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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第二章[魔法使いの夜]
19/50

六話[立ち止まる者と進む者]


「狭い場所で申し訳ないが」


 そう言って勧められたのは何の変哲も無い木製の丸椅子で、悠姫と久我は勧められるままに椅子へと腰掛け、ニンジャとメアリーは椅子に座ることなく二人の後ろに位置取っていた。


 彼らの拠点となっているであろう廃屋は外から見たよりも随分広く感じられるが、昨日[Hexen Nacht]のギルド[ホーム]を訪れているせいもあって、かなり殺風景に見えた。


 部屋の中に居るのは[Akashic Origin]のギルドマスターのディーンと、過去にサブギルドマスターを務めていたドミノという暗殺者の男だ。


「本来ならば俺達が会いに行くべきだと思うが、呼び寄せてしまったようですまない」


 そう言って頭を下げたのは、ドミノだった。


「分裂したとはいえまだそこそこ大所帯だし、色々あって大変なんでしょ?」


「それはな。……だが、元を正せば、全てが俺達の不始末だ。本当にすまない」


 悠姫の気遣いにディーンはそう言ってドミノ同様に頭を下げる。


「や、そんな形式張らなくてもいいよ。どっちにしろわたしたちも色々行ってみたいと思ってたしね」


 普段ならば絶対に見られないような最大手ギルドだった彼らの謝罪に、悠姫はそう言って久我やニンジャに視線を向ける。


「まあな。それにしても城塞都市サキュラはやべぇな……思わず鳥肌が立っちまったぜ」


「それがしもこのような面妖な要塞は初めて見たでござる」


「ニンジャ、VR化前に何度も見てるでしょ……」


「ぶ、VR化してからの話でござるよ」


 慌てるニンジャを見て、忍者ロールをするのは良いがせめて一貫性を持つべきだと悠姫は思った。そんな会話をする悠姫の後ろで、メアリーはシステムウインドウを操作し続けていた。


 その手の動きは良くシアがやっていたので、悠姫にはメアリーが謝罪の光景のSSを撮っていることが容易にわかった。何とも抜け目がなかった。


「……そう言ってくれると助かる」


 疲れたようにそう言うディーンに、随分雰囲気が変わったものだと悠姫は思う。


 最古参でもありCAO内でも一、二を争うレイドギルドのマスターだったディーンは、VR化前はかなり不遜な男だった印象がある。


 現在のラードルフのように、他プレイヤーへの恐喝行為などはなかったものの、自分たちが最前線を走る最強のギルドだという自負が見て取れるくらいには自信に満ち溢れており、決して自分から頭を下げて非礼を詫びるような男ではなかったはずだ。


 ラードルフに敗北を喫したことが堪えたからか、それともVR化に伴って本来の内向的な性格が表れたからか……何にせよ悠姫としては話を進めやすい展開ではあるものの、その変化に一抹の不安が残る。


「で、こんなとこでレべリングしたり装備を整えているからには、やっぱり戻ってくる気はあるんだよね?」


「もちろんだ。だが……」


 言い淀むディーンの言葉を継いだのは、同じギルドに所属するドミノではなく、メアリーだった。


「……AOはいま士気がガタ落ちなの。メアリーの情報によると城塞都市サキュラにやってきたメンバーは総勢47名。その中でも復讐に燃えているのはごくごく一部だけなの」


 メアリーの言葉に、ディーンもドミノも気まずそうに目を伏せる。


 ……やっぱりか。


 悠姫の予想は悪い方向には当たりやすい。まさに不安が的中した形だった。


 悠姫の当初のプランでは、城塞都市サキュラで力を蓄えているであろう元EPのメンバーに、現在のEPと戦って貰い、その鼻っ面を叩き折ってもらおうと思っていたのだ。


「でも、レベルも装備もそこそこ揃ってるんでしょ?」


「一応は、他の皆は60後半、俺らは70台と言ったところだ。装備もそのレベル帯ならば準二級程度の装備は揃っている」


「[スキル連携]も、練習してるんでしょ?」


「ああ」


「だったら」


 悠姫の見立てではそのくらいあればほとんど勝利を確信できるほどのものだ。


「……悠姫、無駄なの。メアリーも一応打診はしたの」


「そうなの?」


 悠姫の問いに、メアリーは頷く。


「つまり、あれか。もう一度負ければもう立ち直れないから万全を期したいってとこか?」


 久我がそう言ってディーンとドミノを見ると、ディーンとドミノは無言で肯定を示唆する。


「……気持ちはわからないでもないでござるが、それは……」


 そう、それははっきり言って下策でしかない。


 オープンからまだ10日も経っていない今、プレイヤーはまだまだインターフェースの違いに四苦八苦している最中だ。


「今ならまだ[スキル連携]についてあまり知られてないけど、それが浸透してきたら余計に事態はまずくなるんじゃないの」


[スキル連携]はスキルの硬直にスキルを使用することで、連続してスキルを使用可能となるプレイヤースキルだ。


 これはまだレベル帯が低いこともあって、狩りに行くモンスターのHP総量もそこまでなく、スキルを連打するような場面が無いから浸透していないだけであって、今後レベルが上がってきたらほとんど必須となってくるプレイヤースキルである。


 そして重要な点は、このスキル連携はタイミングこそ難しいものの、練習すれば誰でも使えるようになるものなのだ。


「……だが、レイドをこなして装備を揃えれば、いつかは」


 気の遠くなるような言葉に、悠姫は眩暈がしてこめかみを押さえる。


 勇猛だった彼らが、どうしてこうなってしまったのか。


「いつかは、そうかもね。でも、そんな考えでレイドが出来るの? ずっと負け犬の烙印を背負ったままレイドをやって、メンバーが納得すると思ってるの?」


「……お前に、何がわかる」


「え?」


「俺たちにだって、最強のレイドギルドとして常に先陣を駆けていた自負がある! 誹謗中傷? そんなものいつものことだ。どれほどの罵詈雑言を浴びさせられたところで弾き飛ばせるくらいの自信はあった! だが!」


「よせ。ドミノ」


 感情のままに叩きつけられるドミノの言葉を制したのは、マスターのディーンだった。


 豹変したドミノの様子に尻込みしていると、深く息を吐き出したディーンは言葉を続けた。


「悠姫さん。アンタは人に本気で殺意をぶつけられたことが、あるか?」


「――――」


 問いに、悠姫は言葉を失った。


 そんなものはあるはずがないのもそうだったが、それ以上にディーンの問いがあまりにも日常からかけ離れたものだったからだ。


「VR化の初日――今でも夢に見る。復讐に駆られた奴らの感情は、理屈なんかでは到底あらわせるものじゃあ、なかった」


 膝の上に置かれたディーンの手が震えているのを見て、悠姫は無言で次の言葉を待つ。


「悪意なんて慣れっこだ。そんなものはゴミと一緒に捨てられるくらいには俺たちにとっては日常の出来事だ。……けれども、あの日あったのは、悪意なんかじゃあ、決してなかった」


 ぞっとするほどの底冷えする面持ちで語られたのは、


「……わかるか? あの日あったのは、本気で相手を殺そうとする、殺意だけだった。何十人もの人間からそれを向けられることの恐怖が……悠姫さん、あんたにはわかるか?」


 想像することだけならば出来るが、けれどもその時に彼らが覚えた感情は、体験したことのない悠姫には絶対に不可能だった。


「…………」


「…………」


 ディーンもドミノも、このまではいけないのはわかっている。


 本当は戦うしかないことをわかっているのだ。


 けれどもレイドギルドである彼らは、本来対人ギルドとは違う。


 他のギルドよりも場慣れしているとはいえ、それはあくまでMMORPGだったころの話だ。


 VR化に伴って変わった対人戦闘は、彼らに敗北以上の恐怖を植え付けた。


 今まで培ってきたものが全て無に帰して、真っ新になったところで味わった完膚なきまでの敗北とそれ以上の恐怖。


 それは軍隊で言うところの人格矯正のように、最強で有り続けた彼らの自負を摘み取るには容易な出来事だった。


 いかに鋭く切れ味の良い刃物でも、折れてしまえばそこまで。


 再び叩き直して熱を持ち元通りになるまでには、相当な時間がかかる。


 時期が早すぎるといのもある。


 彼らが敗北を味わってから、まだたったの一週間だ。


 後一週間……いや二週間あれば少しは違ったかもしれないが、それは状況が変わるというだけでどう転ぶかなど誰にもわからない。


 ディーンらが今のEPに勝負を仕掛ければ、絶対に乗ってくるだろうとは思っていたが、当てが外れた形になってしまった。


 重い沈黙が廃屋の中を支配する。


 悠姫は頭の中でどうするのがいいか考えるが、けれども思い浮かぶのはどれも自分の意見の押し付けでしかなく、それでは何の解決にもならないことは重々承知していた。


 悠姫が先導して導いたところで、悠姫は彼らのギルドマスターでもなんでもない。


 そもそも矜持が許さないだろうし、悠姫にだって彼らの神様になる気はない。


 早晩破綻するのがオチだ。


「……仕方ないね」


 溜息を吐き、悠姫はそう言って立ち上がる。


「おい、悠姫さん?」


「帰ろっか」


 このままここに居たところで、何かが進展する訳でもない。


 そう判断した悠姫の対応は早かった。


「突然やってきて、ご迷惑をかけました」


 いきなりやってきて掻き乱すだけ掻き乱して去ってゆくことへの少しの罪悪感はあるが、けれどもそれは元々彼らが蒔いた種だ。


「……待ってくれ」


 形式上の謝罪をして立ち去ろうとするその背中に、ディーンの声がかけられる。


 悠姫は振り返らずに立ち止まる。


「……あんたらはこれから、どうするつもりなんだ」


 EPの問題について、どうするつもりなのかと聞いているのであろう。


 悠姫に代替案などまだない。けれども確かに言えることが一つだけあった。


「さあね……でも、やれることはやるつもり」


 動かなければ何も始まらない。


 終わったまま、永遠に終わり続けているならばそれも彼らの物語なのかもしれないが、けれどもそれは悠姫の物語ではない。


「わたしはルカルディアが好きだからね」


 この世界を愛している悠姫はそう答えて、今度こそ立ち止まらずに廃屋から外に出る。


 フォーレストガルム大陸から見上げた空に星はほとんど見えなく、曇天に覆われた空からは白い贈り物が大地へと降り注ぐだけだ。


[ルカルディア]に天候を創った神[第三の聖櫃(トリアステル=ルイン)]。


[聖櫃攻略戦]にて現在攻略中、というには全体のレベルが低すぎてお世辞にも話にならないのだが、三月の[聖櫃攻略戦]はその天候を創ったとされるトリアステル=ルインの[聖櫃攻略戦]だ。


 先に進むことだけを考えたとしても道程の四分の一も進行することも出来ず、現段階では[聖櫃攻略戦]はVR化以前のように[尖兵ランキング]を稼ぐ為だけのウィークリーイベントと化している。


 フィーネのように会って話をしてみたいと思いつつも、けれども現段階での彼我の戦力差は絶望的なのでそれも叶わず。


 空を気ままに彩るトリアステル=ルインの創った天候は、いまだ空に残り続けている。


 その謎を追いかけたいと思いながらも、けれども世界はそんなに単純ではなく。


 世界を護るべく[第一の聖櫃]によって創られた、互いに傷つけ合うことが出来ないプレイヤー同士ですら争いを止めない。


「寒いねぇ」


 そう呟いて悠姫はギルドメンバーのリストを見るが、そこにひよりの名前は未だない。


「姫、どうするでござるか?」


「うーん、とりあえず、狩りにでもいこっか? メアリーはどうする? ……って居ないし」


 ニンジャの問いに悠姫はそう言って、どうせだからとメアリーにも話を振るが、メアリーの姿はどこにも見当たらない。


 影の中だろうかと見てみるも、それっぽい影は存在しなかった。


「俺はいいぞ」


「拙者も賛成でござる」


「……ま、いいか。メアリーは神出鬼没だし」


 ニンジャの一人称のばらつきにツッコミを入れるべきかどうか少しだけ迷って、悠姫は結局そこにはツッコミを入れないことにした。


 替わりにそう呟いて、悠姫はギルドチャットで残りの二人へと声をかける。


 するとすぐに返事があって、リーンはまだ臨時中とのことで悔しそうにしており、シアを加えた四人で狩りに行くことになった。


 その中にひよりの姿が無いのを残念に思いながらも、悠姫たちは深夜一時頃までフォーレストガルム大陸にある[青の雪原]で狩りをすることになるのだった。





 人が眠りに就き、廃人達が動き出す時間。……から2時間程進んだ時刻。

4時頃。


 ――紋様の入った銀のローブを羽織った亜麻色の髪の少女……ひよりはセインフォートの臨時広場へとログインした。


 夕方頃は臨時パーティの募集で賑わうその広場も、さすがにこの時間となると人っ子一人見当たらなく、ひよりはそのことにほっと安堵の息を吐きながらすぐに別の事に気が付く。


「誰か居ないかを、確認しないとです……」


 すぐにギルドメンバーリストを表示して、そこに誰も居ないことを確認したひよりは複雑な気持ちになりながらも、一人セインフォートの外を目指す。


 誰も居なさそうな時間帯を選んでログインしたのは、誰かに会ったら気まずいと思ったことと、悠姫に頼りたくても頼れないという二律背反した想い故にだった。


 もし会ってしまったら、何を話せば良いのかわからない。


 悠姫がひよりのことを心配しているなど、ひよりにはわからない。


 現実とは違い、基本的に他の連絡手段ないオンラインゲームにおいて、すれ違いは良くあることだ。


 少しの擦れ違いから時間が合わなくて会うことが出来ず、そのまま何日も経過して仲がこじれてしまうことなど日常茶飯事だ。


 それは今回のひよりのように、会うのが気まずいと思ってしまっていたり、負い目を感じてしまっているならばなおさらだ。


 セインフォートを南から出て、ひよりは一人で[グラーヴ岩石地帯]へと向かう。


 先の出来事で良い印象がある狩場ではないが、けれども彼ら三人の言葉が棘のように刺さりひよりをその狩場へと向かわせる。


 ……一人で狩れるくらいじゃないとギルドに居る資格なんて、無いです……。


 悠姫が聞けば何を馬鹿なことをと言うかもしれないが、けれどもひよりも悠姫と会ってまだ日が浅く、シアやリーンや久我やニンジャのように前々からの知り合いではない。


 そこにネガティブな感情が混ざれば、思考はどんどん悪い方向へと向かってゆく。


 風邪の時に色々と良くないことを考えてしまうようなものだ。


 道中に居るアクティブモンスターを[フレイムアロー]で焼き払いながら、十数分の道のりを経て、ひよりは[グラーヴ岩石地帯]へと辿り着く。


 暗い岩石地帯はまるで夜の海のように不気味で、ひよりは足が竦みそうになるのを堪えてマップへと入ってゆく。


 幸いなことに入口付近にモンスターの姿は無く、警戒しながらゆっくりとマップを進んでゆく。巨大な岩石の周囲に気を配りながら、道なりに西側へと歩みを進めてゆくと[サンドヴェルグ]の姿が見えた。


「……いきます!」


 奮い立たせるように気合いを入れ、周囲に他の敵影が無いことを確認してからひよりは詠唱を開始する。


「《永久氷壁の縛鎖よ、氷の戒めを!》[アイシクルバインド]」


 詠唱に反応して[サンドヴェルグ]がやってくるが、ほとんど移動する間も無くバインドが放たれ、[サンドヴェルグ]は氷の鎖によって地面に縫い付けられた。


「次は……《現れし炎の化身、焔に身を焦がし集積する火の星となり、仇なす者に極焔の苦しみを与え給え!》[フレアストライク]!」


 詠唱が終わり、発動すると同時に高熱を宿した大きな火の玉が火の粉の軌跡を描きながら流星のように[サンドヴェルグ]に直撃する。


「グ……ガガガァ!」


 相性が良いおかげもあり、放たれたフレアストライクは、200kある[サンドヴェルグ]のHPのうち実に9割以上を削り取り、ノックバックさせる。


 ダメージログには187388のダメージが与えられたことが記されていたが、それを確認するほどの余裕はひよりには無かった。


 火属性の魔法であるフレアストライクによってアイシクルバインドの縛めが砕かれ、自由を取り戻した[サンドヴェルグ]がひよりへと迫る。


「っ、《大気に満ちる火のマナよ、焔の矢となり……》」


 9割以上のHPを削り取った残りのHPならば[フレイムアロー]で削り切ることが出来ると考え、ひよりは追撃の為に[フレイムアロー]を放とうとして、


「――っ! ひゃ!?」


 唐突に真横から受けた衝撃に、ひよりは一瞬パニックに陥る。


「な、なっ、えっ!?」


 パニックになりながらも、自分のHPを確認してみると、HPバーが少しだけ削れている。


 ダメージはそこまで大きくないが、詠唱も中断してしまっている。


 慌てて周囲を見回すと、そこには岩陰から姿を見せる[ハンドロアー]の姿があって、ひよりは全身から血の気が引いてゆくのを感じた。


[グラーヴ岩石地帯]に現れるモンスターのうち、[ハンドロアー]は[コーラスジャイアント]や[サンドヴェルグ]に比べればレベルがかなり低いモンスターだ。


 HPも10k程しかなく、ライン一つの[フレイムアロー]で倒せるほどのHP量ではあるが、この[ハンドロアー]というモンスターは中々に曲者だ。


「きゃっ!?」


それは攻撃手段が遠距離で石を投げつけてくるということであり、魔法職の場合タイミングを見計らって詠唱を始めないと、すぐに詠唱が中断されてしまうのだ。


 中断された後、立て直して詠唱を始めたタイミングに合わせて再び攻撃してくるように設定されている[ハンドロアー]のAIは、緊急時にはかなりうざったい。


 魔法職に有利な狩場でありながら、魔法職に対していやらしいモンスターを用意されている。


 このモンスターが居なければもっと狩りやすいだろうに、というのは狩場としては良くある話で、だからこそ普通ならばパーティを組んで狩場に向かうものなのだ。


「《た、大気に満ちる火の――》ひゃあっ!」


 案の定、ひよりは[ハンドロアー]の攻撃のタイミングに見事にはまり、二度目の詠唱も潰されてしまう。


「あ……」


 そんなことをしていたせいで[サンドヴェルグ]が目の前までやってきてしまっていて、ひよりは状況が既に詰んでしまっていることを理解する。


 ……また、何も出来ずに死に戻りです……。


 振りかぶられる[サンドヴェルグ]の攻撃を前に、ひよりは泣きそうになる。


[サンドヴェルグ]の攻撃を受けて死んだところで、衝撃はあるものの痛みなどはまったくない。けれども一匹も倒すことが出来なかったという事実が、ひよりの心に強い痛みを与える。


 ……ゆうちゃん。


 最後に悠姫のことを思い浮かべ、ひよりは来る衝撃に備えて目を閉じる。


「[クリムゾンレイン]!」


 だがしかし、訪れるはずの死の代わりにやってきたのは、特徴的なイントネーションで発せられた声と、唐突に降って湧いた炎の雨だった。


 広範囲に降り注ぐ炎の雨を受けた[サンドヴェルグ]と[ハンドロアー]は、どちらもがHPを全て失いデータの粒子を残して消滅してゆく。


「――怪我はあらへんか?」


 突然の出来事に放心するひよりに声をかけてきたのはそんな、関西弁の女性で。


「……え、えっと、あ、は、はい! ありがとうございます!」


 暫くの間放心していたひよりは、やっとのことで言葉の意味が理解できて、礼儀正しく頭を下げた。


「ほんなら良かったわ。もーちょいで倒せるみたいやったからどうしよかとも思ったけど、[ハンドロアー]がおったからね」


 笑いながらそのサイドポニーの女性はそう言って、[ハンドロアー]のドロップを拾う。


「はよ拾わんと、消えてまうで?」


「え、で、でも」


「トドメはうちやったけど、HP削とったんはそっちやし、そっちでええよ」


「は、はい」


 言われるままに[サンドヴェルグ]の落としたドロップアイテムを拾うと、それを見たサイドポニーの女性は頷いて言う。


「うんうん……ええなぁ!」


 どこか既視感のあることを言いながら、サイドポニーの女性は言葉を続ける。


「とと……あかんあかん。けどここらで狩りするんやったら、南東の方のがええかもしれんで?」


「そ、そうなんですか?」


「あっちの方は[コーラスジャイアント]と[サンドヴェルグ]しかおらんからね。もちろん沸きは落ちるんやけど、ここらは[ハンドロアー]もようさん湧くから、さっきみたいに厳しいかもしれへんよ」


「そうなんですか……知らなかったです……」


 しょんぼりとうなだれるひよりの様子を見てサイドポニーの女性は、はてな、と首を傾げてちらりとログへと視線を送る。


「……んー、もしかして、ひよりちゃんって初心者なん?」


「え、は、はい……」


 少しだけ申し訳なさそうになってしまったのは、初心者という響きがあまり良くないように聞こえたからだろう。


「おおぅ……ここに居るくらいやから、てっきり引き継ぎ組みやと思ってたわ。レベルいくつ?」


「えっと……77です」


「ちょ、え、うそん? うちとおんなじくらいやん。んん、え……?」


 初心者と言った手前、そんなにレベルが高いと思って居なかったのだろう。


 サイドポニーの女性はそう言ってじっとひよりを見る。


 初心者にしては不似合なレベルを不思議に思ってのことだったが、ひよりがおどおどとしていた為あまりじっと見るのもどうかと思い、サイドポニーの女性は小さく首を振って考える。


「んー、せやけどレベル77ゆーても、あんまし慣れてへんのやったら[グラーヴ岩石地帯]は結構きついんちゃう?」


 先ほどの戦闘を思いだし、ひよりは考える。


 もしも[サンドヴェルグ]単体だったら狩ることも出来ただろうが、あれが[コーラスジャイアント]だったらどうだろうか。[サンドヴェルグ]よりもHPの高い[コーラスジャイアント]の場合、[アイシクルバインド]から[フレアストライク]を放ったところで、HPが結構残ってしまうかもしれない。


[フレアストライク]には10秒のクールタイムがあるので撃った直後にもう一度放つことは出来ないし、さすがに[フレイムアロー]では削り切れない。かと言って[クリムゾンレイン]を詠唱するには時間がかかりすぎる。


 スキルを新たに取ることも出来るが、けれどもあまり火系ばかりで固めてしまっても良いものかと考えてしまう。


 悠姫にもしも失望でもされたら……そう考えると、ひよりは新しいスキルを取るという選択肢を選ぶことが出来ない。それにどちらにせよ新しいスキルを取ったところで、ダメージを与えられるスキルとなるとロードウィザードが覚えられる中でも最上級の火系範囲魔法となるので、詠唱の問題は解消されない。


「やっぱり……わたしだと、ダメなんでしょうか……」


 呟いた答えはサイドポニーの女性に対してではなく、むしろ自分に向けられていた。


「ふーむ……」


 けれどもその言葉を聞いたサイドポ二ーの女性は、少しだけ考える素振りを見せて、ぽんと手を叩いてひよりに告げる。


「せやったら、ひよりちゃんにちょっとええもん見せたろか」


「え? えっと……」


「そんな警戒せんでもええやん。ほらほら、ちょっとついて来てみ」


 流れるような動作でパーティ申請を飛ばしてくるサイドポニーの女性に、ひよりは少しだけ迷いはしたものの、彼女にどこか悠姫のような雰囲気――言ってしまえば廃人の雰囲気なのだが――を感じてパーティ申請を受諾する。


「えっと、セリア……アーチボルトさんですか?」


「長いやろから、セリアでええよ」


「あ、は、はい、セリアさん」


「ほな、いこかー」


 そう言って[Hexen Nacht]の廃人――セリア=アーチボルトは先導して索敵を開始する。


「そいや、ひよりちゃんってギルドには入っとるん?」


「あ、はい、一応……」


「へー、どこか聞いてもええ?」


「えっと……[Ark Symphony]です」


 ぴくり、とセリアのサイドポニーが揺れたが、ひよりは気が付かない。


「……さよか」


 敢えて何も聞かずに、セリアは索敵を続けてゆく。


 平静を装いながら、けれどもセリアはまさかのギルド名に内心どっきどきだった。


 初心者でこのレベルなら、誰かの誘いでゲームを始めたのだろうと思っての問いだったが、出て来た名前にセリアはうんうんと悩む。


 ……相手がベテランやったらともかく、初心者さんに聞くのはあかんやろなぁ……。


 欠橋悠姫についての情報が知りたかったセリアではあるが、けれどもさすがにひよりにそれを聞くのはフェアじゃない気がして躊躇われた。


 悩みながらも進むと[コーラスジャイアント]と[サンドヴェルグ]が一体ずつ、それに加えて[ハンドロアー]が三体も居るモンハウの前へと辿り着く。


「セ、セリアさん、五体も居ますよ」


「まあ、敵は多い方が見せ場もあってええやろしね。ちょっと離れときな?」


 ひよりならば即座に撤退するか、一匹だけ詠唱反応させて釣って倒すかのどちらかだろうが、けれどもセリアはこともなげに言って詠唱を開始すると同時に、右手で短剣を抜き、CSの為に現れたであろう文字列の辺りを横一文字に薙ぎ払った。


「え?」


 詠唱に釣られたモンスターが一斉にセリアの方へと向かってくるが、彼らの進行は圧倒的に遅すぎた。


[《地より這い出し紅蓮の血潮――》[ラーヴァイラプション]」


 瞬間、地を焦がす溶岩の海が出現してモンスターたちの足元を崩す。


[ラーヴァイラプション]は初期ダメージの後に持続ダメージが続く上に、移動阻害の火炎地帯を発生させて相手の移動を阻害する中級魔法だ。


 本来ならばもう少し長い詠唱が必要だが、今回セリアは足止め目的として使っている為、ライン一本分で詠唱なのだろう。


 初めて見る他人の詠唱にひよりは息を飲むが、けれどもそれはまだほんの始まりに過ぎなかった。


「――[クリムゾンレイン]!」


 連続して放たれた魔法に、今度こそひよりは見入ってしまう。


 足元が崩された[コーラスジャイアント]たちに炎の矢の雨が降り注ぎ、[ハンドロアー]と[サンドヴェルグ]は二つの魔法だけでHPバーが全部消し飛んでデータの粒子へと変わる。


「と、これでラストやね。……[フレアストライク]」


 そう言ってセリアは、パチンと指を鳴らす。


 放たれた炎は吸い込まれるように[コーラスジャイアント]へと命中し、残りのHPバーを全て消し飛ばした。


 まさに炎の蹂躙劇。息も吐かせぬほどの魔法の連撃にひよりは言葉も出なかった。


 けれどもすぐに我を取り戻し、ログを確認して、そこに表示されているダメージ量を見て愕然とする。


「な、何で無詠唱なのにこんなにダメージが出てるんですか!?」


 もしかしたら先程セリアが抜いた短剣や、セリアの持つ[メインクラス]に秘密があるのだろうかとひよりは考えるが、けれども返ってきた答えはそれとはまったく異なる別種のものだった。


「や、さっきのはぜーんぶ普通に詠唱しとったで?」


 にやにやとしながら答えるセリアは、どっきりを成功させたようなドヤ顔だった。


「え?」


「ここで講義やね。さて、詠唱の種類には三種類あるんやけどひよりちゃんは全部知っとる?」


「え、えっと……確か[口語詠唱]と[思念詠唱]と……って、あ、もしかして」


「うん、せやね。さっきのあれは[思念詠唱]やね」


[思念詠唱]はCSの一種で通常の[口語詠唱]よりも難易度が高い詠唱手段だ。


[思念詠唱]は頭の中で文字を詠み上げる必要があるのだが、コツをつかむまではこれがなかなか難しい。


 モンスターを視界に入れてターゲッティングしながら文字を詠み上げるのは意外と難しく、モンスターが動いたり、ちょっと別の事を考えてしまっただけで詠唱が途切れてしまうのだ。


 だから一番確実なのがひよりがやっていたような[口語詠唱]であり、実際[口語詠唱]にしろ[思念詠唱]にしろどちらもスキルの倍率は同じなので、わざわざ難しい方を選ぶメリットが少ない。


 それに[思念詠唱]をしていた、だけでは説明がつかない部分もある。


「けどセリアさんのさっきの魔法……詠唱速度がすごく速かったですよね」


 CSで詠唱の文字が表示される速度は使用者のDEXとINTによって変化してくる。


 どう考えたところで[ラーヴァイラプション]から[クリムゾンレイン]を使うまでの詠唱時間は早すぎたし、最後の[フレアストライク]など無詠唱だったと言われた方が納得してしまう間隔で放たれていた。


「そこは、プレイヤースキルやねんけどなー……んー……」


 言って、セリアは悩む。


 ひよりが初心者だとわかり、色々と教えてあげようと思っていたセリアだったが、けれどもひよりが[AS]の一員だと知って、ここで教えると欠橋悠姫にその情報が伝わってしまうだろうと思い悩んでいた。


 セリアがちらりと見ると、ひよりはどうしてでしょう、と言った顏でセリアの答えを待っていた。


 セリアの頭の中で初心者に対する講義と情報の価値がぐらぐら揺れ、かこんと落ちた。


「しゃーないなぁ。さっきのは[二重詠唱(デュアルスペル)]ゆーねんで、ひよりちゃん」


 セリア=アーチボルトは可愛い女の子に弱かった。とりわけ初心者にはちょろかった。


「デュアルスペル、ですか?」


「せや。さっきのは普通の[口語詠唱]をしながら[思念詠唱]をするっていうやり方やね。つまり……」


 そう言ってセリアは集中した視線を前へと向けて、現れたCSのラインを短剣で切り裂く。


「《地より這い出し紅蓮の血潮!》[ラーヴァイラプション]! ――[クリムゾンレイン]!」


「わ……っ!」


 間髪入れず、二つの魔法が放たれ、ひよりは目を輝かせる。


「ってな感じやね」


「わ、わ、すごいです!」


「せやろせやろ。因みに短剣で切っとるのも実は意味があってな? 詠唱に[記述詠唱]があるんは知っとるやろ?」


「きじゅつえいしょうですか?」


「さっき三つあるゆうてたうちの一つやね。[記述詠唱]は詠唱の時に現れる文字を、なぞって詠唱するっちゅー……正直こんなん誰がやんねんっていう詠唱方法やねんけど……」


[記述詠唱]は読んで字の通り、CSの為の文字を指でなぞって詠唱をするという果てしなく面倒な詠唱方法だ。その代わり、詠唱によるラインの倍率は1.5倍となり、スキルによっては特殊な効果が付随されたりするものがある……が、正直出てきた文字を全て指でなぞっていたら発動までに何十秒、下手をすれば何分かかるかわかったものではない。


 実質は使い物にならないロマン詠唱方法に過ぎない。


「うちの場合は真っ直ぐ横に線を入れることで、[思念詠唱]をする為の文字列を意識して見やすくしとるって感じやね。マークが有った方が見やすいのと同じや」


「そうなんですか……すごいです」


 感嘆するひよりに、セリアはすっかりいい気分になっていた。


「ふふ、こんなんも出来んねんで?」


 そう言ってセリアは調子に乗って、氷属性の範囲魔法と雷属性の範囲魔法を組み合わせた自称合成魔法アクセルディザスターを見せ、さらに喜ぶひよりを見て満足感に浸る。


 自分の情報が漏れることについては、もはや何の躊躇いもないようだった。


 その後も調子に乗ったセリアはひよりに何度も魔法を放って見せ、その後、


「まあ[二重詠唱]くらいやったら、練習次第で出来るようになるやろから、練習してみるとええかもね」


「はいっ、あ、ありがとうございます!」


 そう言ってひよりの頭を撫でてから満足げに去っていった。


 セリアが後に悠姫の戦う相手だということを知らないひよりは、素直にお礼を言い、沸いてきた意欲を心の中で言葉にして強く杖を握り込む。


 ……[二重詠唱]をマスター出来れば、わたしも少しはゆうちゃんに近づけるかも……。


 ――そして決意も新たに、ひよりの特訓は始まったのだった。


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