09 ジャイアントキリング
「来ましたっ! 巨人族の本隊です!! 数は……7、いえ、100は居ます!!」
哨戒に出ていた魔女からの報告が入る。小隊が部隊を展開している広場に程近い岩場に、100体もの巨人が集結しているとの報告。絶望的な数字に、隣で一緒に報告を聞いていた副長が青い顔をしてゴクリと唾を飲む。
「他に伏兵らしき姿は?」
「帰投可能範囲内には見当たりません!」
巨人族は、その獣性を隠すことなく戦いに狂う狂戦士であると共に、冷徹な狩人でもある。たとえ圧倒的に数で勝る状況であっても、万が一にも獲物を逃がさぬよう部隊を分けて包囲してくるだろうとエディオネルは予想していたが、どうやら数で力押ししてくる方針のようだ。死者の群を抱えて身動きが取れないこちらを見透かされているようで少々腹立たしいが、こちらを安く見積もってくれているというのであれば、それに越した事は無い。
ちなみに、実際は背後から奇襲を仕掛けるための部隊がいたのであるが、エディオネル小隊にとって幸運な事に、その部隊は今、死人と魔女の二人組を追いかけており、必死に逃げる二人を追いかけるのに夢中になって自分達の部隊の目的を見失いつつあった。
「よし、ならば作戦通りに手筈を進める。奴らの鼻先にきつい一発をお見舞いしてやれ」
小隊を陥れようとした奇妙な魔術師の師弟から徴発した『賢者の石』。彼らの天使術式のためにだろうか、大量に所持していたその一部を魔女たちに渡してある。
『賢者の石』とは、《天使》の核の欠片を加工して作り出された術式用の触媒であるが、それ自体が大容量の根源力を含んでいる。つまり、安定した根源力の結晶体なのだ。これに一定の手順を加える事で、固体となった根源力の結晶を、魔力として使用可能な形に還元する事が出来る。これによって、石が溜め込んだ根源力を術式用のそれとして利用する事ができるのである。
エディオネルは、魔女分隊に『賢者の石』を託すことで、巨人族に先制攻撃を仕掛けようとしていたのであった。
魔女分隊は、死者を留まらせるための1人、哨戒を続けるための1人を除いた6人が、『賢者の石』を持って空中に浮かぶ。
彼女達を見守る小隊の面々の顔に期待が伺える。この不利な状況を打破する最大の一手になることを、皆が理解しているのだ。
魔女達が、ゆっくりと縦に廻り始める。かざした紅石から、魔女の軌道に合わせて光の軌跡が漏れた。光の線は魔女達を繋ぎ、ひとつの巨大な円となる。
どよめきが起こった。
円の中心に炎が生じたのだ。
回転するそれはくるくると、一回りする毎に大きくなる。温度を上げる。
それにつれて炎は色を変えていった。
赤からオレンジ、そして青へ。
魔女達の頬を汗が伝う。
もちろん自分達の生み出した炎球の輻射熱によるものではない。防護術により炎球の放つ熱が直接届くことは無いからだ。
ただ、この術式の制御が困難なのである。これだけの大きな術式を使う機会は滅多に無い。普段彼女達は、個人の技量を磨くことに腐心する。それが部隊としての実力を底上げすることになるからだ。連携するにしても、それは個人個人としての連携。一つの術式を全員で制御する経験など、碌にありはしないのであった。
だが今この時、練習して無いから出来ませんとは言えない。否、できなくてもやりとげるのだ。そうでなければ自分が、そして皆がこの辺土に屍を晒す羽目になる。
ともすれば崩れようとする術式を建て直し、制御を離れて暴れようとする炎の塊を押さえつけて魔女達は必死に術式を制御する。魔力の流れを一定に保ち、創り上げたラインを通して損耗を埋める。
その甲斐があってか、術式はついに完成した。難しい術式の制御を遣り遂げた事で、魔女達は互いに顔を見合わせて、喜びに笑顔を浮かべる。あとは炎を打ち出すのみだ。
だが、それを黙って見ている巨人族ではなかった。
炎球を確認したらしい巨人達に動きがあった。その青い球体が、破滅的な威力を持つことに本能で気付いたのであろうか。群の長らしき、一際大きな巨人が咆哮をあげる。
巨人達が各々武器を振り上げて気勢を上げた。
その姿は、見る者に怖気を震わせる。
一見して、彼らの祖が元々は人間であったというのが信じられない。悪意を持ってディフォルメされたかのような人型。悪魔のような造形。隆起した筋肉質の体躯の所々にある奇怪な瘤が、より一層彼らの醜悪なシルエットを強調していた。
醜悪な怪物達は、その長の号令により、散開して突撃を開始した。
巨人達の怒号が、岩山を揺るがせる。
周りにある石柱がビリビリと振動する。エディオネルは、思わず及び腰になる隊員達を叱咤しながらも魔女達に指示を出した。
「あの一際大きな個体を狙え! あれがあの群の長だ!!」
魔女達がその指示に従おうと巨人の長に狙いを付ける。その瞬間、周囲の警戒をさせていた魔女が叫ぶ。
「右方から岩がっ! 伏兵です!!」
「なんだとぉ!」
魔女に察知されないように離れて隠れて居たのであろう。長の咆哮は、彼らへの合図でもあったのだ。右方から、片方の腕が異様に長い巨人達が姿を現していた。
「投擲巨人かっ!!」
人の頭ほどもある大きさの岩が小隊に降り注ぐ。エディオネルは、即座に軍刀型魔道杖を抜き放ち、刀身から防護障壁を幕のように広げて、次々と飛来する岩を弾いた。
とはいえ、限界はある。
エディオネルは、その岩弾の大部分を威力をそらして弾くことに成功していたが、いくつかは彼の防御を抜けて小隊に被害を与えていた。1人の隊員が、岩に頭を撃ちぬかれて昏倒する。大型の術式に魔女を割いたのが仇となっていた。術式ごと魔女を守るため、障壁を薄く広く展開したために、威力の大きないくつかが障壁を抜けたのだ。
「そのまま敵の長を撃て! あれを落せば統率は乱れる!!」
「は、はい!」
エディオネルが叫ぶ。魔女達は、その叫びに応えるために、散開しつつ突撃してくる前方の巨人達に集中した。
「タイミングを取ります! カウントダウン! 3、2、1……今ですっ!」
「発射!!」
掛け声と共に、魔女達は炎球に指向性を持たせて解き放つ。
6人の魔女によって創り上げられた『破壊』と言う概念の塊、全てを燃やし尽くす青き炎球が今、巨人の長めがけて投射されたのだった。
●
突如空へと投げ出されたとき、ニムは何が起きたか理解出来ていなかった。今も完全に理解出来ている訳ではないが、気が付いた時、彼女は、タカオと名乗った一緒に逃げ出した死者の背中に背負われていた。
背負われていたとは言ったが、それは正確ではない。彼の背中から生えた赤いロープの様なもので固定されているのだ。触って見るとクニクニと弾力があり、その適度な押し返しが癖になりそうな触感である。そして彼は、その赤いロープを手から次々と伸ばしては消し、そこら中の地面に生えた石柱や岩を積み上げた石塔の間を跳び回って、追いかける巨人達を翻弄していた。
「うん、大分慣れてきたな」
死者が満足そうに頷く。ニムとしては、あれで不慣れだったのかと驚くほどの機動を行っていたように思えるのだが、タカオは納得がいっていないようで、機動中に度々、赤と青がどうだとか、大きくジャンプしながらダーマッとか叫んだりしていた。
「多分この辺りに落ちたんじゃないかと思うんだが……」
死者の言葉に、思考の海から現実に引き戻された魔女は、慌てて辺りを見渡す。
隆雄達が落ちた為か、巨人の棍棒を受けた所為か、地面に亀裂が走っているのが見えた。二人の落下の衝撃があったとしても、この岩場の大地に亀裂を走らせるだけの膂力を巨人達が持っていると言う事を示す亀裂を目の当たりにしたニムは、あの亀裂を作り出した一撃が、自分の上に振り下ろされていたらと想像してしまい、思わず隆雄の背中から伸びる『縄』を握り締めた。あ、いい手触り。
「まだ巨人がこっちに来るまでに時間がありそうだし、この辺りを探って見るかい?」
「……」
「魔女さん?」
「……は! な、なぬですか?」
(あ、噛んだ)
(噛みましたね)
背中から伸びる管を、真剣な顔でクニクニと指で弄ぶ魔女に、隆雄が声を掛ける。
「そ、そうですね、とりあえずこの辺りを一周してみましょう」
「わかった。高いところから見たほうが探しやすいだろうから、一旦上に登るぞ」
隆雄が手から管を伸ばす。
「あの……」
「ん? どうした?」
「あ、いえ。そういえば、助けて貰ったのにお礼を言っていなかったな、と思い出しまして……」
「あ、ああ、気にしなくてもいいよ。こっちも利益あっての行動だしな」
隆雄がこの辺土と呼ばれる世界で生きて行こうとするならば、誰かの助けは必ず必要だ。特に、今このように巨人に付け狙われている状態では、助け合わねばあっという間に巨人の腹の中という事にもなりかねない。
「それでも、お礼を言わせてください。今こうして生きていられるのは貴方のお陰なんですから」
ニムが気恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。気にするな。とそう言いかけた隆雄であったが、ならひとつと、ニムに提案する。
「そうだ、燃料にするの諦めてくれるなら、大いに恩に着てくれても構わんぞ」
「それは確約できません」
「さよか」
にっこり笑ってニムが言う。
まあさほど期待して無かったがな。と肩をすくめて言う隆雄に、ニムは慌てて言った。
「あ、でも貴方の有用性が見つかりましたので、燃料にするよりは有効に使用した方が良いと上が考えるかもしれません」
「有用性?」
「はい。私達の魔術を使用するための根源力のプールとしての有用性です。常時死人の群と同程度の根源力の発現をこのサイズで実現した存在は今の所タカオだけです。持ち運びに便利で、根源力の供給をどこにいても受けられると言うのは、我々魔女にとっては非常に魅力的です」
ふむ、と隆雄はひとしきり思案して口を開いた。
「なあ……それって、燃料から燃料電池に用法が変わっただけじゃないか?」
「えっ、で、でもこれならタカオがタカオで居られるままに暮らしていけますよ? 燃料にされて消えてしまうのが嫌なんでしたら、この案は十分に考慮の余地があるかと思われますが……」
「いやいや、それもかなり制限された生活になりそうなんだが……」
「そうですか? でも、死者が燃やされずに都市で生活できるって凄い事だとおもうんですが?」
ニムには悪気は無い。自我を保った死者という特殊な存在に対しての人権的というか、尊厳的というか、そういう考え方が彼女達の常識にはないのだ。それでも彼女はまだ、比較的寛容であるといえるだろう。それは、消費物と見做されている隆雄に対しても、上位の存在としての立場からの目線ではあったが、恩には礼によって報い、己に非があると思えば謝罪をする姿から見ても明らかであった。
「俺が欲しいのは自由なんだよ」
「でも、タカオのその姿では、すぐに死者であることが判ってしまいます。そうすれば、常に浄洸炉の燃料として追われることになるでしょう。そうなれば、貴方の居場所はどこにも無くなります。それはつまり……」
隆雄の欲しがっている自由など、この辺土にはどこにも無くなる。ということである。
「……」
黙りこくった隆雄に、ニムは畳み掛けるように言う。
「ならば、私と一緒に第八魔術都市へ行って、一縷の望みに賭けて見ませんか? 私の報告があれば、まず燃料になる事は避けられるでしょう。もちろん、貴方の体を研究させてもらう事になるでしょうが、その結果如何では、将来的には死者を浄洸炉で消費しないで済むようになるかもしれません。もしかしたら貴方の望むものとはすこし変わるかもしれないけれど、自由だって手に入るかもしれない」
ニムの言葉に隆雄は想像する。研究に協力する事で、何年か辛抱すれば自由が手に入る可能性を。
隆雄の望み。それは自我を保ったまま、飯村隆雄という存在としてあり続けることだ。自己の望みと魔女の提案は、すり合わせの効くものであるようにも思える。
(飯村さん、一緒に行きましょうよ。持ち運びバッテリー扱いって事は、毎日魔女っ娘と仲良くお出かけって事じゃないッスか、天国ッス、至福ッス)
(お兄さん、研究の結果、効率的にエーテルとやらを得る方法が確立されて、お兄さんの有用性ってものも無くなってやっぱり燃料に、なーんてこともあり得るんですよ? 彼女を利用するのは良いとしても、信用しすぎるのは危険です)
頭の中で相反する意見を述べる二人。なんでこいつら正反対の事ばっかり言ってるのに、これで結構仲がいいんだろう。肝心なところで息をぴったり合わせてこちらに絡んで来る。
(そりゃ、俺らマブダチッスからぁ)
(もう一心同体ですからなぁ)
死ねばいいのに。
もう死んでいる二人に向かって脳内で毒づく。
「……そうですね、まだ時間はありますし、焦ることもないです。この危難を乗り越えてから改めて話し合いましょう。でも、覚えておいてください。対価のない、完全な自由なんて物はこの世には存在しないって事を」
脳内で友情について語り始めた馬鹿共に向かって思考で毒づいている隆雄に、なにやら一人で納得してそう話を締めくくるニム。だが、考える時間が欲しいのは確かである。隆雄は特に魔女の勘違いを正すことなく頷いた。
「お、あれじゃないか? あのごつい棒」
隆雄の視界に魔道杖が映った。ちなみに、ズダ袋は目の部分が大きく開き、前が開いてしまっている。振り向くたびにニムがいちいちビクッと体を震わせるので被りなおしているが、横からならともかく、前からはズル剥けた顔面が丸見えであった。
管を消してニムを地面へと降ろした。魔女は急いで魔道杖へと駆け寄る。よかった、これでこの辛気臭い岩山から脱出できる。今度こそ、巨人の手の届かない程高く飛んで貰えば良い。
そう考えつつ、ふと何かの気配を感じた隆雄は、そちらの方へ目を向けた。そしてその気配――黒くて大きな塊が豪速で飛来する姿を認識する。
「ふぇ?」
思いがけぬ光景に、間の抜けた声を上げてその場に立ち尽くす隆雄。そこに岩の塊が飛来し、死人の胸郭を押し潰した。
岩弾の直撃を受け、派手な破砕音を立てながら死人は吹っ飛んだ。
「え?」
ニムは、突如響いた岩塊の激突音に驚く。
慌てて後ろを振り返り、吹っ飛んだ死人の姿を目に入れてを呆然とした。次いで、岩が飛んできたと思しき方角を見ると緊張に表情を一変させて杖を握り締める。そこあったのは、先ほど隆雄達を撃墜したと思しきドヤ顔の巨人が、悠然と二人へと歩み寄ってくる姿であった。
●
胸骨が岩の勢いに耐えられずに音を立ててへし折れる。
岩弾は隆雄の肋骨を叩き割り、内腑グシャグシャに押し潰してもなお勢いを止めず、彼の体を地面に打ち倒した。巨人の膂力はさすがに凄まじい。人間の頭程はある大きさの岩をこれだけのスピードで目標に叩きこんでくるのだ。ちょっとした投石器並ではなかろうか。
再び粉砕された胸骨への被害を感じながらそう思考する隆雄の目に、巨人達に立ち向かわんとする少女の姿が映った。
少女――ニムは、近付いてくる巨人の姿を視界から外さぬよう警戒しつつ、震えながらも、ハッキリとした声で、隆雄に呼びかける。
「た、タカオ! 大丈夫ですか?」
「な、なんとか……」
胸郭を粉砕された為か、非常にかぼそい返事が返る。そうだった。心配するまでも無く彼は死者だ。人間ならば生きているはずも無い損傷を受けたとしても、すでに死んでいるタカオがどうやってこれ以上死ぬというのか。ニムはふうっ、と息を吐くと、改めて巨人を見やる。
醜い相貌の巨人――人間をねじくれた悪意で持ってカリカチュアライズした挙句、上下から圧力をかけて一気に押しつぶして無理矢理四角く形を整えたかの様な――が、ニヤニヤと厭らしい笑みでもって、只でさえ醜い貌を更に醜悪に歪めながら一歩一歩、まるで少女の怯えを楽しむかの様にゆっくりと近付く。
巨人族は根っからの戦闘種族だ。杖を持った魔女を相手にする事の危険性を知らないはずは無い。だが、根源力が薄いこの地域では魔力を作り出すことが出来ない魔女など、たとえ杖を持っていたとしても巨人達にとっては既に食卓に上って饗されるのを待つ食材に過ぎないのであろう。潤沢に根源力を供給できる死者の群れでも連れていれば話は別だが、少女の隣にいるのはたった一体の潰れた死者のみなのだ。作り出せる魔力はたかが知れている。獲物である少女を恐怖に染め上げ、散々いたぶって殺して喰ってやる。そんな思惑が透けて見えるかのようだった。
ニムの心に屈辱の怒りが沸々と込み上げる。自分が、否、自分達が侮られていると感じた。理不尽な死が迫るこの状況に、そしてその死の元凶である巨人達にすら軽く見られている事に憤る。怒りは一時的にだが、それまで少女を支配していた恐怖に取って代わった。
巨人達は知らない。岩に押しつぶされた一見貧相な死人がどれだけの根源力を秘めているのかを。
その醜悪な笑顔を驚愕に歪ませてやる。凶暴な思考が魔女を満たす。知らず、少女の口元は孤を描き、笑みを形作る。
「そ、その大きなだけの醜い図体に風穴を開けてあげます!」
ニムはタカオに繋いだ導栓から根源力を一気に吸い上げ、魔道機関に送り込んだ。生成される魔力を結晶刻印へと叩きこみ、攻撃術式を励起させた。結晶刻印が流し込んだ魔力に反応して術式を起動させ、生み出された炎が収束して炎の槍を作り出す。
……はずであった。
だが、魔力が魔術として顕れる際の独特の手ごたえが返ってくる事は無く、まるで底の抜けた風呂桶に延々とバケツで水を流し込むかのごとく送り込んだ魔力はそのまま大気へと拡散して行く。弾き飛ばされた際の衝撃が結晶刻印に深刻なダメージを与えていたのだろう。魔道杖が少女の意思に応える事は無かった。
「な、そんな! ちょっっ……どうしてっ!!」
うんともすんとも反応しない魔道杖を見て愕然とするニム。
慌てふためく魔女を巨人は不思議そうに見るも、何か手向かおうとして失敗したのだと悟ったのだろう。
その醜悪な笑みをさらに深くした。
●
隆雄は少女の方へ悠々と歩み寄る巨人を眺めつつ考えていた。少女を見捨てる選択肢は隆雄の心中には既に無い。この辺土と呼ばれる異世界で、寄る辺無き身の上の隆雄にとって、彼女は大事な案内人だ。最終的に行きつく先が浄洸炉とやらで、自分が必要とされる用途がその燃料ではあったが、彼女はそれを拒む隆雄の意を汲んで、そうならない様にと知恵を絞ってもくれた。
それが打算の上での言動であったとしても、隆雄が隆雄のままであり続ける事が出来る可能性を提示してくれた彼女が巨人などの楽しみのために弄られ、貪り喰われてしまうのを何とか助けたい。死なせたくはない。隆雄はそう思った。
両の手を胸を押しつぶす岩に伸ばすとしっかりと掴んだ。
力を篭めると肉にめり込んだ岩を引き抜く。叩き折られ肺に突き刺さった肋骨が、軋みをあげて元通りに伸びていく。潰れてペシャンコになった心肺が再び厚みを取り戻していった。元の死人の体を取り戻した隆雄は、ゆっくりと身を起こして立ち上がる。
「ははは……、我ながらなんつーデタラメな体だ」
落下した時の身体ダメージも、いつの間にやら癒えていた事を思い出した。
ホッケーマスクとか付けたらそれっぽいかもなぁ。胸の裡で呟きながら近付いてくる巨人達を見やる。突出して近付いてくるのは岩を投げた個体だ。その巨人は右腕だけが異様に長く、発達しているのが見て取れる。あの腕の長さが、高度を取った隆雄達の所まで岩を届かせた原因であろうと思われる。
自分の投げた岩の命中率に得意満面であった巨人は、目の前の少女を喰らう事しか考えていないのだろう。隆雄に気付いた様子は無い。
獲物を引き裂く期待に歪む醜悪な顔面。隆雄自身も、顔面の事は人様の事は言えない――死人となった今は特に――が、こいつ程ではないと思う。いや、思いたい。未だ、まともに自分の顔面がどうなってるか目視で確認していないため自信は無いが、人外に負けるほどでは無いだろう。隆雄は胸の内でそう自分を誤魔化す。
(いい勝負ですよぉ)
(ッスね、どっちも人外ッスし)
(ちくしょおおおおっ)
心無い脳内の声に涙しつつ、少女の前に出る。ちょうど巨人とにらみ合う体となった。
「タ、タカオ……」
少女の声は震えていた。
「時間を稼げばどうにかなるか?」
「え?」
お楽しみを邪魔されて不快気に隆雄を睨む巨人と相対した死人が、背中越しの少女に声を掛ける。
「アンタの魔術とやらで、あのデカブツ共は仕留められるかって聞いてるんだ。正直、あれ相手にどれだけ持つかわからんが、何とか時間を稼いでやるからさ、その間に何とかしてくれよ」
それが自分に出来る精一杯だ、と死人は少女に語る。
死人の言を受け、その内容を理解すると、魔女は数瞬思考を巡らせた。
「……さ、3分、いえ、1分稼いで下さい。飛行用の結晶刻印を攻撃用にオーバーライドしますっ」
飛行結界を展開するための結晶刻印を初期化して攻撃術用に上書きし、回路を付け足してバイパスする事で増幅器を使用可能にする。壊れたとはいえ、攻撃術用の結晶刻印は残っているのだ。刻印パターンを抜き出してそのまま移し込めば時間の節約になるだろう。
細かい補正はニム自身が代替すればいい。杖の結晶に施された攻撃術が図式が比較的単純な炎術であることも幸いしたといえる。
「よくわからんが了解だ。1分くらいならなんとか……なるかな?」
乱杭歯を剥き出しにして威嚇する巨人を見ながら、隆雄は自信なさそうに呟いた。
(そこは嘘でも「そのくらい任せておけ」とか言っときましょうよ! まったく、飯村さんがこんなにヘタレだとは思わなかった!)
(西田君、おにいさんにそんな甲斐性ある訳無いでしょぉよ)
(お前ら、もうちょっと俺に優しくなれないかなあ?)
「そんなに言うなら3分どころか5分だって余裕で持たせてやるわいっ!」
「へ? あ、あの、ありがとうございま、す?」
思わず声に出た二人への突っ込みに、目を白黒させて問う魔女に、なんでもないと誤魔化しにもなっていない一言で誤魔化すと、隆雄は巨人に向かって歩を進めた。時間を稼ぐとは言ったものの、今現在の隆雄の武器は、死人であるがゆえのリミッターを無視した筋力と、死亡時点以上には再生しない奇妙な再生力。あとは正体不明の赤い管くらいである。だが、岩に食い込ませる事が出来る程の強度の管だ。うまく使えば充分に時間稼ぎが可能であろう。隆雄は左手を目の前に持ってくると、手先から管が伸びる様をイメージした。指の先端から赤い管が肉を突き破って出現する。5センチ程突き出た細い管は、隆雄の意思に応じてピコピコと前後左右に自在に動いた。
(触手プレイキターッ!! 人類の夢キターッッ!!)
ホントにそんなのが夢でいいのか人類。
脳内でわめく西田に突っ込む。この管と、隆雄自身の膂力で巨人を足止めする事が出来るだろうか、考える。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」とは孫子の教えであるが、今の隆雄には、敵どころか己も計り知れない。よって、判らないという答えしか出ない。
とりあえずやってみよう。結局、思考は無難なところに落ち着いた。
「おっしゃおらあああっ! ……って、ちょっ、加速しすぎいいいいっ!!」
隆雄は地面を蹴って巨人に向かって走り出した。だが、自分のリミッターを外した筋力を把握していなかった為に加速する体に思考がついて行かず、隆雄は焦って叫んだ。
巨人はもう目の前だ。せっかくの勢いを殺す訳にも行かない。どうする? こうなったらとりあえず思いっきりぶつかって、まず巨人の動きを止めよう。隆雄は自棄になって更に地面を強く蹴ると、更に己の体を加速させた。
手長巨人がその突進に反応して右腕――長い方の腕を力任せに横薙ぎに振るった。
受け止めるか。一瞬思考するが、加速によって自重が増しているとはいえ、彼我には明確な体重差がある。受け止めきれなければ弾かれて距離が開いてしまうだろう。それは即ち、後ろの少女への障害が無くなることを意味する。即座にその選択肢を打ち消した。
それに、この勢いを殺したくは無い。
隆雄はリミッターを外した脚力を駆使し、全力で大地を蹴る。鈍い音がした。脛骨――つまり足首から膝までの骨が、隆雄の筋肉が生み出す力に耐えかねて潰れた音だ。一瞬で生み出された凄まじい反発力は、隆雄の全身を一つの砲弾へと変えた。
蹴り足を揃えて、巨人の胸元目掛けて飛び込む。所謂ドロップキックという奴である。巨人の右腕は、狙いを外れて空を掻き、長い腕ゆえに体が勢いに流される。隆雄の放った蹴りは、腕を振りぬいた為に身を屈めた巨人の顔面を、カウンター気味に蹴りぬいた。
受け身も取らずに地面に落ちる隆雄。巨人の反撃を警戒して、後方へ一回転して起き上がる。
「あれ?」
待ち構えていた反撃は来なかった。隆雄の全力の蹴りは、巨人の隆々とした首の筋肉を持ってしても受け止め切れなかったのであろう。目の前には、力なく腕を落し、舌をだらりと垂らして首をあらぬ方向へ折り曲げた躯。あまりのあっけなさに、隆雄は間抜けな声を上げた。
ズシン、と音を立てて巨躯が沈む。飛行用の結晶刻印を初期化したニムは、その様を呆然と眺めていた。ものすごい加速の後、一瞬沈み込んだタカオが、次の瞬間巨人の顔面に突き刺さっていた。言葉にすればそれだけの事であるが、それは非常識極まりない光景であった。今までの悲壮感に満ちたやり取りは一体なんだったのか。
だが、巨人は倒れたその一体だけでは無い。一瞬の忘我の後、その事に思い当たったニムは慌てて初期化した結晶に攻撃術式を刻印していく。
隆雄たちに向かって来ようとしていた他の巨人達も、思わぬ伏兵の存在に驚き立ち止まっていた。たった一人の貧相な死人が、弱肉強食の巨人族の中で生き残ってきた仲間の一人をあっけなく蹴り殺したのだ。だが、驚きは一瞬だ。強敵の出現に巨人達は戦意を漲らせる。弱い敵を甚振って殺すのは好きだが、それ以上に強い敵と戦って倒し、その血肉を喰らうのは巨人達に快楽をもたらす。戦いの期待に巨人達の殺意が膨れ上がったその時。
岩山全体に轟く様な、凄まじい咆哮が響いた。ビリビリと、周りの石柱が震える。
「ひぃっ!!」
「うお、な、なんだ?」
あまりに凄まじい音と衝撃に、ニムは思わず両耳を塞いでしゃがみ込み、隆雄はキョロキョロと辺りを見回した。
隆雄達の方へ向かってこようとしていた巨人達の動きがピタリと止まった。先程までの隆雄への敵意が、何かへの――察するに先の咆哮の主への恐れへと摩り替わっていった。
お互いの顔を見合う巨人達。その顔に何か忘れていた事を思い出したかのような、大きな失敗をやらかしてしまったような、そんな表情が浮かぶ。
警戒する隆雄をよそに、巨人達は一斉に咆哮が聞こえた方角へと走り始めた。
「なんだったんでしょう、今のは……」
「俺に聞くなよ……」
ニムの問いに隆雄は呟いた。
(元々、違う獲物を狙ってたとか?)
(あ、だったらあれッスね、あの軍隊)
「そういえば、巨人族達が向かって行ったあの方向、私達が来た方ですよね? ということは、彼らが狙っていたのは第六魔術都市の部隊だったってことでしょうか?」
あの凄まじい咆哮は、何時までたっても現われない別働隊への催促であったのだろうか。ならば、第六魔術都市の小隊を襲った巨人達はかなりの数になる。ニムは、組織立った襲撃をする巨人達を迎え撃たなければならない彼らに僅かながら同情し、それと同時にその襲撃から逃れられた自分達の幸運を噛み締めていた。
「……まあ、なんだっていいさ。これ以上俺達が襲われないならな」
「……そうですね」
隆雄達を捕まえて、こんな岩山につれてきた連中がどうなろうが、どうでもいい。それよりは、この僥倖に少しでもこの岩山から離れるべきだ。隆雄はそう言うと、巨人達が向かった方とは逆の方向へと歩き始めた。
「こんな事になるなら、飛行結晶を書き換えなければよかったです……」