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6-18

 春野家には鍛錬場がある。主に使用人たちが鍛錬する場ではあるが、春野家当主が未来ある若者へ稽古をつけるためにも使われている。

 和幸は歴代当主の中でも指南の場を積極的に設けていため、使用頻度は高い。


 夜更け過ぎに和幸はこの鍛錬場に立っていた。傍らに立つのは子供らしさが抜け落ちた子供。

 正直、年端もいかない子供をこんな時間まで起こすのは忍びないが、仕方がない。誰もいない時間を選ぶと深夜くらいしかないのだ。


 初めての鍛錬場を興味深げに見ている幼い少年を見る。特に眠そうな素振りは見せていない。

 完治するまで、と設けた五日の間、彼はあまり睡眠を取っていないと幻鬼が言っていた。

 慣れない場所で眠れないのとも違うようで、無理しているわけではないらしい。元々あまり眠らなくても大丈夫な性質なのかもしれない。


「興味あるなら見て回ってもいいぞ」


 と言っても、置いてある物も少ないので、見て面白いかは分からないが。

 そんな和幸の考えに反して、健は鍛錬場を歩き回って壁や少ない物を興味津々に見つめ、触れている。


 何か琴線に触れるものでもあったのか。

 分からない。未だに彼という人間が掴めていない。


 ともかく、と和幸は歩き回る健を横目に人払いの術を唱える。人が来ない時間とはいえ、念のために。


「ん?」


 術を発動させた和幸は視線に気付いて横を見る。

 もう満足したのか、鍛錬場を見て回っていた健がじっとこちらを見ていた。瞬き一つせず、機械めいた目が和幸を凝視している。


「どうかしたのか?」


 術を使うところを初めて見て興味を持ったのだろうか。

 短い付き合いの中で、好奇心が強いタイプなのは分かってきた。いろんなものに興味を持ち、己の知識に変えることに対して非常に貪欲だ。


「もー一度術を見せてもらえますか。別の術でもいーので」

「ああ、分かった」


 戸惑いながらも了承し、掌に炎を生み出す。最小限の霊力で作り出された炎は一分も経たずに消える。


 健は生み出されてから消えるまでを無言で見つめている。いっそ恐ろしさすら感じられるその姿は短い時間のすべてを知識として吸収しようとしているようにも見える。


 やがて健は小さく頷き、その掌に炎を生み出す。いや、生み出すだけではない。

 炎は自在に姿を変え、火の粉を巻き散らしながら小さな掌の上で踊る。


「――。見ただけでここまでできるとはな。お前には術の才能があるのかもしれない」

「使い方が分かれば、行使自体は難しくありません。知識だけなら元々あったので」


 淡々と返す機械的な姿にはこの数日でだいぶ慣れてきた。

 細かいことが省かれた必要最低限な言葉には気になる部分も多いが、ここはあえて触れないことを選ぶ。


「可能なら術も教えるつもりだったが、その分だと必要なさそうだな」


 今の時点でも下手したら和幸より上手く扱える可能性もあるくらいだ。

 和幸は天才の域に片足を突っ込んだだけの人間だ。剣も術も化け物と呼ばれる者には遠く及ばない。

 そして、目の前の幼子は化け物と言われる類の人間だ。


「砂鬼」


 短く名を呼べば、傍らに一人の鬼が現れる。

 紅鬼衆とその主の間には目に見えないパスが繋がっている。それにより名前を呼ぶことで呼び寄せられるのだ。


 普段ははじまりの森に滞在していることの多いその鬼は長い髪を振り、真紅の目を和幸へ向ける。

 長身の女性だ。赤銅色の髪を高い位置で結び、動きやすく改造された着物をまとっている。


「何用だ」


 女性にしては低い声を紡ぐ口元には鋭い牙が覗いている。


「健に剣術を教えてやってほしい」

「この子供にか?」


 驚く気持ちはよく分かる。相手はまだ三つの子供だ。

 自分の子供にだってこんな早くから剣術を教えはしない。


「お行儀のいい剣術はあたしの専門外だぞ。幸がそれを失念するとは思えないが?」

「お前の思っている通りだ」


 形だけの剣術ならわざわざ砂鬼を呼び出していない。

 健の立場上、講師も雇うことはできないので和幸が時間を見つけて教えることになっていただろう。


 砂鬼が教えられるのは一言で言うと殺し合い。生死をかけた戦闘方法である。

 健が求めているのは、健に必要なのは、こちらの方だと判断したから呼び出したのだ。


「とりあえず、一回手合わせをするか。雰囲気を掴んでもらった方がいいだろうしな」

「幸と手合わせするのは久しぶりだな。以前よりも幾分か強くなっているだろう?」

「あまり期待してくれるなよ。お手柔らかにな」


 実は和幸も砂鬼に剣術を教えてもらっていた時期がある。

 それ以前にも有名らしい使い手の指南を受けていたが、やはり本物を知っている人の教えは違う。

 眠たい稽古よりも死線を潜った者の方が和幸の性に会っていた。


 鍛錬場内にある木剣を握り、和幸は久方ぶりに砂鬼と向かい合う。


「健、離れた場所で見ていろ」


 頷き、離れていく姿を確認し、木剣を構える。目の前に立つ砂鬼は腰に佩いた短剣を抜き取って構えた。

 相手は真剣。それを不公平だとは思わない。


 鋭い目に殺気が宿り、真正面から受け取って和幸は床を駆ける。

 桜流剣術一の型。貴族街で主流であるこの型はこれから健に教える型である。


「ふっ、やはり強くなっているな。年相応の動きを上手く身に着けている」

「褒めているんだろうが、年寄り扱いされている気がして複雑だな……」

「若造の癖して何を言っている」


 微笑を乗せた言葉に苦笑を返す。

 何百年も生きている鬼からしてみれば、和幸などまだまだ小童の括りなのだろう。


 交わされる剣撃はいつもより大分遅い。素人、それも幼子の目にも留まるように速度を落とし、砂鬼もそれに乗ってくれている状態だ。

 両手から繰り出される連撃を木剣でいなし、間合いを詰める。


 突き立てられた木剣に砂鬼は肩を竦めて、短剣を納めた。花を持たせてくれたらしい。

 雰囲気を見せるための手合わせなのでお互い本気は出していない。


「少しでも雰囲気は掴めたか?」

「そーですね……」


 相変わらず子供らしさの欠片もない淡白な反応である。正直、未だに接し方が分からない。


「桜流剣術は初めて見ました。当たり前ですけど、藤咲流とは全然違うんですね」

「藤咲流は見たことあるのか?」

「――。まあ、少し」


 本当に掴み所がなく、接しにくい。少しは歩み寄れたかと思えば、すぐに距離を離される。


 他人に心を許さないよう徹しているようにも見える姿は何とも言えない寂寥をまとっている。

 だから和幸は彼が望む通りに距離を取りたくないと強く思う。


「とりあえず最初は素振りと型を覚えるところからだな。稽古は基本的に砂鬼につけてもらうことになる」

「分かりました」


 嫌に聞き分けがよく、逆らう素振りもないままに頷く健。

 この頃はまだ無表情に宿る表情を見抜けず、何を考えているかまでは読み取れなかった。






「健の様子はどうだ? 幻鬼。砂鬼」


 机の上に重なった大量の書類を捌きながら和幸は、室内に立つ二人の影に問いかけた。

 健が春野家に滞在して一か月以上が経っている。


 春野家当主は多忙を極める。気になってはいても、そう頻繁に様子を見に行けない。なので、健のことは目の前に立つ鬼二人に任せている。


「変わらず、といったところだね」


 先に答えたのは紫紺の髪を持つ青年、幻鬼だ。鬼のイメージとはかけ離れた穏やかな雰囲気をまとっている。

 それでも確かに髪の隙間から二本の角が生えており、笑う口元からは鋭い牙が覗いている。


「ああ。言葉を交わすことは増えたかな。彼は好奇心、知識欲が強いようだね。それに賢い。話していてとても面白いよ」


 良好な関係を築けているようで安心する。


 幻鬼は他者の感情を見抜くのが得意で、距離の取り方が上手い。

 掴み所のないあの少年相手にもそれは発揮されているようだ。

 心を許せる存在が一人でもできれば、人間らしさが欠落した彼も少しは――とそこまで考えて頭を振る。


「……体調の方はどうだ?」

「特に問題はない、いや、問題ないように見えるの方が正しいかな。彼は隠すのが上手いから、僕も完全に見抜けている自信はないよ」

「お前にそれを言わせるとは相当だな」


 表情すらも隠し通しているくらいだからな、と息を吐き出す。

 見抜けるほどの関係性はまだ構築できていない。半年、一年、もっと長い時間をかければあるいは。


「剣術の方は?」

「悪くはない、といったところか。ようやく身体の使い方を覚えてきたところだ。これからどんどん強くなるぞ、あいつは」


 砂鬼が言うくらいに剣の才能があるようだ。

 身体が弱く、今まで寝たきりに近い生活を送ってきたこともあって、苦戦しているという話も聞いていたが、ようやく軌道に乗り始めたらしい。


 覚えはいいと以前言っていたので、期待できそうだ。今度、時間があるときに手合わせしてみるのもいいかもしれない。


「剣術の才も術の才もあるのか……」


 おまけに頭も回る。きっとまだ隠されている才もあって、それがすべて花開いたら一体どんな怪物が生まれるのだろうか。


 恐ろしいと思う心の裏で、彼の成長を楽しみと思う心も存在する。

 和幸はもう彼のことを自分の子供のように思い始めていた。


「ところで岡山家から連絡はあったのかい?」

「いや、何も」


 春野家で預かることになった旨は伝えてある。それに対する返答は嫌に淡白だった。

 この一か月、何度か顔を合わせることはあったものの、健の様子を聞かれることはなかった。


 あの家に自分はいない方がいい。そう言っていた健の姿が思い出されて胸が痛む。

 親子は仲良く一緒にいるべきだとは思わない。けれど、かつての二人を一瞬でも知っているからこそ、言い知れない感情が胸の奥で強く疼いている。

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