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04 悪魔は来たれり、魔女は去れり




 大天使の自爆による光爆の衝撃波によって横倒しになった装甲車を起こした魔女達は、すぐさま車体の点検を始めた。


 起こした装甲車両を点検する。

 とは言っても、それほど時間は掛からない。主な部分は契約している小悪魔グレムリンにやらせるからだ。

 ニムは、エンジン点検用のハッチに手を掛けた。

 蝶番に歪みがあるのか、耳障りな軋み音を立ててハッチが開く。

 横倒しになった際の衝撃で歪んでしまったのだろうか、ニムは慌てて完全にハッチを開いて裏面を確かめる。

 ハッチの裏には、悪魔召喚用の魔法陣が刻まれていた。

 魔女は魔法陣に歪みがないのを確かめると、ホッと息を吐く。小悪魔を呼ぶのに支障はなさそうだ。


 魔法陣の点検を終えたニムは、導栓を開くと陣に魔力を通し始める。

 魔女の流した魔力を鍵に、悪魔と呼ばれる存在が住まう異界と辺土に通路パスが開いた。

 その通路を潜り抜けて、契約を交わした悪魔が現界する。


 コルク栓を引き抜いた時のような軽い音と共に煙が吹き上げ、軍用ジャケットに赤いブーツ姿の片目に眼帯のようにベルト付きの拡大鏡を装着した、黒い兎によく似た悪魔が魔方陣より飛び出てきて叫んだ。


「契約により、馳せ参じまして御座る!」

「では契約により、車両の点検整備をお願いします。報酬はいつものように」


 ニムは現れた小悪魔(グレムリン)に飴玉を一つ放ると、装甲車の点検をするよう命じる。


「畏まりまして御座る」


 鉤爪の付いた四本の指で飴玉をキャッチした小悪魔(グレムリン)は飴玉を頬張るとニヤリと――本人はニッコリと笑った積もりなのだろう――笑うと、ボリボリと音を立てて噛み砕き始めた。


「うむ、やはり飴玉はニッキ飴に限るで御座る」



 ●



 あとは点検が終わるのを待つばかり、そう考えながらエドラとセスティカに報告しようと振り向いた時、クレーターの方向をじっと見つめるエドラが目に入った。


「どうしたんですか? エドラ」


 そう言ってエドラの見つめる方角へ目をやったニムにもそれが見えた。


 抉れた大地に佇む大きな人影。


 天使であろうか?

 咄嗟にニムはそう考えると、視線は人影から外さぬようにしながら、立て掛けてあった魔道杖を手で探ると握り締めた。


 人影が酷くゆっくりとした動作で歩いて近づいてくる。距離はまだあるはずだが、人影が大きな為かそれほど遠くに見えない。

 ニムは何時でも飛び立てるように魔道杖に魔力を送り込み始めた。


「多分違うわねぇ、天使なら飛んでくるはずだもの」


 そうして二人で顔を見合わせ、頷く。危険性があるものなら、排除しなければならない。


「行って見ましょう」

「面白そうだし、行ってみましょー」


 二人の魔女は人影に向かって飛び立った。


 

「あれは……、死者?」


 そこにいたのは確かに死者であった。

 疑問形になったのは、その死者の大きさの為だ。ざっと見て、その死者の身長は6メートル近くに見えた。


「なんて大きさ……」

「……ねえ、あれ」


 エドラが指差す先は、死人の胸と腰の辺り。そこには突き出た腕に握られた、それ自体も死肉に半ば埋もれた見慣れた杖があった。


「ま、まさか、あれは……」

「魔道杖……だよね?」


 二人は同時に一つの可能性に気付く。この死者がどうやって現れたか。その可能性に。


「そんな、そんな……」


 ニムは動揺し、うめき声を上げる。


「ニム! 隊長達に連絡を!!」

「えっ……えっ!?」


 動揺からいち早く立ち直ったエドラは、ニムにそう言うと、増幅器(ブースター)を使って炎槍を作り出す。


 増幅幅の全てを威力に振り分けた特大の炎槍だ。普通数本に分けて創り出す所を寄り合わせる事で一つに纏め上げた。束ねることで威力も大きくなるが、制御も難しくなる。エドラはそれを自分の前方に出現させていた。


「いっけええぇぇ!!」


 巨大な死者に撃ち込む。

 死者は避ける素振りも見せない。

 炎槍が死者の胸に着弾した。


 ――――轟音


 死肉が飛び散り、燃える。否、炎の槍を受けた部分が炭化する。

 死人の胸に風穴が空いた。


 やった!そう思ったのも束の間、炭化した死肉はボロボロと地面に落ちる。

 炭化部分が全て落ちると、突如開いた穴の周辺の死肉から死者がズブズブとその体を突き出した。

 出現した死人たちは、重なり合って再び溶け合い一つになる。炎槍によって空いた穴は、即座に彼等の死肉によって埋められていた。


「なにそれー、ずるいいぃぃ!!」


 エドラが驚愕の叫びを上げた。


『どうしたの!? 何が起こっている?』


 炎槍の爆発音で騒ぎに気付いたセスティカから、ニムに通信が来た。


「し、死者、巨大な死者が装甲車に向かって近づいてきています! あの死者っ…… 他の死者を、私達の仲間を! 皆を取り込んで巨大になっています!!」

「だみだー、最大威力で炎槍打ち込んだのに、全然堪えて無いよー」


 二人の声に、切迫した事態であることを悟るセスティカ。


「あれじゃないか?」


 ベルヒルデが寝床から顔を起こし、爆発がした方向を見やる。


 そこには、巨大な人影相手に戦闘を繰り広げる二人の魔女の姿があった。


 セスティカはベルヒルデと共に顔を見合わせた。


「でかいな……あのような死者は初めて見る」

「はい、ですが、二人からの通信の通り、大量の死者の集まりなのだとしたら……」

「――ああ、あれを連れて帰る事ができれば、都市の維持には充分使えるな」



 ●



 巨大な死者と交戦を続ける二人の魔女を見ながら、セスティカとベルヒルデは会話を続ける。


「問題となるのは、現在保持している戦力の少なさだ」


 通常の導魂任務でさえ、死者の群を率いて都市まで戻るのに魔女達が交代しつつ、丸2日掛かりで荒野を進むのだ。実質魔女3人だけで、魔物がうろつくこの荒野を死者を誘導しつつ、三百キロ近い距離を踏破するのは無理があった。


「では、監視を?」

「そうなるな。他都市に横合いからかっ浚われるのも業腹だ」


 この辺土(リンボ)と呼ばれる世界には、九つの魔術都市がある。そのどれもが死者を燃料とする浄洸炉を採用しており、それを中心として成り立っていた。当然どの都市も、死者(燃料)を確保する為の部隊を持っており、中には導魂任務中の他都市の部隊を強襲するための部隊も存在する。


「誰か一人を残そう。マーレボルジェへ戻ったら、急ぎ交代要員を送る。我々は部隊を編成しなおして出直しだ」


 とはいえ、魔術都市へ帰投した後、導魂任務は他の魔女隊に引継ぎという形になる可能性が高い。下手をすれば、第三機甲魔女部隊は解隊、隊員は他部隊へ吸収となるだろう。

 口には出さない。だが、セスティカもその思いを感じ取ったのだろう、無念そうに唇をかみ締める。


「あの二人にもう少し時間を稼ぐように伝えてくれ。その間に装甲車で死者から距離をとる。監視には……」

「私が行きます!」

「いや、君の経験と索敵能力は帰還の為に必要だ。新米二人と足手纏い一人では、帰り着く事すらおぼつかない。……そうだな、フラデウムが適任か、彼女は突発的な事態には弱いが、考えて動くことが出来る。」

「エドラは勘任せな所がありますからね」

「土壇場に強いのはいいんだが、若干浅薄なところが不安だからなぁ」


 顔を見合わせ笑う。そうしてセスティカは、装甲車の通信結晶を操作し、交戦中の二人に指示を送った。




 魔女二人の攻撃は続く。


 セスティカから時間稼ぎの指示を受けた二人は、入れ替わり立ち代わり、炎弾と炎槍で攻撃を仕掛ける。だが、炎弾では小さな穴が空く程度、炎槍も中ほどまでは突き刺さるも、そのまま屍肉に押し潰されて消えた。開いた穴はすぐさま塞がれてしまっていた。


「うーん、このままじゃ埒があかないよぅ」

「炎術系では効果が薄いようですね」


 ニムも漸く動揺から立ち直った様子だ。


「そんな事言っても、あたし達の魔道杖じゃ炎術しか使えないじゃない。射出型術式は、減衰酷くて杖無しじゃダメージ与えられないよー?」


 第八魔術都市(マーレボルジェ)謹製の機甲魔女隊制式魔道杖は、通常、飛行術式と射出型攻撃術式一種が結晶刻印として内臓されている。威力の強弱、数の増減などは魔道杖に取り付けられた増幅器(ブースター)を使って行われていた。荒野へ出る魔女達は、その汎用性の高さから、杖に内蔵する術式用の結晶を炎術にする者が多い。 


「ならば……エドラ、炎槍を死者の足元に向けて撃ってください」

「えー? 足なんか撃ってもすぐくっ付いちゃってたじゃない?見てたでしょ?」

「だから、足元を狙うんです」


 へ? という顔をするエドラ。だが次の瞬間にはニムの言いたい事を理解したのか、笑顔が顔に広がる。


「なるほどー、文字通り、『足止め』するのねー」

「そういう事です」


 エドラの笑みに頷き返すと、ニムは死者の足元の地面に狙いを定めて炎槍を解き放った。






 遠くから立ち上る爆炎の炎と煙、断続的に続く微細な揺れを体に感じながら、魔女、セスティカは装甲車のエンジンハッチを片手で開き、中で点検整備を行っている筈の小悪魔(グレムリン)に声を掛けた。


「異常は有りましたか?」

「これはこれは我等が契約主であられる所の魔女殿。このようなむさくるしい場所に態々足を運んでいただけるとは……誠に恐悦至極に御座いまする」


 妙な口調で直立する黒いウサギが返答する。


「挨拶はいいから答えなさい。異常は有ったの? 無かったの?」

「有ったともいえますし無かったとも、うむ、すべからく人の生きる道には異常が待ち構えておりますものでして…… 男子たるもの、玄関から出れば108人の敵とまみえる覚悟を持て! と、我輩の死んだ婆様が申しておりまして御座るよ、ははは」


 杖を突きつける。


「異常無しでござる。つきましては空気を読んで急いで仕上げた我輩に特別ボーナスを……」


 ハッチを叩き付けるように閉めた。

 まだ何事か叫ぶ声が聞こえたが気にせず、ベルヒルデを助手席に運び、ハーネスを付ける。自分も運転席に座り、駆動機を始動させた。



 ●



 地面を不整地にすることでの足止めは、思った以上に功を奏し、死者はその歩みを大きく減じていた。

 ベルヒルデ達の装甲車も、無事に動き出したようで、死者との距離を開けている。


「そろそろですかね」

「うん、じゃあもう一発穴掘ったらー、隊長に合流しよー」


 エドラがそう答えて炎槍を地面に打ち込む。爆発が起こり、熱気と共に土砂が舞った。その一撃を最後に、二人は先を行く装甲車へと魔道杖の機首を旋回させて飛ぶ。地面に開いた大穴に足を取られて転ぶ死者の姿を後にして。


「後は隊長の指示通り、私が残ってあの死者を監視します」

「うん、でもー、無理しちゃやだよ? ニムはすぐに何でも背負っちゃうからー」

「大丈夫です! 無理はしません!!」

「それが、駄目なのー」


 気負うその姿に、エドラは一抹の不安を覚える。


 そうこうしつつも、魔女達は死者が見えない位置で停まっていた装甲車に追いつく。《死の川》から離れつつあるため、導栓を絞って根元力の魔力変換速度を落とした。そうしなければ、この魔力が乏しい辺土(リンボ)では、すぐに魔力が枯渇して飛行力場が保てなくなるからだ。


「たいちょー、遅滞戦闘任務完了でーす」

「二人ともご苦労。フラデウム、物資を補充次第、目標の監視任務に入れ。他都市の導魂部隊が現れたら、条約に則って死者に対する権利を主張しろ。だが、無理せず戦闘は避けるんだ」

「はい、きっとやり遂げて見せます」


 気合を入れるニム。ベルヒルデは苦笑して、


「あまり気負うな。なに、1週間もすれば交代要員か、導魂の魔女部隊が来る。それまで見失わないようにしていればいいだけだ」

「ほらー、たいちょーも言ってるでしょー、ニムは気負いすぎだよ」

「そうですよ、フラデウム。エドラのように気を抜きすぎていても駄目だけど、気負いが過ぎても任務に支障をきたします」

「う、せんぱい酷くないー?」


 四人の間に笑顔が生まれる。余計な力が抜けた様子のニムに、ベルヒルデが言った。


「いい笑顔だ。余計な力みは抜けたようだな」

「はいっ!」


 ニムは力強く返事を返し、任務の為に装備を補充する。


「ニムー、寂しくなるけど頑張ってねー」

「天使には気を付けて、顕現しても戦闘は避けなさい」

「……無事に戻ってこい」


 三者三様の励ましを受け、ニム・フラデウムは死者の監視任務に着く為に、再び「死の川」の方角へ足を向けた。



 ●



 ――どこか遠くで爆発音が響いている。


 爆発の振動音がまどろみの中にあった隆雄の意識を揺さぶり、覚醒を促した。妙に視点が高い。そう考える隆雄の視界の端に何かが映る。反射的に隆雄はそちらに視線をやる。だがその何かは素早く複雑な動きで彼の視線をかわし続けた。


 ――羽虫か何かだろうか?


 隆雄は立ち止まり、頭を巡らして羽虫の動きを追う。まだ頭がボーっとしている。これはあれだ。死人に混じって歩いていたあの時、初めて荒野に居たのを自覚した時とよく似ている。


 そんな事を考えつつ、羽虫を追おうと手を振る。すると、羽虫は隆雄が自分達に注意を向けたのに気付いたのか。空中で止まってその姿を現した。


 機械的なフォルムの杖に跨り空を駆ける、外套に戦闘服姿の魔女2人。

 何事かよくわからない言語で喋る彼女達は、隆雄を指差して何かを叫ぶ。理解できないが、何かに憤っているようだ。魔女の内の1人が突如隆雄の正面にくると、杖が光り始めた。


 魔女の前に大きな炎で出来た槍が浮いていた。


 魔女が何かを短く叫び、炎が己の胸を穿つのを隆雄は相変わらずぼんやりと眺めていた。

 酷く現実感のない光景に、自分は夢を見ているのだろうか、と錯覚を起こす。


 何故なら、飛び回る魔女のサイズが異様に小さい。


 まさに手のひらサイズといえるその大きさで、炎で出来た槍やら弾やらを撃ち込んでくるのだ。

 炎槍も、大きいとはいえど、精々太めの杭サイズである。


 やはり夢だ、ぜんぜん痛くない。爆発で派手穴が開いて飛び散る自分の肉体も、あっという間に塞がって行く。うねうねと肉が動いて埋まっていく光景は正直キモいなあ、隆雄は暢気にそう考えながらも、魔女へ注意を戻す。


 気分は小人の国に迷い込んだイギリス船医と言った所だろうか。魔女達に目でも潰されないうちに追い払おうと手で追うが、ひらひらと逃げて捕まらない。頭はフワフワして、体の動きも今一つキレが悪い。


 働かぬ頭に断続的な炎槍による攻撃。いくら痛くないとはいえ、鬱陶しくてしょうがない。

 次第に焦れて来たが、それは魔女も同じなのであろう。自分達の攻撃が隆雄になんの痛痒も与えていない事に気付き、目標を隆雄から隆雄の足元の地面に変えて炎槍を打ち込んできた。


 

 荒野に爆音が連続で響き、土砂が舞い上がる。

 炎槍の乱舞は、隆雄の周りの足元をすっかり不整地へと変えてしまい、隆雄は爆風に押されよろめいた。


 あ、と思った時には足を取られていた。隆雄は地響きを立てて尻餅をついた。感覚が鈍っているせいか、立ち上がるのにも時間が掛かる。やっと中腰になって立ち上がろうとしたその時、今度は後ろから爆風に押されて地面に倒れこむ。碌に受身さえ取れず、まともに顔から地面に叩き付けられた。グシャリと音を立てて地面に突っ伏す。相変わらず痛みはない。痛みはないが、何故か一方的に攻撃される理不尽さに怒りが込み上げてきた。


 何かこちらに恨みでもあるのだろうか?

 

 炎槍によって激しくでこぼことした地面に、隆雄はまたしても足を取られ、地響きと共に転がる。

 そうしている間にも魔女達は、隆雄を中心とした大地をドンドンと不整地へと変えていった。


 思うようにならない体に苛立ちながらも、まともに立つのは困難であることを漸く認識した隆雄は、ふと閃いて四つん這いになってみる。二足歩行だから安定しないのだ。赤ん坊を見ろ、奴等はその碌に力すら入らない四肢で何処へでも這い進んでいくではないか! ならば我が身も先人(?)を見習うべきではないか。 


 果たしてそれは、隆雄に望んでいた安定性をもたらした。立って歩くよりはスピードは劣るが、その逞しい四肢は、大地を掴み、蹴り、進む。多少の坂道など物ともしない。


 ふはははは! 人類の英知の勝利だ!! かくなる上は、小うるさい小バエ(まじょ)共を捕まえてお仕置きしてくれるわっ!!


 不明瞭な思考力のせいか、よく解らない自画自賛をしつつもやっとの事で不整地帯を抜けた隆雄。今こそ復讐の時である。さんざんすっ転ばされたお礼をたっぷりとしなければ気がすまない。さあ、捕まえたらどうしてくれよう……


 また足場を崩されてはたまらぬ、と膝立ちになって安定を確保し、小うるさい魔女を捕まえようと辺りを見渡した。



 静寂が戻った荒野を、ただ風が吹きぬけていた。


 既に、見える範囲に魔女達の影も形もなかった。充分時間を稼いだと判断して引き上げていたのだ。


 ……な…ん……だと!?


 やり場のない怒りに言葉にならないうめきを上げて、隆雄は地面を何度も叩くのであった。



 ●



 やっとの事で自由を得た隆雄であったが、既に復讐する相手もおらず、ただ1人で何もない荒野に立ちすくんでいた。


乾いた空気に散々巻き上げられた砂が混じり、視界がぼんやりと曇っている。


 先程までその視界同様ぼんやりとしていた頭は、既に元の思考力を取り戻していた。

 後方を見やれば、でこぼこの大地と、その向こうを流れる死人の歩列があるのが見える。もしかしたら、自分同様自我を取り戻した者達が居るかも知れない。


 一瞬田辺と西田の事が頭をよぎった。


 確認するまでもなく今は自分1人である。ということは、2人は自由になるチャンスを逃したということだろう、と隆雄は思う。一時は行動を共に下2人ではあったが、今更あそこに助けに戻る気はしない。下手に近づいて、また流れに捕らわれて体の自由を奪われるのは御免だ。


 一刻も早くあの死人の群から離れたい。そう考えた隆雄は、ゆっくりと膝を付いて立ち上がり、二足歩行に戻る。


 転んだ。


 途端に先程からの違和感の正体が解った。


 魔女達のサイズが小さくなっていたのが夢ではなかった時点で気付いても良さそうな物であったが、隆雄の身長は今や5メートル近くにまで達そうとしていた。体の厚みも、身の丈に相応しいほどに増したその姿は、まさに巨人と呼ぶに相応しいものであった。


 歩幅が違う。

 手の長さが違う。

 目線の高さが違う。

 

 それら全ての違いは感覚の狂いを呼ぶ。


 狂ったままの感覚で、その狂いに気付かぬままに普段の自分自身の感覚でこの巨体を動かそうとしていたのだ。


 ――これでは上手く体が動かせないわけだ。


 隆雄は新たな自分の姿にショックを受けていた。

 泣き別れした筈の下半身も、千切れた筈の左腕がついているのも大変喜ばしいことではある。だが、この体躯の大きさは何だ。

 そして、体の大きさも然ることながら、確実にこれからの生活に支障があるであろう、感覚の変化には何時になったら慣れるのだろうか。今現在、動くことすらままならないのだ。隆雄は必死になって己の感覚を今の巨体に合わせようとする。だが、一度狂った感覚を調整するのは容易ではない。どうしたものかと途方にくれたその時、


 どこかでドクンッ! と何かの拍動が聞こえたような気がした。


 何処からか聞こえてくる拍動。それがとっくに動くのを止めていた筈の自分の心臓からの音だと気づいた時、その変化は始まった。


 ――熱い。


 感覚など無いはずの隆雄の体が熱を帯びていた。

 体中がギシギシと悲鳴を上げる。全身の生皮を剥がれたかのような激痛が走る。動けば痛み、動かなくとも痛い。ドクンドクンと拍動を強める度に、痛みはいや増し、今や隆雄の意識は激痛に支配され、悶え、苦しむ。


 ――我嗚呼あああああああああああぁぁ!!


 荒野に巨人の痛みの咆哮が響き渡る。体を限界まで反らし、突き上げたその両腕は天へと向き、何かを求めるかのように空を掻いた。


 尋常ではありえない痛み。


 常人ならばとっくに狂ってしまうか、意識を失っていてもおかしくは無いその痛みに、隆雄は耐える。とはいえ、既に何度か意識は途絶えている。その度に鋭い痛みが隆雄を現実へと引き戻し、更なる痛みを受けてまた気絶する。その繰り返しであった。


 無限に続くかと思われた激痛の中、隆雄の体に変化が起こっていた。


 その大きく膨れ上がった巨体が、みるみるうちに萎んでいったのだ。

 否、萎んでいったと言うのは正確な表現ではない。それは、『圧縮』とでも言うべき物であった。隆雄の体は骨格ごと縮んでいき、激痛に悶えながらその体躯を通常の人間サイズにまで『圧縮』されていった。


 5メートルを超えようかと言うほどであったその体は、今では1メートル70センチ中ほど、本来の隆雄の身長と同程度に変化していた。


 全身の激痛は、変化の終了と共に、嘘の様に消え去ってしまっていた。隆雄は地面に膝を付き、荒い息を吐きながら体の力を抜いた。


 視点の高さが戻っていた。人に戻れたのだろうか?隆雄は自分の体を確かめるように見る。


 「うぇ? なんで? なんで死んだときのままなの!?」


 潰れた左腕が目に映った。まさか、と恐る恐る顔面を触った。皮膚が削られ、肉が抉られて所々骨が剥き出しとなった顔の感触が右手に伝わった。巨体の時には正常な人型であった隆雄の体は、何故か、元の死人の体――顔面ズル剥けで左腕はひき潰された姿――に戻っていたのであった。



 ●



 四つん這いになった巨人がもがいていたその頃、その巨体から気付かれないほどの距離をとって、魔女ニム・フラデウムは独り、死者が寄り集まって出来た『巨大な死者』を監視していた。


「あの死者は、浄化光を求める本能を持っていないのでしょうか……」


 死者はその巨体を、ニムがエドラと二人で作りあげた不整地の障害を這いずりながら乗り越える様を眺めつつひとりごちる。


 通常、死者達は、その魂に刻まれた死者達自身の情報を消去するという本能に抗うことが出来ない。

 そのため、この辺土(リンボ)の果てにあるという浄化の光を求めて、死者達は《死の川》を形成するのだ。


 『巨大な死者』も死者で有る以上、その本能に惹かれて浄化を目指して流れに戻るのではないか、と推測していたニムであったが、『巨大な死者』は逆に浄化光を忌避しているかの様に、《死の川》から逃げ出そうとしていた。


「まさかそんな…… 死者に自我が残っているはずは無いのに!」


 死者達は何も見ず、考えず、喋る事もなくただ魂に刻まれた本能に押しつぶされて、歩くだけの存在であるはずだ。なのにニムの眺める『巨大な死者』は、平らな地面に到着した途端、立ち上がろうとして転び、自分の体をしげしげと見つめていた。


 体の感覚を確かめようとするかのようなその仕草は、『巨大な死者』に自我があることを窺わせる。

 今まで見た事がないその死者の仕草に、ニムは強く興味を惹かれた。


 死者に付いては、自分達の存続をその存在に助けられながらも、あまり解っている事は多くない。浄化光に惹かれる事、その存在を根元力に大きく頼っている事。自我が無く、本能によって動いている事、などだ。それだけに、自我がある死者というのは興味深い。


「いやいや、単に生前の動きを模倣しているだけかもしれません。」


 だが、使命感で好奇心を押し殺し、死者の監視に徹する。託された任務を放り出す訳にはいかないのだ。


「私は三人に後を任されてここにいるんです。」


 俯き、両手を握り締めて決意を新たにするニム。だが、その為だろうか、『巨大な死者』が大きく体を振るわせた事に気付くことが出来なかった。


 自分の世界に浸っていたニムは、突如荒野に響き渡った叫び声に正気に返った。


「――はっ!」


 慌てて監視対象に目を向けるが、先程まで肉眼でも充分捉えられていた死肉の巨人の姿は荒野には無い。

 慌てて胸から下げていた双眼鏡を眼に当てて覗きこみ周囲を探るも、その特徴的な姿は既に何処にもない。

 しかしその代わりに、巨人がいた場所に独り佇み、何事か喚いている風情の奇妙な死者の姿を発見したのであった……






 「一体、ここはどこなんだ……」


 荒野の真ん中で全裸で立ち尽くしながら、隆雄は途方にくれていた。


 寂寥とした荒野を見渡す。背後には、でこぼこになった地面、その奥には死人の群、こちらに行くのは無しだ。

 魔女が掲げていた光を見た瞬間に覚えた、自分と言う存在を消去する事を渇望する感情。あれが死人達を一つの方向へと歩かせている力なのではないか、と隆雄は推測していた。


 今の自分にはそのような感情は存在しないが、死人達に近づくことで、また、あの全てをねじ伏せてそれだけしか考えられなくなる暴力的なまでの、本能といってもいい飢餓感に支配されるのは御免被る。


 隆雄は光に感情を支配されていた時の事を思い出すと、ぶるりと体を震わせてかぶりを振った。


 では、死人達から離れるにしてもどちらに向かうか?


 巨体であった時に見た限りでは、どちらを向いても小高い丘や岩山などはあっても、人工の建造物などは全く見えなかった。


 よもや、死人しか居ない世界なのかというと、そうでもない。隆雄達をどこかへ連れて行こうとした推定《魔女》達がいた。


 彼女達の目的が何なのかは解らない。だが、連れて行こうとしたということは、目的地がある、と言うことである。ならば、人が住む場所が何処かにあると考えるのが自然だ。それが闇雲に歩いて辿り着けるかというと不安があるが、幸い死人である自分は飲食の必要がない疲れ知らずの体である。例え見当違いの方向に向かっていても、いつかは人里に辿り着くはずだ。


 それより問題なのは、隆雄の外見である。この、いかにも死人ですといった風体を人に晒すのは、隆雄としてもやはり抵抗がある。


 依然、自分は血色の悪い死人のまま。

 巨体だった時には治っていたはずの体の欠損も、元のサイズに戻って見ればこの荒野に始めてきた時と同じ様に左腕は潰れ、顔の皮膚は引き剥がされて骨まで晒す勢いだ。


 このままでは、他人と出会った時にまともにコミュニケーションを取れるかも怪しい。間違いなく悲鳴を上げて逃げられるか、武器でもって襲われる。


 もし自分が「ちょっとスイマセン」とか言いながら近づいてくる死体を見たら、まず逃げる。確実に逃げる。棒でも持ってたら叩きのめしてでも逃げる。断言してもいい。


 自分で考えておきながら、自分の思考に落ち込む隆雄。


 そんな彼が、魔道杖で飛行しつつ背後に回りこんでゆっくりと接近する魔女に気付かなかったとしても仕方のない事であった。



 『動くな!』


 聞き覚えの無い声がして、後頭部に何か固い金属の感触が触れる。

 突然の事に驚き、ビクリと震える。後頭部の感触は銃であろうか。


『ゆっくりとをこっちを向きなさい! 妙な動きを見せたらすぐに撃ちます! 対魔物用に処理した特殊弾ですから、死者である貴方もただでは済みませんよ!!』


 聞き覚えの無い言語だ。英語ともドイツ語とも違う。フランス語が近いような気もする。大学で授業取っとけば良かったと、そんな今更どうしようもない事を思い巡らせた。


 声の響きからすると、まだ若い女性のようだ。どうやら酷く緊張し、驚いている感じが伝わってくる。

 そんな女性の声を聞きながら、隆雄は焦っていた。

 言葉の意味は判らないが、こう言う場合のお約束は大抵「手を上げろ」か「こっちを向け」といったものだろう。


 だが、今の隆雄は全裸である。女性、しかもうら若い女性に隆雄の全てをさらけ出そうものなら、間違って引き金が軽くなる事もありえる。迂闊な事をして頭を吹き飛ばされては敵わない。


 隆雄は、背後の女性を刺激しない様に片手で股間を隠してゆっくりと振り向いた。両手を使いたい所であったが、残念な事に左手はピクリとも動かない。片手で隠せてしまうことに少々男としての矜持が傷つくが、背に腹は変えられない。


『ヒッ!』


 その女性、まだ女の子と言っても良い位の亜麻色の髪を軍用のヘルメット押し込んだ女性は、ゆっくりと振り返った隆雄の顔面を見て、その幼さが残った可愛らしい顔を嫌悪に引き攣らせた。


 しまった、隆雄は心の中で呟く。


 死人となった彼の顔面は、今や大の大人でさえも眼を背けたくなるであろう酷い有様であったのだ。緊張が増したのか、女性の引き金にかけた指にググッと力が篭るのを見て隆雄は焦りを濃くする。


 失態だ。銃を突きつけられるという非常識な体験に、自分の現状をうっかりと忘れていた……


 隆雄は、慌てて右手で顔が女性から隠れる様に隠した。これで少しは彼女の緊張も解れるだろう。安堵の溜息を吐く。


『いやあああああああああああ!!』


 直後、荒野に悲鳴とともに銃声が響き渡った。






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