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第74話 葉山涙

 涙がそう言い放った瞬間、また教室内が静まり返った。瑠夏が1歩涙の方へ歩み寄り、赤い瞳をそちらに向けた。


「酷いよ、涙……」


 教室内の全員の視線が、瑠夏に向く。瑠夏の頬に大粒の涙が流れ落ち、床に水滴を作る。


「美衣子は最後まで頑張ってた。負けないって言ってた。涙とまた友達になりたいって……言ってた。あんなに酷い事したのに、あたしたちともまた友達に戻ってくれた。……あんなに苦しませたのに」


 涙はそんな瑠夏を蔑んだような目で見詰め、腕組みをしたまま仁王立ちになっている。瑠夏は更に涙の方へ詰め寄り、涙声で続けた。


「美衣子は、雪山先輩と付き合ってたこともあたし達に話そうとしてたはずだよ。でも、それを邪魔してたのは、他でもない、あたし達なんだよ! あたし達はいつも美衣子の話を聞こうとしなかった。いつも自分達の話ばっかりして、美衣子はずっとそれを笑顔で聞いてるだけだった。……親友、だったのに……」


 嗚咽を洩らす瑠夏。涙はそっぽを向いて、片手で肩にかかった髪の毛を払い退けながら、自分の財布を開けて中身を確認し始めた。


「ねぇ涙、あのストーカーに美衣子の情報を売ったのは涙だって言ってたよね? 雪山先輩が殺されたのも、マンションに忍び込ませたのも全部、涙の情報のせいだったの? どうしてそこまでする必要があったの……。なんで、どうして美衣子を、あんなになるまで痛めつけたのよ!」


 瑠夏はそれ以上言葉を紡ぐことができず、その場に泣き崩れた。涙は財布を再び胸ポケットに入れて、そっと瑠夏を見下ろして唇を噛み、暫くの間潤んだ目を瑠夏に向けた。声を震わせながら、瑠夏の名前を呼ぶ。


「……瑠夏」

「涙……」


 何も言わず、見つめ合う2人。不意に、涙が口の端を吊り上げて笑った。


「言いたいことはそれだけ?」


 次の瞬間、涙は瑠夏の腕を片足で力一杯踏みつけた。地面と皮膚が擦れ合う痛々しい音が、周囲の人の耳にまで届いた。瑠夏は大きな悲鳴を上げ、その場でのた打ち回る。慌てて京子と奈々が瑠夏に駆け寄った。


「瑠夏! だ、大丈夫? しっかりして!」

「涙さん……酷いです! なんてことするんですか!」


 瑠夏は腕を押さえて泣きじゃくっている。見たところ折れてはいないようだが、痛々しく赤く腫れあがってしまっていた。涙は瑠夏たちに背を向けて歩き出し、教室の真ん中で両手を広げ、叫んだ。


「あんたたち、綺麗事ばっかりでウザいのよ! あたしはもう雪山なんてどうでも良かった。でも、強いて言えば楽しかったの。美衣子が泣いて許しを請うさまを上から見下してるあの感じが、なんともいえない快感だった!」


 教室内に居た誰もが凍りついた。瑠夏たちだけでなく、クラス中にいた女子、男子全員。今まで一度も涙たちに興味を示す事が無かったクラスメイトが、その瞬間確かに自分達の話を止めて涙を見た。涙はその空気にうろたえるどころか、逆に嬉しそうに笑いながら微笑んだ。


「大体、死んだ奴の事を、今更ゴチャゴチャうるさいのよ。あんな奴どうでも良いじゃない。痛みも何も感じない、ただの人形オモチャだったんだから」


 信じられない台詞だった。本当に血の通った人間なのかと疑いたくなるほどに。

 誰の目にも、確かに美衣子は1人の人間として映っていた。しかし涙の目には、美衣子はただの人形として映っていたのだ。

 涙がほんの少し弄れば、彼女の掌でくるくると踊り狂う、ただの人形。その人形をちょっと強く弄ったら、涙の掌の上で人形は壊れてしまった。涙にとって、美衣子の死はただそれだけの事だった。


「―――ちょっと待って。それってさ、」


 誰かが、声を震わせながら呟いた。4人の中の誰でもない、“傍観者”のクラスメイトの女子だった。彼女は唇をわなわなと震わせ、ごくりと唾を飲み込んだ。


「それってもしかして、美衣子ちゃんが死んだのは涙ちゃんのせいってことなの?」


 涙は鼻で彼女を嘲笑った。


「はぁ? 部外者は黙っててくれる? しかも、殺したとか人聞き悪いわねぇ……あいつが勝手に壊れただけよ」


 その言葉を聞いたクラスメイトの男子の1人が、涙を指差して大声をあげた。


「何言ってんだよ、葉山! 俺達は全員、お前が春風に嫌がらせしてたの、ちゃんと見てたぜ?」

「あはっ、それじゃあ聞くけど……あんた達は誰1人として、それを見てもあたしを止めなかったよね」

「それは……そうだけど、でも、ちゃんと見てたんだからな!」

「“見てただけ”でしょ? ……ねぇ、傍観者も共犯者なのよ。つまり、今文句つけてるあんたもあたしの共犯って事。あたしが美衣子を殺したって言うなら、あんたも美衣子を殺した事になるのよ」


 男子は、うっと呻いて、悔しそうに俯いた。あまりにも幼稚な屁理屈だが、筋は通っている。事実、このクラスの人間はいじめがある事を知っていたが、見てみぬ振りをしていた。それどころか一時期はクラス中の女子全員が涙の味方になった。


「あはははは! ほら、そういわれれば何も言い返せなくなるでしょ? あんたたちみたいなのが1番痛いのよね。今まで知らん顔してたくせに、いきなり正義のヒーローぶるとか……馬鹿じゃないの?」


 涙は大きく笑い声をあげながら自分の席に着いた。


「ほら、授業始まるわよ、みんな……」


 机の中に手を入れた涙は、怪訝な顔をして眉を顰めた。昨日机の中に入れておいたはずの教科書やノートが無いのだ。


「……」


 涙は瑠夏の方を睨み、再び立ち上がる。


「下らない嫌がらせ、どうせあんたたちでしょ? 返しなさいよ、あたしの……」


 瑠夏はまだ腕の痛みで涙目になっている。そんな瑠夏の代わりに、京子が涙に向かって何かを投げつけてきた。それは涙の頬に当たってから床に落ち、砕け散った。ガラスで出来た瓶だ。

 瓶の中には細切れになった紙屑が入っていた。涙の教科書の変わり果てた姿だ。涙は目を細めてその紙屑を見下ろすと、


「忌々しい」


 そう呟いて、再び席に座りなおして頬杖をついた。

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