第三話 怠けものと通信
魔物というのは実によく働く。まさに経済だ。
魔物の召喚をしてからはや三日。ディーズは猛烈な勢いで与えられた仕事をこなしている魔物たちに大いに満足していた。特に亜人たちの働きぶりは素晴らしく、破壊されていた避難民の居住区はほぼ復旧が完了している。そのほかにも土に埋もれていた通路の復旧、侵入者用の罠の設置、避難民を迎え入れるための準備など、その働きはとどまるところを知らない。この調子ならば、魔王の胎内がダンジョンとして本格稼働する日も近いだろう。
しかしその一方、召喚されてから今までほとんど働いていない魔物が一匹だけいた。白銀級の召喚陣から出てきた例のゴブリンだ。
「この野郎、働けですよ! 何怠けてるんです!?」
通路を掘り起こすべく、大量の土や岩を袋に詰めて運び出している亜人たち。その脇で、リリアがムチを片手に怒鳴っていた。他のゴブリンやオークたちが自分の体ほどもある袋をせっせと運んでいる中、一体のゴブリンが地面にごろりと寝転がっていたのだ。もちろん、件のゴブリンである。
ヒュウっとムチが唸る。しなりを上げたムチはゴブリンの尻を勢いよくひっぱたいた。ゴブリンはその裂けた眼でリリアを睨むと、ポリポリと尻を掻きながら立ち上がる。そして、その場に置かれていた小さな袋に申し訳程度の量の土を詰め、のろりのろりと歩いて行く。
「な、舐められてるのですよ! ゴブリンの分際で魔族の私を舐めてるのですよ!?」
ゴブリンと言えば最弱の代名詞のような亜人だ。それほど高位でないとはいえ、魔界に暮らす魔族のリリアとは天と地ほどに力の差がある。リリアがちょっと本気を出せば、デコピン一発で頭がぶっ飛ぶ程度の雑魚なのである。
それにたったいま舐められている。リリアの眉がつり上がり、顔が少し紅くなった。両手でムチを引っ張るような動作をすると、その強度を確かめる。
「労働力だと思って大切にしていれば……。本気でお仕置きするのですよ!」
「おーい、作業は進んでるか?」
リリアがムチを振り上げた時、ちょうど奥から声がかかった。間違いなくディーズの声だ。リリアはゴブリンの方を見て舌打ちすると、ディーズの方へと走っていく。彼女は主の前に立つと、ピシッと敬礼をした。
「作業はほぼ順調なのですよ。避難民の居住に必要なスペースは最低限確保できましたし、一階層の再開拓もほぼ完了しました。十階層すべての再開拓にはまだまだ時間がかかりますが、なんとかダンジョンとして営業できそうですね」
「そりゃよかった。スライムたちの戦闘訓練とかも順調かい?」
機械に対抗する関係上、戦闘要員は亜人ではなくスライムとディーズは決めていた。素晴らしいことにスライムは物理攻撃がほぼ効かないのだ。特に銃とは相性が良く、機関銃が主な装備であるリーパー戦で大いに活躍が見込まれる。逆に、亜人などの魔物は銃で死ぬ可能性が高いので主に労働要員だ。
リリアは笑いながら指で丸を造った。訓練は相当順調なようだ。ディーズは気分良くうんうんと頷く。しかしその直後、リリアの顔が露骨に曇った。
「およそすべてうまく行ってるのですが……」
「ですが?」
「例のゴブリンがまたサボってたのですよ。これで三回目です」
「またか。なんでそんなに言うことを効かないんだろうな……」
「さあ……」
普通、召喚陣で召喚されたモンスターは主の命令に絶対服従だ。一部の高位モンスターは主に召喚者の能力不足が原因で言うことを聞かないことなどがあるが、ゴブリンが言うことを効かないなどまずあり得ない。おそらく何かしら召喚陣に不具合があり、魔法がきっちり掛からなかったのだろう。
白銀の召喚陣は赤銅に比べて三倍の値段がつけられている。その成果があの駄目ゴブリンとは――二人は少々頭が痛くなった。初期段階のダンジョンにとってはとても大きな金額なのだ、召喚陣の代金は。だが、彼らはすぐに頭を切り替えると別の話題へと移る。……できるだけ忘れて居たいだけかもしれないが。
「マスターの方の作業はどうですか? 通信機の復旧とか言ってましたけど、できたんです?」
「ほとんどできたよ。今から試運転するとこ」
「同行させてもらっていいです?」
「もちろん」
リリアとディーズはダンジョンマスター用の居住空間に入ると、その一番奥の部屋に向かった。するとそこだけ殺風景な部屋の一角に、ドンとカラーボックス程度の大きさの通信機が置かれている。ディーズがかつて所属していた避難民キャンプにとって唯一の財産だった、エーテル波型の高性能通信機だ。リーパーに破壊されて使い物にならなくなっていたのを、ディーズがどうにかこうにか修理して使えるようにしたものである。
「よし、流すよ」
ディーズはヘッドホンをはめると、周波数を合わせた。リリアはそれを見守る。そして――
『こちら座標軸xy-3879、ダンジョン魔王の胎内。生存者はいるか? こちらでは綺麗な水と食料、さらに安全なシェルターを用意している。繰り返す、こちら座標軸xy-3879……』
ダンジョン魔王の胎内より北西に30キロメルト地点。そこには霧の森と呼ばれる未開の大森林地帯が広がっていた。鬱蒼と茂る巨木は小回りの利かない機械の進撃を妨害し、さらに年中立ちこめる深い霧は人工衛星からの監視も防ぐ。凶暴な獣が生息していることを除けば、まさに逃げ込むには最適といえる地域であった。
そこに、小規模ながらもいまだ健在な人間の集団があった。そんな彼らの通信機に、ひさかたぶりのエーテル波が飛び込んでくる。
『こち…座標軸xy-……、ダ…ジョ…魔王の……。生存…は…るか? こ…らでは……な水と………さら…安…な……ルタ…を用…している。……返す、こち…座……xy-3879……』
「お、おお!?」
うんともすんともいわない通信機を見張ることが仕事だった男は、思わず貴重な煙草を落としそうになった。彼は通信機に飛びつくと、慌てて周波数を調整する。ノイズが取れていき、次第に音声がクリアになっていった。
『こちら座標軸xy-3879、ダンジョン魔王の胎内。生存者はいるか? こちらでは綺麗な水と食料、さらに安全なシェルターを用意している。繰り返す、こちら座標軸xy-3879……』
「おい、みんな来てくれ! 通信が入ったぞ!」
ディーズのダンジョンに住民が増えたのは、これからさらに二日後のことであった――。
避難民の集団にどのような人物がいるのか?
それは次回のお楽しみです