しょーとすとーりーず④
太陽が地球に届いた際、光の矢が、一瞬だけ輝きの頂点に達し太陽と地球をまっすぐに結ぶ。
この現象を、刹那とよぶ。
太陽の放射のひとすじひとすじに、骨髄の如くに巣籠もり妖怪は潜んでいる。
これは、時に宿り、時を司る妖怪についてのお話しだ。
季節に春夏秋冬がある様に、時の妖怪も四つの形態を有する。
しかし四季とは異なって、時間性とは呼び難い、それは時間という枠内に変化する代物ではない。空間においても、限界を持つものではない。
問題は距離的な限度では無く、関係性のみへの特化に帰するのである。
何故なら宇宙の果てと涯てにおいてであっても、その連絡船となるのはたった一匹の妖怪で、時空間が永劫を賭して果たす一大絵巻も、極小の二点間をつなぐ一匹も全く同様に、等価値によって、四つの形態にて遂げてしまうのだから。
存在と存在の関係性・・・時間に内在するものは、時間ではない、時間で時間を計測はできない、大人になった少年、サンタクロースはもういないのに、サンタクロースを語るためにはサンタクロースが必要なように、時間の中には、時間ではない、時間が詰まっている・・・関係を結ぶのは、存在と存在。
第一形態:現れて直ぐ様、黒い斑点を体中に鏤めた鮮烈な赤、身の丈2メートルの二足歩行のカエルは、求愛する、恋い焦がれ天を仰いでただひたすら腰を左右に踊り狂い没頭するのみ。
感知することは出来ないけれども、強烈に短い刹那、のあいだ、ガチガチに凝固した光は、地球と太陽を結び、エスカレーターをつくる。往路に8分20秒かけて届いた光、光が復路に光を超え刹那、のあいだで帰って行く…光速度は絶対ではなくなり、アインシュタインの原理は崩壊しまう。
第二形態:求愛にトランスした雄の自らに雌の自らは覚醒して、艶めかしく空中を泳いで、おのれの婀娜に耽溺している、メタリックカラーのオレンジとイエローの縞へと脱皮した、体長5メートルの海蛇。
地球に生きるものたちへ、栄養と病気とをくっきりと分厚く自己主張して与え降り注いだ太陽の矢は、まっすぐに結ばれたゴンドラへ、自らのイノチの源である水素をたっぷり乗せて持ち帰っていった。
第三形態:海蛇は、緑と青が阿弥陀に怪しく輝く牙を覗かせ、大きな口を開いて咆哮した。自らに戦慄し、反射して映ったオノレにも又、戦慄を与えた。
大きな口を右、左に、ドロドロと青と緑と黄と橙の混濁した体液を放出して自らの動力に促されて、乱暴に体長を真ん中から引き裂いた。
引き裂かれた左右の体は、それぞれカチカチに硬く丸まって、それぞれ直径2メートルを越す、緑と青の、巨大なニコタマアメリカンクラッカーとなって、ウルサク、ウルサク、鳴り響かせた。
妖怪が一仕事を終えて、太陽へとゴンドラに乗ってなんだか穏やかに帰って行く。空の色がほんの微量に過ぎぬが、午後へと傾いた。
ひとすじの太陽の矢に、時間が与えられたのである。
第四形態:全く同じフォルムをした妖怪のウジャウジャ時空間を満たしている兄弟たちそれぞれも、ひとつひとつが、同じ様子、同じ動作や形態にしても、やっぱりそのひとつひとつが、違っている。
それぞれの使命、その黄昏は極って穏やかで、物悲しい。足が生え揃ったばかりで、尻尾が短い体長僅か5センチの藍色をしたオタマジャクシ、弱々しく再び天を見詰め、死を直覚しているのだ。
ゴンドラへ腰を下ろして、空へと帰って行った。
・・・天空へと差し掛かる、紫の煙となって、妖怪は消え去った。・・・
時間や空間をおおきく、概念のソトワクを取り払ってしまえば、振るいに掛かって残されたものは、物事と物事、存在と存在との関係性しか残らない。
それは、アインシュタインですら解くことの出来なかった、余りに個人的なしかしトンデモなく壮大な永遠回帰的、定理である。
・・・絶対的速度、それは、光じゃなくって、愛、そして、ファンタジーだもの。・・・