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6-17

 あの日以降、健は春野家に滞在することになり、今に至る。


 結界に覆われたベッドの上で安らかな寝息を立てる健を見つめる。

 寝顔は見た目以上にあどけない。昔から変わらない寝顔だ。


 健との付き合いはかれこれ十年以上となるが、あの時に抱いた疑問は未だに解消されていない。


 何故、宿主が健に代替わったのか。防御の術をすでに使えていた理由。傷の治りが早いのは何故か。豊富過ぎる知識の出所や、謎に広い交友関係。一変した性格。いつも見るという夢について。――そして、すべてを捧げるほどの目的の詳細。


 疑問は解消されるどころか、一緒にいればいるほどに増えていく。

 それでも疑問を疑問のままにしているのは信頼であり、信用だ。和幸はこのまま知らぬままでいいと思っている。

 健がやることすべてを肯定しているわけではないが、彼のやり方を否定しない。


「もう少し自分を省みてほしいが」


 ただでさえ、その小さな身体に似合わない重責を背負っているのだから。

 抱えあげれば軽く、年齢に見合わない小さな身体。それでもあの頃よりは成長している。


「お前もちゃんと成長しているんだな」


 昔から大人びていたこともあって、変わらないという印象が強かった。

 かつてを懐古し、少しは変わっている、成長しているのだと笑みを零す。

 髪を梳くように撫でながら、親心をまとわせた視線を注いでいた和幸はふと顔を上げる。


「――。――。優雅、来ていたのか」

「すみません。ノックしても返事がなかったので……出直します」


 恥ずかしいところに見られた。込み上げる羞恥心をなんとか飲み下し、春野家当主としての威厳をどうにか形にする。


「いや、問題ない。悪いな、少し考え事をしていた」

「健のこと、ですか」


 ここにいて考え事すると言ったらそのことしかない。先程の独り言も聞かれていただろうし、言い当てられても不思議はない。

 あえて独り言には突っ込まないでいてくれる優雅の気遣いをありがたく思いながら、すまし顔で頷く。


「昔の……出会った頃のことを思い出していてな」

「長い付き合いなんですよね。健がまだ小さいときからって聞きました」

「聞きたいか?」


 問いかければ、優雅の目に刹那だけ期待が宿る。


 聞きたいと、知りたいと思っているのが分かる。出会って一年も経っていないからこそ、知って少しでも健に近付きたいと願いながらも、健の性格を知っているから肯定できずにいる。

 迷うその姿こそ肯定だと考えて、和幸は表情を和らげる。


「少しなら健も怒らないだろうさ」


 そう前置きをし、和幸は語り出す。眠る少年との始まりを。


 〇〇〇


 研究区での一件以降、健は春野家に滞在することになった。そこから和幸の話は始まる。

 経緯である事件については暈して優雅に伝えた。優雅も貴族街の人間だ。深入りはしない。


 立場が立場だけに健は執務室横の小部屋――現在、健が使っている部屋に寝かされている。

 あの日から四日程経ったが、目覚める気配はない。


 ある程度治癒していたとはいえ、あの怪我だ。幼い子供ならばより負担も大きく、一時は高熱も出していた。四日目となってようやく熱が下がり始めたところだ。


「そういえばあまり身体が丈夫ではないと言っていたな」


 健の父親から聞いたことである。


 岡山家は春野家の分家であり、表には出すことのできない傷の治癒や死体の検死をする家系である。同じ年頃の子供がいることもあって、彼の父とは親しい間柄だ。


 実は一度だけ健にも会ったことがある。ほんの数ヵ月前のパーティに同行していたのだ。

 その日は体調がよかったらしく、父親に隠れながら挨拶をしてくれたのを覚えている。


 それが鬼神の宿主で、隣で眠っているとは人生どう転ぶか分からない。

 そこまで考えて、ため息を吐く。こんな風に現実逃避していないとやってられない。


「幸、目が覚めたようだよ」


 紫紺の髪から二本の角を覗かせた青年が隣の部屋から現れる。

 鬼の中でもっとも人の機微に聡い幻鬼に健の護衛を任せていたのだ。

 聞こえよく言って護衛。その実態は監視や見張りの方が近い。


「分かった」


 ありふれた日常を送っていた少年が突然あんな惨劇に巻き込まれたのだ。最悪の場合も想定して、幻鬼が出てきたばかりの扉を開けた。


 出迎えたのは年端のない少年だ。つい先程起きたばかりの彼は起き上がり、光の宿らない目で和幸を見ている。

 最悪の想定を概ね外れていないらしい。泣き喚いたり、暴れたりしないだけマシではあるが、そちらの方が人間らしく、子供らしいとも言える。


「傷も完全に癒えたわけじゃないんだ。無理して起きなくてもいいんだぞ?」


 我が子に語りかけるように努めて柔らかい声を出す。見返す目に変化はない。

 安堵も怯えもなく、無だけを映し出した目がそこにはあった。


「いえ、問題ありません」


 返ってきた言葉も嫌なほどに感情が抜け落ちていた。

 人形めいたとも、機械めいたとも言える姿に氷塊が滑り落ちる思いがした。


 以前会ったときとの違いに心が震えた。愛の中で育った幼子の心が壊れるには十分過ぎる状況ではあった。ただ何か引っ掛かる。


「前に一度話したことがあるが、俺は春野家当主、春野和幸だ」

「存じてます。貴族街の長ですよね」


 感情の乗らない声は子供らしさの欠片もない言葉を紡ぐ。


 それこそが和幸が感じた違和感だ。

 子供らしくない。子供らしくないのだ。心が壊れたとか、心を閉ざしたとか、そんな次元とは違う。


「お前、何者だ――?」


 いっそ恐怖さえ抱かせる姿にそんな問いが思わず口をついて出た。


 わずかに震えた和幸の声を受けて、健は初めて表情を変えた。

 口元を綻ばせ、目元を和らげる。見惚れるほど美しいその笑みはすべてを知る神のような風格がある。

 見た目にそぐわない雰囲気は、中身だけ別人が入れ替わったようにも思える。


「俺は岡山健です」


 それ以外の何者でもない、と告げる口調。

 呆気にとられて健の笑みを見ていた和幸ははっと我に返り、改めて彼へ目を向ける。

 老成した空気をまとう幼い少年は浮かべていた表情を再び消し去って、和幸を見返す。


「失ったのではなく、取り戻したんです。だから心配はいりませんよ」

「お前は――」

「俺はこれからどーなるんですか」


 高い子供の声が大人びて問いかけた。無だけを映し出したその目で。

 言いかけた言葉を遮られ、一度口を閉じてから答えるために再び口を開く。


「春野家に滞在してもらうことになるだろうな。いつ帰れるかは分からない。いつか帰してやると約束もできない」


 彼相手に誤魔化しの言葉を使うのは違う気がした。

 生まれ育った家に帰れず、両親に会うことも出来ない未来を示されて健は――安堵の息を吐いた。


「いいのか?」


 あまりのも予想とは違う反応に驚きつつ、問いを口にした。


「あの家に俺はいない方がいーでしょーから」


 淡白な返答には果てない慈愛が込められていた。

 それだけだ。健の言葉には家族への愛だけが込められており、それ以外を排除したからこその淡白さで彩られている。


 真意を読み取ろうとすることが馬鹿らしく思えるほど、ただ大切な人の幸福を願っている。

 幸福を守れるのならば、と自らの命すら投げ出すその姿。


 小さなその身体には似合わない献身的な覚悟に込み上げた感情に突き動かされ、和幸は手を伸ばした。


「なん、ですか」


 すべてを知り尽くしたとでも言わんばかりの幼子は和幸の行動に分かりやすく困惑している。

 初めてらしい姿を見れた気分で和幸は、ただ健の頭を撫で続けた。


「いや、なに、形のいい頭だと思ってな」


 分からない、と目で訴える姿に笑って、ただ撫で続ける。

 嫌なら振り払い、拒絶を示してもいいだろうに健は視線を寄越すだけで、されるがままになっている。


「……一つ、条件をつけても構いませんか」


 ぽつりと零された言葉に和幸はようやく撫でる手を止めた。

 条件とは、春野家に滞在することに対してのものだろう。二度と家に帰れない可能性がある以上、提示されて当然とも言える。


「内容による」


 もはや、幼子という評価を引き下げた和幸は交渉相手としての認識のもと、健の言葉を待つ。

 わざわざ断りを入れたくらいだから、大層な条件を示されるだろう、と。


「剣術を教えてください」

「それだけか?」

「それだけですが?」


 返ってくる言葉を受けて一拍。

 条件にしなくとも、彼の行く先を考えれば叶えられる望みだ。


 そんなことはあの聡明さ湛えた目も理解していることだろう。きっと条件なんて形を取って頼んだのは感情と切り離された関係だと示唆するため。


「分かった。条件を呑もう。教えるのは怪我が治ってからだが」

「分かりました」


 この頃の健はまだ聞き分けがよかった。今の健との一番の違いはそこだろう。

 なんてことを本人に聞かれたら怒られるだろうが。

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