03 天使は去りて魔術師を呼ぶ
第一魔術都市「ディーテ」
人類が、この辺土に現れて最初に築きあげたと言われる魔術都市である。千年を超えると言われる歴史を刻むその巨大都市は、浄洸炉、すなわち死人を魂ごと分解、焼却し、都市を維持する為の根元力へと変換して利用する為の、巨大な塔のような施設を中心に据え、その周囲を囲うようにして、直径にして7キロメートル弱の円状の多層構造の街が建てられている。
それは、「土楼」と呼ばれる同心円状の建造物にも似た形状をしており、人類を害するあらゆる脅威から、人々の生活を守る砦として今も機能していた。
その構造上、第一魔術都市は、円の内周かつ上層に行くほど位の高い魔術師が住んでおり、円の外周かつ下層に近ければ近いほど位の低い者達が住む、所謂貧民窟と化していた。
とはいえ、壁の内側に住めるだけ彼等は幸せとも言える。魔物や悪魔、悪霊などと言った脅威からなんら身を守る術のない最底辺の者達が住む壁外のスラムに比べれば、たとえ生活は貧しくても、魔物等に殺される危険が無いだけまだマシというものだ。
誰もが好きでそのような危険な所に住みたい訳ではない。大抵の者は、やむにやまれぬ事情があるものだ。
だが、そんなスラムに好き好んで住み着く者達もいた。そういう連中は、大抵がすねに傷持つ者と相場が決まっているが、稀に純粋に、好きで住み着く者――大抵は魔術師だが――もいる。
第一魔術都市の壁外に広がるスラムにも、そのような酔狂な魔術師が住んでいた。
その、半ば地面に埋もれた自称研究所は、壁外スラムのさらに外れにあった。巨大な丸型アンテナだけがきれいに磨かれた、風雨に晒されて半ば廃墟と言っても過言ではないその建物の内部は、外見からは想像が付かない程に小奇麗に片付けられていた。
「キタキタキタキタアアーーーー!!」
研究所内に奇声が響く。部屋の中央に据えられた、ねじくれ曲がった奇妙な管が大量に複雑に接合された計器を見つめていた男が、その奇声の発生源であった。よれよれのローブの下に同じ様にくたびれたシャツにズボンを穿いた痩せぎすの大男だ。
「ついに! ついに捕らえたぞ我が助手よ!! 「大天使」が発する固有の根元力振動波だ!」
反対側で計器を覗いていた彼の助手――黒髪を後ろに纏め上げた眼鏡の女性が、奇声を物ともせずに冷静に答える。
「師匠。率直に言わせてもらいますが、多分気のせいですよ。いつものヤツです。勘違いです」
「いーや、間違いない! 確かに、そう、た・し・か・に、3日前に捕らえた波動は間違いであった。表の通りで民家の外壁が高濃度根元力に晒されて魔物になった時の余波であった、認めよう。だが、今回は間違いない! ほら、この反応を見るのだ助手よ!!」
「あ、じゃあアレでしょう。一週間前のあれ、1ブロック向こうの酒場の主人のお腹破って出てきた新種のあれ。あんな感じの奴」
助手はまったく感情の乗っていない声でそうのたまう。
「ちっがあああうっ!! ありゃ、あそこのアホ親父が「これがジビエだ」とかなんとか言って、ケチって処理もしてない魔物の肉を食っておったからではないか! あんなのと一緒にするな!!」
男は口角から唾を撒き散らさん勢いで喚いた。
「とにかくだ、貴重なサンプルを収集するまたとないチャンスなのだ! 助手よ、すぐに「死の川」に出かけるぞ? とっとと支度したまえっ!! さあ、ハリーハリー!」
叫んで男はドアを乱暴に開いて部屋を飛び出していく。バタンッと、開けた時同様に乱暴に閉められたドアはその暴威に耐えかね、ドアとしての役目を放棄して床に倒れる。それを見送った助手は深々とため息を付くと、それでも自分の師の為に荷物を纏めて、彼が飛び出して行ったガレージへ続く出口のドアだった板をとりあえず壁へと立て掛けた。
「……死の川って百キロは離れてるじゃない。また勘違いだったらあのオッサンの首へし折って死人の仲間入りさせてやる……」
そんな剣呑な独り言を呟きつつ、かつて結んだ師弟契約の強制力のせいで師に逆らう事の出来ない助手、キアラ・セルヴォーは肩を落として師匠を追った。
「遅いぞ助手よ! とっとと乗りたまえ、そして運転したまえ!」
ガレージには、師匠が考案し一から設計して作り上げた不整地走破性に特化した、フレームを太く強化してある魔動力型四輪駆動車があった。上部には、同様に師匠考案の対魔物用ターレット(回転構造)式機関砲が鎮座している。師は、魔動力車の助手席にちゃっかり納まってその助手席から身を乗り出して、車体をバンバンと叩きながら師匠が喚いていた。
頭おかしくなければ結構凄い人なのにな……キアラは諦めの混じった視線で己が師を見る。
キアラは機材と一緒に荷物を車内に放り込むと、錆び付いたガレージを開けて車へ戻った。
「あー、もう辛抱たまらん! 助手よ、とっとと出すのだ!! でないとワシの脳汁が耳から噴出して車内が大変な事になるぞ?」
「はいはい、今出しますから。気持ち悪いんでそのクネクネ体揺らすのやめてくれません?」
「だったら早く出発するのだ!!」
あー、殺したい。口の中でそう呟きつつ、始動キーを捻りエンジンを起動させる。
キラキラと目を輝かせた変人を乗せて魔動力車は荒野に向かって走り出した。
「タリホー! いざ行かん、待っておれよ、我が大天使よ!」
●
薄暗い荒野に突如出現した、半径500メートルにも及ぶ光の半球は、出現した時と同様に、唐突に消滅した。
消滅した半球の代わりに、荒野には、直径にして1キロメートル近い巨大なクレーターが出現していた。
「死の川」は、その半ば程度をクレーターに抉られてはいたものの、盛り上がった外延部によって流れがせき止められていたのは一時だけで、死者達はクレーターへ落ちる事も無く、今はクレーターを避ける新しい流れが出来つつあった。
ニムは、未だ飛行力場を維持する魔道杖の上で目を覚ました。
どうやら、光と衝撃に一時的に気を失っていたようだ。とっさに張った防御術式のおかげで、小さな傷はあるものの、致命的な傷は負っていないようだった。爆心から離れていたことも幸いしていたようだ。
……そうだ、エドラは?皆は!?
慌てて辺りを見渡し、隊長の指示で自分のサポートに回ってくれていた同僚を探す。そんなニムに、荒野に出来たクレーターが目に入った。
「な……に……これ……」
荒野の惨状を見て、ニムは言葉を失った。杖を握る手が震える。まさか、この荒野に生き残ったのは自分一人ではないのではなかろうか?この有様では、爆心近くにいた隊長や他の隊員達は…
慌てて通信結晶に呼びかける。
「こちらフラデウムっ! 隊長っ! みんなっ! 生きていたら返事を! 返事をしてくださいっ!!」
必死になって呼びかけるが、応える声は無い。ニムはなおも呼びかけを続けるが、ついぞそれに対する応答は無かった。
「そんな……」
ニムの目に涙が浮かぶ。
想像してしまった最悪な状況を受け入れることが出来ず、続けて結晶に向かって呼びかけようとしたその時、
「おーい、にぃぃぃむぅぅぅ!!」
後方から聞きなれた同僚の声が聞こえた。
エドラが生きていたっ!
急いで振り向くと、そこに二人の魔女が浮かんでいた。セスティカとエドラであった。エドラはどうやら、爆発の際にヘルムを無くしてしまった様で、普段はヘルムに無造作に押し込まれている、その腰まである豊かなブルネットの髪は、飛行力場が作り出す風にほつれてクシャクシャになっていた。
彼女達が無事だったことを知り、ニムは喜びに顔を輝かせた。
エドラとセスティカが飛行力場を調節し、ニムの力場に同調させると、力場はまるで小さな泡が集まって大きな泡になる様に、一つの飛行力場として安定した。
そうしておいて、エドラが魔道杖に跨って近づいて来た。
「ん? なに? ニム、泣いてるの?」
「なっ! 泣いてなんかないでしゅよ!?」
「あははっ、噛んでるニムもかわいいよー」
慌てて戦闘服の袖口で目元を擦るニムに、エドラは笑って、よしよしと軽く抱きしめる。
「そ、そんなことよりエドラっ! セスティカ先輩! 他の皆はっ? 隊長はっ!?」
子ども扱いされて、顔を赤らめるニムであったが、はっ!と顔を引き締め、同僚達に皆の安否を質す。
エドラもセスティカも首を振り、まだ確認出来ていないことをニムに告げた。
「きっと大丈夫だよ。私みたいに通信出来ない状態なだけかもしれないし、まぁ、全員無事かどうかは……わからないけどさ。とりあえず、探しに行こう?もしかしたら、私達が探しに来るのを待ってるかもよー?」
「そう……ですね……」
顔を暗くする同僚にエドラはそう言い、元気付けようとする。ニムも、同僚の言葉が半分以上気休めであるのは判っていたが、望みを捨てるべきではないと、彼女の言葉に同意した。こう言う時、物事を前向きに考えることが出来るエドラが頼もしく見えた。
「呼びかけを続けながら、探しに行きましょう」
セスティカが言う。
ニムは「はい」と頷いて、魔道杖をクレーターに向ける。そしてソレを発見した。
●
クレーターの外延部付近に隆雄はいた。
否、隆雄だったものと言った方がいいかもしれない。その左腕は既に無く、胸から下は千切れており、損傷も激しい。千切れた胴体には何かの破片が突き刺さり、胴を貫いて体を地面に縫い止めていた。
他の死人達も似たり寄ったりである。死人達は、爆心地から離れていたため爆発によって消滅することさえ無かったものの、余波を受けて飛び散った破片によってズタズタに切り裂かれていたのだった。
彼等は元の骸に戻ってしまったかのように、少しも動く事は無く、荒野は静けさを取り戻しつつあった。
そんな中、隆雄の腕がピクリ動いた。地面を掻こうとゆっくりと前に腕を伸ばしていく。隆雄自身に意識は無い。今の今まで押さえ付けられていた、飯村隆雄という存在の本能が、その腕を動かしていた。そして、その腕が爆発によってクレーター外延近くまで飛散していた赤く拍動する石の破片を握り締めたその瞬間、隆雄は力尽きた。
消えたく無い……ただその思いを抱いて。
飯村隆雄は今まで、ごくごく平凡に生きてきたと自負している。
適度に遊び、適度に勉強して、学校の成績は中の中、たまに上下する。
学力に見合った大学へ行き、適度な会社に就職し、恋人を作り、しかし次第に互いに嗜好のズレが許せなくなって別れた。
未練を引き摺りながらも、胸を疼かせる思いもいつか感傷に変わると信じて、日々の忙しさに逃避し、仕事に埋没して生きてきた。
どこにでもある、ありふれた平凡な人生である。
死に様はそうでもなかったが……
そんな彼の今までの人生が、今、隆雄の目の前で高速に展開していた。
何処とも知れない、何も無い空間。なぜか千切れたはずの体は繋がり、元の礫死体の隆雄に戻っている。彼の前には大きなスクリーンが広がり、生まれて死ぬまでに体験した事が映し出されていた。
これが走馬灯って奴か……
などと感慨に耽りながら、それに見入る隆雄。
『くくっ、いいのかい? この俺にそんな態度を取って……封印された俺のダークエナジーが開放されたら、こんな町、一瞬で灰になるぞ?』
「ぎゃああああ!!」
そこには、学校の不良相手に中二病炸裂する隆雄がいた。この後、散々小突かれて『ほうら、ダークエナジー出してみろよ』とか『俺達の光のパワーがお前の闇を上回った、それが全てだ……』とかニヤニヤ笑いながら言われて、貰ったばかりの小遣いを巻き上げられたのだったが。
思い出したくも無い黒歴史が眼前に展開される様を見て悶える隆雄。そんな隆雄に、呆れた様に声を掛ける存在があった。
「やれやれ、自分自身の事だろうに……何をそんなに恥ずかしがる事があるんだ?」
「なんだおま……っておれ?」
その存在は、事故にあって死ぬ前の隆雄の姿をしていた。
『俺ってば、まだ自分の力を全て引き出せてない、そんな気がするんだよね。なんていうか、今の俺は本当の俺じゃないっていうか……』
そしてその後ろには、またか、と言う顔をする大学の後輩に向かって、満面のどや顔で、未だ治らぬ業の深い病を引き摺る隆雄の姿があった。
●
マーレボルジェ第三機甲魔女部隊長ベルヒルデ・レガータは、荒野に出来たクレーターの中で仰向けに倒れていた。
彼女は、魔力を防御術式に全てつぎ込み、前面に厚く防御力場を発生させることで、辛うじて「大天使」の起こした光爆を防ぐ事に成功していたのだった。
しかし、その両腕は肘の先から炭化し、飛行力場を維持出来なくなった事で背中から地面に落下した激痛で、動くことが出来ないでいた。
ベルヒルデは、痛みにうめき声を上げながらも、意思の力を振り絞って生命維持術式を起動させた。術式が痛みを急速に麻痺させ、彼女の身体を走査し、異常個所を逐一報告し始める。
元より魔女であるこの身は、魂の一欠片までも第八魔術都市に捧げている。死ぬのは怖くは無い。ただ、使命を果たせずして倒れるのが怖い。
そう考える彼女に、ほどなく術式による生体走査の結果が示される。
両腕の欠損、脊椎損傷、左足脛骨複雑骨折、地面に叩き付けられた際の擦過傷多数。
網膜に投影された表示結果はあまり良くは無い。にもかかわらず、魔女は安堵する。
……この程度なら任務はまだ続行可能だろう。痛覚は麻痺させてある。移動は飛行力場で行えば良い。あとは生き残っている部下の数次第か。
そこまで考えた時、彼女から離れて落ちていた壊れかけのヘルムから、後方へ下がらせた部下が必死に仲間に呼びかける声が聞こえてきた。
状況は悪い。だが、まだ最悪と言う程ではない。
ベルヒルデは、ヘルムへと手を伸ばそうとして、それがもう存在しないのを忘れていた事に気付いて苦笑する。
まずは合流して体勢を立て直さねばな……
彼女はそう呟くと、ゆっくりとヘルムに向かって這いずり始めるのだった。
●
「つまりお前は、あそこに居る俺の死体が握り締めてる赤い石ってことでいいのか?」
隆雄の目の前の光景は、忌まわしい黒歴史から、流れに流れて、隆雄が爆発に巻き込まれて千切れ飛び、石を掴んで力尽きる所で止まっていた。
何も無い空間に、大きなスクリーン。顔の無い隆雄と、顔のある隆雄。
隆雄達は二人並んで座って映像を見ている。
「そうそう、そう言う事。」
「んで、この映像誰視点よ?」
なぜか隆雄の吹き飛ぶ映像が、細かいカット割りで編集されていた。力尽きるところは正面からのアオリで、迫力もグロさも満点であった。
「俺が脳内補正してちょちょいっと編集した」
「捏造かよ!」
「状況と状態からの再現映像です!」
赤い石を名乗る隆雄が胸を張る。
隆雄はため息をついた。ついでに疑問も吐き出す。
「じゃあ、なんでお前は俺の姿してる訳?」
「飯村隆雄のフィードバックをしてるからだよ。消えたくないと、そう望んだだろ?」
赤い石である隆雄は平然とそう答えた。
「お前の体は、既に飯村隆雄という情報を維持出来なくなっているからな。そこで俺にコピーして、飯村隆雄の情報を保持しようって訳だ」
「つまり……どういうことだ?」
頭をひねる隆雄。赤い石の隆雄は、やれやれと首をすくめて説明を始める。
「例えば、ここに『飯村隆雄』と言うソフトがあるとする。そして『人間』というハードがあるとしよう。この『人間』というハードに、『飯村隆雄』というソフトを実行させることによって、その『人間』は『飯村隆雄』として存在するわけだ。ここまでは解る?ついて来てる?」
隆雄が頷く。なんとなく、言いたい事は解った。
「では、次に、『飯村隆雄』と言うソフトを、別のハードに実行させたとしよう」
それを受けて、赤い石の隆雄は言葉を続ける。
「そのハードが『人間』と言う枠からはみ出したものであったとしても、その実行しているソフトが『飯村隆雄』であれば、それは正しく『飯村隆雄』であると言える。」
酷く乱暴な理屈だ。人は、人という器にあるからこそ人たり得る。そう思い隆雄は口にする。
「ちょっとまて、そりゃ暴論だろ。人間である事も含めて俺は俺なんだから。人間じゃなくなったら、俺は『飯村隆雄』じゃなくなる」
「……だとしたら、既にお前は『飯村隆雄』でない、別の何かなのさ。自分がどんな状態で歩いてたか忘れたのか?あんな状態で動けるのが人間なのか?」
「それは……」
隆雄は自分を『飯村隆雄』であると信じている。だが、死人として歩き続けた間、隆雄は『飯村隆雄』であったのだろうか。
赤い石の指摘に黙り込む。石は、更に言い募る。
「飯村隆雄は不慮の事故で死亡した。「飯村隆雄」というソフトウェア、この場合は魂って言うべきか? それは、この地で死人として再生した。そしてもう一度死ぬ事になったが、お前は最後の瞬間まで「飯村隆雄」であることを信じて疑っては居なかったはずだ。願ったはずだ。消えたく無い、と。だからこそ俺がこの姿で存在しているのだから」
「……なぜ、お前は俺の願いを叶えようとする?」
赤い石が、大げさに手を広げ、おどけて言う。
「そりゃあ簡単だ、お前がそう願ったからだ。」
石はニヤリと笑って言う。
「求めよ、されば与えられん。 尋ねよ、されば見出さん。 門を叩け、されば開かれんってな」
「なんだそりゃ、格言かなにかか?」
「難しく考えずに楽しめってこった」
二人の前にあるスクリーンの映像に変化が起きて始めていた。
「さあ、始まるぞ」
赤い石の声を聞きながら、隆雄の意識は暗転していくのを感じた……
ボロクズのようになった一人の死者の握った赤い石が、ひときわ大きく拍動を起こす。
途端に石から、大量の管が伸びた。
その管は、周囲の同様に動かなくなった死者達に突き刺さっていく。
細い管によって接合された死体は、ゆっくりと互いに引き合い、絡み合う。
寄り集まった死者達は、混ざり合い、融け合いながら、一つの巨大な、人のカタチをした塊へと変化していった。
●
ソレは、赤黒くうねる肉塊であった。ぶよぶよとしたソレは、時折、その表面に人間の腕や顔、足のようなものが突き出ては沈み、沈む度に細波を立ててざわめく。寄り合い、溶け合って一つになった巨大なそれは、通常のの理解の範疇を超えていた。
仲間を探そうと、クレーターに近づいた三人の魔女、ニム・フラデウムとエドラ・エイクロッド、セスティカ・シューヴィンは、クレーターの外縁部付近で、蠢き、その表面にさざ波を立てるおぞましい肉塊を発見したのであった。
「これは……」
「うっわ! きもーい!!」
赤黒く、プルプルと震える肉塊を、三人が気味悪そうに見つめる。
「何かの術式か、根元力の乱れに惹かれてきた低級の悪魔でしょうか?」
ニムが肉塊を分析しようと慎重に近づこうとする。
「フラデウム、危ないですよ!」
「そうだよニムぅ、やめようよー、危ないよ? 噛み付いて来たらどうするのよー」
セスティカとエドラの止める声に、好奇心を押し留める。
そうだった、今こうしている間にも、隊長や他の皆が、助けを待っているかもしれないのだ。まずは皆の安否が先だ。そう考え、肉塊から離れる。
「こ―――ベルヒ――デ、―――ザザッ――、――――ウム―――――応答し――ガガッ!」
その時、雑音交じりの途切れ途切れの声が、ヘルムの通信結晶を通じて聞こえてきた。
「「隊長!?」」
「え? 隊長生きてるの? うそっ!」
エドラは、どうやら自分達以外の生存を信じていなかったようで、期待してなかった隊長の無事に驚く。
「隊長っ! 今何処にいらっしゃるんですか! すぐにそちらに向かいます!!」
ニムがヘルムを押さえて、雑音交じりの通信を懸命に聞き取ろうとする。
「クレ―――――内―――――ガガッ!」
「何ていってるのかな?」
「多分、だけど…クレーターの中――――じゃないかと思う…」
「直ぐに向かいましょう!!」
そうと判れば、肉塊なぞに構っている暇は無い。三人は肉塊から離れ、ベルヒルデとの合流を果たすため、魔道杖の進路をクレーター内部へと向けた。
「隊長! ご無事ですか!?」
ベルヒルデが倒れていたのは、クレーター中央からやや外れた場所であった。
仰向けに倒れたベルヒルデに三人が駆け寄る。両腕が消失し、左足を負傷したその姿に、ニムは息を呑んだ。
「ああ……、生きてはいるが、この有様だ。生命維持術式は起動、しているので、当面は問題ない。それより、お前達だけか? 他に生き残った隊員は?」
ニムが俯く。その仕草に、ベルヒルデは大きく息を吐き出し、そうか、と呟く。
「大天使」の麻痺咆哮、あれを抵抗出来たからこそベルヒルデは辛うじて命を拾えたのだ。抵抗できなかった隊員達の末路は、考えるまでも無かった。
とにかく、部下が三人も生きていたのは彼女にとっても僥倖だ。部隊指揮者として気弱な姿を部下に見せるわけにも行かない。ベルヒルデは笑顔を作って言を発する。
「なんにせよ、お前達だけでも無事でよかった。」
「そんな! でも皆が!」
「それでも、だ」
かぶりを振るニムにベルヒルデは諭すように言う。
「あいつらも、この任務の危険は理解していたさ。覚悟もあった。お前が責任を感じる必要は無い」
「それは…」
「むしろ責められるべきは私の方だ。判断を誤まり、部下を死なせた。指揮官失格だ」
「そんなっ! あれは不測の事態です! 誰にも大天使が自爆するなんて予測出来ませんでした!!」
「ならばこそ、だ。」
そう切り返されて、ニムは言葉に詰まる。
自然に涙が流れる。
彼女とて魔女だ。隊長の言葉が正しいのは解っていた。しかし、少し前まで一緒に笑っていた仲間が、今はもう居ないのだという現実が、たとえ自分がその場に居て、攻撃に加わっていたところで、墓碑に刻まれる名前が一行増えるだけなのだと判っていたとしても、何とか出来たのではないかと、彼女を苛む。
「フラデウム、君は魔女としては少々優しすぎる」
黙って涙を流し続けるニムをエドラが抱き寄せる。ニムは、エドラの豊かな胸に顔を埋めると、声を押し殺して泣いた。セスティカは、そんな二人を黙って見守る。
「もー、隊長ってば、ニム泣かせちゃダメですよー」
「む、すまん、私はこんな言い方しかできないのだ」
ベルヒルデは苦笑して見せた。
その後、ニムが落ち着きを取り戻すまで待って、セスティカが索敵と警戒を担当し、エドラとニムが二人がベルヒルデを飛行術式で運んで、一度装甲車に戻ることにした。
幸いにもこれ以上「天使」に遭遇することもなく、四人は無事に装甲車へと帰りつくことが出来た。
魔女達としても、怪我人を連れての戦闘行為は避けたかったので、装甲車へ辿り着いた時は、互いに顔を見合わせて安堵のため息をついたのだった。
装甲車は、爆発の衝撃を受けて、横倒しになっていた。一見したところでは、それ以外に目立った損傷はない。セスティカの指示で、装甲車から予備のブランケットを出して地面に敷き、ベルヒルデを横に寝かせる。ベルヒルデには、治癒術式に専念してもらい、三人は、装甲車を起こすことにした。
「ニムー、セスティカせんぱーい、そっちはどう? 良い?」
「はい、何時でもどうぞ」
「こっちもいいわよ」
魔道杖を持った三人の魔女が横倒しの装甲車両の前後に立つ。
この車両は、第八魔術都市「マーレボルジェ」所属の第三機甲魔女部隊が所有する、作戦行動用の魔動力式装甲車である。
装甲車には、運転席上面に機銃が据え付けられ、兵員輸送のための荷台部分には、通常の対物理装甲板に加えて、対魔術用の抗魔処理を施した装甲パネルを装着してある。要は、機銃を付けて装甲を追加した軍用トラックであった。
魔道機関から吸い上げた魔力を杖に流し込み、三人の魔女が飛行力場をゆっくりと同調させる。同調させた事で大きく広がった力場は、装甲車を包み込んだ。全長6メートル弱、幅3メートル、重量にして10トンを超えると思われる装甲車がゆっくりと地面を離れて浮き上がる。魔女達は力場を操作して装甲車を起こすと、慎重に着地させた。
部下達の作業を横になって眺めつつ、ベルヒルデはこれからの事を考えていた。
導魂任務は失敗し、6人の優秀な魔女を失った。自分もこの体では、暫くは治療に専念することになるだろう。体勢を立て直すにしても、4人、いや、3人と死に損ない1人では、出来る事などたかが知れている。ここは大人しく帰投して部隊を再編するべきだろう。
碌に動くことも出来ない自分が酷く不甲斐なく思える。だが、そう考えられるのも生きていてこそだ。ベルヒルデは内心の懊悩を押し隠し、セスティカを呼ぶ。
「直ぐに装甲車の点検、整備を行ってくれ。それが済み次第、第八魔術都市へ帰投する」
「了解しました」
セスティカが隊長からの命令を他の二人に伝える為に離れると、ベルヒルデは力を抜いて寝床に沈む。部下達の手前、気を張っていた彼女であったが、やはり体は元より精神的にも大分参っているようだ。とはいえ、まだやらなければ行けないことは残っている。よし、と呟くと彼女は、自分の体の具合の再度確認を始めた。
まずは両腕、は確認しないでも全損だ。戻ったら義手を手配しなければなるまい。
脊椎の損傷の具合は不完全型、一部損傷の恐れがある。こちらは生命維持術式と治癒術式の併用で、動くくらいは出来るようだった。
痛覚を麻痺させているとはいえ、左足は早急に治療する必要がある。が、開放性の骨折である。治癒術式を施す前に、骨を元の位置に戻す処置をしなければならない。
治癒術式といっても、一瞬で傷を治すことが出来るわけではない。人が初めから備えている自然治癒力を高めることで高速に傷を癒す術式である。骨が飛び出たまま術式を施したところで、正常には治癒しないのである。ベルヒルデ達魔女も応急的な医療のレクチャーは受けているため、簡易な診断や手当ては可能だ。だが、手術を必要とする治療には、設備の整った施設が必要であった。
「最悪、左足は捨てねばならんか……」
改めて肉眼で傷を確認しつつ、治癒術式に左足は除外する。
二度と、このような無様は晒さない。そう心に刻み込み、目を瞑り、術式を起動させた。