2-1
高級な生地で作られた制服を纏った健は広すぎる敷地内を歩き、これまた広すぎる講堂の中へ足を踏み入れる。
今日、ここで桜稟アカデミーの入学式が行われる。すでに何人か講堂の中にいて、みな新品の制服をまとった新入生たちだ。
健と同じという表現は彼らの反感を買うだろうが、健と同じ新入生である。
「なんだか落ち着かないね」
隣を歩いている少年の言葉に「そーかな」と首を傾げる。
新入生の大半は貴族街出身の箱入りばかりで、確かに外から来た健や良は浮いている。
健は元々、貴族街に出入りすることの多いそんな浮いた空気感も慣れたもので、今更どうということもない。
「良もそのうち慣れるよ」
桜稟アカデミーには健と良の他に星と夏凛も入学している。
一応、共学ではあるものの、男女でカリキュラムがはっきり分かれており、席も離れた位置に設けられているので今は別行動中だ。
新入生は男二十五人、女十五人の計四十人。年齢は十三歳から十八歳まで様々だ。全員が超難関のテストに合格していると言いたいところだが、中にはコネ入学の者も何人かいる。
などと考えていれば、いよいよ入学式が始まった。
「理事長の挨拶です」
式は着々と進み、司会のそんなアナウンスによりステージに一人の男性が上がった。
実年齢よりもかなり若い顔立ち。髪は黒々としており、白髪知らずだ。纏うのは制服が霞んで見えるほどの高級スーツだ。
健もよく知るその人物は、よく知る数倍の威厳と貫録を纏ってそこに立っている。
「理事長の春野和幸だ」
堂々たる姿で名乗りあげた和幸は長くもない短くもないスピーチで新入生たちに語りかける。
貴族街の誰もが知る春野家当主の姿に、健が抱くのは違和感だ。
心配性な親馬鹿とは思えないなと考えながら和幸の話に耳を傾ける。
「慣れない環境で大変だと思うが、ここでの生活がお前たちにとって有意義なものになるように祈ってる」
最後のその言葉で締めくくり、和幸の挨拶が終わった。続くのはこの桜稟アカデミーの仕組みについての説明だ。
桜稟アカデミーはポイント制だ。基礎ポイントと成績ポイントの二種類が存在し、入学時に配られる端末によって管理されている。
新入生の場合、それぞれ基礎ポイントを全員に五万ポイントずつ、成績ポイントは入試の成績に応じて与えられる。
満点から六点ほど引いた点数で、次席入学した健にはかなりのポイントが与えられている。
本当ならもう少し低い点数で、中間くらいの順位で入学したかったが、特待生制度を受けるためなのだから仕方がない。
別に特待生制度を受けなくても、桜稟アカデミーの学費を払えるくらいのお金は持っているわけだが。
「入学式が終わったら、春野家に行くんだっけ?」
「王様に言われてるからね。良も一緒に来るといーよ」
星も夏凛も来るから、と付け加えた健の言葉に頷く良はどこか複雑そうな顔を見せる。
一緒に行くのは構わないが、和幸と会うのは緊張する、といったところだろう。
親馬鹿な部分を知ってはいても、良にとっての和幸は春野家当主なのだ。
入学式が終わり、女子二人とも合流し、いざ春野家へと歩を向ける。
とはいえ、桜稟アカデミーと春野家までの道のりは少しばかり遠い。
そんなときに活躍するのが、健が隠し持つ鍵である。紅鬼衆のまとめ役、一鬼の霊力で作り出された鍵は、薄紅の身体を紅く輝かせている。
「それが入学祝いに貰ったってやつ?」
「そ。扉同士を繋げてくれる魔法の鍵だよ」
空間を操る一鬼の力が込められた鍵は、遠く離れた扉を繋げてくれるという代物だ。
使い方は簡単。行きたい場所を思い浮かべながら、鍵穴に差し込んで回すだけ。
霊力を消費する必要があるものの、短時間なら大した量は使わない。
実践で示すように健は手頃な扉を見つけ出して、鍵を回す。そうして扉を開ければ、そこはもう春野家だ。
「入っていーよ」
「入っていいって言われも……」
扉の先に広がっているのは完全な暗闇だ。
いくら春野家に通じていると言われても、素直に進みがたい。健のことは信頼していても、そこまでの勇気を良は持てない。
尻込みする良の横を平然な顔をした女子二人が通り過ぎる。初めてのアトラクションを前にした時のような興味津々のテンションで、扉の中へと消えていく。
と、後の方に入った夏凛がくるりと振り返った。二つに括った黒髪を楽しげに揺らしながら、良へ手を差し出す。
「ほら、良も!」
恋人である少女に手を引かれ、良もまた闇へと足を踏み入れる。
全員が入るのを見届けた健は鍵を引き抜き、そのまま扉の中へと消えていく。浮遊感を味わい、視界が開けたその先にあるのは貴族街で一番の大きさを誇る屋敷の中だ。
見るからに高価な調度品が並べられた広いロビーはアカデミーの中とそれほど変わらない。
本当に春野家の屋敷へ転移したのか疑問に思うほどだ。もっとも、アカデミーにはいなかった使用人たちがいるので疑う余地はないが。
いつも窓から入っている健は新鮮な気分になりながら、廊下を歩く。目指しているのが和幸の執務室ではなく、応接室だから余計そう思うのかもしれない。
執務室も応接スペースはあるものの、あそこは身内やより極秘の話をするときのためにある。
今回は前者だと言いたいところだが、用件が用件なだけに表向きは部外者である健を通すわけにはいかないのである。
実は初めて訪れる応接室に足を踏み入れた健は高級ソファに身体を沈める。
さすが春野家と言いたくなるほどに柔らかく、身体が包み込まれる。
「悪い、待たせたな」
数分ほど遅れて姿を現した和幸はちょうど健の前に腰を落とした。
顔がにやついているように見えて、健は少しばかり目を細める。
「まずは入学おめでとう。パーティの衣装はいくつか用意してあるから好きなものを選んでくれ。良の分もあるからな」
「ありがとうございます」
桜稟アカデミーでは入学式とは別にパーティを開いて新入生を歓迎するしきたりがある。
確実に悪目立ちするだろう安物のスーツで参加しようと考えていた良は、思わぬ言葉に素直な感謝を示す。
純粋な反応に和幸はどこか嬉しげで、ちらりと健へ視線を寄越す。
すまし顔で視線を受ける健は無言で本題に入るように促した。
「と、まあ、挨拶なんて面倒事は置いといて……お前たちに会わせたい奴がいる」
予感していた内容は再び一瞥をくれた和幸の視線によって不穏なものに変えられる。
その答えは、和幸に呼び出された龍馬が連れてやってくる。
見慣れた執事服の男性と共に応接室に入ってきたのは四人の男女。それぞれメイド服を纏った人物が二人、執事服を纏った人物が二人だ。
うち三人は健も知っている顔である。
知らない人物が混ざっていることと、予想と違う人数を訝しく思いながら、健は続く和幸の言葉を待つ。
「こいつらにはお前らの世話役として付いてもらう」
自分の世話もまともにできない箱入り貴族の救済措置として、桜稟アカデミーには使用人制度というものがある。文字通りの意味で、三人までなら使用人を連れてきてもいいという制度である。
使用人付きというのは一種のステータスでもあり、春野家の人間としての箔をつけるためにどうしても必要なのだ。
そもそも星や夏凛が一般人以上の生活能力を持っていること自体がおかしいこととも言える。
「星には淕をつける」
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるのは長身の男性だ。東宮家に養子として迎えられた時から英才教育を施された彼は、優秀な使用人が揃う春野家の中でも飛び切りの人材だ。
星たちの世話を任されていた時期もあるので、彼以上の適任者はいないと言える。
「夏凛には桐葉を」
「これからもお世話できるなんて嬉しいわ。よろしくね」
メイドらしからぬ態度で手を振るのは東宮桐葉、淕の義姉にあたる人物である。
ほんの数日前まで別荘で二人の世話をしていただけあって、相性は抜群だ。普段はメイド服を着ない、敬語を使わないというフランクさでも、その実力はトップレベル。
淕が星に、桐葉が夏凛につけれ、残るは後二人。まさか、良の使用人を用意しているとは思えない健は、逃げられない嫌な予感と向かい合う。
「悠、は置いといて、健につけるのは彼女、東堂梓だ」
ぞんざいに扱われる悠の嘆きは無視しつつ、健は息を吸い込んで和幸を相対する。
「使用人をつける必要があるなら悠一人で十分じゃないですか? わざわざ新しく雇わなくても……」
「悠には実績がない。箔をつけるためには実力以上に実績も必要だ。分かるだろ?」
子供に説明するような口調の和幸の口元はどこまでもにやついている。
健の反応をただ面白がっているその姿は、理事長として登壇していた時からは到底信じられない。大勢を圧倒させる貫録はどこへやらだ。
「俺が星の婚約者であることはなるべく伏せる方針なんでしょ? ただの分家、しかも外の人間にそこまでする必要はないと思います」
「なるべく、だろ。伏せたっていつかはばれることだ。なら、隠すことより、その先に力を入れる方が効率的だ。ばれたところで、こちらに不利益があるわけでもない。なんなら、最初から公表したっていい」
「却下、面倒事はごめんです」
ただえさえ、春野家の系譜に辛うじて引っ掛かっているだけの庶民が入学しているというだけで、目を付けられるのは確実なのだ。
その上、春野家当主の娘の婚約者と知れ渡ったらどうなることか。
知りもしない男たちに、言いがかりをつけられて喧嘩を吹っ掛けられるなんて絶対に嫌だ。
「だったら諦めることだな。なに、一ヶ月の試用期間で気に入らなければ切ってくれたらいい。――お互いにな」
今の状況ではデフォルトとも言うべき、意味ありげな表情で梓を見る和幸。
感情を消すような無表情でいた梓は気まずそうに少しだけ目を伏せた。
本当に意味のあるタイプの表情だと判断した健はそのまま梓の隣を見る。
立っているのは使用人勢の中でもっとも知っている人物である。ほとんど放置されていたその人物は頬を膨らませて、健を見ている。
「健兄さん、健兄さん、どうです? 僕のおニューの衣装ですよ。執事服、似合ってますか? ねえ、ねえ」
当てつけと言わんばかりのしつこさに苦笑気味の健は「そーだね」と適当な相槌を双子の弟へ返す。
悠は健の執事になる道を自ら選んだ。本人の意思なら健が否定する理由もなく、悠は執事服を纏ってそこに立っている。
「さて、俺からの話はこれで終わりだ。パーティまでまだ時間もあるし、服でも合わせてきたらどうだ?」
「そーですね。じゃ、また男女別で行動って感じかな」
「ドレス姿、楽しみにしててね。いっぱい、着飾るから」
「そのままでも十分可愛いけどね」
少しまで舌戦を繰り広げていた二人の言葉に星が同調する形で、この場はお開きとなった。
健と和幸の淡々とした会話に良が圧倒されていたことも追記しておこう。
これからぼちぼち更新していこうと思います
今まで以上に不定期更新になりますが、お付き合いいただけたら幸いです