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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第一章[Crescent Ark Online]
3/50

二話[ルカルディアで会いましょう]


 ――久しぶりですね。


 そんな、幻聴を聞くほどに恋焦がれていたのだろうか。


 CAOにログインした悠火は、[ルカルディア]に降り立った瞬間、一瞬の暗転の中でそんな声を聞いた気がした。


 響く声音に込み上げてくる奇妙な懐かしさが残滓となって消えた後、続けて耳に届いたのはガヤガヤと遠くから聞こえる喧噪で、ああ……帰ってきたんだな、と万感の思いがじんわりと身体に染みわたってゆく。


 閉じたままの瞳越しには、これまで幾度も夢見た世界を感じる。


 歓迎するように遠くで響く鐘の音。噴水の水が落ちて弾ける音。景気良く通る声はNPCの商売人の声だろうか。恐らくまだプレイヤーではないはずだ。


 初めてログインするユーザーは、もれなく最初に行われるチュートリアルを受けることになる。


 チュートリアルは様々なインターフェースの説明と[メインクラス]を選ぶことが出来るので、[メインクラス]の引き継ぎを行ったユーザーは一応、チュートリアルを飛ばすことも出来るのだが、VR化して初めてのチュートリアルを飛ばすということは、大きく変わったであろうインターフェースの違いについて知る機会を先延ばしにしてしまうということだ。


 そうなるとチュートリアルを受けたプレイヤーとそうでないプレイヤーとで情報の差が生まれ、それは初期育成の効率という点やプレイスタイルの確立という点において大きな格差となってしまう。


 故に本来ならば、チュートリアルを飛ばすようなことはしない方が良いのだが、しかしそんなアドバンテージを背負うことを承知の上で、悠火――いやこの世界では[欠橋悠姫]か――は、チュートリアルを受けること無くCAOのこの世界、[ルカルディア]へとログインしたのだ。


 多くのMMORPGが排出されていた時代。


 そのほとんどのタイトルがチュートリアルから繋がるクエストでレベルを上げることが出来るものばかりで、もっと言えばクエストを延々とこなすことによって一定のレベルまで一気にあげてしまうことなども可能だった。


 これは一定のレベルまで上げてしまえることによってインターフェースに慣れさせて、さらにはステータスの向上やスキルを修得させることによって中盤以降のダンジョンやフィールドでパーティを組んで遊びやすくする為の運営の配慮……なのだろうがVR化前のCAOにはそんな誰の為になるのかわからない配慮は無く、チュートリアルとは文字通りの基本操作を教える為だけのプログラムでしかなかった。


 初期のレベル上げをチュートリアルからのクエストで出来ない自由度に戸惑うプレイヤーも多かったが、しかし逆に言えばそれは初期段階から他のプレイヤーと協力し合ってレベル上げをすることが出来るということだ。


 ぼっち気質のソロプレイヤーやコミュ障にはかなり厳しいハードルではあるが、CAOでは中盤からのレベル上げをする場合、ソロではかなり効率も悪く、また厳しい狩場が多い為、どの道どこかでパーティを組める相手を見つけるしかないのだ。


 もちろん一時的なパーティの募集……いわゆる臨時パーティの募集なども盛んなので、パーティを組んで狩りに行くだけならば難易度はさほど高くはない。


 そしてそれはVR化してからも、恐らく変わることはないだろうと悠姫は踏んでいた。


 元々VR化を見越してのシステムが多かったCAOで、いまさら一新する必要なんてありはしないだろうと思う。


 ――と、ここまでが建前。


 色々と理由を付けてみても、実際はただ単純に、悠姫は誰よりも先にCAOの世界、[ルカルディア]が見たかったのだ。


 何度も想像した世界を、見て、肌で感じて、誰よりも早く[ルカルディア]に触れたい。


 ただその一念でチュートリアルをすっとばしてログインしたに過ぎない。


 だが期待というのは同時に大きな影を作り出す。


 固く閉じられた瞳。


 もし目を開けてしまったら、夢が覚めてしまうのではないのだろうか。


 開けた先にある風景が、もし仮に幾星霜も夢見た世界と大きく異なっていたら?


 楽園と言われたバックグラウンドを持つ[ルカルディア]。


 ――かつて六日(悠久の時)で世界(ルカルディア)を創った神々は、最後の一日(刹那)で世界(ルカルディア)を捨てた。


 神々が何を見て、何を想い、何故ルカルディアを棄てたのかは、諸説あれどもどれも明確な歴史としては世界に残されておらず、情操教育の一環のように大陸ごとに異なった歴史が紡がれ、残された人類にとって都合の良い物語が綴られているだけだ。


 その中でも他の四つの大陸の文化を取り入れた中央大陸、シルフォニア大陸に記された歴史書にはこう記されている。


『神々の時代に空を覆っていた方舟。

[欠けた十一の聖櫃(クレセントアーク)]によって世界から神々が消えたその日。

 神々によって繁栄していた大地は祝福を失い、中央のシルフォニア大陸を初めとした4つの大陸全土は異界からの脅威に襲われることとなった。

 突如として人類に牙を剥き始めた悪魔や魔物や魔獣。中にはかつて神々に仕えていたはずの神獣の姿もその中にはあり、楽園に生きてきた人々にはその異界からの脅威に抗う力が存在せず、世界の滅亡はもはや避けられぬものと思われていた……。

 しかし、世界を捨てた神々の全員が、この世界を見限った訳ではなかった。

世界を去った[欠けた十一の聖櫃]とは、元は[十二の聖櫃]からなる神々の住まう方舟で、その十二の神々が各々の権能を使い、この[ルカルディア]という世界を創ったのだ。

 そしてそのうちの残された一つの聖櫃が、世界に人を創りし[第一の聖櫃(クラリシア=フィルネオス)]であり、世界を祝福していた十二の神々のうち、彼女だけがルカルディアを見捨てることなく、空の遙か彼方にその方舟を浮かべ、新しい人類を創り上げたのだ。』



 そう、それがオンラインゲームで指し示すところのプレイヤーのことだ。


 公式ホームページの紹介を見れば大まかなバックグラウンドを読み解くことが出来るが、けれども運営の遊び心か、はたまた後のクエストにでも関わって来るのか、こうした細かな歴史は[ルカルディア]の図書館を読み漁らないと決して知り得ない知識である。


 そしてネットゲーマーという人種……とりわけ廃人と称される者にとってはそうしたバックグラウンドなどさほど意味を成すものではない。


 例え世界に歴史があったとしても、そこにモンスターが居ればとりあえず攻撃して行動パターンを分析し、経験値が貰えるならば何万、何十万匹でも狩り、レアアイテムを落とすならばどれだけぶっとんだステータスを持つボスだろうと攻略する。


 それがオンラインゲームにおいての廃人と称される人種であり、そういった人達ならば今の悠姫のように世界を見ることだけに悩んだりはしないだろう。


[ルカルディア]という世界を切望していても、その世界や歴史を熟知している者などはそう居ない。それこそ悠姫のように各所の図書館へ通い詰めていた変人以外は。


 ……もしもCAOの運営であるLOEが、残念な造り込みをしていたら。


 普段のLOEの仕事ぶりを見る限りはその線は薄いと思われるが、それでも世の中、絶対ということはない。


[ルカルディア]に存在する歴史を頭から信じきって、この世界が本当に神々の手によって創られたのだと考えられるほど、悠姫はメルヘンな思考をしていない。


 この世界のことを好きで[ルカルディア]の歴史についてどのプレイヤーよりも熟知しているという自負はあるけれども、どのプレイヤーよりも世界を知っているからこそ悠姫はこの[ルカルディア]が人の手によって創られた世界なのだと嫌というほど理解している。


「……世界を救うだけならば、一人の英雄が聖剣を振るえばそれで終わり」


 ぽつりと呟いた言葉は、闇の中だけに残されて消えゆく。


 世界を救いたいならば、多くのプレイヤーなんて端から必要ないのだ。


 けれどもCAOに限らずオンラインゲームのメソッドというものは、誰もが英雄となることが出来る可能性を秘めており、誰もが世界を楽しむ権利を有している。


 初めは弱く、モンスターと戦って強くなって、誰かと協力してダンジョンを攻略して成長し、見たこともない武器を手に入れ、仲間と共に自分の物語を紡いでゆく。


 特別な一人が世界を救うのではなく、誰もが英雄足り得る世界だからこそ、オンラインゲームの世界とは多くの人々の心を惹き付けるのだ。


「……うん、そうだよね」


 呟いて、悠姫は恐れながらも、緋色の瞳をゆっくりと開いてゆく。

瞬間、悠姫を取り囲む膨大な世界の情報が、瞳を通して脳に流れ込んでくる。


 シルフォニア大陸の首都セインフォートの中心。大きな噴水の前に広がる風景。


 悠姫も幾度となく見たことのある風景だったが、パソコンの画面越しに存在したセインフォートの円形広場とは違い、悠姫の背の高さをゆうに越す高さの内壁や東西南北に口を開けた門が厳かに鎮座し、そこをNPCであろう人々や荷馬車などが行き来している。


 広場の各所では、夜になれば明かりが灯って都市を彩る街灯の下にNPCのお店が並んでおり、先ほど聞こえていた声の主はNPCの商売人の声らしく、香しい匂いにつられてそちらを見てみると、美味しそうな串焼きを販売している屋台が目に映った。吊るされた獣は見たことのない姿をしており、如何にもファンタジー世界といった風景だ。


 視線を下した足下には綺麗に並ぶ鈍色のタイルが一部の乱れもなく綺麗に敷き詰められていて、振り返って見えた、流れる噴水の水の質感は、良く見てみても現実のそれと変わらないほど精巧に見えて運営の細かい作りこみが伺える。


 そうだ。と思い、悠姫は遥か空を見上げる。 


 見上げた先には、彼方にうっすらとした月が二つ重なって存在し……ソレを探して見た方角の空には小さく[第一の聖櫃]が浮かんでいた。


 ――薄っぺらなモニターの中にあったCGとは違う。


 手を伸ばせば、空にさえ手が届きそうなほどの圧倒的な存在感。


 恋焦がれた世界がまさに手の届くところ、眼前に広がっていた。


「わ……うわぁ! ……ファンタジーっ! [ルカルディア]よ、わたしは帰ってきた!」


 テンションが完全に振り切れて、思わず地が出てしまっていた。


「……はっ! いけないいけない……」


 叫んでからはっとなって、悠姫はあわてて周囲を見回し、ぱっと見た感じ、まだプレイヤーの姿は見つからなく、ほっと息をつく。外聞も気にせずはしゃぐ姿を見られてしまっては、せっかくのこの一年の研鑽が水泡に帰してしまうところだった。


 そう思ってはいても、内からどんどん溢れ出てくる感情を押し殺すことは出来ない。


 悠姫はとりあえずその場から離れて人気のない所を目指そうと、セインフォートの南西へと向かって、見知った道を歩き出す。


「ふんふんふーん……あ、そうだ」


 鼻歌交じりの軽快な足取りで歩きながら、悠姫はついでだからインターフェースの違いを確認することにする。


「[システムコール]」


 チュートリアルを受けなくても、公式の特設サイトにぼかされた情報は記載されている。


 昨晩のうちにその情報を全て頭の中に叩き込んでいる悠姫は、その記憶を元にシステムの解析を進めてゆく。


 現れたウィンドウをざっと見てVR化前とそこまで配置に違いが無いことと[メインクラス]の引き継ぎがちゃんと成されていることを確認した後に、次に悠姫はスキルのパネルを操作してスキルツリーの確認を行う。


「あ、やっぱりそうなってるんだ」


 このVR化大型アップデートの事前情報で[メインクラス]の引き継ぎに関して明記されていない点があった。

 既存プレイヤーに対して、[メインクラス]の引き継ぎが可能であることは一年前の告知の段階でわかってはいたが、当然ユーザーが引き継ぎによって引き継ぐ[メインクラス]は転生後に得られる[ユニーククラス]であることが多く、そうなれば[ユニーククラス]を引き継いだ場合の必要経験値が転生後のものと同じになるのか? ステータス補正やスキル習得などはどうなるのだろうか? その点についての明記は無かったのだ。


 大部分のユーザーの見解では必要経験値は未転生の据え置きで、ステータス補正やスキル修得には制限が掛かるようになるだろうと推測されていたが、やはりその通りだった。


「ステータス補正に関してはレベルを上げてみないことにはわからないけど……スキルは修得可能ジョブレベルが設定されたってことね。妥当なところかな」


 呟きながら、悠姫は次にステータス欄の必要経験値を見る。そこにある次のレベルまで100EXPという数値を見て、必要経験値も未転生の状態と変わらないことを確認する。


「あれ?」


 と、そこでようやく操作する左手に目が行って、悠姫は疑問の声を漏らす。

現実の肌のように白い手には黒いグローブが装着されており、手首にはルーン文字が刻印された銀の装飾があった。


 明らかに初期装備では有り得ない豪華さ。悠姫の記憶が正しければ要求レベルが90くらいは必要な、[雷墜ちの洞穴]のボスがドロップするレアアイテムだったはず。


「……あ。もしかして」


 直後思い当たった可能性にきょろきょろと周りを見回して、悠姫は近くにショーウインドウを見つけて駆け寄る。


「あー……」


 そしてそこに映されていた自分の姿に、悠姫は苦い物を噛んだような顔をして間延びした声をあげた。


 編み込みでまとめられた真紅の髪と、アクセントとなる細かな宝石細工が施された翡翠の髪留め。頬から流れる一房を纏める民族衣装の装飾にあるようなリボン。首にはシンプルながらも小さなシルバーの紋様が施された黒いチョーカー。上半身に纏うのは神話の世界から抜けて出来たような緋と白が織りなす戦乙女の軽甲冑。腰にはいかにも聖騎士が持っていそうな細かな装飾が施された片手直剣の鞘が下げられており、繋がるスカートも短めのフリルが施された布地と甲冑が混じった仕様だ。そこから黒のニーソが細い足を包む銀の具足へと繋がる。


 その容姿はどこからどう見ても一年前に引退した時の見た目そのままで、悠姫は「そんなのもあったなぁ」と呟きながら[衣装装備]についての記憶を掘り起こしシステムウインドウを操作して装備欄を表示する。


[木綿の服][ナイフ][靴]。


 そこに表示されている見事なまでの初期装備はさておき、悠姫は続けて右上にある⇔をタッチして衣装装備欄を表示させる。


 この衣装装備とはVR化することを見越して作られていたシステムの一つで、MMORPGだった時代にはキャラクターの動きの妨げにならなかったフルプレートや手枷足枷といった装備がVRとなるとアバターの行動や視界の阻害に繋がることがあるということで導入されたシステムだ。


 しかし衣装装備システムには反対意見も多少有り、視界や動きの妨げになることも含めてそういった装備の醍醐味であると主張する者も多少は居たが、運営会社のLOEが企業のファッションを取り入れて販促を行うことによって融資を得るという裏事情もあり、どちらにせよそういった醍醐味を味わいたければ衣装装備を着なければいいだけの話でもあるので反対意見は封殺されていた。


 ともあれ衣装装備システム自体は概ね良い方向へと転がっていて、大量の資産を抱えている廃プレイヤーのみならず、チャットをメインとしているようなライトユーザーにも手に入れやすい値段設定の物も多く実装され、首都セインフォートのように人が集まる大きな都市ではプレイヤーズイベントでファッションコンテストなども開催されていたくらいだ。


 衣装装備は普通の装備とは違い見た目だけの装備になるので、普通の装備品のようにステータスが上がるようなものはない。引き継ぎの項目には[衣装装備]の引き継ぎなど書かれていなかったので最初から無いものと考えていたのだが、どうやら装備していた衣装装備もそのまま引き継がれているようだ。


「運営のサプライズ? ……にしても、ううん……けどそのままでも何の不都合もないんだけど……でもなぁ……」


 悠姫はうんうん唸りながら考える。


 普通に考えればお気に入りの衣装装備が引き継がれているのだから喜ぶべきところなのだろうが、これはさすがに気合いが入りすぎではないだろうかと思わざるを得ない。


「見た目だけ良くてもにゃー」


[聖騎士の銀鞘]などという大仰な名前の鞘で、抜いてみたらナイフ程度の刃先しかないとかただのコントだ。


「このままだと、公式にあるSS(スクリーンショット)の見た目のままだしにゃー」


 にゃーにゃーと猫化しながら名残惜しさをかみ殺し、悠姫はぽいぽいと[衣装:白銀の小手]やら[衣装:ロードグリーブ]やら[衣装:聖騎士の剣]やらの見た目装備を外してゆく。


 悠姫でなくても衣装装備のフル装備などしていたら目立つだろうし、かつての[欠橋悠姫]の姿のままでいたらそれこそ衆目を集めて仕方ない。


 名前はそのままなのでいずればれることは仕方ないが、けれども今はまだ純粋に[ルカルディア]を楽しみたいので目立つ真似は避けたいところだ。


「髪留めと、リングはそのままでいっか」


 衣装装備を粗方外し終え、少しだけ考えて[衣装:乙女の髪留め]と右手の[衣装:紫水晶の指輪]だけはそのままにしておいた。


「さてさて……うん、こんなもんだね」


 言いながらショーウィンドウに随分みすぼらしくなった全身を映し、悠姫はうんうんと頷く。編み込みで纏められた真紅の髪はそのままだが、服装は木綿の服の上下に腰には小さな鞘にナイフが収められており、靴に包まれた足も素足のままだ。


[衣装:乙女の髪留め]や[衣装:紫水晶の指輪]があると言えばあるが、それに気が付かなければ十中八九新規プレイヤーと間違われるだろう。


 そんな悠姫の表情に浮かぶのは先ほどのような苦い顔では無くむしろ満面の笑顔。


「やっぱり最初はこうじゃないとね!」


 せっかく衣装装備を引き継げたにもかかわらずの言葉に、新規プレイヤーが聞いたら「何を言ってるんだろうこの人」と思う事請け合いだ。


 既存のCAOプレイヤーならば、悠姫のように「初めはやっぱり初期装備から」という言葉に共感出来るユーザーも居るだろうが、それもごく一部だろう。


 髪留めと指輪を付けているのは一応新規プレイヤーとそうじゃないプレイヤーとの見分けがつくようにという配慮であるが、それもそもそもどこに向けての配慮なのか。


「よーし、じゃあさいしゅっぱつー」


 舌足らずに言ってみたら、視界の左下のところに出していたログウインドウにひらがなで表示されていた。ニュアンスによって変わるのか、それとも思考によって変わるのか、細かいところはわからないけどこれも要検証かな、と心の中でメモをして悠姫は再び歩きはじめる。


 向かうはセインフォートの南西の図書館へと向かって。





 さて。結果だけ言うと、悠姫が図書館へとたどり着いたのはその一時間後のことだった。


 原因の半分はMMOからVRに変化したことで都市内の移動距離が伸びたことにあるが……残念ながらそれはわずかながらの原因だけで、むしろ7~8割くらいは別の理由が原因だった。


 セインフォートの中心の円形広場から、南西にある図書館までの移動距離は走れば5分ほど、スキップならば7分、歩いても10分ほどでたどり着く距離だ。


 悠姫が図書館までの道のりに1時間もの時間がかかったのは、周囲の風景や建物に心を奪われて目を輝かせながら歩いていたからに他ならない。


 MMOだった頃には存在しなかった、あるいはただの背景だった家にも窓から見える内装がちゃんと存在していて、100%不審者でしかないが、良く見てみればそこに住まうNPCの日常が伺える。


 VR化前なら当然のように流れていたBGM(バックグラウンドミュージック)も流れてはいなく、本当に異世界に迷い込んだのではないかという錯覚してしまう。


 今までモニター越しに見ていた[ルカルディア]の風景とは全然違う。


 綺麗なCGを駆使して究極のリアリティ等といった煽りでユーザーを獲得しようとするネトゲは良く「ネトゲにリアリティなんて求めていない」と揶揄されるが、それは画面越しの世界に対してだから言えることで、この[ルカルディア]という幻想世界に実際に降り立ってしまえばそんな言葉は彼方へと葬り去られてしまうことだろう。


 楽園とまで呼ばれる世界、[ルカルディア]。


 人々の空想から生まれた架空の楽園が唯一無二の概念の境界線を越えて、いま現実を浸食している。


 見上げれば空に浮かぶ箱舟が、重なり会った二つの月が見える。


 手を伸ばせば材質のわからないなめらかな質感の家屋の壁を触ることが出来る。


 耳を澄ませば聞いたことのない単語を交わし合う人々の言葉を聞くことが出来る。


 匂いを辿れば風に導かれて漂うおいしそうな食べ物の匂いがする。


 なけなしのお金で食べ物を食べれば、今まで食べたことの無いような歯ごたえと味を感じることが出来た。完璧な無駄遣いだった。


 悠姫だけに限らず、CAOにログインしたユーザーはみんな、この[ルカルディア]という世界を感じ取ることが出来るのだ。


 小さなフレームの中にしか存在しなかった世界に実際に降り立ち、見て、そこに存在する全てに触れ、住まう人々の声を聞き、構築される匂いや味を感じることが出来る。


 悠姫が目移りや寄り道してしまうのも仕方ないことだろう。


 当初の人の居ない所へと行くという目的を半分失いつつも、目的地である図書館へとたどり着いた悠姫はかつてVR化前にあった図書館の変わり果てた姿に思わず呟いた。


「どういうことなの」


 思わず素で突っ込んだ。


 VR化以前、そこにあったのは白塗りの壁の家屋を申し訳程度にサイズ拡大し、図書館の看板がかけられただけの地味な建築物だった。


 セインフォートの図書館はクエストの類でもほとんど立ち寄ることが無く、下手をすればセインフォートの図書館の位置を知らないプレイヤーの方が多いのではないだろうか、という知名度の低い建物だった。


 それなのにだ。


 悠姫が今見上げている図書館はまるで古ぼけた洋館のような、見る人を不安にさせるような陰鬱とした雰囲気を放っており、敷地内もどう見ても人の手が入っていないように見え、申し訳程度に図書館の看板がかけられてはいるものの、正直初見では図書館とは気がつかれない様相だ。


「えぇ……」


 おっかなびっくり。恐る恐る荒れ果てた敷地内の小さな庭を跨ぎ、かつては豪華な装飾が施されていたであろうが、今は錆びついて見る影も無くなった両開きの扉に手を当てて押してみると、ギギギギ……ゴォン……とまるで魔王城にでもやってきたのかとでも言わんがばかりの音を立てて扉が開いた。


 ……運営はいったいこの図書館をどうしたいのか。


 正直建物を差し替え間違えたのではないだろうかと疑ってしまう外装だ。


 それでも気を取り直して、悠姫は中へと足を踏み入れる。


「おー……」


 足を踏み入れた図書館の中はどこか薄暗く、左脇に備え付けられたカウンターにNPCの女性が一人居る以外は人の姿は存在しない。


 というより、外観とのギャップに戸惑いを隠せないくらい中は普通で、悠姫はこれって本当に建物の差し替えを間違えただけなんじゃないのか、と思わざるを得ない。


 記憶をなぞるように数歩進んで、悠姫はかつてたまり場として使っていた小さな共用ソファが備え付けられていた空間へと視線を向ける。


「――え?」


 ――と、そこで悠姫は、時間が止まったと錯覚するほどに、完全にそこに居た人物へと意識が奪われた。

一番初めに瞳が捉えたのは、まるで飲み込まれそうなくらいに透き通るような青く澄んだ瞳で、そこから次いで見えたのは柔らかそうな銀色の髪。――の上にぴこぴこと動く猫耳。銀髪と同じ銀色の猫耳。コスプレのような付けた猫耳ではなく、紛う事なき猫耳。比類なき極上の猫耳だ。


 CAOでは、アバターを作る時、初めに種族を選択することが出来る。


 彼女のその外見、猫耳から察するに、恐らく彼女は[亜人族(ミクシス)]だろう。


 ソファに腰掛けた状態で固まる少女の背丈は悠姫と同じくらいで、プレイヤーネームはまだ少女が言葉を発していないのでわからないが、その姿に悠姫の脳裏に焼き付いた記憶がフラッシュバックする。


「あ……」


 空色と白で出来たかなりきわどい修道服。そしてこの図書館に居ること。そして猫耳。


 そこから導き出された人物の名が、記憶の中から浮かび上がる。


「もしかして……シア?」


 ほとんど無意識に、悠姫は視線の絡み合う少女の名前を呼んでいた。


 呼んだ瞬間少女の猫耳がぴくっと跳ねた。あ、かわいい。


 猫耳とは別に少女の反応はというと、驚きに目を見開いたまま悠姫をじっと見て、恐る恐るといった感じに口を開いた。


「ユウヒ……様……?」


 リアルと名前の読みが一緒だけに、様付けで呼ばれるとなんだかこそばゆい気分になる。

悠姫は懐かしい呼び方に視界の左下にあるログウインドウを確認して、やはり自分の直感が正しかったことを知る。


 ログにある発言者を示す[リーシア]と書かれたキャラクターネーム。


 それはかつて悠姫がギルドマスターを務めていたギルドに所属していたギルドメンバーの名前だった。


 見た目もそのまま、猫耳ヒーラーとして親しまれていた頃のままで、だからこそ悠姫は乾いた空気の図書館の中で少しの気まずさを押し隠すように微笑んだ。


「……久しぶりだね、シア」


 一年前。


 CAOを休止することを決意した悠姫は、ギルドのメンバーにも誰にもそのことを告げずに[ルカルディア]から姿を消した。


 それは休止することであれこれ理由を聞かれたり騒がれるのが好きでなかったということもあるが、一番の理由は引き留められでもしたら決心が鈍ってしまうと思ったからだ。


「…………」


 リーシア――シアはその瞳に捕えようのない色を浮かべてじっと悠姫を見つめる。


 ――オンラインゲームの世界というのは居心地の良い場所である。


 気心の知れた相手同士がまとまって作ったギルドならばなおさらそう。


 現実の絆と同じように、話しているだけで楽しくなれるようなそんな関係。


 声も顔も性別さえもわからないゲーム内のキャラクターなのに何を馬鹿なことを言っているんだとせせら笑う人もいるかもしれない。


 けれども現実もオンラインゲームも根底は同じだ。


 共に何かを成した相手との絆というのは決して偽りではなく、それはオンラインゲームの方が容易に成し得る出来事であって、狩りに行ったり、イベントに参加したり、クエストを攻略したり、目的に向かってみんなで協力したことで生まれる絆というのは、時に現実世界での絆より深く結びついて繋がってゆくこともある。


 悠姫にとってギルドメンバーの一人であるシアも、同じような関係だった。


「そう……だよね」


 けれども、だからこそ。


 ――悠姫のことを許せない者も居るだろうことも、悠姫は覚悟していた。


 オンラインゲームでは絆を作ることが簡単なように、その逆もまた然り。絆が途切れることも至極簡単である。


 ましてや悠姫は一年間もの間、仲間に何も言わずに休止していたのだ。


 各々理由があるのだから気にしない者も居るだろうが、けれどもそうじゃない者も確実に存在する。


 それは、親しかった間柄なら余計そうなってもおかしくはない。


 少なくとも目の前に居るシアには、その権利が……悠姫を糾弾する権利があった。


「――ユウヒ様っ!」


 だがシアから向けられたのは予想していた辛辣な言葉の刃ではなく――いきなり抱き付いてくるという行動だった。


「きゃっ!?」


 咄嗟にかわいらしい声が出てしまったのは、日頃の訓練の賜物だろうが、いくら日々女の子らしく振る舞っていたとしても、さすがの悠姫にも女性同士のスキンシップに対して免疫や耐性はない。


「ちょ、ま、ちょっと待って、シア、離れて!」


「いやです! ふあああ……ユウヒ様! ユウヒ様! ユウヒ様!」


 いきなり抱きつかれて焦る悠姫に、シアは追い打ちをかけるように胸に顔を埋めながら頬ずりをしてくる。仮想世界だというのに、触れられた箇所が体温を持っているように熱く、頭に血が昇り、思考が覚束なくなってゆく。


「やっ……シア、ダメそんな……っ」


 頬にかすかに当たる銀色の猫耳がくすぐったく、シアも悠姫も二人ともが別の意味で我を見失い状況に流される、そんな中。


「お、落ち着いてシア! って、え? な、なに?」


 悠姫の視界に、それは唐突に現れた。


「ふぁぁぁ……はすはす……ユウヒ様の匂い……」


「なにしてるのシア!?」


 目の前にいきなり現れたYES/NOの文字。


 ――先にフォローをしておくならば、悠姫もいきなり抱きつかれてテンパっていたのだ。


 それどころではない、と、とりあえずログを流す癖でYESを押して画面を消そうとしたのがいけなかった。YESを選択した瞬間、[警告!]の赤い文字がかすかに見えた。


 そしてその下にはなにやら細かい文字で『リーシアさんをハラスメントで送還しますか?』等と物騒な文面があったような……?


「ちょ……え、ええ!? ユウヒ様!? うええええぇぇぇぇ!?」


「あ、ちがっ」


 訂正しようと思ったけれども、それはもはや後の祭りだった。


「ぇぇぇ…………」


 と、悲鳴の残響だけを残してシアの姿が光と共に消えてゆき、後には乾いた空気の静けさだけが残った。


「…………てへ?」


 てへぺろしてみたが、事態が変わるはずがなく。


 やっちゃったー。と思いながら悠姫はそっと視線を逸らした。


 逸らした視線の先では、カウンターに座ったNPCの女性が無言で悠姫を見つめていた。





 その後初日で忙しいであろうLOEに申し訳なく思いながらもシアのハラスメントの送還が間違いだったとメールを送り、再びシアと会うことが出来た頃には、もう時間は12時になってしまっていた。


「しくしく……酷いです……」


「……ほんとごめんね」


 そして再びセインフォートの図書館。


 さめざめと泣くシアに、悠姫はずっと頭を下げていた。


「まさか久々に会ったユウヒ様に、監獄送りにされるなんて思いませんでした……」


「わたしも夢にも思わなかったけど……でも、シアがいきなり抱きついてきたりするからびっくりしちゃったんだよ?」


「女の子同士だったら別に問題ないです!」


「そ、そうなの? で、でも、女の子同士でも頬ずりしたり匂い嗅いだりはちょっとどうかと思うけど……」


 女の子同士の常識などには疎い悠姫でも、さすがにシアのそれはスキンシップと表現には過剰すぎると思う。


「いいじゃないですか、はぐはぐすりすりはすはすしても! ペロペロはしてないですから!」


「あー、シアって感じがするー」


「何故か和まれました!?」


 ギルドのメンバーの中で仲が良かったと自負はしているが、どうもシアには少し百合の気があるように思えてしかたなかったのだがそれは間違いじゃなかったようだ。


 むしろガチの気配を感じて、悠姫は心底気をつけようと思った。


「ところで、シアはなんでまた図書館に居たの?」


「それはだって、わたしはずっとここでユウヒ様の帰りを一歩も外に出ずに待っていましたから……って、なんで後ずさるんですか!?」


 加えてヤンデレだった。無言で後ずさる悠姫にシアは一歩距離を詰め寄る。


「え、だって一年だよ? 一年間もずっとここで待ってたの……?」


「どん引きしないでください! 包丁とか持ってないのでわたしの両手に視線をやって確認しないでください!」


「でも引継ぎした人の初期装備って[ナイフ]だよね」


「……そうですね?」


 思い出したようにシアはナイフを取り出した。


 間を空けた答えと、空虚な瞳がとても怖かった。


「ほんと、シアって変わらないね」


 VR化前からの付き合いなのでシアが大体どんな性格なのかはわかってはいたものの、あまりにも以前と変わらないシアの性格に、悠姫は思わずくすりと笑ってしまう。


「ぇー……それってどういう意味ですか」


「ああ、ううん? 悪い意味じゃないよ、うん」


 例えるなら、異国の地で旧友と再会したような、そんな気持ち。


 勝手知ったるCAOの世界とはいえ、視点が変われば世界も変わる。


 ましてやパソコンのモニターでしか見ていなかった世界と、実際にその場所に降り立った世界とでは雲泥の差だ。


 異世界に迷い込んでしまったのではないかと思うような風景の中で既知の相手と出会うというのは、不思議な気分になりながらもどこかほっとする。


「うん。ちょっと……懐かしくってね」


 悠姫の言葉に、シアは感極まって、泣きそうな表情を浮かべた。


「……本当に、ずっと待っていたんですからね」


「うん……シア、とりあえずナイフしまいましょ。怖い怖い」


 良い台詞だったが、上目遣いと煌めくナイフの輝きのコラボに悠姫の警戒心はマッハだった。


「もう……まあいいですけど」


 折角の感動のシーンが一気に冷めてしまい、シアが残念そうに呟きながらナイフをしまい、悠姫はやっとのことでほっと息を吐いた。


「それはそうとシアって、その衣装装備のまんまなんだね」


「こ、これはだって、もしユウヒ様が居て、わたしを見てわたしだってわからなかったら困ると思ったので……」


 そう言いながらシアは恥ずかしそうに自分の身体を抱いて、そのせいでよけいにラインが際だってしまい目のやり場に困る。


 モニター越しのキャラクターに着せているならば特に問題は無かったが、自分でいざ着るとなると、シアが着ている衣装装備はいささか煽情的に過ぎると言っても良いくらいの露出度だ。


 青と白を基調に所々に金糸が散りばめられているその服は、色合いだけならば聖職者として合っていなくもないが、足だけではなく腰から胸にかけてまでも側面にほとんど布の無いという修道服は、誰がどう見ても聖職者が着るものではない。しかもそれで下着のラインがないというのがまた酷い。どう見ても付けてないし、穿いてない。


「……それにこの服は、ユウヒ様と取りに行った装備から作ったものですし」


 衣装装備は一般的に、衣装装備を取り扱っているNPCのお店で買える他にも、普通の装備を衣装装備へと変えることが出来る[服飾の魔女]というクエストがある。


 そのクエストはクエストの名前通りの[服飾の魔女]と呼ばれるふくよかなおばあさんにいくらかのお金と中盤のクエストの達成報酬である[魔法の金糸]を渡して依頼することで、装備を衣装装備へと変換することが出来るというもので、実装当初、頑丈なフルプレートにすら易々と針を通して衣装化してしまう姿を見たプレイヤーにより何度ネタにされたことか。


 微笑みを浮かべたまま鉄板に針を通す[服飾の魔女]の姿に、一部では彼女のステータスはSTR極と恐れられていたりいなかったり。そんな与太話は置いておいて。


 シアの今着ている際どすぎる修道服も、元々は[黒衣の神官]という上級クエストを達成した時に報酬としてもらうことが出来る[碧白の修道服]という防具レベル4のそこそこの装備だ。


 上級クエストの割に、人数が4人要ることと要求レベルが90からということを除けば難易度はさほど高くもなく、それでいて性能は結構良いので、VR化前には多くのプレイヤーが[碧白の修道服]を装備していた。


 が、その大半はやはり露出の高さから衣装装備で見た目を変えていたので、シアのように逆に[碧白の修道服]を衣装装備にしていた者などそうそういないだろう。


「……でもさ、それ。ちょっと際どすぎるよね」


 シアの言葉に当時の思い出を回想して懐かしさに和むが、けれども実際シアに視線を戻して見てみるとどう見てもアウトだ。悠姫だったら絶対に着ることを拒否するレベルである。


「えぇ、そうですか……って、あ、もしかしてユウヒ様、発情します?」


 身をくねらせながらの切り替えしに、悠姫は冷めた視線で言葉を返す。


「しません。わたし[亜人族]じゃないし」


[亜人族]だからといって発情するなんてことはないがシアへのあてつけも含めてそう言ってやると、シアは頬を大きく膨らませて「むぅ……」と呻きながらもめげずに修道服の裾をアピールするように持ち上げた。


「唸りながらちらちら裾を持ち上げるのはやめなさい」


 男ならばドキドキするべきなのだろうかもしれないが、あからさますぎて逆に呆れが先に来てしまいそういった感情には至らなかった。残念過ぎるシアの行動に悠姫はため息を漏らす。


 服装は人それぞれだが、しかしせめて恥じらいは持つべきだろう。


 このままいくとシアは百合でヘンタイの線路をまっしぐらである。


「……良いです。ユウヒ様が時折ちらちらとわたしのことを見てるって妄想して自分を慰めるので……」


「うわぁ……」


 このままいかなくてもシアは百合でヘンタイだった。


「あれ、でもそういえばユウヒ様って、もしかして引継しなかったんですか?」


 ま……服装なんて人それぞれだしね……と現実逃避をしていると、今度はシアが悠姫に問いかけてきて悠姫はその問いにさらりと答える。


「引継したよ?」


「え、でも」


 言い淀むシアを見て、悠姫は、ああ。と自分の格好を思い出す。


 図書館に来る前に衣装装備をほとんど外したのだから、シアが不思議に思うのも仕方ないことだった。


「これは目立つとアレだから、ほとんどを外してるだけだよ」


 そう告げるとシアは「なるほど」と頷いて、続けて「……初心者装備のユウヒ様も有りですね……SS撮らないと……」となにやらこそこそと操作をしていた。


 ……全部聞こえてるんだけどね。


 こそこそ言ったところで、ログにしっかり残ってるし。


 ハラスメント警告が出ないということは、SSは合法なのだろうか。


 いやそもそも合法とは何なのだろうか。などと深淵なことを考えてしまいそうになりながら、悠姫は今更ながらにチュートリアルを受けておけばよかったと後悔する。


「んー……」


 だがそれよりも、遙かに激しい衝動が先程から悠姫の意識を揺さぶり続けていた。


 血が騒ぐ……という表現が一番ぴったり合うだろう。


 シアが戻ってくるのを待つのにだいぶ時間がかかってしまったせいで、そろそろ悠姫も我慢の限界が来ていた。


「シアシアー、ねーシアーとりあえず狩りいこーよ」


 何の脈絡もなく悠姫がそう言った瞬間、シアの猫耳をぴこぴこと動いた。


 あの猫耳はどういったカラクリで動いているのだろうか。


「ふふっ」


「どしたの?」


 笑みを浮かべるシアに、悠姫は疑問をぶつける。


「いえ、ユウヒ様って感じがしまして」


「えぇ……どこが?」


 VR化以前は多くの時間を図書館で過ごしていたとはいえ、それはレベルがカンストしてしまっていたからという理由が多分に含まれている。


 悠姫は基本的にレベリングやボス狩りがかなり好きなので、早くフィールドやダンジョンを散策したくて仕方なかったのだ。


「んー……まあ、いっか。で、どうするの?」


「もちろん行きます。わたしがユウヒ様についていかないなんて、あり得ません」


 二つ返事でそう返してくるシアに、悠姫はよしよしと頷く。


「これで回復薬ゲットだね。じゃあとりあえず南行ってみる?」


「え? いきなり南で大丈夫なんですか?」


 回復役と聞こえたからスルーしたのだろうが、さりげなく回復薬扱いされていることには気付かずに、シアは問い返す。


 セインフォートの東西南北は別のマップになっており、北から時計回りに敵のレベルがやや上昇してゆく。


 つまり南は、セインフォートの周辺では三番目に強い敵が現れるマップということだ。


「大丈夫だ。問題ない」


「ユウヒ様、それダメなフラグですよね……」


「チュートリアルを受けてないからインターフェースも曖昧だし、そもそも戦闘方法とか詳しくわかんないから致命的かもだけど、全然大丈夫!」


「それ全然大丈夫じゃないですよね!?」


「まーまー、首都周辺は北と比べてもレベル差なんて1つや2つだから大丈夫でしょ? さすがに[ハウンドドッグ]に遭遇したら死ねるかもだけど」


 オンラインゲームの常として、レベル上げ……つまり狩りで基本となるのは、モンスターが[アクティブ]か[ノンアクティブ]かどうかだ。


[アクティブ]と[ノンアクティブ]の違いは、文字通りで、そのモンスターが能動的か受動的かということ。アクティブモンスターはプレイヤーが索敵範囲に入ると襲いかかってくるタイプで、ノンアクティブモンスターはプレイヤーから攻撃を加えなければリアクションを起こさないタイプの比較的相手しやすい相手のことだ。


 先ほど悠姫の言葉の中に出てきた[ハウンドドッグ]は、セインフォート周辺では一番レベルの高いアクティブモンスターであり、HPは低めに設定されているながらもそれを補うほどの高ATKを持っている。


 CAOを始めて間もない初心者が良く噛み殺されることから[初心者キラー]の呼び名で恐れられているモンスターで、そんなモンスターが居るというのに良くもまあそこまで楽観的に構えられるものだと思うだろうが、オンラインゲームにおいてのノウハウは基本的に死んで覚えるものだと思っている悠姫からすればさしたる問題にはならない。


「トライアンドエラーこそ、ネトゲ廃人の宿命だよ」


「そうですけど……」


 普通のゲームと違い死んだらそこでゲームオーバーになるわけでもなく、ましてや現実のように死んでそこでおしまいなわけでもないオンラインゲームにおいて、悠姫の持論で言うならば死んだ回数が多ければ多いほどベテランとして成熟した経験を持っているプレイヤーだということだ。


 もちろんパーティで狩りをしている時などはデス・ペナルティ――[デスペナ]のこともあるので極力死なない方が良いが、それ以外のソロや、お試しなどの死んでも良い時は死んで色々と覚えてゆくのがオンラインゲームの定番だ。


 特にCAOのデスペナはレベル分の分数の間ステータスが低下するというものと、次のレベルの要経験値の5%分の経験値がロストするという物なので、後半にならなければデスペナはそこまで痛くはない。最初の方なら死に戻りして街に戻ったところで、狩場までの移動にかかる数分の間にデスペナが解けてしまうくらいだ。


 廃人と呼ばれているプレイヤーの多くはそれこそ覚えることも競うこともできないくらいにデスペナを稼いでいるし、街に帰還するアイテムを持って行くのが面倒だからわざと死に戻りするプレイヤーも存在するくらいだ。


「けどユウヒ様、南ってことは蜂狩りですよね? ……正直、普通に死ぬ未来しか見えないんですけど……」

蜂は南に生息するモンスター、[エンジビー]の通称だ。


「わたし、HPとかまだ200くらいしかないんですよ?」


「わたしは700くらいあるよ」


「それはユウヒ様の[メインクラス]が前衛職だからです! [モフリス]はともかく[エンジビー]のATKの場合、装備がなければ50くらいダメージを受けますし、[エンジビー]はリンクするじゃないですか」


 リンクは特定のモンスターに見られる性質で、モンスターにターゲッティングされている状態で居ると、他のモンスターが同調して襲い掛かってくるというネトゲ用語だ。


 南に生息するモンスターは[モフリス]というCAOにおけるマスコットモンスターが少しと、飛んでいて要HITが高い[エンジビー]。後は先ほど言っていた[初心者キラー]である[ハウンドドッグ]と、同じくマップに1匹だけポップするレアモンスターの[ジュエルスライム]の計四種類だ。


 北や東で[モフリス]や[クロラビット]を相手にして操作に少しは慣れてきたな。と、何も知らずに南に行ったら[エンジビー]の要求HITの高さと毒を付与してくる[ポイズンニードル]に泣きを見ることになるのが王道コースである。


「でもマップは結構広いだろうし、そこまで数が居るわけじゃないから何とかなりそうじゃない? [ジュエルスライム]と会って宝石系でもドロップすれば、店売りである程度の装備を揃えられそうだしさ」


 時計回りにレベルが上がっていくと言っても、所詮セインフォートの南平原はあくまで最初期のマップだ。


 さらに一つマップを超えでもしない限り、初心者が即死するような凶悪なモンスターとはそうそう出会わないようになっている。


[ハウンドドッグ]にしても見て全力で逃げれば振り切れるくらいの移動速度だったはずだ。


 VR化前であれば回復薬を買って行ってごり押しする事もできたかもしれないが、VR化して初のログインでお金など持っているわけもなし……というか、そもそも少し前においしそうな匂いに釣られて屋台の食べ物を買って食べたせいで、悠姫の所持金はすっからかんである。


 加えてアイテムの使い方もVR化前の時のようにショートカットを押せば勝手に使用してくれるというものでもなさそうなので、連打して回復しながら攻撃することも出来ないようだから、厳しいだろう。


「でも、ユウヒ様」


「それにね、シア。考えてもみて……」


 なおもためらうシアに、そう前置いて悠姫は続ける。


「北や東に居るのって、モフリスとクロラビットでしょ」


 言われてシアは思い出しながら肯定する。


「……はい。そうですね」


「シアはね、あんなかわいいモンスターを延々と狩り続けるの? もふもふだよ? ちょうもふもふだよ? もっふもふだよ?」


 悠姫は真顔で言った。


 CAOのマスコットとして有名な[モフリス]は、白い毛玉のような身体につぶらな瞳がキュートなかわいらしい見た目をしていて、初心者が初めに狩ってレベル上げをするモンスターにもかかわらず、かわいいもの好きなプレイヤーにとっては非常に倒すのをためらわれる外見となっている。


「わたしには出来ない……っ、あのもふもふ毛玉を攻撃するなんて……っ」


「えぇ、ユウヒ様って、以外と乙女なんですね……」


 乙女と言われればそうだろう。そうなるようにこの一年間ずっと自分を磨いてきたのだから。


 因みに悠姫の部屋には[モフリス]のぬいぐるみが置いてあり、たまに抱き枕として使用されていたりする。


「別に良いでしょ? かわいいは正義だよ」


「まあ、その点に異論はありませんけど」


 じゅるりと舌舐めずりをするのはやめてほしい。


 しかし解せないのは、シアが狩りに乗り気じゃないことだ。


 VR化以前ならシアも積極的に色々と試しに行くのに賛同していたような気もしたが、やはり一年もあれば変わるのだろうか。それともインターフェイスの違いで戸惑っているのか、どちらにせよ悠姫からすれば、シアのほとんど痴女レベルな服装をどうにかする方が先に優先事項だと思う。


 何故そこが許容出来て、狩場程度で渋るのか理解できない。


 その鋼の精神があれば怖いものなど何もないだろうに。


 少しお金貯まったら、何か適当な服をプレゼントすることも考慮に入れながらも、悠姫は半場強引に話を進めることにした。


「ともかく。狩場は南平原に決定ね。シアも引き継ぎしてるってことは[メインクラス]は[空の癒し(エリアヒーラー)]なんでしょ?」


 シアが引き継いだであろうメインクラスの[空の癒し手]は、回復職の少なかった悠姫のギルドの中で、多人数パーティの回復役をこなすことが多かったからこそ生み出された[ユニーククラス]だ。


 スキルツリー中盤から多彩な範囲回復スキルが修得できるようになり、[ユニーククラス]の特性として最初から覚えている固有スキルも[マナリダクション]と[クイックスペル]いう消費MPの軽減と、詠唱速度の上昇という、単純ながらも魔法職には垂涎の代物が揃っていたはずだ。


「あ、はい。やっぱり愛着がありますし」


「だよね。レベルが1個でも上がったら[ヒール]も取れるだろうし、そうなったらだいぶ楽になるでしょ」


[ヒール]はレベルを上げればすぐに取ることが出来るの初級の回復魔法だ。


 最初期に取れるスキルにもかかわらず最後までスタメンの回復魔法としてお世話になるので、回復職を目指す者ならば取っていなければまず話にならないスキルでもある。


「そう……ですけど」


「決まりー、それじゃしゅっぱーつ!」


「あ、ちょっと、ユウヒ様っ!」


 シアから帰ってきた承諾の言葉はまだかなり乗り気ではないようだったが、それを無理矢理良しとして悠姫はシアの手を取って図書館の入口へと向かう。


 とりあえずやってから考える。話はそれからだ。という精神で。


 そうして、図書館には誰も居なくなった。


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