第1話 日常
天気は快晴、雲ひとつ無い青空が広がる平日の昼下がり。給食時間後の教室には人もまばらで、冷たい冬の空気が窓の外から真っ直ぐにあたしの髪の毛を揺らして通り過ぎていく。
ほとんどのクラスメイトは校庭や体育館に出たり、他の教室や屋上に行ったりしているのだろう。中学2年生というのは、基本的に元気で活発な年頃なのだ。日々、新しい刺激を求める為に前進している。勿論あたし、葉山涙も、今まさに前進しているところだ。……他の子達と違って、もう刺激の対象は見つけてしまった後だれど。
「あぁ、もう、いつ見てもかっこ良すぎ……雪山先輩!」
あたしのお目当ての先輩は、中学生らしく校庭で元気に汗を流している。先輩の蹴ったシュートが、綺麗にサッカーゴールへと吸い込まれていった。
目が合ったわけでもないのに赤くなってしまう顔を、両手で覆う。ただこうやって昼休みに彼の姿を見つめるだけでこんなにも幸せを感じることが出来るなんて、本当に先輩のことが好きなんだなぁと再確認したあたしは紅潮した頬を片手で押さえたまま、隣で一緒に校庭を見つめている少女に視線を振った。
「ねぇ、美衣子! 雪山先輩、今日もかっこいいよねー」
すると彼女は大きな瞳をくりくりさせて、三日月の寝転んだような可愛らしい口元を緩め、うんと頷いた。
「そうだね」
この子は、あたしの小学校時代からの大親友である、春風美衣子。美衣子は優しくて可愛くて、まるで絵本に出てくるお姫様のような女の子。大好きな人がいる上に、そんな非の打ち所の無い女の子が親友だなんて、つくづくあたしは幸せ者だと思う。
「流石美衣子だよね〜! あのかっこよさを分かってくれるなんてっ」
美衣子に抱きついて歓喜の声をあげると、美衣子は、あははと控えめな笑い声をあげて顔を赤らめた。何から何まで、本当に可愛いなぁ。
美衣子から離れて、再びあたしは窓の外の先輩をうっとりと見つめる。昼休みはあと数分で終了してしまうので、先輩たちはサッカーボールの片付けを始めていた。
「もうすぐバレンタインだし、雪山先輩に告白しちゃおうかな。……ね、美衣子はどう思う? そろそろ告白した方が良いかなぁ」
「……えっ」
その瞬間、美衣子の顔が若干強張ったような気がした。母親に叱られた子供みたいな顔をして静かに俯くその姿に違和感を覚え、首を傾げる。
「どうしたの? 美衣子」
すると美衣子はハッとしたように顔をあげ、首を左右に振った。
「な、なんでもない……」
美衣子は弱々しく笑みを浮かべ、再び俯いた。あたしの気のせいだったのだろうか。気を取り直して、美衣子の細くしなやかな両手を自分の両手で包み込んだ。
「美衣子、今度、チョコ選び付き合ってね?」
「……」
美衣子はそっとあたしの手を握り返して、あたしの顔をじっと見つめた。
「あのね、るぅちゃん」
「何?」
「るぅちゃんにね、言わなくちゃいけないことがあるんだけど……聞いてくれる?」
「うん。いいよ?」
美衣子は何度かあたしの顔と教室の床とを交互に見ていたが、やがて、決意したように口を開きかけた。しかし、丁度そのタイミングで、あたしたちのもう1人の親友である井上瑠夏が、話に割り込んできた。
「ねぇねぇ、るぅ!」
思わず美衣子の手を離してそちらに駆け寄る。瑠夏はとても面白い話を持ちかけてくる事が多いので、あたしは瑠夏の事も大好きだった。
「瑠夏! どうしたの?」
「見て見て、この待ち受け!」
瑠夏が大笑いしながら、自分の携帯電話を突き出してきた。待ち受け画面には、今流行りの芸人の画像が映っている。その芸人が大のお気に入りだったあたしは、思わず大笑いして瑠夏の背中を叩いた。
「何これ〜! 瑠夏、最高! あたしに送ってよ、これ。赤外線受信するから」
「うん!」
瑠夏から早速画像を送信してもらい、上機嫌で美衣子の方を振り返ったあたしは、もうこの時には、先程の美衣子の気まずそうな顔をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「美衣子もこの芸人好きだよね! 送ってあげるから3人でお揃いにしようよ!」
「あ……う、うん!」
美衣子は一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、すぐにはにかんだ笑みを浮かべて小さく頷いた。