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Crescent Ark Online  作者: 霧島栞
第二章[魔法使いの夜]
16/50

三話[世界の悩み]


 ――そして7時。


 僅か数十分前のひよりの出来事など知る由もなくCAOにログインした悠姫は、とりあえず確認の為にフレンドリストを表示して、直後、間違えた、とギルドメンバーリストを表示してそこに既にシアの名前があるのを見て、ギルドチャットで呼びかけてみる。


『シアシアー?』


『あ、ユウヒ様?』


 ギルドチャットはパーティチャットと同じような感覚で喋ることが出来る機能だが、大きな違いは相手を指定して声をかけることが出来るということだ。


 これが無ければ大規模なギルドなどは煩雑すぎる声で誰が話しているかもわからなくなってしまうし、他のギルドメンバーにも全て筒抜けになってしまう。もちろん全員に一斉に声をかけることもできるので、ログインしている人が多ければ一気に全員に挨拶することも出来る。


『今日はひよりん居ないんだね、珍しい』


『むぅ……わたしがログインした時には既にいませんでしたね。けどユウヒ様、また泥棒猫の話ばっかりですか』


『えっと……』


 シアはどこまで本気で言っているのだろうか。


 その後、遠巻きにぶつぶつと何やら呟いているのが怖い。ログを見たくない程度には怖い。


 悠姫は呟きがエスカレートする前に、別の話題へとすり替えることにした。


『ところで、シアはどこに居るの?』


 悠姫が落ちた場所は図書館だったので、ログインすれば誰か居るだろうと思っていただけにあてが外れた。


 いつものシアならば図書館で待っていてもおかしくはないのに、と思って問いかけてみると、シアは『そうですそうです』と前置きして話し始める。


『ユウヒ様、いま時間ありますか?』


『うん? 別に大丈夫だけど、どうしたの?』


『わたしも少し前にログインしたところなんですけど、図書館にお客さんが来てまして』


『あー……また?』


 連日連日、良くもまあ来るものだと思わざるを得ない。


 と言うのも、昔の既知で悠姫に会いに来る者はまだ歓迎できるが、それとは別に悠姫を一目見たいと、まるで動物園の動物を見るようなノリでやってくる者達がここ数日後を絶たず、そろそろうんざりしてきていたところなのだ。


 けれどもまたかと思う悠姫の予想とは違い、続けてシアから帰ってきた内容は別のものだった。


『違いますよ、お客様っていうのは、HNの人ですね』


『……HNっていうと、え、Hexen Nacht?』


 他の略称かもしれないが、話の流れとCAOでの現在の知名度から考えてギルド[Hexen Nacht]の略称だと思って問うと、シアからは『ですです』と肯定が帰ってきた。


 仮にここで出てきた名前が[Endless Paradox]や[Criminal of Guilty]だったなら、むしろまだ納得がいったかもしれない。


 その二つの大手ギルドには[第一の聖櫃]が解放された初日に、ギルドに入らないかと打診を受けていた。


 どちらも有名である欠橋悠姫というプレイヤーを獲得することで、自分たちのギルドに箔を付けようといった魂胆が見え見えだったので丁重にお断りしたが、その二つのギルドが根強く勧誘に来たというのならまだ納得は出来る。


 まあ納得いったところで受けるかどうかはまた別の話だが。


 そもそも[CoG]はまだしも、[EP]はVR化に伴ってギルドマスターが若手の者に替わったらしく、最近は良い噂を聞かない。


 やれ恐喝紛いの事をして狩場を占有しただの、やれ[大手ギルド]という名をかさに被って街中で暴言を吐くなど、やっていることが正直チンピラと大差ない。


『んー……今更ギルドの勧誘ってこともないよね。HNもわたしがギルドを作ったことくらい知っているだろうし。シア、どんな要件とか聞いてる?』


『いえ。それは直接会って話したいと言ってまして』


『まあ、だろうと思ったけど。うんまあ、けど良いよ。いこっか。どこに行けばいいの?』


 シア以外のギルドメンバーも居なく、強いてやることと言えばレベル上げくらいだが、それも取り立てて優先度はさほど高くはない。


 特筆してやることもないし、ということで悠姫は図書館から外へ出ながらシアにたずねる。


『あ、じゃあHNの[ホーム]の前に出て待ってますね』


『へぇ……もう[ホーム]まであるんだね』


『わたしもびっくりしましたね』


[ホーム]というのは読んで字の通り、ギルドのたまり場などとして借りる、または購入することが出来る家屋のことだ。


[ホーム]はセインフォートに限らず、空き家となっている家屋ならば例え屋敷であったとしても購入することが可能だ。


 セインフォートにもそこかしこに存在し、最も多いのは北西にある住宅地で、冒険して楽しむだけではなく家を持つことが出来るというのは、例えゲーム内の話であったとしても所有欲を満たしてくれる素晴らしいコンテンツだ……が、しかしこの[ホーム]というものはとにかく高い。


 小さな家を買うにしても購入には安く見積もっても500MS(セイン)は必要であり、MMORPG時代に大手ギルドが所有していた館や屋敷のような大きな建物の場合はG(ギガ)の単位をゆうに超える価格設定がされていた。


 さすがにサービス開始一週間でそのような大金を集められるはずがないので、いくらHNといえども、さぞしょっぱい[ホーム]だろう。


 そんな失礼なことを思いながらシアの位置マーカーを頼りに、悠姫はセインフォートを北側へと進んでゆく。


「ととっ……」


 この時間はまだ人通りも多く、行きかうNPCも多くて少々歩きづらい。


 現実では当たり前のことだが、VR化に伴いNPCにも質量が存在するようになった。


 以前は街を歩くNPCにぶつかったとしてもまるでなにも無かったかのように通過してしまっていたが、VR化した今では肩が当たればよろけてしまうし、ぶつかれば転んでしまう。そしてそうした時の対応もNPCによってそれぞれで、そんな些細なこと一つ取っても運営の細かな作り込みが伺える。


 少しだけもったいないと思うところを述べるならば、CAOは現実と時間が連動しているので、夜にログインすると[ルカルディア]も夜となってしまうことだろう。


 夕方ならばまだしも、日が落ちた夜道を歩く場合、人が引ききっていない繁華街のような区画だとNPCを避けるのがちょっと面倒くさくもある。


 因みに、夜に狩りに行くと暗くて周囲が見づらく、面倒ではないかと危惧したが、[ルカルディア]に浮かぶ二つの月が存外に明るく照らしていて気になるほどではなかった。


 そんなこともあって特に不便があるということはないのだが、仕事から帰ってログインするとほとんど夜になってしまうので、これは悠姫だけに限った話ではないが、仕事をしている人や学校に通っている人の多くは夜の[ルカルディア]ばかりを見ることになるというのが少し残念なところだ。


『そういえばシアは何でHNのたまり場に居るの?』


『えっとそれは……』


 そんなことを考えながらふと問いかけると、帰ってきたのは言葉を濁すような曖昧な返答で、何か言い辛いことでもあるのだろうかと思ったが、どうせ後数分もすればわかることだ。


 悠姫は首をかしげながらもマップに表示されているシアの位置マーカーを目指して歩いてゆく。


 そしてほどなくして目的の場所へと辿り着いた悠姫は、HNの[ホーム]であろう建物を見てその意外な大きさに驚く……と同時に、HNの[ホーム]の前で行われているやりとりが不可解すぎて歩みを止めた。


「……な、ええやろ? もーちょっとだけ、な?」


「や、やめてくださいっ、わたしの猫耳はユウヒ様だけの……って、ユウヒ様っ! た、助けてください!」


「えっと……何してるの?」


 悠姫がHNの[ホーム]の前で見たものは、魔法職風のサイドポニーの女性に猫耳を触られ続けているシアの姿だった。


「ええなぁー。うちのギルドには、けもみみっ子が少ないから、貴重なけもみみ分は補充しとかんと! うりうりうりうりー」


「な、何を言ってるんですかこの変態! ユウヒ様も見てないで助けてください!」


 どういう状況でこうなっているのか全く理解できなかった悠姫だが、少なくともシアが言って良いセリフではないことはわかった。


 けれどもあまりにも必死な様子で助けを求めるものだから、悠姫はとりあえず助けるべきなのだろうと思い、シアから五メートル程距離を取ったところから、こう言った。


「がんばれー」


「見捨てられました!?」


 助ける気など、端から存在しなかった。


 別に本気で嫌がっている訳でもなさそうだし、そもそも本気でシアが嫌がっているのならばとうの昔にハラスメント警告によりサイドポニーの女性は監獄送りにされているだろう。


「ふ、フレンドリストを解……」


「ふふふ、野暮なことはやめーな? せっかくうちとオトモダチになれたんゆーのに」


「や……っ」


 ……本気で嫌がっているわけではないだろう。


 フレンド登録を済ませると、ある程度スキンシップによるハラスメント警告が緩和される。


 どう見ても騙されてフレンド登録してしまった後に猫耳を触られ続けているシアから目を逸らしつつ、悠姫はHNの[ホーム]へと改めて視線を向ける。


 洋式調で作られた建物は、広さだけで言うならばセインフォートで購入できる建物の中では中規模の広さがあるだろう。小さいながらも庭があり門扉も備え付けられているし、そこから続く家屋も小さな館といった感じで使用人などを雇っていてもおかしくはない風格だ。


 さすがは大手ギルドか、といった建物ではあるが、同時にけれどもこれほどの[ホーム]を購入するための資金はどこから調達したのだろうか。


「――うちらの[ホーム]はまだ借家やからねぇ」


「ひぅあ!?」


 そんなことを考えていたら唐突に背後から声がして、悠姫は情けない声をあげて振り返る。


「や、意外とかわいい声出すんやね悠姫ちゃん」


「な、えっ!?」


 いつの間に背後に回ったのか。先程まで彼女が居た場所へと視線を向けると、シアが猫耳をへんにゃりとさせてぐったりしていた。


 咄嗟に悠姫は、身の危険を感じて距離を取る。


「な、何か用があって、わたしたちを呼んだんじゃないの?」


「あー……ごめんなぁ。可愛い子を見つけたらついな……」


 警戒心を露わにした悠姫の言葉に、サイドポニーの女性はそう言って素直に頭を下げるが、はっきり言って謝罪にすらなっていない。むしろより警戒心が増すだけだ。


「……セリアは節操なさすぎ」


 そんなサイドポニーの女性を諌めたのは、門扉を開いて出てきたアシンメトリー髪型の着物姿の少女で、悠姫は少女の言葉に気を取られながらも彼女がセリアと呼んだ人物を注視する。


「セリア……なるほど、あなたがセリア=アーチボルトだね」


「正解や。と、うちの事知っとったんやね。光栄やわ」


「そりゃ、HNのサブギルドマスターだし。色々有名だしね」


「ということは、うちのお姫様のことも知っとる訳や?」


「まあ少しは」


 サブギルドマスターのセリア=アーチボルト。


 そしてギルドマスターのコノハナ=サクヤ。


 二人に対するリサーチは既に済んでいる……というより休止中にすることがなくてギルドの掲示板を流し読みしていたせいで知識を得てしまっていたというのが正しいがそれはさておき。


 大手ギルドと呼ばれるCoGやEPなどの最初期から存在するギルドとは違って、HNは悠姫が休止する少し前に作られた後、半年程経って頭角を現してきた新鋭のギルドだ。


 HNは当初、メンバーが数人しかいない身内ギルドではあったが、けれどもギルドマスターであるサクヤが転生し、ある意味でかなりレアな[メインクラス]を獲得したことから、数百人規模の人数を誇る大手ギルドへと変貌したという経歴を持っている。


 その[メインクラス]というのが[姫]という実にシンプルなわかりやすいもので、真価は二つの固有スキルに存在する。


 まず一つは[風格]。


 こちらは一部を除くスキル倍率の%に+20%する。という一見すると地味なスキルだ。


 スキル倍率が20%増加する、ならば壊れスキルとして扱えるほどの性能だが、+20%されるというのは実に地味な効果である。元々の倍率が2000%の倍率のスキルが2020%になったところで、ほとんどダメージに差など現れない。


 けれども[風格]の真価はそういった攻撃スキルの倍率に+20%されるところではなく、商人系のスキル……言ってしまえば[交渉]スキルにも+20%されることなのだ。


[交渉]はスキルレベルを10まで上げると、NPCと取引する時の金額を30%高く、或いは安く売買することが出来る、清算やアイテムの購入の際には必須スキルだ。


 そのために多くのプレイヤーがサブキャラとして商人キャラや商人アカウントを作るくらいで、そういった商人を持たないプレイヤーの為にわざわざ数%の手数料でS(セイン)を稼ぐ[代売り屋]や[代買い屋]なども存在する。


 サクヤの[メインクラス]である[姫]の場合は、その30%からさらに+20%された50%までの金額で売買が出来るわけだ。


 ドロップ品を売って1MSならば1.5MS。10MSならば15MS。買う時にしたってそう、プレイヤー間の取引では[交渉]スキルは意味を成さないが、NPCから消耗品や素材などを買う場合の金額も50%引きされる。常時半額だ。


 タイムセールなどの概念の無い[ルカルディア]という世界において、全ての販売品を半額で購入することが出来るというのは、熟練者ならば誰もが垂涎の能力だ。


 仮に100kの換金アイテムを普通の商人基準の30%増しの140kで出していても、サクヤの場合はそれを買って売るだけで10kの儲けになるのだ。


 そしてさらにもう一つの固有スキルが[商人召喚]というのも相性が良かった。


 スキル名の通り、どこでも商人を召喚することが出来、その販売物の内容はプレイヤーのレベルによって変わってくるとのことらしいが、けれどもドロップ品などを売却するに至ってはそんなことは特に問題はない。


 そうなると元々街の外へと出かけることなどほとんどなく、日々、転売でお金を稼ぐことに余念が無かったサクヤが、固有スキルを使って何か新しいお金稼ぎが出来ないものかと考えるのも当然の成り行きだった。


 その結果がギルドメンバーを募集して清算を受け持つ代わりに、清算金額の10%を奉納するという、まさに[姫]としか言いようが無く、かつ、どちらにとっても理がある組織図が成り立ったというわけだ。


 悠姫がそのことをセリアに話すと、セリアはほうほうと頷きながらも懐かしむようにサクヤへと顔を向けた。


「そんな細かいところまでよう知っとるね。やー懐かしいなぁ。セインフォートの引き籠りとまで言われとったサクヤがまさかそんな[メインスキル]を貰うことになるとはおもえへんかったからなぁ」


「セ、セリア……恥ずかしい……」


「あっはっは、うちの姫は可愛いなぁ」


 顔を真っ赤にするサクヤを抱き寄せセリアは満足げに言う。サクヤは身長が140センチほどしかないので、まるでぬいぐるみのようにされたい放題されている。


 うりうりうりうりと実に百合百合しい光景がそこに展開されていて、その様子をシアがうらやましそうな目で見ていた。


「でもHNって女性ばっかりのギルドだよね? お金稼ぐ為なら普通に男性プレイヤーにも門戸を開いた方が稼げるんじゃないの」


「悠姫ちゃん、わからんかなぁ……」


 その問いに対して答えたのは、サクヤをぬいぐるみにしていたセリアで、彼女は言葉を継いでこう言った。


「――可愛い女の子を集めるのはうちの趣味や! 男なんぞ要らん!」


 あまりにも堂々とした宣言に、悠姫は言葉を失ってしまった。


 シアも小声で「何て潔い台詞……っ」と恐れ慄いていた。


 ギルドマスターのサクヤが男嫌いだとか、そういう理由があるのだと思っていただけに、セリアの答えは予想の斜め上過ぎた。


「え……え、ほんとに?」


「――本当の事でございます」


 呆然としする悠姫の問いに答えたのは、サクヤが訪れた門扉から同じようにやってきたメイド服を着た、淡い色素の髪色をしたウェーブのかかったセミロングの女性だった。


「……誰?」


「失礼致しました。申しおくれましたが、私はギルド[Hexen Nacht]に仕えさせて頂いております[キリングメイド]の[No.A]と申します。以後お見知りおきください」


 自己紹介を聞いた瞬間、悠姫はどこぞのエージェントを思い浮かべた。


 闇夜に降り立ち背後から主人に仇成す敵を暗殺するスーパーメイド。


 No.Aという記号的過ぎる名前もそうだが、[メインクラス]であろう[キリングメイド]という肩書きからも目の前のメイドが只者ではないことがわかる。


「彼女の事はノアって呼んだったらええよ。一応うちではナンバー2の実力の持ち主やから、最近はサクヤの護衛についてもらっとるんよ」


 護衛……と、ここに来てやっと悠姫が呼ばれた理由に関係のありそうな単語が出てきて、気を引き締めなおす。


 シアも悠姫の隣へと寄ってきて腕を絡めてきた。


 猫耳がピンと立っているのは警戒しているのだろう。


 わたしも後で触らせてもらおう。そう思いながら悠姫は問い掛ける。


「護衛って、また物々しい単語だね」


「せやねぇ。最近はセインフォートも治安が良いとは言えへんからねぇ」


 そう言うセリアの言葉だけでも大体の予想はついてしまう。


「ま、立ち話もなんやし、中にはいろか」


「そうだね」


 ――人目の付く場所で喋るのも、どうやと思うから中で話そか。


 言外にそう言っているのを感じ取り、悠姫は門扉の方へと足を進める。


「あ、先にフレンド申請送っとくわ」


 そう言ってセリアは近くまでやってきた悠姫にフレンド申請を送ってきて、悠姫はそれを見て暫し考える。


「安心してええよ? うち、お客さんには手ぇだせへんから」


 ダウト。


 ほんの僅か前までシアの猫耳を執拗に触っていた人物が言っても良い言葉ではなかった。


 シアに続き、まさにお前が言うな状態。


 加えて手をわきわきさせながら言っているのだから、説得力が皆無だ。


 この人には色んな意味で気を付けようと心に誓いつつ、けれども無下にすることも出来ず。


 セリアからのフレンド申請を承認して悠姫はHNの[ホーム]へと入るのだった。





「ほな……大体はわかっとると思うけど、改めて話そか」


 シャンデリアの明かりで照らされた応接間に通された悠姫は、そこで質素なソファに腰掛けながら[キリングメイド]のノアが運んで来た紅茶を一口だけ飲んでから先を促す。


「それで、話って?」


「それやねんけど」


 セリアはそう前置いて、変わらず笑みを浮かべたままさらりと言った。


「もーうざいからEP潰そ思うねん。何かええ案あらへん?」


 悠姫は口に含んだ紅茶を吹き出した。


「ごほっごほっ!」


「ユ、ユウヒ様、大丈夫ですか!?」


「――ゆうのは冗談や」


 咳き込む悠姫とそれを心配するシアを眺めて「あっはっは」と笑いながら、セリアはこともなげに言った。


「や、そういうのは良いから」


「悠姫ちゃんが面白い反応してくれるから、血が騒いでもうてな」


 関西人の血だろうか。はた迷惑な血脈だった。


「セリア……サクヤが話す」


 このまま任せていたのでは一向に話が進まないと思ったサクヤがそう言って、二人へ向かって佇まいを直す。


「……さっきのセリアの話。半分は正解で、半分は冗談。……EPが色々と迷惑行為をしてるから、それを何とかしたいの」


「…………」


 セリアが引き籠りなどと言っていたので引っ込み思案な性格なのかと思いきや、サクヤの口から出てきたのは思いのほか勇ましい台詞だった。


 サクヤの評価を見直さなければならない。そう思う悠姫だったが、


「……具体的には、ああいった連中が居ると、市場が荒れてお金稼ぎが面倒」


「…………なんとなく、わかってた」


 ……だから悔しくなんかないし。


 悠姫は振り回されっぱなしで、サクヤはただの金の亡者だった。


「とは申しましても、やはりああいった粗忽なプレイヤーが多いと、セインフォートだけではなく狩場での雰囲気も悪くなってしまいます。そちらについては中小ギルドだけでは手招いてしまうだけの現状です。他の大手ギルド筆頭であるCoGが動かない現状、私共が動く他ないでしょう」


 そう言ったのは[キリングメイド]のノアで、この人も何か裏があるのだろうかと思いながら悠姫は話に乗る。


「そうは言ってもわたしも一プレイヤーでしかないから、出来ることなんて知れてるよ」


「いえ。悠姫様が手を貸して頂けるのであれば、事情は少々変わって参ります。私達も大手ギルドの枠組みで見られてはおりますが、戦闘系のギルドではありません。もしもの時に、戦える人の助力が必要となるのです」


「まあ、そういうことやね」


「……うん」


 トレイを持ったまま背筋を正して言うノアの台詞は、セリアとサクヤの総意だった。


[キリングメイド]などという物騒な[メインクラス]を持つ人物が一番の人格者だった。


「でも戦力って言っても、CAOはPV、PKは認められてないから、どうしようもないんじゃないですか?」


「それが難しい所ではありますが……」


 シア問いは重々承知だろう。けれどもわかりきっているだけに、ノアは渋面を作り言葉を濁す。


「こんなことならまだ[加護の祈り]が無かった方がわかりやすくて良かったのかもね」


「……[加護の祈り]?」


 聞きなれない単語に、サクヤが悠姫に聞き返す。


「そそ。[加護の祈り]はフィールドやダンジョンでPKが出来ないようにするシステムの元となったバックグラウンドのことだね」


 言ってしまえば狩場などでパーティ外のプレイヤーに対してフレンドリィファイヤが発生しないように設定されたシステム。[加護の祈り]は、それを世界観に溶け込ませるために作られた背景設定のことだ。


「都市には別の加護があるから重複して効果は無いみたいだけど、クラリシア=フィルネオスが新たに創った人類が互いに傷つけあってしまわないよう、慈しみを持って作られたのが[加護の祈り]だって記録には残ってるんだよ」


「へぇ。そんな設定あるんやねぇ」


「私も初耳です」


「わたしは前に何度も聞いたことがありますけど」


 最後にそう言ったのはシアで、優越感たっぷりに頷いていた。


 今はまだレベル上げを中心に活動しているので遺跡の図書館などを探索しに行く暇はないが、機会を見てちまちま色々と調べに行こうと悠姫は思っている。


「まあ、無い物ねだりをしても仕方ないので話を戻しますが……最近は泣き寝入りをすることしか出来ないプレイヤーも多く、そういった人たちの多くはソロプレイヤーが多いので抗議をしに行くこともできません。中小ギルドにしたって、人数の差はそのまま悪意の総量になります。放置しておける問題ではありません」


 言いたいことはわかるし、彼女たちが言っていることは、大半のCAOプレイヤーの代弁でもある。悠姫にしても彼らの行為は決して見過ごせるものではない。


 しかしそうだとしても、根本的な解決手段が無ければ何の話にもならないのだ。


「……[ギルド対抗戦]にでも持ち込めれば、話は違うんだろうけど」


「そうやね」


 悠姫の言葉に、セリアは間髪入れず頷く。


 HNの三人もそのくらいは考えてはいるのだろう。


 ギルドが活動する為に不可欠な[名誉ポイント]を賭けて戦う[ギルド対抗戦]に持ち込むことが出来れば、無法者を全員セインフォートから追放することも可能ではある。


[名誉ポイント]は所属したギルドメンバーの[名声ポイント]の累計値であり、これが高ければ各都市の施設を十全に利用することが出来る他、ギルドの最大加入メンバー数も変わってくる。


 そして逆に[名誉ポイント]が低いギルドは、最悪のケースだと都市に入ることすら出来なくなるし、ギルド自体も永久解散させられてしまい、メンバーだった者は後一ヵ月他のギルドに加入することすら許されなくなる。


 もしもの時に戦力となって欲しいと言っていたのは、その為にだろう。


[ギルド対抗戦]は南西のラタトニア大陸の首都[ガドレニス]の東にある海岸の街[スターチス]の[コロッセオ]で行うことが出来る。


 EPに[ギルド対抗戦]を挑み勝利することが出来れば、[名誉ポイント]を大幅に損失させることも可能で、仮に全損させることが出来なくともメンバーの数を削ることは出来るし、何より手痛い敗北を喫すればさすがに彼らも暫くおとなしくしているだろう。


「そうは言っても向こうには勝負を受ける利点もないし、簡単には乗ってこないだろうね」


「難しい話でございます……」


 はぁ……と溜息が漏れる。


 悠姫からしても今の[ルカルディア]の雰囲気は好きではない。出来るなら何とかしたいところだが、良案というのはそうそう思い浮かばないから良案なのだ。


「んー……そや、ええこと思いついたで!」


 そんな沈みゆく雰囲気を嫌ったのか、セリアが妙ににこにことした笑顔を浮かべて言う。


「[聖櫃の姫騎士]欠橋悠姫が率いる中小ギルド連合の軍勢がEP囲んで恐怖のどん底に叩き込む――ゆうシナリオはどうや?」


「どうやも何もないよ。却下に決まってるでしょ」


 ドヤ顔で言われたところで、確実にアウトだ。


「態度が悪いとか、他のプレイヤーに迷惑をかけてるって言っても一応は同じプレイヤーなんだから、そういう目には目を歯には歯をでやるのはどうかとは思うね」


「垢BANは怖いですしね」


「あ、あかばん……」


 シアの魔法の言葉をセリアは反芻し、遠い目をする。


 ……もしかして、過去にやられたことがあるのだろうか?


 因みに垢BANとは、アカウント消去。運営という神によるCAOからの追放令である。


「あかばん……あかん、それはあかんで……ちゃうねん……うちはちゃう、ゆーてん……でもな、でもなぁ……時代が悪かってん……そうやないねん……」


 ぶつぶつと呟く様子はどこからどう見ても危険人物そのもので、生気を亡くした瞳はぞっとするほどの暗黒を放っていた。


 悠姫は見なかったことにして一番まともなノアへ向き直る。


「[ギルド対抗戦]をすることになった時に戦力として力を貸すのは良いけど、何かしら先導してやるのはちょっとね。これ以上妙なおっかけとか増えても困るし」


「え、わ……わたしじゃないですよね?」


「ちがうちがう」


 リアルストーカーであるシアが自分の事かと聞いて来るが、そうではない。むしろ心当たりがあるのかと追及したい気持ちに駆られたが、何とかそれは押し留める。


「悠姫様は人気者でございますからね」


「や、それで図書館に訪れる人が多いのもそうだけど……なんかこう、ここ最近、すっごい後ろが気になるっていうか……どっかから見られてるような気がするっていうか、何か違和感があって」


 CAOには探知スキルなど無いので完全に気配での察知となるが、ここ数日なにやら同じ人から見られている気がして仕方ないのだ。


「あれ、もしかしてメアリーちゃうんそれ?」


「え、だれ?」


 いつの間にか立ち直っていたセリアの口から出て来た名前に、悠姫は首を傾げて訊ね返す。


「[シャドウストーカー]メアリーゆーてな。壁に耳あり常時メアリーゆー名言も残っとるくらい有名な[情報屋]やで」


「なにそれこわい」


 ぞっとしない名言だった。


 障子ではなく常時というところが実にクレイジーでサイコなホラーだった。


「でもそんな名前、掲示板にあったっけ」


[情報屋]なんて存在ならば掲示板でも噂になっていておかしくはないものだ。


 悠姫はその名前に関する書き込みを記憶の中からサルベージし始めるが、けれどもそれはサクヤの言葉で中断させられる。


「……メアリーを掲示板に書き込んだら、酷いことになるってジンクスが……ある」


「もう呪いか何かじゃないの、それ」


 そんな情報がサクヤから飛び出てきて悠姫は頬をひくつかせる。


「ユウヒ様、わたしも聞いたことがあります。夜のセインフォートを歩いていた時に『わたしメアリー、今あなたの後ろにいるの……』って言う声を聞いたってプレイヤーが……」


「加えて怪奇現象!?」


 メアリー悪霊説が浮上した。


「とりあえず1匹メアリー見つけたら100匹はおると思うた方がええで」


「いやいやそんな黒い悪魔じゃないんだから……」


 どんな人なのかとてつもなく気になったが、出会ってしまったら取り返しのつかないことになりそうで、悠姫はそれ以上の詮索はしないことにした。


 ……確実に出会うフラグが立っていそうだったが、悠姫は一旦そこから目を背ける。


「ま……まあ、とりあえず出来る限りは力を貸すけど、あんまり期待しないようにね」


「あ、そやそや、それもあってん」


「ん? 何、どれ?」


 話を切り上げようとする悠姫に、セリアが思い出したように言葉尻を捕えた。


 表情は笑顔なのに目だけが笑っていなく、悠姫は嫌な予感に眉を顰める。


「悠姫ちゃん、強いんやってな?」


「――や。そんなでもないよ」


 問いに先の展開が読めた悠姫は、断言してやった。


 どうにも危険な流れだ。


「いややなぁ、そんな邪険にせんでもええやん? 噂は色々聞いとるし。な?」


「いややねぇ。本当に、本当の、本当だから」


 にこにこ。セリアの笑顔の裏に、透けた思考が見て取れる。


 笑みを返しながら悠姫は関西弁にかぶせるように大切なことだったので三度言って、助けを求めるように向かいのサクヤに目を向ける。


「……ふい」


 ご丁寧にも擬音ありで目を逸らされ、続けて視線を向けたノアに至っては瞳を閉じて我関せぬの態度を貫いていた。


「シア」


「……そういえばユウヒ様、さっきわたしを見捨てましたよね?」


 猫耳を触られていた時に、助けに入らなかったことを地味に気にしていたらしい。


 シアは悠姫ラブではあったが、根に持つタイプだった。


 かくして。


「そういえば[コロッセオ]の機能も検証したいところやし、雰囲気暗うなるのもあれやろ?せやからちょうどええお祭り騒ぎとして……うちとPVせーへん?」


 ……ああ、だと思った。


 そんなこんなで。


 悠姫はなし崩し的にセリアと戦うことになるのだった。





「はー……」


 星の綺麗な夜。


[Hexen Nacht]の[ギルドホーム]から外に出た悠姫は、ちらりと時計を確認して時刻が既に9時を回ってしまっているのを確認した後、適当にぶらりぶらりと街中を歩いていた。


 セリア=アーチボルトという人物の噂と、そこで聞きかじった性格を考えるに、その可能性を十分に考慮に入れておくべきだった。


[Hexen Nacht]というギルドは、言ってしまえば百人規模の大手身内(・・)ギルドだ。


 コノハナ=サクヤが中心となった女性専門の大規模な身内ギルド。


 レイドボスの攻略や大規模戦闘へと力を入れている訳ではないが、ギルドマスターのカリスマ性から多くの人数を要する、そんなギルド。


 その性質はどちらかというと生産系ギルドに近く、戦闘という点に置いては他の大手ギルドには到底及ばない位置に存在している。


 しかしその中でもセリア=アーチボルトにのみ限定するならば、話は異なってくる。


 サブマスターのセリア=アーチボルト。彼女だけはどこまでも純粋な戦闘廃人だ。


 しかも効率のみを重視して極限まで無駄を削り、最短ルートでのレベル上げを心がけ、ソロでレイドボスに挑んだりするような、超が付くほどの廃人プレイヤー。


 言うなれば、悠姫と同じような人種だ。


 常識を覆すようなハメや、システムの想定しないような行程を駆使することによってソロでレイドボスへと挑むクレイジーなプレイヤー。


 1発でも攻撃を食らえば死ぬ状況でも冷静に、まるでパズルを組み立てるように何十分、何時間にも渡る完璧な作業を繰り返し、相手のHPの0.01%も削れないようなダメージでも、何千何万と攻撃を加え、ソロで攻略が不可能と言われるレイドボスを倒す。


 そうまでしてわざわざソロでレイドボスに挑む理由など普通に考えれば有りはしない。


 けれども彼女からすれば、極限まで無駄を省いて効率良く立ち回ることこそが最重要であり、そこに利益などの不純な要素は存在しないのだ。


 ただ強敵が居るから、挑戦をする。


 その気持ちは悠姫にも確かにあるものだから否定は出来ない。


 仮に彼女ならば相手がVR化以前はレイドギルドだったEPだったとしても対抗出来るだろうし、[ギルド対抗戦]などといった過激な選択肢が出て来るのもその自信に裏打ちされているからだろう。それに、恐らくではあるが[キリングメイド]という物騒な名前の[メインクラス]を持つノアも同類だろう。


 漂う雰囲気が、明らかにサクヤとは違い、セリア寄りだった。


「でもねぇ」


 それでもいきなり戦いを挑まれるとは、さすがの悠姫も思っていなかったのだ。


 しかも[コロッセオ]で行われているPVPモードを利用しての決闘だ。


 ただの決闘システムによる戦闘ならばこれまでギルドのメンバーと何度かやって戦闘訓練を行ったりもしてきたが、それはあくまで模擬戦闘のようなものだ。


 動きを慣らすために久我やニンジャに指南したり、リーンと打ち合って修練に励んだりとそういった目的でやっていることで、[コロッセオ]で行われている決闘とはまた意味が違ってくる。


[コロッセオ]で行われるPVPモードでの決闘は、相手のHPを全損させた方が勝ちという、言うなれば本気の殺し合いだ。


 そこにはもちろんデスペナも適用されるし、勝っても負けても[コロッセオ]の[個人ランキング]に名が載ることになる。


「別に、良いっちゃ良いんだけどね」


 呟きながら悠姫は一度も通ったことのない、けれども見知った道のりを進んでゆく。


 わざと負けるつもりも無いが、仮にセリアに軍配が上がれば、これまで一人歩きしていた悠姫の噂や伝説が無くなって面倒事に巻き込まれる可能性が減るかもしれない。


 ともあれ日程やらなんやらの面倒な話は全部シアに投げてきたので後は野となれ山となれだ。


 シフト表はシアも持っているし、お願いできる? と言って任せると、シアは予想以上にやる気を見せて「まかせてくださいユウヒ様!」とうれしそうにしていた。


 みんながみんなシアのようにわかりやすければいいのに。


 そう思うが、直後、シアのようなヤンデレが増えたら命が危険だと思いやっぱり無しで。なんて自分の思考にツッコミを入れる。


 適当に歩みを進めていくと、段々と街路から離れ、灯りが遠くなってゆく。


 同じ方向に進めば進むほど基本的に外壁へと近付いてゆくし、外壁付近は人通りが少なくなってゆく。


 そうして辿り着いた北西の最端にある大きな修道院。


 ――その裏にある墓地。


 その墓地は修道院が管理する小さな墓地で、眠っている者も修道院の関係者だけだ。


 悠姫の腰くらいまでの高さの墓石が一定間隔で立ち並び、その墓石の表面にはかつて彼らが生きた証である名と、冥福を祈り贈られた唄が刻まれている。


「さてと……居るんだよね?」


 そんな絶好のホラースポットに辿り着いた悠姫は、唐突に振り返りながら言った。


 すると、すぅ……と影が歪むように人が現れて、やっぱりか、と悠姫は嘆息する。


 影に紛れ込むような漆黒の、けれども可愛らしいフリルが付いたシンプルなワンピース。髪も闇を体現するように真っ黒で、瞳だけが不思議な紫色を浮かべている。


 背丈は小柄で150前後だろう少女はじっと悠姫を見つめ、唇を開いた。


「……良くメアリーが、後をつけてるってわかったの」


「それに関してはフラグというか、[シャドウストーカー]って[メインクラス]の名前を聞いてたからね」


 セリアに彼女の情報を聞いていなかったら恐らくずっと気付くことが出来なかっただろう。先の話からすれば悠姫にとってあまり会いたくない相手ではあったが、けれどもこそこそと周囲を探られているというのも些か気味が悪い。


「――周りの影に溶け込んでたんでしょ?」


 感じていた違和感の正体。


 悠姫の言葉に、メアリーは肯定も否定もせず薄っぺらな笑みを浮かべた。


 恐らく[シャドウストーカー]の固有スキルだろう。影に溶け込むように姿を消すことが出来るスキル。悠姫は彼女がそういったものを所持していると推測していた。


「日中とかの方が、もしかしたらわかりにくかったかもしれないね。夜だとほら、街灯が重なり合った光のところとか影が交錯するから」


 姿隠しのスキルの種類として[ハイディング]や[シーク]が存在するが、どちらも完全に姿を消すことは出来ない。良く見れば見破ることが出来るし、街で使った場合は都市に備え付けられている守護の力によってほとんど姿を隠すことが出来ない。


「さっき外に出た時に、一部の影だけが濃く映ってて、それでピンと来たんだよね」


 悠姫がそう言うと、メアリーは自分の影に視線を移す。


「ふーん……さすがCAOマニアで[聖櫃の姫騎士]の欠橋悠姫なの。メアリーに気が付いたのはアナタが初めてなの」


 癖になりそうなソプラノ声でそう言って、メアリーはするりと影の中に入り込み、数秒して悠姫の近くに現れてちょうど手頃な高さにある墓石に腰掛ける。


「あらら、墓石に座るなんて、ばちが当たるよ?」


「メアリーはそんな迷信、信じないもん。世迷い事なんて信じていたら[情報屋]なんて出来ないの」


 そう言ってメアリーは可愛らしく肩を竦めて悠姫を見る。


「それで、わざわざこんなところまでメアリーを連れてきたってことは、何か知りたいことがあるの?」


「まあね」


 子供っぽい口調。けれどもそれに反して察し良く問いかけてくるメアリーに悠姫は頷く。


 確かにそう。彼女の言う通り、悠姫がわざわざ一人でここまで彼女を誘い出したのは、彼女に聞きたいことがあったからだ。


「いろいろと聞きたいことはあるけど……でも、問いかけたらメアリーは答えてくれる?」


「それは対価しだいなの。メアリーが満足できるような情報を対価に払えるなら、答えてあげるの」


 そんな悠姫の前置きに対して、メアリーは煙に巻く。


「メアリーって誰かを贔屓にしてるとかないの?」


「メアリーは誰に対してでも分け隔て無く情報を提供するし、情報を買い取るの」


「目的は?」


「[情報屋]にそんなことを聞いても無駄なの。それよりも聞きたいことがあるなら、単直に聞くことをおすすめするの」


 あどけなく笑ってメアリーは言うが、けれども悠姫はそういった人種に対して、全く知識を持っていない初心者ではなかった。


「や、色々と突っ込んで聞きたいことはあるんだけど、それを聞いたら聞いたこと自体の情報がメアリーの商売道具になるでしょ?」


「もちろんそうなるの」


 問いに対して、メアリーは妖艶な笑みを浮かべて指を小さく噛み、悠姫をじっと見る。


 紫色の瞳には感情の色が見えなく、悠姫からはメアリーが何を思っているのか読み取れない。


 迂闊に質問をすれば、その質問をしたということ自体が情報となる。


 またどういったことを聞いたかによって、その人がどのようなことを気にかけているかということも推測できるようになる。


 そうなると後はメアリーの独壇場だろう。


 影から調査を行い、裏付けが取れれば、新しい情報がメアリーの商売品リストに載ることになる。


 情報を知りたければ問うしかないが、けれどもリスクを考えるならば[情報屋]なんて人種には関わらないのが一番、端から情報を求めないことがもっとも賢い選択だ。


「でも相手に知られたくないんだよね。メアリーに聞いたこととか」


「ふふ、それは難しい話なの」


 そう言ってメアリーは言葉を区切って、ゆらゆらと手遊びするように指を振って続ける。


「メアリーは対価を貰えば誰にでも分け隔て無く平等に情報を提供するの。それはメアリーだけじゃなく[情報屋]にとってはなによりも守らないといけない鉄則なの。誰かを贔屓にしているような[情報屋]ほど信頼のならない存在はいないの。この世界では裏切りなど当たり前だし、今日情報を売った相手だとしても明日にはその人の情報を別の人に売りさばくことなんて良くある話なの。都合の悪い情報ほど高値で取引され、都合の良い情報は安価で取引される。メアリーにとって信頼なんて薄っぺらな言葉は何の情報にもなりはしないの」


 表情を変えずにつらつらと語られた言葉はまさにその通りとしか言いようがないほどの正論ではある。……正論ではあるが、けれども同時にこのメアリーという少女の過去になにがあったのかと疑いたくなるほどにその正論は殺伐としていて、歪んでいた。


「そんなことしてると、いつか刺されるよ」 


「メアリーを捕まえることなんて、誰にも出来ないもん」


 そう言って墓石の上に立って笑うメアリーに、悠姫は本当にばちが当たるんじゃないかなぁと思いながら言う。


「あれ、ということはわたしがメアリーを捕まえた一番乗りかな?」


「……メアリーはまだ捕まってないもん」


 そう言って頬を膨らませる姿は、どこにでもいそうな少女でしかないが、けれどもそういった態度も計算なのかとも思えてくる。あどけなさを装った態度に油断すれば口が緩み、喋らなくても良いことまで喋ってしまうかもしれない。


「とりあえず本題だけど、どうしてメアリーはわたしをつけてたの?」


 そうならないように、悠姫は最低限の警戒心を持ちつつ、一つ目の質問をメアリーにぶつける。


「――欠橋悠姫について調べていたのは、ほとんどメアリーの趣味なの」


「ほとんどって言うことは、少しは別の用途があると」


 その問いに対してメアリーは予想していたのか薄く笑ってこう返す。


「メアリーからすれば腹の探り合いは大歓迎なの。でも、それだと話が進まないの」


 どちらともつかない解答。迂闊に口を滑らせないところは、さすが[情報屋]というべきだろうか。


「少しくらいガードを緩めてくれてもいいのに」


「それはお互い様なの」


 嘆息しながら悠姫は言うが、しかしそれはメアリーからしても同じだった。


 露骨なほどに無意味で上辺だけの探り合いでしかない言葉の応酬。


 わかりやすく口を滑らせるとか、そういったありきたりの展開を[情報屋]に期待するのが間違いだが、少しくらい隙を見せてくれてもいいんじゃないかとも悠姫は思う。


 しかしメアリーの言う通り、上辺だけの言葉で探りを入れたところで、メアリーから失言を引き出すことなど出来ないだろう。


「……んー。でもまあ、いいかな」


 少しの応酬でそのことがわかった悠姫は、そう前置いて、墓石の上に立つメアリーにもう一つの問いを向ける。


「じゃあ、もう一つ聞きたいことがあるんだけど、その前に。――メアリーは最近の[ルカルディア]についてどう思う?」


 その問いに、初めてメアリーが予想外気にためらった気がした。


「……メアリーにそれを問うの?」


「うん。一応聞いてみたくてね」


 じっと見つめ合うこと数秒。


「……変な人なの」


 根負けしたようにそう呟いたメアリーは、そのまま言葉を継いで続ける。


「メアリーからすれば、今のルカルディアは商売がしやすくて良いの。情報には善悪、是非は問わないの」


[情報屋]という立場からすれば、今の[ルカルディア]はかっこうの狩場なのだろう。


 情報に善悪も是非も存在しないというメアリーの言通り、たった一つの情報、言葉が誰かの運命を狂わせることもあれば、逆に幸せにするかもしれないし、はたまたただの文字の羅列になり果てることもある。


「情報が形骸化しにくい今の現状は、メアリーにとって理しかないの」


「まあ、そうだよね」


「そうなの」


 分かり切っていた答えに頷いて、今度は悠姫がメアリーをじっと見つめる。


 相も変わらず何を考えているのか読ませない薄っぺらな微笑。一貫した[情報屋]としてのプロ精神。それだけに彼女が持っている情報、提供する情報の精度は高い。


[シャドウストーカー]メアリー。このCAOで闇を生業とする[情報屋]。


 悠姫は暫くの間メアリーをじっと見ていたが、唐突に表情を崩して頷く。


「うんうん、いいね! メアリーさ、わたしとフレンド登録しない?」


 冗談のように言う悠姫に、メアリーは今度こそ何を言われたのかわからないといった表情で固まった。

それを見た悠姫はしたり顔でにやりと笑う。


「メ、メアリーとフレンド登録なんてして、どうするつもりなの」


 初めて見せるメアリーの動揺に、悠姫はそのまま言葉を続ける。 


「や、特に深い意味なんてないけど? でもそうだね、強いて言うなら」


「……言うなら?」


「これはある鍛冶師が言ってたんだけど、懇意になりたい相手にはまず情を売る、つまり身内にしちゃうのが一番早いって」


 ある鍛冶師。もはやそれは言わずもがな、はぜっちこと、触れただけで世界が爆ぜるというネタネームを持つ生産廃人のことだった。


「……それは、言ったらおしまいだと思うの」


 楽しそうに言う悠姫にメアリーはかつて悠姫が思ったことと似たようなことを言う。


「あはは、でも貴重な[聖櫃の姫騎士]のフレンド登録だよ? それにわたしも一年近く休止してたから、情報収集に疎いところがあるし」


 そう言って悠姫は一方的にフレンド申請をメアリーへと飛ばし、言葉を続ける。


「だからメアリーみたいな優秀な[情報屋]と懇意になれたらうれしいかなって」


「……メアリーにお世辞なんて通じないもん」


 メアリーは送られてきたフレンド申請の画面をじっと見た後、悠姫の顔を見る。


 実際のところ悠姫は深い考えを持って言っているわけではない。


 額面通りにしか考えていないのだから裏も何もないのだが、けれども[情報屋]としてうまい話にはやはり裏があるのではないのかと疑ってしまうのだろう。


「さらに今なら旬な情報もついてきてお得だよ?」


「……それでアナタにとって何の得になるの」


 好条件を追加したことで、逆に警戒度が上がるメアリーに悠姫は素直な気持ちを答える。


「わたしはこの[ルカルディア]が好きだからね。いまは素直にこの世界を楽しめないプレイヤーも多いし、気晴らしになって少しは楽しいと思える人が増えればいいなって、素直にそう思っただけだよ」


 誰が優位だとか。誰が劣位だとか。人と人との摩擦でオンラインゲームが楽しめなくなるのは悲しいことだ。


「せっかくこんなに綺麗でわくわくすることがいっぱいある世界で、嫌な思いばっかりするのって馬鹿らしいよね」


 オンラインゲームのメソッドとは誰もが楽しむことが出来る世界だ。


 パーティで楽しみを共有するも良し、レア狩りに行って夢を見るも良し、レベル上げで強くなるのを楽しむのも良し、クエストという世界の物語に触れて感動するも良し。


 現実とは違い、オンラインゲームにはわかりやすい楽しみが満ち溢れている。


 MMORPG時代、パソコンという箱の中に入っているのはわくわくするような世界だった。


 それがVR化に伴い実際に見て、触れることが出来るようになったのだ。


「損得で言うなら損をしてるのかもしれないけど、それでもわたしはみんなに[ルカルディア]を好きになって欲しいからね」


 夜の墓地に風が吹き、悠姫の真紅の髪とメアリーの漆黒の髪を揺らす。


 CAOというゲームではなく、[ルカルディア]という世界を好きになって欲しいというところが実に悠姫らしい。


 メアリーはその言葉にフレンド申請の画面をじっと見つめて、やがてぽつりと呟くように言った。


「……さっきも言った通り、メアリーは誰かを贔屓にしたりなんて、しないの……」


 けれどもそんな言葉とは裏腹に、悠姫の表示しているログウインドウに『メアリー様がフレンド申請を受諾しました』というシステムメッセージが帰ってきた。


「……でも、[聖櫃の姫騎士]のログイン情報と引き換えに少し融通してあげるくらいは、考えないでもないの」


 その言い方に悠姫は思わずくすりと笑ってしまう。


「ありがと。メアリー」


「メアリーからすれば礼を言われることでもないもん……」


 ぬいぐるみでも持っていれば抱きしめて目を背ければ完璧だったが、あいにくメアリーは拗ねたようにふいと顔を背けるだけだった。


「あはは、じゃあとりあえずさっき言ったお得な情報を教えようかな」


 そう言って悠姫は少し前にセリアと[コロッセオ]で戦う約束をしたことをメアリーに告げる。半分は先ほどに言ったプレイヤーのみんなが[ルカルディア]を楽しんでほしいという気持ちもあったが、残り半分はどうせなるならいっそ大々的に広まってしまえばいい、という投げやりな気持ちだ。


「日程とか細かいことはまだ決まってないけど、そこら辺は……そうだね。うちのギルドメンバーのシアをストーキングでもすればいいと思うよ」


 リアルストーカーVSヴァーチャルストーカー。


 そんな図式を考えながら悠姫はこともなげにシアを売った。


 報復の連鎖はまだ途切れていなかった。


「欠橋悠姫は意外と下衆いの」


「ゆうちゃんって呼んでも良いよ」


「メアリーは悠姫って呼ぶの」


 さらりと流されて悠姫は、うん。これが普通の反応だよね。と素直に自分のことをゆうちゃんと呼ぶひよりのことを考えて思い出し笑いする。


「……耳寄りな情報をくれたお礼に、メアリーからも悠姫に一つサービスしてあげるの」


「?」


 さっそく身内効果があったのだろうかと思う悠姫に、メアリーが顔を近づけてくる。


 思わず一歩後ずさるが、同じ分だけメアリーは距離を詰めてくる。


 メアリーの視線と悠姫の視線が交錯する。


「――すぐに、図書館に戻るといいの」


「え、それって……」


 まるでキスをされるのではないかという距離でメアリーの唇から紡がれたのはそんな言葉で、問いに答えることなくメアリーは一歩後ろへと下がり、すぅと影へと紛れてゆく。


「――行ったらわかるの」


 そして最後にそんな言葉を残して、メアリーの姿は完全に影へと溶け込んで消えた。


「……図書館?」


 呟きながらも悠姫はメアリーに言われた通り、図書館へと向かう為に夜のセインフォートを駆けだした。



 ……………………。

 ………………。

 …………。



「……メアリーもお人好しなの」


 その背中を、影の中からメアリーがじっと見ていた。


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