エピローグ2[その後]
――時間は悠姫たちが[第一の聖櫃]を解放してから、五日ほど進む。
一週間の有給を使って[雪うさぎ]を休む間、悠姫はずっとCAOにログインしてはいたものの、自由だった最初の二日とは異なり、残りの五日は引っ張りだことなって、あわただしく過ぎ去ってしまっていた。
具体的には悠姫の復帰を知った知り合いからのWISコールが四六時中鳴り止むことなく、それ以外にも欠橋悠姫を一目見たい者がこぞって図書館へと集まり人口密度が酷くなってしまい、最終的には[第一の聖櫃]への避難を余儀なくされたくらいだった。
WISの嵐の中には数多くの狩りへのお誘いもあったが、けれども今の悠姫とレベルの合う者などそうそう居なく。
結局[彼方への往路]クエストをクリアした6人のメンバーで、誰も居なさそうな無駄に高レベルのダンジョンへと行ってレベル上げをすることになっていた。
そういえば、大きな変化があったと言えば、悠姫が再びギルドを作ったということもあげられるだろう。
これに関しては、元々悠姫はもうギルドを作るつもりはなかったのだが、ひよりが「ギルドを作らないんですか?」と聞いたことがきっかけとなった。
ひよりに言われたから作った、ということでシアは少し不満そうではあったが、ギルドがあると色々便利な面もあるし、当然シアも加入するのだから一応の納得はしたのか、ことさら不満を口にするということもなく。
逆に不気味の思って聞いてみても妙に含みのある笑みを浮かべるだけだったのが妙に印象的だった。
久我やニンジャも当然、悠姫の作ったギルドに加入し、絶対に入ることはなさそうだと思っていたリーンもしょうがなさそうではあったが加入してメンバーは6人となった。
その際に久我が「リーンはツンデレだからな」とWISと間違えてオープンチャットで言って、血祭りにされていた。
まだまだ動きに慣れきっていない久我とニンジャとは違い、リーンは悠姫に近いくらいの無駄を削ぎ落とした動きを獲得しつつあり、しかも一緒に狩りをしているのでレベルも結構近づいてきて、悠姫はいつ決闘を申し込まれるか戦々恐々としている。
大手のギルドも内部抗争が多少落ち着いてきたのか、やっとのことでレベル上げへと着手し始め、目下スタートダッシュを切ることに成功した中小ギルドを猛スピードで追い上げていて狩り場でもちょくちょく知っている顔を見ることが多くなった。
そうそう。ギルドと言えば悠姫たちのギルドの名前だが。
どうしようかと悠姫が丸一日考えて登録した名前は[Ark Symphony]という、[聖櫃と共に響く物語]という意味を持つ名前で、それについてはギルド内で少し中二病チック過ぎないかと賛否両論はあったものの、決定的な不満が出ることはなかった。
問題が有ったのはむしろギルドメンバーの6人ではなく、悠姫のギルドへと入りたいとやってくる加入希望者の数にあった。
ギルドの上限人数はギルドレベルをあげていくことによって際限なく増加させることは出来るとはいえ、あまりにも多い加入希望者の数に一時的にギルドへの加入は全て断る方針にしたくらいだ。
内向的な日本人にもかかわらず、そこまでギルドの加入希望者が殺到したのは、もう一つのお国柄としての性質であるお祭り騒ぎに浮かれる国民性に便乗した者も多かったからだろう。
ギルドの問題も山積みではあるが、それよりも悠姫からすれば[第一の聖櫃]を解放したという付加価値がまた伝説として語られることになることの方が頭の痛い問題だった。
実際その事実は娯楽に飢えている掲示板の住人によって面白可笑しく語られていて、知っているにもかかわらず、わざわざそれを教えてくるはぜっちには、その名前の通り爆ぜてもらうことになった。
悠姫の復帰を知らしめることになった[ウィークリーコンテンツ]の[聖櫃攻略戦]だが、こちらは[第一の聖櫃]を解放した当日がまさかの記念すべき最初の[聖櫃攻略戦]となったのだが、結果だけで言えば参加者は高レベル過ぎる[尖兵]に見るも無惨に蹂躙されただけに終わった。
それはそうだ。転生後で装備が整っていても強敵だというのに、最高でも50やそこらのレベルでは話にならない。
そんな中で悠姫は[尖兵]を11匹討伐し、次点でリーンは9匹の[尖兵]を討伐して、ランキングのワンツーフィニッシュを決めていた。
二位だったことについてリーンはかなり悔しそうにしていたものの、それも最初だけで名前だけが超有名な欠橋悠姫に続いての二位だということで様々な人から戦闘の秘訣を聞かれたり、フレンド申請を受け、そのほとんどを断っていたようだがまんざらでもないようだった。
後は……そう。
[第一の聖櫃]クラリシア=フィルネオスだが、彼女は悠姫が[第一の聖櫃]を訪れる度に、どこからともなくお茶の準備を持ち出して来たり甲板へと飛ばされて風を感じたりと、意外と子供らしい姿を見せるようになっていた。
それがもしかしたら本来の彼女の姿なのかもしれない……と、悠姫は楽しそうに微笑む彼女を同じような微笑みを浮かべて眺めていた。
「はぁ……」
……そして一週間後。場所は喫茶[雪うさぎ]の更衣室。
悠火は[雪うさぎ]の制服に着替えた後、椅子に深くもたれかかり溜息を吐いた。
働いてお金を稼がなければ生きていけないのは人間社会の真理として理解できるが、悠火的には働かずに延々とCAOだけをして生きていきたかった。
完全なるネトゲ廃人の思考であった。
「……言ってても、仕方ないんだけどね……」
一週間という長いようで短い休みを終えて、再び訪れる労働の日々。
働くこと自体は嫌いというわけではない。
ただ、その優先順位がCAOよりもかなり低いだけであって。
「……でも今日は新しい人も来るみたいだし、そうも言ってられないよね」
ぺちりと顔を両手で挟んで心機一転。鏡で顏と髪型を確認してからにこりと笑顔を作る。
うん。今日もかわいい。
自分でそう思ってしまうのはどうかと思うが、それに異論を挟む者は居ないだろう。
綺麗に整えられた髪を指先で弄り、よし。と立ち上がる。
「ごめんごめん、おまたせー」
「おい、遅いぞユウ」
ちらりと時計を見ると時刻は8時57分で、悠火はううんと少しだけ唸る。
「まださんふんまえ、せーふ」
「10分前行動が社会人の常識だろ」
「う……」
そんなやりとりとしていると、はたと視界に人の姿が映り、フロアにコージロー以外の人が居ることに気付く。
「あ、もしかして」
言いながら視線をそちらに向けると、悠火と同じくらいの身長の女の子の姿があった。
「……え」
黒い髪を後ろで一つにまとめた、[雪うさぎ]の制服に身を包む少女を見て、悠火は小さく声を漏らす。シンプルな細いフレームの眼鏡の奥の瞳と視線がかち合い、思考が揺れる。
「あれ……」
――どうしてだろうか。
初めて会ったはずなのに、悠火は彼女とどこかで会ったことがあるような気がした。
それは見た目の問題ではなく彼女が纏っている雰囲気のようなもので、悠火はこれに近い感覚をここではないどこかで味わった気がした。
「……気付き、ましたか?」
恥じらいがあるような、けれどもどこか病んでいるような声が耳朶を打ち、思い当った人物に悠火は呼吸を忘れ、やがて小さくつぶやいた。
「…………シア?」
「――はい。理月紫亜と申します。――ユウヒ様」
てへりと言うシアに、悠火は戦慄を覚える。
「ちょ、はぁ!? ええええええ!? なっ! えっ! ええええええ!?」
「来ちゃいました♪」
――住所、特定されました。
なんて。
そうして[雪うさぎ]の店内に木霊する叫びと共に、悠火の前途多難な新しい日常は、幕を開けるのだった。