6-25
「うちの拠点で熱心に読み漁っていたことは聞いてますよ」
「うん。いろいろと勉強になったよ」
星司の付き添いという名目で海里が処刑人の拠点に通っていたことは八潮から聞いている。より正確に言うのであれば、八潮から報告を受けた夜から聞いている。
熱心に『神生ゲーム』関連の書類を読み漁っていた、と。
拠点に招くことを指示したのは健だ。そうなることは想定していたし、対策もしてあったので、海里の行動を責める気持ちは一切ない。
「でも、肝心なところの情報は隠されてたから直接聞きに来たんだ」
あそこにある書類はすべて健が地道に集めたものであり、確信に迫るものもいくつかある。
元々目をつけられている健はいい。しかし、海里までも危険視されるのは避けたかった。
なので、その手の情報はより厳重な鍵をかけておいた。桜宮家にいてもそれくらいは可能である。
「海里さんも当事者である以上、知らないままというわけにもいきませんからね。ここでなら気兼ねなくお話できますし、嘘偽りなくお答えしましょー」
そのために帝天の目が届かない場所を用意したのだから。
「何でも聞いてくれて構いませんよ?」
「ありがとう。って言っても、いざそう言われると何から聞いたらいいか迷うね」
内容が神生ゲーム――世界に成り立ちに関わるものともなれば、質問を絞るのも難しいだろう。
いくらでも答える気はあるが、最初の質問がまず出てこない。
「じゃあ、まずは神生ゲームの成り立ちについて話しましょーか。多少内容が被るところもあると思いますが、気になることがあれば都度聞いてください」
「分かった」
頷きを確認して、健は知識として刻まれた話を語り出す。
「神生ゲームが帝天と出来損ないの神によって始められたもの、というのは海里さんもご存知だと思います」
「勝ったら願いを叶えるっていう条件で帝天が持ち掛けたんだよね」
「とはいえ勝利条件もゲーム内容も不明と都市伝説レベルに異質なゲームです」
ここまで神生ゲームの基礎的な話であり、海里も知っている内容だ。
拠点に置かれた書類を読む以前から、把握していた情報だろう。
「海里さんもご存知のこの情報は帝天が改変したものです。出来の悪い都市伝説の実態は――」
これは書類にも記していない話だ。答えに近付くための情報はあったが、厳重に鍵をかけていたものの一つだった。
「帝天が異端者を始末するために設けたルールです。願いを叶えるというのはただの後付け設定。まったくの嘘というわけではありませんが」
以前、健は神生ゲームのことを「くだらない」と海里に言ったことがある。
何でも願いを叶えると謳いながら実際は帝天の都合で動くゲームなのだと。
「帝天は創造神……この世界を作った神だよね。わざわざルールを作らなくても、気に入らないものを排除するくらい簡単じゃないの?」
「そー都合よくいかないのがこの世界のシステムなんです」
当然の疑問だ。作り手であるならいくらでも自分の好きなように改変できる権利を与えられている。
わざわざ面倒な手順を踏む必要はないとそう思うだろう。
健も初めて真実を知ったときは同じことを思った。
教えてくれた人物は帝天側の事情など知らず、立てた仮説は自力で辿り着いたものだ。
「例えて言うなら、この世界は緻密なプログラムで作られたシステムです。緻密すぎるが故に少しのズレが致命傷になる。帝天であってもプログラムを無視することはできません」
とはいえ、創造神。できないまま、泣き寝入りするなんてことにはならない。
「だから新しくプログラムを書き加えたってところですね」
プログラムを書き換える権限を唯一持っているのが帝天だ。
自ら作り上げた世界を自らが決めたルールからはみ出さないように書き換える。その結果、くだらない遊びに『神生ゲーム』という高尚な名前が与えられた。
「神生ゲームの目的は異端者を殺すこと。そしてその理由は――」
「異端者がズレを生むから?」
「そーです。定めた道筋からズレることこそ、帝天がもっとも忌避していることですから」
緻密なプログラムで作られたシステムは始まりから終わりのそのときまで道筋が完璧に決められている。
誰と誰が結ばれて、誰がどこで生まれて死ぬか。組み立てられたプログラムと基に決められている。
時折、改良を加えながら作り上げたシステムを見守り続けるのが帝天の望みである。
「道筋からズレた世界は修正不可能なほど歪み、帝天の手から離れてしまう。自分が作った作品が他人によって汚され、元の形を失うのは誰だって嫌でしょーし」
健にも気持ちは分かる。けれど、納得できるかと言ったらまた別の話だ。
「でも、原因を取り除いても歪んだままだよね?」
「歪みが戻せないのなら最初からやり直せばいい。それが帝天の考えです」
培ったもの、築いてきたものすべてをゼロに戻して初めから。
帝天自身に作り上げた世界への思い入れはない。ただ作品が完璧なまま動いてさえいればいいので、失われることに対して思う心は持っていない。躊躇なくリセットは実行される。
「――そしてやり直し、リセットは一度行われています」
笑みを作った。紡いだ言葉に抱く感情を隠すために笑顔を貼り付ける。
それを見つめる海里もまた柔らかく笑んだ。中性的な顔をいつも彩っている笑顔とは少し様相が違う。
奥に隠したものを見抜かれたような気分になる。
「リセットされる前の世界はいろんな種族が混在していたそーですよ。鬼、妖……龍なんてものもいたとか」
聞きかじりの知識を努めて明るい声で紡いだ。
鬼たちは集落を作って暮らし、生き残りの龍がいて獣人や吸血鬼、ファンタジーでよく見る種族が当たり前にいたという。様々な種族がそれぞれに作り上げた営みはもうどこにも存在しない。
存在が消され、書き換えられ、今の世界には欠片すら残されていないのだ。
「健君の目的ってもしかして……」
「ご明察です」
最後まで言わせないままに健は肯定した。
目的の内容を話したのはこれで二人目だ。一人は唯一の共犯者である紅き目の鬼。
答えに近付けている人はいても完全解答とまではいかない。
神生ゲームの真実を知らない以上、無理もない話である。
「きっと見方によっては俺の方が間違っているんでしょーね。自分の作品を取り戻そーとしている帝天の方がきっと正しい。……でも」
貼り付けたままの笑顔が揺れる。無機質と称されることの多い目が失われた者たちを、これから失われる者たちを想って波立っている。
「作られたものでも感情がある。意思がある。失われることを悲しみ、怒り、恐れる心がある」
泣き笑いのような表情を浮かべていた健はそっと哀切を孕んだ目を細める。
身勝手に奪われることを受け入れられる者が一体どれだけいるだろうか。
「俺には無視できなかった。……俺が、原因なんだから」
小さく付け加えられた言葉に海里が「原因?」と微かに聞き返した。
話すと言った。ここを誤魔化すつもりはない。
弱い部分が微かに震えているのを感じながら、貼り付けた笑顔を消した。感情の宿らない童顔はいつもの健に戻った証だ。
「海里さんは異端者がどーいう存在がご存知ですか」
「出来損ないの神のことだよね? 妖姫様に、龍王、鬼神……」
万物を守る力を持つ妖姫。万物を操る力を持つ鬼神。万物を見る力と万物を紡ぐ力を持つ龍王。
神生ゲームの始まりに関わる出来損ないの神々。異端者という言葉が指すのは彼らのことだ。
「ズレを生み出す、帝天にとって予定外の存在ってこと、だよね?」
「そーです。存在しないはずの存在。だから異端。では、どーやって生まれると思いますか」
「確か、出来損ないの神は唐突に生まれる、だったっけ」
書類の内容を諳んじてみせる海里に健は頷きを返す。
出来損ないの神は唐突に生まれる。前触れもなく、親も持たず、独りきりでこの世に誕生する。
始まりの一人は孤独を嘆き、自らの半身を作ったという。健の共犯たる彼も孤独の日々を過ごしていたとか。
「ただ龍王には当てはまらないんですよね」
龍王は武藤家の子供として生まれた。その異質さから同じく孤独を味わっていたらしいが、親が存在していることには変わらない。
出来損ないの神の中でも特殊だからというわけでもないことを健は知っている。
「出来損ないの神、異端者は歪みから生まれるんです。歪みが集えば、世界に隙間ができる。新しい存在が形作られるくらいの隙間が。でも、その存在はとても不安定なものです」
「邪念体みたいなものか」
邪念体とは邪気が集って生まれた生命体である。元となるものは違えど、原理で言えば出来損ないの神と同じである。
知能なき生命体と出来損ないの神の違いはただ一つ。
「歪みから生まれた生命体は自らを確固たるものにするため、上位存在から力を奪った。出来損ないの神は帝天の出来損ないという意味なんですよ」
出来損ないの神は世界を掻き乱す異端者であり、帝天から力を奪った簒奪者でもあるのだ。
「でも、力を奪ったら帝天に気付かれるんじゃない?」
「帝天はすべてを知り、万能の力を持った全知全能の神です。自らの力を驕り、胡坐をかいている彼の存在にとって蚊に刺された程度のことなんです」
発赤や痒みの症状が出る分、蚊に刺された方がまだ気付きやすいくらいだ。
強大する力ゆえに、帝天は自らの力を把握できていないのだ。
最初の出来損ないの神が守りに長けていたこともあり、帝天が気付いたのは事態が大きく進んだ後だった。
「帝天の力を得た歪みは影響力も大きい。歪みはまた新しい歪みを生み出す。その負の連鎖を繰り返して――」
「神生ゲームは始まった。つまり、歪みから生まれた存在が原因。つまり」
隻眼が健を射抜く。
健は自分が原因だと言った。先程の説明と健の言葉の意味を理解できない人ではない。
一度切った言葉の先を想像し、健は冷たい笑みで頷いた。それを肯定の意と受け取りながら海里は改めて口を開く。
「――健君も歪みから生まれた存在なんだね」
静かな確信が音となって零れた。




