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空と海の果て

 ざわめくコンサートホールにブザー音が響き渡った。

「ご来場の皆様にお知らせいたします。間もなく開演です。どうぞ、席におおつきください」

 開演五分前のアナウンスが場内に流れた。

「結構お客さん、いっぱいだわ」

 そっと客席を確認した淑子は小声でつぶやいた。

  舞台袖にはロングドレスを身にまとった女性たちが、緊張した面持ちで整列している。全部で四十人ほどの彼女たちは、おそろいのブルーのロングドレスを着ていたが、その中にクリーム色のドレスを着た女性が数人混ざっていた。

「本ベルはいりまーす」

 ヘッドセットをつけたアナウンスの女性が、出番を待つ彼女たちに小声で伝えた。

「さあ、みんな楽しく歌いましょう!」

 指揮者が団員の緊張を和らげようと、笑顔で声をかける。

「よろしくお願いしまーす!」

 ピアノの伴奏者も、ぐっと拳を握って気合を入れたようだった。

 さわさわとしていた小声のおしゃべりが止んで、しんとなる。

 ブ―――――。

 ブザーと共に客席の照明がゆっくりと落ちていった。

「本日はコーラスアンダンテ、ひまわりコーラス、合同コンサートにお越しくださいましてありがとうございます……」



 淑子は、子どものころから歌うことが大好きだった。

 中学生の時に合唱部に入部し、あっという間に虜になった。高校に進学しても合唱部に入部した。

 通っていた高校は県大会の常連校で、練習するにつれて声が透き通っていくのを感じるとうれしくなった。あるべき場所に声がピタッとはまり、美しいハーモニーを奏でる快感を知った。彼氏も作らず、おしゃれにも頓着せずに合唱に打ち込んだ青春時代だった。

 そんな淑子も、高校を卒業して就職。結婚をして出産、子育てに追われる毎日を過ごすうちに、すっかり歌うことなどなくなっていた。けれども、子供が巣立ち、夫と二人きりの生活になった時、急にまた歌いたいという気持ちが頭をもたげたのだった。

  思い立ったが吉日。

  淑子は、近所の人に聞きこみをしたり、公民館を回ってリサーチを進め、地元の「ひまわりコーラス」に入団した。

 


 カッ、カッ、カッ、カッ……。

 ホールの中にヒールの音が響く。

 淑子はこの緊張と、ホールに響く足音が好きだ。

 団員が三列に並ぶ。

 指揮者が出てきて、客席にゆっくりとお辞儀をすると、拍手が起きた。

 最初に歌うのは復興ソングだ。テレビで幾度も放映され、合唱にも編曲されていている。


 今日は、淑子が震災後の避難先で入団した、コーラスアンダンテの十五周年記念コンサートだった。

 このコーラスアンダンテには、かつて淑子が所属していたひまわりコーラスの団員が三名ほど入団している。


 淑子の住んでいた地域は避難解除準備地域と呼ばれる場所だ。避難解除準備地域というのは、原発事故のため、当面は避難指示が継続されているが、帰還を目指して整備を進めている地域という事だ。けれども、淑子はこの五年の間に、故郷へは帰らないという決断を夫と共に下していた。

  コーラスアンダンテに入会した他の二名も同様で、すでに非難してきたこの地域に、家も建てていた。

 

 しんとしたホールの中にしっとりとしたピアノの音色が響き、指揮者がどうぞ! というようにコーラスに向かって合図を出す。

 淑子は胸いっぱいに息を吸い込むと、吐き出す息に音を乗せた。



「今回の十五周年コンサートに、ひまわりコーラスの団員も参加させてはもらえないだろうか?」

 避難先で入会したコーラスアンダンテの会長にそう申し出るのは、行動力が取り柄の淑子にとっても、かなり勇気が必要だった。

 自分たちの会の記念のコンサートによその団体のメンバーが混じるという事に不快感を持つことだって、ないとは限らない。

  けれども、この機を逃したらもう二度とひまわりコーラスの仲間には会えないかもしれない。

  みんなで集まった最後の練習日。また来週と別れた仲間。みんな、ありきたりな日常が続いて行くと疑わなかったあの日。けれども、あの震災が起き、あれ以来一度もあっていない仲間さえいるのだ。散り散りとなり、自分たちだけでコンサートをすることなど到底できることではない。あんな中途半端な別れが最後だなんて、そんなのは嫌だ。その思いが淑子の迷いを吹き飛ばした。

 参加できない人もたくさんいると思うが、希望者だけでもいくつかの曲を一緒に歌わせてもらえないだろうか? 淑子はそうアンダンテの会長に頼みこんだ。

 全曲歌わせてくれなんて言わない。

 練習だって、思うようには出来ないだろう。

 でも、みんな知っているような曲を数曲入れてもらって、合同ステージのコーナーを設けてはもらえないだろうか。

 そう言って、頭を下げた。


 アンダンテの会長は少し考えた後、会員に計ってみて、皆さんが良いと言えばいいですよ、と言った。

 アンダンテの会員は会長の提案に拍手で賛成の意を示してくれた。


 淑子にとって、大変な日々の幕開けだった。

 移住先の分かっているものに声をかけ、行方の分からない団員については調べた。

「こんな企画があるんだけど、一曲でもいいから参加しない?」

 そう声をかけると、電話先でありがとうと泣きだす仲間もいた。

 泣きながら「参加したいけど、無理よ……」という仲間もいた。

 参加する仲間には楽譜と、パート練習用のテープを作って送った。

 参加できない仲間からも、頑張ってと言う葉書や手紙が届いた。


 震災から五年。

 かつてのメンバーと一緒に歌うのは、これが最後だろうという思いが淑子を突き動かしていた。


 息子や娘を頼って、他県に移住した者。

 淑子たちのように、避難先で骨をうずめる覚悟をした者。

 故郷に帰るために避難所暮らしを続け、日帰りで家の掃除などに出掛けるという生活を続けている者。


 ひまわりコーラスには二十数名の団員が所属していたが、当日参加できる者は十名にも満たなかった。


 コンサートは粛々と進んでいく。

 唱歌を歌うというコーナーではひまわりコーラスはもちろん、客席にもライトをつけて、みんなで声を合わせて歌った。

「冬景色」「雪やこんこん」「花」「茶摘み」「夏は来ぬ」「紅葉」「里の秋」……そして「ふるさと」


「では、本日最後の曲になります。この曲は、ひまわりコーラスとコーラスアンダンテが一緒のステージに立てるように力を尽くしてこられた遠藤淑子さんが作詞、指揮者の佐藤忠先生が作曲されました。今回初披露となる作品です。『空と海の果て』」


 遠くから聞こえてくるような、静かなピアノの調べ。

 優しくうねるパッセージ。


 最後のステージだ。

 淑子の頬は知らずに濡れていた。




 あの空の下 青い海を眺めたね

 一緒に歩いた なつかしい海岸通り

 いつかまたこの場所で 一緒に語りあいたいね

 今は思い出の中で だんだん遠くなっていく


 いつかあの場所に 立つときは来るのかな?

 今は遠く離れてる わたしたちの未来


 今私は 風を感じている

 ふるさとの大地を 渡る風を

 今私は 歌を歌う

 遥かな友に届くように


 いつかまた 会おう

 手を取り合い 肩を組んで

 一人ではなく二人で 二人ではなく皆で

 声を合わせて歌える日が来ることを祈って

 

 思い出の中の君の笑顔 きっと会えるから


 いつか交わる空と海のように その窮まりのように……


 -終-


最後まで読んで下さりありがとうございました。

最後はもっと華やかな作品にしたかったのですが、やっぱり少し感傷的なお話になってしまいました。

3.11直前にこちらの企画を発見。突然「参加させてください!」と、申し出て、怒涛のように書き上げました。

私は福島に暮らしておりますが、今まで震災を扱った小説は全く書いてはいませんでした。なんだか、今回いろいろ吐き出してしまった……という感じです。

しばらくはこういった作品は書かないと思います。

でもまたいつか、もっと明るくもっと力強く、復興というものを書ける未来が来るといいなと思います。

※小説の中に出てくる歌は架空のものです。歌詞も私が作ったものですので出来栄えのほどはご容赦くださいませ。   観月


2016/11/4 全六部だったものに、五分と六部の間に一話書き加えました。

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