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1-15

 根回しや何やらを済ましながら日々を過ごした健は万全の準備で今、立っている。

 その手には悟流からの手紙があり、目の前にはいつぞやの廃工場がある。


 最終決戦なのだろうと隅で考えつつ、特に気負うこともなく足を踏み入れる。

 どんな状況であっても己の役目を果たすだけ。緊張はしていないし、少しのプレッシャーも感じていない。健はいつものままの健だ。


「こんにちはーって誰もいないな」


 和幸の執務室に入るのを変わらない気安さの健の視界には無人の廃工場が映し出されている。

 閑散とした工場内に隠れる場所もなければ、気配も感じない。


「閉じ込めるためとは思えないし、隠蔽されているか、隠し扉があるか」


 傍から見れば、隙だらけの健に襲い掛かる者がいないところを見る限り後者の可能性が高い。

 そう判断した健はそっと目を閉じる。瞼の裏には霊力が映し出す工場内の景色が描かれている。


「ん、見つけた」


 開いた目はしっかりと隠された扉の存在を認識している。

工場の奥、ちょうど巳夜が倒れていた辺りで、地面を軽く蹴る。何かのスイッチが入った音を微かに、蹴った部分が正方形にへこんでみせた。


 これが隠し扉か、と触れた健の身体が純白の光に包まれる。地に足はついているのに感じる浮遊感という覚えのある感覚。

 転移という言葉を思い浮かべた健は開かれた視界に驚きもせず、仄かに笑んだ。まるでこうなることを知っていたと言わんばかりに。


「君に拠点がばれるのは困るからね。転移させてもらったよ」


 目の前に立つ男は一番にそう言った。白い髪を毛先だけ赤く染めた青年だ。


 髪が白いのは激しい実験によるストレスの影響。毛先を赤く染めているのは、非道な実験を許した貴族街への復讐心の現われ。

 健にとっても忌まわしい研究所での出来事を知っているから、分かるようになったことだ。

 だからといって同情しているわけではない健は自信に満ちた顔の悟流をただ見つめる。


「一人で来るなんて思ってなかったよ。もしかして外に待たせてたのかい? 転移で離ればなれになったんだとしたら悪かったね。謝るよ」

「一人で来たので、心配はいりませんよ」


 内心を悟らせない無表情で言葉を紡ぐ。予想外であろう出来事を前にしても調子を崩さないその態度は悟流の癇に障ったらしい。

 自信満々の顔に子供じみた怒りを宿らせる。


「余裕だね。でも、いつまで保っていられるかな」


 悟流が指を鳴らしたと同時に二人きりだった空間に複数の男が現れた。

見覚えのある人だけで判断する限り、全員が駅裏に屯している不良たちだろう。さらに言うなら、おそらく健が三年前に壊滅させた暗殺組織の残党だ。


 数えて三十人ほど。元々暗殺組織に所属していた者たちなだけあって、佇まいから戦い慣れした雰囲気を纏っている。


「これ以上、失望させないでくれると助かるよ」


 嘲笑混じりの声を合図に男たちは雄叫びを上げて、各々の武器を振りかぶる。一人一人が精練された動きで襲い掛かる様を健は静かに見つめる。


 瞬きを一つ。


 瞬間、地面から鉄製の棘が大量に生え、男たちの足を縫い止める。跳躍で避けた者の頭上には剥き出しの刃が降り注ぎ、それすらも避ける者の体勢を吹き付ける風が崩した。


 殺戮に次ぐ殺戮。一方的な蹂躙を指先一つ動かさずに生み出した張本人は変わらぬ無表情でそれを見つめる。


「一瞬で全滅だなんてすごいじゃないか」


 渇いた拍手が聞こえたと同時に健の身体が吹き飛ばされる。誰かに蹴られたのだと気付いたのは宙の上。

 叩きつけられるであろう壁に刃の輝きを見つけたから障壁を生成した。柔軟さを持った不可視の障壁を踏み台に横へ跳ぶ。


 残した障壁にナイフが数本刺さっているのを見ながら着地した。あれだけの殺戮が行われたはずなのに血の一滴もない地面に。


「認識操作ですか」

「そうだよ。本当は少数精鋭……まさか、さっきの攻撃を避けられるとは思ってなかったけど」


 自信ありげの顔に不満を募らせた悟流は自身もナイフを構えた。

 敵の数は悟流も含めて四人。かなり減ったと気を抜いていられないのは、一人一人の立ち姿がより洗練されているから。


 他にも隠れている可能性を頭の隅に置きつつ、健は攻撃を避けながら敵の分析に努める。

 率先して攻撃を仕掛けてくるのは、細身ながら鍛え抜かれた筋肉を持つ青年。複数の格闘技を混ぜ合わせた技で襲い掛かる彼が先程、蹴りを入れた人物なのだろう。


 そして、合間を縫うようにして切りかかるのはナイフの少年。

 時折、駆け巡る風刃は一人離れた位置に立つ少年が放ったものだ。


 バランスのとれた連携プレーはさすがの一言で、悟流だけがそれに乗り切れていない。

 しかし、リズムを崩すような悟流の動きは不規則さを生み、攻撃を読みづらくさせる。


「面倒だな」


 細身の剣を生成した剣はその一言で、回避から反撃へと移行する。

 まず削ぐべきは最も攻撃力が高く、三人のリーダーと思われる格闘家。


 冷静な分析のもと、投擲されたナイフを弾き返す。巧みなコントロールで弾かれたナイフは格闘家以外の面々と送られ、みな一様に健から距離を取る。


 一対一を刹那だけ作り出した健は部分的にかけていた身体強化を全身に巡らせた。

 数倍に跳ね上がった身体能力で格闘家と肉薄し、凄まじい速さで剣撃を放つ。

 一撃目、二撃目は避けられた。三撃目にもなるといよいよ速さに追いつけなくなったようで、肩口を切り裂いた。


「っと」


 ここでようやく術者からの攻撃があり、滑るように後ろへ下がる。

 もう少し傷つけるつもりだったが、やはり認識操作が働いているらしい。


 巻き起こる風刃を跳躍で避け、切りかかる悟流を軽くいなす。格闘家やナイフ使いからの攻撃の可能性を考えつつ、次の一手へ行動を移した。


 四人の相手をしながら、健の脳内は有り得ない処理速度で分析をし続けている。それでいて攻撃や回避の速度は緩まない。


 思いつく限りの全てのパターンを思い浮かべ、どれが来たとしても知っていたように対処する。

 目まぐるしく変わる状況で、分析のパターンもまた目まぐるしく変わっていく。それを健は涼しい顔で完璧に処理していく。そうして何十手先も読みながら、同時に打開策を練っていくのだ。


 ナイフ使いと悟流による同時攻撃を両手に構えた細身の剣で受ける。健の両手が塞がったのを狙ったように風刃が降り注ぐ。

 結界でこれを防ぎ、両脇にいる二人を巧みな剣捌きで牽制する。そのまま格闘家へナイフを放ち、術者の後ろへと回り込んだ。


 隠し持っていたらしいナイフを術者が引き抜くよりも半瞬早く奪い取り、流れるままに刺突した。確かな手ごたえとともにナイフを抜けば、大量の血が地面へ溢れ落ちた。


「驚いたな。お前は俺を最初に無力化したいんだと思ってたぜ」

「最初はそのつもりでしたけど。相手に気付かれている策を貫くほど、俺は自分の力に自信がないので」


 手の中で弄んでいたナイフに崩壊の術をかけて放り投げる。跡形もなくぼろぼろに崩れ去るナイフに一瞥をくれた健は、今日初めて口を開いた格闘家に向けて笑みを浮かべた。


「急所は外れてますし、早く俺を倒せば、命は助かるかもしれませんよ?」


 認識操作は今も行われている。急所を狙った攻撃はわずかにずれて、即死とはいたらなかった。

 とはいえ、かなりの出血なのでこのまま放置していれば、間違いなく死ぬ。

 遠回しにそれを指摘すれば、ナイフ使いは目に怒りを宿らせ、格闘家は静かに健を見つめている。


「たとえ死んだとしても覚悟はできているはずだ。ここは覚悟のない奴がいてもいい世界じゃねぇ。お前の挑発には乗らねぇよ」

「それは残念です」


 言いながら、状況を見学している悟流を横目で見る。

 術者を倒してから今の今まで健は悟流に注意を払っていなかった。完全に視界の外へ追いやっており、いつでも狙えるくらいに隙だらけだったはずだ。


 それなのに動かない。

 罠の可能性を考えたのか、健を倒すための別の策が用意してあるのか。


 思考を巡らせる健の耳に電子音が滑り込んだ。メッセージの受信を知らせるような音だ。

 嬉々として取り出したスマートフォンの画面を覗いた悟流は隠そうともしない弾んだ声で健へ呼びかける。


「いい知らせだ! 君にとっては悪い知らせかもしれないけれど」


 表示される写真を見せびらかせるように画面を向ける悟流。映し出されるのは細い路地へ足を踏み入れようとしている一人の少女だ。


 金に近い琥珀色の髪を背中に流している。白を基調とした衣装に合わせたのか、白いレースのカチューシャをつけた少女。小学生ながらに整った、愛らしい顔立ちをしている。


「……星」

「無用心だよね。女の子が一人でこんなところにいるなんて。恋人から忠告しておいた方がよかったんじゃないのかい?」

「……忠告はしましたよ」

「へぇぇぇぇ。じゃあ、君の忠告を無視するような馬鹿女というわけか。君も可哀想だね。こんな馬鹿女のために殺されるなんて」


 言って、悟流はスマートフォンを投げ捨てた。足元に滑り込んできたスマートフォンの画面を見つめるように、健は顔を俯ける。


「君が大人しくしてくれたら彼女には何もしない。言っている意味、分かるだろう?」

「……そーですね」


 健は目的のためなら最愛をも犠牲にする覚悟がある。星にだってそうされる覚悟がある。

 だからといって今、こんなに早い段階じゃなくてもいいはずだ。だから――。


 ●●●


 お菓子の材料を一通り買い終えた星は灰色の空を不安げに見上げた。今にも降り出しそうだ。


 早く帰ろうと歩調を速めた星の頬に小さな雫が掠めた。一粒、二粒と、雫の数はどんどん増えていく。いよいよ本降りになってきた頃には、買い物袋を抱えて走り出していた。


 そして、細い路地を横目で見て、立ち止まる。

 あの路地を通れば、近道だ。しかし、人通りが少なく、一人で通るのは危険なことも知っている。急がば回れという奴だ。


 ――急いでいるからって近道は使わないよーにね。


 不意に恋人の言葉が蘇った。蘇ったから、星は細い路地へと足を踏み出した。

 普段は絶対に通らない薄暗い道を進む星の胸に不安は少しもない。速めていた歩調も緩めていて進んでいく。


 と。


「あ」


 壁にもたれかかるようにして立っている人物がいる。


 中学生くらいだろうか。それよりも幾分か大人びて見えるため、正確な年齢は分からない。

 育った環境故に整った顔立ちには耐性のある星ですら、息を呑むほどの美貌。


 出るところは出て、引き締まるところは引き締まった完璧なプロポーションを包むのは、漆黒のセーラー服。厚底のブーツは不釣り合いのようで、驚くほど釣り合いが取れている。


 何より不思議なのは雨なのに傘を差していないことだ。その手に傘はあるのに、差す気配が微塵も感じられない。

 異様な雰囲気を一人で作り出す少女。驚き、でも動じない星は何事もないように通り過ぎる。


 ――その時、腕を掴まれた。


「一人でこんなところを歩いているなんて危ないねぇ」

「おい、そんなんじゃ不安になるだろ。な、お兄さんたちと一緒に遊ばね?」

「お前、ロリコンかよ」


 引っ張られるように振り返った星に下卑た笑いが浴びせられる。

 粗野を絵に描いた男たちが立っている。嫌らしさを詰め込んだ視線に自然と嫌悪感がこみあげてくる。


 明らかに星より力のある彼らに捕まったら、どんな目にあうのかすぐに理解できた。

 腕を掴まれ、逃げる手段を奪われた星の中には、それでも不安も恐怖は湧いてこない。


「あら、女の子の扱いも分からないのかしら?」


 聞く者の心を捕らえてやまない声が薄暗い路地に響き渡った。


「ああ。そんな下品な見た目じゃ仕方のない話ね。ごめんなさい、気が利いてなかったわ」


 今の今まで微動だにしなかった少女がその美声に嘲笑をのせて言葉を紡いでいく。

 薄暗い路地すらも芸術的な景色に塗り替えるほどの美貌にもまた嘲笑が宿っている。


 突然現れた美少女に男たちは呆気にとられ、やがて言葉の意味を理解して怒りを露わにした。


「へぇ、生意気なこと言ってくれるじゃねぇか。俺らに勝てるとでも思ってんのか?」

「その見た目だったら、奴隷商に高く売れるだろうなぁ」


 注意が少女に移ったことで星を掴んでいた腕が緩み、するりと引き抜く。と、逆の腕を掴まれた。

 驚いて横に立った少女を見る。彼女は男たちを見たまま、「奴隷商、ね」と小さく呟いて笑みを作っている。


「見た目だけじゃなく、頭も悪いのね。この状況で自分の正体に繋がる情報を言うのはおすすめしないわ。――まぁ、私は貴方たちが何者なのか知っているけれど」


 少女は数歩、後ろに下がる。星もまた腕を引かれて後ろに下がった。


「さようなら」


 言いながら、傘の先端を男たちに向ける。まるで銃を構えるような挙動に男たちはひるみ、ただ笑む少女はゆっくりと柄のボタンを押す。


 瞬間、勢いよく開いた傘が互いの視界を黒に塗り替えた。

 困惑する男たちを傘で押しやり、星の腕を掴んだまま反対方向に向かって走り出す。


「後は任せたわ」

「任されました」


 離れた位置から帰ってきた声は聞き覚えがあって、小首を傾げた星は引っ張られるように歩みを進める。

 少女は何の説明もなく、どんどん先へ先へ進んでいく。


 それでもやはり星の中に不安は生まれない。むしろ先程よりも強い安心感が胸を占めていた。


 どれくらい走った頃だろうか。少女は仮設住宅のような建物の前で立ち止まった

 史源町の南側に広がる森のすぐに建てられているそれの存在を、星は今の今まで気付かなかった。


「入りなさい」


 手を離した少女は初めて星に向けて言葉を発した。嘲笑を含んだものよりもさらに冷たさを孕んだ声だった。

 有無を言わせない強い語調で、星はそもそも逆らう気がないので言われるがままに足を踏み入れた。


 迎えるのは、リビングと思われる部屋だ。簡易的なキッチンと必要最低限の家具が置かれているだけのシンプルな部屋。シンプルながら、不思議と生活感がある。

 奥にはいくつか扉があり、部屋が続いているようだった。


 外で見た時よりもずっと広く見える感覚は貴族街を彷彿とさせる。


「トイレは一番右、お風呂はその隣。他の部屋には入らないで」


 遅れて部屋に入った少女は矢継ぎ早にそう言った。温度のない、けれどやけに耳心地のいい声で。


「出て行きたければ好きにするといいわ。おすすめはしないけれど」

「いいの……?」

「貴方を引き止めるところまで頼まれていないもの」


 悪びれる様子のない少女は一番左の扉へ手をかける。


「用があれば呼びなさい」


 最後にそれだけ言って少女は扉の中へと消えていった。


 言葉を交わしたのはほんの少し。出会ってからまだ十分も経っていないだろう。

 だからこそ、素っ気なく冷たさすら感じさせる態度は誰に対しても同じなのか、星が何か嫌われるようなことをしてしまったせいなのか分からない。


 分からないけど、悪い人ではない気がする。

 冷たさの中に刹那だけ感じた温かさが彼に似ているような気がしたから――。


 大丈夫。そんな自分の直感を感じることにした星は逡巡ののち、そっと床に腰を下ろした。

 いつまでいればいいんだろう? そんなことを考えながら。

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