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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第二章[魔法使いの夜]
17/50

四話[やさしさと痛みと]


 春日井ひよりから見たVR世界とは、まさに憧れの世界だった。


 学校の友達には漫画やラノベやアニメが好きだということを隠しているが、ひよりは放課後のほとんどをそういったサブカルチャーに注ぎ込む、いわゆる隠れオタクに分類される人種だった。


 亜麻色の髪は日本の学校では目立つ外見だが、持ち前のやわらかな雰囲気と丁寧な態度もあってクラスメイトとの関係は概ね良好。


 目立つタイプではないが、クラスの男子が集まって好きな子を暴露しあったら、数人から名前が出てくるかもしれない。


 そんな隠れた人気があるくらいに整った容姿は、CAO内のキャラクターとほとんどうり二つで、悠姫がひよりを見たらその姿に驚くかもしれない。


 ともあれ、容姿の話はさておき。


 技術が進歩し、VRゲームが台頭してきた昨今。


 その流れに乗るように、各メディアはVR技術を用いたエンターテインメント作品を数多く世に排出してきた


 そういった世代に生まれ、多くの作品に囲まれてきたからこそ、ひよりがVRという世界に過度の憧れを抱いてしまっていたのも仕方ない話だったのだろう。


 そんな数多く存在する仮想現実世界、VRMMORPGというジャンルにおいて、ひよりがもっとも没頭していたのは、以前にも言っていたアニメ、[ルージュオンライン]という作品だった。


[ルージュオンライン]は[小説家になればいい]というオンライン投稿サイトで数千万PVを誇り、そこから書籍化、アニメ化までされた単行本全10巻からなる長編SF小説だ。


[ルージュオンライン]とタイトルにもなっているそのオンラインゲームは、科学の粋を集めて作り出された[ログイン装置]によって現実と区別が付かない仮想世界へと転移することが出来るという、異世界転生モノも真っ青な内容の世界観となっている。


 既存のヘッドマウント装置のような電気信号を読みとってプレイするオンラインゲームではなく、文字通り仮想世界に生身で降り立ち、剣と魔法の世界を冒険することが出来るというオンラインゲーム。


 それが[ルージュオンライン]という作品であり、その世界[カノン]は現実世界のどこよりも美しい風景に溢れていて、現実世界のどこよりも薄汚れた価値観があり、現実世界の日常が霞む程の嘘と真実に彩られていた。


 何の替わり映えも無く繰り返される平穏という名の日常を消費する者にとって、[カノン]はそれとは真逆の非日常に溢れていた。


 オンラインゲームのようにクエストもレベルも存在しなく、強くなるには最低でも何週間という修練が必要な過酷な世界。


 けれども書で学び知識を得れば魔法を扱うことが出来、修練すれば確実に剣の腕が上がり強くなれるのはオンラインゲームと同じ。


 機械的な会話しか出来ない従来のNPCとは違い、独自の技術で作られた人工知能を内包する[カノン]のNPCはまさに人間そのもので、外見だけでは、とてもではないがプレイヤーかNPCか判断することが出来ないくらいだ。


 陽が落ち世界が[真紅]に染まる夕刻のように。

 魔族と人が争いを続け、どちらも血を流し続けた荒陵の大地の終焉。

 人間と魔族で分かたれた、二つの大陸。


[ルージュオンライン]は、そんな世界を主人公が旅をする物語だ。


 夕日に照らされた花弁が、燃え上がる火の粉のように舞い踊る幻想的な丘で、主人公と一人の少女が出会うところから物語は始まる。


[ルージュオンライン]のストーリーは、大まかに言うと[カノン]に降り立った主人公が、同じように世界を旅する少女と出会い、行動を共にするうちにやがて恋に落ちるという王道な展開の物語だった。


 しかし二人の恋は世界に祝福されるものではなかった。


 現実と仮想現実。どちらが本当の世界かわからない程に精巧過ぎる世界は、やがて人間と魔族との争いから現実と幻想の争いへと変化してゆく。


 即ち――AIの暴走。


 人と変わらぬ姿を持ち、人と変わらぬ意思を持つが故に、外部からの人間を[異端者]として憎み始めたNPCは、[カノン]に生きる者として、彼らのを迫害を始めた。


 全てのNPCがプレイヤーを[異端者]と迫害していたのかと問えば、決してそうではなかったが、けれどもNPCがプレイヤーに抱く憎悪は、彼ら彼女らに植え付けられた本能であり、避けようの無い運命だった。


 だからその悲劇は、主人公と少女にも必然のように訪れた。


 そう。主人公と出会って共に冒険をする少女もまた[カノン]に生きる者。


 ――プレイヤーではないNPCだったのだ。


[カノン]を愛し。旅をする主人公と共に生きたいと願う少女は、けれども日に日に強くなっていく彼への憎悪に心を傷つけ続ける。


 離れたくない、ずっと一緒に居たい。もっといろんな場所を旅したい――そう思えば思うほど、彼女の心は[異端者]への憎悪との軋轢により壊れていった。



 可愛らしい色調のベッドの上で膝を抱えるひよりの姿は、どこかルージュオンラインのヒロイン……コーデリアの姿を彷彿とさせる。


 デスクトップの勉強机の上には小物や小さなぬいぐるみが飾られていて、隣の本棚には少しの参考書と数多くの漫画やラノベが綺麗に陳列されている。


 ……辛いです……ゆうちゃん……。


 夜の9時過ぎ。


 ここ数日のひよりならば、この時間はCAOにログインして、悠姫たちと狩りにでも行っている時間だ。


 いつでも、見たことのない色々な場所へと連れて行ってくれて、知らないことをやさしく教えてくれる欠橋悠姫という人物。


 一緒に居るようになってからずっと思っていたが、ひよりは悠姫のことをまるで[ルージュオンライン]の主人公、ユウキのような人だと思っていた。


 純粋に世界を楽しみ、誰よりも世界を歩き、無理だと思えるような難題をも簡単に乗り越えてゆく。


 悠姫とフィーネの関係について詳細は知らないけれども、約束を守るために遥か空の彼方に会いに行く姿は、まさに物語の主人公のようだった。


 そしてだからこそ。一緒に居るのがそんな悠姫だからこそ、ひよりはずっと悩んでいた。


 Crescent Ark OnlineのVR化当日。


 憧れていた世界が現実となったその日。


 ひよりは[ルカルディア]へとログインし、悠姫と出会った。


 悠姫が見せてくれる世界はどれもやさしくて、暖かくて、楽しいことに満ち溢れていた。


 けれども。


 ――使えない、カスばっかりだな。でしゃばるな。


 EPのメンバーと名乗った三人から言われた言葉が、ひよりの身体から熱を奪ってゆく。


 色とりどりの世界から、色が失われていくように心が冷え切ってゆく。


 オンラインゲームにおける尺度をまだ持ち合わせていないひよりは、彼らの言葉が正当なものだと思ってしまったのだ。


 向けられた悪意に対抗するだけの知識を持つ前に、ひよりのレベルは上がりすぎてしまっていた。


 その点に関しては悠姫のパワーレベリングによる弊害と言う他ないし、その責任の全ては悠姫にある。

が、そうやって責任転嫁出来るほどひよりは図太くない。


 出来ることと言えば、ただただコーデリアのように胸の痛みに耐えることくらいだった。


 ……ゆうちゃんに会いたいです。


 ――けれども、会いたくない。


 もしも悠姫がそのことを知って、その程度も出来ないの? と、ひよりに愛想を尽かしたら。


 そんなことは無いと思いながらも、けれども弱って傷ついた心は負の想像ばかりを膨らませてゆく。茨で締め付けられるような胸の痛みに耐えるように、強く身体を抱きしめる。


 相反する感情がぐるぐると、ひよりの頭の中を掻き乱す。


 助けを求めるように瞳を開いた先にあったヘッドマウント装置に手を伸ばすが、その手は途中で力なく落ちて届かない。


 悠姫に抱いている感情。


 それが何なのか、まだひより自身もわかりかねていた。


 結局その日、ひよりが再びCAOにログインすることはなかった。





 ……なんてひよりが一人で悩んでいる、ちょうどその頃。


 悠姫はメアリーに言われた通り、セインフォートの図書館へ戻ってきていた。


 道中、ソロで狩りに行って来るというリーンと、ニンジャと決闘の練習をするという久我の報告を受けたので、他に図書館に誰が居るのだろうと思いつつ中へと足を踏み入れると、そこに居たのは、これまで一度も会ったことの無い見知らぬ少女だった。


 ピンク色のセミロングの髪に、少しだけ愁いを帯びた瞳。


 装備はまだ店売りの軽装装備中心だが、背に掛けている弓は何度か強化されていて、手入れもちゃんとされているのだろう、艶やかな光沢を放っていた。


 全体的に緑色を意識して選ばれたのであろう装備の理由は、彼女が[妖精族]独特の尖った耳をしていることから簡単に想像できる。恐らくアニメやゲーム等で形容されるエルフの狩人をイメージしているのだろう。


 そんな風に彼女のことを観察すること十数秒。


 その間、少女は口を開こうとしては止めるを繰り返していて、不審に思った悠姫は先手を打って問いかけてみる。


「どうしたの? わたしに何か用なのかな」


「…………」


 悠姫の問いに対して、少女はやはり口を開こうとしたが……けれども顔を伏せて首を振り、システムウインドウのキーボードモードを起動しようとして……その手も止まる。


「……もしかしてラグってる?」


 不思議な挙動に悠姫が首を傾げながら問うと、少女は首を横に振りそれを否定する。


 暫しの間、図書館に沈黙が落ちる。


 ……何だろう?


 これまで悠姫の元へとやってきた者は誰もが饒舌で、稀に緊張してどもっている者もいたが、彼ら彼女らが悠姫に会いに来る理由は、はっきりとしていた。


 有名人とフレンド登録したい、あわよくば同じギルドに入りたい。


 もちろん、そういった下心を持ち動物園の見世物を見に来るような感覚でやってくる彼らと悠姫がフレンド登録をするかといえばそんなことは無く。当然その流れでギルドに入れて欲しいと言ってくる者も、丁重にお断りしていた。


 そもそも悠姫がギルドを作ったのは、あくまで身内で連絡を取りやすくする為だ。


 同じギルドに所属していれば位置情報がある程度わかるし、ログインした時の挨拶もしやすい。またギルドには[名誉ポイント]とは別の[ギルドレベル]が存在し、[ギルドレベル]を上げることで、わずかだがステータスや経験値修得に上昇の補正がかかるようになる。


 もちろんそれは長い目で見ればであって、現段階ではそういった効率的な思考は省かれている。


 ギルド単位であれこれやろうとすれば、ギルドマスターに大きな負担がかかってくる。


 ギルドでお祭り騒ぎをするのは楽しいが、そういったものはレベル上げや装備集めが終わった後に、図書館巡りをする片手間にやりたい行事だ。


 そんな意図もあり、ギルド加入希望者は全て断り続けている。


 さて。そんなこれまでの来客たちと比べ、目の前の少女は今までに無いタイプだ。


 悠姫に対して何か用があるのはわかるが、興味本位でやってきたというには些か話の切り出しが遅い。


「んー……とりあえず座ろっか。お菓子もあるし、そっちの席にどうぞ」


「…………」


 促しながら備え付けのソファに座り、買い置きしてある焼き菓子をインベントリから選択して取り出し机の上に載せ、次いで紅茶も取り出す。


 買った物を買った状態のまま保存することが出来るのだから、こういう時ほどインベントリを便利に感じることはない。


 本当ならば紅茶も葉から淹れたり、お菓子も作ったりしたいところではあるが、図書館は購入可能な物件ではないのでそういった家具の類を設置することが出来ない。


「座らないの?」


 もう一度促すと、少女は甘い香りに釣られたわけでもないだろうが、遠慮がちに悠姫の正面に腰かけた。


「最近、ちょこちょこおいしいお菓子のお店を探してるけど、やっぱりまだ少ないんだよね。あ、紅茶は熱いから気を付けてね」


 チョコチップが入ったクッキーをかじりながら、悠姫は世間話を始める。


「持ち帰ることが出来る料理を扱ってるお店って、意外と少ないんだよね」


 悠姫が今かじっているチョコチップクッキーはプレーンクッキーと一緒に近くのパン屋で売られている品だが、他にお菓子を取り扱っているお店は残念ながらまだ見たことがない。


「凝ったのになるとやっぱりプレイヤーメイドしかないんだろうけど、調理スキルを優先して上げてる人ってまだ見たことがないんだよね」


 VR化以前は空き家をリメイクして自分の店を開くプレイヤーがそこそこいた。


 けれども露店通りなどにある空き家は、規模に反して値段が高い。


 因みにそれに関しては隠しパラメーターが存在するらしく、物件の値段は常に変動している。


 基本的には人通りや、付近のNPCショップの利用状況等々が関係しているらしいが、詳しい計算式は謎に包まれている。


 当然そういった区画ではなくても隠れた名店として知られるようなお店もあったが、基本的に趣味の領域となれば優先順位は低く、全体で慢性的にお金が足りていない時にやることではないし、やれることでもない。


 自分の店を持つ夢を掲げている人の多くは、今現在、鋭意お金稼ぎに精を出している最中だろうが、世知辛い話だがNPCの食材屋で買った材料で料理をして露店で売ったところで、出る利益は雀の涙だ。


 ……しかし、良い物件は限られている。


 例え身を削ることになろうとも、最終的な利益を見据えるのであれば今のうちに自分の城を獲得しておくことは、確実に大きなアドバンテージとなる。


 見えないところでも日々、そういったしのぎの削り合いが行われている。


 そんな殺伐とした話はさておき。


 少女は悠姫の様子に少しだけ警戒心が解けたのか、遠慮がちに差し出された紅茶に手を伸ばし、一口、紅茶を口に含んで、鮮明に広がった風味に僅かだが頬を緩めた。


「ふふ、ようやく表情が変わってくれたね」


「…………っ」


 その様子を見た悠姫はそう言って微笑んで、自分も紅茶に口を付ける。


 料理アイテムにはステータスの一時的な向上効果とHP回復効果があるおかげで、口に含んだだけで身体が軽くなったように感じる。


 アイテム名は[ハーブティー]とあり、何のハーブなのか説明文に記されていないのが怖いものの、気にしなければすっきりとした飲みやすい味わいとなっている。


「それで、どうしたのかな」


 微笑みをそのままに、悠姫は再度そう問いかける。


 緊張しているような気がしたので、とりあえずお菓子を振る舞ってみる作戦は成功だったようで、紅茶を飲んだことで少し気が軽くなったのか、少女は決心したように深呼吸すると、悠姫へと碧玉の瞳を向け、ゆっくりとその唇を開いた。


「――今日は、少しお話ししたいことがあって、来させていただきました」


 その声を聞いた瞬間、悠姫は思わず身震いした。


 声というものは、不可視の魔力のような力を持っている。


 耳朶を打ったその瞬間に存在そのものが確定するような、強制的な支配力とでも言うべき圧倒的な存在感。持つ意味以外の全てを削ぎ落としたかのように良く通る言葉、その声。


 不思議に思って意図せずじっと見つめてしまうが、その視線があまりにぶしつけに感じられたのか、相手の少女はすぐに気まずそうに視線を逸らしてしまった。


「あっ……ご、ごめんね。それで、どうしたの?」


 しかしそれも悠姫がすぐにそう切り返したことで、少女は視線を戻し、ためらいがちにだが言葉を続けた。


「……わたしはリコと申します。欠橋悠姫さん、ですよね?」


「うん」


 さっきまで無口だったことが嘘のように滑舌良く喋る彼女、リコという少女の声は少し気になるところがあったが、話の腰を折るべきではないと思って肯定だけする。


「……実は今日、わたしは欠橋さんのギルドのひよりさんと一緒に臨時に行ってきたんです」


「あ、ひよりん来てたんだ」


 来た時には既に居なかったので、今日は珍しく最初からログインしていなかったのだと思っていた悠姫は、そう言った後、ならどうしてログアウトしちゃったんだろうか? と疑問に思う。


 夕飯の時間ですれ違ったのだろうかと思いながらフレンドリストを表示するも、ログインしている者の中にひよりの名前はない。


「もしかして、何か伝言を預かってるとか?」


 それなら彼女がここに居る理由に納得ゆくが、でもその線は薄いか、とも思う。


 ギルドのメンバーにならまだしも、臨時で一緒になっただけの人にわざわざ伝言を残すなんて、内気なひよりならしなさそうだ。


 案の定、リコは首を横に振り伝言の可能性を否定した。


 その表情には影が差していて、「そうだったら良かったんですけど……」と続けられた言葉に悠姫は不穏な空気を感じ取り眉を顰める。


 ……考えてみれば[情報屋]であるメアリーが、特にこれといった理由もない少女が図書館に居る、なんて情報を伝えてくるはずがないのだ。


「実は……」



 重々しい雰囲気でリコから語られたのは、夕方に起こった臨時パーティでの出来事だった。



 EPのメンバーによる寄生行為。それと知らずに臨時パーティに入ってしまったひよりとリコが暴言を吐かれたこと。そしてひよりがそのショックでログアウトしてしまったこと。


 ログアウトする直前、ひよりが泣きそうな顔をしていたのを見て、リコはいてもたっても居られなくて図書館を訪れたらしい。


「――ああ、なるほどね」


 その全てを聞いた悠姫は、リコの手前、平静を装っていたが、内心では激しい怒りが燃え上がっていた。


 ギルド[Endless Paradox]のjudgementとケイロン、それにアスカンベルというプレイヤーに対しての怒りもそうだが、それよりも悠姫が許せなかったのは、ひよりにそういうこともあるということを教えていなかった、自分自身だった。


[ルカルディア]を冒険して楽しむことばかりで、これまでひよりにそういった『オンラインゲームの闇』とでも言うべき部分があることを教えてこなかった。


 その理由の中には、ひよりが抱いているであろう美しい[ルカルディア]のイメージ壊したくないという気遣いもあった。


 ……いや、それは違う。


 そこまで考えて、悠姫はすぐに首を振って否定する。


 懐いた人には割と積極的に接するけれども、基本的に内向的なひよりという人物に対して、悠姫は、恐らく一人で臨時に行くことは無いだろうと勝手に結論付けてしまっていた。


 真っ白なキャンバスのように、オンラインゲームの知識が無いひよりという初心者プレイヤーに、悠姫は自分が見て欲しいと思った『綺麗な』世界だけを見せて来た。


 フィールドの美しい風景。神秘的な遥か空の彼方の聖櫃。気心の知れた相手と狩りに行く楽しさ。クエストという物語。色々な都市の風景、その在り様。


 わくわくする心躍る様々なコンテンツを、悠姫はこれまでひよりに見せて来た。


 だが、楽しむことを目的として作られたオンラインゲームに置いても、注意すべきことはそれこそ数多く存在する。


 閉鎖的な通常のゲームとは違い、オンラインゲームは多くの人が同じ空間に存在するものだ。


 故に人と人との間で守らなければならない暗黙のルールというものが有るし、だからこそでもないが、そういった暗黙のルールを守らない者も当然、存在する。


 現実のように気遣うことが出来る者もいれば、現実ではないから何をしてもいいと思う者もいる。悪者に成りきってプレイするスタイルも存在するし、自分が特別だから何をしてもいいと思い込む中二病患者も存在する。


 さすがにやりすぎると運営に通報されてアカウントごと消されたりすることもあるが、それだってプレイヤーに実害があるかと言えばNOだ。


 現実の自分は痛くもかゆくもない。キャラが消されたならばまた作り直せばいいだけだ。


 VR化以前ならば暴言を吐かれても、そこに表示されるのは文字だけだ。傷つきはするが、所詮はパソコン越しの出来事だと深く気に病み過ぎることもなかっただろう。


 けれどもVR化した世界で面と向かって言われるとなると、話は少々異なってくる。


 6日前に[第一の聖櫃]を解放したことで、復帰したことが知れてしまい、悠姫は昔のギルドのメンバーと会うことが何度かあった。


 そのうちのほとんどはもう別のギルドに所属していたので懐かしむだけだったが、それでも数人からは耳に痛い小言や、心に刺さる言葉を聞かされることがあった。


 リーンに強く言及されたこともあり、人に責められる時の辛さや痛みというものを悠姫は重々理解していた。


 ――していた、はずなのに。


 ひよりならばそんなことにならないだろうと、悠姫は甘く見積もってしまっていた。


 感じている怒りの大半は、そんな自分の見解の甘さに対する怒りだった。


「……悠姫さん、大丈夫ですか」


「――あ、ごめんね」


 知らず、思いつめた様子でこぶしを握り締めてしまっていた悠姫に、心配気なリコの言葉がかかる。


 その言葉で少しだけ冷静になった悠姫は、深く息を吐き、気持ちを入れ替えるように努めて返す。


「とりあえず、事情はわかった。ありがとうね、リコさん」


「いえ……わたしは、何も出来ませんでしたから」


「そんなことないよ。わざわざ知らせてくれただけでも十分だから」


 それは悠姫の本心からの言葉だった。


 心無い暴言を吐く者も居れば、こうして気にかけてくれる人も居る。


 改めて悠姫がそう言うと、リコは安心したように、どこか照れくさそうに微笑んだ。


 ひよりもそうだが、リコもまたEPの三人の罵倒を気にしていた部分が少なからずあった。


 悠姫に話しかける時に躊躇ってしまったのもその為だろう。


 ハーブティーの香りが漂う図書館の中、司書の女性が本のページを捲る音だけが、静かに響く。


「ともあれ、安心して。ひよりんはわたしがちゃんとケアしとくし、リコさんが心配してたってことも言っとくね」


「いえ。わたしは良いです。ひよりさんも気を使ってしまうかもしれませんし、気にしないでください」


 ひよりのことは気になったが、ログインしていない今それを考えたところでどうにもならない。その代りにでもないが、リコに安心してもらおうとフォローしたつもりだったが、逆に心配されてしまって悠姫は苦笑いを浮かべる。


「そっか、ありがとね。と、そういえば気になってたんだけど、リコさんのその声って――」


 そこまで言った瞬間、リコがあからさまに視線を逸らしたが、気恥ずかしさを隠すために言っていた悠姫は気が付かずに続ける。


「――発声練習とかしてるの?」


「……はい?」


「や、声が良く通って綺麗だったから、そういう練習とかしてるのかなって」


 正鵠を射ているようで的外れな問いに、リコは唖然としながらも言葉を紡ぐ。


「いえ。確かにボイストレーニングはしてます、けど」


「やっぱりそうなんだ。むぅ……わたしもトレーニングしたら、そんな綺麗な声を出せるようになるのかな?」


 より女の子らしく振る舞う為に、発声練習も必要だろうか。そう思って聞いてみると、リコは真剣に悩む悠姫を見てくすりと笑って言う。


「悠姫さんの声は素直な声ですし、基本のボイストレーニングをしたらもっと良く通るようにはなるとは思いますよ」


「え、そう? ……じゃあやってみようかな」


 悠姫はいったいどこを目指しているのだろうか。


 今でさえ男だということを忘れそうな程に女の子らしいというのに、これ以上女の子らしくなってどうするのか。


「あ、でしたら……」


 しかしそんなことは露と知らないリコは、悠姫に基本のボイストレーニングのやり方を教えて、せっかくだからとフレンド登録を済ませる。


 帰りの際に、悠姫は一応「何かあったら言ってくれたら力になるからね」と言い、リコはそれに「ありがとうございます」と頷き、笑顔を返して去って行った。


 図書館に残された悠姫は、リコに教えてもらったボイストレーニングのやり方をとったメモを自分のパソコンのアドレスに送り、続けてフレンドリストを開く。


 フレンドリストには、やはりひよりのログイン情報は無く、悠姫はそこから下へとリストをスライドさせ、少し前にフレンド登録をした人物へとコールする。


「あ、もしもしメアリー? わたしだけど」


 そして出た相手、メアリーといくつか言葉を交わしてWISを切る。


「本当にもう、後は野となれ山となれ、だね」


 ――灰野にならなければ良いけれど。


 そんな不穏なことを考えながら、悠姫は身体を動かすべく一人で狩りへと向かう。


「……わたしも、もうちょっと慣らしとかないとね」


 セリアとの決闘の話もあるので身体を動かすことにもっと慣れておきたかったこともあるし、何より身体を動かしていないと怒りを抑えることが出来なかった。


 結局その日、悠姫は夜の遅くまで狩りを続け、翌日、真っ赤になった眠そうな目で、喫茶[雪うさぎ]へと出勤することになるのだった。


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