最終話[コロッセオ対抗戦]
――三月十五日の日曜日。
悠姫が運営に電話して[第一の聖櫃]のことについて確認をしてからその後の三日間は、まるで地獄のような忙しさだった。
「はぁ……本当に、本当に、本当に、悠姫は人使いが荒いの……メアリーもう疲れたもん……」
――主にメアリーが。
「ごめんごめん、けど助かったよ」
悠姫はそう軽く言うが、メアリーのこの三日の活躍ぶりは、情報屋というよりはもはや[AS]のインテリジェンスオフィサーかエージェントかといった具合だった。
今回のプレイヤーズイベントである[第一回コロッセオ対抗戦]のスケジュールは、最初に三対三での[パーティマッチ]が行われ、次に五十対五十で行われる大規模戦闘の[ギルド対抗戦]。そして最後に一対一の[デュエル]により、悠姫とセリアが戦うことになる。
それに際して、メアリーには[Endless Paradox]を表舞台に引きずり出すために、[Akashic Origin]の説得に色々と裏情報を使ってもらったり、一番初めの前座となる三人のプレイヤーに打診を頼んだりと、あちらこちらに大忙しとなっていたのだ。
[加護の祈り]を解いて完全な実力格差の世界にしてしまうことも考えたが、けれども結局、悠姫はそうはしなかった。
だからメアリーに無理を言って、強引にでもAOを舞台に立たせることにしたのだ。
セリアに聞いたところによると、HNに所属する[キリングメイド]のNo.Aも何やら暗躍していたらしい。HNにはまともな人など居なかった。
「……こんなことをしていると[情報屋]が廃業になるの……。そうなったら悠姫には責任を取ってもらうことになるの」
「うちで良ければ歓迎するけど」
「……とりあえずおっきな貸しにしとくの」
悠姫が割と本気でそう返すと、メアリーは少しだけ悩む素振りを見せながらも、そう言って影へと消えていった。
「……貸しかー。怖いなぁ。でも……ありがとねメアリー」
誰も見えなくなった控え室の中でそう言って、悠姫は自分の戦いの時間になるまでの間、観戦しようとコロッセオの客席へと向かう。
[コロッセオ]があるのは、中央大陸のシルフォニア大陸から南西のラタトニア大陸。その首都[ガドレニス]のさらに東にある海岸の街[スターチス]だ。
[スターチス]は都市と言っても通じるほどの広さを持っている街ではあるが、その半分くらいの面積は中央に存在する[コロッセオ]によって占められている。
街の作り自体は白石造りの建造物が多く、砂漠に近い場所にある街だというのに訪れる者にどこか涼しさを覚えさせる外観で、VR化前もその雰囲気から[スターチス]に避暑地として[ホーム]を購入する者も多かった。
因みに特産物は熱い地帯で育つ果物[キウバ]による甘いフルーツジュースだ。下見でセリアたちと訪れた時に悠姫は彼女に推されて飲んでみたが普通においしかったのは記憶に新しい。
と、そんな街[スターチス]の時間は昼過ぎ。
現在、コロッセオの観客席は満員御礼だ。
……野球やサッカーなどの試合を見に行ったらこんな感じなのだろうか。と、スポーツ観戦などの経験が無い悠姫は、子供の頃にテレビで見たことがあるスポーツ番組の放送を思いだしながら考える。
しかしこれだけ多くのプレイヤーが[第一回コロッセオ対抗戦]の為に集まってくれたのだと思うと、まだ始まってもいないのに感慨深く思ってしまうものだ。
何気に観客席やその通路で飲み物や軽食を売っている者の姿もちらほら見えて、ちゃっかりしているなぁと思う。
「ユウヒ様、こっちです!」
呼ぶ声が聞こえて、悠姫はそちらの方向を見ると、シアが手を振って場所をアピールしていた。その付近には久我やニンジャ、後はHNのメンバーの姿もある。
「はよこな第一試合始まってまうでー」
そしてそこにはさも当然のようにセリアの姿もあり、悠姫は複雑な気分になる。
「まあ別に良いんだけどさ……」
セリア=アーチボルトという人物は腹の探り合いをするようなタイプではないし、特に因縁や賭け事があって戦う訳じゃないのだから、別に避ける必要もないと言えばないのだが……複雑な心境になりながらも席へと向かい、悠姫は空いていたシアの隣へと腰を下ろす。
「もうそろそろはじまりそう?」
「後数分で開始ですね」
そう言うシアの言葉に悠姫が[コロッセオ]のフィールドへと視線を移すと、今まさに選手が入場してくるところだった。
「へー、あれが、例のEPのプレイヤーなんやねー」
後ろの席からセリアの興味なさげな声が聞こえて来る。
「……セリア、棒読み過ぎ……」
「せやかて正直あれやろ? うちのノア一人でも全部片付けてまえそうなメンツやん?」
出て来たのは、一週間ほど前にひよりに暴言を吐いたjudgementとケイロンとアスカンベルというEPに所属する三人のプレイヤーだった。
もっと白熱するパーティ戦闘になるように、熟練のプレイヤーへと打診しようとも思ったが、けれども今回の[第一回コロッセオ対抗戦]の目的はEPに釘を刺すことでもある。
悠姫の個人的な怒りにギルドメンバーの全員が賛同したということも過分にあるのだが、今回は彼らを舞台へと引きずり出すことにしたのだ。
「でもまさか、ひよりんが出ることになるとは思わなかったけどね……」
元々のメンバーは、久我とニンジャとリーンの三人だった。
けれども今回のことを聞き付けたひよりは、悠姫に[パーティマッチ]のメンバーに入れて欲しいと頼んできたのだ。
対人戦闘などしたことのないひよりを心配して悠姫はそれに反対しようとしたが、けれども一緒にやってきたセリアの後押しもあり、メンバーにHNでナンバー2である実力者のノアを入れるということもあって、しぶしぶ承諾をする形となってしまった。
EPのメンバーが出てきた方の入場口とは逆方向の入場口から出て来るリーンとノア、そしてひよりの姿を見て、悠姫はひよりの言葉を思い出す。
――ゆうちゃん。わたし頑張るので、見ててくださいね。
悠姫はひよりが彼らに言われたことを気に病んで思い詰めているのではないとも思ったが、けれどもひよりの言葉にはそんな思い詰めた様子などなかった。
「なんやったらうちのノアやなくても、ひよりちゃんでも一人でいけそうやなぁ」
「え、ひよりん一人で?」
「ひよりちゃん、がんばっとったからねぇ」
初耳の情報に悠姫が問うと、セリアはにやにやと笑いながら言った。
「セリア、それって――」
「お、始まるみたいやで」
悠姫がフィールドに視線を戻すと、既にカウントダウンが始まっていた。
広いリングの上で、眩暈がするほどの観客席からの熱量に、ひよりはかなり気圧されしていた。
対面には既知の三人が居て、向こうはあまり乗り気じゃないような表情で疎ましげにこちらに視線を送って来ている。
「――さて、どうしましょうか。泣いて土下座をして二度と悪さをしないと謝るなら、特別に手加減して差し上げてもよろしいのですけど」
「わたくしもそれでよろしいわよ? ねぇ、ひよりさん」
そんなEPの三人の視線をさらりと受け流して、ノアとリーンはあざ笑うように言って、ひよりを見る。
「え、わたしはどっちでもいいですけど……」
さらにひよりがそう言ってちらりと相手の三人を見ると、先頭に立つjudgementは怒り心頭と言った具合に表情を歪めていた。
「……ちっ、この野郎ども! 馬鹿にしてるんじゃねぇぞ!」
わざとらしく談笑するノアとリーンの態度に激昂して、開始の鐘が鳴ると同時に、judgementがリーンへと突っ込んでゆく。
「わたくしたちを見て野郎とは、どこを見ているのかしらね!」
しかし正面から斬りかかってくるjudgementの攻撃を、リーンはそれよりも強い剣撃によって弾く。
「ぐっ!?」
「あら……今ので襲いかかってきているつもりなんですの?」
「ちぃっ!」
安っぽい挑発にjudgementが幾度とリーンへと斬りかかるが、けれどもその度に剣が振りかぶるより高く跳ね上げられる。
「軽いですわね……」
それでもリーンにとっては手加減しているようなものだ。
仮にリーンが本気を出していたら、もうjudgementのHPバーは半分ほどになってしまっているだろう。剣を弾いて出来る隙をリーンはあえて見逃しているのだ。
「……まさか、これで本気ですの?」
「くっそっ! がぁ! おい、支援しろ! アスカンベル!」
怒りのままに叫ぶjudgementに言われて、アスカンベルは二人に支援魔法をかける。
「は……っ! ケイロン!」
支援が入ると、judgementは薄ら笑いを浮かべてケイロンへと声をかけ同時にリーンへと襲い掛かる。
「――はぁっ! っ、っがあ! んでっ、あったんねぇんだよっ!」
けれども支援によって速度を増し強化されたjudgementの剣もケイロンの拳も、どちらもリーンの身体にかすることすらしない。
日頃から久我やニンジャ、そして悠姫と戦闘訓練をしているリーンにとって、この程度の攻撃など三人の内の誰にも似付かない、お遊びのようなものだ。
これならばまだ、比べるのも業腹ではあるがイヴの方がマシだと言わざるを得ない。
……などとリーンは思うが、けれどもリーンとイヴの戦績は12戦12敗で、リーンが負け越している。悠姫がログアウトした後もさんざ勝負を挑んで、そのたびに負けていた。
「――ほらほら軽いですわよ? 二人ががりでその程度ですの?」
舞うような身軽な動きでかわし、剣で弾きながらリーンは挑発する。
「うるせぇっ! 死ねっ! [トライエッジ]!」
「おおおお! [ブーストナックル]!」
「――遅いですわ!」
スキルを使おうとするjudgementとケイロンに向かって、リーンはフィールドの地面が削れるほどの踏み込みから、捻転、腕のしなりを加え、まるで消えたかのように錯覚するほどのHSを持つ斬撃を放つ。
放たれた剣閃は、judgementの剣とケイロンの拳を正確に捉え、弾かれて体勢を崩した二人は、そのままスキルの硬直を受けて動けなくなる。
「隙だらけですわね。[シャドウウェイブ]!」
「ぐっああ!?」
「うあああ!?」
がら空きのそこにリーンがスキルを叩き込み、二人はノックバック効果により後方へと吹き飛ばされる。
「judgement! ケイロン! くっ……《創生の神よ、祈……》」
アスカンベルがごっそりとHPバーが削れた二人のHPを回復させようとするが、けれどもそれは叶わない。
「――回復なんてさせませんよ? [デッドリーエフェクト]!」
「な!? きゃああああ!? なっ、なっ、なんなのよこれっ!?」
いつの間にか背後へ回っていたノアが付態効果付きのスキルを放ち、いきなり訪れた背後からの衝撃にアスカンベルは叫び声をあげ、さらにそれで付与された[混乱]のバステによって我を見失っていた。
[キリングメイド]のNo.A、ノア。
彼女の戦闘スタイルはダンサー系の職業で覚えられる[ステップ]系のスキルと、様々な付態効果を持つバステ付与スキル、そしてクールタイムの短い高倍率スキルを駆使して立体的な動きから相手を翻弄して致死の一撃を叩きこむという、メイドとは名ばかりの暗殺者のような戦闘スタイルだった。
「背後から襲いかかるだけの簡単なお仕事です」
そう言ってノアが居住まいを正して観客席に一礼すると、観客がわっと沸いた。
なんだかんだで彼女もノリノリだった。
[デッドリーエフェクト]のバステ効果は耐性が無い場合は十二秒と短いものだが、対人戦闘における十二秒という時間は致命的だ。
あまりにも相手にならなさすぎる戦いに、リーンは溜息を吐きながら吹き飛ばされて尻もちをつくjudgementへと歩み寄る。
「……こんなものですの? ほんっとうに手ごたえがありませんわね」
侮蔑の色をたっぷりと含んだ辛辣な言葉がjudgementへと突き刺さる。
手加減をしていてこれだ。ノアも未だ[混乱]が解けないアスカンベルにトドメを刺そうとせずに観客席に向かって礼をしているし、リーンにしたってやろうと思えばもう何度も二人にトドメを刺すことが出来るのにそうはしない。
「くっ……そっがっ!」
「いきがる雑魚がでしゃばっていると聞いていましたのに、残念ですわね。この程度でしかないなんて、笑えませんわね」
冷めた視線を向けて侮蔑の言葉を告げるリーンへ、judgementもケイロンも激昂して叫ぶ。
「っ……レ、レベルも違うんだから、三対三で何とかなるわけねぇだろ! ふざけんなよ!」
「そ、そうだ! こんなの対等じゃないだろ!」
喚き散らす二人に、リーンは不快感を露わにした視線を向け、続けて瞳に僅かな憐みの色を宿して告げる。
「呆れましたわね……」
この後に及んでどの口がそんなことを言うのか。これまで低レベルのプレイヤーに散々迷惑行為をしていながら、良くもそのようなことが言えたものだ。
「……けれども、それでしたら、こちらは一人でお相手して差し上げますわよ? 対戦相手はそちらが選んでもらって結構ですわ」
けれどもリーンは敢えてそれを言わずに、そう言って譲歩する素振りを見せる。
追い詰められれば彼らはきっとそう言ってくると、端からわかっていたからこその、この流れだった。
「だ、だったら、そこで何もせずに見てるひよりとかいうアイツだ!」
――そう。こうなるとわかっていてこの流れを作ったのだ。
リーンにとっても、ノアにとって、全てが予定調和だった。
「わかりましたわ」
リーンはそう言ってjudgement達に背を向けて、後ろで一人、戦闘に参加せずに見ていたひよりへと向かって歩いて行き、
「……ここまでお膳立てしたのですわ。後はしっかりやってきなさいな」
パーティチャットで小さくそう言って、剣を鞘に仕舞う。ノアもパフォーマンスに満足したのか、ステップスキルを利用してリーンの隣に戻って来ていた。
「あ、ありがとうございます……リーンさん。ノアさんも……」
そう言ってひよりは、バステから解放されたアスカンベルの元へと戻りHPを回復して貰っている二人へと視線を向ける。
彼らは前に一度ひよりと組んだことを覚えているのだろう。勝利を悟ったような顔でにやにやとひよりへと下卑た視線を向けて来ていた。
無遠慮な視線に晒されながらも、ひよりは自分へと言い聞かせる。
……大丈夫、大丈夫なはずです。これまでやってきたことをすれば、大丈夫なはずです……。
リーンに相談した時も反対されなかったし、セリアにも太鼓判を貰った。
……けれども、それでもオンラインゲームの経験が薄いひよりは、不安に思う心を抑えられない。
例え知識があったところで、まったく経験の無いことを初めての舞台で100%成功させることの出来る者がいったいこの世に何人くらいいるだろうか。
運の良し悪しもあるだろうが、そういった人が居るとすればそれはまさしく天才というやつなのだろう。
けれども、ひよりは特別でもなんでもない平凡な少女だ。
やさしくされればうれしく思い、冷たくされれば悲しく思い、悪意にさらされれば心が傷つく、普通の少女だ。
CAOをプレイしているプレイヤーなんて皆そうだ。常日頃から日常を生き、非日常に生きることのない彼らが体験する非日常。
誰もが初めはレベルが1で、そこからどんどん強くなっていくことが出来るのがオンラインゲームというものだが、だからこそ[経験値]の差というものはより顕著に現れる。
[コロッセオ]全体に広がる波のようなざわめき。
[コロッセオ]では、戦っている者のログは拾えるようになっているが、その逆は無い。
ログには残らない観客のざわめきの声が、ひよりの不安を煽る。
観客から見ても、三対一だったとしてもリーンやノアならば戦いぶりからして問題なく相手出来そうではある。
けれども指名されたひよりは、そこまで何もしていなかったプレイヤーで、さらには見た目で得られる情報は確実にひよりが前衛職ではなく魔法職であることが伺える。
前衛職と魔法職。
基本的にそのような図式になった場合、圧倒的に不利なのは魔法職の方だ。
前衛職に比べてHP総量が少なく、DEFも鎧などが装備出来ないためかなり低い。
さらに魔法職はスキルを放つための詠唱が必要になってくるし、相手の攻撃を受けると詠唱は中断されてしまう。
回避しながら詠唱しようとしても動きながらの詠唱はシステム的に不可能だ。
「――おい、お前、またでしゃばってきたのかよ」
「……っ」
「ははっ、俺たちからすればラッキーだったがな」
「ほんとにねぇ」
氷のように冷たく棘のように刺さるjudgementの言葉に、ひよりは身体が強張るのを感じた。
付けたはずだった自信という鎧が、ぱらぱらと剥がれていくような感覚。
悪意のこもった言葉が、ひよりに投げかけられる。
いやらしい笑みを浮かべてそれを言い放つ彼らは、自分たちの勝利を信じて疑っていないようだった。
彼らには何かを努力したような自信など存在しないが、それに勝る[|Endless Paradox]という立派な張子の虎が有った。
大手ギルドの一員だから。誰もが避けて通るような名前があるから。
仮初だったとしてもそれもまた自信であることには変わりなく。裏付けされた言葉というのは自信の無い相手には酷く突き刺さるものだ。
……やっぱり……ダメなんでしょうか……。
《――ひよりん、がんばって!》
「……え?」
俯き、諦め、泣きそうになるひよりへとかけられた、透き通った声。
現実だったら絶対に届かない声。
互いの場所は遠すぎて。現実では決して聞こえるはずがない距離。
――けれどもこの世界ならば、その声は届く。
《ひよりんなら、絶対大丈夫だから!》
耳打ちによる悠姫の声が聞こえて、ひよりは顔を上げる。
ちょうど対面に、心配そうに自分を見つめる真紅の髪の少女……悠姫の姿を見つけて、ひよりは先程までの緊張が嘘のようにほどけていくのを感じた。
支援魔法を貰っているjudgementやケイロンよりも、遥かに勇気が出てくる魔法の言葉。
何にも勝る支援を得て、ひよりは覚悟を決める。
「わたしは、もう……あなたたちには負けませんっ!」
judgementたちへと視線を向けてそう宣言するひよりに、judgementは舌打ちをする。
「……ちっ! なら、死ね!」
そう吐き捨てて、距離を詰めようとしてくるjudgementを冷静に見ながら、ひよりは思念詠唱によって詠唱を進めてゆく。
杖を振り、逆の指先でCSのラインを横に薙ぐ。
その動作に観客席が俄かにどよめく。
「《――現れし炎の化身、焔に身を焦がし……》」
「はっ! おせぇよ!」
反応が遅れて詠唱を始めたように見えるひよりに向かってjudgementの姿が迫り――
「――[フロストチェイン]!」
「なっ!?」
予想よりも遥かに速く、しかも別の魔法が放たれて、不意を突かれた形になったjudgementは周囲の空間へと放たれた霜に絡め取られてがくりと動きが遅くなる。
[フロストチェイン]も、ひよりがソロで狩りをする場合に必要だと判断して取ったスキルで、その効果は周囲の敵に対しての[凍傷]効果と氷の霜による[鈍足]効果だ。
火属性の[ラーヴァイラプション]にも近い特性を持っているが、[フロストチェイン]の方はダメージの付与という点ではまったくのダメージはない。
その代わり[ラーヴァイラプション]と比べるとCSが格段に短く、発動速度だけで言うならば[フロストチェイン]の方が効率的だ。
Judgementと共にひよりへと襲い掛かろうとしていたケイロンもこれに絡め取られ、動きが鈍る。
「っな! な、あ、アスカンベル! リカバーだ!」
「させませんっ! ――[フレアストライク]!」
いきなりのことで固まるjudgementにかわってケイロンが後ろに指示を出して[リカバリー]を貰おうとするが、けれどもひよりは詠唱のモーションに入るアスカンベルへと向けて[フレアストライク]を放つ。
「きゃあああああっ!?」
完全に不意を打たれた形での一撃で、アスカンベルのHPバーが吹き飛ぶ。
まだ新生CAOが始まって二週間しかたっていない段階で、属性耐性を持つ装備など持っていない後衛職にとって、対人モードでダメージがごっそり下がっているとはいえ、1800%の倍率を持つ[フレアストライク]を耐えられるはずもなかった。
「なっ……!?」
「う、うそだろ……」
振り返り支援を求めていた相手が一瞬で消し炭になった光景に、judgementもケイロンも信じられずに硬直して動けなくなる。
彼らにとって現段階での魔法職のイメージは詠唱をして、発動させるというプロセスが必須のように思えていた。
そしてその考えは正しく、魔法を放つのには詠唱が必須であることには違いは無い……が、けれどもひよりの[二重詠唱]は彼らのそんな常識を根底から覆すような、まるで無詠唱で魔法を放っているかのように見えて、彼らの戦意を奪い去ったのだ。
「…………」
――《顕現せし氷狼の牙、骨子の髄まで貫く剣となり、彼の者に氷の静寂を……》
その間にもひよりはすぐに距離を少しだけとって[思念詠唱]で[アイシクルソード]の詠唱を紡ぐ。
「――《天空より降り下されし神の雷……》」
「っ! さ、させっ!」
[口語詠唱]で紡がれるCSの声で、先に我に返ったケイロンがひよりへと近寄ろうとするが、けれども[鈍足]のバステを受けているその身では遅すぎた。
「――[アイシクルソード]! [サンダーストーム]!」
どちらも詠唱を完成させたひよりは、ほとんど同時に二つの魔法を発動させてjudgementとケイロンへと放つ。
現れた氷剣の刃がjudgementの前にいるケイロンをずたずたに切り裂き、それに少し遅れて二人に瞬く間すら許さないほどの速度で雷が降り注いだ。
雷が落ちる音に、観客席からか細い悲鳴が響く。
「っぁ!」
「うぁがぁぁぁ!?」
土埃が舞い、それが収まった後にその場に残っていたのは、HPバーがほとんどなくなったjudgementだけで、ケイロンの方は[アイシクルソード]と[サンダーストーム]の波状攻撃を受けて即死してしまっていた。
もはや、勝負の行方は誰がどう見ても明らかだった。
「…………」
雷の音でシンと静まり返った沈黙の中を歩き、ひよりはjudgementへと近寄ってゆく。
「……ひっ!」
judgementの顔にはあれほど自信満々に勝利を確信していた下卑た笑みはもう見る影も無く、無言で歩いてくるひよりへの恐怖心が浮かんでいた。
「…………」
そんなjudgementの目の前でひよりは立ち止まり、数秒の沈黙の後に、告げる。
「……降参、してください」
「な……っ」
余程屈辱的だったのだろう。
数日前まで馬鹿にしていたプレイヤーに、情けを掛けられたのだ。
judgementは顔を真っ赤にして絶句し……けれども直後にそれを噛み殺したかのように俯いて、言う。
「降参…………するわけがないだろうがぁ! 馬鹿がっ!」
僅か二メートルほどの距離。
この距離ならばとjudgementは思ったのだろうが、けれども剣を振りかぶった直後に見たひよりの顔が、驚きではなくとても悲しそうな顔をしていたことに気が付き、自分の失策を悟った。
「……[フレアストライク]」
呟かれた言葉で炎の塊がjudgementへと突き刺さり、その身体をデータの破片へと変えて、霧散して消え去る。
直後、勝敗を決したSEが盛大に鳴り響き、会場に歓声が鳴り響く。
暫くの間、ひよりは自分が勝てたことが実感できず、また安堵から動くことが出来なかった。
本当に自分が勝てたことが信じられなくて、向けられた歓声が自分に向けられていることが信じられなくて。何もかもが非日常の状況に翻弄されるがままに空を見上げてそこに浮かぶ[第一の聖櫃]を見つけ、ひよりはそこから連想された相手を思い出して視線を観客席に移す。
けれどもそこに悠姫の姿は無く、どこへ行ったのかと思うその疑問への答えは、ひより達がやってきた入場口から与えられた。
「ひよりん!」
振り返った先に、ここ数日ずっと面と向かって会うことが出来なかった相手が、悠姫が居て、その顔を見たひよりは、涙が溢れてくるのを抑えられなかった。
自分一人だったらきっと何も出来ずに終わっていた。
何も変わらず、失敗して終わって、泣きながら自信を無くしていた。
けれども悠姫が声をかけてくれたから。
だから――ひよりはそんな自分を奮い立たせてくれた愛しい人の名前を叫ぶ。
「ゆうちゃんっ!」
そう言ってシステム的にフィールドの中へは入ることが出来ないため入場口から叫ぶ悠姫に向かって、ひよりは駆けて行く。
――やっと、胸を張って言えます。
「ゆうちゃん、大好きです!」
「は、え、ええ!? な、いきなりどうしたのひよりん!?」
それが友愛の感情なのか、恋愛の感情なのか、ひよりにもまだわからない。
けれどもその胸に宿る暖かな感情を大事にしよう、そう誓い、ひよりは慌てる悠姫へと抱き付き心の底からの笑みを浮かべるのだった。
――そして祭りは最高潮に達して、最終決戦。
悠姫とセリアの戦いが幕を開ける。
[パーティマッチ]の後に行われた[ギルド対抗戦]もつつがなく終わり、当初の目的である[EP]の鼻をへし折るという目的も達成できた。
ラードルフとディーンにはまだまだわだかまりは無くならないだろうが、けれどもディーンの新しいギルド[Akashic Origin]が今後もっと強くなっていけば、それもいつか消えてゆくだろう。
入場口でディーンとすれ違った時、彼は一言だけ「ありがとう」と言っていた。
「やー……ほんま、ええシチュエーションやね」
「本当に。おいしいところを持っていくようで悪いねぇ」
[コロッセオ]のフィールドの中央。
[Hexen Nacht]所属、セリア=アーチボルト。
[Ark Symphony]所属、欠橋悠姫。
両名は向かい合って対峙していた。
「でも、良いのかな。ひよりんにあの[二重詠唱]を教えたのってセリアでしょ? 見ちゃったらわたしも対策を立てられるけど」
「かまへんかまへん。ひよりちゃんもがんばっとったけど、年季の差がちゃうからね」
そう言って、セリアは腰から短剣を抜く。
「へぇ……杖じゃないんだね」
「魔法使いが杖だけや思たらあかんやろ?」
カウントが始まり、悠姫も剣を抜く。
初期位置からの彼我の距離は10メートル程。
悠姫もセリアも現在レベルが90で同じだ。
悠姫のAGI値ならば、10メートルの距離などそれこそ瞬く間に詰めることが出来るだろう。
「――さて、ちょい本気だそか!」
「行くよっ!」
カウントがゼロになると同時に、悠姫は弾かれたように距離を詰める。
セリアには悪いが、悠姫は勝負を一瞬で決めるつもりでいた。
詠唱が必要な魔法職に対して、悠長に間を与えるつもりなど毛頭なかった。
一秒にも満たないであろう速度で懐へと入り込まれたセリアが驚きの表情を浮かべ、悠姫はそのまま思考の間も与えぬほどのHSを持った斬撃をセリアへと放つ。
「[――――]」
が――
「っ、消えた!?」
セリアが何かをぼそりと呟いた瞬間、その姿がまるで残像のように掻き消えた。
「――[テレポート]や」
「ちぃっ!」
聞こえた声に振り返ると、背後の五メートルくらいの位置にセリアの姿があり、悠姫は立ち止まった自分の軽率さを呪う。
VR化以前、[テレポート]はかなり不遇のスキルだった。
移動範囲がそこまで長くない上に、さらにはクールタイムが10秒も存在する。
詠唱やモーションディレイもあったので、テレポートを取るくらいならば他のスキルを取れば良いと言われることが多かった放置スキルの一つではあったが、まさかここで使われると思わなかった悠姫は意表を突かれて数秒の時間をセリアに与えてしまった。
「ほな、悪う思わんとってな。うちも勝負事には本気やからねぇ![スペルリーディング]! [フレアストライク]!」
[メインクラス]の固有スキルであろうスキルを発動させて、セリアは続けて魔法を放つ。
――確か[スペルリーディング]は30秒間のスキル倍率が1.5倍になるっていう……っ!
速攻で勝負を決めに行っていたのはセリアも悠姫と同じだった。
[スペルリーディング]は30秒を過ぎると、1分間全てのステータスが一時的に大幅に下がるという諸刃の剣のスキルだ。
倍率が1.5倍になるというメリットとステータスが一時的に大幅に下がるという特性上これもまた使い勝手の難しいスキルではあるが、けれども確かに今のような状況では効果的だった。
悠姫とてまだ属性耐性を持つ装備など持っていない。
[スペルリーディング]で強化された[フレアストライク]をまともに食らったら、良くて瀕死、最悪の場合は即死である。
「――[ルーンエンチャント]!」
ほとんど脊髄反射に近い反応速度で悠姫は剣に魔法属性を付与して、弾丸にも等しい速度で飛んでくる火の玉を斬り裂く。
[フレアストライク]を切り裂いた悠姫の動きに、観客席から歓声とも驚愕とも取れない声が湧きあがる。
「あっはっは、笑えてくるなぁ! やるかなぁとはおもたけどなぁ!」
「――わたしだって、ひよりんが勝った手前負けられないから!」
前にちょっとだけ試して無理だと思っていた悠姫が、セリアと戦うに辺り絶対に修得するべき技術だろうと心血を注いで練習をしていた切り札。魔法斬りだ。
「せやけどうちもまだ切り札、もっとるからねぇ!」
手に持つナイフでCSをいくつも切り裂き、セリアは魔法を撃つ。
「[フレイムアロー]! [ラーヴァイラプション]! ――[クリムゾンレイン]!」
「ちょ、っなっ! [ペネトレイト]! っ[クラスターエッジ]!」
足元が陥没して吹き出す溶岩を避ける為に、悠姫は刺突スキルを放ち前へ抜け、さらには迫りくる炎の弾幕へと残像がいくつも見えるほどに加速された斬撃を浴びせる。
「っぅ! こ、これは……っ」
しかしそれでも迎撃しきれなかった炎の矢が悠姫の身体を焼き、HPバーをごっそりと半分程奪い去る。
――詠唱が二つまでしか出来ないと誰が言ったのか?
セリアが扱うそれは、[二重詠唱]ならぬ[多重詠唱]だった。
「三つ同時に[思念詠唱]とか、チートくさ……っ!」
「魔法を斬る悠姫ちゃんに言われとうないけどな! 勝負は勝った方が正義やで!」
「そ、か! [フィフススターブレイカー]!」
「っ! [テレポート]!」
喋る為の呼吸の隙を突いた踏み込みから放たれた悠姫の五連撃スキルを、セリアは再びテレポートでかわすも肝を冷やす。
「あ、あかんあかん、油断したら死ぬわこれ……せやからこれでお終いや!」
[スペルリーディング]の時間もほとんど残っていない。
次を最後の一撃と決めて、セリアは怒涛の勢いで迫る悠姫に、手持ちの中でも現在最強の魔法を放つ。
「[ライトニングプラズマ]! [アイシクルストーム]! ――合成魔法、アクセルディザスターや!」
合成魔法などというシステムは存在しないが、けれどもセリアの言うアクセルディザスターは中々にえげつない魔法だった。
前方から襲い来る[フレアストライク]や[フレイムアロー]とは違い、一定の方向へと向かってくるスキルではないため悠姫の魔法斬りとは相性が悪すぎた。
「やったか!」
周囲に現れた氷雪と電子の檻に成す術もないと勝利を確信するセリアに、けれども悠姫は咄嗟に地面へとスキルを撃ち放つ。
「そう言う場合は、大抵やってないんだよ! [レイジング、インパクト]っ!」
ノックバックの発生する範囲スキルにより潰された[ライトニングプラズマ]と[アイシクルストーム]のオブジェクトの隙間から抜け出し、悠姫は今度こそ驚愕を露わにするセリアへと踏み込みから加速された斬撃を放つ。
「やぁああああああ!」
迫りくる刃を見て、セリアは[テレポート]のクールタイムが終わっていないことをちらりと視界の端で確認して、無理を承知で短剣をかざして悠姫の剣を受けようとするが、当りはしたものの短剣は弾かれ、悠姫の一撃がセリアの身体へと吸い込まれる。
「っぅ……やっぱり、あかんやんなぁ」
斬り裂かれたセリアのHPバーが一気にごっそりと減少し、僅かなドットを残して止まる。
「――さて、どうする? 続ける?」
剣を喉元に突き立てられながらも、セリアは詠唱をしようかと少しだけ考え、けれども[スペルリーディング]の切れた今の状況で戦ったところで勝負は見えていると、諦めて両手を上げる。
「やー……さすがにここから逆転は無理そやなぁ」
困ったように、けれども満足したように笑い、セリアは空を仰ぎ見た。
「何か見える?」
「空しか見えへんなぁ」
僅か数十秒の戦いだったが、悠姫も満足していた。
「っていうか、悠姫ちゃんほんま強いなぁ……それチートやでチート?」
「セリアに言われたくないなぁ……」
それに、と言って悠姫は続ける。
「今回は偶然勝利の天秤がわたしに傾いただけだけど、次はそうじゃないかもしれないしね」
聞きようによっては勝者の余裕たっぷりの言葉に聞こえるそれに、セリアは少しだけ面白くなさそうな顔をした後……思い出したように言った。
「せやせや、悠姫ちゃん、知っとった?」
「なにを?」
「うちの[大魔導師]の固有スキルのもう一個や」
言われて悠姫ははて、と考える。
悠姫の[聖櫃の姫騎士]は[死すべき運命の解放]と[ルーンエンチャント]の二つで、そういえばセリアの固有スキルは覚えていなかった。一つはさっきの[スペルリーディング]だろうし、となるともう一つは何だろうか。無難な所でパッシブスキルなのだろうか……そう思い考える悠姫に、セリアは楽しそうに笑いながら告げる。
「ほとんどの人にゆーたことないけど、特別に悠姫ちゃんには教えたろか」
「え、けどここで言ったら周りのみんなに」
言う悠姫の声を遮って、セリアは続けた。
「うちのもう一個の固有スキルはな、[フォトンリコード]ゆーてな。――自爆スキルやねん」
言った瞬間セリアの周囲に魔法陣が描かれ始めて、悠姫は呆然と呟く。
「うそやん……」
「マジマジ」
そう、セリアが言った瞬間、悠姫とセリアの二人はまばゆい閃光へと姿をくらまし……。
次の瞬間、先程までの魔法など比にならない程の轟音が鳴り響き、決着を告げるSEが鳴り響いた。
まさかの結果に[コロッセオ]の観客は皆一時唖然となり――
――そうして勝負は幕を閉じることとなったのだった。