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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第一章[Crescent Ark Online]
9/50

八話[空へと至る約束]


 ――それはいつの日かの記憶。或いは夢の光景。


[ルーンエンチャント]の魔法の光を帯びた透き通った白い刃の剣を片手に、悠姫は[尖兵]の群れの中を駆け抜けていた。


 襲い来る[尖兵]のレベルは真っ赤に表示された140~150程。レベルだけで言うならば確認されているモンスターの中では最高レベルに近く、動きも目を疑うくらいの速度で、四方八方から悠姫を殺さんと強烈な攻撃が繰り出され続けている。


 けれどもそんな強烈な一撃を薄皮一枚の距離でかわし、或いはいなし、間隙とも取れない一瞬の合間を縫って的確に一撃を加え、敵の生死を確認する時間すら惜しいという速度で、後ろを振り返らず先へと進んでゆく。


 真紅の軌跡を描き、前へ。ただ前へ。


 誰よりも速くただその先へと辿り着くために、悠姫は駆けていた。



 ――ああ、これは、あの時の記憶、夢だ。


 かつての自分を背後から見るような感覚で、悠姫は思い出す。


 CAOで週に一度行われている[聖櫃攻略戦]。


 それは遥か彼方に消えた[欠けた十一の聖櫃]を攻略するというコンセプトで作られたイベントだったが、あまりの難易度の高さから攻略不可能だと言われ、レベル120の廃人が束になっても絶対に無理だとさじを投げた超難易度のコンテンツだった。


 クリア条件自体は至ってシンプルでわかりやすく、聖櫃内部を進み、奥に居る神々を打倒すれば攻略となる……のだが、実際はその途中の[尖兵]一体一体がボス、或いはレイドボス並みの強さを持っているにも関わらず、それらが束になって襲い掛かってくるのだから手に負えない。


 加えて最深部に到達しなくても、[尖兵討伐ランキング]によって割と良い褒賞が貰えることもあり、聖櫃内部の踏破を目指す者は居なくなってしまったのだ。


 けれどもそんな中で例外もあった。


 暗黒の中に星のような瞬きがキラキラと小さく光る内部構造を持つ聖櫃の一つ。


 11月の[聖櫃攻略戦]。


 悠姫が見ているのは、[第十一の聖櫃(ウィニード=ストラトステラ)]の[聖櫃攻略戦]の記憶だった。


[聖櫃攻略戦]のクリアが不可能だという諦めが浸透しきってしまってから、約一年。


 久々に有志が集まって、聖櫃の奥へと進んでみようという話が持ち上がったのは、ひとえに[聖櫃の姫騎士]という[メインクラス]の悠姫が気まぐれで呼びかけてみたからだった。


 攻略戦には悠姫のギルドのメンバーはもちろんの事、他にも数多くの廃人が集まり……来たる11月の終日。[聖櫃攻略戦]で初めて聖櫃内部の踏破が確認された。



 ――悠姫の後ろからは、ただ前へ進めという叫び声。


 流れるログは悲鳴と敵への呪詛で阿鼻叫喚に変わり、一人一人と死にゆく中、それでも迫りくる[尖兵]の数は増える一方。種類もレベルも変化して強くなり、回避することも厳しく、レイドボスが落とすレア装備で固められて相当に強化された悠姫であっても、[尖兵]の一撃でHPバーの2割以上が吹き飛ぶ。魔法やアイテムを使っても回復が追いつかなくなる。



 ……うん、良くこんな戦力差でがんばろうと思ったもんだね。


 俯瞰的にその光景を見ると、あまりにも絶望的な戦力差に、良く奮闘出来ているモノだと改めて感心してしまう。


 駆け抜けた先、もう少し。あと少し。扉は見えている。


 そうは思えど目の前には膨大なHPの[尖兵]が何体も立ち塞がっている。


 ああ、もうダメだ。ここまでか。


 そう、悠姫が諦めかけた瞬間、閃光が迸り、目の前の道が開けた。


 道を切り開いた一撃は[ロードヴァンパイア]の最上位にして長大なクールタイムを持つ[ルナグロウ]。


 悠姫はその刹那。その必滅の一撃を放った人物――リーンと視線が交錯した。


 ――けれども悠姫は次の瞬間には、間髪入れずに敵の間をすり抜けて、先へと進んでいた。


 この時二人で協力して先に進もうとしなかったこと。彼女を置いて行ったこと。


 ……恐らくはそれこそがリーンの悠姫を目の敵にし始めた理由だろうが、その時の悠姫には前に進むことしか頭になかった。



 敵も味方もわからないくらい多くの屍を超え、強力な[尖兵]を打ち破り、やっとのことで辿り着いた扉の前。悠姫は最後の力を振り絞り武器レベル9の超が付くほどのレア武器をロストすることも厭わず[死すべき運命の解放(モータルリコレクション)]を放ち、扉の前を守護する[尖兵]を薙ぎ払った。

そしてその勢いで星々が彩られた巨大な扉を開き――


 ――その中で、悠姫は[第十一の聖櫃]。


 夜の道標となる星々を創りし神の一人。


 ウィニード=ストラトステラと相対したのだ。



「……ああ、来てしまったんだね」


 ……え?


 辿り着くことだけが目的で、その先どうするのかなど一切考えてはいなかった悠姫は、そこで武器を装備し直す暇も無く彼に殺された。


 ――そんな記憶しか、持っていなかったはずだ。


「まさか辿り着く者が居るなんて、ねぇ――うん? ……ああ、キミは彼女の子飼いなのか」


 ……彼女?


 誰も到達したことのない最深部に到達したくて、ただそれだけで辿り着いた場所。


 そこはまるで空の遥か彼方のその先、[宇宙]の中心のように前後左右、星の煌めきに包まれた空間だった。


「ああ。言ってもまだ、わからないのか。……いんたーふぇいすの違いというやつか。ふむ……それは少し残念だ」


 そう言ってウィニード=ストラトスフィアは悠姫の方へと歩いてきて――


「――仕方ないな。願わくば――」


 ザザザ……ギギギギ……と、音が歪んだ。


 キュルキュルと昔の映像テープを早送りするような奇妙な音に上書きされて、ウィニード=ストラトステラの言葉がかき消される。


 その直後、収束された星々の輝きが悠姫を貫いた。


 ……あ。


 光に包まれるように……夢を見ている悠姫の意識も、真っ白に塗りつぶされた。





 ――次に悠火が目を覚ましたのはその日の夕方になってからで、目を覚まして見えた景色は[ルカルディア]の宿の天井ではなく、見慣れた自分の部屋の天井だった。


「…………まぶし」


 しかもご丁寧にも電気がついていて、昼光色の蛍光管が網膜に焼き付き光の残像を残す。

悠火は光を手で遮りながら髪を一房持ち上げて、その色が真っ白なことを確認してから記憶がどこで途切れているのか考える。


「……確か、[傾木の集洛]で狩りをして、死に戻りして、宿に泊まって、そこでシアと……」


 はっとなって、隣を見てみるがそこにはシアの姿はない。


 眠りに落ちた後、何か夢を見てきた気もするが、それが何なのかも思い出せない。


 何か大事なことだったような気がするけれども、けれども夢というのは思い出そうとすればするほど、指の間をするりとすり抜けていく水のようなもので。


「うーん……んうー……」


 うんんう唸りながら思い出そうとして見るが、まるで靄がかかったかのように記憶が遠ざかってゆき、やがて悠火は思い出すのを諦めた。


「……お、やっと起きたか」


 そうこうしていると台所の方から聞きなれたコージローの声が聞こえて来て、悠火はどういう流れでこんな状況になっているかの輪郭が掴めてくる。


「もしかして、コージロー、ヘッドマウント装置外した?」


「ああ。夕方のこんな時間になってもずっとつけっぱなしみたいだったから、悪いと思ったが外させてもらった」


「そっかぁ……って、あれ!? もうこんな時間なの!?」


 言われて見てみた時計の針は7時を指しており、記憶が確かならCAO内で寝たのが7時過ぎだったはずだから、ゆうに12時間近く眠ってしまっていたことになる。


「だから言っただろう、こんな時間って」


「え、あさ?」


「阿呆。晩に決まってるだろ」


「おおぅ……」


 一応確認もしてみたが、やはり時刻は19時の方の7時だった。


「……う? 何かおいしそーな匂いがするけど」


「今ちょうど晩御飯作ってるからな。匂いに釣られて起きて来たんだろ」


「ひどい! わたしそんな食い意地張ってないし!」


「あん? 晩飯、要らないのか?」


「いただきます」


 悠火は速攻で手のひらを反して頭を下げた。完全に胃袋を掴まれてしまっていた。


「じゃあ、少し待ってろ。すぐ作って持ってくるからな」


「はーい、おかーさん」


「うぜぇ……」


 定番のやり取りをして、悠火は手持ち無沙汰に手櫛で髪を整える。


 指先でくるくるとしながら待っていると、珍しく中華なメニューの料理が運ばれてきた。


「あ、コージロー、今日は食べてくの?」


「ん。まあな。一応報告もあるし、こっちで食べてくと親父には言ってある」


「そっか」


 コージローが相手だと気を使わなくて良い分、少しだけうれしくなる。


「んじゃ。とりあえず。いただきます」


「……ああ、主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を頂きます。ここに用意された食物を祝福し、我らの心と身体を支える糧としてください……主と、子と、聖霊の御名によって……エイメン」


「おい待てユウ」


「……うん? なに?」


「なげぇよ。そしていつからお前はそんな敬虔な宗教者になった」


「やー……でもこういうのって、ついつい覚えちゃわない? 詠唱的な感じで」


「ねぇなぁ」


 たわいない話をしながら酢豚に手を付ける。因みにコージローの酢豚にはパイナップルは入っていない。うん、おいしい。


「ひょれはひょうろほーじろー」


「口の中のものなくしてから喋れ」


「んぐ……ごくん。んん、それはそうとコージロー、何か報告があるとか言ってなかった?」


「ああ、そうだ。[雪うさぎ]のバイトの件でちょっと報告があってな」


「わたし首になるの!?」


「ならねぇよ。ユウが居ないと客が来ないだろ」


 それを自信満々に言いきってしまうのもどうかと思うが、それならばいったい何があるのかと問うと、帰ってきたのは意外な答えだった。


「じゃあなに?」


「いや、ユウ、どうせ来月からもシフトちょくちょく減るだろ? バイトの応募が今日あってな。たぶん人が増えるからその報告だ」


「あ、そうなんだ。っていうか[雪うさぎ]ってアルバイト募集してたんだ」


「してはないが、結構真面目そうな子だったからな。年も俺らと同じだったし、ちょうどいいと思ってな」


「子ってことは女の子なんだね」


「まあな」


「へぇ。[雪うさぎ]にねぇ。奇特な人も居るんだねぇ」


 言っちゃ悪いが、アルバイトをするならもっと時給の良いところがあるだろうに。


 悠火の場合は三食付き……ではないがあまり食事のことは心配する必要も無いので[雪うさぎ]のアルバイトだけで大丈夫だが、それ以外だとちょっと不安な稼ぎにならないだろうか。


「あ! もしかしたらその子……コージローに気があるんじゃない? ほらほら、良くある気になるあの人と同じ職場にログインみたいな」


「ログイン言うな。早くオンラインから思考をログアウトしろ」


 悠火は現在、現実からログアウト気味だったらしい。慌てて現実にログインしなおす。


「そんなことはどうでもいいから、ねね、どうなのさ。かわいい子なの?」


「絡み方がうざいな……確かに、かわいい子ではあったがな。お前と違って、眼鏡をかけたおとなしそうな子だったぞ」


 下手な女の子よりも遥かに可愛い悠火を見続けた結果、普通の女の子を見たところであまりかわいいと思わないという残念な感性を手に入れてしまったコージローが言うのだから、実際そうなのだろう。


「ふーん……名前はなんていうの?」


「まだ履歴書を貰ってないからわからんが、苗字は理月と言ってたな」


「へー……珍しい苗字だね。で、採用するならいつから入るの?」


「入るならユウの休みが明けてからだな」


「ん。一応了解」


 頷いて悠火は酢豚をもぐもぐ。絶妙な酸味が癖になる一品だ。


 中華を箸でつつきながら、悠火は、今度は別の事でコージローに問いかける。


「そういえばコージローレベルいくつになったの?」


「ん? ああ、44になったぞ?」


「おお? 結構上がってる! もうちょっとしたら組めるね!」


「お前いくつよ」


「わたしは73かな」


「もうちょっとか?」


 そんなこんなで笑いあり涙あり?の夕飯が済み、悠火は両手を合わせて礼を言う。


「ごちそうさまでした」


「……おい。祈りの言葉はどうした」


「なに言ってるのコージロー? わたし宗教者じゃないよ?」


「うぜぇ……」


 その後、コージローにログインするのは良いがちゃんと歯を磨いてお風呂に入ってからにしろやらログインしっぱなしで寝るなやら、本当に保護者かと思えるような忠告を受け、それらを適当に受け流しつつも、悠火は言われた通りに歯を磨いてから、お風呂に入る。


 少し前に冗談で絡んで来て――本人は本気だっただろうが――なし崩し的に一緒にお風呂に入ってしまった為、シャワーで汗を流しているとどうしてもシアの事を思い出してしまう。


 冗談めかして気を使わせないようにして、けれども本当はとても寂しがっていた女の子。


「…………」


 ……ああ、彼女もそうなのだろうか。


 彼女もずっとずっと……待ち続けているのだろうか。


 空の彼方。そこでずっと、フィーネは悠姫の帰りを待ち続けているのだろうか。


 それを思うと悠火は胸が締め付けられるように苦しくなる。


 そもそも[第一の聖櫃]と呼ばれる彼女に感情があるのかはわからない。


 けれども、もし感情があるのならば、彼女の方がシアよりももっと残酷なのかもしれない。


 必ずまた会いに行くからという約束。


 約束とは、一種の呪いである。


 言の葉を交わすことで契約が結ばれ、想いは束となって幾重にもその身を縛り続ける。


 死者が死してなお生前の約束に縛られたりするように、約束は魂を縛る鎖となる。


 そんな約束という鎖で縛りつけられた彼女は、まだ空の彼方で悠姫を待っているのだろうか。


 だとすれば……それは……。


 悠火は目を瞑り、上を見上げる。


 まぶたの裏に焼き付けた光景。目を閉じれば、遥か彼方[第一の聖櫃]が見える。


 シャワーから流れてくる暖かな熱が身体に染み込むように、悠火の心に小さな火が灯る。


 それは沸き上がる意思が炉にくべられたように、次第に強く燃え上がる焔だった。


 水滴を振り切りドライヤーで髪を乾かすのもそこそこに、悠火はベッドに横になり、ヘッドマウント装置を起動する。


 ――待っていてね、フィーネ。


 約束は、果たさなければならない。


 空の彼方へと至る道を歩む為に、悠火は[ルカルディア]へとログインした。




 CAOにログインした悠姫は、すぐにフレンドリストを確認して、シア、ひより、ニンジャ、久我の四人にはお願いがあるので図書館に集まって欲しいとの召集メールを送り、はぜっちには装備の事で相談があるとのメールを送った。久我に送ったメールにはリーンも居ればリーンも誘って来て欲しいと文面に付け加えておいた。


「……とりあえずこれでおっけ、かな」


 後は返信を待つのみ……と。悠姫は遠く遠くに浮かぶ[第一の聖櫃]を望む。


 どれだけ手を伸ばしたところで決して届かない、それこそ翼でもなければ到達することのできない遥か高みに悠然と浮かぶ神々の方舟。


 そこへ辿り着くためにはやはり転生クエストをなぞって進んでいくしか方法は無く、その最後に現れる[守護者]の討伐は、今の悠姫一人の力では到底成し得ることが出来ないだろう。


 こうしている間にも悠姫の頭の中では対[守護者]戦のシミュレーションが繰り返されているが、VR化してからのモンスターの変化の傾向を考えても、どうあがいたところでDPS(Damage Per Second=一秒あたりのダメージ)も[守護者]の攻撃を耐えられるだけのDEFも足りない。


 悠姫が今使っている[ダークブリンガー+4]もそこそこ良い武器だとはいえ、それはあくまでレベル70付近ならばという前提条件があればのことで、要求レベルが90や100の武器、さらにその上の110や120武器とはそもそもの地力が違い過ぎて比べ物にすらならない。


 ましてや防具は店売りの最低限のものだ。[守護者]は光属性の高倍率スキルも使って来ていたはずなので、そこも工夫しないと厳しいだろう。


『――ユウヒ様?』


『え、あ、あれ? シア? 今日は、狩りとか行ってなかったの?』


『いえ、わたしもさっき起きてログインしたばかりなんですけど……つい癖で図書館に行ったら三人とひよりさんが居たので、ちょっと話をしていましたってユウヒ様に教えようと思いまして』


『え? もうみんないるの?』


 いくらなんでも早すぎるだろうと思ったが、けれどもシアが言うには、みんなは悠姫がメールを送る前に図書館に集まって雑談していたようだ。


『……さっきのメールを久我さんから聞いて、リーンさんが怒ってるので、早く来ることをお勧めします』


『えー……すぐ行くー』


『あはは、ユウヒ様?』


『うん?』


『昨晩はお楽しみでしたね』


『はいはい、そういうのはいいからね』


 昨晩どころかむしろ朝だったじゃない。苦笑がちに言って悠姫は急ぎ図書館へと向かう。


 ほどなくして図書館に辿り着いた悠姫は、相も変わらずの寂れた暗黒洋館な見た目に失笑しながら、ふと扉に手をかける自身の手が目に入って、少しだけ黙考する。


「……そうだよね」


 頷いてぽちぽちとシステムウインドウを弄り「よし」と、図書館の扉を開く。


「ごめん、お待たせ!」


「遅いですわ! 欠橋……悠姫……?」


「ユウヒ様……それ……っ!」


「わ、わわ、ゆうちゃん?」


「おお……まさに、でござるな」


「ひゅぅ……」


 中に入った途端リーンの怒声が響いたと思いきや、語勢が瞬く間に尻すぼみな疑問符へと変わってゆき、他の四人も各々の反応で入ってきた悠姫を迎えた。


 編み込みでまとめられた真紅の髪と、アクセントとなる細かな宝石細工が施された翡翠の髪留めはそのままに。頬から流れる一房を纏める民族衣装の装飾にあるようなリボン。首にはシンプルながらも小さなシルバーの紋様が施された黒いチョーカー。上半身に纏うのは神話の世界から抜けて出来たような緋と白が織りなす戦乙女の軽甲冑。腰にはいかにも聖騎士が持っていそうな細かな装飾が施された片手直剣の鞘が下げられており、繋がるスカートも短めのフリルが施された布地と甲冑が混じった仕様だ。そこから黒のニーソが細い足を包む銀の具足へと繋がる。


 それは公式ホームページにもSSが掲示されている、当時の欠橋悠姫の姿そのものだった。


「ごめんね。急に呼び出して……って言わなくても集まってたみたいだけど、今日はみんなにお願いがあってメールを送ったの」


 その恰好のインパクトが良い方に傾いたのか、リーンも最初の言葉以上は特に非難の言葉を向けることも無く、他の四人も悠姫の次の言葉を待つ。


「本当に凄く個人的な理由もあってなんだけど――みんなに転生クエストの進行を手伝ってもらいたくて」


「ちょっ、て、転生ですって!?」


「ああ、違う違う。レベルはまだ73だよ?」


 まさかもうレベル100になったのかと声を荒げるリーンに、悠姫は否定する。


 リーンはフレンドリストに登録されていないのでレベルの確認が出来ないから、妙に勘ぐってしまったのだろうが、この短時間でレベルを100まで上げるというのはさすがに不可能だ。


「レベル73でも高いですわ! な、何でそんなレベル高いのよっ!」


「え、リーンいくつなの?」


「リーン殿は67でござるな。それがしと久我と別れた後、一人でも狩りをしていたようでござる」


「こら、ニンガ! ばらさないでくださいまし!」


 リーンに名前の件で弄られてしょんぼりとするニンジャの反応はさておき。そのニンジャと久我のレベルは58で、ひよりも一人で狩りをしていたのか、レベルが71になっていた。


「ひよりん、がんばったみたいだね」


「えへへ……はいっ。ゆうちゃんが昨日色々連れてってくれたので、練習の意味も兼ねてがんばりましたっ」


 一人で狩りに行って色々と狩り方を試行錯誤したのだろう。話したいことがいっぱいありそうな目で見上げてくるひよりに、悠姫は微笑して頭を撫でてあげるだけにした。


「……ごほん。ユウヒ様。話を戻しましょうか?」


 でないとぶち殺しますよ? という般若が見えたので、悠姫はシアの猫耳に視線を逸らしながらそっと手を引っ込めた。


「そ、そうだね……えっとね。言ってしまえばわたしは転生クエストをしたいんじゃなくて、[第一の聖櫃]に行きたい……っていうのが正しい感じかな」


「ゆうちゃんゆうちゃん、[第一の聖櫃]ってなんですか?」


 そう聞いてきたのは、この中でCAOに一番なじみが無いひよりだった。


「ひよりん、[ルカルディア]に来てから空を見上げたことがある?」


 そんなひよりに悠姫が質問で返すと、ひよりは「はい」と頷いた。


「だったら見たことあるかもしれないけど空の彼方に浮かぶ方舟があるでしょ? あれが[ルカルディア]では[第一の聖櫃]と呼ばれていて、唯一この世界を見限らなかった神の名前でもあるの」


「あ……もしかして公式の世界観のところにある、かつて六日(悠久の時)で[ルカルディア]を創った神々は、最後の一日(刹那)で世界を捨てた……っていうやつですか?」


「うん、そうそう。神々の祝福を失った大地は異界からの脅威にさらされ、悪魔がやってきて、魔物が生まれ、かつては神獣と呼ばれていた獣さえも牙を剥き、人々はこのまま絶滅を迎える運命なのだと誰もが思っていた」


「……わたくしたちにとっては、耳タコの話ですわ」


 耳にタコが出来る程聞いた、とリーンが言うのも無理はない。


 ギルドに新人が入る度に、悠姫はそういった話を何度もしていたせいで、古参のギルドメンバーは巻き添えを食ってその話を何度も何度も本当に耳にタコが出来るくらいに聞かされることになっていたのだ。


「けれども世界を創った十二の神々の全員が、この[ルカルディア]を見捨てたわけじゃなかった。[ルカルディア]に住まう人々を愛し、人々を救うために遥か彼方、天空に方舟を浮かべ、彼女……クラリシア=フィルネオスは希望となる新しい人類を創った」


「あ、もしかして」


「うん、それがわたしたちプレイヤーってことだね」


 世界観を演出するための作り話ではあるが、けれどもその演出も膨大な量の書籍データを残すまでとなると本格的だ。


「ということは、そのクラリシアさんはみんなのおかあさんなんですね!」


「え? そこ? や……まあ、そう……かな、っぽい?」


「わ、わたしに聞かないでください!」


 大ボケのようなひよりの発言だったが、確かに言い得て妙だった。


「まあ、それは置いておいて。その彼女と昔にちょっとあってね。わたしはどうしても彼女に会わなきゃいけなくって」


「なるほど。それで転生クエストなんですね」


「そそ」


 察したシアに頷いて、悠姫はみんなを見て頭を下げる。


「だから勝手なお願いだってわかってるけど、みんな、力を貸してください!」


 しん……と静寂が訪れ、悠姫は祈るような気持ちでみんなの答えを待つ。


「……はぁ。もう、ユウヒ様、水臭いですよ」


「え」


 シアの声に顔を上げると、リーンを除く他のみんなもシアと似たような呆れた顔をしていた。


「姫、それがしは姫の御心のままについて行くでござる」


「ま、なんてゆーか俺もニンジャもまだこっちの動きに慣れてないからどこまで行けるかわからないけどな。ほんと、水臭いぜ悠姫さん」


「も、もちろんわたしも行きます! ゆうちゃん!」


「みんな……」


 みんなが一様にそう言ってくれて、悠姫は胸にぐっと込み上げるものを感じながらも、残り一人のリーンへと視線を向ける。


「わ、わたくしは……っ」


 素直に手を貸してくれると思っては居なかったが、けれどもここまできて妥協するわけにはいかない。


「……リーン、何も言わずに休止したことは本当にごめんなさい。……けど今回のクエストを達成するにはリーンの力が無いとダメなの」


「わ、わたくしの力が……ですの?」


「うん。シアからも聞いたけど、リーンは身のこなしも様になってるって言ってたし、それに中距離からの魔法火力はすっごく頼もしいから」


「わたくしが、頼もしい……」


「お願い、頼りになるのはリーンだけなの!」


「…………」


 こんな頼み方じゃ、やっぱりダメか……と思った次の瞬間。


「ふ…………良いでしょう。むしろよろしくってよ! このリーン=エレシエントが力を貸して差し上げますわ!」


 リーンは紫色の髪を払って、まるで貴族の令嬢のように胸を張ってそう告げる。


「え、い、良いの?」


「わたくしの力が、必要なのでしょう?」


「うん、それはもう」


「でしたら、仕方なく、本当に仕方なくですが助力して差し上げますわ!」


「うへぇ……素直じゃないねぇ……」


「うるさくってよ久我!」


 後ろでぼそりと言った久我をリーンが睨みつけて言うと、久我は「へいへい」と適当にリーンをあしらいながら、意外にもあっさりと頷いてくれたことを不思議に思って呆然とする悠姫へとこっそり耳打ちしてきた。


《リーンのあれは照れているだけだから、細かいこと気にしちゃダメだぜ悠姫さん》


《え……そうなの?》


《うむ。リーンはツンデレだからな》


 久我の言い方が、少しだけ悠姫がコージローに対して接する時のようで、思わず悠姫はにやけてしまう。


「む……久我! 欠橋悠姫に何を吹き込んでらっしゃるの!? こちらに来なさい断罪して差し上げますわ!」


「おお、こわこわ」


 ウインクをして去っていく久我を追いかけるリーン。埃は舞わないが狭い図書館の中で鬼ごっこをしている様子は仲の良さそうな兄妹のようにも見える。


「しからば、すぐに出発するでござるか?」


「あー、うん、ちょっとだけ待ってね」


 言いながら悠姫はシステムウインドウを操作して、少し前に着信の音が聞こえていたメールの受信を確認する。


 知り合いなんてここにいるメンバーしかいないだけに、相手は容易に察しがついた。


 来ていたメールはやはり[触れただけで世界が爆ぜる]こと、はぜっちからの返信メールだった。


 文面には予算分で作成可能な装備の一覧と、律儀にも前にはぜっちに武器を作ってもらった時に渡してあった[金碧燈]の買取金額とそれを含めた金額での作成可能装備一覧があった。


 まずは第一段階のメンバー確保は出来たものの、現状だと装備でかなりの不安が残る。


 こればっかりはレベルの問題もあるので仕方ないところもあるが、現状出来る限りの装備は欲しい所だ。


「みんなって、まだそんな良い装備じゃないよね?」


「俺らは、そうだな!」


「ござる」


「待ちなさい、久我!」


 まだ鬼ごっこしているリーンもそうだろう。リーンの[メインクラス]は[ロードヴァンパイア]なのでまさに鬼ではあるのだが……なんて明後日な方向に思考が飛びそうになるのをかぶりを振ってリセットして、悠姫はシアとひよりの方を見る。


「「わたしはユウヒゆうちゃんがくれた装備を……」」


 声が重なってはっと視線が絡み合い、シアがひよりに一方的に火花を散らしていた。


「うん、おけおけ」


 頷いて悠姫は、[ルビーセプター+3]は後でこっそり渡しておこう……と心に決めて、頭の中でシミュレーションをしながらぱちぱちと電子キーボードを使ってはぜっちへの返信メールを作成してゆく。


「……とりあえずこんなもんかな」


 最後に一覧を確認して悠姫は頷く。


「終わったでござるか?」


「ああ、うん。とりあえずはこんなもんかなってのは出来たね」


「何をしてたんですか?」


「転生クエストを進めるにしても、[守護者]との戦闘で装備的な不安が結構あるから、みんなの分も合わせてそこら辺の依頼かな」


「依頼って……そこまでお金あるんですか、ユウヒ様?」


 シアくらいのプレイヤーになれば、大体の所持金額くらいは想像がつくだろう。


 そもそもまだVR化オープンしてから一日半も経っていない。


 サーバー自体に絶対的なお金が無く、プレイヤー間のトレードが成立しないのだからNPCへのドロップアイテムの販売だけでは、大金を稼ぐということは難しい。


 ……確かに人数分の装備を揃えるとなると、現時点での最上位装備を揃えるのは難しい。


 はぜっちから送られてきたリストの一番良い装備を一つ頼むと、それだけでお金が空になってしまうくらいだ。


「んん……一応、狩り行って稼いだ分とかで、結構マシな装備は――」


「ゆうちゃんゆうちゃん」


「ひよりん、どうしたの? え?」


 言いかけた声を遮られて、うん? とひよりの方へと視線を向けるとすぐさまトレード申請が飛んできて、悠姫は戸惑いの目をひよりに向ける。


「装備とか必要なら、わたしも少しはお金があります。だから、使ってください」


「え、そんな……」


「良いんです。ゆうちゃんにはお世話になってますし……それに友達がお願いしてきたんですから、わたしもなにか手助けがしたいです」


「ひよりん……」


 天使の微笑みというのはまさにこのことを言うのだろう。悠姫は埃の被った図書館で、ひよりの背中に天使の羽を見た。


「はぁ……本当に、ユウヒ様はわかってないですね。ええ。もちろん、わたしもお金を出しますよ。女狐……いえ、ひよりさんだけに良いところを取られるわけにもいきませんし」


「……でも、転生クエストをやりたいっていうのはわたしのわがままだし」


「だとしてもそれはみんなが賛同したんですから、みんなでやることです。ユウヒ様一人に負担を強いる訳にはいきません」


 ひよりに続けて、シアもそう言って、トレードを申し込んでくる。


 ちまちま使っていた悠姫とは違い、ひよりもシアも悠姫よりもお金があって……というよりその大半が送られて来ているような金額に驚く。


 これでシアは女狐と言おうとしていなければ、より感動していたかもしれないのに、色々なところで残念な娘さんだった。


「ま、装備はあって困るものでもないしむしろ俺は職人を案内してくれるなら万々歳だな」


「どちらにせよ、転生クエストは避けて通れぬ道でござるしな」


「久我……ニンジャも……」


 続けて久我もニンジャもお金を渡して来て、それに続くようにリーンもやってくる。


「わ、わたくしも、欠橋悠姫! アナタに貸しを作る気はありませんわ!」


 そう言いながらも何気に一番多くのお金を渡して来るリーンに、悠姫は胸が熱くなる。


「……ありがとう、みんな」


 まだ何も終わっていないというのに、込み上げてくる涙をぐっと堪えて、悠姫はみんなに礼を言う。


「ユウヒ様。いきましょう」


 伸ばしてくるシアの手を取って、悠姫は強く頷く。


「うん。――みんな! わたしたちがあの遥か空高き場所へと辿り着く、最初の冒険者になるんだ!」


 空へと至る願いを意志に変え、悠姫はそう宣言した。





 さて、遙か空の彼方[第一の聖櫃]へ向かうための転生クエストは、正式名称を[彼方への往路]という短編のクエストである。


 内容はそこまで凝ったものでもなく、兄に研究の費用を貸して欲しいと頭を下げる一人の歴史学者の話から始まり、歴史学者の男を手伝ってストーリーを進めてゆくというクエストで、大雑把な概要としては、その歴史学者が解読したという古文書からとある廃墟の地下に残されたデータチップを探しにゆき、そのチップを解析して得た情報を元に神々の住まう場所へと至る道を見つけるという、VR化前ならば1時間もあれば完了する短編クエストだった。


「まず、どこでしたっけ」


「最初はセインフォートの、貴族の館から追い出されたフロウローズさんから遺跡の情報を得るところだね」


 シアの問いに悠姫は淀み無く答えて、先頭を切ってセインフォートの北へ向かう。


「そういえばそうでしたわね」


「俺は覚えてたけどな。VR化以前は何キャラもキャラクター作ってたし」


「……それがしは忍故。それ以外の職には興味なかったでござるからなぁ」


 ……などと言うニンジャだが、悠姫は知っている。前に一度[ハイナイト]でそれっぽいキャラクターに会ったので、かまをかけたら実はそれがニンジャだったことを。


「そういえばニンジャの[サムライマスター]って[二刀抜刀術]を使うんだよね?」


「ござる」


 ござるは単体で肯定の意を持っているのだろうか。とりあえず気にせず悠姫は続ける。


「武器って、どうなってるの?」


「刀でござるな。それがしの職業[サムライマスター]は最初から[二刀流]と[二刀抜刀術]を持ってござる故、二刀持ちとなるでござるが」


 ござるござるござる……なるほど、と悠姫は頷く。


「ステは?」


「STR86、AGI63、DEX30、VIT47、INT45、LUK1、MAG1でござるな」


 帰ってきたニンジャの答えは悠姫の予想よりも偏っていて、まだレベルが58でステータスが完成していないにしても、AGIもVITもどっちつかずなステータスだ。


「あれ、ニンジャSTR先行なんだ」


「うむ……AGIをこれ以上振っても、慣れねば身体がついて行かぬでござる故……」


「まったく、情けないですわね」


「面目ござらぬ……」


 リーンに言われて小さくなってしまう様子は主に叱られた家臣といったところか。


「あはは、なるほどね。……リーンは?」


「わたくし? わたくしはAGI先行でMAG>VIT>INTですわね」


「うーん……具体的な数字とか聞いたらダメ? わたしのステも教えるからさ」


 ステータスを聞いておくのは、戦略を立てる上でも重要なことだ。


 リーンもそれはわかっているだろうから、突っ込んで聞いて来る悠姫にしぶしぶといった態度で答える。


「むぅ……わかりましたわ。……AGI87、MAG84、VIT60、INT50、DEX37、STR30、LUK1ですわ」


 MAGとMATK値がダメージの計算式に乗る[ロードヴァンパイア]だというのにSTRに30も振っているのは恐らく装備の関係だろう。[ロードヴァンパイア]は両手剣、片手剣、短剣、槍しか装備することが出来ない為、MATKを稼ぐためにはある程度レアな武器が必要で、そういった装備は初期の装備とは違い重量もそこそこある。


「HPいくつ?」


「そこまで聞きますの? ……18730ですわ」


「え、そんなにHPあるんですか?」


 話に入ってきたのは悠姫の隣で話を聞いていたシアだった。


「確か[ロードヴァンパイア]ってスキルを使うときにMPの代わりにHPを使うスキルが多いからHP係数が高いんだよね」


「よ……良く覚えていましたわね、欠橋悠姫っ! け、けれどもそんなことではごまかされませんわ! さあ次はアナタのステータスの番ですわよ!」


 何でリーンは若干うれしそうなんだろうかと思いながら悠姫はステータスウインドウを開いて確認しながら答える。


「まあ、わたしも似たようなものだけど……AGI先行で、AGI100、STR90、INT60、VIT50、MAG40、DEX40、LUK1、HPは17kって感じだね」


「む…………なるほどですわ」


 呟き、システムウインドウを呼び出してリーンが何やらこそこそと打ち込んでいるが、あれってわたしのステータスをメモってるんだろうなぁ……と悠姫は今後あるかもしれないリーンとの決闘を考えて溜息を吐く。


「久我はー?」


「俺もニンジャと同じようなステだな。正直、回避には自信が無いと言っておく」


「そっか」


 素直に言ってくれるのはむしろありがたい。無理に前衛を任せて決壊してしまっては何の意味も無いのだから。


「ユウヒ様っ、次はわたしの番ですね!」


「や、シアのステは大体わかるから別に要らない。黙ってて」


「酷い!?」


 酷いも何も昨日一緒に狩りをしていたので大体のステータスは把握している。


 最大HPも被ダメージから計算すればわかるので、シアの今のHPは8kほどでAGIよりもVITが高いといった感じだろう。


「ゆうちゃんゆうちゃん、わたしは?」


「あ、うん。ひよりんも一緒に狩りに行ったから大体わかってるから大丈夫だよ。いいこいいこ。……と、後は道中の敵と戦闘してみて、陣形を決める感じかな」


 ひよりには優しく微笑んで言って頭を撫で、悠姫はみんなのステータスを元に大まかな役割を考える。そしてその役割で必要となる装備を算出し、はぜっちに依頼メールを送る。


「待ってくださいユウヒ様。今のは何ですか今のは。ひよりさんとわたしの扱いに差がありすぎて納得行かないんですけどっ! わたしも撫でるべきです!」


「きのせいきのせい。それよりほら、見えてきたよ」


 どう聞いても気のせいではなかったが悠姫はわざと舌足らずに言って続け、指をさす。


 立派な館へと向かって悠姫が階段の縁に足をかけたその瞬間――


「――フロウローズ! いつまでそんな夢見がちな事ばかり言ってるんだ!」


「ま、待ってくれ兄さん! これが、この事実が解明されたら世界的な発見になるんだ!」


 そんなフロウローズ……歴史学者の男を罵倒する彼の兄の言葉と共に、[彼方への往路]クエストが始まった。





 その後、悠姫たちはフロウローズの話を聞き、遺跡の調査を頼まれた。


 場所はシルフォニア大陸の最南東。


 かつては機械文明が栄えていた文明の廃墟、[マキア遺跡]だ。


「真っ赤でござる……」


 そして遺跡の中で、悠姫と狩りに行ったことないニンジャと久我は、レベル差で真っ赤な敵の名前を見て、血の気を失って真っ青になってしまっていた。


「や、大丈夫大丈夫。武器も防具も新調したし、1発は耐えられるだろうから、いけるいける」


 軽い口調で励ますが、それにしてはずいぶんと頼りない台詞だった。


 最後の守護者との戦闘を除けば、凶悪なアクティブモンスターが徘徊するこの[マキア遺跡]こそが一番の難所となるポイントだ。


[マキア遺跡]に向かう前に装備を新調して、全員の戦闘能力は上昇したものの、さすがに武器、防具共に最品質の物を揃えるには素材もレベルも足りない。


 結果、悠姫とシアとひよりとリーンは防具周りを重点的に新調し、久我とニンジャは武器を今持てる最高の物に変えた。


 これはVR化にまだ慣れていないニンジャと久我への配慮でもあり、二人ともステータスがSTR先行なので、それならばいっそダメージディーラーとして中衛からのヒット&アウェイを任せることにしたのだ。


 となれば必然的に前衛は悠姫へと負担を強いられることになる。


 数さえ来なければ大丈夫だろうとは思っていたが、正直なところ何度か死に戻りしながらでもクエスト進行の為のキーアイテムが手に入れば良いかな、と思っていたのが数刻前の話。


 運が良かったのか、それともマップが広くてモンスターの配置がばらけていたのか、モンスターと遭遇することもほとんどなく、一度目のトライでクエストに必要なキーアイテム、[未知のデータチップ]を手に入れることに成功した。


「ってか本当にレベル100付近のモンスターってえげつねぇ。動き見えないじゃないか……つか悠姫さんは、どうして銃弾をかわせるんだ」


 途中、四足歩行の機械兵が放つ銃弾を見切ってかわした悠姫の後ろに居た久我が一撃でHPバーを根こそぎ奪われてぞっとするシーンがあったものの、それに対して悠姫は首を傾げて「別に一匹ならまあ……AGI振ってるし、何とかなるよ。銃弾を斬る訳じゃないし……」と答えてひより以外の全員を戦慄させていた。


 しかしクエストとしては、そこを超えると楽なもので。


[マキア遺跡]の西にある[トランジア]という都市で[未知のデータチップ]を解析してもらい、待つこと数分。悠姫たちは研究者のガーレクトから[第一の聖櫃]へと向かう為の[蒼穹の橋]の情報を得て、都市を出る。


「うーん……初日はレベル上げではっちゃけちゃったし、また今度、ゆっくりと各都市とかの観光もしたいね」


 惜しそうに言って、悠姫は機械文明の名残を残す都市を一望する。


[トランジア]は渓谷の狭間に造られた、地下から渓谷の頂上まで届く、まるで塔のように連なる[積層機工都市]だ。


 蜘蛛の巣のように這う空を這う電線。上の方へ行くにつれて尖塔のように細くなってゆく積層階層。その各所にロープウェイがいくつも設置され別の階層へと続き、その階層からまた別のロープウェイが幾本も伸び、また別の階層へと繋がっている。


 緩やかな弧を描く普通のロープウェイだけではなく、上から下へと直滑降するエレベーターもどきや、リフトのように緩やかに上がってくるものまで。様々なギミックが各層に仕込まれていて、太古の機械文明の技術の凄さを垣間見ることが出来る。


 さらに時間が既に夜の9時過ぎなこともあって、各階層が巨大なイルミネーションのようにライトアップされている。


 遠目に見ると自然な動きで人々が生活を営んでいて、それらが全てNPCだということを忘れてしまいそうになる。


 思わず鳥肌が立つほど精巧に創られた世界。[ルカルディア]の風景に、悠姫だけではなく他のみんなも思考することも忘れて見入ってしまう。


「すごいです……」


 ひよりの小さく呟いたその一言が、みんなの総意だった。


「……[トランジア]は、今から140年前。世界に機械技術をもたらした神、[第八の聖櫃(エクシード=マキアディス)]が人々の為に創ったとされている都市だね。――機械と人との共存。それが彼の夢でもあり、掲げた理想でもあり、また望みでもあった」


 そのことが書かれた本は、実は先に行って来た[マキア遺跡]の地下の図書館に存在する。


 知識を持った機械が反乱を起こすまでは、[マキア遺跡]も[トランジア]と同じような、いやそれ以上に立派な[機械都市ディマキア]と呼ばれる都市だった。


[ディマキア]は機械族が中心となって進化し、[トランジア]は人が中心となって繁栄し、[二大機工都市]として互いが互いを刺激し合いながら、彼らは共存の道を歩んでいた。


「――けれども、そんな[第八の聖櫃]の願いは叶うことはなかった。[ディマキア]の一部の知識持つ機械族が突如として暴走。上位機甲種と呼ばれる兵器を駆り出して、[ディマキア]を廃墟へと変えた」


 先ほど行ってきた[マキア遺跡]を思い出したのだろう。ひよりは胸に手を当てて小さく身震いしていた。


「……さすがユウヒ様、伊達に図書館巡りが趣味なだけはありますね」


「まあ、でもそれくらい知ってる人は知ってるよ。で、問題はその暴走の原因だけど……そこはどの記録からも完全に消されていて、わたしにもわからないのよね」


「キナ臭い話ですわね……」


「あまり憶測でモノを語るのは良くないけど……例え[マキア遺跡]の近くにある[トランジア]が巻き添えで滅んでなくても、何の因果関係もないよね」


 リーンの呟きに、悠姫はそう言って苦笑する。


 それは言外に[トランジア]の誰かが[ディマキア]の機械族を唆した、或いは操ったのではないかと言っているのと同じだった。


 事実、理論的に考えるとそう考えるのが自然な成り行きではあるし、僅かにだが、そのような史実を仄めかす文書もあった。加えて仮にそれが真実だとしたら[第八の聖櫃]が[ルカルディア]を見限った理由にも納得が行く。


 クラリシア=フィルネオス以外のまだ見果てぬ神々が[ルカルディア]を捨てた理由とは、もしかしたら全て人類にあるのかもしれない。


 ……あれ?


 と……そこまで考えて、悠姫の中にふと甦る風景があった。


 見果てぬ神々。けれどもフィーネ以外に、悠姫は他に見たことがある神が居たような……そう、あれは確か一年と少し前、11月のことだったはずだ。


 その月に行われた[第十一の聖櫃]の[聖櫃攻略戦]で、わたしは、彼と出会って――


 ――ジリッ。


「……ぁっ!?」


 そこまで考えた瞬間、悠姫の脳裏を焼くような鋭い痛みが走った。


「え? ゆ、ゆうちゃん大丈夫ですか?」


 立ちくらみを起こしたようにふらつく悠姫を、ひよりが横から支える。


「あ……大丈夫、だよ?」


「どうした、ラグったのか?」


「うぅん……そうかも」


 思い出そうとした記憶が強制的に中断されたような気持ちの悪い不快感を覚えながらも、悠姫はそう言って作り笑いを浮かべる。


 呼吸を二度三度繰り返すと、さっき感じた不快感は嘘のようになくなっていた。


 ……なんだったんだろうか、今のは。


 思い出そうとしていた記憶からはすっかりと意識がそらされ、痛みの原因が何なのか気にはなったが、考えてみても答えは出なく。


 やはりラグっただけなのかな。と無理矢理に結論付けて、悠姫は視線を空へ向ける。


 遥か彼方にぽつりと、真っ暗な夜の中に[第一の聖櫃]が浮かんでいる。


 けれども過去の空には[十二の方舟]が空を覆い人々を祝福していたのだ。


 今行っているクエスト、[彼方への往路]は[第一の聖櫃]へと至るクエストだけれども、[蒼穹の橋]というものは元々[第一の聖櫃]へと向かう為だけの創造物ではない。


 これも書を紐解いてみないと知り得ないことだが、[蒼穹の橋]は、[欠けた十一の聖櫃]を含む他の神々が住まう方舟へと至る為の往路でもあったのだ。


[ルカルディア]に住まう過去の人々は、世界に祝福を与えてくれる神々を敬い、神々は人々を護るべき、愛すべき存在として互いに良き隣人であろうと思い[蒼穹の橋]を創り与えた。


 一部のクエストでは、その神々と交流があったであろう血脈を受け継ぐ[天翼種]と呼ばれる天使のような羽の生えた人々も存在する。


 ただし彼らはその伝承についてはほとんどを語らず、彼らが持つ知識の泉は未だ多くの謎に包まれている。


 そういったものは、もしかしたら全て、書籍データとして運営のライターが気まぐれに――というには途方もない膨大なデータ量だが――描いた世界を盛り上げる為の設定なのかもしれない。


 けれども悠姫はこの[ルカルディア]という世界のことが大好きで、気まぐれに作られたものだったとしても世界の謎を紐解くことが出来るならば、それでも良いと思っている。


 知ることが楽しい。冒険をして他の誰も知らない世界を探求する。そのことのなんと素晴らしいことか。


「――よし。それじゃあみんな、そろそろ行こっか」


 悠姫の言葉で一行は気を入れなおし、[トランジア]を後にして道中のマップを一つ挟んだ先のマップへと向かって進む。





「あー、この場所も、懐かしいね」


「えっと……ここが、そうなんですか?」


 そして数十分後。目的地に辿り着き、感慨深く言う悠姫とは対照的に、ひよりはそう言って周りを見回した。


 ひよりがそんな反応をするのも仕方ないことだろう。


 マップの名称は[静けさの海岸]。


 周囲にアクティブモンスターの姿はなく、モンスターの種類も[トランジア]や[マキア遺跡]周辺のモンスターに比べるとかなりレベルが低く、スネーク系やワーム系のモンスターがちらほらと目に入るくらいしかいない。


 しかもひよりの目に映るその場所には特に目立った目印なども見当たらなく、どう穿って見たところで空の彼方へと続く[蒼穹の橋]などという大それた施設や装置があるようには見えない。


 その場所から見えるものと言えば、夜を照らす二つの月が彼方に見せる、空と海が混じり合う水平線くらいだ。


「VR化前のCAOだったら特に気にすることはなかったですけど、こうして見ると結構殺風景なものですね」


「まあなぁ。ここだと海しか見えないし、夜だしな。けど確かその分、転移のエフェクトは無駄にド派手だった気がするってうおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


「あはははは」


「ちょ、ちょっと欠橋悠姫! 何をいきなりしていますの!?」


 久我が言い切る前に、悠姫は不意打ちで転移装置を起動していて、周囲の地面が大きく揺れ、あまりに唐突なことに久我が涙目になっていた。


「やっぱりこれデータチップ自体が、[蒼穹の橋]の起動キーになってるんだね」


「おおおおおい!? 心臓に悪いわ!? やるなら先になんか言ってからにしてくれ!」


「び、びっくりしました……」


「そ、それがしは! しし忍故にそな驚くことなどなかたでござるがっ」 


「ニンジャ。声が震えていますわよ」


 そう言うリーンも、慎ましい胸に手を当てて、大きく息を吐いていた。


「見てください、あれ!」


「こ、これは……」


 シアの指差す先には、思わずニンジャがござるを付けるのを忘れるほどの幻想的な光景が展開されていた。


 悠姫たちを囲むように四方向から光の柱が立ち上がり、奔流は夜空で弾けて粒子を振りまきながら形状を成して行き、又、形を成す傍から新しい輪郭が生まれ、魔法的な黄金色の光を放ちながら、輪郭だけに覆われたような空間を作り出す。


 そこからさらに幾本もの光の円柱が生まれ、幾何学的な模様と法則性の無い紋様が地面に魔法陣となって描かれる。


 ――[蒼穹の橋]とは、遥か昔の人類が、それにより空へと至る光景を見て付けた名前だ。


 正しくは[基幹構築型転送魔術装置シエラレヴェスタ]というのが真実の名称で、その構築式には魔法の源となる[マナ]の根源を創った[第二の聖櫃(セレナ=ユグドラシル)]による太古の魔法と[第八の聖櫃]の機械技術を融合させた、失われた魔工学技術にて編まれている。


 イメージは出来ていたとはいえ、悠姫にとってもこれほど大掛かりな仕掛けだとは思ってもいなかっただけに、幻想的な光景による感情の高ぶりと緊張で鼓動が跳ねる。


「わ……っ!?」


 目の前に[蒼穹の橋]を起動しますか? というダイアログが表示されて、悠姫は考える間も無く咄嗟にイエスのボタンを押す。


「ひゃ、ひゃあ!?」


 瞬間、ブオン……っ! と構築式の起動する音が響き、ひよりが悲鳴をあげる。


 金色の光から蒼色の光がぽつりぽつり漏れ出し、蒼の粒子が円の軌跡を描き膨れ上がって、やがて周囲の蒼の膨張は最高潮に達し――


「――っ、跳ぶよっ!」



 ――[第一の聖櫃]へ向かって、蒼い光が雲一つない夜空を貫いた。


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