第59話 罪
足を引き摺って歩くうちに、いつの間にか美衣子は山を降りていた。
数メートル先に街頭があり、その先にもいくつか街頭が設置されている。項垂れながらその街頭の下まで歩いた美衣子は、明るくなった視界で自分の両手と衣服を目の当たりにした。
湿った赤が所々に飛び散っているスカート。先ほど両手を拭ったせいか、衣服には更に赤い手形がべったりと付いていた。
美衣子は両手を握り締めて大声で何か叫んだ。何度も、何度も、繰り返し叫んだ。そして大声を上げながら街頭に照らされた歩道をがむしゃらに走った。
***
やがて美衣子は自分のアパートへと辿り着いていた。ぼんやりと部屋の扉を見上げ、自分の格好を見て嘲笑する。住居者がいる部屋の殆どには電気が付いていた。今ここで大声を上げれば、誰かが窓を開けて警察に通報してくれるだろうか。
結局小さく乾いた笑い声を零して、叫び声を上げることは止めた。一段一段踏みしめるようにして錆び付いた階段を上り、自分の部屋の前に立つ。血なまぐさい臭いを放っている服を強く握り締めて、美衣子はドアノブを掴んだ。
室内に入って扉を閉め、虚ろな瞳を部屋の中に向ける。薄暗い室内に、瑠夏、京子、奈々が寄り添うようにして眠っていた。この3人は、美衣子が危ない目に遭いそうになった時すぐに助けに来られるようにと、自分たちの両親を説得してまでここで待機してくれていたのだ。
無表情な美衣子の瞳から、涙が零れ落ちる。どうして自分はあんなことをしてしまったんだろう。いくら悔やんでも、もう取り返しがつかない。
奈々が小さく寝返りを打った。その瞬間、美衣子の肩がびくりと跳ねる。
暫く呼吸を止めて奈々の方を見詰めたが、どうやら奈々は目を覚ましたわけではないらしい。
胸を撫で下ろし、それから唇を引き結んで再び扉の方を向く。3人が目を覚まして自分の姿を見た時、きっと3人は自分に対して恐れや軽蔑の感情を抱くだろう。
(もう友達に嫌われるのは、嫌だよ……)
美衣子は音を立てないように、片手をドアノブに向かって伸ばした。扉を開いて、外の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。3人の姿をもう1度目に焼き付けておこうと振り返った美衣子は、ハッとして両目を見開いた。
「……み、……美衣子さん?」
奈々が目を覚ましたのだ。じっと美衣子の姿を凝視する奈々の瞳は小刻みに震えている。豆電球の点いた蛍光灯の下に血だらけの衣服を身に纏った人間が立っているのだ。当たり前の反応だろう。
美衣子は両手を強く握り締めてから、ぎこちない笑みを浮かべて奈々の方に片手を伸ばした。
「な、奈々……ちゃん」
しかし奈々は美衣子を見つめたまま、怯えた表情で後ずさった。その行動で、美衣子は気づいた。奈々は自分を拒んでいるのだ。
美衣子は奈々に伸ばしかけていた手を引っ込めると、寂しげに微笑んだ。
「ごめんね、奈々ちゃん。私最低な事しちゃったんだ。人間として一番やっちゃいけないこと、しちゃったんだ。だからもうみんなには会えない。もう、一緒にいられない。だから……さよなら」
美衣子は早口でそう告げると、外へ飛び出そうとした。その瞬間、強い力で片手を掴まれ、後ろへ引き戻される。
振り返った美衣子は驚いた。奈々が、血に塗れた美衣子の手を自分から掴んでいたのだ。奈々は何かを決意したような強い光を目に宿らせたまま、美衣子の手を再び強く引いた。
「美衣子さん、とりあえず手を洗って、それから服も着替えて洗濯しましょう」
「……奈々ちゃん、でも、でも、私……」
「いいから、まずは手を洗いましょう」
奈々が少し強い調子でそう言うと、京子と瑠夏も目を覚ました。2人は目を擦りながら起き上がり、美衣子と奈々の方へ視線を振った。
「……どうしたの、奈々?」
「ん、あれ……? 美衣子、帰っ……、……え?」
瑠夏と京子は、血塗れの美衣子の姿に驚きを隠せない様子だった。しかし、奈々はそんな2人には構わず、美衣子を洗面所へと引っ張って行った。
蛇口を捻ると、瞬時に無色透明の水が蛇口から流れてくる。美衣子は流れ出る水に向かって両手を突き出し、両手を必死に擦った。美衣子の手に付着している赤が水に混ざって溶けていく。
「……っ……う」
美衣子は突然泣き始めた。苦しそうに、辛そうに。
奈々は何も言わずに美衣子の背中を擦りながら、手洗い用の石鹸で美衣子の手を洗うのを手伝った。




