三話[遊園地で会いましょう]
悠火がひよりと行く約束をしたのは、ユニバースファンタジーランド、略称UFLと呼ばれる遊園地だった。
この遊園地はことあるごとにオンラインゲームやアニメなどと言ったエンターテインメント作品とコラボして、様々な乗り物を増やしながら進化しているテーマパークだ。
「うぁー……」
そんなUFLの入場門から少し離れた場所に位置するオープンカフェで、緊張した面持ちの悠火は呻いていた。
「あ……もうほとんど無いのか」
頼んだアイスコーヒーはこれでもう三杯目だ。
氷だけとなってしまっているコップを恨めし気に見て、四杯目に手を伸ばすべく立ち上がろうと思ったが、これ以上水分を取ってどうするのか。と溜息を吐いて座りなおす。
「超緊張してきた……」
CAOの中で会って話している相手とはいえ、言うなれば会ってまだ数週間の相手とオフ会をするようなものだ。
しかも多人数ではなくて二人っきりなのだから、緊張しても仕方ないだろう。
「本当に、何であんなに軽く誘っちゃったのかな……」
過去の行動に後悔するその都度、悠姫は頭を抑えてうんうんと唸る。
その姿は、端から見たら完璧に不審者だ。
けれども周囲の評価に気が付かない悠姫はさらに思考を繋げる。
……そりゃVR化で、いつも会っていて友達のような感覚に陥っていたとしても、さすがに出会って一月も経ってないのにオフ会とか、しかも二人で遊園地とか……うぁああああ……。
悶える悠姫に、周囲の人の視線が険しくなる。
ただでさえ目立つ外見をしているというのに、挙動不審な動きをしているとなればなおさら目立ってしょうがない。
基本的に外出をしないので日に焼けることのない白くきめ細かな肌。今日のために美容院に行ってきた白い髪はCAOの中の欠橋悠姫のように編み込みで後ろに纏めていて、服装は膝上丈の白いワンピースに腰のラインを強調するようなリボンがあしらわれたウエストバッグ、さらに首元には派手に主張しない程度の小さなネックレスが光っている。
まだ肌寒い季節ではあるので薄手のカーディガンを羽織っていて、いつもならば膝下まである長めのスカートを愛着する悠火にとって、膝上丈のスカートを穿いて出かけるというのはかなりの冒険だ。
むしろそこまで露出してなお、足のラインが魅惑的な女性のそれなのは世の女性に同情を禁じ得ない。
ともあれ今日の服装、もとい装備は悠火にとってレイド装備とまでは言わないものの対人特化装備といった風体だ。
現に待っている間に知らない人に二度ほど声をかけられて、微妙な気持ちになりながらお誘いを断っていた。
「……ひそひそ」
「……はっ!? ん、んんっ……」
見た目が完璧に美少女である悠火が悶える姿というのは周囲からの視線を集めやすく、その視線に気が付いた悠火は羞恥に顔を赤らめながら、今更ではあるが楚々と姿勢を正した。
「あ……」
そう言えば……と、先ほど顔を押さえてしまったことを思い出して、悠火は手鏡を取り出して化粧が崩れていないかを確かめる。
薄く施された化粧は、悠火自身さえも満点の評価をしたくなるくらいに完璧だった。
「けど、緊張してたとはいえちょっと早く来すぎちゃったかな……」
こうして手持ち無沙汰になってしまっているのは、悠火が実際の待ち合わせ時刻より1時間も早く到着してしまっているからで、待ち合わせの場所に到着してからはゆうに30分の時間が経過している。
「……べ、別にうかれてなんかないんだからね」
時計をちらりと見ながら悠火はわざとらしいツンデレの台詞を呟いて、こいつ本当はわくわくしているんじゃないのか? という被害妄想を打ち消す。
「でも、もうそろそろ来ても良い頃なんだけど……」
「あ、あの?」
「わああっ!?」
「ひゃあ!?」
そんな風に一人遊びに興じていたらいきなり後ろから声をかけられて、悠火は椅子から飛び上がる勢いで身を竦ませ驚いた。
「ご、ごめんなさい、驚いちゃって……って」
先の独り言を聞かれたばつの悪さから悠火は慌てて謝ろうとするが、振り返り見た先に居た人物を見てその先の言葉を失った。
立っていたのは柔らかそうな亜麻色の髪の少女で、身長は悠火よりもわずかに低く、悠火の驚いた声にさらに驚いて身を縮める様子は、どこか小動物のような印象を感じさせていた。
「こ、こちらこそいきなりで驚かせてしまって、ご、ごめんなさい!」
そう言って頭を下げる姿といい、先程から聞こえて来る声といい、どちらも悠姫の知る彼女のものでしかなくて、悠姫は確認するよう問いかける。
「えっと……もしかしなくても、ひよりんだよね?」
……事前にあんまり変わらないって聞いてたけど、まさかこれほどとはね……。
目の前に立つ少女を見ながら、悠火はそんなことを考える。
それもそのはず、ひよりの容姿はCAOのアバターとまったく同じと言ってしまっても良いくらいに、瓜二つだった。
「は、はいっ。そっちはゆうちゃん……ですよね?」
しかしそれを言ったら悠火も似たようなもので。
悠火の容姿もCAOのアバターである欠橋悠姫と比べると髪と瞳の色くらいしか違いがない。
ひよりが若干疑問系で問いかけてきているのは、ほとんどそうだと思っていても現実では初めて会うので確信を持てない為と、本人の性格によるものだろう。
「なんだか改めて自己紹介っていうのもすっごく不思議な感じだけど……うん。初めまして、倉橋悠火です。こっちでも名前は同じだから、呼び方はそのままで大丈夫だよ?」
「あ、は、初めましてっ! わた、わたしも春日井ひよりです! わたしのことも是非ひよりんって呼んでくださいっ!」
「え、えっと、ひよりんちょっと緊張しすぎじゃない? 声大きいよ?」
目の前に立ったままかくかくとした動きで自己紹介をするひよりは、まるでラグっている時のCAOのような動きになっていた。
かくいう悠火も最初はある程度緊張していたが、ひよりのテンパり様を見ていたら冷静になることが出来た。
「あ、あうぅううううう……だ、だって……」
「だって?」
「ゆうちゃんが予想よりも美人さんなので、緊張しちゃいます……」
「え、えぇ!? 美人だなんて、そんな」
謙遜しながらも、悠火はそう言うひよりの容姿にも目を向ける。
CAOではあまり衣装装備を着ない、というよりもオンラインゲーム初心者なので衣装装備よりも実用的な装備へとお金をかけているCAO内のアバターとは違い、今日のひよりの格好は可愛らしくもあるが季節が移り替わるこの時期では少しだけ寒いんじゃないだろうかというくらいの薄着だ。Uネックのシフォンブラウスに、膝丈の黒のレーススカートという服装はひよりの素直なイメージと合っているので問題はないが、
「ひよりん、カーデまでとは言わないけど、ショールでもあった方が良かったんじゃない? 寒くない?」
「だ、大丈夫です、むしろ熱いくらいですぅ……」
「そ、そう?」
確かに言う通り、緊張のし過ぎでうっすらと汗が浮かんでいるのが見て取れる。
「えっと、とりあえず落ち着こう? ほらほらひよりん、座って座って」
最悪の場合、寒そうならば自分のカーディガンを貸せば良いかと思い、悠火は観察を止めてひよりを隣の席に促す。
「あ、はいっ」
慌ててぱたぱたと寄ってきて隣の席にちょこんと腰掛ける仕草を見て、悠火は、ああ、この子はひよりんだなぁ。と改めて実感する。
基本的にVR世界でも現実でも、細かい仕草というのは変わらない。
現実の時の癖がそのまま出るのだから当たり前だが、こうしたちょっとした動きで類似点を見つけるとくすりとしてしまう。
「ひよりんって時間に余裕を持ってくるイメージだったけど、意外にギリギリだったね」
「そ、それは……実は、昨日緊張しちゃってあんまり眠れなかったんです……」
「あー……その気持ちはわかるかな」
「ゆうちゃんもですか?」
「そそ。わたしもあまり眠れなかったから、ログインして狩りしてたんだよね」
身体を動かせば疲れて眠気も訪れるんじゃないか、と肉体的疲労が無いVR世界にログインして朝まで狩りをしていたという、ルカルディアが好きな悠火に精神的な疲れなど訪れるはずもなかったのでまさに本末転倒な有様だった。
「ゆうちゃんがログインしてるなら、わたしもログインしておけば良かったです……」
「あはは、ひよりんも誘えればよかったんだけどね」
「あ……だ、だったら、その、ゆうちゃんに提案がありますっ」
「うん?」
「その……メールアドレスとか……」
ぽそぽそと小さく聞こえて来るひよりの言葉に、悠火は彼女が何を言いたいのか理解する。
「ん、メアドとか交換する?」
「――っ! は、はい!」
ぱぁっ、と良い笑みを浮かべるひよりを見て、悠火はこの子わかりやすいなぁ、と釣られて笑みを浮かべてしまう。
バッグから携帯を取り出し、悠火はひよりとメールアドレスとついでに番号も交換する。
「これでおっけかな」
「わ……ぁ……だ、大事にしますね!」
「は、はい……」
大事そうに携帯を抱きしめたひよりが心の底からうれしそうにそう言って、それを見ていた悠火はついつい敬語になって返す。さすがにそこまで大事にされると逆に恥ずかしくなってしまい、悠火は顔が赤くなっていくのを感じてふいと視線を逸らした。
「むむむ……」
両手で頬を挟んで熱を冷まそうとするが、けれども包んだ手も同じように熱を持っていて、悠火は感情の所在を失う。
「あは……ゆうちゃん、真っ赤です」
「ちょっと、も、もうひよりんからかわないの! ……ひよりんも似たようなものじゃない!」
「ひゃ……っ、そ、そうですか……?」
お互いに言い合って、赤い顔を見合わせながら笑みを浮かべる。
現実で会うのは初めてなはずなのに、毎日会っている相手という不思議な感覚がそうさせているのか。恥ずかしいながらもどこかうれしく感じてしまう。
「とりあえず、もうそろそろ開場だし、わたしたちもいこっか」
「そ、そうですね」
言って二人は揃って席を立ち、歩き出す。
ぎこちなく隣を歩く距離を確認し合う様子はもはや付き合いたてのカップルか。という雰囲気だ。
「…………」
「…………」
沈黙が二人の間を行ったり来たり。
それなのに気まずい雰囲気にならないことを嬉しく思いながら、悠火はひよりを見る。
するとひよりも同じことを考えていたのか視線が合い、どちらからともなく笑みが浮かぶ。
「……なんか、面白いね」
「……そうです、ね」
笑顔の端にまだ気恥ずかしそうな色はあるものの最初のように慌ただしく緊張している様子は無く。悠火はふとした悪戯心から、ひよりを少しからかってみようと思い始める。
「ね、ひよりん――手でも繋ぐ?」
「ふぇ!? ゆゆゆゆうちゃんいきなり何言ってるんですか!?」
「なんちゃって。あはは、びっくりした?」
予想通り慌てるひよりを見て、悠火は満足気に言った。
「ゆ……ゆうちゃんっ、酷いですっ」
「ごめんごめん、ひよりんを見ると、ついついからかいたくなっちゃってね?」
「そんなこと言ったら、本当に手を繋いじゃいますからねっ」
「あっ、ちょっ!」
冗談めかして余裕ぶっていた悠火は、いきなり手を握られて一瞬で余裕を失った。
「ひ、ひよりん冗談だから、ね? は、離して?」
おろおろとそう言う悠火の様子に、ひよりは恥ずかしそうにしながらもにへらと笑って言う。
「……ゆうちゃんって普段はからかってきますけど、返しに弱いですよね」
「べ、別に弱くないし」
図星を突かれた悠火は、完璧なツンデレで返した。
けれども実際ひよりの言う通り。
どれだけかわいくても悠火は男で、女の子に対する耐性なんてほとんど無い。
ひよりからしたら女の子同士のスキンシップのつもりでも、悠火からすれば心臓が早鐘を打つ程に緊張する接触行為だ。
だというのにスキンシップネタでからかいに行くのだから、悠火のそれは完全な自業自得でしかない。
「ゆうちゃん、じゃあこのまま手を繋いだままで、良いですか?」
「い、いいい良いけど?」
悠火の手もそれほど大きくはないものの、ひよりの手はまるで別の生き物のように小さくて柔らかくて、その感触に言葉がうわずる。
「……えへ、ゆうちゃんかわいいです」
「うぐ……」
今度は悠火が緊張しきってしまっていることがひよりにばればれだった。
小さく力を入れて握ってくる感触が伝わって来て、どぎまぎしてしまう。
相手が緊張していることが露骨にわかると自分は冷静になれるものだ。
少し前の悠火とひよりの立場が、完全に逆転していた。
似非女の子と女の子ではやはり女子力の差は大きかったようだ。
……でも、うん。うれしそうだしいっか……。
けれども、嬉しそうに繋いだ手を試すよう握ってくるひよりを見て、悠火は反論を諦める。
そうして予想以上に楽しくなりそうな一日を思い、心を軽くするのだった。
「……うらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましいうらやましい……」
……そんな悠火たちのかなり後方。物陰から悠火たちの様子を見ていた紫亜は、周囲がドン引きしているのにも気が付いていない様子で呪詛を吐いていた。
「……何で俺がわざわざ、休日にユウを尾行しなければならないんだ……」
その隣で溜息を吐きながらそう言うのは、喫茶雪うさぎの厨房を担当するコージローだ。
「雪小路さんは黙っててください!」
……理不尽過ぎるだろ。
そう思いはするが、それを口に出すほどコージローは命知らずではなかった。
――悠火が家を出た後。
コージローは目からハイライトを失った紫亜に半ば強制的にUFLへと連れてこられていた。
悠火がひよりと遊園地に行くことは紫亜も知ることだったが、けれども看過しているように見えて心の底では嫉妬の炎が燃え盛っていたらしい。
そして当日になってそれが爆発して、コージローは巻き添えを食って紫亜に拉致され、今に至る。
「別にすることは無かったから良いがな……」
そう言って自分を慰めるものの、休日をゆっくり過ごす予定だったコージローからすればこの現状はあまり精神的によろしくない。
仮に悠火とひよりのように、遊園地に遊ぶ為にやってきたのならば良いが、隣に居る紫亜のやっていることは完全に犯罪者のそれで、どう言い繕ったところで通報されれば両手に手錠がはまる事態は免れない。
「ああ……っ! ユウヒ様……っ、あんな女狐と仲良く手を繋いで……っ! きぃ……っ、わたしだって、わたしだってまだなのに……っ!」
「はぁ……」
一日中これに付き合わされるのだと思うと、例え正常な思考の持ち主であったとしても気に病んでしまうだろう。
「なぁ」
「はい?」
「……何で俺は連れてこられたんだ?」
正直、わざわざ自分を連れてくる意味なんてないのではないかと思わざるを得ない。
悠火のストーキングをするにしても、一人の方が見つかるリスクは少ないだろうし、行動もしやすいだろう。
素朴な疑問をぶつけると、紫亜はやっとのことでコージローへと振り返った。
「それはだって、雪小路さんともちゃんと話をしたいと思っていましたし……」
「俺と、か?」
「はい」
少しだけ照れたように頷く紫亜の反応は、悠火以外に対してはかなり珍しい反応だ。
それに服装も今日は妙に気合が入っている。
CAOの方のリーシアに比べて、現実の紫亜は派手な格好をほとんどしない。
悠火の好みに合わせようとして変化していっていた髪型は、今は一番反応が良かったおさげに纏められているものの、服装はいつも敢えて地味な格好を選んでいるきらいがあるくらいだ。
それなのに今日は黒のオールインワンにスタンドカラーのミリタリーブルゾンでコーデされていて、バッグもお出かけ用のそこそこのブランド品を持ち、いつもはメガネなのにわざわざコンタクトを入れている。
見た目だけならば大人しそうな、知的な美少女といった容姿に見えなくもない。
もちろん、喋らなければ。という条件はついてくるが。
そんな女の子に照れた反応をされて、お話がしたかったんです、等と言われたならば、気を悪くする男なんて居ないだろう。
「――それはあれだろ。ユウの昔の話とかを聞きたいってことか?」
しかしコージローという男は根本的に人の外見に靡かない男である。
幼馴染の悠火が外見は可愛い女の子なのに実際は男だということもあり、完全に警戒心が根付いてしまっていた。
「そうですけど、雪小路さん、もう少し食い付いて来てもいいんじゃないですか?」
確かにコージローの言う通りではあったが、結構めかしこんで来たというのにそれに触れられないというのは、一人の女の子として釈然としないものもある。
「そうは言っても俺と話なんて、ユウ絡みのことしか思いつかないからな」
「……もっと他にあるかもしれないですよ?」
「ほう、例えば?」
「例えば……………………ふい」
……こいつ、早々に考えるのを止めたな。
沈黙が10秒程続いたところで紫亜は悠火の観察へと戻り、それを見ていたコージローは変わり身の早さに失笑を漏らした。
……しかしユウも、妙な人気があるな。
紫亜の悠火へ向ける好意は非常にわかりやすい。
あまり時給の良くない喫茶雪うさぎへとわざわざアルバイトにやってきたのも、悠火と同じ職場で働くためだとわかれば納得がいったし、何より本人にそれを隠す気が無いのだから少し接すればわかるというものだ。
コージローからしても、紫亜は最初こそ持ち前の運動神経の悪さから粗相をしでかしていたが、仕事に対しては意欲的に取り組んでくれているので別段、彼女に対して文句は無い。
「まあ、あいつは人当たりが良いからな。今回のあれも懐かれた結果なんだろうが」
「……ユウヒ様のやさしい所は美点ですけど、八方美人なのが玉に瑕です」
「否定は出来ないな」
紫亜の言いようにコージローはメガネを押し上げながら苦笑する。
UFLへと遊びに行く相手がひよりだと聞いた時にも思ったことだが、よくもまあそこまで求心力があるものだと呆れを通り越して感心を抱かずにはいられない。
……それでいてユウが男だと誰も知らないっていうのがまたすごいがな。
悠火の容姿はもはや奇跡の類のようなものだ。
普通ならば骨格などの関係上、どうがんばったところで違和感が出てしまうものだが、けれども悠火はまるで生まれてくる性別を間違えたのではないかと言わんがばかりに中学時代から体形を維持し続けている。
「ああ、そういえばユウが最近CAOで男性プレイヤーに言い寄られることが多くて困るとは言ってたな」
「……は? 何ですかそれ? 初耳ですよ? ユウヒ様に近づく悪い虫……わたしは誰を殺せば良いんですか?」
八方美人でふと思い出したことをコージローが口に出すと、紫亜は途端に食いついて来た。
続けて瞳から光を消して見知らぬ誰かに殺意を向けるのだから、紫亜の病み具合は筋金入りだった。
「そういう反応になると思ったから、ユウは言わなかったんじゃないか?」
「そ、それは、だって……」
「だってじゃねぇよ。……頼むから俺にはそういうことはするなよ」
「はい? 雪小路さん、刺されるようなことをするつもりなんですか?」
素で聞いて来る紫亜に、悠火も本当に厄介な相手に好かれたものだと同情せざるを得ない。
「そんなつもりはないが誤解で刺されたら身もふたもないからな」
悠火の性別を言ってしまいさえすれば紫亜が今後抱きそうな誤解のほとんどは見事に消え去ってしまうのだが、けれども妙な所で律儀なコージローは、前に悠火に言った『俺は普通に接するからな』という言葉を守り、悠火が男であることを自分からばらしはしない。
「そ、そんな、誤解で凶行に及ぶなんてこと……」
「だから何でお前らはそんな露骨に目を逸らすんだ。こっち向けよ」
「…………」
目を逸らして言葉を濁す辺り、完全にアウトだった。
紫亜自身も心当たりがあるのだから余計だ。
「はぁ……」
先で楽しそうに会話しながら入場待ちの列に並ぶ悠火とひよりを見て、自分の状況を鑑みると、コージローは思わず溜息が出た。
「しかしそれなら何でユウとひよりちゃんが出かけるのを止めなかったんだ」
CAOの中でのことは知らないが、紫亜が喫茶雪うさぎで悠火に突っかかっている場面を見たことが無かったコージローが問うと、紫亜は唇を尖らせて答えた。
「それは……わたしにだって色々ありますし、ひよりさんの気持ちもわかりますから」
「ああ……」
確かに逆の立場で邪魔をされたら、紫亜ならば血の雨を降らせることになるかもしれない。
コージローが若干引き攣り気味に頷いていると、そこに紫亜はぽつりと言葉を追加した。
「……それに、フェアじゃないですし」
「ん、どういう――」
「あ、雪小路さん、どうやら列が動き始めたみたいですよ」
言って歩き出す紫亜の態度には有無を言わせぬ圧力のようなものがあり、コージローは追及を諦める。
「……どうなることやらだな」
難儀な事態に、コージローはせめて幸先が良くなることを祈りながら、悠火たちの後を追ってUFLへと足を踏み入れるのだった。
「さてと、まず始めに聞きたいんだけど、遊園地って何をすればいいんだっけ」
UFLに入場してすぐ。
悠火はパンフレットを片手に、ひよりへとそう問いかけた。
「えっと……遊べばいいんじゃないです、か?」
問い掛けられたひよりは、どう答えればいいのか考えた末、不安げにそう答えた。
「遊園地に遊びに来る機会なんて無かったから、悩むね」
「わたしも、遊園地は中学の修学旅行以来です」
二人とも普段は外へ遊びに行かない引き籠り体質なので、こういった公の場で遊ぶことなどほとんど無く。
いざ遊びに来てみたは良いが、果たして何をして遊ぶべきなのだろうかという疑問がわくわくする心よりも先立ってしまっていた。
遊園地内では軽快なテンポのBGMが流れているし、周囲を歩く人の表情は皆一様に明るく、コースターからは早くも悲鳴が聞こえて来ている。
傍から見れば手を繋ぐほどに仲の良い女の子が二人で遊園地に遊びに来たという風に見えなくもないが、実際は遊園地という見知らぬ土地に急に取り残された気分だ。あまりにも遊びに対する知識というものが、二人には欠落していた。
「あれ、ママっ! あれ乗りたーい!」
隣を喜色満面の笑みを浮かべた子供が走ってゆく。
「うぅん……」
それを見ながら悠火は自分が擦れてしまいすぎているのかと考えるが、けれどもその考えはすぐに中断された。
「比較対象が、悪いのかな」
「どうしました? ゆうちゃん」
何故心躍る遊園地にやってきて、童心のようにドキドキしないのか。
「何かね。見回してるとルカルディアと比べちゃって、こんな街あったかなぁって」
「ゆ、ゆうちゃんさすがにそれはどうかと思います……」
平日も休日もほとんど外に遊びに行かないでCAOをしている弊害が、思わぬところで発露していた。確かにルカルディアと比べれば遊園地なんて子供騙しに見えるかもしれないが、廃人にまだ片一歩くらいしか足を突っ込んでいないひよりはあんまりな悠火の言いようにドン引きしていた。
「でも、遊園地とかわたしも中学の時の修学旅行くらいでしか行ったことないし、正直どう回ればいいのかわからないんだよね」
「好きなのから回れば良いんじゃないですか?」
ひよりがそう言うと、悠火は周囲を見回して、
「せめてアトラクションに要求レベルとか書いてればわかりやすいんだけど」
そう言った。
「ゆうちゃんレベルあるんですか!?」
戯言を真に受けて律儀に驚くひよりに笑みを返しながら、悠火は再びパンフレットを覗き込む。
「ともあれ、やっぱり最初は無難にコラボエリアに行けばいいのかな」
「あ、です」
UFLは、いくつかのエリアに区分けされたテーマパークだ。
その中でも悠火たちが主目的としているのは、当然のことながらCAOとのコラボエリアだ。
コラボエリアは何かしらのゲームとコラボレーションが決まる度に、大々的な特設会場が造り込まれ、ユーザーを楽しませてくれるエリアだ。
過去にはモンスターをハンティングするオンラインゲームともコラボをしていたこともあるらしく、知名度的にも今回のCAOとのコラボもかなり集客が期待されているらしい。
「今日が初日ですし、売り切れないとは思いますけど、グッズもいっぱいあるみたいですね」
「ひよりん、それフラグだから」
「ふぇ!? じゃ、じゃあ売り切れると思います!」
「それはそれで困るね」
「ふえぇ!?」
わたわたとするひよりを見て、悠火はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。
「あ、ゆ、ゆうちゃん、またからかってます?」
「ばれたか」
「ゆうちゃん、わたしだって怒りますよ?」
そう言うひよりの怒り方自体がかわいらしくて、悠火の頬は緩みっぱなしだ。
「あはは、ごめんごめん……っと、あ、そう言えばCAOでは珍しいけど、今回コラボイベントクジなんてものもあるんだよね」
「コラボイベントクジですか?」
「うん。クジ。クジだよ……クジなのだよ……」
「えっと、ゆうちゃんキャラ崩れてますけど……クジで何かあったんですか?」
先程の様子から一転。唐突に苦々しい表情で言う悠火にひよりが尋ねる。
「これは良くある話なんだけど」
そんなありきたりの前置きから悠火は話を続けた。
「VR化前にも、CAOは二度だけイベントクジって言うのを期間限定で売り出しててね」
「はい」
「クジ一回500円っていう、そこそこな値段はしてたんだけど、クジのラインナップがイベントクジ限定でしか手に入らない衣装装備ばっかりでね。ついついわたしもつられてクジを引いちゃったんだよ」
「500円って、結構高いです……」
「それで、わたし何回引いたと思う?」
「え、えっと、10回くらいですか?」
ひよりが言った瞬間、悠火は過去を思い出すように遠くを見る目をして、その後、自嘲気味に乾いた笑みを浮かべた。
「10回。うん。そうね。10回で出たら、よかったんだけどね」
「ゆ、ゆうちゃん?」
「……………………10回で出たら誰も不幸にはならないのよ」
「ゆうちゃん何回引いたんですか!?」
遊園地という、楽しみを求めてやってくる場所とはおよそ似つかわしくない表情を浮かべる悠火にひよりは心配そうに尋ねる。
「ふふふ、そう、25回……かな」
「に、25回です……? で、でもそれなら」
「――5000円で11回セットのクジを25回……だけどね」
「え……」
言った瞬間、ひよりがぴしりと固まった。
「ゆ、ゆうちゃん、それって、5000円×25回ってこと……です?」
「うん、まあ、そう、ねぇ……」
「えぇぇえええええ!? ゆ、ゆうちゃんそんなに引いたんですか!?」
驚きのあまり、ひよりは繋いでいた手を離して問い詰める。
「ついかっとなってやった。後悔は割としてる」
当時はまだ高校生だったにもかかわらず貯金のほとんどを使い果してしまい、両親から大目玉を食らうことになったのも今となっては良い思い出である。
「で、でもそれで欲しいのが出たんです……よね?」
「そこはまあね。ほら、今わたしが装備している[衣装:乙女の髪留め]があるじゃない? あれVR化前は髪形が変わるレアな衣装装備で、あれがイベントクジの一等だったんだよね」
後で公式からのお知らせを読み直してみてわかったことだが、VR化への引継ぎの項目のところに非常にわかりにくくだが衣装装備も引継ぎされるようなことが書かれていた。
それについて悠火がちょっと調べてみたところ、衣装装備の引継ぎに関してはCAOのローディング画面で何度も告知され、さらにはアナウンスで何度も告知されていたらしく、CAOを休止していた悠火だから気が付いていなかっただけだったらしい。
「でもクジって本当に怖いからね。次で出そう! とか後一回だけ! とか思ってたら気が付けば数十回引いてるからほんともうね……」
「ゆうちゃん……今日ももしかして」
「そんなことないよ」
食い気味に言った時点で嘘だった。
「……ゆうちゃん?」
「えっと、その……少しくらいは買おうかなって思ってるけど? ……だ、だって今回のはネット上の販売は無くてUFL限定販売なんだよ? ほらそう20枚くらいまでなら許容範囲だから! たぶん、きっと!」
じと目で見てくるひよりに、悠火は聞かれてもいないのにいくつもの言い訳を取り繕う。
自分の罪を供述する犯人のような反応だった。
「じゃあ20枚までです?」
「…………」
ひよりの念押しに、悠火は露骨に視線を逸らした。
課金は本人の自由とはいえ、さすがに重課金ともなると生活に影響を及ぼしかねない。
「……ゆうちゃん?」
「……はい」
加えてひよりにめっぽう甘い悠火は、そう釘を刺されては頷くしかなかった。
実際はその五倍、五万円までとりあえず買って帰ろうと思っていただけに手痛い話だが、ひよりが純粋に心配して言ってくれているのはわかるので、悠火も無理に身を切り詰めてまで課金しようとまでは思わなかった。
「けどけど、ひよりんも運試し程度に買ってみたらどうかな? ほら、もしかしたら良いの出るかもしれないし」
「ゆうちゃんのさっきの話だと、確実に出る気がしないです……」
ひよりの反応は実に一般的な反応だった。
知らないものからすれば、出るかもわからないクジのアイテムの為に数万円もお金を使うとか馬鹿じゃないのかと思うだろう。
「でも出たら一攫千金だよ? 限定数量の品だから、クジの衣装装備は以降もう手に入れることが出来ないから、数100MSで取引されることもあるんだよ?」
「す、数100MSです!?」
「そそ。下手したら世界に数個しかないアイテムだからね」
「わわ……数100M……」
数100MSもあれば装備など大抵なんでも揃ってしまうだろう。
大抵取らぬ狸の皮算用ではあるが、けれどもそう言った妄想も含めて、クジの楽しみ方ではある。
「だからひよりんも好みの衣装装備があるかもしれないし、とりあえずコラボエリアに見にいってみよっか?」
「そ、そうですね」
そう言われればひよりにわざわざ否定する理由も無く。
気を取り直して、ひよりは再び、空いている悠火の手を握る。
「わ……と」
悠火は小さなひよりの手の感触にドギマギしながらも平静を装うが、けれども隣で小さく笑うひよりを見るに、緊張しているのはばればれなようだった。
「な、なんかひよりん今日は攻めてくるね」
「ゆうちゃんがからかってくるからですよ?」
CAO内で話すよりもどこか弾んだ声が、悠火の耳朶を打つ。
ひよりも恥ずかしいとは思っているのだろう、その証拠に言い返してくる顏がほのかに赤い。
「ひよりん、顏赤いよ?」
「ゆ、ゆうちゃんほどじゃないです」
しかし指摘する悠火も人のことを言えるほど冷静ではなく、繋いでいるひよりの小さな手から感じる熱がそのまま全身を巡っているのではないかと思うほどに熱を帯びているのがわかる。
……確かに、これならばカーディガンはいらなかったかもしれないね。
ひよりからしても悠火がそんなドギマギした反応をしているから、余計変な気持ちになってしまうのだろう。
「……ゆうちゃんって、もっとクールな人かと思ってました」
「え、な、なに? 急に?」
「CAOでもこっちでも、ゆうちゃんがゆうちゃんでうれしいです」
「べ、別にわたしは向こうでキャラを作ってるわけじゃないし」
悠火は基本的に、CAOと現実でキャラを分けて行動などしていない。
CAOがVR化する期日が決まった瞬間に、わざわざ女装までして女子力を上げてルカルディアで違和感が無いようにしようと思ったくらいだから当然だ。
けれどもひよりは、現実の悠火をもっと大人びた人だと思い込んでいた。
CAO内でスキンシップに耐性が無いことはわかっていたが、けれども年齢も自分よりも三つ上だと聞いていたし、有名人でプレイヤースキルも高く、色々なことをやさしく教えてくれる悠火を、ひよりはまるで物語の主人公のような万能超人のように思っていた。
「もしかして、ひよりんの中でわたしのイメージがどんどん崩れてってる?」
だからこうして実際会って話してみると、それとは別の一面が見られて、なんだかうれしくなってしまっていた。
「ゆうちゃんが、わたしの予想以上にかわいい人でうれしいですっ」
「か、かわいいって……あ、ありがと」
容姿を褒められることは悠火にとってうれしいことではあるが、こうしてからかわれるとなると少し釈然としないところはある。
「でもそれを言ったらひよりんもCAOの中と見た目がほとんど変わってなくて、かわいくてびっくりしたけどね?」
「そ、そうですか?」
言われたひよりは、顔を赤くして俯く。
それを見た悠火は、これはチャンス。と言葉を続ける。
「うん。ほとんど瓜二つだね。現実とまんま同じの見た目でキャラを作るなんて、余程外見に自信がなければ出来ないことだね。さすがひよりん。そこに痺れる憧れる」
「ち、違います! 自信がどうこうじゃなくて、だってルージュオンラインではそうでしたし……」
「あー、そういえばそうだったね」
確かにルージュオンラインというアニメでは、現実の見た目通りのアバターを介して、仮想現実世界にログインするというコンセプトだった。
「それにそう言うゆうちゃんも、CAOのゆうちゃんとほとんど見た目がかわらないですよね?」
「わたしの場合はどっちが先か、って感じなんだけどね」
「どっちが先か、です?」
謎かけのような物言いに、ひよりは一部を反芻して尋ねる。
「うん。わたしの場合、CAOの欠橋悠姫に近づけるようにって思って現実の自分を磨いてきたから、あっちの自分は理想の自分って感じ……なのかな? だから似ているって思われると、少し、うれしいかな」
そう言って、悠火はごくごく自然に微笑んだ。
言っていることは割とアウトな感じだったが、微笑んだ悠火は思わず見惚れてしまうほどに可憐な、まさに理想的な女の子で、ひよりはその仕草にドキリとして胸の鼓動が早くなる。
外見は生まれた時から決まっている。と容姿を磨くことを早々に諦めてしまう人も多いが、けれども必ずしも決まっていることばかりではない。美しい人や可愛い人というのは日々美しく在ろうと、可愛く在ろうとしているからそう在ることが出来るのだ。
「……ゆうちゃんって、たまに卑怯です」
「え、なんで?」
拗ねたように言うひよりに、悠火は疑問を返す。
ふとした時に自然に浮かぶ見惚れるような笑みは、悠火が日頃から自分を高めようと、可愛くあろうと努力している努力の賜物である。
けれどもどこまで行っても性別という途方もない壁のせいで、女の子という生き物を根本的に理解することが出来ない悠火にとって、自分が他人からどんな風に見えているのかという点に置いては若干鈍い部分がある。
欠橋悠姫に近付こうとしてこれまで磨いてきた容姿は自分でも可愛いと思っている。
が、悠火が思う理想の女の子像と比べると、まだまだ磨くべきところがあるのではないかと思わざるを得ない。だからこその疑問だった。
「卑怯なゆうちゃんには、教えてあげません」
「わ、ひよりんが意地悪だー」
「い、意地悪じゃないです。ゆうちゃんがかわいいのがいけないんです」
「え、どういうこと? ……ありがとう?」
「もう、ゆうちゃん、行きますよ」
疑問気に首を傾げる悠火の姿も可愛らしくて、ひよりは本当に卑怯だと思いながら悠火の手を取って引いてゆく。
「あ、ちょ、ちょっと」
……ひよりんってこんなにアクティブな子だっけ。ノンアクティブだと思ってたのに。
なんて失礼なことを思いながら、悠火は赤い顏のひよりに手を引かれるがままに、園内を進んでゆく。
遊園地内を歩いていると、やはり色々な楽しそうな物に目を取られる。
「ひよりんひよりん」
「は、はい。どうしたんですか、ゆうちゃん」
「『急転降下のフリーフォール』とかいうアトラクションの名前を見ると、何かスキル名みたいだよね」
「……ゆうちゃんが中二病です」
「むぅ。見えない?」
「わたしは、ラノベのタイトルに見えます」
「ひよりんも十分毒されてるんじゃないの」
「う……」
妙なところで素直なひよりと話をしながら、園内のアトラクションにあれこれ脚色を加えながら歩いて行くと、しばらくしてCAOのコラボエリアへと辿り着く。
「わぁ……すごいです」
「へぇ……意外……というか、結構ちゃんとしてるんだね」
そう言って見上げる二人の視線の先には、巨大な城門があった。
それはCAO内で幾度と見たことがある城門ではあったが、けれども現実で見て見るとやはり多少感じ方は違うもので。
「セインフォートの東門です!」
見た目もそのままに。まるでCAOの世界から抜き出して来たかのようなCAOの世界、ルカルディアに存在する中央大陸の首都セインフォートの城門を見て、良くここまで造り込めたものだと悠火はふつふつとテンションが上がってくるのを感じた。
直後、ふと空を見て第一の聖櫃が浮かんでないか確認してしまう辺り、悠火は自分の原点が本当にCAOの世界なのだと嫌と言うほどに実感する。
「こうして見ると、城門ってすごい大きいんですね」
「うん。ねね、これって中どうなってるのかな、っていうか、そこでパンフレット貰えるみたい。ひよりん貰いにいこ」
「は、はい!」
今度は悠火に引かれるままに、セインフォートの憲兵の服装をした受付からパンフレットを受け取り、悠火はパンフレットに記載されたゲーム内のミニマップに似せて描かれたミニマップ見て、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「ゆ、ゆうちゃん、悪い顏してます……」
「えへへー」
自分が好きな物がこうして大々的に公表されているとテンションが上がってくるというファン心理に近いかもしれない。だらしない笑みを浮かべて、悠火は続ける。
「でもひよりんもわくわくしてるでしょ? 見て見て。道具屋とか武器屋とか防具屋とか街自体は結構縮小はされてるみたいだけど、色々あるみたいだよ? あ、PV記念館とか、行ってみたい!」
「ひゃっ……そ、そうですね」
遊園地に入った直後のテンションの低さがどこに行ったやら、楽しげに言って肩を寄せてくる悠火に、ひよりはどきりとしながら同意する。
悠火は気が付いていないが髪と髪が触れ合う距離にひよりの心臓は高鳴りっぱなしだった。
「他には……あ、ひよりんひよりん見て見て。あっちには衣装貸し出しサービスとかあるみたい。ちょっと行ってみよ?」
「あ、ゆ、ゆうちゃん!」
すっかりハイテンションが出来上がった悠火に引かれて、ひよりはドキドキと高鳴る胸を抑えながら、貸衣装屋と書かれた大きなお店へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ。クレセントアークオンラインコラボレーションエリア、衣装館へようこそ。こちらではクレセントアークオンラインの中で着用することが出来る装備や衣装装備を貸し出ししております」
入るとすぐに、案内係の女性がそう言って笑顔で悠火とひよりを迎え入れた。
案内係の女性自身もCAOの中で割と高値で取引されていた衣装:闇夜のメイド服という装備のコスプレ衣装を着ていたが、その出来栄えはちょっとした布を繕って作ったようなものではなく、本当にオーダーメイドで作られたブランド品のような柔らかい自然な仕上がりとなっていて、否応なく悠火の期待は高まってゆく。
「わ、結構種類も数もあるんだね」
「はい。全種類という訳にはまいりませんでしたけれども、協賛して頂けたメーカーの方々により、多数の衣装を揃えさせて頂いております」
「これ、見てもいいんですか?」
「はい。ごゆっくりご覧ください」
笑顔で案内されて、悠火とひよりは広い衣装館の中に飾られた衣装を物色してゆく。
「あ、あれゆうちゃんがこの前着てたネグリジェです!」
「や、ひよりんさすがにまだ昼にもなってないのにパジャマ見ても……あ、でも何か見てると着たくなる……」
「着てみたらどうですか?」
「どうしよう、試着も出来るみたいだし着てみようかな……ってひよりん? その手に持ってるのなに?」
悩む悠火をよそにいつの間にかひよりの手にはピンク色の四角い物体が握られていて、それに気が付いた悠火は思わず問いかける。
「あ、これはお父さんが貸してくれたんです」
「デジカメ?」
「ですです」
言って悠火に差し出して見せてくるのは、確かにデジカメだ。
ひよりは先程お父さんが貸してくれたと言ったが、色合いがピンク色なことからどう考えてもひよりの父本人の所有物ではなく、ひよりの父がひよりの為に用意していた物であることは間違いないだろう。
「でもわざわざデジカメって、携帯のカメラとかでいいんじゃない?」
「わたしもそう思ったんですけど、お父さん、これで相手をちゃんと撮ってくるようにって」
「え? ……もしかして、わたし疑われてる?」
「ゆ、ゆうちゃんが疑われてるわけじゃないですよ!? ……でもお父さん、わたしが一緒に出かける相手が男じゃないかって心配だったらしくて。心配性すぎです」
「あ、あー? まあ? それは、ねぇ……?」
ひよりが今日悠火と遊びに行くのをどう説明しているかは知らないが、日頃から外に遊びに行くことのない娘が、楽しそうに遊園地に行くのだと言うのだから相手が誰か心配になってもおかしくはないだろう。
それも父方の親ともなれば可愛い娘に悪い虫が付いたのではないのかと思ってしまうこともあるだろう。
「でもちゃんと相手は女の子って伝えてますし大丈夫です」
「あー、そ、そー……」
笑顔で言い切るひよりに、悠火は引き攣った笑みと間延びした声で返した。
……いやいや、実際、男なんだけどね。
ひよりは悠火が女の子だと信じきってしまっているが、けれども悠火は男である。
「どうしたんです? ゆうちゃん?」
「や、な、なんでもないよ?」
「くすっ、変なゆうちゃんです」
「あ、あはは……」
VR化からCAOを始めたひよりにならばらしてしまっても問題ないと思うが、けれども信じきっている相手を否定するというのは意外と覚悟が要るものだ。
さすがに話の流れでさらりと暴露出来るほど、悠火は豪胆ではなかった。
「それはそうと、デジカメね。……ひよりんはシアの真似しちゃダメだよ? 盗撮は犯罪だからね? 懲役及び罰金だよ?」
「ふぇ!? シ、シアさんってそんなことしてるんですか!?」
「や、ルカルディアで盗撮も何もないけど、シアはSS撮りまくってるからね。結構自由な角度から撮れるようになってるし」
「SS、です?」
略称で言うとひよりが首を傾げて聞いてきて、悠火はあれ? と思いながら問い返す。
「もしかしてひよりん、スクリーンショットの撮り方とか知らなかった?」
「すくりーんしょっと、です?」
「そそ。システムウインドウのちょうどこの辺に……って」
そう言って口語でなく視界端の表示ボタンをスライドしてシステムウインドウを呼び出して説明しようとして、悠火は動きをぴたりと止めた。
「……あ、ここルカルディアじゃなかった」
「ゆ、ゆうちゃん……」
そこまでやってようやくここがルカルディアでないことを思い出して、悠火は呟いた。
隣ではひよりが手慣れた悠火の動作に曖昧な表情を浮かべていた。
「りていく。――システムウインドウの右上辺りにSSってボタンがあるから、それを押したら写真が取れるようになってるんだよ」
「そ、そんなのがあったんですか……うぅ、ちょっと残念です……」
「こればっかりはオンラインゲームをやってないとわからないところもあるからね」
公式のホームページを端から端まで読み漁ればほとんどのシステムは書かれていることだが、正直そこまで読み込んでオンラインゲームを始めるユーザーなんてほとんど居ない。
教える側からしても公式のホームページに書かれていた情報だったかなんて覚えてなく、大抵は人づてに聞いて知っているのがほとんどだ。
「USBで繋げばパソコンにも画像を転送できるし、いろんなところに行った時とかの思い出になるから繋いだら試してみたらいいと思うよ」
「は、はいっ。試してみます!」
実際SSは撮っておくと割と良い思い出になったりするものだ。
レベルが低いうちに踏破したダンジョンで撮った光景、誰も知らない場所にひっそりと存在する秘境のような風景、或いは今はもう引退して居なくなってしまった人の面影。
その時に確かに在った思い出を呼び起こすきっかけ。
それがSSというものだ。
「わたしも、帰ったらVR化以前のSSとか整理しようかな」
「VR化以前の、ですか」
「うん。結構SS撮って回ってたりしたから、比べて見るのも面白いかなって」
悠火にもCAOでの思い出はたくさん存在する。
特にVR化以前は、レベル上げや装備集めが終わってすることが無くなってきてからは、ずっとルカルディアの各所を巡っていた。誰も知らないような秘境も知り尽くしているし、SSを見て思い出したら刺激されて今のルカルディアでも行ってみたくなるだろう。
「……わたしの知らない、ゆうちゃん、です……」
懐かしい思い出を断片的に思い浮かべて哀愁に浸る悠火を見て、ひよりは悠火に聞こえないくらい小さな声で囁くように言った。
「え? ひよりん、何か言った?」
「い、いえ、何も言ってないです」
「……そう?」
「ですです! それよりもゆうちゃん、写真を撮るのでネグリジェ着てください!」
「あ、やっぱり撮るんだ」
「今日はいっぱいゆうちゃんとの思い出を作って帰るって決めてるんです!」
「そ、そう? だったら、まあ、うん。着てみよっか」
前のめり気味で言うひよりに少しだけひっかかるところがあったが、勢いに押され悠火はさほど気にせずにそう言って衣装を手に取る。
その後、悠火はしばらくひよりの着せ替え人形となるのだった。
「ユウヒ様……はぁ……はぁ……」
「…………」
その様子を遠巻きに見ていた紫亜が、コージローがドン引きするくらいの望遠レンズ付きのデジカメでシャッターを切っていた。
開園直後でまだ人が少ないのは幸いだったが、息も荒くシャッターを切る女性と、それに付き添う男性という異色の組み合わせに、遠巻きにひそひそと声が聞こえて来て、コージローはずっと心中穏やかでいられなかった。