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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第一章[Crescent Ark Online]
2/50

一話[主に間違った努力と方向性]


 某市内の住宅地から、商店街や駅へと向かう大通りの、そのちょうど真ん中辺りに、喫茶[雪うさぎ]という看板が掲げられた喫茶店が鎮座している。


 かわいらしい名前に反して外装は落ち着いていて、ガラス越しに見える中の様子も同じく、これといってファンシーな華やかさは見当たらない。中高生向けのかわいらしい雰囲気よりも、どちらかというと大人向けな雰囲気の内装だ。


 立地条件が申し分無いにも関わらず、一年前まではこの喫茶[雪うさぎ]の店長である雪小路快兎という人物が、無駄に強面なせいで客が寄り付かなく、連日閑古鳥が鳴き、常連には店長の趣味でやっているお店なのだからとからかわれることが多かった。


 というのも、一年前までの話。


 ここ一年に関して言うならば面目躍如して一転、喫茶[雪うさぎ]は、人気のある雑誌にも取り上げられるくらい有名な喫茶店となっている。


 その中心となっているのが、看板娘として喫茶[雪うさぎ]で働く、倉橋悠火という人物で、彼女(、、)は高校を卒業してから一年間ずっと、この喫茶[雪うさぎ]でアルバイトをしていた。


「オーダー入ったよー。11番、和風ハンバーグセットにシナモンパイはデザートで。ドリンクバーは先に渡しまーす」


 喫茶店にあるような軽食と言うにはがっつりとしたメニューや、広い店内に置かれたドリンクバーはむしろレストランのようだが、喫茶店を出すことが長年の夢だった店長の意向もあり、例えレストランのようでも喫茶店であることは譲れないらしい。


 一年間。


 一年というのは長く感じる者にとってはとてつもなく遅く進み、短く感じる者にとっては矢の如き早さで過ぎ去ってゆく時間だ。


 充実した人生を送っていれば時間なんてあっと言う間に過ぎ去ってゆく。


 ……などと誰かが言っていたが、そうであるならば悠火のこの一年は充実などという言葉とはかけ離れた、無為な一年だったのだろう。


「はい、おまたせしましたー♪」


 しかし悠火はこの一年間が無駄なものだとは一切思っていなかった。


 一時間。一分。一秒。


 一年を構成する時間の欠片が途方もなく長く感じ、どれだけ時よ早く進めと願ったことか。


 そう願いつつも、悠火はきたる運命の日に向けて、ずっと努力を続けてきた。


 ――全ては二月二十八日。


 明日に迫ったその日の為に、悠火はこの一年間、全てを投げ打って喫茶[雪うさぎ]で働き続けてきたのだ。


「いらっしゃいませー♪」


 からんころん、と鳴り響く入口に条件反射で向ける笑顔も、今日はいつもよりも5割増しだ。浮かれた気分が全身から溢れ、フロアを駆ける足も弾み、何もしていなくても表情には満面の笑みが後から後から溢れてくる。


 その天使的な笑顔につられたお客様の顏にも笑顔が連鎖し、店内の雰囲気はとても良好。


 悠火が働き始めて一年を経た今では、悠火を目当てに、喫茶[雪うさぎ]を訪れるお客様も少なくはない。


 そんな人気の的である悠火が、何の目的でこの喫茶店でアルバイトをしているのかと問われると、それはそれは複雑な理由が存在する。



 ――世界的にも注目を浴びているオンラインゲーム。


 Crescent Ark Online[クレセントアークオンライン]。


 略称CAO。


 それは[レガシーオンラインエンターテインメント株式会社]、LOEが運営するMMORPG――パソコンの画面越しに他のプレイヤーとリアルタイムで協力して狩りに行ったり会話したりすることが出来るオンラインゲーム――だったのだが、CAOは明日の二月二十八日を持って、めでたくもVR化が決まっているのだ。


 既存のMMORPGとは違い、パソコンではなく専用のヘッドマウント装置を使うことによって、ゲーム内で作成したアバターを介してゲームの世界を体験することが出来るフルダイブ型のオンラインゲーム。


 過去にもこれまでいくつかのタイトルのVRMMORPGが発売されたことはあるにはあったが、初期の段階でバグの嵐にさらされてゲームにならないものや、それを改善して開発された新しいタイトルもVR技術を見越して何年も開発に勤しんできたようなタイトルではなかったため、薄っぺらな世界観やグラフィックしか再現することが出来ずシェアを獲得することが出来なかった。


 だからCAOに寄せられる期待は日に日に増し、運営の開発陣でも胃に穴を開けて病院に入退院を繰り返している人も多いとかなんとか。


 そんな運営のブラック度を語り始めてもキリが無いので割愛するが、つまり。悠火の計画は一年前に全て始まっていたのだ。


 一年前の、VR化の期日が決まったその日。


 悠火はCAOがVR化するまで、一年間の休止を決意した。


 理由の大半のウエイトを占めるのが、悠火が動かすCAO内でのキャラクター[欠橋悠姫]がCAO内でかなりの知名度を誇る有名人だったから、ということだ。


 実際どのくらい有名なのかを言うと、公式掲示板で[例の姫]と言えば通じる程度。


 もはや隠語の一種になっているような知名度だ。


 公式に掲示されている[尖兵討伐ランキング]には一年経った今でも堂々の一位で名前が載っており、週一で行われていた[聖櫃攻略戦]でも常に最前線を走り衆目を集めていた。


 β時代からCAOをプレイしていたからでもないが、動きが一目見ただけで「あ、こいつやべぇwwww」「ちょwwwwうぇwwww」と大草原が構築されるくらいに洗練されていて、一般プレイヤーからはむしろ近づきがたい雰囲気を持っているくらいだった。


 つまり要約すると、アバターである[欠橋悠姫]を操る倉橋悠火というプレイヤーとは、俗に言う廃人にカテゴライズされるプレイヤーだったのだ。


 オンラインゲームにおける廃人とは、辞書に載っているようなものとは違い、その定義は人によっても違うので難しいところがあるが、CAOにおける悠火の体感的な例えを箇条書きにしていくと、そう……


 ・いつログインしてもその人が居る。

 ・見たこともないようなレア装備を持っている。

 ・聞いたこともないような[メインクラス]を持っている。

 ・レベルが上限である。

 ・しかも複数のキャラのレベルが上限である。

 ・パーティ向けの高難易度ダンジョンを一人で踏破出来る。

 ・攻略掲示板を見る側ではなく、書き込む側である。

 ・動きが洗練され過ぎていてキモチワルイ。

 ・エスパーじゃねぇのこいつ? ってくらいパーティの立ち回りがうまい。

 ・二つ名を持っている。

 ・伝説を持っている。

 ・口癖が「働きたくない」

 ・ゲーム内の世界の事をリアルでも当たり前のように語る。

 ・そもそもリアルの話なんてしない。



 ふと思いついただけでもこのくらいはある。


 結論だけ言うと、オンラインゲームにおける廃人の定義というのは、知識や経験の差が生む羨望へと至らない線引きだ。


 オンラインゲームという、娯楽的な意味合いを除けば非生産的でしかないコンテンツにおいて、プレイヤーは自分より格上のプレイヤーを廃人と称し、時間を無駄に浪費している者と揶揄する傾向がある。


 ――自分だってそれやり込む時間があれば同じくらいのことが出来る。


 ――自分は節度を持ったプレイヤーだ。


 そう称することで廃人に対して優越感に浸り、自分の方が格上だと自分を慰める。


 もちろん特に深い意味も無く、何となく廃人という言葉を使っている者も多く居る。


 オンラインゲームをしていない人にとっては、そもそもオンラインゲームをやったことがあるというライトユーザーですら廃人と称することも、ままあるだろう。


 悠火がそんなライトユーザーなのかと言われれば、当然違うが。


 ――倉橋悠火は広義の意味でも狭義の意味でも、自他共に認める廃人であり、日常の中に完全にCAOが組み込まれている、日常生活に支障をきたすレベルでの廃人だ。


 今から約三年前のクローズドβに当選してCAOを始めてからというもの、寝ても覚めてもCAOのことばかりを考えていて、始めた当時はまだ高校二年生だったから学校にはしぶしぶ通ってはいたが、授業中も休憩中もレベル上げやスキル構成、ステータス構成などのことばかりを考え、学校が終わったら他の何にも目もくれず家に帰りログインして朝方までプレイするを繰り返す日々。


 はまり込む悠火を見て、家族も悠火の人生を心配して何度も辞めるように言い聞かせたが、断固として首を縦に振らなかったくらいのまさにネトゲ廃人の鏡だった。


 ……だからこそ、そんなネトゲ廃人である悠火が、この一年間、CAOを休止していたのには、当然ながら理由があったのだ。むしろ理由も無しにもはや人生と言っても良いほどのオンラインゲームを休止するなど有り得ないだろう。


「ぅ……ふふ……」


 明日が楽しみ過ぎて溢れすぎる笑みが不気味なうめき声となってこぼれる。

休止している間に増えていた新マップや新装備、新しいレアアイテム、素材の追加を見て妄想をするのも、正直もうそろそろ限界だった。


「てんちょ……もうごぅるしてもいいよね……」


 カウンターでコーヒーを入れる喫茶[雪うさぎ]の店長に、悠火は儚げな微笑みを浮かべてそう尋ねる。


「定時までまだ3時間もあるんだ。我慢しろ」


「……だって、だって明日なんですよ!」


 言って悠火はうるると瞳を涙ぐませながら詰め寄るが、


「今あがったところでお前さん、パソコンとにらめっこしてにやにやするだけなんだろう。正直掲示板を見ている時のお前さんは気持ち悪いからやめた方が良い。それに俺のことはマスターと呼べ」


 こぽこぽと沸騰するコーヒーから立ち上る香りが鼻腔を擽り、あ、良い香り……なんて悠火は和むが、店長の言葉は辛辣極まりないものだ。


「ひどい! こんな美少女に向かって気持ち悪いなんて、マスターは女心がわかってないね!」


 身振りを加えて悠火が言うと、マスターはコーヒーを口に含んでもいないのに、とても苦そうな渋面を悠火に向けた。


「美少女……ねぇ」


 祖母が外国人で、その血によるものか、色素が抜けた真っ白で長いさらさらの髪に、整った相貌。スレンダーな身体にすらりと伸びた手足。今は喫茶[雪うさぎ]の制服で隠れてしまっているが肌はまるで雪のように白く、日中外を歩くなら日傘が必要なほど。身長は162センチで女の子の平均的身長と行った所だろう。


 その容姿は悠火が自分のことを美少女と称するのも確かに頷ける内容であり、その事実は悠火にとっては当然のことでもあった。


 その為にわざわざこの喫茶[雪うさぎ]でアルバイトを始めたのだから、そうでなくては困るのだ。


「そう言うのは女になってから言え」


「ですよねー」


 ――だが悲しいかな。


 倉橋悠火は、れっきとした男である。


 悠火はてへりとやって、カウンターに置かれた鏡に映る自分を見て、満足感に浸る。


 そう。これこそが悠火のやらなければいけないこと――端的に言うと、『女装して女子力を上げること』こそが、CAOのVR化にあたって何を差し置いてもやらなければいけないことだったのだ。


 ――くだらない理由と思うだろうか?


 しかし考えてもみてほしい。


 CAOを含むほとんどのオンラインゲームでは、男性は男性キャラクターを作らなくてはならない、また女性は女性キャラクターを作らなければならないという決まりは存在しない。


 むしろ女性キャラクターの方が衣装などで優遇されているので、とりあえず女性キャラクターを選んで始める人も少なくはない。


 MMORPGならばそれは当たり前のことで、そうなると相手の性別を判断する為の要素なんて、正直ボイスチャットでもしないかぎりはわからない。


 可愛いキャラクターやかっこいいキャラクターが居ればそちらに目を惹かれてしまうのは仕方がないことだし、ゲームの中で女性として振る舞ってみたい、男性として振る舞ってみたい、そういった異性を演じることの憧れを抱いているプレイヤーも多いだろう。


 ――しかしそれはVR化のことを考えると少々事情が変わってくる。


 自分がメイクしたアバターで世界に降り立つのだから、アバターを動かす人の仕草や、声によって、大体は中の人の性別がわかってしまうものだ。もちろん意図として女の子らしく振る舞うことも出来るが、異性の真似というのは想像以上に難しい。


 ぶりっこしてみてひょんなことでばれたりしたらそれこそ目も当てられない。アニメや漫画のように都合良く勘違いしてくれる人ばかりではないのが現実だ。


 ついでに言うとCAOがVR化するにあたって、既存のユーザーには現在使っているキャラクターの名前と容姿、加えて[メインクラス]が選択して引き継ぎすることが出来るのだが、一ヵ月前に取られた運営のアンケートではこのうち全てを選択する人は存外に少なく、なまじ容姿を自分の理想の女性にしている人ほど[メインクラス]の引き継ぎだけを選ぶケースが多かった。


 だが、その特典を公式の告知で見た悠火は、己に一切の妥協を許すことを良しとしなかった。


 幸いにして高校生活を経ても声変りがしなかった声や、切るのがもったいないと言われて伸ばしていた髪もあった。


 悠火には、自分の分身とも取れる[欠橋悠姫]を消してしまうことなど、有り得なかった。


 だから悠火はこの一年間ずっと、女性アバターの[欠橋悠姫]を使っても違和感が無いように女子力を上げ、己の研鑽に励んできたのだ。


 否。女子力だけではない。


 狩りでもかなりの効率厨な一面を持つ悠火にとって、仕事もネトゲもどちらも変わらず効率を求め、VR化に伴って代わるであろうインターフェースを常に想像し、身のこなしを考慮に入れた洗練された動きを追求してきた。


 その姿はまさにフロアで戦う騎士(シュヴァリエ)


 喫茶[雪うさぎ]の店長にとってもそれで仕事が捗り、かつ悠火自身も自己研鑽に励めるというまさに一石二鳥。両者一得。WINWINな関係。


 ――そんな理由で、悠火はこの喫茶[雪うさぎ]でアルバイトを続けているのだ。


「ユウヒちゃん、注文良いかな?」


「あ、はーい♪」


 ただ問題があるとすれば店長以外のお客様が、誰一人として悠火の性別を知らないということか。にこりと笑顔に貫かれ、常連のスーツ姿の男性客の鼻の下がだらしなく伸びる。


「シンジさんお仕事お疲れ様です。今日も大変そうですね」


「いやぁ、これも仕事の内だからね」


 足音を感じさせないほどの軽い足取りで注文を取りに行き、注文を取るついでに軽い世間話を交わす。


 悠火目当てで来ているお客様にとって自分を覚えていてくれるというのはかなり嬉しい事柄ではあるのだが……その悠火が二度目以降の来店であるお客様の顔を、ネトゲでキャラと名前を覚える感覚で覚えていると知ったらどう思うやら。


 ネトゲで修得した物怖じしない会話術。好意を抱いている雰囲気を察知するプレイヤースキル。それらを利用して、悠火はお客様にさりげなく名前を聞いて馴れ馴れしくならない程度の親しげな接客でリピーターを確保している。


 確かこのお客様も、職場は20分ほど離れた場所だったはずだが、それでもこうして昼食に訪れてくれている。


 因みに悠火の頭の中では、彼の頭の上にキャラクターネームが見えていた。


 あまりにもあんまり過ぎる思考回路だった。


「――はい、ではすぐにお持ち致しますので少々お待ちくださいね♪」


 さりげなく注文を取り終え、悠火はカウンターにいるマスターにコーヒーの銘柄を伝え、横の従業員通路から奥の厨房の人物に注文を告げる。


「タマゴサンドと明太子スパゲティ一つ。……あとーわたしもお腹すいたー」


 喫茶店の少し割高なメニューを二つも頼んでくれるお客様に敬意を払いながら、悠火はタマゴサンドと明太子スパゲティって食べ合わせ的にどうなんだろうと思いつつ、願望と共に告げる。


 若干気の緩んだ悠火の姿に、厨房に居た人物、喫茶[雪うさぎ]の店長の息子であり、悠火にとっては腐れ縁の幼馴染。雪小路次郎は、かけているメガネを指で上げて肩をすくめた。


「地が出てるぞ地が。浮かれてはしゃいでるから無駄なカロリーを消費するんじゃないか?」


「むぐぅ……」


 厨房はお客様からは見えない位置にあるので気が緩みやすい。注意されて悠火は呻きながらも、彼の言うことももっともなので、少し自重しよう、と方向性を定め直す。


「ねね、コージロー、何分かかる?」


「タマゴサンドはともかくパスタは茹でるのに時間がかかるからな。5分ほどまってくれ」


「40秒で支度しな!」


「ドヤ顔うぜぇ……5分つってるだろ」


 雪小路次郎。ゆきのこうじじろう、だからコージロー。


 軽口を叩きながらも動かす手を止めないのだからさすがだ。


「毎度のことながら思うけど、コージローって良いお嫁さんになれそうだよね」


 手際良く進んでゆく調理風景を見ながら、悠火はなんとなしに言う。


「そっくりそのままお前に返す。後二分で出来るから、これでも食ってろ」


 見た目完璧な淑女のお前が何を言う、と言った感じに返しながらも、次郎はタマゴサンドを作る片手間に作っていた卵焼きを小皿に乗せて悠火の方へとスライドさせてくる。


「わーい。ツンデレありー。むぅ、この絶妙なだしの効いた風味。まさにおふくろの味!」


「そういうリアクションは良いから、食ったら歯を磨いとけよ」


 はふはふと卵焼きを頬張りおいしさに頬に手を当てる悠火にコージローはそう告げながら湯切りをする。


「はーい、おかあさん」


「おかあさんじゃねぇ……」


「さ、終業時間まで頑張るかー」


 んんー、と伸びをして、悠火は完成した料理の皿を手に取り、ふと尋ねる。


「そういえばコージローって、CAOは――」


「おい、出来立てなんだから冷める前に早く持って行って差し上げろ」


「むぅ……はーい」


 この一年間、悠火がネトゲの話を振ることが出来る人物などコージローくらいしかいなく、せっかくのネトゲ話の機会が失われた悠火は若干不満気味に返事しながらも、さりとて仕事に手を抜くわけにもいかない。


 よぅし。と気を取り直して、悠火はこれから忙しくなる時間帯に思いを馳せながら再びフロアへと戻っていった。




 その数時間後。


 悠火はデスクトップの机に置かれたパソコン前で、気持ちの悪い笑みを浮かべながら、CAOの公式ホームページから飛べる特設サイトを眺めていた。


 服装は白のインナーにベージュのカーディガン。膝丈のチェックスカート。


 仕事の時だけではなく、日常でも慣れておかないとひょんなところでボロが出るだろうと思って悠火の女装は24時間続けられている。


 喫茶[雪うさぎ]のアルバイトのお金で悠火は一人暮らしをしている為、正月に実家に帰省した時など振袖を着こなす悠火を見て両親も妹も目を丸くして唖然としていた。


 つい一年前まではファッションにすら気を使わなかったネトゲ中毒の息子が、どう見ても美少女にしか見えない見た目になって帰ってきたら当然そうなるだろう。


 仕草一つとっても女の子らしく振る舞う息子に両親は別の危機感を覚えたようだが、ふと今までのネトゲ廃人だった頃の悠火と比べて見ると存外にまともになっていると錯覚し、さらに元々悠火の両親は初めての子供は女の子が良いと思って[悠火]という、女の子っぽい名前をつけてしまったこともあって、これはこれでいいかと割とあっさり受け入れてしまった。


 妹は最後まで複雑そうな顔をしていたが、それは兄が女装にはまってしまったことによるからではなく、むしろその可愛さに打ちのめされてしまったようにも見えた。


 しきりに自分のことを「可愛くない妹は~」と言っていたので恐らく間違いないだろう。


 そんな妹に悠火が「弓弦はかわいいよー」と頭を撫でてあげると機嫌を直していたのでこと無きは得たが、頭を撫でた時の赤らんだ弓弦の表情からするに、ひょっとしたら別の何かは失っていたかもしれないがそれはそれとして。


「……ステはともかくとして、スキルどうしようかなぁ……ふふ、引継ぎでメインクラスのスキル修得には制限はあるでしょうけど、それにしても……楽しみ過ぎる、うへへぇ」


 その姿を見たら千年の恋も冷めるほどに、パソコン前でにやにやする気味の悪いネトゲ廃人がそこに居た。ステータスの構成やスキルの構成は既に考え済みにもかかわらず、これで何十度目、何百度目のシミュレーションだろうか。良く飽きないものである。


「初期育成からの狩場も修得可能スキル次第だけど……ヤバい! テンション上がってきた! これはもう今夜は眠れない! フライデーナイトは眠らなあたっ!?」


「おい、少しは落ち着けよ」


「ちょ、なななな何でコージローがここに居るの? いつから居たの!?」


 盛大に独り言をしていたところを後ろから張り倒されて、悠火が問うと、


「今さっきだな。親父に頼まれて夕飯のおすそ分けに来たとこだ。何度もノックしたのに反応が無かったから、悪いと思ったが合鍵を使わせてもらった。インターフォンくらいつけたらどうなんだ」


 呆れがちなコージローの言葉に、悠火はそこまで我を見失っていたのかと反省する。


「やー……でも、無駄遣いしたら服買えないし」


「無駄遣いってお前な……ていうか元々ついてただろ、インターフォン」


「だって勧誘とかうっとおしいから……」


「この……一般的な利便性を無駄と割り切るこの廃人め」


「そんなに褒めないでよ」


 悠火にとって廃人とはもはや褒め言葉だったらしい。そう言ってえへへと笑う悠火に、コージローは


「はぁ……」と深い溜息を吐く。


「まあ、いい。ほらよ」


 そして律儀にずっと持っていた、ラップのされた明太子スパゲティの皿を悠火に手渡す。


「あれ、今日はパスタなんだ?」


「作りすぎて余ったから持ってきただけだ。ちゃんとしたものを食べているのか心配で持ってきたとか、厨房に入ってきた時に食べたそうにしていたのを見ていたとか、別にお前の為じゃない」


「はいはい、ありがとー」


 コージローのツンデレを適当に流しながら、悠火は満面の笑みでお礼を言う。


 コージローがこうして晩御飯のおすそ分けに来るのも、いつものことだ。


 悠火が外で食べてくるなどという稀有なケースを除き、コージローはほとんど毎日、お決まりの理由を付けて晩御飯を持ってくる。


 頼りきりになるのも悪いので、せめて材料費くらいは払うと言ったのだが、コージローの建前上はあくまで多く作りすぎたので持ってきたというものであり、コージローの父親である店長にもまかないだとでも思ってくれれば良い、とばっさり断られてしまった。


 だからでもないが、悠火はその恩に報いる為にも喫茶[雪うさぎ]でリピーターの確保に余念がないし、それにより店長もコージローも助かっている。


 受けた恩はきっちり返す。悠火は意外と義理堅い性格だ。


「んじゃ、俺はもう帰るからな」


「あれ、もう帰るの?」


 いつもならば適当に雑談してから帰るというのに、いやにあっさりとしたコージローの態度に悠火は首を傾げる。


「明日、明後日は喫茶[雪うさぎ]も休業だからな。……まあ何だ、俺も久々にCAOをやろうと思ってるんだが、先にキャラメイクしておいた方がいいんだろ?」


「えーっ! コージローCAOやるの?」


「食いつくな食いつくな。俺はお前ほど廃人じゃないから、むしろVR世界を見てみたいという野次馬根性だからな」


 キラキラと目を輝かせる悠火に、コージローは先手を打って答える。


「えー。そっかぁ。でも確かにキャラは先に作っておいた方が良いね。結構時間かかるから……ってあれでもコージローって一年くらいはCAOやってるんだし、転生してるキャラくらい居るんじゃないの? 引き継ぎしないの?」


「……ふぅ」


 まるで当たり前のように言う悠火に、コージローはやれやれと溜息を吐く。


 CAOには[複合職業(Re:birth)システム]という他のネトゲでは有り得ないシステムが存在する。


 ステータスやこれまでに選んできた[メインクラス]。[サブクラス]。戦闘回数や戦闘方法。接続時間からマップ間移動の回数。NPCとの交流度。クエストの攻略数。回復手段に回数。死亡回数。果ては所持金の増減まで。


 様々な隠しパラメータを元に、レベルが上限に達したキャラクターが行うことの出来る転生の際に一度だけ、唯一の職業となる[ユニーククラス]が得られるというシステムだ。


 しかし転生後はレベルが1に戻り必要経験値が10倍になるというすばらしき鬼畜仕様で、レベル上限も120まで解放される。


 もっとも転生後限定の100以降の必要経験値は10倍どころではなく、テラの領域に迫る勢いなので120まで上げることが出来るプレイヤーはもれなく廃人の称号を与えられる。


 故に、この[複合職業システム]というものは実に業の深いシステムで、一キャラにつき一度きりという制限もさながら、レベルがあがりにくいこともあって、[ユニーククラス]を得たものの、自分が望むような[ユニーククラス]ではなかったり、覚えられるスキルが微妙だったり、補正が偏っていたり、と、その様なことが実に良くあるのだ。


[ユニーククラス]自体が基本的に高性能なので、手に入れた[ユニーククラス]を[メインクラス]にしてレベルを上げる人が多いが、中には気に入らずに転生後から選択出来る[上位二次職]を選んでレベル上げに励む者も多少は居る。


 そして望む結果を得られないケースがあるからこそ、それ以外の選択肢を選ぶ者もまた、数多く存在する訳で……。


 キャラクターの作り直し……要するにリメイクだ。


 何十時間、何百時間もかけてレベルを100まで上げ、転生して微妙な[ユニーククラス]だったらキャラクターを消して再び作り直す。


 理解できない人からすれば、本当に理解できない領域だろう。


 何十、何百時間もPCに向き合い、ひたすらルーチンに従って延々と狩りを続け、何百匹も倒してやっと上がる経験値の0.1%の果てにある理想に想いを馳せる。


 さらにこのシステムの怖いところは、パワーレベリングなどでレベルを上げた場合、微妙なメインクラスが出やすいことだ。


 中には何十、何百とリメイクを繰り返し、血涙を流すプレイヤーも居たとかいないとか……。


 そうしたネトゲ廃人達の手によって作り上げられた[ユニーククラス]というのは、もはや精緻な調整を重ねた上で生まれた奇跡とも取れる偶奇に成り立つ逸玉の賜物なのだ。


 だからこそ、今回のVR化で[メインクラス]の引き継ぎがされると運営が公表した時、廃人たちはここぞとばかりに掌を返して感謝の言葉を運営に捧げた。


 その対価は運営会社のブラック度。


 面倒なシステムにすればするほど、運営は調整やデバッグに不眠不休の過酷な労働を強いられることになる。CAO自体は素晴らしいゲームだが、プレイヤーでLOEに入社したいと思う者はほとんど居ないだろう。夢を見て入社などしたら一日も持たないこと必至である。


 死にたい者だけ入社しな。という、CAO内でGM(ゲームマスター)が言ったらしい誘い文句は名言、至言、迷言として脈々と伝えられている。


 ……それはそうと。


「ユウ。俺をお前と一緒にするなよ。俺は転生キャラとか持ってないから初めからだぞ」


 一年もやっていれば転生していて当たり前。


 そう思っている時点で悠火はネトゲ廃人なのだ。


 廃人とライトユーザーとの認識の差だった。


「あ、そうなんだ。……でも、コージローがまたCAO始めるのはうれしいね」


 そんなことには気が付かない悠火はにぱっと笑って言う。

CAOの世界[ルカルディア]が大好きで仕方ない悠火にとって、誰かがCAOを始めるというのはうれしくて仕方ないのだ。


 思わず見惚れてしまうような笑みを浮かべて言う悠火に、コージローは再び溜息を吐く。


「お前、そういうのは、店では絶対に言わないようにしろよ」


「え? なんで?」


 誰かが自分に興味を抱いていることがわかっても、一般常識的な見地に欠ける悠火にはわからないらしい。


 コージローは考える。


 もしも悠火が今日来ていたスーツの男性にでもCAOを勧めでもしたらと考えると……



 悠火に勧められてCAOを始める。

  ↓

 一緒に狩りなどに行って廃人の常識を刷り込まれる。

  ↓

 気が付けば寝る間も惜しんでプレイ。

 ↓

 会社も辞めてネトゲ廃人まっしぐら。



「ちっ……この廃人量産機め」


「なんで!?」


 コージローの思考を知る由もない悠火は、いきなり向けられた罵倒に反射的な問いで返すが、けれどもコージローはそれを意に介した様子も無く首を振って話はこれでおしまいと告げる。


「まあ、そういうことだから気をつけろよ」


「ど、どういうことかわからないけど……気を付けるよ?」


「じゃあな。あったかくして寝ろよ。後ちゃんと歯も磨けよ」


「はーい、おかあさん」


「おかあさんじゃねぇよ」


 釈然としないままいつも通りのやり取りをしてコージローを見送り、悠火はデスクトップの机の上に置かれた明太子スパゲティを台所に持って行き、レンジに入れてあたためのボタンをスイッチオンする。


 何だか餌付けされているようで「うぅむ」と考えるが、温まった明太子スパゲティを食べてみるとそんな考えは彼方へと放り投げられる。


「もぐもぐ……この十年厨房に立っていたと言われてもおかしくない味は……っ! まさに味の大革命!」


 他愛もない独り言をつぶやきながら一気に平らげ、コップにお茶を注いで一服つく。


「はふ……ごちそうさまでした」


 満腹満足。


「わたしも料理くらいは出来るけど、コージローのこれはもうコックのレベルだよね」


 女子力と言えば料理も含まれるよね。と思い励んだ結果として悠火はそこそこ料理が出来るようになったが、これだけおいしいともはや自分で料理しようとは思わなくなる。


 中学からずっと喫茶[雪うさぎ]で厨房の手伝いをしていたこともあるからだろうが、高校を卒業してからのこの一年でコージローはかなり腕を上げたように思える。


 悠火の個人的な感想ならばどこかのお店で雇ってもらえるんじゃないだろうかとも思うくらいだが、しかしコージローにそんなつもりはないらしく、今の喫茶[雪うさぎ]での厨房仕事が気に入っていると言っていた。


 食べた食器を片づけて、洗面所で歯を磨いて再びパソコン前に戻り、悠火は「さてと」とネット巡回に戻る。CAOのインストールは既に済んでいるので、後は時を待つのみだ。


 ベッドの上に転がしているフルダイブ用の専用ヘッドマウント型の装置を見て、まだかまだかと明日を切望する。


 明日の10時にはVR化したCAOにログイン出来る。


 だから早めに寝なければ。そうわかっていても、はやる気持ちは抑えきれず。


 ――――――――。

 ――――――。

 ――――。


「………………あれ」


 ふと再び時計を見た悠火は首を傾げる。


「………………もうこんな時間」


 気が付けば朝だったという。



 ――そして運命のその日。二月二十八日午前10時。


 VRMMORPG:Crescent Ark Online[クレセントアークオンライン]。


 その世界[ルカルディア]は『彼女』の現実となった。


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