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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第三章・上[心の在処]
31/50

五話[心の在処]

 PV記念館の中は予想通りと言うべきかシアターとなっていた。


 さすがに大きな映画館のように客席は多くないが、けれども備え付けられた客席は全て固定された折り畳みのもので、手すりのところにもちゃんと飲み物を置けるスペースが設けられていた。


「ひよりん、飲み物はこっちでいい?」


「はい、ありがとうです」


 先に席を取ってくれていたひよりの元へと戻った悠火は、ひよりの隣の席に座りながら間にあるスペースにひよりの分の飲み物を置く。因みにポップコーンは無いらしい。さすがにPVだと上映時間が短くて食べきる暇もないだろうから妥当なところだろう。


「パンフレットもあったから貰って来たけど、PVの内容は前に流れてたやつのフルバージョンとか聖櫃攻略戦のPVとかもらしいね」


「そうなんですか? あ、ありがとうです」


 悠火がひよりの分のパンフレットを渡すと、ひよりもパンフレットを開いて目を通す。


「PVってこんなに種類があるんですか?」


「冬に流れてたのだけじゃなくて、VR化前のPVとかもあるみたいだね」


「あ、だからPV記念館なんですね」


「そゆことみたい」


 言って悠火は飲み物をストローですすって喉を潤す。


「けど予想以上に人が居るなぁ」


「出口のパネルのところで記念撮影もしてもらえるみたいですし、早く来てみて正解だったかもです」


 悠火たちがあまり並ばずに入れたのは、グッズ販売所からすぐにこっちに来たからだ。中に入る時に後ろを見たら、かなりの長蛇の列になっていた。


「いっそ貸衣装を借りてきて記念撮影してもよかったかもです」


「うん、それも有りだったかな?」


 言いながらも今日は割と気合を入れてきた服装のため、あまり着替える気がしないのもあったし、何より欠橋悠姫で愛用している衣装装備セットが貸衣装に無かった。


 もっとも、あったところで着ていたかどうかは怪しい。


 あんなものを着て歩いていたら、髪の色と瞳の色くらいしか違う箇所は無いのだから欠橋悠姫を知るユーザーに見つかってしまうだろう。


 ……そう考えると、髪型とかも変えてきた方がよかったのかな。


 つい先日にリコに髪をいじられていた時のことを思い出して、そんなことも思う。


 複雑な髪形は面倒だけれども、後ろでくくってポニーテールにでもしておけばよかったかもしれない。


「そろそろ始まるみたいですよ、ゆうちゃん」


「あ、うん」


 そんなことを考えていたら明かりが絞られて、ざわめいていた場内がにわかに静まる。


 そうして初めに流れた映像は、VR化以前にCMで流れていた、ルカルディアの歴史をたどるPVだった。


 公式ホームページにも書かれている『――かつて六日(悠久の時)世界(ルカルディア)を創った神々は、最後の一日(刹那)世界(ルカルディア)を捨てた』という(くだり)のPVだ。


 釣り文句にこそしていなかったが、VR化以前のCAOもかなりグラフィックが綺麗なMMORPGで、VR化後の現在と比べると多少の見劣りはするものの、際立った違いは見られなく、強いて決定的に違う点を探すならばプレイヤーの挙動くらいだった。


 それはASPD(アタックスピード)CSPD(キャストスピード)に替わってHS(ヒットスピード)CS(キャスティングスペル)が出来たのだから仕方がないところではあるが、けれどもそんな細かな違いは、実際にCAOをプレイしてルカルディアに降り立ってみないとわからないものだ。


 実際に体験してみればハマる人も続出しそうだが、さすがに体験コーナーなどを設けるには諸問題があって難しく。


 CAOが大好きな悠火にとって、CAOの楽しさを伝えきれないのは少々残念でありながらも、今流れているPVを通して興味を持って始める人が増えてくれれば良いとは思う。


 PVはVR化以前のPVから順番に流れてゆくらしく、当時話題となったPV映像を見ながら、悠火はその時々に在った思い出を呼び起こして懐かしさに浸る。


「懐かしいなぁ……」


「…………ですか」


 ぽつりと小さく言うと、ひよりは曖昧な笑みと共に悠火に小さく返した。


 ……あれ?


 その表情に少し引っかかるものを覚えながらも、映像の中のキャラクターがスキルを放つ音に気を引かれてPVへと視線を移し、もう一度気になってひよりを見てみると、先程の沈んだように見えた表情は綺麗に消えていた。


 ……気のせいだったのかな。


「あ、ゆうちゃん、次からVR化後のPVみたいですよ」


「う、うん、そうみたいだね」


 弾んだ声に言われて、やはりさっきのは気のせいだったのだろうと悠火は頷いて返す。


 言われて見た画面に流れ始めたのは、今年の冬に流れていたVR化後のCAOの映像だった。


『――その日、世界(ルカルディア)は生まれ変わる』


 そんなキャッチコピーから始まったPVは、様々な風景を映し出し、見る者にルカルディアへの憧れを抱かせるように出来ていた。


 風に草木が葉揺る広大な緑の草原。


 行くものを拒む灼熱の砂漠。


 朽ちて不死者の巣窟となった寂れた廃墟。


 深層から海底を映し出す海の底の洞窟。


 空に浮かぶ聖櫃から見下ろしたルカルディアの風景。


 CAOをプレイする者は、皆その場所へと冒険に行くことが出来るのだ。


 これほどまでに魅力的なことはないだろう。


 続けて流れる各都市の風景も、本当にそういった異世界が存在するのではないかと言うほどのリアリティを見る人に感じさせる。


 良くもこれほどの世界を完成させたものだと運営には畏敬の念を送らざるを得ない。


 どれほどの人材が集まればここまで精緻な世界を作れるものだろうか。


「こうして見てると、CAOがやりたくなりますね」


「あはは、だよね」


 感覚として「早くルカルディアに戻りたい」と思ってしまう辺り、どちらの世界が悠火にとっての現実なのかわかったものではない。


 そうしてルカルディアへの想いを募らせていると、PVも次のものへと変わる。


『遥か彼方。――空に浮かぶ聖櫃を攻略せよ!』


 そんな煽りから始まったのは、新しい聖櫃攻略戦のPVだった。


 画面の中、空に浮かぶあれは[第十一の聖櫃]だろう。


 大きな欠けた隕石を造形したような聖櫃が映し出されて、悠火は思わず息を飲んだ。


 隕石を造形した方舟の上のそこかしこで魔法が光り、プレイヤー達がダークマターのような星々を模した尖兵たちと熾烈な戦いを繰り広げる。


 戦いの光景を見るに、恐らくVR化以前の映像ではあるが、どちらも一進一退で、規模を見ても稀に見るガチの聖櫃攻略戦だ。


「え、あれ……?」


 その映像の中。


 聖櫃内部を駆けてゆく真紅の髪の少女の姿を見つけて、ひよりは呟いた。


 隣で同じ映像を見ていた悠火も、当然それには気が付いていた。


 強烈な一撃を弾き。いなし。致死の属性魔法を盾で防ぎ。


 誰よりも先頭を駆けてゆく白銀の甲冑を纏った真紅の髪の少女。


 スキルの一閃で尖兵をスタンさせ、わき目を振ることも無く、ただ前へ。前へ。


 そうして進んでゆく少女の姿はどう見ても悠火のアバターである欠橋悠姫そのものだった。


「え……えええええええぇ!?」


 思わず大声で驚いて、周囲から「なんだ」「どうした」と聞こえてくる声に悠火は慌てて口を閉ざす。けれどもその内心、悠火はなおも疑問を叫び続けていた。


 ……何で? どうして? 何でわたしが映ってるの!? こ、これってもしかして第十一の聖櫃攻略戦の時の――っ!?


 そこまで考えた悠火の思考に、唐突にノイズが走った。


「っ!」


 それは奇しくも、PVの中の欠橋悠姫が扉の前に立つ尖兵に[死すべき魂の解放モータルリコレクション]を放ち、扉を開いた瞬間だった。


 開かれる扉。その奥に居た人物。彼との会話。


 扉を開くと同時にホワイトアウトした画面には煽りの文字が浮かび上がっていたが、しかし悠火は、その扉の先の記憶を、鮮明に思い出していた。


「思い…………出した…………」


「……ゆうちゃん?」


 隣でひよりが悠火の様子を訝しんでいたが、悠火には声が届いていなかった。


 思い出した記憶に、完全に意識を奪われていた。


 ウィニード=ストラトステラの聖櫃攻略戦で見た光景。


 そこで、本来無かったはず(・・・・・・)の会話。その記憶。


 ……何で?


 自然に問いがこぼれた。


 疑問がどこに向けて発せられているのか、悠火自身にもわからなかった。


 ただ知らないはずの記憶を知っているという気味の悪さが手伝って、悠火は胸の底にうすら寒い何かを感じる。


「……ぅ……ん?」


 それは第一の聖櫃の彼女、クラリシア=フィルネオス、通称フィーネが『加護の祈り』を切ることが出来ると、システムに干渉することが出来る存在だと知った時のそれに良く似ていたが、悠火にはそこまで思考を回す余裕などなかった。


「ゆう……ん……」


『ああ、来てしまったのか』


 忘れるなと言い聞かせるように。ウィニード=ストラトステラの言葉が脳裏に甦る。


『そうか、キミは彼女の子飼いなのか』


 断片的な言葉の意味を理解する間もなく、彼の言葉が再生される。


『願わくば――』


 その最後に紡がれた、彼の言葉。


『――キミが再びこの扉を開かんことを』


 放たれた極光の中で、ほんの少しだけ見えた気がする彼の表情は――


「――ゆうちゃん!」


「きゃっ!?」


 唐突にかけられた声に、悠火は思考を中断させられた。


「ど、どうしたのひよりん?」


「……ゆうちゃん大丈夫です? ……もう、PV終わってますよ」


「え、ほんと?」


 言われて悠火がはっと顔を上げて周りを見回すと、場内は既に元の明るさを取り戻し、周囲の人々はまばらに席を立ち外へ出て行っていた。


「えっと……ゆうちゃん大丈夫です?」


「わっ、う、うん、大丈夫だよ?」


 心配そうなひよりの顏が目の前にあって、悠火は思わず顔を逸らす。


「途中からなんだか上の空だったから、心配でした……」


「んん……ごめんね。と、とりあえず出よっか」


 謝り、悠火は席を立つ。


 いつまでも座り込んでいたら次の入場者の邪魔になるだろうし、そうでなくてもスタッフに外に出されることになるだろう。


 何より悠火は思考を纏める時間が欲しかった。


 心配そうに寄り添ってくるひよりには悪いと思いながらも、悠火の思考は再び先程の記憶のことに囚われていた。


 ……あれは、本当になんだったのか。


 ただ忘れていただけなのだとしたら何の問題も無いが、けれども悠火はその時の記憶を鮮明に覚えている。


 いや、思い出したと言うべきだが、そんな細かい違いはどうでも良い。


 ――そもそも考えても見れば『声』が聞こえる訳が無いのだ。


 VR化以前のCAOに、音声データというものは存在していない。


 あると言えばせいぜいがモンスターの叫び声や断末魔の悲鳴くらいで、その他に何か声のようなものを聞いた記憶など悠火にはほとんど無かった。


 だからウィニード=ストラトステラの声を聞いたことがあるというのは、どう考えてもおかしいのだ。


 思い出す記憶はパソコンのモニター越しに見た記憶だ。


 最後の最後でリーンに助けられて、やっとぎりぎり届いた扉の先。


 そこは宇宙の真ん中のような空間が広がっていて、コンシューマのRPGで言うならばまさにラスボスの部屋といった風景が広がっていた。


 悠火はそこで第十一の聖櫃の名を冠する彼、ウィニード=ストラトステラと相対した。


 そして、彼に有無を言わさぬ一撃の元、セーブポイントに戻されることになったのだ。


 その記憶に間違いはない。


 悠火自身、鮮明に覚えているので断言出来る。


 しかしだとすれば、その一年半ほど前の聖櫃攻略戦の時に聞いたことがないとすれば、悠火は一体どこで彼の声を聞いたのか?


「……………………あっ!」


「どうしたんですか?」


 記憶を遡り始めて少しして、意外なほどの早さで悠火はその記憶に行き当たった。


「ご、ごめん。なんでもない」


「……そうですか」


 悠火の返答にひよりが悲しげに視線を伏せるが、悠火は気が付くことが出来ない。


 思い当たった記憶は本当につい最近のことだった。


 CAOを始めた初日。セインフォートの宿でシアと眠った時に見た夢。


 そしてそれは一度思い出そうとしても思い出せなかった、夢の記憶だった。


 ……それがPVの映像に触発されて思い出したってこと? でも……。


 悠火はそうじゃない。と焦点を変える。


 思い出したこと自体は大した問題ではないのだ。


 問題の終着点はそこではない。


 ……そう、何でわたしはCAOの宿屋でシアと眠った時にそんな夢を見たのか?


 それこそが有るはずの無い今回の記憶の中で、一番の奇妙な点だったのだ。


 ルカルディアという世界に降り立ったことで当時の記憶が刺激されたとしても、夢を見たタイミングがあまりにも不自然過ぎて、偶然では到底済ませることが出来ない。


 そう。それはあたかも誰かが悠火にその記憶を思い出させたかのように。


 酷く作為的過ぎる夢の内容だった。


「…………っ」


 ぞくり、と、背後から誰かに見られているような悪寒が背筋に走り、悠火は振り返る。


 けれどもそこには当然ながらウィニード=ストラトステラの姿など無く。


 視線は雑踏の中、セインフォートを模して造られたコラボエリアの背景に溶けていった。


「……ゆうちゃん?」


「うん……ごめん」


「その――」


 心配そうにひよりが口を開こうとした、その瞬間――


「――ようやく追いつきましたわ」


 かけられた言葉に、悠火は心臓を握られたかのように息を止めて振り返った。





 ひよりは、PV記念館で流れゆくPVを見ている中盤辺りから、悠火の様子がなんだかおかしいことに気が付いていた。


 特にPVが終わってから外に出るまでずっと、ひよりがこれまで見たことの無いような怖い顔をしていたのだから、何かあったのだろうことは一目瞭然だった。


 初めは体調を崩してしまったのではないかと思って声をかけてみたけれども、どうもそうではないようで。


 ……また、昔のことを思い出してるんでしょうか……。


 CAOがまだVR化されていない、ただのオンラインゲームだった頃の話が出る度に、ひよりは胸にもやもやした感覚を抱いていた。


 CAO内でもちょくちょくVR化以前の話が出ることはあった。


 そのたびに、ひよりはそんなこともあったのかという新しい発見と――その場所にはどこまで行っても自分が居ないことからくる寂寥感を覚えていた。


 CAOのギルドメンバーにはブランクはあれども悠火と長い付き合いがある。一月にも満たない付き合いしかないひよりとは違い、多くの時間を共に過ごしてきた思い出がある。


 けれどもまだ悠火と知り合ってから一月にも満たないひよりにはそんなものは存在しなく。


 埋めようもない時間の思い出は、知られざる一面を知れた喜びという光と、そこに自分が居ない寂しさの闇を作り、そこに陰りを生み出していた。


 特にひよりの場合は少し前にプレイヤースキルの差で悩んでいたこともあったせいで敏感になってしまっていた。


 だからひよりはその時間をどうにかして埋めたくて、一歩踏み出して悠火との繋がりを求めたのだ。


「…………っ」


 怖い表情で唐突に振り返った悠火に、ひよりは声をかける。


「……ゆうちゃん?」


「うん……ごめん」


 返ってきた言葉に胸が苦しくなる。


 ……謝ってほしい訳じゃなくて、ただ、知りたいだけなんです。


 普段ならばその言葉は飲み込んでしまっていたかもしれない。


「その――」


 けれども、勇気を出して悠火にそれを尋ねようとしたその瞬間――


「――ようやく追いつきましたわ」


 かけられた声に、続くはずだったひよりの言葉は、永遠に失われた。


 振り向き、流れる視線の先。


 そこにフリルがあしらわれた白いブラウスと黒いゴシックスカートを身に纏った少女が佇んでいて、その少女が持つ雰囲気にひよりは一瞬この場所がルカルディアであるかのように錯覚した。


「……あ」


 悠火が紫亜と出会った時に感じたような激しい既視感がひよりを襲う。


 隣の悠火も、少女が誰なのか本能的にわかっているようで、ひよりと同じように驚きに満ちた表情をしていた。


「……もしかして、リーンさん……ですか?」


 それが思考により噛み砕かれて言語で整理され、先に相手が誰かに至ったのは悠火ではなくひよりだった。


「そっちはやっぱり、ひよりさんと欠橋悠姫でしたわね」


 そう言って少女は、腕を組んだまま確認する。


 口調といい、雰囲気といい、外見こそ違いはあるものの、その居住まいはどう見てもCAOのギルドメンバーである彼女、[ロードヴァンパイア]のメインクラスを持つ廃人プレイヤー、リーン=エレシエントそのものだ。


「え、う、うそ? 本当に、え、リーン?」


 相手がリーンだとわかってからも、あまりにもいきなりな出会いに悠火は信じきれずに問いかける。


「おう。まあ、こっちだと鈴音だがな」


「へ?」


 そこに追撃がかかり、きょとんとした表情のまま今度こそ悠火の思考は完全に停止した。


「ちょっと、久我! なに本名をばらしてますの!?」


「別にいいだろ。知られても減るもんじゃあなし。それにキャラ名で呼び合ってる方がここでは目立ちそうだしな」


「それはそうかもしれませんが!」


「それともリーンで通したいのか? おう、リーン?」


「……ぐっ、ぐぐぐ……く、久我の癖に生意気ですわ!」


「それはもう鈴音が俺の存在が気にくわないだけだろ」


 随分と親しげなやり取りに悠火が唖然としていると、鈴音はそんな悠火へ向かって、きっ、と不機嫌そうな視線を投げた。


「…………」


「え、え? な、なに……?」


「な、何じゃないですわ! ……さっきの流れでわかりませんの? そ、その……な、名前ですわ!」


「え、名前?」


「だから――っ」


「つまり鈴音はこう言いたいんだ。『わ、わたくしの名前を知ったのですから、そっちの名前も聞かせてくれてもいいのですわよ!?』ってな。本当に素直じゃないからなぁ。ツンデレ乙」


「う、うるさいですわよ久我っ!」


 再びぎゃいぎゃいと言い合いをする久我と鈴音の様子に悠火は暫く呆気にとられていたが、次第にその様子がおかしくなってきてくすりと笑みをこぼした。


「な、何を笑っていますの!?」


「や、ごめんごめん。でも、その……本当にリーンなんだなって」


「さっきのを見てそんな反応をされるのはなんだか癪ではあるけれども……そうですわね」


「あはは……」


 高圧的で不機嫌そうに睨んでくるところもそっくり……とまでは悠火は言わない。


「でも本当に、びっくりした。二人とも何でこんなところに居るの?」


「そりゃ、CAOのコラボがやってるからだろ」


「あ、そっか」


 どうやら悠火はまだ少し混乱が抜けきっていないらしく、どこか抜けた問いをして、久我に素でそう返されていた。


「で、だ。色々と見て回ってる最中にそれっぽい二人組を見つけてな。追いかけてみたら会話で悠姫さんだってわかったから声をかけて見たってわけだ。な。鈴音」


「そ、そうですわね」


 鈴音からすれば二人――主に悠火だが――を探すことが主目的だっただけに、曖昧に頷くことしか出来なかった。にやにや笑いながら言っている辺り久我は気が付いているのかもしれないが、さすがに自分から聞くことも出来ず。


「リーンも来るなら、いっそ最初から誘ってみたらよかったかもね」


「っ……」


「ん、どうしたの、ひよりん?」


「な、何でもないです……」


 反射的に手に力が入ってしまい、ひよりは伏目がちに顔を逸らした。


 悠火に悪気はないことはわかっていたが、胸に痛みを覚えて力が入ってしまったのだ。


「あー……まあなんだ? 鈴音も楽しみで楽しみで眠れなかったらしくてな。仕方なく連れて来てやったってわけだがぁっ!?」


 その様子を知ってか知らないでか、久我はフォローするようにそう言って、言い切る前に鈴音に鋭いひじ打ちを食らっていた。


「久我ぁああああ! 黙らないと解雇しますわよ!」


「ちょ、す、鈴音、肘は洒落にならん」


「だ、大丈夫? 今凄い音したけど」


「大丈夫ですわ、こんなの心配しなくても良いですわ!」


「こんなのはねぇだろ……ったく」


 脇腹を押さえながらも、軽口を叩けるくらいだから本当に大丈夫なのだろう。


 二人のやり取りを見て、悠火はふと思ったことを尋ねる。


「そういえば、もしかして二人って兄妹なの?」


「なぁ……っ」


「おぉぅ……」


 だがしかしその問いかけはどうやら地雷だったらしく、久我は神に祈るように天を仰いだ。


「だ、誰がこんな甲斐性無しの妹ですって!? いくら欠橋悠姫と言えど言って良いことと悪いことがありますわよ!?」


「ち、違うの?」


「違いますわ! くっ、屈辱ですわっ!」


「……ここまで言われると傷つくが、ま、俺は鈴音の使用人みたいなもんでな。従者として子供の頃から仕えていたから、感覚的には兄妹みたいなもんではあるんだが」


「わたくしとしては甚だ遺憾ですわ!」


「ということだ」


 肩を竦めながら久我は言う。


 久我が言うように、鈴音と久我は兄妹と言っても過言ではほどの付き合いの長さと深さがある。けれどもそれは鈴音が認めない限りは決してそうはならない不文律がある。


「へー……使用人とか、従者とか、リーンって本当にお嬢様だったんだね」


「だ、だから言ったでしょう? そ、それよりも」


「あ、うん。名前だよね」


 改めて自己紹介するというのは妙な気恥ずかしさがあったが、鈴音の気迫に再度圧されて、悠火はそう前置いて自己紹介する。


「わたしは倉橋悠火だね。倉庫の倉に橋で倉橋、悠久の悠に火炎の火で悠火」


「あ……わたしは……春日井ひよりです」


 ひよりも律儀に自己紹介をするがその声は小さく、鈴音にぎりぎり届くほどの音量だった。


「倉橋悠火に、春日井ひより、ね。二人ともCAOのアバターは本名のもじりなんですわね」


「まあね。凝った名前を付けてもどうかなって思ったし、さすがにネタネームでは続ける気にはならないからね」


「ああいうのは人によりけりだからな」


「VR化されてアバターが自分の分身みたいな感じがするし、あまりにも突飛な名前の人とか見たらこういう人ってどうしてこんな名前にしたんだろうって思うよね」


「ですわね。NINGAには悪いとは思いますが」


「おいやめろ。ニンジャをネタにするのはやめてさしあげろ」


「あはは。リーンは鈴音で良いんだよね?」


「そ、そうですわね。一応自己紹介するとわたくしは神宮(しんぐう)鈴音ですけれども……特別に鈴音で良いですわよ?」


「あは、よろしくね、鈴音。わたしも悠火でいいから」


「因みに俺は久我(かなめ)だ。こっちは向こうと同じ久我で良いからな」


「うん、久我もよろしくね」


 ――そんな風に。


 悠火たちが楽しそうに自己紹介の言葉を交わす中で、ひよりはずっと祈るような気持ちで握りっぱなしになっている悠火の手を見つめていた。


 手と手の繋がりを見ていないと、自分だけがまるで別の場所に取り残されてしまっているように感じて、ただ祈るように、ずっと悠火の手を見つめていた。


 いつでも自分を引っ張ってくれた手。


 握りしめていないとすぐにでもどこかに行ってしまいそうな気がして、ひよりはその手を強く握りしめようとするが、けれども込めようとした力は身体から抜け落ちて入らず、悠火の手はひよりの手からするりとほどけてゆく。


 自分のわがままで、悠火に迷惑をかけることが怖くて。


 悠火の手を繋ぎとめるだけの力がひよりにはなかった。


「そういえば」


 だから、そう前置いた悠火の次の言葉は想像に容易かった。


 欠橋悠姫という人物と接し、倉橋悠火という人物と出会い、ひよりは彼女の性格を良く知っていて、だからこそ心を砕くような嫌な予感というのは否応なく的中してしまう。


「リーン……じゃないや、鈴音とかはこの後どうするの?」


「こ、この後は、特に予定はありませんわよ?」


「まあ、ぶらぶらするだけだったしな」


 ずきりと、ひよりの心に鋭い痛みが走る。


 人の良い悠火のことだから、こうして出会ってしまったからには鈴音と久我を無視して行くことなんて出来ないとわかっていた。けれどもわかっていたところで感情を止める術などひよりは持っていなかった。


 それほどまでにひよりにとって今日という日は特別な日であり、また特別な日であるようにしようと意気込んで来ていたのだから。


「じゃあ――」


「っ、ダメですっ! ゆうちゃんは――っ」


 言葉を遮ったひよりの声は驚くほどに強く、そして何より悲痛な色を帯びていた。


 その場に居た誰もが、唐突に発せられたひよりの叫びに言葉を返せなかった。


 声の大きさだけでなく、そこに込められた感情が痛いほどに伝わって来て、誰もが声を出すことも動くことも出来ずにいた。


「……ひ、ひよりん?」


 そんな硬直からいち早く抜け出せたのは隣の悠火だった。


 恐る恐るかけられた声に、ひよりの身体がびくりと震える。


 一瞬の視線の交錯。


「あ……わ、わたし……」


 けれども向き合う強さなんて、ひよりには無く。


「……ごめんなさいっ」


「え!? ひ、ひよりん! どこいくの!」


 ――ひよりはその場から、逃げ出した。





 悠火にとってはひよりの叫びは本当に唐突過ぎて、走り去ってゆく背中をわけもわからず呆然と見送ることしかできなかった。


「か、欠橋悠姫……ひよりさんは、どうしたんですの?」


「わ、わかんない……」


「あー……」


 三人の中で一番年長である久我だけは何か心当たりがあるのか苦い顔で間延びした声をあげていた。


「……なんですの、久我。何か心当たりがありますの?」


「……いや。なんでもないぞ?」


「嘘おっしゃい。あなたは嘘を吐く時首を傾げる癖がありますのよ」


「いやいや、本当になんでもないから勘ぐるなよ」


 そう言いながらも久我には何故ひよりが走り去っていったのかの見当はついていた。


 途中で悠火が、リーンも誘えばよかったね、と言った時にひよりの身体が強張っていたことを久我は目敏く察知していた。


 一歩離れて見ているとそういうものは気が付きやすいもので、だからこそわざとらしいと思いながらも久我は素知らぬふりをしている。


 ……うちのお嬢様は空気読めない割に、傷付きやすからな。


 もしも久我が言ったら、鈴音が気に病んでしまうことは簡単に想像できる。


 だから久我は聞かれても知らぬで通すつもりだったし、仮に悠火に聞かれたとしても同じように知らぬ存じぬで通すつもりだった。


 が、


「ユウヒ様っ!」


「え、な、なに、え? し、紫亜!?」


 悠火が声に振り返ると、そこには紫亜が立っていた。


 そして悠火が何でここに紫亜が居るのだろうかと思うそれよりも早く、


「何してるんですか! ひよりさんを追ってください!」


「え、え?」


「今ならまだ間に合います! ユウヒ様……見失ったら、もう見つけられないかもしれないんですよ!」


「……っ!」


 紫亜のそれは、もしかしたら過去の自分と重ね合わせていたのかもしれない。


 唐突に悠火が居なくなった一年前。その時のことと。


「ごめん、リーン……じゃなくて、鈴音」


「ど、どういうことですの? ちょ、か、欠橋悠姫!」


「戻ったらちゃんと説明するから!」


 そう言い残して、悠火はひよりが駆けだしていった方向へと向かって走り始める。


「……い、一体なんですの? というよりも……」


 残されたリーンは振り返り、紫亜と、その後ろからやれやれと言った風体でやってくる男へと視線を向ける。


「……あなた、シアですの?」


「えーっと……」


 火急の事態に後先考えずに出てきてしまったが、矛先を向けられた紫亜は苦笑いを浮かべながらこの状況をどう説明するべきかと、頭を悩ませることになるのだった。





「ひよりん!」


「っ、ゆ、ゆうちゃん……」


「やっと……はぁ……はぁ……追いついた」


 一瞬だけ逃げようとした素振りを見せたものの、腕を掴まれた今の状況だとそれも無駄だと思ったのか、ひよりは身体から力を抜いて所在無さ気に視線を伏せた。


 可愛い女の子が二人、複雑そうな雰囲気を出しているというのは目を引くものなのか、楽し気なBGMに交じって好奇の視線を感じて、悠火はどこかに落ち着ける場所はないかと、息を整えながら周囲を見回す。


 結構な距離を走って来たのか、コラボエリアから隣のエリアに移動していたらしく、近くには大きな観覧車が回っていた。


「……ひよりん、ちょっと観覧車にでも、乗ろっか」


「……はい」


 少しだけ並んで待って、悠火とひよりは観覧車へと乗り込む。


 まるで時間を置き去りにしたかのように観覧車はゆっくりと、ゆっくりと回り始める。


 そこでひよりと向き合い、悠火はやっと、PV記念館に入ってから自分がずっとひよりのことを見ていなかったことに気が付いた。


 沈黙で向き合うひよりの表情は、とても辛そうで、今にも泣きそうに歪んでいた。


「…………」


 少し前まで出てきていた言葉は全て失われ、沈黙は無限の強制力を持って悠火から言葉を奪ってゆく。


 日常的なコミュニケーション能力が圧倒的に欠けている悠火には、こんな時にどんな顔をして、どんな言葉を返せばいいのかわからなかった。


 それでなくとも女の子に泣かれた経験などほとんどないのだ。


 何か言葉をかけなければ何も始まらないとわかっていながらも、今の悠火はCAOの欠橋悠姫ではなく。何かを成す強さも。世界に対する知識も。それこそ泣いている少女にかける言葉一つさえ、持っていなかった。


 答えを探す思考がぐるぐると出口の無い迷路をさまよい続ける。


 そうこうしているうちに観覧車はもう中腹まで差し掛かり、景色は地上から遥か高く……手を伸ばしても届かない空へと差し掛かっている。


 時計でもかかっていれば、間違いなく時計の針が刻む音が響いてくるような気まずい沈黙。


 そうして悠火が沈黙に頭を垂れている間、ひよりも同じように言葉を探していた。


 どんな言葉でも良いから話しかけようとすれども、どの言葉でも間違いな気がして。


 恐怖という悪魔は二人から互いの声を奪い去ってゆく。


 これがもし場所がルカルディアで、悠火が倉橋悠火ではなく欠橋悠姫だったならば迷わず言葉をかけていただろう。


『どうしたの? ひよりん』


 なんて言って、微笑むことも出来ただろう。


 けれども現実の悠火は、彼女とは違い、何の力も持っていない。


 名声も、スキルも、ステータスも、CAOの中の欠橋悠姫が持っているものは何一つ持っていない。


 ――それでも。


 観覧車は空に一番近い場所へと辿り着く。


 夜でもなければ、その先には何も存在しない青空が無限に広がっている。


 彼方を見上げてもそこには空に浮かぶ二つの月も[第一の聖櫃]も存在しない。


 ルカルディアとは違う、現実の空には約束などないが、それでも。


 空に触れた心が、ほんの少しだけ、悠火に力を与えてくれる。


「……ひよりんは……その、リーンとかシアが来たことで怒ってるの?」


 どう問いかけるのが正解なのか、あるいは正解などあるのか、悠火には正直わからなかった。


 緩やかに回る観覧車の中で、ひよりが首を横に振る。


 その動作に、悠火は少しだけほっとする。


 拒絶されたらどうしようかという思いが少しだけ解け、悠火は続けて問いかける。


「……ひよりん、聞いても良い?」


「……はい」


 正しくなかったとしても、何もせずに失ってしまうのは悲しいことだから。


 悠火は擦れ違い行き違ってしまうより、ちゃんと問いかけて向き合いたかった。


 何を問うべきなのか。その答えは少し前に考えていたこととたぶん同じ。


「ひよりんは……何でわたしに会いたいと思ったの?」


 物事の問題なんていつも単純なものだ。


 起こるべくして起こっているその根幹は、いつでも『はじまり』が鍵になっている。


 即ち今回の件で言うならば、ひよりが何故悠火に会いたいと思ったのか、だ。


「わたしは……」


 やがてぽつりと、ひよりの唇から言葉がこぼれる。


「……ゆうちゃんとの、特別な何かが欲しかったんです」


 ……特別な何か?


 心の中で反芻すると意外にもその言葉は悠火の胸の中にあった違和感という隙間にすとんと落ちた気がした。


 ふとした拍子にひよりに見えていた違和感。


 それらのピースがはまっていく音を聞いた気がした。


 特別な何かが欲しかった。


 ――だから。


 出会ってからずっと積極的だったのはそれが理由だった。


 ――だから。


 過去の話をした時に見せた憂いを帯びた表情はそこ(過去)に自分が居なかったからだ。


 ――だから。


 ひよりが言った言葉が脳裏に浮かぶ。


『今日はいっぱいゆうちゃんとの思い出を作って帰るって決めてるんです!』


 特別な何かが欲しくて。


 他の人みたく長い付き合いではないから。


 女の子同士だとわかっていても、まるでアニメのような出会いをしたことから、モンスターに襲われているところを助けられるといったことから、ひよりは悠姫に惹かれていた。


 その感情が恋愛からくるものなのか、友愛からくるものなのか、どちらかはひよりにはわからない。が、その感情が大きなものであることに違いなく。


「VR化以前から繋がっている人達と違って、わたしにはたった少しの思い出しかないです。だからゆうちゃんとの特別な何か……絆が欲しかったんです」


 そう、だからひよりは悠姫と何か特別な時間――絆が欲しかったのだ。


「絆……」


 それは先週浮き彫りになったオンラインゲーマーとしてのプレイヤースキルの差やステータスの差とはまた違う、純粋な積み重ね。


 どうあがいたところで決して埋めることのできない時間の差だった。


 だから、ひよりはそれを欲した。


 誰でもない悠火とだけの時間を、絆を求めたのだ。


「ゆうちゃんと現実で会うことが出来たら、シアさんやリーンさんみたいに、わたしもゆうちゃんの特別になれると思ったんです」


「そんな……特別なんて」


「バカみたい、ですよね」


 言葉を遮って言い顔を上げたひよりの瞳から、頬を伝って雫が落ちる。


 どう見ても無理をしているにもかかわらず、困ったように微笑みながらひよりは泣いていた。


 後から後から溢れ出る涙を止めることが出来ず、雫となってスカートを濡らしてゆく。


「ひよ……」


 言葉をかけようにも、どんな言葉をかければいいのか。


 言葉は形を作る前に泡となって消えてゆく。


「ゆうちゃんが、わたしのことを気にかけてくれていることも……わたしのことを大事に思ってくれていることも、知ってました……」


「う、うん……」


 面と向かって言われると少し恥ずかしい台詞だったが、ひよりの言う通りだ。


 悠火は何かにかけてひよりのことを気にかけていたし、この前の『第一回コロッセオ対抗戦』だって、半分はひよりが傷つけられたことから来る怒りで行い、暗躍していたくらいだ。


 むしろ特別と言うならば、それこそシアがひよりのことを『泥棒猫』やら『女狐』やらと言うくらいに、悠火はひよりを特別扱いしていた。


 ひより自身、悠火がそうやって自分を気にかけてくれているのも知っているし、大事にしてくれているということも知っている。


 それはCAOでの悠火を見れば一目瞭然だ。


 ――だが、そうだとしても。


「それでも……我慢できなかったんです」


 人はよくばりなものだから。


 それはどうしようもなく純粋な気持ちだから。


 どうしても届かない時間があれば、それに代わる何かが欲しくなってしまう。


 それは女の子ならば誰でも求めてしまう願いだ。


「ゆうちゃん、ごめんなさい……」


「そ、そんな……」


 涙に濡れた瞳で謝るひよりの様子に、悠火は胸が締め付けられたかのように苦しくなる。


 謝るべきはむしろ、自分の方なのに。


 気が付く機会なんていくらでもあった。


 それなのに気が付いてあげることが出来なかった。


 悠火自身、ひよりとちゃんと向き合っていたのかと自分に問えば、頷くことなんて出来ない。


 現実の悠火は不器用で、現実での人との付き合い方なんてほとんど知らなくて。


 会うことを安請け合いしてしまって自己嫌悪に陥って、ひよりの気持ちなんて考えたことがなかった。最初にひとこと聞いてあげるくらいにひよりのことを考えていれば、ひよりを泣かせることも辛い気持ちにさせることもなかっただろう。


 今だって、ひよりが自分の気持ちを話してくれているというのに、言葉を探すことに必死で何も言ってあげられない。


 観覧車はもう下りへと差し掛かっていて、二人の時間はもうすぐ終わってしまう。


「……ごめんなさい、ゆうちゃん、さっきのは忘れて――」


「待って、ひよりん! 違う、違うの……わたしは……っ」


 涙を袖で拭いながら、心の傷を隠して、それでも無理矢理に笑みを作ろうとするひよりを見て、悠火はいてもたってもいられなくなって言葉を遮る。


「ゆうちゃん……?」


 傷ついて、自分を隠して、諦めてしまおうとしているひより。


 どうしていいのかわからない。遮ったところで何を言えばいいのかわからない。

けれども、ルカルディアでずっと待っていてくれたフィーネやシアとは違い、ほんの少しのすれ違いで想いを諦めようとしているひよりを見過ごすことなんて、悠火には出来なかった。


 現実も、ルカルディアも同じ。


 ひよりは悠火に本心を聞かせてくれた。


 だから今度は悠火がひよりに応えるべきだった。


「ひよりん、わたし――」


 遊園地を二人で楽しむ未来は、もう失ってしまって取り戻すことが出来ない。


 ひよりが当初欲していた悠火との時間はもう取り戻すことは出来ない。


 ……だったら。


 もしかしたらそれを伝えることで、嫌われてしまうかもしれない。けれども特別な何かが欲しいと言ったひよりに、悠火は今まで誰にも言ったことが無かった秘密を暴露する。


 つまりそれは――


「――わたし、男なの」


 下りの中腹に差し掛かった観覧車の中に、今までとは違った戸惑いの沈黙が流れる。


「……ゆうちゃん、何言ってるんですか? ……こんなにかわいいゆうちゃんが、男の人のはずがないじゃないですか」


 そして直後、思いっきり冷めた目でひよりはそう言って悠火を見ていた。


 今まで悠火が見たことの無いような、ドン引きしたような侮蔑の表情だった。


「や、ほ、ほんとだから、信じてひよりん!」


 しかしひよりがそんな反応をするのも致し方ないだろう。


 明らかに美少女にしか見えない悠火がいきなり自分を男だなんて言い始めたのだ。しかもそれがシリアスな話をしている最中ともなれば、ひよりにしてみればいきなり笑えない冗談を入れられたような気持になってしかるべきと言うべきだ。


 話をしていたのが観覧車の中でもなければ、一気に冷めて立ち去られていてもおかしくない場の空気の冷えようだった。


「そ、そうだ……ほ、ほらひよりん、これっ! 免許証!」


「……すごく女の子です」


「あ、あれぇ!? あっ、免許証には性別入ってないんだった……っ」


 勢いで免許証を見せて証明しようとするものの、映っている写真はどう見ても女の子そのもので、悠火はしまったと続けて財布を漁り保険証を取り出す。


「こ、これ、ほらっ!」


「ほ、本当です……え、偽造……とかじゃないです……?」


「や、スパイじゃないんだから……」


 そこまでひよりには信じられないのか、渡した保険証を凝視しながら悠火を上から下までじっと見つめる。


「ひよりん、そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど……」


 顔を赤くして視線を逸らす様子はどう見ても女の子そのもので、ひよりは余計に混乱してしまう。


「で、でもゆうちゃんが男だったら、何で女の子の格好をしてるんですか?」


 何か理由があるのだろうかとひよりは問うが、しかし、


「それは……その、CAOのVR化が決まったから、女装して女子力を上げようとして……」


「ええ!?」


 口に出してみると、とんでもない理由だった。


 暴露されたひよりも驚きで開いた口がふさがらないらしく、唖然としていた。


「だ、だって、欠橋悠姫は完璧な女の子だったから、わたしもそれに近付かないとって……」


「あ、だから、どっちが先か、だったんですか……」


 途中で倉橋悠火ありきの欠橋悠姫なのか、はたまたその逆なのか、と言っていた容姿の話を思いだしてひよりは呟く。


「で、でも、信じられないです……こんなにかわいいゆうちゃんが、男の人だなんて……」


「ごめんね、騙してたみたいになっちゃって……」


「い、いえっ、そうじゃないですっ、ゆうちゃんが男の人でも、わたしは……で、でもそうだったら今日の手を繋いでたのとか……わ、わたし、とんでもなく大胆な事しちゃってます……!? ひゃあぁぁぁぁ……」


 今日の出来事を思い出したのだろう、ひよりは真っ赤になって顔を覆い、指の隙間から悠火をちらりと見る。


「ご、ごめんね?」


 すまなそうに謝る悠火はどう見ても女の子にしか見えなくて。


「……ゆうちゃん、本当に男の人なんですか?」


「本当に本当だって! さすがに公的書類まではごまかせないからね?」


「むぅ……。でもゆうちゃんどう見ても女の子過ぎです……」


「そう言ってもらえるのはうれしいけど……ってうれしがるところじゃないかもだけど、ちゃんと男だから。……一応」


 一応、と言ってしまうのは普段から自分をあまり男として意識していないからである。


「……他のみんなは、知ってるんですか?」


「や、言ったのはひよりんが初めてだから」


 ひよりの問いに、悠火は腕をばってんにして答える。


 今回言ってみてわかったが、正直、暴露した後、何を言われるか分かったものではないから気が気じゃなかった。ひよりだから言われなかったが、もしも鈴音に言ったりしたら口汚く変態だと罵られそうだ。


 けれどもそれはそれとして紫亜も鈴音も隠し事をしていると後々怖い相手ではあるので、どこかで穏便にさりげなく波風を立てないようにばらしたいところではあるが、どうあってもそんな都合の良い話は通るはずがない。


 ……となれば、するべきことは一つで。


「わ、わたしが初めて……なんですね……」


「うん、だからひよりん……」


「は、はい?」

 少しだけうれしそうに言うひよりに、悠火はいつになく真剣な表情で言葉を続ける。


「わたしが男だって、シアやリーンに絶対ばれないように手伝ってね……」


「ゆ、ゆうちゃん秘密にするんですか?」


「だ、だって! あの二人ばれたら怖いし!」


「えっと、あー……」


 情けないことを大真面目に言う悠火に、ひよりも想像が付いたのかそう言って頷く。


「わ、わかりました! ゆうちゃんの秘密はわたしが守りますっ!」


「ありがとー、ひよりん!」


「ひゃっ……」


 お礼を言いながら手を握ると、少し前まで泣いていたことが嘘のように嬉しそうに赤面するひよりを見て悠火はよかった、とほっとするのも束の間。すぐに次にするべきことを思い出して、若干声のトーンを下げる。


「……じゃあ、戻ったら鈴音にちゃんと説明するって言って来たから、ひよりん、うまいことごまかしてね」


「え」


「てへ?」


「……ゆうちゃん、そこまでは面倒見れませんよ?」


「えー、ひよりん意地悪だー」


 さすがに丸投げしようとしたけれども、それはそれとやんわりと断られて、悠火はいつもの調子を取り戻して言う。


「良いんですか? ゆうちゃん。そんなこと言ったらゆうちゃんの秘密が」


「ちょ、ひよりんそれ反則っ」


「冗談です」


「え、えぇ……ひよりんその冗談は酷いよ……」


 弱みを握られたことに少しだけ後悔しそうになるが、けれどもうれしそうにするひよりを見ると別にいいかな、と、そう思ってしまう時点でやっぱり悠火はひよりに甘いのだろう。


「えへへ」


 ……本当に、ね。


 そう思いながら嬉しそうに笑うひよりを見ていると、観覧車はちょうど下に着いたようで、扉が開かれようとしていた。


「……それじゃ、いこっか」


「はい、ゆうちゃんっ」


 いつも通りに悠火が先に進んで、手を引く関係はまだ同じだけれども、


「あ……ひよりん、手は繋いでいくんだ」


「もちろんです、ゆうちゃん」


 その手はいつもよりも何だか暖かく、ぎゅっと握ってくる力が心地よく感じて、悠火はこのままでも良いかな。と、先にある紫亜と鈴音の追及を想像しながらも今はまだその心地よさに浸ることにする。


「……怒ってないと良いなぁ」


「その時はゆうちゃんを盾にします」


「ちょ、ひよりんひど!」


「ゆうちゃんは前衛だから仕方ないんです」


 そんな風に笑い合いながら、悠火とひよりはみんなが待つコラボエリアへと歩きはじめるのだった。


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