない。人権なんてあってないようなスラム街の人間が格好の餌食だ。

 いなくなった者を気にする人間はいないし、わざわざ和幸の耳に入れる必要もないくらいの日常茶飯事である。


「巫女の行方不明と関係してると思うのか?」

「根拠も何もない。ただの勘ですよ」

「お前の勘ほど信用できるものはないだろ。他でもないお前自身が知っていることだ」


 最後の一口、残していたクリームたっぷりな部分を口に入れ、「嬉しくない」と呟く。

 こういう時くらいは外れてほしいのが本音で、そうならない現実を恨めしく思う。


 今はまだ散らばった点たちを繋ぐ線。ないはずのものが健の脳内で軌跡を描いている。

 胸中に渦巻く嫌な予感は全力で気付いていないふりをして誤魔化す。


「そういえば明日、出迎えには行くのか?」


 健から漂い始めた殺気をいち早く察した和幸が話題を変えるための言葉を投げかける。

 実は明日、留学していた和幸の子供たちが帰国するのである。留学という名の外交が終わったのだ。

 その中には健の婚約者である少女がいる。健と同い年で、今年で十二歳になる二番目の娘だ。


「行きませんよ」

「お前らの関係に今更とやかく言うつもりはいないが……」


 娘たちが留学してから五年。その間、連絡を取り合っているとはいえ、実際に顔を合わせるのとは違う。


 会いたいとは思わないのだろうか。一日でも早く、一秒でも早く会いたいと。

 確かに愛し合っているはずの二人の関係は淡白に見えるときがある。


 本人たちがそれでいいと思っているのなら外野から言うべきことはない。それくらいに二人の絆は強固だから。

 それでも全く気にならないと言うほど、和幸は二人に無関心ではないのも事実。


「心配しなくても大丈夫ですよ。会いたいと思っていれば、いつか会える。行動しても、しなくても結果は変わりませんよ」

「さすがの自信だな。――俺はお前を信頼してる。お前の好きなようにしたらいいさ。もちろん無理のない範囲でな」


 どうせ言っても聞かないと分かっていながらも念を押す。生返事を返した健はすっかり冷めた紅茶を飲みきり、来た時と同じように窓から部屋を出ていく。

 見届けた和幸は小さく息を吐き、自分の仕事に戻った。

お待たせしました、これからぼちぼち更新していきたいと思います

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