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1-9

 有名チェーン店を始めに様々な店が立ち並ぶ華々しい駅前とは打って変わって、駅裏に広がるのは灰色の工場地帯だ。

 閑散とした空気が蔓延したここには今は使われていない廃工場も少なくない。それを装っただけの工場も。

 ともあれ、今回、健が目指すのは廃工場の方である。


百鬼(びゃっき)


 決して大きくない声で呼びかければ、すぐ傍で風が巻き起こる。おさまった頃に立っていたのは一人の少女だ。

 見た目は中学生くらい。月白色の髪をツインテールにし、奇妙な出で立ちをした少女である。髪の結び目から生えた二本の角と、口元から覗く鋭い牙が人ではないことを教えてくれる。

 少女の名は百鬼。出来損ないの神の一人、鬼神の眷属である紅鬼衆の一員だ。


「健が呼び出すなんて珍しいわね。何かあったの?」

「特には。敵陣に踏み込むから念のためってところかな。相手の戦力も分かんないし」


 史源町にいることが多い百鬼はこうしてちょっとした用で呼びつけるのにちょうどいい。素直で単純で、性格的に扱いやすいのも理由の一つだ。

 一先ずの情報共有ということで、密やかな声で必要事項を話す健を狙って飛び出す影がある。


 廃工場が多い駅裏には不良や危ない仕事に準ずる者がたむろしている。霊視力のない者には一人で歩いているようにしか見えない健は格好の的である。

 不可解なのは明確な殺意を宿らせていたのに数メートルほど接近するまで気配に気付かなったことだ。


「――っ」


 足払いとともに手刀を打ち込み、武器を持つ方の肩を外す。体勢を崩す男の背後に回り込んだ健はそのまま地面に押し付けて馬乗りになる。

 いつの間にか拾い上げていたナイフを首筋に当てて――肩の力を抜いた。


「危ない。うっかり殺すとこだった」


 息を吐き出し、気を失っているらしい男の上から退く。

 罪に問われることがないとはいえ、無用の殺生は避けたいというのが健の意見だ。

 殺されそうになって、うっかり殺したなんて話が知られたら、護衛の件を受け入れざるをえなくなる。

 護衛なんて面倒なもの、絶対につけられてたまるものか。


「健、大丈夫?」

「大丈夫だよ。この程度じゃ相手にもならない」


 伊達に死線をくぐってきていない。気になるのは直前まで気配に気付かなかったことだ。

 敵陣に向かう道中、いつも以上に周囲に気を配っていた。気配に気付かないことなどありえないくらいに。

 百鬼の方を見れば、首を横に振って答える。


「私も気付かなかったわ。風にもおかしな動きはないし」


 紅鬼衆の中でも気配を読むことに長けた百鬼の言葉を聞く健の脳裏に、夏凛が誘拐されたときのことが過った。

 毛先の赤い、白髪の青年。その姿を認識するまで健は青年の気配に気付かなかった。


「隠蔽系の力があるってことかな」


 あれが与えた力になると油断はできない。他にも何か隠された能力があると考えた方がいいだろう。


「ま、こーして襲いかかってくるくらいだから、この先に何かがあるのは間違いなさそーだけど」

「この人、どうするの?」

「放っておけばいーよ。そのうち目を覚ますだろーし」


 通行の邪魔にならないよう、道に寄せていく。非力な腕で引き摺ったせいで擦り傷が増えてしまったけど、大した問題ではない。

 自分を殺そうとした人間に優しくする義理はない。


 一瞥すらくれないまま、健は灰色の町並みを進んでいく。今度は襲われることもなく、不思議なくらい何もないまま目的地に辿り着いた。


「それはそれで不安だけどね」

「風にもおかしな感じはしないわ。分かりやすいくらいに不用心ね」


 ごくごく普通の廃工場。百鬼の言葉通り、傍から見ているだけでは何も分からない。

 人が出入りした形跡はある。ただそれが白髪の青年のものなのか、この辺りでたむろしている不良のものなのかまでは判別できない。


 外からいくら警戒しても埒があかないと、一歩、中へ踏み出す。

 吹き抜ける冷風が頬を叩き、顔を顰める。四月とは思えない、刺さるような寒さが工場内に渦巻いている。


 脳内で誘拐された少女の能力を検索し、一人で納得する。そこからの行動は単純だ。

 漆黒だった瞳を紅く煌めかせれば、肌を撫でる空気はすぐに温かさを取り戻す。


「凍えると思ったわ。一体、何なの?」

「ここに監禁されていると思われる巳夜さんの力だよ。温度を操れるらしーよ」


 どんな力であろうとも、鬼神由来の力であれば、健の敵ではない。操られたものが触れられるものであるなら、いくらでも上書きできる。

 温度を操るには空気に触れさえすればいい。


 今、健の立つ場所から一定の距離は元の温度を取り戻している。通り過ぎた場所の力は解除し、痕跡を残さないための工夫も完璧だ。


「でもどうして監禁されている子の力が発現してるのよ。まさか、暴走したとか!?」

「いーや、助けを呼ぶためだろーね。これだけ温度が低くなってたら、不審に思う人はいるだろーし」


 噂にもなるだろう。そして、この史源町にはこういう噂に敏感な人たちがいる。


 妖退治屋と呼ばれる人たちだ。妖退治を生業とする彼女たちは奇妙な噂を耳にすれば、必ず調査に乗り込む。

 たとえ、妖と無関係の可能性が強くても、無視できる性格ではないことを健はよく知っている。


 巳夜がそれを知っているとは思えないので、貴族街からそれほど離れた場所ではないと判断した上での行動だろう。

 貴族街であっても、その繋がりが強い史源町であっても、異変があれば何らかの形で健や和幸の耳に届く。話して聞いていた通りの聡明な人ならば、そんなことを考えているに違いない。


「でもまー、爪が甘いね」


 これも話に聞いていた通りだ。

 噂が出回るのには日数がいる。それまでずっと力を使い続ければ体力は持たない。

 そう考えて力を使う範囲を狭めたのはよかった。考えが足りていなかったのは閉じ込められた場所の広さを頭に入れていなかったことである。


「どれだけ頭を使っても、力が外まで流れていなかったら意味がない」


 事実、健はこの周辺に冷たい空気が流れているなんて話は聞いたことがなかった。

 辛辣な総評を述べた健は周囲の気配を探り、巳夜のいる場所に辺りをつける。

 敵の気配が探れないのはすでに経験済みなので、大量の敵がいる最悪の想定をしながらいよいよ工場内に足を踏み入れる。


 廃工場というだけあって、中は閑散としている。圧倒的なまでに物が少ない中、健はすぐに巳夜の姿を見つけ出した。

 手足を縛られ、横たわる一人の少女。軽く閉じられていた瞼は、人の気配に気付いて微かに震える。


「百鬼、周囲の警戒をお願い」


 頷き、風を巡らせる百鬼を横目に工場の中を進んでいく。

 罠の可能性も考え、慎重に近づいていく健は実に拍子抜けするほどあっさり巳夜の許へ辿り着いた。


「氷宮巳夜さん、ですね。春野家当主の命により、助けに来ました」


 意識があるのは先程の反応で確認済みなので、抑えた声で語り掛ける。

 和幸の名前を出せば、不要な警戒はされないはずだ。

 薄く開かれた紅い瞳が、同じく紅い瞳を捉えた。


「あなたは……!?」


 大きく見開かれた頃には、お互いの目は元の色を取り戻していた。

 あえて巳夜の問いかけに答えない健はすっと目を細め、自分の背後にナイフを生成する。


 半瞬遅れた百鬼の呼びかけとともに鮮血が散った。役目を終えたナイフは自由落下の途中で霧消する。

 浅い傷口を押さえながら距離を取った襲撃者へ目を向ける。白髪の毛先を赤く染めた青年。


「どーも、一昨日ぶりですかね」

「こんなに早く見つけたのは褒めてあげる。でも、外れだったね」


 どうやら彼は夏凛を探して、巳夜を見つけたと思っているらしい。その様子だと悠たちの方が気付かれていないようだ。

 それは重畳、と考え、心の内で微笑む。


「期待外れの君はここで始末してもいいかな。あいつは怒るかもしれないけど、あの方の望みだからね」

「……百鬼、彼女を貴族街に」


 百鬼を呼び出した目的を口にする健。

 風を操る力を持つ百鬼はその力で人を運ぶことができる。危険な場所に巳夜を置いていくリスクは百鬼にも分かる。しかし、健の指示に従うということは――。


「いいの? 健が一人になっちゃうわよ」

「大丈夫」

「……分かったわ。すぐ行って、すぐ戻ってくるから」


 健の強さもよく知っている百鬼はそれ以上言葉を重ねることはせず、風を巻き起こす。二人を包み込む風を守るようにたち、剣を生成する。細身の剣を両手に、挑発するよう微笑む。


「随分と余裕で。その顔、すぐに苦悩を変えてあげるよ」


 ナイフを構えて青年が地面を蹴る。

 速い。でも、健の目はしっかりとその動きを捉えている。

 一歩を下がって一撃を避け、二撃目を剣で受ける。そのはずだった。

 小さな痛みを感じて咄嗟に大きく後ろへ跳ぶ。見れば、パーカーの袖が避け、わずかに血が滲んでいた。


「認識操作か」

「タネが分かったところでどうにかできるものじゃないだろう!?」


 考える合間を与えない攻撃を大きな動きで避ける。認識操作はほんの数センチメートルの効果しかない。

 であれば、大きい動きで回避はできる。ただその分、体力を消耗するし、攻撃に対する改善策にはならない。

 逡巡のち、踏み込む青年を炎でお迎えする。丸焦げにしないよう制御された炎はうねり――。


「……っ!」


 健の方へと襲い掛かる。反射的に結界を張った健の頬を熱が掠め、顔を顰める。

 脈打つ痛みを感じながら健が思うのはただ一つ。

 怒りでも、苦悩でもない。純粋なたった一つの感情。


「めんどくさっ」


 隠しきれない本音が零れた。

 よくよく考えてみれば、巳夜を保護するという目的はとっくに果たしている。これ以上、彼に構っている理由はない。

 短い戦闘のうちでいくつかの情報は手に入れられたし、今が引き時だろう。青年が逃がしてくれればだが。


「さっさと諦めてくれてもいいんだよ?」


 心を揺さぶるような声音が鼓膜を震わせる。水のように浸透していく声を聞いて揺さぶられる心に気付かないふりをして健は口を開く。


「なぜ、貴方はこんなことをしてるんですか?」


 特に意味のない質問だった。答えが得られようが、得られまいが、どうでもいい質問。

 会話の流れを断ち切るために口を開き、青年の心を一番乱せそうな言葉を選んだだけ。


「こんなことをしても無駄だと言いたいの? ……お前らいつもそうだ……っ。俺のことを見下して……っ、物みたいに扱って……っ」


 感情に任せて振るわれるナイフを軽い身のこなしと結界で避けていく。冷静さを欠いた攻撃は今まで以上に簡単に避けられる。

 彼はどうやらすごく単純で、感情的で人間らしい。そして心が成熟しきっていない。


「お前はなんで氷宮巳夜を助けた! ……なんでっ、春野夏凛を助けようとするっ!」


 感情的な刃は次々に襲い来る。避ければ避けるほど、太刀筋に感情が乗せられていく。

 だから、さらに避けやすくなるという話でもないのが難しいところで。


 青年の怒りに応えるように純白の光と紅い光が瞬くのを目端でとらえる。

 白はあれを象徴する色。そして紅は――。


「巫女じゃなかったら……春野家の娘じゃなかったら……スラムの人間だったら! お前は動かなかったはずだ!」

「……くっ」

「そうやって簡単に切り捨てたものに殺されればいい!! お前にっ、あの方が気にするほどの価値なんてないんだ!」


 歪まされた視界が、健の身体に傷を刻み付ける。安物の服が切り裂かれ、血で汚れる。

 走る痛みは顔色を変えることがないくらいに慣れきったものだ。


 健の思考はこの程度では乱れない。ただただ最適解を導き出す機械だ。

 刃が肌に触れると同時に生成したナイフが鮮血を散らす。

 最初に襲われた時と同じ手だ。どんなに認識を歪められても、触れているものの座標は見誤らない。


「くそっ」

「――健!」


 巻き起こった風が健を包み込む。身体が浮く感覚を味わえば、すぐに地面が足に着いた。

 視界に広がるのは工場内の風景ではなく、青年の姿はない。代わりに立つのはツインテールの結び目に二本の角を生やした少女――百鬼だ。


 宣言通り、大急ぎで戻ってきた百鬼は攻撃を受ける寸前の健を風でさらったのだ。

 今立っているのは、件の廃工場から少し離れた通りである。咄嗟のことだったので、あまり距離を稼げなかったが、とりあえず逃げることには成功した。


「ナイスタイミング。助かったよ」

「もう少し早く戻ってくるべきだったわね。怪我、大丈夫?」


 離れている間に健が怪我をした事実に表情を曇らせる百鬼に無表情を和らげる。


「大丈夫だよ、かすり傷だし。これくらいなら治癒の術ですぐに治る」

「ほう? それはよかったな、健君よ」

「……! なんで、貴方がここに」


 明らかに偽物と分かる笑顔を浮かべたその人に気付いた健が苦笑を浮かべた。

 どうやら百鬼がこの場所に連れてきた理由は、咄嗟だったからだけが理由ではないらしい。


 主である彼に百鬼が逆らえないのは知っているので、ただ小さく息を吐き、変わらない笑顔の男性に向き直る。


「仕事はいーんですか、王様?」

「安心しろ。今日の分は終わらせてきた。大事な娘のためと思えば、大したことじゃない」


 なんてことのない口調で親馬鹿同然の発言をする和幸を黙殺する。

 なるほど。こんなところにまで来たのは夏凛のためか。

 今日動くことは報告済みだったし、子供を大切に思う和幸の性格は知っているので驚きはない。


「ところで健君や、その怪我についてはどう言い訳するのかな?」


 上手いこと話題を逸らすという思惑を阻止する問いかけが投げかけられる。不自然に和らいだ目が逃げることは許さないと物語っている。

 和幸が大切に思う子供の中には健のことも入っているのだ。不思議なことに。


「言い訳する必要、どこにありませんよ」

「……お前ならそう言うと思ったよ。何言っても無駄だろうから、これだけは言っておく。お前がそういう気ならこっちにも考えがある」

「わー、こわーい」


 完全な棒読みで返す健に今度は和幸が息を吐く番だ。

 はったりだと思っているから、そんな反応をしているのではない。和幸がどんな枷をつけると言っても、健の反応はきっと変わらないだろう。


 多少の文句は言うだろうが、逆らいはしないのが健だ。

 自分の立場を理解して、それでも自分の目的は見失わない。枷があるなら、自由に動ける範囲で自由に動くだけだ。

 和幸として健の自由をこれ以上、奪いたくはない。結局、和幸は健に甘いのだ。


「王様は誘拐されたのが夏凛さんや巫女じゃなかったら、俺に動くよーに言ってましたか?」

「場合にもよるが、ないだろうな。そもそも上から命令が来ない」


 唐突の質問を訝しく思いながら答える。

 今回、健に頼んだのは上からの命令があったから。そうでなければ、わざわざ健を動かしたりしない。それは健自身も分かっているはずだ。


「何かあるのか?」

「いーえ。世の中不平等だなーと思っただけです」


 全くそんなことを思っていないような平坦な口調で言う健に和幸はさらに眉を寄せる。

 詳しいことを話すつもりはないらしい健は歩き出し、和幸はため息一つで追いかける。

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