05 君の犠牲は無駄にしないと言われた時の気持ち
「……そう言う訳で、私達は貴方達死者を魔術都市へと導く為にここへ来たのです」
「うん、サッパリ判らん」
隆雄は、ブランケットにワイヤーで簀巻きにされるという、なんとも情け無い状態で魔女――ニム・フラデウムと名乗った少女と会話していた。
ポロリとまろびでた粗末なものに魔女も動転したのか、幸いにも弾丸は隆雄に当たらず耳元スレスレを掠めて彼方へと飛び去っていた。
至近を弾丸が通り抜けた衝撃は、人間であれば三半規管が揺さぶられ、瞬時に気絶してもおかしくは無い程の物だ。
だが、死人である隆雄にとっては、撃たれた事に驚いて思わず尻餅をついてしまう程度の物でしかなかった。
弾丸が当たらなかったことを幸いに、慌てて逃げようとした隆雄であったが、何とか起き上がろうとうつ伏せになった所を踏みつけられて再び銃を突きつけられ、簀巻きにされたのであった。
その後、文字通り手も足も出なくなった隆雄に魔女は何事か話しかけるが、隆雄の言語能力ではさっぱり何を言っているのか理解できない。
知っている限りの言語――とはいえ、拙い英語とさらに拙い片言のドイツ語であったが――を尽くして、この魔女に言葉が解らないことを判らせようと喚き続けた。
隆雄の熱意が通じたのだろう、魔女は得心が言ったのか頷くと、隆雄の目の前に自分の被っていた軍用ヘルメットを置いた。
肩まで伸ばした亜麻色の髪が広がる。
魔女は風に揺れるその髪を鬱陶しげに片手で後ろに集めると、腰のポーチから紐を取り出して纏めた。
そして同じくポーチから4,5センチほどの細長い棒状のものを取り出し、ヘルメットを中心に隆雄を囲む複雑な図形を描き始めたのであった。
訳も解らぬままにその様子を眺めていると、魔女は書き上がったその図形に手を当てて目を閉じた。
魔女の手に淡く青い光が灯る。
そのしなやかな細い指先に青の光が集まる。どこか人の心を落ち着かなくするようなその青い光は、薄暗い荒野を明るく照らした。
指に集まった青光は、図形をなぞりながら広がっていく。
光が図形全体に広がると、青い光の線が図形の形を保ったままゆっくりと浮き上がっていった。
「これは……」
隆雄は神秘的なその光景に息を飲んでただ見つめる。
魔女が立ち上がり、手を振る。それを合図にしたかのように、浮き上がった光の図形はヘルメットへと流れ込み始めた。
光の図形が全てヘルメットへと収まると、魔女の指先の光も消え、地面の図形も消えていた。
「私の言葉が解りますか?」
初めて見た魔法への驚きに、呆然とヘルメットを見続ける隆雄。
そんな隆雄の驚きを意に介さぬかのように、魔女が隆雄を見下ろしながらそう話し掛けてきた。
「……今、のは……魔法なのか?」
「ええ、正確には、このヘルムに内蔵されている通信結晶の刻印を書き足して、意思疎通術式の範囲に貴方を繋げただけの簡単なものですが……」
魔女が答える。よく分からない単語があるものの、彼女の言葉が理解出来ている事に気付いた隆雄は、間の抜けた声で疑問を発した。
「あれ? 日本語?」
「ニホン語ではありません、意思疎通の魔術です。この術式によって言語に関係なく《言葉》に込められた《意味》を理解しているんです」
隆雄はしばし考え込む。言霊のようなものだろうかと、勝手に理解し頷いた。
その様子を見て、魔女も頷く。己の施した術が正常に起動していることに満足してのものだろう。
「どうやらちゃんと理解出来ているようですね」
「……ちょっと、聞いていいかな?」
「なんでしょう?」
「俺をどうするつもりなんだ?」
隆雄が、当然と言えば当然な疑問を魔女にぶつけた。わざわざ手間をかけて会話出来るようにしたからには、すぐには自分をどうこうするつもりは無いだろうと踏んでの質問である。
魔女はその疑問も当然とばかりに頷き、その目的を話し始めた。
――そして先程の遣り取りに至る。
「な、なにが解らないんですか!?」
「何もかもだああ! このバカチンがぁ! 都市の維持の為に燃料になれ、ってそんなもんなりたい奴がいる訳無いだろうが!!」
「そんな事はありません! 魔術都市の為の礎になるのは、とても名誉な事なんですよ!?」
「だったらお前等がなれよ! その礎とやらによ!!」
魔女の話を聞いた隆雄は思わずそう叫んでいた。
「大体、なんで俺と会話出来るようにしたんだよ? わざわざそんな手間掛けずに、強引に連れて行って無理矢理炉にくべればいいだけの話じゃないか!」
お前の末路はこうこうだ、とわざわざ教える為に会話が出来るようにしたのだとしたら、それは酷く悪趣味な行動だ。隆雄がそう告げると、魔女は心外であるとばかりに反論した。
「べ、別にそんなつもりで術式を施した訳では無いです!」
「じゃあ、どういうつもりだ!?」
「自我を残した死者は非常に珍しい存在なんです! しかも、浄化の本能に逆らって自由に動ける死者なんて聞いた事もありません。だから、それを調べる為に会話出来るようにしたんです! それにこの事を報告すれば、上だって無理に貴方を燃料にすることも無いはずです!」
魔女が興奮したようにそう語った。
大体、珍しいと言われても、隆雄以外にも自我がある死者が2人いたのだが……浄化の光とやらで釣って誘導してるから、自我のある死人に気付かないだけなんじゃなかろうか、あの時魔女が掲げた光の前に、浄化の本能に押しつぶされた経験のある隆雄は、そのような思いをチラリと脳裏によぎらせる。
「でも、それだって実験動物的なものとして、とりあえず調べ終わるまで燃料にするのは止めておこうって位の物じゃないのか?」
「それは……そうですけどっ、調査の過程で貴方が都市の役に立つと判れば、そうならない可能性だって有ります!」
悪いが、そうなる可能性の方が大きそうだ。隆雄がそう言って魔女を見上げたその時、少女の体が揺れ、痙攣したように震えて真横に倒れこんだ。
「あれ? 魔女さん? おーい」
隆雄が突然の事に焦って声を掛ける。魔女から答えは無い。
簀巻きになった体をくねらせて倒れた魔女に近づくと、瞼がピクピクと動いているのが見えた。どうやら生きてはいる様だ。隆雄は安堵してため息をついた。
何が起こったのだろうか、辺りに首を巡らせた隆雄は、その理由を知った。
魔女の向こうから、銃を構えた兵士が近づいてきていた。上空にはニムとはまた違った格好の魔女達の姿も見える。隆雄達は会話に夢中になっているうちに兵士達によって包囲されていたのだ。
ニムを麻酔銃で撃った兵士は、彼女に近づき無力化しているのを確認すると、その首に金属製の輪を嵌めた。
そして簀巻きにされた隆雄に近づくと、意味ありげにニヤリと笑う。
「自我を持つ死者か、確かに珍しい。これは上の方々に良い土産になりそうだ」
戦闘服に身を包み、歴戦の兵士然としたそのがっしりとした体格の男は、そう呟くと手を上げて後方へ合図を送った。
「えーと、どちら様で?」
男は隆雄の質問を無視して部下らしきほかの兵士達に作業を指示する。
兵士達が意識を失った魔女を担いで、遅れてやってきた輸送車の貨物スペースに放り込んだ。隆雄も2人の兵士に担がれて、同じ車両に放り込まれる。
「ちょ、もうちょっと扱いはやさしく!……」
隆雄が抗議の声を上げるが、意思疎通術式の基点となっていたヘルメットが近くに無いため、兵士達には通じない。もしヘルメットがあったとしても、兵士達が彼の言う事を聞いてくれたかどうかは定かでは無いが。
バタン! と乱暴にドアが閉められて、貨物スペースに闇と静寂が訪れた。
●
「し、師匠! いいんですか? あの魔女と死者捕まっちゃいましたよ?」
荒野で作業を始めた武装集団から遠く離れた岩の陰、一組の男女を乗せた一台の魔動力式四輪駆動車が止まっていた。
不可視化術式を施した探査用端末の操作をしながら、助手席にいる『師匠』と呼ばれた痩身の男に声を掛けた、彼の弟子である眼鏡の女性、キアラ・セルヴォーに彼女の師が返事を返す。
「いいんですかも糞も、どうしようも無かろう、相手が悪いわ!」
荒野に現れた武装集団は、第六魔術都市《クーラテール》所属の混成魔術部隊であった。 導魂任務に来たのであろう、既に魔女を展開して警戒態勢を取っていた。
「ぐぬぬぬぬっ、第六の阿呆共めが!このワシに断りも無く勝手にワシの研究材料に手を出そうとは……許せん! 目に物見せてくれるわ!!」
師弟は《死の川》付近をうろついている内に《大天使》こそ見つけられなかったものの、自我を持った死者とそれを拿捕した魔女を発見し、探査端末でもって2人を監視していたのであった。勿論2人が捕まるところも見ていた訳だが、相手は訓練された戦闘のエキスパート、対するこちらは対魔物用に武装してあるとはいえ、戦闘に関しては素人同然の2人である。戦う前から勝負は見えている。迂闊に近づいてその身を危険に晒す訳には行かなかった。
「今さっきどうしようも無いって言ってたじゃないですか?どうするつもりなんです?」
暫し男は考え込み、おもむろにポンと手を叩き、
「ふむ、閃いたぞ我が助手よ。君が一丁全裸にでもなってこう、腰の一つもくねらせながら近づけば、あやつらくらい簡単に篭絡できるのではないかな?」
「師匠が全裸になって近づいた方が良いんじゃないですかね? きっと連中の目が潰れて簡単にサンプル奪取できますよ?」
下らない冗談をかますセクハラ師匠に弟子が半眼でそう返す。
ふむ、検討の余地はあるな。等と真剣に考え始める己が師匠に心の中でため息をつき、キアラは男に提案した。
「とりあえずは様子見で、隙を見て近づいて目標を奪取ってことでいいですね?」
「ま、それが妥当であるな」
師弟は頷き合い、武装集団の監視を始めた。
●
ニムを眠らせ、隆雄達を捕えるように指示した兵士。
第六魔術都市《クーラテール》所属の混成魔術部隊隊長、エディオネルは、思わぬ収穫に頬を緩ませていた。
滅多に見る事の出来ない彼の笑みに、すわ天変地異の前触れかと、部下達がギョッとした顔を見合わせるのにも構わず、エディオネルは激を飛ばす。
「そろそろ魔物達の活動が活発になる区域に入る。周囲の警戒を怠らぬ様に徹底しておけ!」
「り、了解であります!」
普段は部下達に《鋼の仏頂面》、《悪魔すら怯える不機嫌顔》などと影で呼ばれている彼であったが、順調に進んだ導魂任務に加え、仮想敵でもある第八魔術都市の魔女の鹵獲、さらに世にも珍しい、自我を残した死者というオマケまで付いてきたのだ。上機嫌にもなろうというものである。
その彼、エディオネル率いる一個魔女分隊、二個小銃分隊にて構成される混成魔術小隊。
彼等は、擬似浄化光で死者達の集団を率いつつ警戒区域――根元力が薄く、魔物達がうろつく危険区域へと足を踏み入れていた。
第六魔術都市への帰途はおおむね順調に進んでいる。道中、小型の魔物が数体、無謀にもエディオネル達を襲ってきたが、あっという間に蜂の巣にされていた。
「今回の任務は楽に終わりそうですな」
副官がニヤリと笑って言う。
「まだこれからだ。「死の川」から遠ざかるこれからは、魔物も数を増やす。帰り着くまでは気を緩めるな」
根元力――エーテルとも呼ばれるそれは、魔力へと形質変換する事によって各種術式を使用可能にする、所謂魔術の行使に必要不可欠なエネルギーだ。
そして、魔術をその都市機能の維持の殆どに頼る、辺土に住まう人々の生活に必要不可欠な力でもある。
だがしかし、根元力には弊害も大きい。
生体にとって有毒なのである。
少量ならば問題は無い。だが、短期間に大量に浴びる事で大半の生物は死に至る。
更に、濃度の高い根元力は、稀に生物無生物を問わず変容させてしまう。
変容したモノは、その攻撃性を増して人を襲い喰らう忌わしき化物、所謂魔物と呼ばれる存在へと堕するのである。
「死の川」と呼ばれる死者達が歩み続ける地域では、特に根元力による汚染が大きい。普通の人間が、何の装備も生命維持術式も無く近づけば、小一時間程で死亡して死者の流れに加わることになるか、魔物となって血を求めて彷徨うことになるだろう。
そして高濃度の根元力は、変容した魔物達にとっても有害だ。
魔物達はある意味、根元力に適応したといえる種である。しかし、あまりに濃度の高い根元力は、彼等をも狂わせ、殺してしまう。
その為、「死の川」付近には滅多に魔物は近づいてこない。
稀に根元力の濃さに耐えられる個体がやってくることもあるが、顕現した《天使》によって駆除されてしまうことが殆どであった。
これからのエディオネル小隊の道のりは、根元力の少ない地域における魔術行使の難易度上昇に加え、血に飢えた魔物達の生息域を、数百人の死者を誘導しながらの行軍という危険極まりないものだ。周囲への警戒は怠れない。今回のように上首尾であればあるほど、油断して見落としが出ることが多いものだ。
気を引き締めて掛からねば。エディオネルはそう考えると、仏頂面を作り、部下達の配置を指示した。
●
ニム・フラデウムが目を覚ました時、そこは真っ暗な空間であった。ひんやりとした感触を頬に感じることから、金属製の床に転がされている様だ。床から聞こえる魔動力式発動機特有の規則的な振動音と、時折感じる不規則な揺れから考えるに、輸送用の車両の中にいるのだろうか。
いつの間にか眠ってしまっていたのか。そう考えつつ、先輩達や同僚の姿を探してぼんやりと辺りに目を彷徨わせた魔女であったが、瞬間、脳裏に先程までの出来事――導魂任務の失敗や先輩魔女達を失った戦闘、不思議な死者を捕縛したこと、突如襲った体の痺れに、近づいてくる兵士達など――が浮かび、一気に正気を取り戻す。
意識を失う寸前に見えた武装した兵士達、よくは覚えていないが第八魔術都市の制式武装ではなかった様に思う。鑑みるに他都市の導魂部隊だろうか。
いきなりの攻撃から考えて、交流のある第四や第九、中立を標榜する第一ではないだろう。彼等なら、たとえ攻撃をしてくるにしても、まず警告があるはずだ。《死の川》の対岸方向にある第二、第七も候補から外す。
ならば、交流の無い第三、第五、第六のどれかだろう。
そう推論するとニムは次に、現状を把握する為に体の状態を確かめる。
両手は後ろ手で拘束されており、両足も同様に拘束されている。杖も武装も無い。首には環のようなものが取り付けられていた。感触から察するに金属製、この環の用途は魔術行使を阻害する抑制用の封環であろうと当たりを付けた。
魔術さえ使えればこの程度の拘束なら何とかなるかもしれない。難易度は高まるが、思考による術式の構築も出来なくは無い。だが、首に付けられた封環の種類によっては脱出は困難になる。魔力と術の構築、どちらを抑制するものか確認しなければならない。ニムは己の体内の魔道機関に導栓を伸ばした。
車両の魔動力式発動機より漏れる僅かな根元力を吸い上げて魔力へ変換する。
その瞬間、生成された魔力は首に嵌められた環によって急速に吸い上げられた。魔力を作り出す事が出来ない。
どうやら魔力を抑制するタイプの封環であるようだ。ニムは先程吸い上げられた速度から、魔術行使に必要な魔力を計算する。これならば、根元力の濃い地域で導栓を全開にすれば、拘束を逃れる程度の魔力は作り出せそうだ。
「第八の機甲魔女をなめないで欲しいですね……」
己を奮い立たせるように口の中で呟く。それに呼応するように、ニムが生成した魔力を吸い上げた首の封環が淡く輝き、部屋の中を照らした。
『うお、まぶしっ!!』
男の声が響いた。自分以外に誰かいたのか、驚いてニムが声のした後方へ体を向けると、すぐ後ろに簀巻きにされて転がされていた顔面ズル向けの死者と目があった。
硬直する。
死者はぎこちなく微笑もうとでもしたのであろうか、カタカタと顎を鳴らして表情を歪ませるが、残念ながらニムにとっては威嚇にしかならない。
「――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
声にならない悲鳴が室内に響き渡った。
●
一時はパニックになりかけたニムであったが、なんとか自身の心を落ち着ける事に成功した。とりあえず傍らに転がされた死者の事は意識の外に置く。意思疎通に使用していたヘルムが見当たらない為、このニホン語とやらを操る自我を持った死者との意思疎通が出来ない事がその主な理由だ。
なにやらこちらに話しかけて来る死者を無視して、ニムは現状把握を続ける事に努めた。
いきなり彼女へ向けて麻酔弾を打ち込んでくるような連中である。
彼等と交渉して拘束を解いてもらい、部隊の責任者に隣の煩い死者の所有権を主張したところで無駄であろう。簡単に握りつぶされてしまうのは容易に想像できた。
すぐに殺さなかったのは情報を得る為だろうが、必要な情報を得たならば、欠片の迷いも無く、彼女を他の死者と一緒に浄洸炉の燃料にしてしまうだろう。辺土に生まれた以上、死後は都市を維持する為にその魂を捧げる覚悟はある。
だがそれはあくまで第八魔術都市に対してである。何ら関わりの無い他都市の燃料になるなど願い下げだ。
最悪の想像に、ニムは恐怖し身を震わせる。
『お、おい、泣いてるのか? 俺の顔そんなに怖かった? やべーな、泣いてる女の慰め方なんか俺さっぱり判んないんだが……こういう場合やっぱり肩なんか抱いて胸貸したりするべきなのかねー、って簀巻きじゃ何にも出来無いんですけどー!』
隣の死者が震えるニムに気付いたのか、気遣うような調子で声を掛けてきた。相変わらず内容はわからないが、燃料にしようとしている死者に慰められる燃料にされそうな魔女という奇妙な構図に、なんだか笑ってしまいそうになる。
いつの間にか震えは収まっていた。ニムは煩い死者に大丈夫と目で語りかけ、気を取り直して辺りを見渡す。首の環から漏れ出る光は淡く儚いものであったが、闇に目が慣れつつあった今の彼女には充分な明かりであった。
水の入っているであろうタンクや資材、食料等が目に入った。どうやら資材運搬用の支援車両を、彼女達の護送車代わりとしているようだ。
見張りの兵は居ない。
導魂任務の方に人手を割かれているのだろうか。それとも魔術を封じている以上、ただの小娘と変わらない彼女に出来る事は無いと踏んでの物であろうか。侮られている事に憤慨しつつも、これを好材料と考えることにする。
脱出する機会は必ずある。ニムは訪れるであろうその時に備え、体を休める為に再び目を閉じた。
●
「暇だ……」
隆雄は1人闇の中で呟いた。
隣に転がっている魔女の首に嵌められた環からは、とっくに光は失せており、大分闇に目が慣れてきた中で聞こえてくるのは、輸送車のエンジンの音のみだ。
話し相手にと魔女に話しかけるものの、彼女からの反応は全く無い。
田辺か西田でも此処にいれば、この退屈も少しは紛れるのだが、残念な事に気づいた時には隆雄は1人きりだ。無い物ねだりはしてもしょうが無い。
(そうでもないですよ?)
どこからか田辺の声がした。
「え?」
思わず声が出る。
魔女が隆雄を睨む気配を感じた。静かにしろと言うことだろうか。魔女からの視線を無視して、思わず辺りを見回すものの、当然の事ながら小男の詐欺師の姿は見当たらない。
気のせい、か……立て続けにいろんな事が起きたせいで、幻聴でも聞いたのだろうか。死人が幻聴とか聞くのかどうかは定かでは無いが、それ程一緒に居た訳では無い彼の声を幻で聞いてしまう程、自分は人恋しくなっているのだろう、と隆雄は結論付ける。
(幻聴とは、失敬ですなぁお兄さん。自分から話したいと望んでらっしゃったクセに……)
また聞こえた。
「たた、田辺さん? ど、何処にいるんです?」
幻聴では無い、と幻聴に言われた。隆雄は何が何だか解らなくなった様子で田辺に呼びかける。
(何処、と言われましても……なんですなぁ)
「なんです?」
(飯村さんの中、と言えばいいんでしょうかなぁ、この場合)
(あ、俺もいるッス)
「えええええええぇっ!!」
西田の声まで聞こえた。それに《俺の中》ってどういう事だ!? とうとう自分の頭はおかしくなったのか、隆雄の理解を超えた事態に、奇怪な叫び声を上げてしまう。
(まあまあ、落ち着いてくださいよ、お兄さん)
(そうッスよ飯村さん)
「これが落ち着いていられるかっ!!」
叫んだ途端に、ゴスッっと音がして、頭に衝撃が走り、簀巻きにされた体がゴロゴロと隅の方へ転がっていく。
『うるさい! 静かにしなさい!!』
「……す、すいません」
いつまで経っても静かにならない隆雄に痺れを切らした魔女が、体をずらして拘束された足で実力行使に出たのであった。
魔女はフンッとそっぽを向き、目を閉じる。
「怒られたじゃないか……」
言葉が解らなくても、魔女がイラついているのが判る。
(別にわざわざ声に出さなくても、お兄さんの声は聞こえてますよ?)
(そうッスよ、さっきから俺たち飯村さんの思考に返事してたッス)
それを先に言って欲しかった。またもや魔女に睨み付けられた隆雄は肩をすくめ、先程の遣り取りを思い返す。確かに田辺は、先程の隆雄の思考に対して返事を返していた。こうだろうか? 隆雄は声に出さずに思考のみで2人に話しかけた。
(こんな感じで聞こえるか?)
(そうそう、そんな感じです)
(バッチリ聞こえるッス)
どうやら大丈夫なようだ。思考で会話する方法を覚え、魔女に睨まれる事も無くなった事に安堵しつつ、隆雄は《自分の中》にいると言う2人に疑問を発した。
(んじゃ質問だ。なんでアンタ等が《俺の中》とやらにいるんだ? っていうか、俺の体はどうなってるんだ?)
(いい質問ですねぇ、お兄さん。あなた、あの時私達が妙な光に惹かれて追いかけて行ったのを覚えてますか?)
(魔女ッス、魔女がいたッス)
魔女なら今俺の隣に寝てるよ。隆雄は思わず西田に突っ込みそうになる。
(妄想乙)
(妄想じゃ無いし!)
(いやいや、お兄さん。お話つづけていいですかねぇ?)
すまん。と謝って田辺に話を促した。
(魔女が掲げていた光を追いかけていた時に、あたしたちの後ろで起こった光と爆発。そのせいであたしたちは文字通りバラバラになって吹き飛びました。この辺はあたしたちもあんまり記憶に無いんですがね?)
隆雄は田辺のその言葉に、何かを思い出しそうになる。縫いとめられた胴体、胸から千切れた体、それでも何かに付き動かされて、光を追い続けた自分。
(それで、意識を失っちまって、気が付いたらお兄さんの中にいる自分に気付いたってわけでして)
(何か赤い管が体に刺さってきた記憶があるッス)
2人の言葉に隆雄の記憶が更にこじ開けられる。最後に赤い石を掴んだ胸から上しか無い、片腕の隆雄、石から伸びた管が隆雄の周りの死人に刺さって引き寄せる光景、沢山の死者が一つに、一人の死人へと変わる光景を、飯村隆雄という自我が、どこかで他人事のように見ていた気がする……
(じゃあ……俺たちは一度粉々になって、その後ミキサーにかけたみたいに、一つに混ざり合ったってこと……なのか……?)
(そう言う事になりますなぁ)
(男と一つになるとか、キモイッス)
真剣に悩むのが馬鹿らしくなるほど軽い返事が返ってきた。
ゴトゴトと揺れる車中で簀巻きにされて床に転がる死人と、これまた両手両足を拘束されて転がる魔女。両者に言葉の遣り取りは無い。
というか、使用する言語が異なるため、そもそもコミュニケーションの取り様がないのである。
必然、両者ともに黙り込み、現在輸送車内は静寂に包まれている訳であるが、沈黙の理由は両者で異なっていた。
魔女は脱出に備えて無駄な力を使わぬように。
死人は知らぬ間に己が内に取り込んでいた2人の死人と脳内で語り合う為に、である。
(それで、お兄さん。これからどうするお積もりで?)
(どう、とは?)
死んだと思っていた(もちろん既に死んでいるが)2人に、形はどうあれ再会できた喜びに隆雄が浸っていると、田辺が隆雄にそう尋ねて来た。
意図が解らず隆雄が聞き返すと、
(いえね、何時まで簀巻きのままでおられるのかなぁ、と)
好きでなっている訳では無い。
あのときは、魔女に銃を突きつけられて動きを封じられていた。
唯の一般人である隆雄が、銃という暴力の象徴相手に何が出来ると言うのだろうか。銃口の前に晒された際のプレッシャーは凄まじく、並みの胆力では抗うことすら出来ない。
田辺はそういう目にあった事が無いからこそ、そのような無責任な事が言えるのだ。
詐欺師の物言いに、隆雄は僅かに怒りを覚えてそう思考した。
(いやいや、お兄さん。死体が銃に脅されて怯んでどうするんですか……)
思いもよらぬ田辺の言葉に、隆雄の思考が暫し止まる。
(いいですか? あたしたち、というか、貴方は死人なんですよ? 荒野を歩いてる間に、痛みとか空腹とか、そう言う物を感じた事とかありましたか?)
そう言われて思い返すと、確かに痛みなど一切無かった。無かったことが、隆雄が自身を死人に成り果てたと認めさせる一因であったのは確かだ。
(我々にはもう、痛みってぇ奴を感じる感覚なぞは無いんです。肉が千切れようが、骨が砕けようが、気にすること無く動くことが可能なんですよ。そんな拘束、力ずくで抜け出してしまえばいいんですよぉ)
(脳のリミッターがないから筋力全開ッス! 怪力無双ッスよ!!)
その発想は無かった。だが、細めとはいえ、鋼鉄製のワイヤーを引きちぎるほどの力が出せるものだろうか。
隆雄は、物は試しとばかりに体に力を入れてみた。腕を広げようとするその力に耐えかね、ワイヤーがギシギシと音を立てる。力の入れようが無い左腕にワイヤーが食い込む感触があるが、隙間さえ空けて右腕が自由になれば、後はどうとでもなる。
これはいけるか……
少しだが隙間が出来た。力を入れると共にワイヤーの立てるギシギシという悲鳴が大きくなり、空いた隙間が更に大きくなったように思える。簀巻きからの脱出の目が見えてきた事に隆雄は喜び勇み、隆雄は調子に乗って更に力を込める。
全身に力を入れために、隆雄は体をくの字に折り曲げて気合を入れる。ワイヤーが瞬間的に加わった力に耐えかねて、バチンッ! と、大きな音を立てて爆ぜた瞬間、
隆雄の肉体が一回り大きく膨れ上がり、隆雄に取り込まれて一つになる前に、死人達が身に付けていたと思しき様々な品――時計や指輪、ネックレス等の装飾品や服、杖やナイフなどが、弾丸のごとき勢いで周囲に撃ち出された。