第一話 経営方針
やや垂れ目がちのおっとりとした印象を与える柔和な顔立ちに、しなやかな小枝のように細い体。ゴシック調のクラシカルなメイド服は胸元がたっぷりと押し上げられていて、思わず眼が奪われてしまいそうなほど。ディーズは突如として現れた少女の美しい容貌に、ほうと吐息をもらした。だがしかし、すぐに彼は彼女がどこから現れたのかと思案する。床に穴があいているわけでもなく、天井から落ちてきたわけでもなく。まさになにもない空中から、彼女は現れたかのようだった。
何が何だか、彼にはさっぱり分からなかった。しかし、このままここで突っ立っていることが危険なのはわかる。彼はすぐさま少女の手を掴み、部屋の奥へと走りだす。
「マスター、しょっぱなから大胆過ぎると思いますです!?」
「良いから早く!」
状況がわかっていないのだろう、少女は酷く能天気なことばかり口にする。そんな彼女に少々苛立ちつつも、その細い手をしっかりと握りしめて、ディーズは部屋からの出口を探した。しかし、部屋の奥は行き止まりで壁しかない。万事休す――ディーズの額を嫌な汗が流れる。それが地面に落ちると同時に、壁の向こうから鈍い駆動音が近づいてくる。音はやがて壁を越え、紅の眼が姿を現した。
「マスター、何か来ましたよ?」
「リーパーだよ、もうおしまいだ!!」
「リーパー? なんですかそれ、マスターの支配するモンスターですか?」
「違う、俺たちを殺す機械兵器だ!」
蒼白な顔で叫ぶディーズに対して、少女は首をかしげた。彼女はそのまま訝しげな視線をリーパーに向けると、カクリと頷く。
「なんだかよくわかりませんけど、敵なんですね? ならば排除するまでですよ」
「おい、危ない!!」
少女は万力のような力でディーズの手を振りほどくと、リーパーに向かって進み始めた。背中の黒い翼が紫の炎を帯びているように見える。ディーズは必死に呼びとめるものの、彼女はそれに笑って応えるばかり。全く止まろうとはしない。
「アンノウン、エネルギー急速増大。危険度上昇中、攻撃開始」
機関銃が咆哮した。鉛弾が無数に放たれ、少女の血肉を喰い破ろうと迫る。しかし――
「イタタ! なんですか今の、新手の魔法ですか?」
「嘘だろ!?」
「ターゲット健在、損傷率0%」
少女は全く平気だった。体のあちこちが少し赤くなっているようだが、至って健康である。常人が喰らえば手足が吹き飛び、またたく間に悪趣味な肉塊が出来上がるほどの威力がある弾丸を喰らって、これだ。ディーズは飛び出しそうなほど眼を見開き、リーパーの機械音声も心なしか動揺しているように聞こえる。
ゆっくりとリーパーに迫る少女。彼女は何事もなかったかのようにリーパーの前に立つと、手刀を振り上げた。ボウッ――刹那、異様な音がした。風を切るというよりも、空気を粉砕したような激しい轟音。それに続いて乾いた爆発音が響き、リーパーが青い炎を上げる。銀色の強化装甲はボール紙のようにひしゃげていて、その中心には少女の手刀があった。
――生身でリーパーの装甲をぶち抜いた!?
もはやディーズはあいた口がふさがらず、言葉も出なかった。その顔は色を失い、まったく思考というものができていないようだ。そんな彼に、少女は笑みを浮かべながらゆっくりと近づいていく。
「ふう、妙に硬いモンスターでした。おててが腫れちゃいますです」
「君は……何なんだ?」
「さっきも言ったじゃないですか。ダンジョン商会のリリア、今日からマスターの専属になったメイドさんです!」
「いやそうじゃなくて……なんで素手でリーパーを倒せるの?」
「それはもちろん魔族だからですよ。ほら、見てわかりませんです?」
リリアは背中の翼を思い切りはためかせた。黒い翼が妖艶に揺れる。しかし、ディーズには何の事だかさっぱり分からない。せいぜい、彼女が何か人間とは違う生き物ではないかと察した程度だ。
「魔族って……何なの?」
「え、魔族について知らないんですか? ダンジョンの隠し部屋を発見しちゃうような冒険者さんなのに?」
「ホントに知らないよ。第一、俺は冒険者なんて連中じゃない。避難民さ」
リリアは心底不思議そうな顔をした。そして、もう一度聞き返してくる。
「避難民って、地上からダンジョンの中に避難してたんですか?」
「ああ、良くある話じゃないか。地上は機械どもがうじゃうじゃしてるんだから」
「……状況がさっぱり飲み込めないですよ。一体地上では何が起きてるんですか?」
今度はディーズが首をひねる番だった。この世界に暮らしていて、一年前に勃発した終末戦争を知らないなど果たしてあり得るのだろうか。ディーズは眉をひそめながら、訝しげに口を開く。
「何で知らないのさ? 世界の九割が核で焼き尽くされた史上最悪の大戦争だよ?」
「かれこれ千年ほど地上世界には来てませんですよ。だから知らないのです」
「……とりあえず、よくよく話してみようか」
ディーズは困ったように頭を掻きながら、そう言うほかはなかった。
「つまり、俺はこの隠し部屋にある水晶玉を握ったことでこのダンジョンの新しいマスターになった。そして、君はなにも知らないであろうマスターを補佐するために魔界から派遣されてきた魔族ってことか」
「ですです!」
ディーズがリリアの話を要約して語ると、彼女は元気良くうなずいた。その反応を見たディーズは思わず、ため息をこぼさずにはいられない。まったく、にわかには信じがたい話であった。しかし、彼女が実際にリーパーを破壊したところを見ては信じないわけにはいかない。
「はあ……どこぞのファンタジー映画みたいな話だなぁ……」
「私の方こそ、ゴーレムが大暴走して地上が滅びそうになってるとか信じられないですね」
「ゴーレムじゃなくて機械なんだけどね……。で、そのダンジョンマスターって具体的には何をすればいいのさ」
「そうですねえ、基本的には魔物を召喚したり開拓作業をしたりしてダンジョンを大きくするのが仕事でしょうか。その他の細かい経営方針についてはダンジョンマスターにお任せですね。ダンジョン商会に派遣されてる私としては、たくさん物資を買ってくれればそれでいいのです」
「なるほど……。だけど、それだと物資を買うお金はどこからでてくるんだ? 魔界ってとこから援助金でも出るの?」
「それはもちろん、侵入してきた冒険者さんたちのお金や装備を巻き上げるんですよ。……あッ」
「そうなんだよな……」
この荒廃した世界には、冒険者などという人々はいない。せいぜい、機械に追われた避難民が逃げ込んでくるぐらいだろう。そんな人々からお金や装備を巻き上げたところで高が知れている上に、ディーズ自身もそのようなことはしたくない。
ここでふと、リーパーの残骸が目にとまった。鈍い銀色の光がディーズの眼に飛び込んでくる。彼はリーパーの装甲には特殊合金が使われていることを思い出した。そして、それがかなり高額だということも。
「なあ、あれって売れるか?」
「あのゴーレムの残骸ですか?」
「そうそう」
「そうですねえ……。魔界にはない金属がつかわれてますし、それなりの値段で売れるような気がしますです」
「それだ! 避難民を保護して、機械をおびき寄せればいいんだよ! みんなを助けられるし俺たちも儲かる――!」