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「……なんだ?」
霊力が渦を巻き、築かれた障壁が放つ衝撃波が男を吹き飛ばす。とほとんど同時に悠を取り囲んでいた男までもが次々と倒されていった。秒を数える間もなく、全滅である。
見る間に倒された男たちを困惑とともに見る二人と、一足先に何かに気付いて笑みを浮かべる悠。
「さっすが王様、惚れ惚れする手際ですね」
棒読みでそんなことを言いつつ入り口から姿を現したのは、サイズの大きい灰色のパーカーを羽織った少年。悠がもっとも信頼する人物にして双子の兄、岡山健である。
そして、健が王様と呼ぶ人物は一人しかいない。後に続くようにして姿を見せたその人に何より驚きの声をあげたのは夏凛だ。
「どうしてお父様が……?」
「お前が心配だったからに決まってるだろ」
健と似たような反応を見せる夏凛を安心させるように王様こと春野和幸は笑った。喧嘩別れしたことなどまるで気にしていないとでも言うように。
不必要に気遣わせないよう、振る舞う和幸の姿に夏凛の瞳が揺れる。脳裏に過るのは別れ際の出来事だ。
ずっとずっと胸の中にあった罪悪感が膨れ上がって、存在を主張する。
「ごめんなさい、お父様」
ちゃんと伝えようと逸らしたくなる思いでじっと見つめて口にする。波打つ瞳と向き合う目は深い愛情を宿しており、どこまでも優しくて、どこまでも温かかった。
怖くて、今までちゃんと見れなかった父親の顔は不器用で柔らかな笑みが浮かんでいる。
「俺こそ、悪かった。……どうも俺はまだまだ未熟な父親みたいだ。なぁ、夏凛。お前の好きなこと、お前が思ってること、俺に教えてくれ。俺はちゃんとお前の父親になりたいんだ」
「う、ん。うん、話すよ。ちゃんと話す」
言っても分からないからじゃなくて。どうせ無駄だからじゃなくて。
分かってほしいから、無駄にはしたくないから話そうと、今は不思議とそう思えた。
大きな手が自分を撫でる感触を味わいながら夏凛は笑う。目端から透明な雫が零れた。
「私ね、オカルトが好きなの。可愛いリボンやフリルがついた服よりも、髑髏や十字架がついた服の方が好き。後、占いも好き。占われるよりも占う方が好きなの。怪談も好き。聞くとドキドキするけど、それが楽しいの。それと――」
「待て。そこから先はちょっとばかし心の準備がいるから、後日にしてくれ」
ちらりと少し離れた位置に立っていた良を横目で見た夏凛が次の言葉を言う前に和幸はそう言い放った。
夏凛の好きなものを否定する気は全くない。ただ父親的感情が働いた結果だ。
「えー」
「えー、じゃない。俺の心の準備が出来た頃にちゃんと挨拶に来なさい」
「あ、挨拶って……まだ、その、付き合ってるわけじゃ」
そんな親子の会話を無表情で一瞥した健は、変わらない表情を良に向ける。
「今回は協力ありがとーございました」
「ううん、俺は特に何もしてないし……」
「そんなことありませんよ。すごく助かりました。何かお礼をさせてください」
良がいなければ夏凛を見つけ出せなかったという事実はかなり大きい。お陰で、制限されることなく動くことができるのだから。
悠がいたとはいえ、危険な場所に送り込んだという事実もあるので、叶えられることであれば何でもすると申し入れる。
人が人ならかなりの要求をするところだが、良は迷うように視線を動かすのみである。
そこでふと、健の片頬が赤くなっていることに気がついた。
火傷だろうか。元が白いからよく目立ち、見ていて痛々しい。
「その怪我、大丈夫?」
「え? ああ。大丈夫ですよ、かすり傷です」
指摘されて思い出したと言わんばかりの態度に、見た目ほど痛くないのだろうかと考える。
よくよく見てみれば、健は他にも怪我をしている。切り裂かれ、わずかに血が滲んだ服は最後に見たときと様変わりしている。
自分よりも小柄な少年が傷だらけなのに、良自身は無傷。さっきだって申し訳程度に夏凛の前に立っただけだ。
曲りなりにも武道の心得のある人間なのに情けなくて仕方がない。こんな自分に報酬を貰う資格なんてない。
「兄さんが町を去ったあの日……俺、岡山君が兄さんと話しているのを見たことがあるんだ。気付いてたとは思うけど」
「兄さん……ああ、海里さんのことですか」
武藤海里。それが、良が心から尊敬している従兄の名前だ。
彼と話していたことも、それを盗み見ていた良に気付いていたことも、あっさりと肯定した健は続きの言葉を待っている。
「あの日、兄さんはどうして記憶を消して出て行ったの?」
「その問いの答えが報酬ということですか? 随分と欲のない話ですね。その理由を海里さんから聞いたわけではないので俺の想像になりますけど」
「それでもいいよ」
迷いなく答えた良に、やはり欲のない人だという感想を健は抱いた。名前の通り良い人だと。
「傷付けないため、でしょーね。記憶が残っていたら、町を去った後、悲しむ人もたくさんいるでしょーから。少し話しただけの俺にも分かるくらいお優しい人でしたし、自分のせいで誰かが苦しむ姿を見たくなかったんだと思いますよ」
予想していたものと同じ答えを得た良は、変わらない武藤海里像に密かに安堵する。
少しずつ記憶が薄れていく中で積み重ねられた不安が一瞬で解消された思いだ。
「にしても、本当にこれでいーんですか? 俺としては物足りないし、何ならもう一つくらい聞きますよ」
無表情で、なんてことない口調で問いかける健。
不意に、「健は良い奴だ」としきりに言っていた親友の言葉を思い出した。
彼が友達になりたいと言っていた理由が今なら分かる気がする。
近寄りがたく恐ろしさすら感じさせる彼は、実はすごく優しい人なのかもしれない。短い間でも簡単に触れられるほど優しさに溢れている。
「じゃあ、タメ口で話してよ。……呼び方も、呼び捨てでいーよ。俺もそうするから」
「……」
無言で見つめる真意は良には分からない。悪い感じはないが。
「類は友を呼ぶって奴か……」
誰のことを思い浮かべているか分かったから、良は思わず笑ってしまう。
「俺は航輝ほど割り切れてないよ」
笑って答えた良を健は再び無言で見つめていたが、すぐに視線を宙に向けた。瞬き一つですっと目を細め、和幸と悠に目配せをする。
それを不思議に思う間もなく、良は悠によって抱え上げられた。自分よりも小さい人間に抱え上げられたことに驚き、混乱した脳が状況への理解を遠ざける。
「百鬼、その辺に倒れている人を外に」
健が誰かに話しかけたのを最後に良の視界が一変する。窓から飛び降りたと気付いたのは上から下へと流れる景色を見てからだ。
雲が芸術的に白を描き出した青空に、透明な膜が張られたような気がした。
瞬間、凄まじい轟音が鳴り響いた。良たちが今までいた部屋のちょうど上が爆発したようで、降り注ぐかに見えたガラスの破片や粉塵は何かに阻まれた。塵一つすら、下にいる良たちには届かない。
「急に抱えたりしてすみません」
「大丈夫だよ。少し驚いたけど……どうして爆発なんて」
「夏凛さんは囮だったってところかな。油断しているところを一網打尽、みたいな?」
気付くのがもう少し遅れていれば今頃、全員仲良く瓦礫の下だろう。これだけの人間が集まってそんなヘマなんてすることはないが。
ビルの爆発なんて大事件も和幸の手で綺麗に揉み消してもらえる。
現状、健が気にするのは一つだけ。
「夏凛さん、少しお話いーですか?」
「え、と。うん」
ただならぬ気配を感じて、夏凛は身を固くする。静かな意思を宿した無機質な瞳と対峙し、話の内容について何となく当たりをつける。
夏凛がビルに監禁されることになった原因であり、良がここにいる理由だ。
「あの力のことだよね」
幼い頃から自分の中に特別な力が宿っていることに気付いていた。小さな力はたまにひょっこりと顔をだすだけだった。
けれど、ある日突然力を増した。自分の力は自分の力ではなくなって、ただ夏凛の奥底の望みに従って動き始めた。
瞬きの間、目を紅く輝かせた夏凛に健は首を縦に振る。
「その力は危険です。俺も、王様も、夏凛さんの中にその力があることを好ましく思っていない。だからこその提案、いえ、命令ですかね。これは」
何故、健がその命令を伝えているのだろうという疑問は湧いたが、不思議と違和感はなかった。
まるで健が口にすることが当然のような気がして、夏凛は命令を受け入れる気持ちを整える。
「力を消させてください」
真っ直ぐこちらを見る無機質な瞳を前に、夏凛ははっきりと頷いた。
「力がなくなれば、占いも以前のように当たらなくなります。それでもいーんですか」
「いいよ。占いは百発百中よりも、たまに外れるくらいがちょうどいい。私はそっちの方が好きだし」
命令と言っておきながら、確認するように言葉を重ねる。健がおかしくて笑ってしまう。
静かに瞬きをし、差し出された健の手を握る。無機質の瞳は紅色をしていて、繋がった掌から何かが吸い上げられるような感覚が駆け巡る。
悪い気分ではない。掌を伝って流れていく力に少し寂しい思いが過っただけだ。
それから少し時間をかけて夏凛の中にあった紅い力は全て消し去った。手が離れたとき、健は疲れているように見えた。
「おそらく、これで狙われることもなくなるでしょー」
「一応、百鬼をつけておくか。念のため、星や月の方にも――」
「その必要はありませんよ」
やけにきっぱりと告げた健に和幸は眉を寄せる。詳しく話そうとしない姿勢はいつものことで、和幸は小さく息を吐き出した。
「……百鬼、気にかけるだけ気にかけておいてくれ」
「分かったわ」
健が断言したからにはちゃんとした理由がある。だからといって心配な親心は変わらないので、これくらいは許してもらいたい。
「悠、良を送ってあげて」
それだけ言った健は和幸の行動に、特別何かすることもなく歩き出した。
自分の役目は終わったと言わんばかりの態度の健の後ろを全員がただ無言で見送った。