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幼馴染

新年会

作者: 園田 樹乃

酔っ払いの戯れ程度ですが、同性の絡みや、それを連想させる記述があります。苦手な方は注意してください。

 『じゃぁ、また』

 そんな言葉を残して、お兄ちゃんとその婚約者が玄関を出て行く。

 彼らの姿を視界から隠すように、玄関ドアが閉まる。


「また、って。”次”は、結婚式の当日、な気がする」

 そう言ったのは……お母さんじゃなくって。

 ものごころついた頃から、『田村のおばさん』と呼んでいる人物。お兄ちゃんの婚約者の母親、だ。

「さすがに、綾ちゃんは帰ってくるんじゃない? 式の相談もあるし。うちの馬鹿息子はともかく」

 その横で、お母さんが笑いながらひどいことを言う。


 お兄ちゃんは、幼稚園時代からの幼馴染だった彼女と、三十代も後半に差し掛かる今年の夏、結婚式を挙げることが決まった。

 長年、家族ぐるみの付き合いをしてきた両家に、”顔合わせ”だの、”結納”だのは存在せず。ただ、元日の今日、田村さんの家にお昼前から二家族が集まって新年を祝った。

 そして、ついさっき。隣の楠姫城市に住んでいるお兄ちゃんたちは、早めの夕食の後で帰って行った。


「山岸さん、夕飯の腹ごなしに一局」

 田村のおじさんが、将棋を指すしぐさをする。それにお父さんが乗って、二人はさっきまで酒盛りをしてた座敷へと戻って行った。

「じゃぁ、私たちは軽く片付けでも」

「あら、悪いわね。手伝ってもらうなんて」

「ちゃっちゃと片付けて、お茶でも飲みましょうよ」

 そう言いながら、お母さんたちは、暖簾のかかったお台所へと姿を消す。


 火の気の無い、寒い玄関に残ったのは……。

「若菜ちゃん、部屋で飲まない?」

「まだ飲む気?」

「年末の福引でさ、ワインが当たったの。それも二本」

「ちょと。それ、どこの福引よ」

 私にとってはオムツをしていた頃からの幼馴染、同い年の涼子ちゃんの背中にぶら下がる。そのまま、背の高い彼女に引きずられるようにして、私たちもお台所へと向かう。

「商店街で、やってたじゃん」

「ってことは、妹尾酒店からの提供? そんなに頑張って、大丈夫なのかしら」

「さあ。さすがに、ボージョレーとかじゃないから、大丈夫じゃない?」

 そう言いながら冷蔵庫を開ける涼子ちゃん。

 彼女が取り出したのは、ドイツワインの”マドンナ”

 確かに、高くは無いけど。なかなか、いいセンス、してるんじゃない? 妹尾酒店のバカ旦那も。

 もう一人の幼馴染を思い浮かべている私に、涼子ちゃんが

「お姉ちゃん達の前に出したら、瞬殺で飲み干されるから、隠してたのさ」

 と歌うように言いながら、戸棚から二脚のワイングラスを取り出す。

「お母さーん、ワインのツマミ、何か無い?」

「蒲鉾でも切る?」

「それは、何か違う気がする」

「イクラも乗せたら、オードブルになるじゃない」

「違う。絶ぇ対にそれは、ポン酒のツマミだ」

「これ。女の子が、『ポン酒』なんて言わないの」

 涼子ちゃんと田村のおばさんのやり取りに、お皿をふきながら聞いていたお母さんが、口を挟む。

「うちにチーズと貰い物のテリーヌがあるわよ。若菜、取って来たら?」

「ええー」

 寒いじゃない。それに、我が家は駅への通り道。

 今出たら……絶対、お兄ちゃんたちに追いつく。

「食っちゃ寝、してたら、太るわよー」

「いいもーん」

「よくない、ほら、行っといで」

 布巾を持っていない手で、お尻を軽く叩かれて、仕方なしに玄関へと向かう。

 うーん。小学校の裏から回れば……追いつかないか。いや、でもなぁ。暗くなったら、変質者が出そうだし。あの道。



 諦めて、まっすぐ帰った我が家への道では、お兄ちゃんたちには逢わなかった。

 もともとスポーツが得意な二人だから、こんな寒い夜にのんきに歩いてたりしないのかも。それとも、さっさと二人っきりになりたいとか?

 やぁねぇ。独り身に、寒さがこたえるじゃない。



「あら、若菜にしては早かったわね」

 お台所でお茶を飲んでいたお母さんの言葉に迎えられた。家の外と室内の温度差に、ため息が漏れる。

「あーもう。寒かった、寒かった、寒かった」

 そう呟きながら、手にしたビニール袋を流し台に置く。指先が冷たくなった手を擦り合わせて、ハーっと息をかける

 そんな私を笑いながら、田村のおばさんが手にした湯飲みをテーブルに置く。

「そんなに言うほど遠くないじゃない。綾子なんて、『走れば五分』って言ってたわよ」

 陸上部のエースと一緒にしないでくださーい。


「うちまで?」

 お母さんが、首をかしげながら、お茶請けのお漬物に手を伸ばす。

「ううん、小学校まで」

「綾ちゃんの足だったら……確かに、行けるかもね」

 ポリポリと音を立てながら、お母さんはこの家から学校までの距離を頭の中で測っていたらしい。

 なるほどって顔でうなずく。

「そういえば、(とおる)は、『学校まで一分もあればつく』って言ってたわね」

「それは、いくら亮くんでも……」

「それが、着いちゃうのよ」

「ほんとに?」

「三者懇談で一緒に学校行くときに、亮の言う”近道”を通ったら、本当に校門まで一分」

 ”近道”って……。多分、『私道が含まれてるから、通らないように』って学校から言われてた、アノ道の事だろうけど。お母さん、そんなことしてたんだ。


 そんな事を考えながら、おばさんに借りた包丁で、流し台に向かっておつまみを切る。

 切り分けたおつまみの一部をお茶のお供に置くと、おばさんが、『涼子は、部屋を温めとくって』と言いながら天井を指差す。

 そんなおばさんの言葉に頷いた私は、おつまみのお皿を片手に勝手知ったる家の中を、階段へ向かった。



 階段を上って、右のドア。

 軽く、ノックをする。返事も待たずにドアを押し開ける。

「若菜ちゃん、早かったね」

 ベッドにもたれるように座っていた涼子ちゃんは、私の顔を見るなり、お母さんと同じことを言う。

 それに、あっかんべーを返して、ドアを閉めようと振り向いた。


 うわ、っと。

 おつまみのお皿、落としかけた。

「涼子ちゃん、なんてモノを、なんて所に……」

「へへへ」

 ドアの裏側に、一枚のポスター。

 楠姫城市を拠点に活動をしているロックバンド、織音籠(オリオンケージ)だ。

 それも、サイン入り、って……。


 うん?


「ちょっと。涼子ちゃん?」

「なに? 若菜ちゃん」

 そこにお座りなさい、って、すでに体育座りで座ってるけど。

「なにこれ! ”RYOサイン”じゃない!」

「あ、やっぱり判る?」

「売れ! すぐに、オークションにかけろ! で、もっと高いワイン飲もう!」

「い・や・よ」

 クスクスと笑いながら涼子ちゃんが、ワインの口のラッピングを剥がす。


 ”RYOサイン”

 ファンの間では、幻と言われているサイン。


 織音籠のサインは ベースのSAKUかヴォーカルのJINが『織音籠』と書いた周りに、寄せ書きのように、メンバー五人のサインが入るのが普通。

 個人のサインは、バンド名と個人名を書くような形になるわけだけど。

 キーボードのRYOは、とにかく、この”個人のサイン”ってのをしない。

 ネットオークションにかけたら、どれほどの値がつくか……。


「この前、ちょっとした取引でもらっちゃった」

「取引、ねぇ」

 床に置いたお盆を挟んで、涼子ちゃんと向かい合う位置に座布団を移動させて座る。

 六畳間に学習机とベッドだけが置いてあるこの部屋では、子供の頃からいつも、おやつを食べるのはこの体勢だ。

「どんな取引よ」

「うーん? 秘密を守ってほしかったら、頂戴って」

 お盆の上で、グラスに白ワインが注がれる。

「涼子ちゃんそれ、脅迫……」

「いやぁ、簡単だったよー。っていうか、若菜ちゃんなんて、貰い放題じゃない」

「そんなわけ、ない」

 そう言いながら、髪から解いたゴムを指にかけて。右に体を捩る。

 ポスターの真ん中左寄り。JINにしな垂れかかっている女顔に、狙いを定める。 


 うーん。髪ゴムは、重すぎたか。

 的に当たる前に、床に落ちてしまった。


 落ちた髪ゴムを、這うようにしながら回収する。

 RYOが個人的にサインをしない理由を、私は多分誰よりも知っている。


 だって。


「あのお兄ちゃんが、レアもののサインを無条件にくれるほど、妹に優しいと思う?」

 そう。

 ”RYO”の名前で芸能活動をしているのは、何を隠そう、さっき帰って行ったお兄ちゃん、その人。

 お兄ちゃんは中性的な顔立ちに似合わず、小学生のような悪筆で。それを隠すために、サインは最低限しかしない。

「とりあえず、お姉ちゃんには優しいっていうか、大事みたいね」

 そんなことを言ってる涼子ちゃんから手渡されたグラスを目の高さに上げて、乾杯する。


「最近、髪、切ったじゃない?」

「お兄ちゃんのこと?」

 涼子ちゃんの言葉に、疑問を挟みながら、ワインを一口、口に含む。

 久しぶりに口にした”マドンナ”の甘さ、だ。

 ふわっと、りんごに似た香りが鼻に抜ける。

「そう。あれが、どうやらうちのお父さんが出した、”お姉ちゃんとの結婚を許す条件”だったらしくってさ」

「へぇ」

 相槌を打ちながら、自分で持ってきた生ハムのテリーヌをつまむ。

「秋に、ほら……」

 チーズを片手に、涼子ちゃんが言うには。

 私たちが二人で遊びに出かけていた日に、お兄ちゃんたちは結婚の挨拶のため、田村家を訪問してたらしい。で、野暮用のあった私と別れて、一足早く帰った涼子ちゃんと鉢合わせをした、と。

 そういえば、その頃だったか。肩を過ぎるくらいに伸ばしていたお兄ちゃんの髪が、珍しく出ていたテレビ番組で短くなってるのを見たのは。

 司会者に尋ねられた本人は、『イメチェン』とか言ってたけど。

 ふーん。結婚の条件。へー。

「そのときに、断髪の理由をオフレコにする代わりにって、サイン貰った」

「なるほど」

 そんな条件だったら、サインするのか。あのお兄ちゃんが。 



 いろいろと話しているうちに、グラスが空いた。

「夏になったら、『おねえちゃん』が、本当のおねえちゃんになるんだ」

 互いのグラスにお代わりを注ぎながら言った私の言葉に、涼子ちゃんが吹き出した。慌てて手近にあったティッシュで口元を拭っている。

「それを言ったら、『おにいちゃん』も、本当のおにいちゃんになるし」

「なんか……変な感じ」

 顔を見合わせて笑う。


 ずっと両親を含めた他人の前では、『”涼子ちゃんの”おねえちゃん』『”若菜ちゃんの”おにいちゃん』と呼んできけど。涼子ちゃんと交わす会話の中では、彼らのことを本当の兄姉のように呼んできた。

 私が『おねえちゃん』と呼ぶのは、涼子ちゃんのおねえちゃんだけ。逆も、然り。

「ってことは、私と涼子ちゃんの関係は?」

「親戚のお姉ちゃん?」

「私が?」

「何でよ、私のほうでしょ!」

「それこそ、なんでよ。誕生日、私のほうが涼子ちゃんより早いじゃない」

「三日だけね」

 グラスに口をつけた涼子ちゃんが、”おねえちゃん”とよく似たクスクス笑いをしている。

 私も、半分に減ったボトルに軽く栓をして床に置いて、グラスを手に取った。


「あの二人が、結婚かぁ」

 テリーヌに手を伸ばした涼子ちゃんが、しみじみと言う。

 そんな涼子ちゃんを眺めながら、私も不思議な感慨を持つ。

 『双子の姉妹のように』と言うのは、言い過ぎとしても。幼馴染のうちでは、格段に近い距離感で育ってきたこの子と、親戚になるのか。

 口元に当てたグラスから、ほのかなワインの香りが立つ。

「当たり前といえば、当たり前のような。ありえないといえば、ありえないような」

 子供の頃、あの二人が一緒にいるのは、私にとって当たり前の風景だった。

 けれど、いつの頃からだろう。お兄ちゃんは、おねえちゃんの話をしなくなった。

 そんなことを思い返していると、涼子ちゃんも”古いこと”を持ち出してきた。

「ありえないってことは……山岸家の七不思議?」

「でた。七不思議」

「出る出る。いくらでも。あのおにいちゃんだし」

 そう言いながら、ペロリと指先を舐めた涼子ちゃん。


 七つ、あるのかどうか、怪しいけど。

 子供時代から、言われ慣れてきた”山岸家の七不思議”。


 曰く。『柔道を教えているらしい熊オヤジから生まれた、女顔の息子』

 曰く。『”出たがり”の兄貴と、声も出さない妹』

 曰く。『中学・高校と優等生だった男が、大学でトチ狂った』

 曰く……。


 お兄ちゃんが単純にお祖母ちゃんに似ただけ、とか、涼子ちゃんを筆頭に周囲が賑やか過ぎて、私が目立たないだけ、とか。私にとっては、言いたいことがいろいろある”七不思議”だけど。

 とにかく、目立ちすぎるお兄ちゃんが、諸悪の根源、ってことで。

 妖艶な笑みを浮かべたポスターの男を一睨みしておいて、ワインを口に含んだ。

 ニッと、写真の顔が動いた気がした。



「七不思議はともかく」

 涼子ちゃんの言葉に我に返る。

 空っぽになったグラスをお盆に戻して、チーズに手を伸ばす。ちょっと、ピッチが早すぎた。ここで少し、休憩。

 カマンベールチーズに、舌鼓を打つ。『甘口の白ワインには、ブルーチーズが一番合う』って誰かが言ってたことがあったけど。あれは、どうも……好きになれない。

 半分くらい残っているグラスをお盆に置いた涼子ちゃんが、話を続ける。

「あの二人が結婚って、戦隊物の”赤”と”青”が結婚するようなインパクト、ない?」

 涼子ちゃん。それは何かが違う……。

「そこは”桃”、じゃない?」

「あのお姉ちゃんが、”桃”?」

 無い無い、と首を振りながら、空いた私のグラスにお代わりを注いでいた涼子ちゃんが、ボトルネックに垂れたしずくを指で拭う。

 満ちたグラスをありがたく受け取って、ドイツワインに独特の甘みを楽しむ。

「後輩女子の人気を二分してた、んだよ? あの二人」

 指についたワインを舐めとった涼子ちゃんの言葉に、中学時代を思い出す。

「そういえば……そんなこともあったっけ」

「でしょ? そこらの男より、カッコイイって」

 私達の入学とは、入れ違いに卒業した二人。ほんの数週間前まで、在校生だったはずのお兄ちゃんたちは、私達が入学する頃には、”伝説の先輩”へと昇格していた。

 お兄ちゃんは、その後、高校の文化祭で組んだバンドを発展させて、芸能人になったわけだけど。

 おねえちゃんの方も、何かと噂に事欠かない人だったと聞いている。

 


 暖房の効いた部屋で飲んでいるワインが、残り少なくなってきた。酔いのせいか、ワイン自体が温もったせいか、冷蔵庫で冷えていたはずの冷たい口当たりを感じなくなってきた。

「飲んだねぇ」

 ボトルの表面を指でなでた涼子ちゃんが、トロンとした眠そうな声を出す。

「ワインって、アルコール度数が焼酎と変わらないんだって」

 バカ旦那から昔仕入れた豆知識を、披露する。

「へぇ」

「でさ、フルボトルが、七五十ミリリットルでしょ?」

「うー。一升瓶の半分より少し少ないんだ」

 さすが、理系。 

 酔っていても、一瞬で計算できる。

「そう。だから、二人で焼酎を五合ばっかり飲んだ計算かな?」

「よんごーう」

「は?」

「五合もない。四合とちょっと」

「はいはい」

 酔っ払った口調で、律儀に訂正しなくったっていいのに。

 そんな幼なじみを笑いながら、残ったテリーヌを口に運ぶ。


「ねぇ、若菜ちゃん」

「なに?」

 空になったグラスが二つ載ったお盆が、互いの間から涼子ちゃんの脇に寄せられて。

 口の中のものを飲み込んだ私の視界一杯に、涼子ちゃんの顔が近づいてきていた。

「涼子ちゃん?」

 やわらかいものが、唇に触れる。


 ”マドンナ”の。

 りんごに似た香りがした。


 顔を離した涼子ちゃんが、見下ろしてくる。

 座布団に座っている私と、この身長差、ってことは……彼女はひざ立ち、か。

 両頬を、手のひらで包まれる。

「ふ-ん」

「なに?」

「お姉ちゃん、今頃こんな光景を見てるのかな?」

 蛍光灯の明かりを背に、涼子ちゃんが首を傾げる。

「多分、逆」

 彼女の着ているカーデガンの襟元と、左腕を掴んで体を入れ替えるように、床に押し倒す。柔道講師の娘、ナメテもらっちゃ困る。

 グラスの倒れる音がした。

「若菜ちゃん、零れたかも」

「どっちも空だったから、大丈夫」

 そんなことを言いながら、涼子ちゃんを見下ろす。

「この場合、お兄ちゃんが上じゃない?」

「それはそうかもしれないけど……。若菜ちゃん、私ソッチの気は無いよ?」

「私だって無い。っていうか、先に仕掛けたのは涼子ちゃんじゃない」

「いやぁ。若菜ちゃん、RYOと同じ顔してるから」

「同じ顔、言うな」


 山岸家の七不思議のひとつ。

 『思春期を過ぎても同じ顔をした兄妹』


 むかし、涼子ちゃんに唆されて。一度だけ、ステージのお兄ちゃんを意識したメイクをしてみたことがある。

 あまりのそっくりさに、自分でもげんなりして。横で見ていた涼子ちゃんもノーコメントのまま、化粧を落とした。

 そんな”イタイ”経験も今となっては……いい思い出、だろうか?



「ほんとに、似てるんだもん」

 床に手を着いて体を支える私の下で、涼子ちゃんがクスクス笑う。

 酔っ払いの目に、かすかに光るものが見えて、体を起こす。


 涼子ちゃんの初恋は、お兄ちゃんだった。


 そんなこと、多分お兄ちゃんは知らないとは思うけど。

 それでも、お兄ちゃんが”RYO”の芸名でデビューした時。真剣にお兄ちゃんを殴りたくなった。

 RYOと、涼子。

 あまりに似すぎた音は、涼子ちゃんのことなんて意識していないと、遠まわしに告げているようだった。



「ヤレヤレ、飲みすぎた」

 そんなことを言いながら起き上がろうとしている涼子ちゃんの両手をつかんで、引っ張り起こす。

「若菜ちゃん、最後飲んじゃって」

「いいの?」 

「うん。置いておいても仕方ないし」

 ほら、と手渡されたボトルを受け取り、床から拾い起こしたグラスに残ったワインを注ぎきる。

 その間に涼子ちゃんは、腰高窓を開け放った。

 ヒューッと冷気が流れ込んでくる。

「ちょっと。寒い」

 文句を言った私に、窓枠に腰を掛けて外を眺めた涼子ちゃんがオイデオイデをする。

 グラスをお盆に置いて、窓に近づく。

「なにしてるの、いったい?」

 この、酔っぱらいめ。

「いいから、ほら」

 指差す方を眺めるように、窓から身を乗り出す。

「星がすごくきれい」

 そう言って涼子ちゃんは、私の背後から抱きついてきた。彼女の顎が私の左肩に乗って、互いの頬と頬が触れ合う。



 子供の頃から身長の高かった涼子ちゃんと一緒のものを見るときは、必ず、こうやって顔をくっつけていたっけ。

 そんな私達を見て、『ジャックと豆の木に出てくる二つ頭の巨人みたい』って、おねえちゃんが笑ってたこともあった。


「やっぱり、星座は十二月」

 耳元で、涼子ちゃんの声がする。

「あの歌?」

「うん」

 高校生の頃好きだった曲の、一節が頭に流れる。あの曲を教えてくれたのは、涼子ちゃんだった。

「毎日、星空見てても、そう思う?」

「そりゃね。プラネタリウムとは違うわ。特に、今日なんて多分、日本中の排気ガスが少なくって、空気がきれい」

 彼女の言葉通り、星の音が聞こえるような錯覚を覚えるほど、冷えて澄んだ星空が私達の頭上に広がっていた。

 そして、有名な冬の星座が、ちょうど頭上に見えた。

 科学館で学芸員の仕事をしている涼子ちゃんじゃなくっても知っているほど、有名な。

 

 オリオン座。


 お兄ちゃんたちのバンド名を思い起こさせるその三ツ星を黙って、二人で眺めた。



 私がくしゃみをしたのをきっかけに、窓から体を引っ込めて、涼子ちゃんが雨戸を閉める。



 改めてグラスを手にした私にもたれるようにして、涼子ちゃんが残ったチーズを摘んでいる。

 その唇から、さっき話題に出た曲が流れる。


 好きな人に愛を伝えられないまま。一人、遠い街で暮らすと。


 昔、好きだった人と義兄妹になるのはきっと。

 残酷なほど近いのに、手も届かないほど遠いのだろう。



 最後のワインを飲み干して


 ドアで微笑んでいる、自分と同じ顔を睨みつける。

「ばーん」

 口の中で小さく呟きながら、指鉄砲で撃ってやる。


 お兄ちゃん。

 おねえちゃんと幸せにならなかったら。

 絶対に、許さないからね。



 階下から、

 私達を呼ぶ、お母さんの声がした。 


 END.

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