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6-22

 健の目の前に立つ人間を見つめる。人間と称したが、これは厳密に言うと人間ではない。

 創造神が限りなく人間に近付けて造った人形というのが一番近いだろうか。


 白い人間改め、白人形は若い青年の姿をしている。

 髪は長く腰の辺りまであり、顔立ちは中世的。これで左目に眼帯でもあれば、健のよく知る人物だ。

 本来の色が抜け落ちた姿でも一目で分かるほどよく似ている。


「王様を連れてこなくて正解だったな」


 白人形の元になったのは武藤海斗。和幸の親友だった男だ。

 和幸は未だに海斗の死を引き摺っている。それだけ大切な存在がもう一度死ぬところなど見たくないはずだ。いくら形を模しただけの存在だったとしても心は軋む。


 だから健は見せずに済んだことを安堵する。そして和幸が合流するまでに決着をつけなければ。


「桜さんじゃ、俺の相手にならないって判断したか。お陰で仮説が実証されたけど」


 口の中で呟きながら目端で周囲の状況を確認する。

 先に白人形の対処にあたっていた巫女たちは夜が上手く安全圏へ誘導してくれているようだ。


 沙羅が合流する姿が目に入り、焦るようにあれの姿を探す。

 目立つ容姿はすぐに見つかり、隣に立つ人物を見て小さく舌打ちをする。


「っとに碌なことしないな」


 ここからは会話の内容までは分からないが、碌なことを吹き込んでいないことは明らかだ。

 妨害したい気持ちを抑えつつ、今は目の前の敵に集中する。


 息を深く吐き出して邪念を打ち払い、新しい酸素を肺に入れて意識を切り替える。

 ようやく完全に戦闘へ意識を移した健の目が迫る白い影を捉えた。


 棒立ちのまま迎える健は瞬き一つだけで応じる。

 甲高い音を鳴らし、斬り込まれた刃は半ばで止まる。透明な障壁が行く手を阻んでいるのだ。


 戦場において何もせず立っているなど愚の骨頂。隙だらけの相手に攻撃を仕掛けるのは当然のことで、きちんと対策も用意していた。

 防ぐためだけの結界なら一瞬で生成できる。


 受けた剣撃から角度や威力を算出し、健は短剣を五本生成する。

 固定化されたそれらは物理法則を無視できるという術の利点が失われている。自力で動くことのできないはずの短剣は宙で震え、白人形を狙って舞い踊る。


 健の身に宿る紅い力は固定化のデメリットを打ち消す。それどころか健にとって固定化はメリットの方が大きい。


 白刀と打ち合うたびに短剣の軌道を細かく修正する。

 そうして動きの最適化を図っていても、相手は剣の達人のコピー。正攻法で勝ちを拾うのは難しい。


 弾かれた短剣が宙で解け、白人形の背後に再び生成する。四本の短剣を相手する中で生まれた隙を突く配置。

 紙一重でこれを躱す白人形は一太刀ですべての短剣を弾き飛ばした。


「おー、見事」


 離れた位置で見守る健はそう言って小さく拍手を送る。

 五本の短剣と白い刀による美しい剣舞。長い髪が白い軌跡を描いている。

 極められた剣術はそれだけで芸術品なのだと感心しながら、健はすべての短剣を解いた。


 元の霊力に還元された短剣たち。解かれたばかりの霊力で新たな武器を作り上げる。

 簡易的に作られた銃。外見は銃そのもの。しかし、中身は術式で支えられた銃もどきだ。


 破裂音とともに放たれる弾丸を白人形は両断し、その横を細身の剣が狙う。

 すかさず白が踊る。金属同士がぶつかる甲高い音に紛れて、発砲音が響く。


 解かれ、再形成される刀剣と弾丸。次々に襲い掛かるそれらは残らず巧みな剣捌きであしらわれる。


「劣化コピーでこれか。海斗さんは相当強かったんだろうな」


 それも健や和幸のように策略を武器にした強さではなく、技術と力による純粋な強さだ。

 白人形は形と能力だけを模した存在だ。固有の能力を使うことができても、知力や精神力などを由来とする力は使うことができない。


 同じ劣化コピーでも純粋な強者より、策を弄するタイプの方が弱くなる。相手をする身としてはそちらの方がよかったのだが。


「……っく」


 不意に存在感を増した突き刺す頭痛に宙を舞う刀剣たちの動きが乱れる。

 蒼き力を使った代償が頭痛という形で健を襲う。戦闘に意識を割くことで無理矢理押しやった痛みに顔を歪め、飼いならすために深い呼吸を繰り返す。


「隙を無視してはくれないよね」


 迫る気配を感じ取り、痛みの中で呟く。


 踊る武器をすべて消し、還元した霊力で足元に働きかける。生成された土が上へ健の身体を上へ押し出す。

 白人形を軽々と越えて着地する。瞬間、二人の間に初めて鮮血が舞った。


「やっぱりずれるか」


 小さく呟いた健の目には肩に刃の花を咲かせた白人形の姿が映っている。

 すれ違いざまに触れた手で白人形の体内から刃を咲かせた。本当は心臓に直接咲かせるつもりだったが、指定した座標からずれてしまっていた。


 思考を掻き乱す頭痛だけが理由ではない。霊的な防御力が高い相手だとよくあることだ。

 帝天が健を倒すために派遣したのだからそれくらいの対策はしているのだろう。

 精密な座標指定は健の専売特許なのだから。


「的が外れたら外れたでいーんだけど」


 目を紅くする。


 肩に咲いた刃の花が震え、ゆっくりと肉の中を進む。滴る赤い液体で白で統一された身体を汚しながら、肉を掻き分けながら体内へ。

 鋭い刃は行く手を阻む肉を切るように奥を目指す。


「――っ」


 白い一閃がきらめき、白人形は自らの肩を両断する。躊躇なく、刃の花ごと自らの片腕を切り捨てた。

 治癒の術で傷口を塞ぎ、片腕のまま何事もなかったように健に向き直る。


 逡巡も躊躇もない行動はまさに人形らしい無機質さを感じさせる。

 健を殺すという役目のためにだけある白人形。向ける切っ先はただ死をもたらすために振るわれる。


 生成したばかりの細身の剣で受けつつ、健自身はわずかに身を屈めて逆側に回り込む。

 低い位置から簡易的に治癒が施された肩へ掌を向け、細長い剣を生成する。


 のけぞるように避けられる剣。健はその柄を握った。

 固定化されていない剣は意思に応えて刀身を短くする。


「藤咲流剣術第五の舞、桜花」


 短くなった刀身が霊力をまとい、散らす。刃の軌跡をなぞりながら霊力の花弁が舞う。

『桜花』の名の通り、その姿は春に舞う薄紅の花弁を思わせる。


「――風の纏」


 ひらひらと舞い散る花弁が風を纏い、荒々しく白人形に赤い線を刻んでいく。

 強風により、まともに刀を振ることができない白人形の頭上に指輪を弾く。


「起動、縛鎖」


 安物の指輪が宙できらめき、鎖が降り注ぐ。封じる力を持った鎖に絡まれ、白人形はもがくことも許されない状態へ追い込まれる。

 この指輪は夜から拝借したものである。複雑かつ強力な術を一瞬で行使するのは然しもの健でも難しいので使わせてもらった。


 身動きのできない相手へトドメを刺すべく、剣を構える。

 桜流剣術の構え。霊力を剣にまとわせた零の型。一撃で仕留めると踏み込んだ健の目が微かに震えた白い指先に気が付いた。咄嗟に身を引く。


「滅」

却下(キャンセル)


 指先に集う霊力が溢れる瞬間より早く唱えた。

 武藤海斗がもっとも多く使っていた術は和幸から聞いていた。術式が事前に分かれば、解除するのは手間ではない。


 不発に終わった霊力を横目に健は攻撃を再開させる。

 一閃で鮮血を散らし、急所を的確に貫いた。剣を引き抜くと同時に溢れ出る血に、視線すらも寄越さない健へ震える手が伸ばされる。


 反射的に半歩下がった健に指先が掠めた。それを最後に白人形の身体は崩れた。


「私が、武藤海斗が死んだのは貴方のせいです」


 負け惜しみの代わりに白人形が残したのは恨みのこもったその言葉だった。

 伸ばされた指すらも崩れ去り、跡形もなくなった白人形を無言で見つめる。


 知っている。分かっている。


 誰かに指摘されなくとも、健は自分の罪を覚えている。

 逃げることも、忘れることも二度としないと心に誓っている。

 憎しみの念で心を揺さぶろうとしても無駄だと背を向ける健の身に正体不明の衝撃が走った。


「な、に…っ……」


 怪我を負ったわけではない。何か術が仕掛けられたわけでもない、少なくとも身体には。


 震える。心が震える。訳も分からない恐ろしさが健の心を握りしめている。

 身体までも震えだし、明滅する視界が朧げな世界を映し出す。


「……っ」



 物の少ない部屋で息を引き取ったばかりの女性がベッドに寝かされている。傍らにいる彼女の主は支えを失った幼子のような表情で立ち尽くしている。



 微笑を浮かべた眠るような死に顔。遅れて駆け付けた青年が親友の死に、顔を悔しげに歪めた。



 小さな身体が宙を舞う。尻餅をついた少年が呆然と見つめ、誰かの絶叫が突き刺さる。



 闇色の女性がトラックに撥ねられ、地面に叩きつけられる。娘の名前を呼びながら、女性は命を落とした。



 明滅する視界は次から次へと知らない景色を映し出す。


 知らないけど知っている。目にしたことはないけれど、健の中に知識として蓄積されている。

 健が奪った命の記録。健が歪めた宿命により、命を落とした人々の。


「どーして君は生きているの? 君がいるせいで不幸になる人がたくさんいるのに」


 幼い少年が無機質な目で見つめている。感情の一つも映し出さない目は健を責め立てているようで、切り離して封じていたものが奥で疼いた。


 頭が痛い。脈打つ痛みに平静の皮が裂け、血を流している。

 鋭い痛みに合わせて流れる血は鮮やかな紅色をしていた。


〈壊せ〉


 とめどなく溢れ出す紅が破壊の声を囁く。

 一度震えた心は「壊せ、壊せ」と繰り返される言葉に絡み取られる。

 逃げることで守り続けていた事実を突きつけられた気分で目を瞑る。


〈壊せ、壊せ壊せ、コワ、セ――俺、を、自分を、壊せ〉


「いない方がいい。君も分かっているだろ? これ以上歪めてしまう前に」


 二つの声が重なり、健の死を願う。身体は紅い液体の中に沈んでいき、口の端から零れた気泡だけが上へ上へと昇っていく。

 それをぼんやりと見つめる健は「ダメだ」と小さく呟いた。


 ここで終わらせるわけにはいかないのだ。健には果たさなければならない目的がある。


「それの邪魔になるものは……」


 邪魔になるものはすべて切り捨ててしまえばいい。

 それが逃げだとしても、目的を果たすことだけが重要なのだから。


「いら、ない」


 己を責め立てるその声を、震える心さえも健には必要のないものだ。

 感情が弱さを作るのならば、感情もいらないと。

 今までしてきたように不要なものを少しずつ切り離し、平静の皮を被り直す。


「ダメ」


 短い声が響いたと思えば、甘やかな香りが漂い、思考を現実へと引き戻す。

 映し出された琥珀色の少女は珍しく怒りを含んだ顔で健を見つめていた。

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