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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第三章・中[機械の心]
35/50

九話[ディザイア神殿]

「さあ! それじゃあ狩りに行こうか!」


 皆の目が、点になった。


「ゆうおねーちゃん、狩りに行くの?」


 CAOに(・_・)的なエモーションなどがあったなら全員が全員そのエモーションを浮かべただろう悠姫の発言にいち早く反応をしたのは、話の流れを何も知らないアリサだった。


「アリサ重い重い」


「えー」


 ソファに座る悠姫の肩に顎を乗せ、体重をかけてくるアリサに悠姫がそう言うと、不満そうな声が返ってきた。


 皆はてっきり、悠姫のことだからクエストを進めるのだろうと思っていただけに肩透かしを食らい、ハトが豆鉄砲を食ったかのような顔で疑問が図書館内に蔓延するが、しかしそれは次に悠姫が言った内容で融解する。


「まあ場所は要相談って感じだけど、とりあえずクエスト進めるにしてもレイドボスとの戦闘は避けられないし、レベルを一つ上がるところまで上げないと、何も始まらないからね」


「……ああ、なるほどですわ」


 と、リーンに次いで、


「そういうことか」


「そうでござるな」


「ああ、そうですね」


「え、どういうことですか?」


 久我、ニンジャ、シアが納得したように言って理解を表明する。


 対して話がまったく理解出来なかったひよりは、疑問の声を上げた。


「簡単な話ですわ。ひより、今あなたレベルいくつですの?」


「レベルですか?」


 問われたひよりは、一応念のためにシステムウインドウを表示して自分のレベルを確認する。


「えっと……91です」


「91の、何%ですの?」


「80%です……って、あ。そういうことですか」


「理解できたみたいですわね」


「え、なにわかんないけど、どういうこと?」


「……どういうことですか? ゆうねーさま」


 リーンの謎掛けのような問いで、どうやらひよりは納得できたようだが、アリサとアリスはまだ疑問符を浮かべたままだ。


 そこはそれ、まだCAOを初めて間もない二人と、ひと月ほどとはいえCAOをやり込んでいる者の差だろう。


 小首を傾げる二人の為に、悠姫は簡単に説明をする。


「CAOのデスペナは経験値5%とステータスの一時的ダウンっていうのはちょっと前に経験したからわかってると思うけど、そうだね……これがもしレベルがあがったばっかりで、例えばレベル50の0%の状態でデスペナを食らうすると、どうなると思う?」


「うーん……?」


 悠姫の問いにアリサは考え込み、膝の上のアリスも少しだけ悩んだ後に答える。


「……レベルが下がるんですか?」


「はずれ。まあ引っ張るほどのことでもないから答えだけど、レベルが50の0%とかだと、経験値は減らずに、ステータスの一時的ダウンだけで済むんだよね」


 なでなでとアリスの頭を撫でつつ、悠姫は続ける。


「レベルが下がるようにしちゃうとステータスの調整や振りなおしが簡単にできちゃうし、そもそもメタなところだとシステム的な負担が大きいから、経験値が0%の時は経験値が減らない仕様になってるんだと思うだよね」


 あくまで想像だが、あながち間違いではないだろうと思う。


 むしろデスペナでレベルが下がるオンラインゲームの方が基本的には稀である。


 探せばあるかもしれないが、基本的に有名どころのオンラインゲームではそういった仕様はほとんどない。とはいえ極々一部では死んだらキャラクターがロストするというまさに鬼畜なオンラインゲームも存在するので、一概に決めつけることは出来ないが。


「ま、とにかく、CAOだとそういうことだから、難易度が高いダンジョンに試しに行ったり、レイドボスに挑戦したりと死ぬ確率が高い時とかは、とりあえずレベルをキリのいいところまで上げとくとデスペナで損しないってことだな」


「あ、久我、それわたしの台詞なのに」


「まあまあ、深いことは気にするなよ」


 引き継いで言った久我の説明にアリスは「なるほどです」と理解し、アリサは「そうなんだ」と理解している雰囲気で頷いた。悠姫の肩の上でゆらゆらとポニーテールの髪が揺れて悠姫の頬をくすぐっていることを鑑みるに、絶対に理解出来ていなさそうではあるが。


「CAOはデスペナが結構厳しいでござるからなぁ」


 死亡時のペナルティが5%というだけでもかなり厳しいというのに、そこに一定時間ステータスが低下まで加わるとなると、死に戻りをした場合もう一度狩場に向かう意欲など簡単に消失してしまう。


 だからこそパーティでは蘇生スキルを持つヒーラーが重宝されるし、経験値の高いモンスターが数多く配置されているマップというのは、得てして死亡率もそこそこ高い狩場でもある。


 慣れているからといって油断していると、簡単に足元を掬われかねない。


「転生前ならまだしも、転生後で経験値が跳ね上がってる100からとか、ほんともう地獄だからね」


「正直もう一度あれをやることを考えると、今から心が折れそうですわね……」


「死んだら文字通り魂が抜けるでござるよ……」


「それな」


「ああ……だから、だからわたしはもうちょっと無難なところの方がって言ったんです……高難易度の狩場なんて、死んだらヒーラーのせいにされることが多いんですから……」


「そ、そこまでなんですか?」


 うわごとのように呟くシアの様子にぞっとするものを覚え、思わずひよりは疑問を呈した。


「まあ、何時間も、何十時間もかけて上げた5%が一瞬で吹き飛ぶからな……。マジで頭抱えて悶絶するぜ、あれは」


「……わたくしも、それでキーボードを壊したことがありますわね」


「キ、キーボードを壊したんですか!?」


「うわ……うん、リーンはやりそう」


 どんな状況なのか理解できないひよりとは違い、如実にその様子を想像してしまった悠姫は思わずぽつりと呟く。


「わ、わたくしがやりそうってなんですの!?」


「あっ、やっ、それはっ、その……」


「……ゆうねーさま、墓穴掘るの上手です」


「うぐっ」


 だって、リーンっていかにも物に当たりそうなイメージだし……など素直に言うことも出来ず言葉を濁す悠姫に、アリスの追撃がぐさりと刺さる。


「というかデスペナのショックで放心するのは良いんですけど、即リザして起き上がった直後に画面見てなくてまた死んでデスペナ二倍なんてなると、恨みの視線で余計に胃が痛くなるんですよ……」


「ヒーラーはね」


 即蘇生で立て直そうとして失敗し、起こした直後に再び倒されてしまうこと。通称リザキルをしてしまった場合、ヒーラーに対して『何で起こした! ふざけるな!』 なんて言及するプレイヤーもまま居る。


 狩場で重宝されるということは、それ相応に責任を負わされる立場にあるということでもあるのだ。


 例えヒーラーの判断に何一つ間違いなどなかったとしても。身内のパーティで多少のことなら許しあえる間柄だったとしても。リザキルしてしまった方は申し訳なく思ってしまうし、された方はやり場のない憤りを感じてしまう。


 それに、敵のリポップの場所はランダムだし、レベルが高いモンスターともなればAIも複雑になっていくのだから、マージンを削って経験値効率の良い場所に行こうとすればするほど100%正解の立ち回りというものは存在しなくなってゆく。


 そうなると当然事故死も増えてゆくもので、中にはそんな殺伐としたレベリングが嫌いで、レベル上げを断念してエンジョイ勢に転向するプレイヤーも数多く存在する。


「起こさなかったら起こさなかったで全滅して気まずくなっちゃったりするから、ヒーラーの判断はほんと難しいよね」


「ですねぇ」


 苦笑交じりのリコの言葉に、シアがしみじみと頷く。


 蘇生して戦線を立て直すことが出来れば良いが、復活させてなお全滅した場合など目も当てられない。


 その後の雰囲気がお通夜のように静まり返ること請け合いだ。


 付け加えるならばリザレクションには割と長いディレイが存在するので、その間は他の人の回復や支援が出来なくなってしまう。例えそれが一秒二秒のほんの少しの時間だったとしても高難易度の狩場ではそれが命取りとなることもある。


「まあ、だが、まだ死んでもデスペナが痛すぎるレベルでもなし、それに俺らだったら死んでも恨み言を言うような仲でもないだろ?」


 過去のデスペナ地獄を思い出して沈鬱な表情を浮かべる面々にそう言って、久我は良いことを言ったようにどや顔キメるが、帰ってきた言葉は惨々たるものだった。


「そう思っていた時期がわたしにもありました」


「その台詞、いつまでもつか見ものですね」


「もし久我がミスって、わたくしが殺されでもしたら、わたくしは久我の経験値が0%になるまでリザキルさせ続けますわよ」


「ひでぇ」


 獅子身中の虫が余裕で三匹も潜んでいた。


 うすら寒い笑みを浮かべながら縁起でもないことを述べる悠姫、シア、リーンに久我は引き攣った笑みを浮かべる。


 むしろリーンに至っては縁起が悪いどころかただの犯行予告だった。隣のニンジャも何か辛い過去でも思い出したのか、がくがくぶるぶると身体を震えさせていた。


「――ところでユウヒ様?」


「……うん?」


 ――来た。と、シアの声音が一オクターブ下がったことで、悠姫は身構える。


「さっきから気になってたんですけど――何で膝の上にアリスちゃんを乗せてるんですか?」


 声は穏やかだったが、シアの目は一切笑っていなかった。


 シアの問いに便乗してひよりやリーンも首を縦に振っているところを見るに、二人も気になっていたのだろう。


「むしろそれはわたしが聞きたいんだけどね」


 問いに答えたいのはやまやまだったのだが、しかし正直なところ悠姫も何故アリスが自分の膝の上に座っているのかよくわかっていなかった。


 いや、アリスが膝の上に座ってきた流れだけはわかっている。


 ログインしてから悠姫が定位置のソファに腰掛け、冒頭の話を切り出すまでの僅か数分の間に、アリスはとてとてとやってきて悠姫の膝の上にさらりと陣取ったのだ。


「……ゆうねーさまの膝の上は、アリスの特等席です」


「あ、ずるいアリス! じゃあアリサはゆうおねーちゃんの肩を独占する!」


 しかも二人してそんなことをのたまうのだから、シアを筆頭にひよりもリーンも火に油を注がれたかのように、みるみるうちに機嫌が悪くなってゆく。


 リコだけが対岸の火事を眺めてにこにこ顔だ。


「や、だから……」


 懐かれるのは素直にうれしいことだが、悠姫自身も何故ここまでアリスとアリサに気に入られているのかまったく理解出来ていなかった。


 そして理解出来ていないままに、目の前にある白い髪をなでなでと撫でる。


 はわー。


 もふもふー。


 しあわせー。


 悠姫はすっかり骨抜き状態だった。懐かれている理由がわからずとも、もふもふジャンキーの悠姫は眼前の誘惑に抗うことなど出来なかった。


 だらしない顔で「もふもふ……」なんて呟いている。


「……ゆうちゃんって、ロリコンなんですか」


「だって、アリスもアリサもわたしの妹だもん」


「もんって……」


「ここまで行くともうあきれるしかないですわね……」


「ギルティギルティギルティギルティギルティギルティ……」


 ……ゆうちゃん男じゃないですか、と言いたそうなひよりんの視線が痛いけど、でもアリスもアリサもかわいいし仕方ないよねはぐはぐ。


「ゆうねーさま、だだ甘です」


「ふふふ、アリスかわいー」


「ぐぐぐぐぐ……」


 ……や、そんな本気で悔しそうに歯ぎしりしなくても。


「それはそうと、狩りに行くってどこに行くの?」


 ぎりぎりと歯ぎしりの音を響かせて鬼の形相で睨んでくるシアに苦笑していると、これまで傍観を決めていたリコがそう言って話の流れを戻した。


「レベルと装備で考えると、そうだね……トンネルとか良いかもしれないけど」


「ぜ――絶対嫌ですわ!」


 無難だと思って言った悠姫の意見は、リーンの声によって一瞬で却下された。


「えー、でも経験値的にはかなりおいしいと思うけど? リーンも昔は通ってたじゃない」


「む、昔はモニター越しじゃないですの! 今は生身で対峙するんですのよ!? あ、あんな……おぞましいものと!」


「わたしも、わからないでもないです……」


 リーンの意見に、ひよりも同意を示す。


「いや、良く見れば可愛く見えなくも」


「無いですわ! 久我、貴方馬鹿ですの!? 馬鹿ですのね!?」


「あはは、でも行動パターンが割と単純だから楽なんだけどね、あそこ。――ジャイアントワームとかスカルスパイダーとか」


 モンスターの名前を言われてその姿を思い出したのか、リーンが身体を抱いて震えあがる。


 トンネルは、正式な名称を[ワームホール]という洞窟型のダンジョンだ。


 名前だけ見れば宇宙空間を転移する為のワープ穴に見えなくもないが、実際はWorm hole――[ミミズの穴倉]で[ワームホール]という名前のダンジョンなのだ。


 出現するモンスターは、必然。虫、虫、虫。虫以外はお断りと言わんばかりに虫しか存在しなく、マップ全体どこもかしこも虫だらけ。


 一文字で表すならば[蟲]という文字がしっくりくるまさに虫尽くしのダンジョンなのだ。


「弓でも結構楽な狩場だね。あそこだったら」


「昆虫系って一部を除くと結構DEFが低いの多いし、ほら、火が効きやすいからひよりんも活躍のチャンスだよ?」


「そ、そうですか?」


「ひより! 何を丸め込まれそうになっているんですの!」


「ちっ……しぶといね」


 さりげなくひよりを引き入れようとしたが、リーンの様子を見るにどうにも分が悪そうだ。


「でもユウヒ様。仮にユウヒ様がクエストをするとしたら、ついでに先に簡単なレイドで練習出来る場所の方が良いんじゃないですか?」


「あー」


 そんなことを考えていたら、さりげなく隣に座りながらシアが意見を出して来た。


「それはそうかもね。リコはともかくとして、ひよりんはレイドボス見たこともないだろうし体験しといた方がいいかも」


「そうでなくてもVR化で色々変わってるところもあるかもしれないので、ヒーラーとしても違いを見ておきたいですしね」


「そうだな」


「となると、アリサ達はどうするのでござるか?」


「見学する分には大丈夫なんじゃない? 取り巻きが凶悪なレイドボスとかはさすがに厳しいし、アリスなら後ろからちまちま撃てるかもしれないし」


 せっかく居るのに、留守番や別の狩場に行ってこいではさすがにかわいそうだろうと思い、悠姫は少しだけ考えてから、そう提案する。


「ふむ……しかし、レベル上げはどうするのでござる? 拙者達と同じ狩場だと、二人にはまだ荷が重いでござろう?」


「そこはほらパワレベで」


 悠姫はさらりと廃人まっしぐらの提案を、光の速度で提示した。


「パワレベかよ」


「や、でもほら見た感じ二人とも物覚え良いし、少しくらいレベル上げと居た方がもしもの時に良いかもしれないじゃない? ね?」


 少し前にそれで懲りたはずなのに、と、この場に居る誰もがそう思った。


 ……思ったが、あえて誰も口にしないのには、理由がある。


「うぅむ……確かにアリサは筋が良いでござるし、レベルが上がらないと公平パーティも組めないでござるからなぁ……」


 ニンジャもパワーレベリングには色々と思うところがあるようだが、誰も悠姫の提案に意見しなかったのは、レベルが上がらないと一緒にレベルを上げに行くことも出来ないからだ。


「ほら、だって言うじゃない? ――一人ぼっちは、寂しいもんな? って」


「ゆうちゃんそれどこの魔法少女ですか」


 アリスの髪をうりうりとやりながら言う悠姫に、アニメ好きのひよりが呆れた反応を返す。


 撫でられたアリスは気持ちよさそうに目を細めていて、まるで猫のようだ。


「くっ……うらやましい……」


「アリサはすることが無くて後ろから見学気味になっちゃうかもしれないけど、銃は威力がある程度固定だから、アリスに後ろから撃たせてたら割とすぐに上がるだろうし、どうかな」


「……アリスは別に、構いません」


「別に倒せるなら倒しちゃっても構わないんだよね?」


「アリサ、それはフラグでござる……」


「まあ、倒せるなら倒しちゃってもいいよ?」


「やったっ!」


[レニクス工場跡]での戦闘で味を占めたのだろう、調子に乗っているアリサの言を特に正すことなく悠姫はそう言ってアリサの様子を微笑ましく見守ることにした。レベル差からして確実にトラウマレベルになりそうな気がしなくもないが、そこはさておき。


「悠姫さん、マジ鬼だな……」


「というより、もしかしてユウヒ様、あわよくばアリスちゃん達もレイドに参加させようと思ってるとかじゃないんですか?」


「――え、そ、そそそそんなこと、あああああある訳ないじゃない!」


「うわぁ……」


 動揺しすぎて言葉が震えている悠姫に、シアですら思わずドン引きした声を出した。


「初のレイドがLGWとかどんなけ鬼畜なんですの、欠橋悠姫」


「始めて一週間も経たないうちにレイドとか、さすがに厳し過ぎるんじゃないか?」


「下手をすると殺伐とした空気が嫌になって引退ルートですよ」


「や、だ、だからそんなことある訳ないって言ってるでしょ? ……ちゃんと考えてるよ?」


 その気がなかったかと言えば完全にダウトだったが、悠姫だってレイドで仲違いをするプレイヤーが多いことも、ギルドが空中分解してしまうことが多々あることも良く知っている。


「えっと、それでしたら、わたしは大丈夫なんですか?」


「ひよりは……まあ良いんじゃないですの?」


「何だかんだ言ってひよりさん、ガチ勢ですしね」


「やったねひよりん、廃人が増えるよ」


「な、なんですかそれ!?」


 先の理屈で言うならばCAOを始めて一ヵ月も経っていないひよりがレイドに参加すること自体も無謀とも思える暴挙と思えるが、ひよりのウィザードとしての技量は今のところ通常のプレイヤーよりも一歩抜きんでている。


 まだサービスが始まって一ヵ月も経っていないということもあるが、超が付く程の廃人プレイヤーであるギルド[HN]に所属するセリア=アーチボルトほどではないにせよ、先だってのイベントのせいもあって、ひよりは他のプレイヤーから一目置かれるほどに有名なプレイヤーとなっているし、実際にそれ相応の実力も兼ね備えている。


 繊細で傷ついてしまうこともあるが、それは言い換えれば純粋で素直だからであり、その素直さ故に知識を吸収するのもまた早く、みんなに追いつきたいと思うが故に向上心もある。


 廃人としての素養はばっちりだった。


「とにかく、アリスとアリサは様子を見ながらケースバイケースで判断するってことで。良さそうな狩場とか思い付く人?」


「アリスちゃんに撃たせるってことは、後衛が割と安全なところじゃないと厳しそうですよね」


「となると火山とか雪原とかは厳しいか。あそこら辺のMOBもレイドボスも範囲魔法バンバン撃ってくるしな。むしろフィールドよりもダンジョン系のが良いか?」


「そうだね。洞窟とかは射線とか面倒になりそうだから、それ以外でかな?」


「となると迷宮の森下層とか? レイドもテリアブル・バタフライとかなら行けそうじゃない」


「ユ、ユウヒ様? ヒーラー一人ですよ? 状態異常の回復でMPが絶対に持ちませんって。シアちゃん泣いちゃいますよ?」


「別に泣かせてもいいけど――」と言おうとしたところでシアが身をくねらせて「でもユウヒ様に鳴かせられるのなら大歓迎で――」と言おうとしたので、悠姫はさらりとシアの発言を無視して続ける。


「じゃあ霊峰とかは? エンシェントゴーストマスターなら、厄介なのはたぶん即死攻撃くらいだし」


「霊峰だとレベル上げするにしても物理が効かないでしょう? 銃弾がすり抜けますわよ?」


「そういえばそっか。銀弾はまだ高そうだし……うーん、だったら墓地とか。ダークネス・ネクロキング」


「レイドボス的にはありっちゃありだが……MOBのレベルが低すぎないか? アリスちゃん達のレベル上げには良いかもしれないが、こっちが経験値的に微妙だろ」


「うーん……」


 どれか一つだけに絞れば狩場等いくらでもあるが、けれどもレベル上げが出来て、かつパワレベも出来て、加えて低難易度のレイド戦闘も出来るところともなるとそうそう都合の良い場所が見つからない。


 そもそも先に出て来たレイドボスですら手に余りそうなのだから、どっちにしろ死に戻り前提での挑戦とはなるが、最初から完全に倒せないと決めつけるのは廃人としての矜持が許さなかった。


「後良さそうなところとかだと……あっ、神殿とか、どうかな?」


「あ、いいかも」


「神殿、ですか?」


「神殿っていうのはだな、セインフォートの……よし、悠姫さん、説明頼む」


「投げるのはやっ! まあいいけど」


 ひよりの問いに答えようとした久我だったが、すぐにど忘れしてしまっていたのか、説明を悠姫に丸投げした。こほん。と一つ咳払いをして悠姫は説明を始める。


「セインフォートの北に[ディザイア神殿]っていうダンジョンがあってね。そこは元々[第十の聖櫃]アニス=ジークディザイアが祀られていた神殿で、あそこは神々が世界を捨てて後、朽ちてモンスターの巣窟となったって背景があるんだよ」


「へー! そんな設定とかあるんだね」


 元々悠姫のギルドのメンバーだった面々にとっては聞いたことのある話ではあるが、VR後ASというギルドを立ち上げた後に加入したリコにとっては初耳の情報で、興味深そうに相槌を打つ。


「ルカルディアの都市とかダンジョンには大抵何らかの歴史がちゃんとあるからね。この図書館にもそういった歴史書は存在するし、各都市や遺跡系のダンジョン、工場系のダンジョンとかには研究者とかの書物が残ってたりもするし」


 悠姫が知るだけでも、その数はもはや数えきれない程に存在している。


「それだけの書籍データを作成するのって大変だったでしょうね……」


「一応設定では[第七の聖櫃]が書物を創った神として存在してるけど、良くもまあここまでって感じだね」


 世界に歴史ありとは言う通り、ルカルディアに存在する建築物や自然物にはほとんど、その一つ一つに緻密な設定が盛り込まれている。


 地形一つ、街一つにしてもどのような経緯でそこに在るようになったのかの歴史がある。


 だからこそ悠姫をはじめとした多くのプレイヤーが、ルカルディアという世界に魅了されてCAOをプレイしているのだろう。


「まあ、そういった背景はともかくとして、ディザイア神殿はレベルで言うなら80台向けくらいの狩場だからちょうどいい感じなんだよね」


「モンスターは倒しやすいんですか?」


「HPが多いから少し厄介で、出現するモンスターは無属性と闇、火、水、地と属性が揃い踏みで、さらに不死も居るから倒しやすいとは言えないかなぁ」


「属性がばらばらなんですね……」


「魔法職には属性がばらばらでちょっと面倒だろうけど、魔法攻撃使ってくるのが少ないから楽ではあると思うよ」


 属性相性を考えて渋い顔をするひよりに、悠姫はフォローを入れてさらに説明を続ける。


「それに神殿はマップによって出現するモンスターが違うから、[神殿04:教会]マップなら無属性と地属性と不死で纏まってて、火系が通るから楽だと思うよ。……まだ神殿には行ったことないから、配置変更が無ければだけどね!」


 VR化後に大きな配置変更があった例を知らないので恐らく神殿も配置変更はないと思われるが、けれども念には念を入れて悠姫は保険を打っておく。


「まあもしあっても移動狩りにすればいいし、レイドの練習にも神殿のレイドボスはそんなに強くないからちょうどいいでしょ?」


「え、そんなに強くない?」


 リコが一人引き攣った笑みを浮かべていたが、久我もニンジャもシアもリーンも、もはや悠姫のぶっとんだ思考には慣れたもので、皆一様におもむろにシステムウインドウを開いてアイテムや装備の点検に移っていた。


 割と控えめなレイドボスとはいえ、それでもレイドボスである。普通ならレベル90前後の未転生パーティが挑むようなものではない。


「それじゃ、準備かなー」


 そう言って悠姫も名残惜しい気持ちを押しのけ、アリスに膝の上から退いてもらい、システムウインドウを表示して装備やアイテムの点検に入る。


 狩場に応じて装備を切り替えられるほどにはまだ装備は充実していないが、回復アイテム類は気が付けば無くなっていることも多いので油断はならない。


「あ、わたし、じゃあちょっと火矢を買い足してくる」


「あ、リコ。だったらついでにアリスも銃弾とか買い足しておいた方が良いだろうし、アリサと一緒に二人を連れてってあげてくれる?」


「了解。……あれ? でもセインフォートって銃弾売ってるところあったっけ?」


 リコが可愛らしく、ピンク色の髪を揺らして小首を傾げる。


「NPC販売はセインフォートには無いから、露店だね。……この時間だと東の裏通りにガンスミスの人が露店出してると思うから、そこで買うといいかも」


「なるほどね。ん。了解。アリサちゃん、アリスちゃん、いこっか」


「はい、お願いします」


「はーいっ」


 連れだって図書館から出てゆくリコとアリス達を見送ると、次はリーンがやってくる。


「欠橋悠姫。あそこのMOBって魔法は通り良かったかしら?」


「そうだね。物理よりも魔法のが通り良いよ。だからリーンは中距離からの攻撃メインでいいかも」


「いつも通り、って感じですわね」


 シニカルに微笑みながら、リーンは手慣れた動きでシステムウインドウを操作する。


「後は――そうだね。後衛にタゲが跳ねた時とか、そのままタゲ取って固定してくれると助かるかも」


「……仕方ないですわね」


 そこら辺の融通は、久我やニンジャよりもリーンの方が効くのだ。


 リーンのメインクラスである[ロードヴァンパイア]は遊撃や中衛が向いている職業ではあるが、日々手合わせをしている悠姫から見ても十分に前衛を張れるだけの実力を持っている。


 それがわかっているからこそリーンは任されるのがうれしいのだろう。額面はしぶしぶと言った感じではあったが、明らかに頬が緩んでいるのが悠姫からも見て取れた。


「ユウヒ様、ホーリーエンチャント入れますか?」


「あ、一応入れておいてくれるとありがたいかも。久我とニンジャも要るよね?」


「そうだな。後はボスの時にプロテクションもいるんだったか?」


「や、聖鎧付与は、ボスの闇属性範囲攻撃で散ることになるね」


「そうか。じゃあニンジャにだけでいいか」


「どういうことでござる!?」


 さらりと下された死刑宣言に、ニンジャは驚愕の声をあげた。


「あはは。っとと……」


 ニンジャの反応に笑いながらひよりの方へと視線を向けると、不安そうな表情のひよりとぱっちりと目が合い、悠姫はそうだそうだ、と自分に言い聞かせるように呟く。


 ……ひよりんはレイド初めてなんだから、ちゃんと説明してあげないと不安だよね。


「よし、わたしもレイドの説明とアイテムの補充がてら、ひよりんとちょっと出てくるね」


「ひゃっ……」


「あっ!」


 頷き、悠姫は声をかけて手を取ると、小さく驚きの声を漏らすひよりを強引に連れ出す。


 図書館から出る直前に見えたシアの表情はたいへん不満そうではあったが、追ってこないところや耳打ちが来ないところを見るに一応納得はしてくれているのだろう。


 夜の帳が降りて静けさを纏った通路。綺麗な模様が描かれた煉瓦のその道を、ひよりの手を引いて歩いてゆく。


 手の中の温かさがまるでここがVR世界であることを忘れさせそうになるくらいのリアリティを感じさせるが、昨日感じたばかりのひよりの手の感触と比べると幾分見劣りするのもまた事実だ。


 そのまましばらく歩いていると、街灯に照らされた通りに徐々に人通りが増えてゆく。


「あ、あの、あのあの、ゆうちゃん……」


「どうしたの? ひよりん」


 人が結構増え始めた辺りで、蚊の鳴くような小さな声で呼びかけてくるひよりに、悠姫は「おや?」と疑問を抱きながら返す。うつむきがちなひよりの顔を覗き込むように顔を傾けると、真紅の髪が夜道を照らす街灯が鮮やかに彩る。


「そ、その……手……です」


「て?」


 そういえば図書館から出る時から繋いだままだったが、はて、それがどうしたのだろうか。


「ゆ、ゆうちゃんっ! ……だ、だって! ……っ!」


 夜の街灯でもわかるくらいに頬を染めながら、何か言おうとして、言葉を止めてひよりは頬を膨らませ、繋いでない方の手でなにやら空中を操作する。


『……だ、だってゆうちゃん! 男の人……じゃないですかっ』


 そして聞こえて来た声に、悠姫はなるほどと思い自分も同じ操作をして、言葉を返す。


『――今の操作って、WIS設定だったんだ。……っていうか、何でWIS? というか、え?』


 ウィパーチャット。耳打ち。WIS。


 呼ばれ方は様々だが、要するに対象を指定しての個人通話が出来る設定だ。


 主に周りに人が居る時などに他の人には聞かれたくない会話をする為に使われることが多く、今回も悠姫のプライベートにかかわってくる話だから言葉を躊躇ってWISで話しかけて来たのだろう。


 それはわかった。


 けれども悠姫には何故ひよりがそんな恥ずかしそうな反応をしているのか、そちらがわからなかった。


 どういうことだろうと困惑していると、さらに恥ずかしがるようにひよりは目を泳がせながらわたわたと手を振り、真っ赤になって告げた。


『そ、その……わ、わたし、男の人と手を繋ぐのっ、は、初めてで……』


 ――間。


 悠姫は暫しの間、無になった。


 ……あれ。あれあれ?


 ひよりが言う通り悠姫の現実世界での性別は紛う事無く『男』ではある。


 けれども悠姫はこれまで何度もひよりと手を繋いだこともあったし、先日現実の世界で行ったUFLではむしろひよりの方から積極的に手を繋ぎに来たくらいだ。


 その時も恥ずかしそうにしていたが、こんな風に真っ赤になって立ち止まってしまうほどではなかった。


 違うことと言えば、その時にひよりが現実の悠姫を男だと知ってしまったということだが、果たしてそれだけでそんなに恥ずかしく思うものなのだろうか。


『えっと……でも? うぅん……ごめんなさい? ダメだった?』


『ダメじゃないですけど!』


『えぇ!?』


 どうしろと!?


 離そうとした手をがっちりと掴まれて、悠姫はさらに困惑する。視線が繋いでいる手とひよりの顔を往復する。


『え、えー……?』


『だ、だってゆうちゃん……うぅー……』


 ひより自身も言っていることとやっていることが矛盾しているのはわかっているのだろう。恥じらいながらも何か言いたそうだが、どう告げればいいのかわからないという顔をしている。


 真っ赤になって挙動不審な様子のひよりとは違い、悠姫の方は落ち着いたものである。


 ……えっと、一応これはわたしが男だって知って妙に意識しちゃってるってこと……なんだよね?


 そこまで意識してしまうようなことにも思わないが、けれどもひよりにはひよりなりの解釈があるだろうから、決めつけてしまうのはいささか暴論に過ぎるというものだ。


 女の子には複雑な乙女心という、下手をすれば男の人には一生理解出来ないであろう不可思議な心の構造がある。そしていくら女の子らしい振る舞いをしていても、男である悠姫には複雑な乙女心なんて到底理解できないものだ。


 例えば日ごろからプレイボーイを貫いているリア充ならそういうものがあると汲み取ってあげることが出来たとしても、ネトゲ廃人の悠姫にそんな機微などないのだから当然と言えば当然だった。


 ……とはいえ。何もせずにずっともじもじとやっていても仕方ない。


 とりあえず悠姫は、何となく、繋いでいるひよりの手をにぎにぎとやってみた。


『ひゃああああ!?』


 いきなり手を揉まれたひよりが、小動物を彷彿とさせる反応でびくりと震え、可愛らしい悲鳴を上げる。


『ゆ、ゆうちゃん!』


『あはは』


 続けて非難に声を荒げるひよりに悠姫は軽い感じの笑みを返して、そのまま言葉を続ける。


『や、ごめんね? でもひよりんがかわいくてつい』


『か、かわいいなんて……っ!』


『うん。ひよりんかわいいよひよりん』


 テンプレで返すと、ひよりは恨めし気に頬を膨らませ言う。


『……ゆ、ゆうちゃん、普段から、みんなにそんなこと言ってるんですか?』


 問いに、悠姫は『うーん』と少しだけ考えて、


『こんなこと言うのひよりんくらいだけどね』


 そう言った。


 身近な女性だとリーンとシアとリコくらいだが、リコとはまだ付き合いが浅いせいかそこまで踏み込んで話せていない。リーンにしても彼女はかわいいというよりもどちらかというと綺麗という表現が似合う女の子だし、シアは見てくれはかわいいと言えなくもないが、性格でかわいさがマイナス100%されているので除外。


 よってひよりくらいしか言う人が居ないということなのだが、


『ゆ、ゆうちゃん、そんな……ひゃぁぁぁ……』


 悠姫が言うかわいいという言葉は、女の子がぬいぐるみや小動物を愛でたりするような時に言うようなニュアンスだったのだが、受け取り手によって言葉の捉え方なんてものは全然違うものである。


 ひよりから見た、先の悠姫の言葉はこうだ。


『――かわいいなんて言葉、君にしか言わないよきらりん』←錯覚的。


 真っ赤になってうつむいてしまうのも無理もない。


「それはそうとひよりん?」


『は、ひゃ……』


 返事をしようとして噛んだことと、かけられた言葉が耳打ちではなくて普通だったことから、ひよりは恥ずかしさを誤魔化すためにシステムウインドウを開き、自分も普通のチャットに切り替えて返事をする。


「は、はい」


「本題だけど、ひよりんってレイドってコンテンツに対して、どのくらい知識がある?」


 ひよりの手を不自然にならないくらいの力で引いて歩きながら、悠姫はここにきてやっと本題を切り出す。


「え、えっと……ルージュオンラインの、オービリエ・ジュノス……みたいなものですか?」


「あー……そう言われると正解のような不正解のような……」


「違うんですか?」


 真っ先に出てくるのがアニメというのが実にひよりらしいが、アニメで描かれるレイドボスと実際のネトゲのレイドボスとは、かなり認識に齟齬があると言っても良い。


「似たようなものと言えばそうだけど……」


 言われてどんなものかすぐに想像がつく辺り悠姫も同じ穴の貉ではあるが、さりとてCAOのレイドボスがそれと同じものかと言われれば、素直に頷くことが出来ない。


 ルージュオンラインは元々[小説家になればいい]という投稿サイトに投稿されていたVRMMORPGを題材にして描かれた小説から派生したアニメ作品で、ひよりが言っているのは真紅によって悪魔と人とに分かたれ争いを繰り返すVR世界[カノン]で、主人公の少年がそこに住まう少女と恋に落ちるという王道的なストーリーで描かれた小説のアニメ版28話。


 ヒロインであるコーデリアを救う為に、主人公のユウキが、[カノン]に住まう人々に深く結びついている世界機構の一端で、異端者であるプレイヤーを[カノン]から排除せよとNPC達の本能を揺さぶっていた【神話体系を宿せし古の大樹】を破壊することを決意し、対峙し戦うシーンのことだ。


[カノン]に住まう人々に異端者を排除せよと命令を下す大樹の防衛システムをかいくぐり、何十人もの同志と共にそれを討伐する為に力を合わせる光景はまさにレイド戦闘そのものではあるが……ただ、決定的な違いは、どれだけ引き伸ばしたところでアニメでは戦闘シーンが何十分、下手をすれば何時間も続くことは絶対にありはしないということだ。


 悠姫が悩む齟齬とはその辺りの話だ。


「……今回のレイドボスは最初期から実装されている、入門用に近い比較的簡単に倒せるレイドボスだけど……それでもまともにやれても一時間以上はかかると思うんだよね」


「い、一時間ですか?」


 もちろん討伐速度に関してはメンツによって変わってくるし、装備でも大きく左右されるが、現段階の装備ではそのくらいは見ておかないと後悔することになるだろう。


「CAOはVR化が決まってたオンラインゲームだから、他のゲームみたいに一つのレイドコンテンツの攻略に何週間もかかるような長期攻略型のレイドは少ないんだよね」


「ほ、他のオンラインゲームでは、そんな何週間もかかるようなレイドがあるんですか?」


「ぶっ続けでやって何週間もってことじゃないけどね。――一日8時間やって2週間とか、ままあるんじゃないかな」


「は、はちじかんですか!?」


「そそ。何日にも分けてレイドゾーンを攻略していく感じだね。大規模なレイドギルドでガチなところとかだと、仮眠時間を決めてローテで回して攻略ペースを上げたりもするし」


「ひゃああ……」


「あ、でも今回の所はそんな超難易度じゃないし、普通にボスの延長みたいなレイドボスだから、そんな身構えなくても大丈夫だよ」


「そうなんですか?」


「そうそう」


 CAOで長時間を要するレイドコンテンツと言えば、代表的なところで先にも名前だけ出て来た時計塔地下13F以上にも及ぶレイドゾーンを有する[時の迷宮]辺りだろう。


 こちらは制限時間がワンフロアに付き12時間という、一見すれば長く見える制限時間で、地下13F以上にも及ぶレイドゾーンを攻略しなければならないというまさに死の行軍が求められる廃エンドコンテンツだ。


 そしてもちろん、フロアとフロアを繋ぐ[時の狭間]でなければログアウトすることすら出来ず、他の場所でログアウトすればレイドゾーンの外へと出されるし、フロア当たりで3回死んでしまうと、蘇生も出来ずにレイドゾーンの外へと出される。外に一度出されると再びレイドゾーンに入るのに一週間の再入場待機時間を待たなければならなく、当時の最高レベルの廃人プレイヤーが挑んでも完全攻略できていないのだから、その難易度は折り紙付きだ。


「でも、話を聞いても、全然想像が付かないです……」


 今まで普通の狩りでは長くとも数分あれば戦闘が終わっていたので、一時間にも及ぶ戦闘なんて、ひよりには到底想像できなかった。


「うん。だからこそ先に少し説明しとこうと思って連れ出したんだよ」


「な、なるほどです」


「って言っても基本は行動パターンを解析して、最適解のルーチンで回していくだけの簡単な作業なんだけどね」


「……そうなんですか?」


「レイドボスって言っても、要は強いモンスターだからね。どういうモーションから、どういう攻撃があって、どう対処すれば回避ないし被害を抑えられるかを理解出来れば、後は正確に対処していくだけだし」


「だ、だけ……ですか……」


「うんうん」


 悠姫はさも『ね、簡単でしょ?』と言うかの如く軽く微笑みながら言っているが、初心者のひよりにはそもそもレイド自体が未知の経験なのだから、どれも超高難易度の技術に聞こえて仕方ない。


 もしも自分がミスして台無しにしてしまったら……そう思うと怖くなってくる。


「大丈夫大丈夫、それにお試しなんだから気楽にいこう? ね?」


「は、はい。ゆうちゃん」


 悠姫の言葉にひよりは安心して緊張を解く。


 実際、お試しで行くのだから悠姫の弁は間違いではない。


 ……けれどもひよりは、廃人の習性についてあまりにも知らなさ過ぎた。


 その数時間後。


 ――ひよりは果たして気楽とは何なのだろうか、と深淵な問いを抱くこととなる。





「――ブランディッシュ来るよ! 久我、スイッチ!」


「おおっ!」


 漆黒の鎧に身を包んだ暗黒騎士、[ディザイア神殿]のレイドボス、アルガス=ガンディーヴァが両手に持つ身の丈以上もある大剣を振り上げると同時に、悠姫は久我と入れ替わりにアルガスの眼前へと躍り出た。


『ォオオ!』


「はぁあああああ! [グラビティホライズン]!」


 両者とも引けを取らぬ斬撃が横薙ぎに繰り出され、アルガスの大剣と悠姫の持つ両手剣が衝撃波を発生させてぶつかり合う。


 彼我の得物の質量からすればアルガスに分があるだろうが、けれどもその差を補うスキルによる加速とHSの差によって、互いの剣が大きく弾かれアルガスも悠姫も体勢を崩す――そのコンマ一秒。


「――[クルーエルペイン]!」


 衝撃で浮いた半身にかかる反動を下へと逸らし、そのまま流れに乗せてヘイト上昇のスキルを放ち、流れるような動きで数度、悠姫はアルガスの鎧の上に刃を走らせる。


 深く切り裂けるほどの隙は無かったが、けれども魔法の属性が付与された悠姫の剣は、アルガスのHPバーをほんの僅か、数ドットだけ削り取る。


「ユウヒ様! [光裂く呪印の滅弓]まで後60秒です!」


「おっけー! リコとひよりんは、ヘイトを稼ぐまで出力70%で攻撃!」


「はーい!」


「は、はいっ」


 指示を出されて、リコとひよりが左側面からアルガスに矢と魔法を浴びさせる。


「すぅ――」


 その間に悠姫は一呼吸、肺に酸素を送り込む。


 VR世界なのだからそんなリアルな身構えは必要ないのかもしれないが、そうするだけで心構えも変わってくる。リコとひよりの攻撃によって先程の悠姫の斬撃よりも確かにアルガスのHPバーが削れた、その直後。体勢を整えたアルガスの身体が身震いをするように、不自然に揺れる。


「――はぁああああっ!」


 INTが低い者には残像を追うことも困難であろう高速の斬撃が、裂帛の咆哮と共に上下左右から悠姫に襲い掛かかり、それを悠姫はアルガスに負けず劣らずの気合いと共に一つ残らず撃ち落としてゆく。


 剣と剣が激しくぶつかり合う音が連続的に響き、ルーンエンチャントによって付与された魔法の輝きが不規則な眩い軌道を描き出す。


 体格差も相まって絶望的とも思える迫力で迫るアルガスの斬撃を、悠姫は時に同じ軌道で撃ち弾き、時に軌道を逸らす為に側面を撃ちいなし、凌ぐことだけに集中する。


 剣撃を一つ積み重ねる度に、精神が削られてゆくような錯覚。徐々に世界から音が消え、永久に続くかと思われるほどの絶え間ない斬撃が――ふと、止む。


 アルガスの大剣が切り上げの軌道で描き天を衝いた、その刹那。ほんの一呼吸だけの余韻を残し極限の力を持ってして大剣が振り下ろされ、それに悠姫も寸分違わず打ち上げの軌道を持って迎え撃つ。


 ――ギィイイイイイイイン!


 ひと際大きな金属音が鳴り響き、悠姫の立つ地面が衝撃で俄かに陥没する。


「くっ……!」


 痛覚設定を低く設定しているので痛みはさほど感じないが、けれども腕から全身にかかる負荷は尋常ではない。全身がばらばらになるのではないかと本能的に身の危険を覚える。


 それほどの衝撃、もちろん無傷で済むはずが無い。


 そもそもスキルを通常の攻撃で受けようとするのが間違いだ。


 視界の端で自分のHPバーがごっそりと減少するのが見えて、背筋が凍る。


 けれども、


「――シア!」


「はい! 《ヒーリングサークル》!」


 アルガスの最後の一撃、[バーティカルシャフト]でごっそりと減ったHPバーを、それを予測して準備していたシアの回復魔法が即座に飛び、久我を含めた前衛組を含む円形範囲に緑の風が踊るように吹き上がり皆のHPが見る見るうちに回復してゆく。


「ありがと! さあもう一回、[クルーエルペイン]!」


 スキル後の硬直で俄かに動きの止まったアルガスに悠姫が二度目のヘイト上昇スキルを叩き込むと、クルーエルペインの衝撃波に追従するように、黒い影と、紅の鮮血を纏った二人が悠姫の両脇から飛び出す。


「――参る!」


「ニンジャ! ヘマるんじゃないですわよ!」


 リーンの声に無言で答え、ニンジャは腰の二刀を抜き放つ。


「二刀抜刀――[月食:影結い]!」


 音を置き去りにするほどの加速から振り抜かれた二刀、朧月と吹雪から質量を持つ影がアルガスを纏い、続けて放たれた一閃により影がアルガスを地面へと縫い付け、スキルの硬直が解け、動き出そうとしていたアルガスの動きがぎしりと止まる。


「今! 総攻撃!」


「は、はい!」


「りょーかい!」


 ここぞとばかりに魔法と矢が激しさを増してアルガスに降り注ぐ。


「いいですわ、ニンジャ! ――褒めて差し上げますわ! [ブラッディインストール]!」


 スキル後の硬直の姿勢のまま拘束されたアルガスに、リーンは弾幕を縫ってここぞとばかりに自己強化のスキルを発動させ襲い掛かる。


「喰らいなさいな!」


 そう叫びながら、壮絶な笑みを浮かべ、[ブラッディインストール]の効果で鮮血のオーラを纏う剣でアルガスを滅多切りにする様子はまさに吸血鬼、悪魔の所業だ。


「[ブラッディスクラッチ]! ――[シュトゥルムスピア]!」


 鮮血で形作られた爪がアルガスの全身を切り刻み、続けて放たれた真鍮の槍が肩を抉る。


「ちっ、もう拘束がっ」


「解けるでござるよ!」


 拘束が効いていた時間なんてほんの数秒のことだが、けれどもその数秒の間に悠姫は次の攻撃に備えて体勢を整え終えている。


「欠橋悠姫!」


「いっくよーっ! [ドゥームブレイカー]!」


「ちょっ!? か、欠橋悠姫!?」


 今回のレイドにおいて悠姫の役割はタンクだ。拘束から抜けたアルガスの連撃を受ける為に体勢を整えるものとばかり思っていたリーンは、まさかの悠姫の行動に目を疑った。


 重い踏み込みから、斬るというよりは叩き壊すと表現した方が正しい程に重烈な、派手なエフェクトを伴って放たれる斬撃を三連でアルガスに撃ち込むと同時――高火力スキルの硬直で動けない悠姫に向かって、アルガスが拘束の影を断ち切って憎しみを宿した眼光で睨み付け大剣を振りかぶる。


「ゆ、ゆうちゃん!」


「――[トライエッジ]!」


 そして再び始まったアルガスの連撃の初撃を、悠姫はスキル連携で繰り出した高速の三連撃スキル、[トライエッジ]で弾き、[ドゥームブレイカー]の硬直を消して、続けて斬撃を捌いてゆく。


「はぁ……まったく、危ないことしますわね」


 剣戟の嵐から離脱し、リーンは呟きながら嘆息する。


 あの局面だと、普通は素直にアルガスの攻撃を待つのが定石だ。


 レイド戦闘では各々に役割というものがあり、本来ならばタンクで敵の攻撃を一身に受ける役割の悠姫がダメージを与える必要性は皆無なのだ。


「あれでたぶん、悠姫さんは危ないことしたつもりはないんだぜ」


「でしょうね」


 連撃を捌いてゆく悠姫に、久我もシアも苦笑を浮かべざるを得ない。


 悠姫からすれば次のプロセスまでにコンマ数秒の隙があったから、与ダメージで稼ぐことのできるヘイト値を鑑みて攻撃したまでで、それは計算された攻撃であり、そこに無謀という文字は一文字も無い。


 周りから見て、当然相手の次の行動を待ち備える。と思う場面であるからこそ、悠姫のぎりぎりまでリスクを背負ってハイリターンを取る戦い方は本来ならば好ましくない。


 ぎりぎりのラインの綱渡りになればなるほど、一つミスればそこから一気に崩壊してしまうのがレイド戦闘というものだし、称賛されるほどの素晴らしい動きだったとしても周りが予想できない動きだとただ単に連携を崩してしまいかねない。


 が、しかし、それも今回のレイド戦闘においてはさしたる問題ではない。


 パーティのメンバーは悠姫のプレイスタイルを手合わせして知っているし、リーンだって一瞬は慌てたものの、アルガスの動きを追って見てスキル連携で間に合うことは計算出来ていた。


 お互いの動きや性格を正しく理解出来ているからこそ、歯車はうまく噛み合うものだ。


 結果から言って。


 明らかに無謀な挑戦だろうと思われていた暗黒騎士アルガス=ガンディーヴァとのレイド戦闘は、悠姫たち有利の状況で進められていた。


「[光裂く呪印の滅弓]、10秒後に来ます! 射線注意!」


「久我、合わせるよ!」


「おう! パワーをメテオに!」


「それ違う!」


 具体的に言うと、そんな軽口を叩けるほどには戦況は安定していた。


『――オオォォォォォォォオオオオ!』


 空気を震わす咆哮と共に、アルガスが巨大な剣を地面に突き立て、固有スキルのモーションへと移行する。


 フィールド全体が闇に沈みゆくかのように、無機質な石膏造りのタイルの隙間から、黒い何かが這い出して来る。


「ひゃっ……」


 その気味の悪さに、ひよりが何度目かの小さな悲鳴をあげる。


 這い出て来た黒い何かとは、この地に蔓延るアルガスの怨嗟によって集まった亡霊達だ。


 それがフィールドに立つプレイヤー全員に、レジスト不可の[拘束]デバフを与えて来る。


[ディザイア神殿]のレイドボス、暗黒騎士アルガス=ガンディーヴァ。


 彼はアニス=ジークディザイアに仕えていた聖職者の恋人を亡くし、狂気に囚われ闇に堕ちた哀れな騎士の、その末路だ。


 生前彼の剣の腕はもちろん一流だったが、むしろ彼がそれよりも得意としていたのは、剣よりもむしろ――弓だった。


「……2、1、0、来ます!」


 ――地に突き立てられた大剣が中心を軸に二つに分かれ180度を超えぐるりと反転し、巨大な弓の形状を形作る。それに呼び寄せられるかのように、湧き出る怨嗟の声に釣られた霊魂が弓の周囲に引き寄せられ、変形した弓が禍々しい漆黒の光を放ち始める。


「[拘束]が解ける!」


 亡霊が弓に引き寄せられると同時に[拘束]が解け、漆黒が揺らめく。


「せーっ!」「のってか!」


 その場で両手剣を上段に構える久我。それに対して悠姫は跳躍し、身を捻じらせながらの跳躍し悠姫は空中で剣を横溜めに構える。


 放たれるアルガスの一撃。


 数多の亡霊の怨嗟を宿した[光裂く呪印の滅弓]の漆黒の光が目前に迫り、死の予感が悠姫の肩に手をかける。


「――[グラビティホライズン]!」


「[ジャッジメントストライク]!」


 その死の影を振り払うように、悠姫は空中で溜めた力を一気に解放するように、横薙ぎ一閃のスキルを発動させ、久我もそれに追従して縦一閃の高火力スキルを放つ。


 どちらも悠姫たちのパーティの中では一番重く、高倍率の一撃だ。


 漆黒の光の中心に向けて放たれた水平斬りと縦一文字。


[ルーンエンチャント]の燐光が[光裂く呪印の滅弓]の漆黒の光の先端にぶつかり、僅かな拮抗の後にすぐに押し戻されそうになる。


 しかしそこに久我の[ジャッジメントストライク]の縦一文字の一撃が乗せられ拮抗し、漆黒の光が四方へと分かち断たれて直撃したフィールドに闇の傷跡を残す。


「っしやぁ!」


「よぉーっしっ!」


 漆黒の光が完全に霧散して重圧が消えた瞬間、久我と悠姫は同時にガッツポーズを決めんばかりの勢いで叫ぶ。


「うはあ。3度目で完全攻略とか、超廃人だー」


 アルガスの側部に逃げていたリコが、ちまちまと弓でHPを削りながら感嘆ともドン引きとも取れる声を上げる。


「カウント取ります!」


「久我、スイッチ!」


「おう!」


 悠姫と久我を前衛に、シアが中距離から全体の回復を担当し、ひよりとリコが遠距離で削り、リーンとニンジャが遊撃的にDPSを稼ぐ。


 本来ならばもう少し厳しい戦闘になるだろうと思っていたが、その予想が良い方向に裏切られているのは、ひとえに悠姫の[ルーンエンチャント]と、久我の[剣聖の誓い]というスキルのおかげだ。


 悠姫と代わってアルガスの前に出た久我は、[光裂く呪印の滅弓]の反動で動きの鈍いアルガスに、いくつものスキルを駆使してダメージを与えながらヘイトを稼いでゆく。


 わずか数秒のことだがそれでタゲが悠姫から久我に移り、アルガスの猛攻が再び始まる。


「おおおおおおおおおおお!」


 悠姫の一撃一撃を正確に弾いてゆくスタイルとは違い、久我の場合は一撃一撃を叩き斬ってねじ伏せてゆくスタイルだ。


 通常ならば悠姫のように[ルーンエンチャント]で武器を保護していない分、武器の耐久力ががりがりと削れてゆくのだが、久我のメインクラス[剣聖]のスキル[剣聖の誓い]は、武器の耐久力減少を70%程抑えられる効果を持っている。


 それでも打ち所が悪いとごっそりと耐久力を持っていかれるのが辛いところではあるが、他の職業よりは何倍もマシである。


 それにいつもよりも幅広の、某ソルジャーや某狂戦士が持っているような大剣を使用しているのも、武器破壊を警戒してのことだろう。


 一挙動一挙動が大きく、悠姫と比べると華やかさはないが、相手もはじかれるたびに大きく体勢を崩しつつ反撃をしてくるので、悠姫と比べると安定しているように見える。


 レイドボスにおいて一番難しいところは、敵の攻撃をいかにして耐えるかどうかである。


 そしてそれは逆に言えばレイドボスの攻撃に耐えられるならば、どんなレイドボスでもいつかは倒すことが出来るということである。


 もちろん時間制限のあるレイドに限ってはその限りではないし、リジェネレートで自動回復してゆくレイドボスなんかも、火力が足りなければ倒すことは出来ない。


 それにいくら予想外に順調と言っても、今回のレイドにおいても懸念事項は当然ある。


「久我っ! アルガスのHPが5割を切るよ!」


「おお!」


 数十分にも渡る攻防の末にHPがようやっと5割を切った、その瞬間、暗黒の甲冑に身を包むアルガスの瞳が、何も宿していなかった漆黒から青に変化する。


「シアはわたしの後ろに! ひよりんとリコは様子見で、リーンとニンジャは警戒!」


 指示を出すと同時に、アルガスの攻撃を久我が叩き落とす。


 正確な動きで叩き落とされた大剣は、けれどもしかし本来通過するべき軌道とその延長に衝撃波の斬撃を飛ばす。


「くっ!」


 飛んできた衝撃波を、悠姫とリーンとニンジャは武器で弾くかかわしてゆくが、攻撃をはじいた直後の久我にそんな余裕などなく、HPバーがわずかに削れる。


 衝撃波はアルガスからさほど距離の無い悠姫、それよりも距離を取っているリーンやニンジャにも届く程度で、後衛のひよりやリコ、それよりも後ろで見学しているアリスやアリサには届かない。


 後衛に届かないのは僥倖ではあるが、けれども問題は前衛の久我に衝撃波をかわす術がないことだ。HPの減り自体はさほど大きな数値ではないが、数を弾くとなると蓄積される被ダメージは馬鹿にならない。


「シア、衝撃波かわせそう?」


「……いえ、無理です」


 ……だよねー。


 運動が壊滅的なシアに、回避行動を求めるのは間違いだ。ならばと。


「久我! そのまま何本か耐えてて! シアはちょっと衝撃波受けてみて」


 悠姫は指示を出し、あえてシアに衝撃波を受けさせてみるが、十合分ほどの衝撃波を受けさせてみてすぐに渋面を作る。


「……さすがに厳しいか」


 久我のHPが十合で1割程削れるのに対して、シアのHPは同じ十合でも2割程HPが削れている。


「ごめんなさい、ユウヒ様……」


「や、気にしないで。AGIに振ってもないし、回避できないのは仕方ないよ」


「はい……」


 シアの場合はAGI云々以前の問題ではあるが、その分をVITに振っているシアでもこのダメージだ。衝撃波を受けさせながら回復を続けると、ヒールの回復量でアルガスのタゲがシアに移りかねない。


「どうする! 悠姫さん!」


 久我の問いに、悠姫は数秒だけ考えて、答えを出す。


「メイン盾を久我に変更! わたしとのスイッチタイミングは、アルガスの[バーティカルシャフト]後! 回復と確認だけ済ませたらすぐにスイッチ! わたしはシアの防御と遊撃寄りでいく!」


「了解!」


 戦略を微調整して、再びアルガスのHPをじわりじわりと削ってゆく。


 装備が整い火力が揃えばもっと戦闘が早く進むのだろうが、今の悠姫たちにはそこまでの装備は存在しない。


 アルガスのディレイを的確にニンジャが[月食:影結い]で[拘束]をかけ引き伸ばし、リーンと悠姫がHPを削り取ってゆくが、衝撃波によってじりじりと削れてゆくHPを回復する頻度が増え、徐々に雲行きが怪しくなってくる。


 衝撃波にしても致命的なダメージとはならない。固有スキルの[光裂く呪印の滅弓]にしたって、対処をミスらなければ死ぬことはまずない。そちらも良い。

一番の問題は、このレイド戦闘に置いてシアが唯一の回復役だということだ。


 回復役がもう一人いれば二人で交互に回復してヘイトを散らすことも出来るが、今回はそうはいかない。


 まだ前衛が稼いでいるヘイトに多少余裕があるはずだが、それももう少ししたら考える余裕が無くなってしまう。


 レイドにおいて一番厄介な、その瞬間が刻一刻と訪れようとしていた。


「ユウヒ様! そろそろ」


「わかってる!」


 悠姫が返事をするのと、リーンとニンジャのスキルが閃き、アルガスのHPバーが2割を切るのはちょうど同じタイミングだった。


『ア、グ……ガァアアアア!』


「くっ!」


 苦悶に苦しむような叫び声がフィールドに木霊し、目の前で聞いた久我が苦々しく表情を歪める。鎧に亡霊が纏わりつき、瞳には爛々とした赤が宿り、アルガスの形相がいよいよ狂気じみたものへと変貌を遂げる。


「始まりましたわね!」


「隊列は現状維持! 久我を前衛に――」


 出そうとしていた指示は、けれども直後放たれたアルガスの通常攻撃の一撃で、先を失う。


「な――ぐっ!?」


 スキルも何も使っていない、縦一文字の斬撃。その一撃を、指示を出すことに意識を割かれていたとはいえ、残像しか認視することが出来なかった。


 相対し集中していた久我でさえ、反応が遅れるほどの速度だ。


 受け太刀をしたにも関わらず久我のHPバーが一気に3割も減少し、衝撃に思考が硬直する。


 ……ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 指示を出さなければ、動かなければと脳が強く命令を下しても、通常攻撃で3割も減少するという事実を脳が処理しきれず、思考が停止する。


「ユウヒ様っ! 《世界に満ちるマナよ。聖なる祝福を我らに――》[アフェクション・ベル]!」


 我を取り戻したのは、そんなシアの広範囲リジェネレーションスキル発動の声でだった。


「こ……のっ! くっ、そがぁっ! おおおおおお!」


 前を見ると久我がふっふっと消えるほどのアルガスの斬撃を、何とか捌いている。


「欠橋悠姫!」


 リーンにしても、ニンジャにしても、諦めている素振りなど微塵もない。


 ――彼我の戦力の差があることなど、最初からわかっていたことだ。


 悠姫がどれだけ計算したところで、死ぬときは死ぬのがレイドだし、勝てる時は勝てるのもまたレイドだ。特に初見で挑んだ場合なんかは、大抵は計算してやるものではなく、ほとんどがごり押しでクリア出来るようなことの方が多い。


「っふ……」


 アルガスの大剣を受けながらも、久我のHPはがりがりと削れてゆく。


 それを回復させ続けるシアも、ヘイトなどもはや気にしていない。


 リーンにしても、ニンジャにしても、リコにしても、ひよりさえも、動きを止めている者など誰も居ない。


 絶望的な状況で無理かもしれないと思ってしまった自分を悠姫は恥じた。


「――DPS上げるよ! 前衛二枚! 久我とわたしで凌ぐから、その間に全員フルアタック!」


 綺麗に勝とうと思うなど二か月程早いと自然と笑ってしまうほどの廃人はそう叫び、久我に並んでアルガスの眼前へと踏み込み斬撃を受け始める。


「久我っ! 見えてるの?」


「ギリっ、けどっ、やばっ!」


「あはっ、わっ、たしもっ!」


 二人とも明らかにINTが足りていないのは明白で、振り上げられたポイントから振り下ろされるポイントを絞り込み、予測の斬撃を走らせて受けているに過ぎない。


「久我っ、あぶなっ!」


「っぐ! サンク!」


 久我が読み違えた斬撃を悠姫が弾き、久我はアルガスの大剣が眼前で弾かれて目を見開く。


 弾いていても衝撃波が後衛以外のHPをがりがりと削ってゆくし、前衛もシアの回復が断続的に飛んできていなければ今頃既に床を舐めているだろう。


 このままではいつシアにタゲが跳ねるかわかったものではないが、回復の手を緩める=即死だ。無理矢理にでも攻撃を続ける他、手段はない。


 リーンもニンジャも、アルガスの側面から最低限の被弾だけを気を付けながら、スキルでがりがりとHPを削ってゆく。


 そのかいあってか、アルガスのHPバーが1割を切り、


「悠姫さん! あぶ」


「え?」


 その斬撃に限って言うならば、まったく目で追うことなど出来ないほどの速度だった。


 不自然に消えた久我の声が無ければ、咄嗟に剣を滑り込ませることすら出来なかっただろう。


 衝撃で後方へと飛ばされ意識が闇に落ちてゆく。


 何度か味わったことがある、状態異常[スタン]の予兆。


 意識が闇に落ちてゆく中、悠姫はHPトリガーで発動するアルガスのスキル[フェイタルスラッシュ]を思い出したが後の祭りだ。


「ユウヒ様っ! ――っ」


 久我が蒸発し、HPのほとんどを失った上にスタンした悠姫を見て、シアは咄嗟に悠姫にリカバリーを飛ばそうとするが、しかし一瞬の逡巡で冷静さを取り戻し、反応支援の速度で久我に[リザレクション]をかける。


 けれども不幸にも――その[リザレクション]で、アルガスのタゲがシアへと移る。


「なっ! ま、待つでござる!」


 咄嗟にニンジャが割り込んで[月食:影結い]を放つ。


 スキル後の硬直状態でもなければ一瞬だけしか動きを止めることも出来ないが、その一瞬が功を成した。


「――こっちだクソ野郎! [バーストライジング]!」


 久我のヘイト上昇スキルが背に直撃し、シアの眼前に迫ろうとしていたアルガスが振り返る。


「ナイスでござる久我!」


「けど……っ」


 ポーション一本分だけ回復している久我のHPバーは4割程だ。


 悠姫と二人でもぎりぎりで捌けていたというのに、久我一人ではアルガスの斬撃を捌き切れない。加えてヘイトもギリギリで大きな回復魔法を飛ばすことも出来ない。


 がりがりと削れてゆく久我のHPをヒールで回復させてゆくも、そんな拮抗はそう長くは持たないだろう。


 ひよりとリコも残りの1割を削るために攻撃を続けているが、遠距離だけではダメージが芳しくない。


 かといってニンジャやリーンにも余裕がある訳ではなく、HPが5割程しかない現状、ヒーラーの負担を増やせない以上被弾覚悟で突っ込むことも出来ない。


「くっそぉおおおおお!」


「これはっ……厳しいでござるな……っ!」


 シアに向かう衝撃波をニンジャが何とか防いではいるものの、DPSはがた落ちで、先ほどからアルガスのHPバーはほとんど減っていない。


「……仕方ない、ですわよね!」


「リーンさん!?」


 混乱した状況で行動を起こしたのは、リーンだった。


 突如悠姫の方へと駆け出したリーンの行動にシアの悲鳴じみた声が響く。


「欠橋悠姫――っ!」


 呼ばれた、と気が付き[スタン]から目が覚めた悠姫が見たのは、顔を朱に染めたリーンの姿だった。


「……あ、謝りはしませんわよ」


「リーン……? え――」


 そう言って、リーンは状況を把握できないまま問いを口にしようとした悠姫の首筋に、吸血鬼特有の牙を突き立てた。


 漆黒の亡霊が渦巻き、剣戟の音が鳴り響くレイドフィールドで、束の間音が消えたかと錯覚する。


 異質な行為のはずなのに、首筋から感じるリーンの暖かな感触がどこか安心感を覚えさせる。


 牙をたてられているというのに痛みは全くない。


 それどころか、どこか心地よくすら感じるのは何故だろうか。


「――――」


 数秒の口付け――と言うにはあまりに猟奇的だが、そっと離れてゆくリーンの顔は、見たことの無いほどに真っ赤に染まっていた。


「……行って参りますわ」


 照れを隠すように、リーンは小さく呟いて、アルガスに向かって駆け出す。


「これで幕引きですわ! [ブラッディインストール]!」


 ロードヴァンパイアの固有スキル[ブラッディインストール]は、二種類の特性を持ったスキルだ。


 どちらも自己バフとしての特性ではあるが、スキルの[吸血]を行っているかいないかによって、効果が大きく変わってくる。


[吸血]を行わずにスキルを使った場合は5分間のステータスの底上げと鮮血のオーラを纏うくらいだが、[吸血]を行って、血を触媒に使った場合はまた別の効果が発現する。


「――[ルーンエンチャント]!」


 それが1分間の相手の特性の限定使用とステータスの大幅増加。後、回復の無効化だ。


 最後の一つは完全にデメリットでしかなく、MPの自動回復も止まってしまうし、1分経つとHPもMPも1にまで減少し、ステータスにも大幅減少のデバフが付くという諸刃の剣ではあるが、持続時間の1分間に限って言えば、今のレベルでも転生後レベル100以上にも匹敵するステータスを得ることが出来る。


「少しだけ耐えてなさい! 久我!」


 まるで消えたかのように思える程の速度で、リーンはアルガスを翻弄して攻撃を加えてゆく。


「お、おいそんなに攻撃したら!」


 恐ろしい勢いでリーンがアルガスのHPを削り取ってゆくが、そうなるとヘイトも急上昇してリーンにタゲが向かう。赤を宿した瞳が、リーンをターゲットととらえ、大剣が垂直に振り下ろされる。


「遅いですわ!」


 発狂モードに入り威力が跳ね上がった[バーティカルシャフト]を、けれどもリーンはそれを上回る神速の切り上げで、完全に相殺する。


「おい待て! 何だそのチート!」


「黙りなさい久我! チートじゃないですわ! それよりもニンジャ! 止めなさい!」


 先ほどまで必死で受けていた久我が不満を叫ぶが、リーンは一喝して黙らせて指示を出す。


「ご、ござる! [月食:影結い]!」


 パブロフの犬よろしくリーンの指示に条件反射で従ったニンジャがアルガスの動きを止める。


「――全員、総攻撃ですわ!」


 ここを最後の好機と、リーンの指示に、全員が持てる最高火力をアルガスに叩き込む。


 ヘイト管理も防御も、回復すらも捨てたフルアタックに、アルガスの残りHPが一気に減少し……完全に消滅する。


「……やったか?」


「フラグ乙……と言いたいところですが……」


[拘束]の影が解かれると同時にアルガスの身体が膝から崩れ落ち、漆黒の鎧から亡霊の影が立ち昇り、霧散してゆく。


「……や、やったんですか?」


「や……やったか?」


「やったでござるか?」


 ひよりを筆頭に、リコもニンジャも様式美とばかりに呟く様子に苦笑しながら、リーンが告げる。


「やりましたわよ。……ほら」


 アルガス=ガンディーヴァの鎧が完全に消滅したその場所に、金銀財宝の山とドロップアイテムが出現して、わっと場が盛り上がる。


 ――そこから離れて数メートル。


 出遅れ、取り残された悠姫は、釈然としない気持ちで呆然と見守るしかなかった。


 ……良い所取りされたー。


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