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02 魔女と天使が辺土で踊る




 灰色の空の下に広がる終わり無き荒野、そこを歩き続ける死人達の歩列はまるで、流れ続ける川の様に見えた。

 ただし、この川には流れる水のごとき清浄さは皆無であったが。


 「死の(モルス・フルーメ)」命無き者達の流れ。

 この広大な荒れ野に住まう定命の者達は、この死者達の行進をそう呼ぶ。

 死が水の流れるが如く在る川、むしろ大河と形容した方が相応しいそれ(・・)は、小さな川が下流へと流れるにしたがって寄り集まり、果ては大河となって海へと流れ込むが如く、幾つかの死者達の流れを飲み込み、その幅を増していた。


 魔女は死者の大河の上空にあって、無言で死の川を流れ続ける哀れな亡者達を眺める。

 その眼差しには幾分かの哀れみが込められていた。


 大多数の死者達は、死に際の姿を留めたまま歩き続けている。

 そんな彼らの多くが尋常な死に様では無いのが見て取れる。


 はらわたを引き摺りながら歩く死者がいた。

 手足が枯れ果て、栄養不足の肥大した腹部で、ユラユラと歩く死者がいた。

 潰れて今にも千切れそうな左腕をブラブラと揺らして歩く、顔の無い死者がいた。


 死者達(かれら)は、皆一様にその顔に苦悶の表情を浮かべ、自らの意思など何も無く、ただその魂に刻まれた命令のままに「救い」を、魂の浄化を求めて、ただ前へ足を進めるのだ。


 ……私達の任務は、彼等の「救い」を永久に奪ってしまう。浄洸炉は、救われぬ魂を破壊し尽くし、燃やして都市を維持するエネルギーに変える。そこに彼らの求める「救い」は無い。彼等の魂は転生する力さえ奪われ、新たな命へと新生する事の無くただ「無」へと還る。


 魔女達は、彼らに僅かに哀れみを覚えながらも、作業を止めようとはしない。これは彼女達が生きるのに必要な事であるし、力無きものが何もかもを奪われるのは、彼女達魔女が生きる世界では当然の光景であるからだ。


 ニムは角灯(ランタン)の光量を調整し、右手に掲げる。

 死人たちの注意を引くように群の上空を魔道杖に跨って大きく旋回した。 


 角灯から漏れ出る柔らかな光、これは、死者達が求める魂の浄化の光を模した、擬似浄化光とでも言うべきものであるが、実際には死者を浄化する事は出来ない。だが、その効果は顕著だ。今まで何も反応が無かった死人達が、一斉にニムへ、いや、彼女の持つランタンの光へと目を向ける。「救い」を求める魂へと働きかけるこの光は、死者を引き付けるのだ。そう、旅人を惑わせ、迷わせ、ついには底無しの沼へと引きずりこむ鬼火のごとくに。


「死の川」の流れに澱みができた。ニムは、死者の注意が自分に引きつけられているのを感じていた。


 ――このまま流れを作ります。


 ゆっくりと魔道杖を操って死者の流れから離れる。魔女に引き付けられた死者達は、今までまったく乱さなかった列を乱し、角灯の灯りを追う様に新たな歩列を作り始めた。


「死の川」に、支流が出来始めていた。


 魔女に、否、魔女の持つ角灯が放つ浄化光に誘われた死者達が、川から溢れ出して新たな流れを作り出していた。

 数百体の死者が光に魅了されて本流から引き剥がされたのである。


 自分を追って眼下に蠢く死者達を見て、ニムは大きく息を吐いた。今までにも何度かの導魂任務でも行ってきた作業ではあるが、手順を間違えて無駄に時間を浪費させたりしないか、仲間の足を引っ張っていないか、彼女の心には常に不安がある。一度、同僚(エドラ)にそんな不安を打ち明けた事もあるが、その時は鼻で笑い飛ばされた。

 曰く、「たいちょーがそんな事も出来ない半端者を任務に使うわけないでしょー?」との事だが、彼女ほど楽観的に慣れないニムはどうしても不安を覚えてしまうのだった。



 ●



 そんな魔女の不安をよそに、天使達の妨害も無く作業は順調に進んでいた。このまま《死の川》から離れられれば、彼女に課せられた任務の最も重要な部分が終わる。後は装甲車の擬似浄化光投光装置で死者達を誘導しつつ、第八魔術都市(マーレボルジェ)に帰るだけだ。


「順調だねー」


 ヘルムの耳当て部分からエドラの声が聞こえる。支給されたヘルムには、対攻勢術式用の防護術が施されているが、それに加えて、相互意思疎通用の結晶刻印が組み込まれていた。その結晶刻印を通じての呼びかけだ。


「……エドラ? 任務中に私語は厳禁ですよ?」

「ぶーぶー、ニムってばまた一人で良い子ちゃんぶっちゃってさー。もうちょっとこう、肩の力抜いて楽しんでいこうよぉ。この長いじんせ…じゃないや魔女生か、息抜きしながら生きて行かなきゃ、いつか潰れちゃって駄目になっちゃうよー?」

「息抜きで魔女やってるような貴女に言われたくないですっ!」

「お、うまい事言うねー」 


 エドラは飄々と言葉を返す。

 クスクスと、通信結晶から他の隊員の笑い声が聞こえた。どうやら聞かれていたようだ。とはいえ、この術式では通信帯の使い分けなど出来る訳も無く、会話は全て筒抜けであるのだが。


 周囲で起こる笑いにニムは恥ずかしくなり、ううっと体を小さく竦めた。


 ――最悪だ。まじめな相談を鼻で笑われたことを思い出していたからか、ついエドラの声に刺々しく反応してしまった。

 皆の笑い声すら自身の狭量さを笑われたように錯覚してしまう。

 危うく思考の迷路に入り込みそうになったニムを隊長の声が現実に引き戻した。


「お前達、少々の私語はかまわんが、最後まで気を緩めるなよ。今まで「天使」が現れなかった任務は無いんだ。辺土(リンボ)での油断は死を招く。それを忘れるな」

「はーい」


 了解でーす。と、エドラが隊長に返事をした瞬間、



 ――――――轟っ!!



 突如、根元力が圧縮された。それは周囲の空間に大気の震えとなって認識される。

 肌が粟立つような感覚に、ニムは体を緊張させた。これは、この感覚には覚えがある。


 ――天使だ!


 ヘルムに内蔵された通信用の結晶が震え、仲間達の声を伝える。


 その声に応えるように、凝縮された根元力が、「死の川」上空に人の頭ほどの大きさの球体を生み出した。


 それは不完全な球体だった。赤黒く、拍動し、石の様な質感のそれは、一瞬毎にその姿をグニャグニャと変える。

 見た目は逆さにしたゆで卵と言った所だろうか。そのゆで卵はひときわ大きくは駆動をすると、その本性を展開し始める。

 球体は瞬時に、人の肋骨にも似た金属殻に覆われた。


 赤黒い球体は「天使アンゲルス」の核となる部位であった。 


 核は順次、天使の骨格を展開していく。


 頭が、腕が、足が、翼が、金属殻を中心にして何も無い空間から出現する。


 核から瞬時に緋い紐の様な神経節が延び、展開された骨格を繋ぐ。繋がれた各部位には根元力が通い、骨格を保護するように筋肉繊維が纏わり付き、膨らんでいき、外骨格で覆われていった。


 みるみるうちに、「天使」が顕現していく。

 人型の、翼を持った大型のクリーチャーがそこには在った。

 それ・・は、鋭い牙を剥き出しにすると、周囲に浮かぶ魔女達を威嚇した。


 最初に顕現した「天使」を皮切りに、その威嚇の咆哮に呼ばれたかのように次々と天使達がその身を顕現させていく。


「くっ!各員二人一組で天使に当たれ!!数が多いぞ、油断するなよ!」

『了解』


 隊長の指示を受けて魔女達は、二人一組で死角を潰して天使達に相対していく。一塊であった魔女達は、五条の線となり、《天使》へと突撃して行った。



 ●



 エドラ・エイクロッドは、歓喜を押し殺して、飛行力場を操作する。

 これまでエドラは、大抵後方に回されるばかりで殆ど実戦を経験していない。新人がいきなり戦闘を任せられることはない。まずは戦場の空気になれること、それが隊長の教育方針であった為だ。しかし、これがほぼ初の実戦であるというのに彼女に緊張は無かった。


 「天使」相手に自分の力量がどれだけ通用するのだろうか? ある種、楽観の極みとも言える彼女の興味は、その一点に固定されていたのだ。


「そーれっ!」


 増幅器(アンプ)を操作する。まずは威力より手数だ。増幅の方向を炎弾の数に振り分け炎弾を作りあげると、術式を発動させた。


 ずらり、と形容されるに相応しい、20発を超える炎弾がエドラの周囲に展開される。


「いっけぇぇっ!!」


 掛け声と共に、炎弾は次々に「天使」へと殺到した。顕現した「天使」は、あるいは腕で払い、あるいは避けて炎弾をしのぐ。

 「天使」の視線がエドラへと固定された。両手を突き出し魔女へと向ける。周囲の風景がゆがみ、掌の中に光が凝縮した。

 天使の使う光の弾丸だ。

 産み出された光弾は打ち出された瞬間、無数の小さな光弾となってばら撒かれる。

 光の弾は散弾となって魔女を引き裂かんと襲いかかった。


「エドラ、潜れ!」


 先輩の魔女の指示にとっさに魔道杖の機首を大きく下に向けるエドラ。光の散弾が一瞬前までエドラの居た空間を抉る。


「先輩、ありがとー!」

「突出しすぎよ、新米」


 先輩魔女はそう叱るも、エドラに堪えた様子は無い。後輩の様子に一つ嘆息し、それならと、


「バカ後輩、アンタはそのまま陽動。隙を見てアタシが大きいのをぶち込む、いいかしら?」

「了解であります先輩っ! ―――エドラ・エイクロッド、吶喊しまーすっ!!」


 良い笑顔でそう答えて魔女は、「天使」が次々と放つ光弾を回転(ロール)しながら回避しつつ、飛行力場を紡錘形に変えて突入していく。


 「天使」が無数の光弾をばら撒く。


 飛行力場が削られ、体スレスレを光弾が迫る。この光弾の一つ一つが、まともに当たれば一瞬でエドラを滅して余りある威力を持つ。、

 であるにもかかわらず、


「あはははははっ! たーのし――!!」


 魔女は笑う。


 迫る光弾を回転しながらかわし、炎弾を放つ。

 果敢に光弾の隙間に己の体をねじ込んでいく。



 「天使」は、光弾をすり抜けてきた魔女に相対していた。この魔女は、放つ光弾の僅かな隙間を縫って、こちらに肉薄してくる。光弾を回避し、その合間に炎弾を打ち込んでくる。炎弾自体は彼になんらダメージを与えられないが、着弾の衝撃で動作がズレる。その結果、こちらの光弾は更に密が薄れ、魔女は機動範囲を増やし、放たれる炎弾は直撃し続ける。


 炎弾の魔女は、「天使」を中心に、旋回するように炎を打ち込んでくる。「天使」も、それに応対するように回避し、腕で炎弾をはじき、翼を虚空に打ちつけ、姿勢を制御し、放つ光弾に魔女を捉えようとする。彼に感情があったならば、己の動きを阻害し続ける魔女にイラつき、舌打ちを打っていただろうか。いつしか「天使」は、炎弾を打ってくる魔女に完全に注意を向けていた。


 その為、もう一人、動きが無かった魔女が放った炎の槍に気付くことが出来なかった。



 「天使」の動きが唐突に止まる。己に向かって光弾を放たんと伸ばされた手を見つめながら、エドラは、楽しい時間が終わりを告げるのを感じた。


 「天使」の胸殻の中央を、炎で出来た槍が貫いていた。


 彼等「天使」の弱点は、その胸部に収められた核である。

 これを破壊する事で、彼等はその身を現界することが出来なくなり、消滅するのだ。


 エドラは、「ん」と頷くと、「天使」に向かってニッコリと上気した頬を緩めて微笑むと親指を下に向けた。


「なかなか筋は良かったけど、いかんせん経験不足だねっ」

「新米魔女がナマいうなってのっ!」


 直後、先輩のお叱りを受ける事になったが。



 ●



  エドラ達が「天使」を撃破してまもなく、「天使」達と魔女との戦いは、魔女達の優勢のままに終わろうとしていた。そして、程なく最後の「天使」が破壊され、死の川上空に静寂が戻る。



「総員ご苦労だった。被害を報告してくれ」


 隊長が油断無く辺りの気配を探りながらも、部下達にねぎらいの言葉をかける。


「セスティカが軽傷を負った以外は、目立った被害はありません」


 副長が報告し、セスティカと呼ばれた魔女が面目なさそうに俯く。


「そうか……、セスティカ・シューヴィン。後方で手当てを」


 そう、隊長が言い、魔女セスティカを後方へ下げようとしたその瞬間、


 先程とは比べ物にならない程の大気の揺れが魔女達を襲う。


「また来るぞ! 気を緩めるな!! 核が出てきたところを狙い打て!」


 副長の叫びに呼応するかのように、「死の川」中央に天使の核が出現した。


「――――――なんだこの核の大きさはっっ!!!」


 大きい。

 

 その核は、今まで見たどんな「天使」の物より大きく、禍々しい赤黒い光を纏っていた。


 一瞬、その大きさに虚を付かれ、魔女達は最大の勝機を失った。


 瞬く間に、その2メートル弱はあろうかと思われる核は、顕現した殻に覆われる。同時に、手足が、頭が顕現し、核から伸びる神経節が、各部位を接続して行く。


「「大天使(アルキ・アンゲルス)」位階だと!? そんな……」


 一般に「天使」と呼ばれるクリーチャーは、二メートル強、最大でも三メートル弱程の個体を言う。もちろんこれは、大きければ大きいほど強力な個体であることを表している。ある程度以上大きい個体は、「天使」位階を大きく超える戦闘能力を持つ為、「大天使」位階と呼ばれていた。

 そして、今魔女達の前に顕現しようとしている個体は、おおよそで八メートル、下手をすれば十メートルはあるだろうか。それは、「大天使」位階としてもかなりの大型であり、魔女たちにとって計り知れない敵であることを示していた。



 ●



 マーレボルジェ第三機甲魔女部隊は、導魂任務を主として行う独立部隊である。

 隊長ベルヒルデ・レガータは、総勢十名の魔女を率いて、幾度もの導魂任務を成功させてきた。「大天使」位階との戦闘経験もあったが、それでも精々が6メートル程、その時でさえ二名の犠牲を出した。


 歴戦の兵と言える彼女としても、八メートルを超える「大天使」位階との交戦など初めての経験であった。


 ――生きて再びマーレボルジェへ帰る事は出来ないかもしれないな…… だが、この身はどうなろうとも、一人でも多くの部下を生きて帰してみせる。

 ベルヒルデは覚悟を決めた。

 もはや撤退しようにも、顕現を始めてしまった「大天使」は彼女達を見逃しはしないだろう。

 ならば戦おう。まだ顕現が終了していない今が最大のチャンスだ。

 大天使の核さえ破壊できたならば、誰一人犠牲を出すことなく勝利することができるはずだ。

 もちろん、それが成し遂げられるかどうかは賭けになってしまうが、状況から見てそれほど分の悪い賭けでもないと見ていた。

 

「フラデウム、導魂任務を続行。エイクロッドはフラデウムをサポート!シューヴィンは後方で傷を癒してから我々に合流しろ、いいな!」


 ベルヒルデが、即座に魔女3人に指示を出す。

 エドラが、何か言いたげに口を開こうとするが、目で制する。言い争っている時間はないのだ。

 セスティカがエドラを促し、ベルヒルデの指示に従って後方に下がると、彼女は残った者に告げた。


「その他の者は攻撃魔術の展開!術種は火槍、増幅器(アンプ)は威力上昇に全てつぎ込め!

 目標は奴の胸殻、核の破壊だ!!」


 隊長の指示に、魔女達が各々、バックファイア対策の防護術式を展開し、攻撃術の結晶刻印を起動する。増幅器(アンプ)によって最大限増幅された炎の槍が、複数、魔女の周囲に浮かんだ。


 先程の「天使」戦の比ではない。この炎槍一つで下級の「天使」程度なら、核どころか胸郭そのものを撃ちぬき消滅させるだけの熱量を持っている。


「総員、放て!!」


 号令と共に魔女達が一斉に炎槍を放つ。


 一本ですら凄まじい熱量を持つ炎槍が総数にして二十本、尾を引いて飛び、顕現を続ける「大天使」の胸殻に集中する。

 

 「大天使」は、炎槍に対して接続したばかりの両腕を振るうが、その動きは些か鈍い。何本かの炎槍を叩き落すことに成功するも、多くがその胸郭に命中し、爆発して分厚い胸郭を吹き飛ばした。


 爆発の余波が魔女達を襲う。防護術のお陰で熱波をまともに受ける事は無かったが、衝撃によって魔女達は飛行力場ごと攪拌される。


「やったか!?」


 盛大に衝撃にシェイクされ、三半規管を揺らされたベルヒルデは、込み上げる吐き気を抑えつつも必死に体勢を立て直し叫ぶ。


 胸に炎槍を受けた「大天使」は大きくのけぞり、胸から噴煙を上げて動きを止めていた。その巨体の顕現も中断されている。


 核の破壊に成功していれば、天使はその身体を維持できなくなって自壊し、根源力へと還元される。

 それは「大天使」位階とて同じだ。すさまじい爆炎を受けて動きを止めた「大天使」を見やり、ニムとエドラは「大天使」の核が魔女達の攻撃で消滅、あるいは甚大な損傷を受けたことを確信する。

 二人は、攻撃に参加出来なかったことを残念に思いながらも、被害無く脅威を排除できた事に安堵していた。


 隊員達の間にも、しばし弛緩した空気が流れる。


 その瞬間、魔女達の緩みを待っていたかのように「大天使」が身を起こした。


 「まだ生きているぞ!!」


 魔女の誰かが叫ぶ。だが、一度失われた緊張感はそう簡単には取り戻せない。

 「大天使」は、慌てふためく魔女達に向かって鋭い咆哮を上げた。


 「なん…… だとっ!!」


 幾重にも装備に施された魔術防御をあっさり貫通し、魔女達の動きが止まる。『麻痺咆哮』(パラライズ・クライ)だ。


 「大天使」が身を(よじ)る。胸殻に大穴が開き、炎槍を受けて大きく破損した核が露出していた。巨体が震え、全身の甲殻の繋ぎ目から光が漏れる。核が大きく拍動するたびに、凝縮して液体化した根元力が胸の大穴から噴き出す。しかし巨体はそれにも構わず、身を震わせ続けた。



「大天使」が全身に光を纏い始める。





「自爆!? ――――くそっっ、まずいっ!!総員散開しろぉぉ!」


 『麻痺咆哮』からいち早く回復したベルヒルデが「大天使」の狙いに気付き、周囲の部下達に叫ぶも、その声は既に遅く、「大天使」の全身から光が爆発するかのように放たれ、逃げ遅れた魔女達を飲み込んでいった……




 ●




 まるで屍の川だな……


 隆雄は、死人達が形作る歩列を見ながらそう思考していた。


 いつの間にか、彼が歩く列とは別の彼方から死者の列が合流していた。 


 この流れは、一体何処へ続いているのだろう。この流れが隆雄の思考した通り川ならば、延々と流された果てには死者達が蠢く海へ続いているのではなかろうか。


 隆雄は死人がひとところに集まり、押し合い、ひしめき合う様を想像をしてしまい、げんなりとする。

 そんな隆雄の若干斜め前、首吊り男がいつの間にか喚くのを止めてうなだれていた。


 ああ、何だかすごく共感できる。


 少し前の自分を見ているような錯覚があるな、これが既視感(デジャヴ)ってやつか……

 多分、クネクネし始めるのも時間の問題だな。うん、やっぱ皆やるんだよ俺だけじゃない。 

 そんな思いに謎の勇気を貰った隆雄であったが、やはり首吊り男に声を掛けるに当たって、ネックになるのは隆雄の外見である。


 包帯男にはガン無視(そもそも自意識がないので、無視された訳ではないのだが)され、小男の詐欺師には「こっち見んな」と言われた身(語調はそこまできつくないが)である。


 話せば別だろうが、話せるところまで持っていける自信が無い。

 十中八九、怯えられて話も聞いてもらえないに違いない。

 なので、その辺りは自分より大分当たりが柔らかい、この小男に丸投げしよう。


 彼はそう判断し、田辺に右手で合図すると、首吊り男の方に向かって顎をしゃくり、話しかけろと促した。



 田辺はニコニコと、相変わらず何を考えてるか不明な笑みを浮かべて頷き


「あのぉ、そこの首からステキなロープをぶら下げたお坊ちゃん?」


 首吊り男に話しかけた。



 首吊り男の年の頃は十代後半から、二十台初め位だろうか、髪を茶色に染め、パジャマを来て、裸足で歩いていた。多分死んだのは家の中だろう。


 彼の首からは、しっかりと切れないように輪を作って結んだロープを下げていたが、そのロープが掛かった首にはグルっと一周した索状痕があり、ホントに自殺なのか聞いて見たいような聞きたくないような、そんな不安感が付きまとう。


 正直、好奇心が疼くが聞いてはいけないような気もする。


 俯いて自分の世界に入っていた首吊り男は、田辺の声に驚き、声の主を探して後ろを振り向き、隆雄と目を合わせた。


 目を見開き、動きが止まる。

 瞼の無い眼球と、見開いて円の様になった眼が見つめ合う。

 時間だけがゆっくりと過ぎていく。


 しかたがないので、硬直した首吊り男に隆雄がニッコリと愛想笑いすると、右手で親指を立てて(サムズアップして)見せた。


 ぎゃあ!と叫ぶ男に、田辺が


「こっちですよこっち」


 などと何度か呼びかけると、どうやら手を振る田辺の姿を見つけたのか、露骨に安堵の表情を見せた。


 第一印象のインパクトを和らげる為、隆雄は最大限愛想良くしたつもりであったが、どうやら顔面の表皮のあるなしは、そんな彼の努力をあっさりと吹き飛ばしてしまうほどのハンディキャップであったようだった。


 ひそかに落ち込む隆雄を華麗にスルーしつつ、田辺は首吊り男に話しかける。


「あ、申し遅れました。あたしは田辺洋一と申します。こちらの顔面が大変な事になってるお兄さんは飯村隆雄さん。」

「あ、ご丁寧にどうもッス。俺、西田修二(にしだしゅうじ)って言います」 

「……飯村だ」

「よ、よろしくッス」


 若干怯えが混じった震え声で西田が返事を返す。

 こればかりは慣れてもらうしかないわけで、このまま怯えられていても困ってしまう。

 なにより、円滑なコミュニケーションに支障が出てしまう。


「西田君西田君」


 フォローでもしてくれるつもりだろうか、田辺が西田に諭すように声を掛けた。


「飯村さんこう見えてもすっごい傷つきやすいからね、怖がらないであげてね? 顔面と同じでハートの方も剥き出しだから! ノーガードで両手ぶらり戦法だから!!」

「あ、はいッス」

「よくわかんないんだけど貶されてる?」


 意味不明であった。




 ●





「ん? なんだあれ?」


 それに最初に気付いたのは隆雄だった。


 それぞれの身の上話も終わり、田辺たちと下らない冗句の遣り取りをしながら歩き続けていた彼は、いつの間にか死人達の上空に、奇妙な棒に跨った人間がいるのに気付いたのだった。


「ひと……ですかねぇ?」

「魔女だ、魔女ッスよ! 俺こないだレンタルビデオで借りて見ましたッスもん! 魔女が出るアニメ! アレとおんなじッスよ!!」

「魔女なら乗るのはホウキだろうが。棒に乗った魔女とか、見たこと無いぞ?」

「最近の魔女はホウキ以外にもいろんな物に乗るんッスよ! デッキブラシとか!」


 なぜか西田が興奮していた。


 たとえ、最近の魔女がデッキブラシに乗っていようが、掃除機に乗っていようがどうでも良いが、明らかに軍用と思しきヘルメットにゴーグルを付けて、迷彩を施した外套や、ジャケット、パンツに、小銃まで装備した魔女などいるのであろうか?


 第一あれじゃあ男か女かも判らない。男だったらどうするつもりだ。

 いや、その場合男でも魔女なのか、それとも魔法使いと言うべきなのか?

 益体の無い疑問を思考の端に上らせながら、隆雄は興奮する西田を眺める。


 「……首吊り男が興奮して魔女魔女叫ぶ姿は大概シュールだな」

 「シュールとか、それお兄さんが言っても説得力ありませんよ」

 「うん、それは充分に理解してるからそれ以上何も言うな」


 だがまあ、死人が歩く荒野もあるのだ。デジタルカモの迷彩魔女が居たっていいのだろう。

 西田があまりに魔女魔女うるさいので、隆雄は妥協しておくことにする。


 推定魔女(?)は、死人達の中央上空に到達すると、腰に提げた大きなランタンを操作して、その光で死者達を照らしながら大きく上空を旋回し始めた。


「なんなんでしょうなぁ? 何か目的でもあるんですかなぁ」

「さあな、見てたら解るんじゃないか?」


 田辺が疑問を呈すが、その声の調子からすると、答えを望んだわけではないのだろう。隆雄は適当に相槌を打つと、視線を魔女に戻した。



 いつの間にか、死人達の歩みが止まっていた。もちろん全ての死人達が止まったわけではない。隆雄達の周り数百人程だろう。数百人の死人達は、皆一つの物に惹きつけられていた。


 魔女の持ったランタンのその光である。




 隆雄達はいつの間にか、言葉を交わすことも忘れてランタンの光に見入っていた。


 強烈な飢餓感に支配される。


 ――なぜだろう、欲しい、あの光が……欲しい


 隆雄の心のどこかで、そんな声がする。理由は解らない。

 あの光に触れなければいけないような気がする。だが、心の別のどこかはそれに抵抗する。


 ――(アレ)を欲しがってはいけない。あの光は、俺という存在を消してしまう光だ。今までこの身に、魂に刻んできた、隆雄という記録を全て消してまっ白にしてしまう光だ。


 隆雄は恐怖した。

 浄化の光をその目で見てしまった為に彼の本能が理解したのだ。今まで自分達死人が何を目指して歩いていたのかを。

 訳も解らず、目的地さえ知らず、それでも死人達の足が、体が求めて目指しているのはあの光であるのだと。

 そして、あの光に抱かれた時、「飯村隆雄」という存在は終わりを告げるのだと理解した。




 叫び声を上げようとする。声が出ない。体が動かない。

 目は魔女を追い続ける。


 魔女は死人達から離れようとしていた。


 ――待ってくれ!その光を持っていかないでくれ!!俺達から《救い》を奪わないでくれ!


 声なき叫び。心が、飯村隆雄の魂が発する叫びだ。

 それに応えるよう、足は動きを取り戻していた。


 魔女(ひかり)を追って歩き始める。

 いつしか死人達は、魔女を先頭に新たな流れを作り出していた。隆雄も田辺も西田も死人達は夢中になって魔女(ひかり)を追う。


 救いを求める魂は、光を求める事に反駁を続ける、隆雄が隆雄であろうとする意思を押さえつけ、閉じ込め、光を追うこと以外の行動を許さない。


 隆雄達の後方で何かが連続して炸裂する音がした。


 大気が震える。

 だが、隆雄の目には光以外が映る事は無い。


 一際大きい爆発音が響き、何かが撒き散らされる。

 隆雄は光を追う。


 隆雄達を縛るように鋭い咆哮が響いた。

 隆雄は光を追う。


 隆雄達の後ろから、浄化の光とはまた違う、圧力を伴った、破壊的な光が迫る。

 隆雄は光を追う。


 既にボロボロの左腕は千切れ飛び、背に何かが刺さり、光が背中を焼く。

 隆雄は己が体の状態を省みることなく光を追って歩く。


 鋭い何かに胴が縫い止められ、胸から上が切断されてボトリと地面に落ちる。

 隆雄は光を追って、残った右腕で這いずり進む。



 遂には、全てが光に覆われ、何もかもが白く塗りつぶされた。



 光爆は、それを起こした「大天使」を中心に、常に薄暗い荒野の半径一キロ程の範囲を、真っ白に染め上げていく。


 そして、現れたときと同じように唐突に、残光すら残さずに消えうせた。




※男の魔女も魔女と呼ばれます。

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