魚見‐前‐
願望だと認める以前に、真実この世は動物霊であふれていた。
しかし、昨日見た霊が今日も同じとは限らない。
正確に動物霊の個体識別ができる人間などどれほどいるだろう。
一本杉葎(いっぽんすぎ むぐら)は動物霊が見分けられる稀有な人間だ。さりとて強い霊力があるわけでもない。
葎のその謎めいた生い立ちは、どうしても霊を引き寄せてしまうようだった。
軒下に身を潜めた一本杉葎は、せわしない小動物の手つきで雨粒を払いのけた。濡れネズミになる前に地下鉄の入口に滑り込んだはずなのに、心なしか水気を吸ったように制服が重い。
布地が肌にはりつく。校則を守ったスカート丈は長すぎてうっとうしく、学校指定の靴は硬すぎる。
それでも悲しいかな、まめまめしく従ってしまう。服装の乱れをチェックする人間の目つきは、まるで凶悪な囚人に対峙する刑務官のようだ。
追われる草食動物さながらに視線を階下に走らせた。根のように伸びていく地下通路は、薄暗いが心強い。葎のなかで手を引かれて歩いた記憶と重なっていく。
一段一段、幼い頃と同じように、道なりに進む。
天候のせいか、日中と思えないほど闇が広がっていた。その現実は、過去との間にわずかな差異をつくっている。
葎は息を呑み、階段の踊り場で足を止めた。
壁一面に幾匹もの蛇がうごめいている。どうやってはりついているのか。目を疑うほどどぎつい色で、複雑に身を寄せ合う様はひとつの絵画のようだ。
かつて葎の父が属していたカルト集団は、爬虫類を崇めていた。見える動物霊が偏っているのはその影響らしい。
葎としては毛がふさふさと生えていて、さわり心地のいい耳や尻尾のある動物とお近づきになりたかった。爬虫類がかわいくないというわけではないけれど。
『この、浮かれ烏め!』
一際派手な色をした蛇が頭をもたげたかと思うと、口が裂けんばかりに牙をむく。
脳裏に言葉が叩きつけられる。
「いったぁ……。何するの」
衝撃が緩やかに広がっていく。葎は頭を抱えた。胸焼けしそうな苦痛はなかなか散らない。
「ひどい言い様だけど感心したよ。よくもまあ、浮かれ烏なんて言葉を知ってたね」
『おい、ムグラ。おれはお前にあらゆるものを与えただろうが』
皮肉など何処吹く風で、今度はまだら模様の奇抜な響尾蛇が身を起こす。細かく尾を振動させ、独特の音を立てる。
『お前のウデもアシもメもおれの物だ』
なんてことを言うのだろう。しかし、嘘ではない。




