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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第二章[魔法使いの夜]
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八話[LOE]

 悠姫がフィーネ驚愕の事実を知らされた日から、二日経った水曜日の夕方。


 この二日の間、悠火は[雪うさぎ]でバイトをしている間もずっと悩んでいた。


 二日どころか一日ログインしていなかっただけで紫亜からもコージローからも大丈夫かお前熱でもあるんじゃないか、ユウヒ様何か悪いものでも食べましたか? 病院行くか? 救急車呼ぶか? ヘッドマウント装置が壊れたんですか? と散々心配されながらも、悠火はそれに「少し体調が悪いかも……」とだけ返して……けれども考えていたのはCAOで聞いたフィーネの言葉の真意ばかりだった。


 Crescent Ark Online。


 それはVRMMORPGというジャンルでシェアを得ている[オンラインゲーム]の名称だ。


 シビアな面で見ると、オンラインゲームというのは基本的に営利が目的であり、収入が無ければ存続することは出来ない綱渡りの仮想世界である。


 だからその方向性の手綱は、常に運営が握って居なくてはならない。


 これは実際にあった話だが、あるオンラインゲームの、ある運営が、ユーザーに満足してもらえるようにとユーザーの意見を積極的に取り入れて皆が満足できるようなオンラインゲームを作ろうとした。


 サービス開始前から良さそうだと思う意見は取り入れ、サービスを開始してからもユーザーからこうして欲しいと言われたらそう変更し、ユーザーがああしろと言ったからそうする。


 そうして様々な要素を取り入れたユーザーの皆が満足出来るようにと思ってアップデートを重ねたオンラインゲームは――半年も持たずに、消滅した。


 誰もが何もしなくても無双出来るようなシステムバランス。良くわからない一貫性の無い世界観、背景。コロコロと変わる敵のステータス、モンスター配置。対人戦闘にしてもスキルを当てたら勝ちというバランスも何もあったものじゃないインフレ。レベル上げも数時間狩りをしただけですぐにカンストになってやることが無くなる。


 そのオンラインゲームは多大な損失の元に、各所で叩かれに叩かれた後にひっそりと息を引き取ることになった。


 結局、運営のユーザーの意見を取り入れるなどと言う言葉は所詮ただの甘えでしかなく、意見など一部のユーザーだけが楽しむ為の要望でしかない。


 だからこそ運営はしっかりとした方向性を持っていなければならないし、いくらMMORPGだからといっても適当で薄っぺらな世界観というものは許されない。


 ――が、それにも限度がある。


 いくら造り込まれた世界観だからと言って、NPCがシステムに干渉することが出来る権限を持っているというのは、明らかにその世界を壊しかねない不確定因子だ。


 もしかしたらフィーネが言っていることがただの冗談だということも考えた。


 けれどもあの時のフィーネは嘘をついているような雰囲気ではなかったし、それが出来て当たり前だという顔をしていた。


 そしてさらに問題なのは悠火がフィーネに[加護の祈り]を切ってくれと言ったら切ってくれるであろうところが最大の問題なのだ。


 悠火はただの一プレイヤーであり、特別な物語の主人公ではない。


 多くのプレイヤーが楽しめるオンラインゲームで、その中の一人が世界を変えることが出来る権限を持っているというのは本来の形から遥かに逸脱している。


「……やっぱり、確かめるしかないよね」


 ここ二日間悩んでいた悠火の結論は、いつもそこに辿り着く。


 廃人プレイヤーにとって馴染みはあるが、けれどもあまり関係を持ちたくない相手。


 悠火はCAOのソフトが入ったパッケージの裏面を見ながら、一番下にある[運営(LOE)]の電話番号を携帯で打ち込んでゆく。


 そう、運営だ。


 お問い合わせ窓口のメールフォームで書いて送っても良かったのだが、けれどもメールフォームでの問い合わせの場合かなりの時間がかかってしまうこともあるし、何よりこんな突飛な出来事を文面で説明しきる自信が悠火にはなかった。


 廃人プレイヤーにとって運営にシステム面での確認で電話するというのは少々気が引けることではあるし、尋ねるコトがコトだけに、もしもアカウントを停止されたりしたらどうしようという懸念もあった。


 けれどもそういった懸念を差し引いても、悠火は問い合わせる話だと判断した。


 時刻は平日の夕方。まだ時間的には大丈夫な時刻。


「…………」


 コール音が聞こえ、悠火はなんとなく居住まいを直して椅子に座りなおす。


 音声ガイダンスに従って番号を押してくださいという案内音声に従い、悠火は少し考えて商品についての問い合わせを選ぶ。システムなどやゲーム内の質問などについての番号を押したところで、メールフォームへと案内されるのがオチだ。


 コール音が変わり、数秒して相手が電話に出る。


『はい。レガシーオンラインエンターテインメント株式会社、お客様サポートセンターの加賀がお伺いします』


「……先日、CAOを買ってプレイしているんですけど、ちょっと気になることがありまして」


『ありがとうございます。プレイ内容についてのお問い合わせでしょうか? それでしたら公式ホームページか商品の後ろにあります――』


「いえ、プレイ内容とかじゃなくて、システムの確認なんですけど」


『……システムの確認に関しましても、まことに申し訳ありませんがメールフォームにてのお問い合わせをお願いしておりますので……そちらに』


『ちょ、待って待って! 聞きたいのは[第一の聖櫃(クラリシア=フィルネオス)]についてのことなんです!』


 悠火がそう言うとテンプレ通りに対応していたサポートセンターの女性が息を飲む音が聞こえた。


『差支えなければお客様のアバターのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?』


「……欠橋悠姫です」


『――失礼致しました。少々お待ちいただけますか?』


 さっさとメールフォームに案内して終わらせようとしていた対応から一転した対応に悠姫は危機感を覚える。サポートセンターにまで名前が浸透しているという事実は、実質、運営にマークされている証拠だった。


 電話したことを早くも後悔しそうになりながらも待つこと数分。


 サポートセンターの女性は別の場所に電話をお繋ぎしますので少々お待ちくださいと言って、悠火はさらに数分待たされることになった。


 そこからシステム部へと繋がれ、また継ぎかえられて、やっとのことで電話に出たのは、若い声の男だった。


『お待たせして申し訳ない。――初めまして。私はLOEの最高経営責任者(CEO)を務めている葛西裕次郎だ。……欠橋悠姫さん、で間違いないかな』


「は、はい」


 まさかの大物の登場に悠火はどもりながらも答える。


 葛西裕次郎と言えば雑誌などでも何度も取り上げられている元エンジニアのCEOで、独自の世界観を持ち、現場の視点からそれを共有することでいくつもの傑作を作り出してきた……と、特に肩入れしている訳ではないが、悠火が渡り歩いてきたオンラインゲームの数々はLOEが作り上げた物が多く、紙面で名前を何度か見たことがあった。


『そんなに緊張しないで気楽に構えてくれていい。別にBAN対象だからマークしていた訳ではないからね』


「あ、はい……でもその口ぶりですと、マークはされてたんですね」


『私としてもあまりユーザー個人を追うことをしたくはないが、キミに関しては現状、こちらも少々特殊な状況でね』


「…………」


 ……特殊な状況というのはどういうことなのかが激しく気になったが、悠火はそれに対する問いをぐっと飲み込んで、当初の疑問を彼にぶつける。


「……聞きたいことがあるんですが、いいですか?」


『おや、さっきの話は気にならないのかい?』


「どちらにせよ関わりのあることな気がしますし……どうせだから先に聞いてから聞きます」


『ふむ、察しが良くて助かるな。――では続けてくれ』


「はい。直球に聞きますけど、[第一の聖櫃]……フィーネのことですが、彼女が[加護の祈り]を切ることが出来るというのは本当なのですか」


『ああ、本当だ』


 まっすぐに問いを向けると葛西裕次郎は間髪入れずに即座にそう答えた。


『彼女が持つ権限は限定的ではあるがシステムへと関与することが出来るようになっている』


 帰ってきた答えに、悠火は葛西裕次郎が何を考えているのかわからなくなる。


「……良いんですか? フィーネが――NPCがシステムに干渉出来る状況というのは、そちらにとってもイレギュラーじゃないんですか?」


 その問いに対して帰ってきた答えは、ここまでの悠火の思考はおろか見地すらも覆す内容だった。


『――言い辛いが、イレギュラーと言うならば彼女の存在ではなく……むしろキミの方だ。[聖櫃の姫騎士]、欠橋悠姫さん』


「……え?」


 言われて悠火は頭の中が真っ白になる。どういうことなのかわからないで思考を巡らせようとする悠火に、親切にも葛西裕次郎は説明を続ける。


『[NPC:クラリシア=フィルネオス]には元々、MMORPG時代からまだ試作段階ではあったが特殊なAIが組み込まれていた。そして自分が創った人類を平等に愛するという基盤の元に彼女はずっと自らの使命を果たしていた』


 人々を愛するが故にフィーネは世界に残り、新たな人類を創り、その人類も互いに傷つけ合わないように[加護の祈り]を創った。


 それは誰もを平等に愛するという基盤の元に成り立っていたのだと、そう、葛西裕次郎は過去形で語った。故に。


『だが』


 現在は違うのだ。


『二年前。キミが[聖櫃の姫騎士]という[メインクラス]を得たとわかった時にはまだ、そういうものもあるだろうと特に気にすることもなかった。が、問題はその後だった』


「その後……もしかして」


 心当たりがあるとすれば、それは――


「――約束」


『そう。キミが彼女と交わしたという約束だ。その約束が、彼女の歯車をわずかに狂わせることになったらしくてね』


 悠火が得た[聖櫃の姫騎士]という[メインクラス]に関しては恐らくは偶然だったのだろうと予測は出来るが、けれどもそれも予測ではなくもしかしたらそこから予兆はあったのかもしれない。


 いくらフィーネが特殊なAIを兼ね備えていたところで、本来ならば特定人物に対するイレギュラーなど、起こり得るはずがなかったのだ。


「……わたしに関する特殊な状況というのは、それでですか……」


 そこまで来てようやく、悠火は先ほど葛西裕次郎が言っていた言葉の意味を知る。


『そう、キミは彼女にとって特別な存在となってしまっている。だから何かあった時はこちらに回すよう、各所に伝達をしていたというわけだ』


「なるほど……ということは……」


 言いながらも、悠火にはあまり余裕があるわけではなかった。悠火がイレギュラーだとすれば、もしかしたら運営は悠火をBANしようとするのではないのだろうか?


『ああ、安心してくれていい。キミをBANするつもりも、彼女をどうこうするつもりも私には無い』


 そう思った悠火の懸念がわかったのか、葛西裕次郎はきっぱりとそう言い切った。


「……でも、わたしが聞くのもなんですけど……不確定因子を放っておいたら、後々大変なことになるんではないですか?」


 自分のアバターの命運がかかっているのだから確かに悠火が言う事ではないが、けれども運営からすれば今の状況は好ましくないのではないだろうか。


 そう思った悠火が問うと、葛西裕次郎は少しの間を空けて答えた。


『彼女たちにはちゃんとした意思がある。元エンジニアの言う台詞ではないかもしれないが、キミとの約束が彼女に感動を与え、檻から出るほどの本物の心を与えたというのならば、私はそれを見届けたいと、そう思っているよ』


「……運営としては、それでいいんですか?」


 そう悠火が問うと、葛西裕次郎はここで初めて感情を露わにした声音で答える。


『良くはない。けれども仮想世界は私にとっては現実よりも現実の世界だ。思い描いていた幻想世界から、世界が羽ばたこうとしている。……私は新しい世界を見て見たい。クラリシア=フィルネオスにしたって、彼女は自らを律する閉ざされたプログラムの檻から抜け出し、新しい可能性を見せてくれる。それを否定して矯正するということは、現実を否定することだ。私にはそんなことは出来ない』


 答える葛西裕次郎に悠姫は暫し黙してから言う。


「……葛西さんも、ルカルディアが好きなんですね」


『大好きだ』


 帰ってきた答えはシンプルながらも力強く、どこか誇らしげで、その言葉が真実だとわかってしまったから、悠姫にはもう何も言う事はなかった。


「ありがとうございます。……少し、肩が軽くなった気がします」


『それは良かった』


「……最後に、良いですか?」


『なんだい』


「――やっぱり、いいです」


 EPの迷惑行為について、話を聞こうとしたが、けれども悠火は言葉を飲み込んだ。


 EPの問題も、元は自分たち……ルカルディアの彼らが起こしたことだ。


 それならばやはり自分たちの手で解決させるべき問題だ。


 もちろん行き過ぎた個人間のトラブルともなれば、運営に報告してしかるべき罰を受けてもらうことになるだろうが、不始末まで運営に泣きつくのでは、葛西裕次郎の言うルカルディアという世界に対して失礼だ。


『そうか』


「はい。今日は、ありがとうございました」


『いや、私もルカルディアでは有名人のキミと話せて楽しかったよ』


 そんな葛西裕次郎の言葉の後、数言だけ言葉を交わして悠火は電話を切った。


「……はぁ、緊張したぁ……」


 ぐったりと椅子の背もたれにもたれかかると、長い白髪が椅子の後ろにだらりと垂れる。


 光がまぶしくて、悠火はベッドに移動して俯きシーツに顔を押し付けながら、ぼんやりと考える。とりあえず運営にBANされる心配が無くなったとはいえ、渦巻いているのはまだ見果てぬ神々についてだった。


 ……もしかしたら、彼らも彼女のようにシステムに介入する為の権限を持ち合わせているのだろうか。


 けれどもそれを確認する為には[聖櫃攻略戦]を攻略して彼らに会わないことには始まらない。そしてそれは今のレベルや装備ではそれは到底叶わない遠い出来事だ。


 ……葛西裕次郎、かぁ。……不思議な人だったなぁ……。


 運営という堅苦しいイメージとは違い、彼が持っていたのは悠火が抱いているのに近い思想だった。


 ……彼も、CAOをプレイしたりしてるのかな。


 立場上酷く忙しいだろうが、けれども口ぶりからすればやっていそうな気がしなくも無かった。だとすればどこかで出会っているのかもしれないなぁ……なんて。


 そんなことを考えていたら、自分でも気が付かないくらいに疲れていたのか、悠姫は眠りに落ちてしまっていた。


 結局その日も、悠火はCAOにログインすることが出来なかった。


 廃人としてあるまじき失態だった。





 そして悠火がログインしてこない三日間。


 CAO内では、ひよりがこっそりと修練に励み続けていた。


 ――[二重詠唱]というのは、要は並列思考による同時詠唱だ。


 一つの詠唱を詠み上げながら、もう一つの詠唱を詠み上げる。


 これは[口語詠唱]でも、[思念詠唱]でも、出来るものならば[記述詠唱]でもどれでも可能ではあるが、けれどもこれがなかなかどうして難しい。


 人は普段、何気ないことで並列に脳を使っているものだ。


 それはテレビを見ながらご飯を食べることや、音楽を聞きながら勉強をするなど、あまり意識したことはないだろうがそういったことは誰もが行っていることである。


 けれども文字を読みながら文字を読むというのは、並列思考の中でもかなりの高難易度技術で、例えば数字を数えながら数字を数えるなどしていただければ、その難しさがわかるだろう。


 一から十までの文字列をカウントしながら、別の文字列をカウントする。


 脳内で思考がしっかりと分離していて並列で処理出来て居なければ到底出来ない芸当である。


 数を数えるということでさえ並列でこなすというのは難しいのに、それが文字の読解ともなればなおさら難易度は上昇する。


 朝方の、空が少しずつ白み始める時刻。


「はぁ……はぁ……」


 CAOの世界では疲労と言うのは基本的にデスペナの倦怠感かバステ、もしくは精神的な疲労だけで、肉体的な疲労というものは存在しない。


 故にひよりが呼吸も荒く疲れ果てているのは[二重詠唱]を練習する為にずっと集中し続けていて精神的に疲れているからだった。


「グ……グガガガ」


「……っ」


 倒したモンスターが即リポップする狩場のポイントに位置取るひよりに、これで何度目かもわからない[サンドヴェルグ]が湧きひよりへと襲い掛かろうと近寄ってくる。


 ……《現れし炎の化身、焔に身を焦がし集積する火の星となり……》


 ひよりはそれに反応して[思念詠唱]を開始して、杖を持っている手とは逆の指先でCSの文字列に横一文字に線を引く。


「《……地より這い出し紅蓮の血潮……》[ラーヴァイラプション]!」


 まず[思念詠唱]で[フレアストライク]の詠唱を始め、ライン1本分詠み上げた後に[記述詠唱]で[フレアストライク]の残り一列に線を引き、[口語詠唱]で[ラーヴァイラプション]の詠唱を始める。


 既に何百、何千回と繰り返した動作はもはや考えるまでもなく出来るくらいに身体に染みついている。


[ラーヴァイラプション]によってダメージを受けて足元が崩され、動きががくっと落ちる[サンドヴェルグ]に、ひよりは続けて[フレアストライク]を放つ。


 その二発で確殺出来ているのを見て、けれどもひよりは気を抜かずに次に備える。


 悠姫が悩んでいた三日の間で、ひよりの[二重詠唱]の技術はかなり上達していた。


 10回の内8~9回は完璧に成功するようになっているし、そうでない場合でも並列思考の練習に伴う成果は別の所にも生かされており、急の事態でも咄嗟に回避行動を取るなどの冷静な判断をすることも出来るようになっている。


 セリアの使っていたスキルを見て、[ラーヴァイラプション]も取ってみた。


 火系にスキルが傾倒してしまっていて少し迷いはしたが、[二重詠唱]を使ってソロで狩りをするとなると、[ラーヴァイラプション]を起点とすることがほとんど必須のようなものだった。


「……痛っ!」


 警戒はしていたが、さすがに真後ろから攻撃が来たら反応することは難しい。


 後ろから飛んできた何かの衝撃に、ひよりはついつい癖で痛いと言ってしまうが、直後CAOの世界の中では痛みも何もないことに気が付き、冷静になって[グラーヴ岩石地帯]の岩の隙間からするすると這い出て来ていた[ハンドロアー]を視認する。


「グガ……ガガガ」


 それと同時に再び湧いた[サンドヴェルグ]がひよりへと向かって迫ってくる。


 少し前のひよりならば、この状況で既に諦めてしまっていたかもしれない。


 けれどもこの三日間の修練が、ひよりに状況に対する対応能力を身につけさせていた。


「こっちです!」


 その場所から走って少し移動して、[ハンドロアー]と[サンドヴェルグ]がどちらも視認出来る位置へと立ち位置を決めると、ひよりは[アイシクルバインド]の[思念詠唱]を開始する。


「……《大気に満ちる火のマナよ》[フレイムアロー]! ――[アイシクルバインド]!」


 そして続けてライン一本分の[口語詠唱]で[フレイムアロー]を[ハンドロアー]へと放ち、続けて[サンドヴェルグ]を[アイシクルバインド]で縛り付けて動きを止める。


 場所を移動して距離を取った後、ひよりは余裕を持って詠唱を開始する。


「ふぅ…………《現れし炎の化身、焔に身を焦がし集積する火の星となり、仇なす者に極焔の苦しみを与え給え》[フレアストライク]! ――[フレイムアロー]!」


[フレアストライク]で瀕死となった[サンドヴェルグ]に、ダメ押しの[フレイムアロー]を放ってHPバーを削り切り、ひよりは深く息を吐く。


「はぁ……うぅぅぅ……ちょっと休憩です……」


 そしてそのまま再び[サンドヴェルグ]が湧いてターゲットされる前にその場所から移動して、マップを一つ越える。


[グラーヴ岩石地帯]の前のマップは、アクティブモンスターが居ない何もしなければ安全なフィールドだ。


 小高くなっている丘まで移動して、ひよりはそこから見える[グラーヴ岩石地帯]の風景を眺める。


 広い草原フィールドに様々な形をした岩がそこかしこからそびえ立ち、陽が昇り始めたこの時間、小高い丘からは巨人のように影が間延びしているのが見える。


 広大で、雄大な大地。


 ルカルディアにはまだまだ誰もが見たことのない場所が存在する。


 ……いつか、ゆうちゃんと見て回りたいです。


 そう思い見つめる[グラーヴ岩石地帯]の風景は、これまでよりどこか晴れやかに見えて、それは今のひよりの心情を表しているようにも思えた。


 ――鍛練は人を裏切らない。


 そういう言葉があるが、それは確かにその通りなのだろう。


 努力して身に付けた技術というのは、それがどんな技術であれ、その人の自信となる。


 もちろん世の中そんなに簡単に出来てはいなく、練習をして鍛練を積んだところで失敗することも、それこそ星の数では済まないくらいに存在するだろう。


 けれども、judgement達EPのメンバーと来た時に[グラーヴ岩石地帯]の風景が曇って見えたのは、ひよりの心にある自信というレンズが曇っていたせいだ。


 ゲームらしく言うならば、経験値が足りなかったというところか。


「まぶしい、です……」


 顔を出した太陽を見て、ひよりは光を手で遮る。


 結果の成否とは関係なしに、努力や鍛練によって得た物というのは、自分自身を支える土台となってくれる。


 だからこの数日の[二重詠唱]の練習で得た自信がある今ならば、ひよりは胸を張って彼らに言い返せるような気がした。


 ザッ……。


 そう思っていると後ろから誰かの足音が聞こえて、ひよりはこんな時間に誰か来たのだろうかと思いながら振り返る。


 一人で練習をしている時に何度かひょっこりとセリアが見に来ていたので、今回も彼女がまた見に来たのだろうかと思ったのだが……しかしそこに居た人物は彼女ではなく、予想外の人物だった。


「あ……あなたは……リコさん?」


 そこに居たのは数日前に臨時で一緒になった[妖精族]の弓手の少女……リコだった。


 彼女はピンク色のセミロングの髪を風になびかせ、白み始める陽の光に照らされながら、少しだけ気まずそうな微笑みを浮かべてそこに立っていた。


「……ひよりさん、ちょっと良いですか?」


 そして告げられた声を聞いた瞬間、ひよりは全身に電撃が走ったような衝撃を味わった。


「え、うそ、その声って……っ、も、もしかしてコーデリアですか……っ!?」


「え? え? ……そ、そうです……けど……」


 まさかの食い付き様もそうだったが、まるで人が変わったように目を輝かせて立ち上がり言うひよりに、リコは剣幕に押されて肯定する


 数日前に話した時の悠姫は気が付かなかったが、彼女、リコは声優だった。


 しかもアニメ[ルージュオンライン]に出演していたヒロインの少女の声を当てていた[葉城柚月]という割と有名な声優だ。


 彼女もMMORPG時代からのCAOのユーザーで、過去に[ルージュオンライン]のヒロインの声を当てることとなった時に、オンラインゲームに興味を持ってCAOを始めたらしい。


 けれどもVR化に伴い、実際に声で会話することが出来るようになると少し困ったもので。


 声で周りに正体が知られると面倒なことになりやすい為、リコはあまり人前で喋ることをせずに、無口キャラを演じてチャットで済ませようとしていたのだ。


「わ、ほ、本当にコーデリアなんですね! あ、あ、わ、わたしファンです! 大好きです!」


「ちょ、ちょっと、落ち着いて、ね?」


「ふわぁ……わたし、いまコーデリアと話をしています……っ!」


 悠姫と話した時に気が付かれなかったので意外と大丈夫なものだと思っていたリコは、前に悠姫に自分の事は気にしないでと言ったものの、やはりひよりの様子が心配で、ひよりの様子を見にここまで来た……のだが、そのことを伝える以前の段階で声に関して食いつかれて今の状況に至っている。


「コーデリアもCAOをやっていたのですね!」


「あ、あの、ごめんなさい。ひよりさん、今のわたしはリコだから、あんまり大きな声で、その、ね?」


「あ……っ! あぅ……ご、ごめんなさい! ちょっと取り乱しました……」


 自分から来た手前、あまり強く言えないリコだったが、言われたひよりははっとなってやっとのことでぶしつけすぎることに気が付き、周囲を見回して誰も居ないことを確認した後に、うってかわって恥ずかしそうなしょんぼりとした態度でそう言った。


 もっとも取り乱し具合に関してはもはや別人と言っても良いほどだったが、理子はわざわざそこに触れはしない。


「ううん。[ルージュオンライン]を好きだって言ってくれると、声を当てた声優冥利には尽きるし、うれしいといえばうれしいので、気にしないでくださいね」


「で、でも、びっくりです……まさかコー……リコさんが、CAOをやっていたなんて……」


 コーデリアと言おうとして、ひよりは慌てて言い直す。


「わたしは[ルージュオンライン]でオンラインゲームに興味を持ってなんですけど、今ではすっかりはまっちゃった感がありまして」


「わ、わたしも同じですっ」


 同じ理由だったことが嬉しくて反射的に答えるひよりに、リコはくすりと笑みをこぼす。


「何だか、杞憂だったようですね」


「あ……そういえば、リコさんは何でこんなところに居るんですか?」


 ここに来てやっとのことで会話が原点回帰する。


「心配して見に来たんですけど、意外と元気そうですね?」


「あ……心配かけてしまったようで、ごめんなさい……ありがとうございます」


 そう言って笑ったひよりの顔には、これまでの憂いの影はもうほとんど無かった。


「良かった。……でもやっぱりこうして普通に言葉で話を出来るのって楽しいですね。……なので、よかったらひよりさん、わたしとフレンド登録しませんか?」


「わ、わわ……わたしで良ければ! 是非お願いします!」


 食いつきようがおかしくて、リコは終始笑みを浮かべたままひよりにフレンド申請を送る。


 ひよりは送られてきたフレンド申請を受諾して、言う。


「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!」


「ひよりさん、それは何か違う気がしますよ……」


 言いながらもリコは笑い、ひよりも笑う。


 と、そこでリコは何か思い出したのかそう言葉を区切って言葉を継いだ。


「後、これはお節介かもしれないですけど、悠姫さんがかなり心配してましたよ?」


「え、ゆ、ゆうちゃんが?」


 ここ数日会っていなかったので知り得なかった情報に、ひよりはどきりと胸を高鳴らせる。


「はい、あんなに心配してくれているなんて、ひよりさん……愛されてるんですね」


「あ、愛されてるなんて、ひゃぁぁ……」


 そう言って真っ赤になりながらもひよりは心配されていることがうれしくてうれしくて仕方が無かった。


 ……ゆうちゃんが心配してくれている。気にかけてくれている……。


 少し前ならばそれは罪悪感に潰される重荷になるだけだったのかもしれないが、けれども今は少しだけ違った。悠姫に会いたいという気持ちが強くなるが、けれどもひよりはまだもう少しだけ……と心を抑えつける。


「でも、まだわたしはまだゆうちゃんと会う資格なんて無いので……」


「……そうですか。……うん。わかりました。じゃあ、わたしはそろそろ落ちますから、またログインしたらアニメの話でもしましょう」


「あ、リコさん」


「――リコでいいですよ? さん付けだと語呂があんまりよくないですし」


「あ、じゃあ、わたしもひよりで良いです」


「ふふ、はい。じゃあね、ひより」


「は、はいっ、またです、リコ」


 そう言ってリコはログアウトしようとシステムウインドウを操作する素振りを見せ……その途中で動きを止めた。


「……お節介ついでに、もう一つだけ」


「はい?」


「『ひより……想いは、言葉にしないと伝わらない、伝えられないんですよ』」


「あ……」


 ひよりはそう言うリコの背後に[ルージュオンライン]のヒロイン、コーデリアの姿を垣間見た。


「――すれ違っちゃうことは、悲しいことですから。悠姫さんと、後悔しないようにね」


「……はい」


 そう言ってリコは、今度こそ本当にログアウトする。


 残されたひよりは彼女の言葉を反芻しながら、けれども……ともう一度自分へ言い訳をして[グラーヴ岩石地帯]へと戻る。


 隣に立つための資格……それを求めて。


 その後も朝日が照らす岩石地帯で、炎の煌めきが輝き続けていた。





 ――その間も宴の準備は着々と進む。


 新生CAOで初となる[一大プレイヤーズイベント]。


[第一回コロッセオ対抗戦]へと向けて。

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