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6-27(幕間)

 海里の来訪から数ヵ月経ち、健は変わらずの日々を送っている。

 季節は冬。月で言えば十二月。新年まで十日を切った頃である。


 桜稟アカデミー最大行事の日ということもあって、生徒は皆一様に身形を整えることに時間を費やしていることだろう。

 かくいう健も今まさに最大行事もとい懇親会に向けて準備の真っ最中である。


 刃同士が合わさる規則正しい音ともに黒髪が床に落ちる。細長い指が一房掬い取り、鋏を通す。


 繊細な手付きで散髪しているのは美しい少女だ。長い黒髪を首の後ろで一つに括り、いつもゴシックロリータをまとっている身体はクラシカルなメイド服に包まれている。


「こんなものかしらね。どう?」

「ん。いーんじゃない」


 伸びるままにしていた髪が切り揃えられ、首元が涼しくなった。

 見た目に頓着しない性質の健は差し出された手鏡に映し出される自分を見て素っ気ない言葉を返す。


「せっかく整った顔をしているのだから、もう少し容姿に興味を持ったらいいのに」

「逆だよ。整っているから無頓着でもなんとかなる」


 手入れもせず、伸びっぱなしでも見栄えが落ちることがなかったように。

 自分の容姿を正しく評価した健の言葉にメイド服をまとった少女、夜は笑みを落とした。


「素敵な答えね」


 声音に愛しさを詰め込んで呟き、夜は鋏を仕舞い、続いてスタイリング用の道具を用意する。

 無造作に置かれたキャリーケースの中から道具を取り出す夜を横目に健は息を吐く。

 随分と気合が入っているようだ。楽しんでいるとも言う。


「夜が楽しそーで何より」

「楽しいわよ。オリジナルのまま貴方を着飾ることなんてそうそうないもの」


 夜は元々、星のスタイリングをするという名目でアカデミーを訪れた。が、やけに乗り気で健のスタイリングまですると申し出て、今に至っている。

 変装の際に何度も世話になっているので腕は信用している。健の性格も知っているので悪いようにはならないだろう。


「ヘアメイクが終わったら次はメイクをするわ」

「メイクもする必要ある?」


 目立たないこと。それが懇親会での目標だ。それを分からない夜ではないはずだ。


「あら、今は男だってメイクをする時代でしょう?」


 あえて求めている答えから外れた言葉を返す健。その細い指が後ろから健の輪郭をなぞる。

 頬を艶めかしく動く冷たい感触を大きく表情を変えないまま、受け入れる。


「それに、健は少し白すぎるからメイクで血色よく見せた方が悪目立ちしなくなるわ」

「俺、そんなに顔色悪い?」

「見慣れた私にとってはいつも通り。だけれど、パーティ会場なんて明るい場所なら際立つでしょうね」


 自分が色の白いタイプという自覚はある。その上、体調がいいときの方が珍しいので顔色が悪いと言われても不思議はない。


 ただ夜以上に顔色の悪い姿を見慣れてしまっているので、そういうものか、という感慨が最初に湧くのだ。

 好んで明るい場所に行くこともないので、より自覚が薄くなっているのかもしれない。改めなければ。


「参考にさせてもらうよ」


 慣れた手付きでヘアメイクを終わらせ、夜はメイクの方へ作業を移している。


 あらゆる黄金比を詰め込んだ顔が間近に迫る。整い過ぎた顔はメイクを必要としておらず、その腕前に反した薄化粧が施されているのが分かる。

 むしろ、その薄化粧こそが夜の腕前を証明していると言える。


「こんなものかしらね」


 形のいい笑みが呟き、終わりを告げるように見せられた鏡には見慣れない自分の姿が映っている。

 顔立ち自体に変わりなく、頬や唇にほんのりと赤みが差し、健康的に見える。いつぶりだろうと思わず考えてしまうほどに新鮮な姿である。


 健は「参考にする」と言った言葉のままに色味や位置を分析して自分の中に落とし込む。

 この手の技術は習得していて損はない。


「流石だね。ありがとー、夜」

「これくらい大したことじゃないわ。……むしろ、二人きりの時間ができて、私の方が感謝したいくらいよ」


 メイクしていたとき以上に夜の顔が近付く。甘やかな吐息がかかり、艶めく唇がそっと触れる。

 セットされたばかりの髪に柔らかな唇を微かに感じて、健は顔をあげる。


 目と目が合う。色っぽく熱を宿した目と、驚きを淡白に宿した目。


「誕生日おめでとう。愛しているわ」

「ああ」


 十二月二十二日。今日は健の誕生日である。そのことを今、思い出した。


「その反応を見る限り、私が最初かしら。報酬としては十分すぎるわね」


 愛しい瞳すら揺らせなくても、夜は満足げな表情を見せている。

 愛されることよりも愛することに力を入れる彼女らしい姿だ。


「じゃあ、私は春野星の方に行くわ。期待してくれていいわよ」


 最後にそれを言い残して、夜は本命の方へ向かう。黒い裾を揺らす後ろ姿を見届けた健の視界にふと執事服姿の人物が映った。


 入れ替わるように姿を現したその人物の額にもまたキスを落とし、夜は場を去っていった。

 キスが夜からの誕生日プレゼントといったところか。


「えっ…え? 何です、今の⁉ なんで僕にキスしたんですか。夜さん、ちょっとやり逃げしないでくださいよ!」


 当然キスだけ残された側に生まれるのは混乱だ。無意味にそんな行動を取るタイプではないと知っているからこそ、混乱も大きくなる。


「悠、ちょっとこっち来て」

「健兄さん? あ、かっこよくなりましたね。流石は夜さんで――ふぇ、ぇ!?」


 いつも通り無邪気に言葉を重ねる悠の額へキスをする。夜を倣った行動に対する反応は、夜のときとは異なる。

 悠の顔は瞬く間に赤色に染まり、無邪気を装うことも忘れて見開いた目で見ている。


「ふっ、面白い反応。ふふっ」

「ちょっと! なんで楽しそうなんですか!? まさか、夜さんと揃って僕をからかってるんです?」

「違うよ。これはプレゼント」


 疑いの視線を向ける悠の頭を撫でるように叩きながら健は悪戯っぽく笑う。


「誕生日おめでとー、悠」


 大きな目をさらに大きくしたまま固まる悠は数秒を使って状況を理解する。


「そっか。今日は二十二日でしたね」


 お互い誕生日の自覚が薄いのは昔から変わらない。


 生まれ落ちる数十年前から自我を確立させている健には誕生日なんて言われても実感は湧かない。

 悠も同じだろう。浄化されていない前世の記憶と、時間を知らない幼少期。自分の誕生日を特別視する気持ちが抜け落ちている。


 それでも周りの優しい人々は抜け落ちたままでいさせてくれないから。


「健兄さんの誕生日で頭がいっぱいでした」

「てことは、ちゃんと準備してくれてるんだね」

「当たり前ですよ! でもでもっ、僕はこれからパーティの準備に行かないとなのでまた後で。あ、そのお姿、素敵です。似合ってます。かっこいいです」


 人手が足りないということで、新米執事も手伝いに駆り出されるらしい。

 給仕は使用人学校の生徒が担当するので、悠の仕事はすべて裏方らしい。当然、会場の準備や片付けも手伝わなければならない。


「頑張って」

「健兄さんにそう言ってもらえるなら百人力ですよ」


 ぐっと握りしめた拳で意気込みを示しながら悠は去っていった。




 着替えまで終えた健は一人、派閥の拠点を訪れた。懇親会までの時間も持て余したとも言う。

 ドレスコードがあるから仕方ないとはいえ、やはりこの手の服は落ち着かない。いつもより短い袖により、冷たい空気に晒される手を落ち着きなく触りながら、いつもの道を辿る。


 拠点には健と同じく時間を持て余した男たちが時間を潰していた。


「やっぱり二人も来ていたんだね」

「男は準備に時間がかからないからね。今日は講義もないし」


 答える良の横に座り、小さく頷きを返す。


「時間をかけた分だけ女性は綺麗になる。それを楽しみに待つ時間ってところかな」


 当たり前に口にした言葉へ、二対の視線が注がれる。驚きとは違う意味で丸くなあった良と優雅の目に健はわずかに首を傾げた。


「健のそういうところ、すごいと思うよ」

「なにが?」


 本気で分からないと健は首を傾げたまま、感嘆を零す良に聞き返す。

 何かおかしなことを言っただろうか。振り返ってみても思い当たる節はない。


 ただ向かい合う形で座る良と優雅は理解し合った笑みを浮かべている。


「自覚してないところもらしいね」


 健には分からない何かで通じ合っている二人は柔らかい笑みのまま、低いテーブルの上にプレゼントを置いた。


 今日この日、渡されるものが何を意味するかは流石に理解している。

 夜に誕生日であることを知らされていなかったらまた別だっただろうが。


「誕生日おめでとう、健」

「気に入ってもらえたら嬉しいよ」


 雰囲気の似た二人からプレゼントを受け取り、それぞれ封を開ける。


 まずは優雅からのプレゼント。重みのあるそれを開ければ、数冊の本が姿を現した。文庫本サイズの本たちは絶妙に健の好みを捉えている。

 普段、よく読んでいる本に近いものを選んでくれたのだろう。


 続いて、良からのプレゼントを開ける。優雅のものよりも軽く、サイズも小さいものの正体を明らかにした健は目を丸くした。


「兄さんに協力してもらったんだ」


 中に入っていたのは『藤咲堂』の商品券だ。期限なし、しかも手作りだ。


 良の従兄が協力としたとなると作ったのは華蓮や月辺りだろうか。

 いづれにせよ、アカデミー入学前までは頻繁に行っていたので素直にうれしい。


「二人ともわざわざありがとー。うれしーよ」


 表情も言葉も淡白なものだ。言葉通りに感謝しているとは思えない態度でも二人には正しく伝わっている。


 健の優しさに触れたことがある二人だから。ということを健は理解していない。

 ただ伝わっている事実を理解の中に落とし込んでいる。


「プレゼントまで用意してくれるなんて思ってなかったよ」

「お祝いの気持ちももちろんあるけど、健にはいろいろと助けてもらったからね。そのお礼も兼ねて」

「助けた覚えはないけど?」

「それでも俺は助かった。自己満足でも何か形にしたかったんだ」


 強い表情をするようになったものだと感心したように優雅を見つめる。

 入学時、期待に押し潰されそうになっていた人物とは思えない。


 きっかけを与えたのが健でも、立っている足は優雅自身のものだ。力は元々、優雅にあったものだと何度言っても結局、平行線。


 ならば、と。

 今の彼が形作られるのに少しだけ貢献したのだと、自分の功績として素直に受け取っておこう。


「キングは律儀だね」


 照れ隠しのような言葉を返して。

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