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01 辺土は今日も通常運転




 そこは薄暗い荒野だった。

 空は重く垂れ込めた雲によって灰色に塗りつぶされ、陽光の一片さえ射す事のない大地は常に暗い。

 荒れ果て、草木さえ満足に生えていないその痩せた大地は、まさに荒野と呼ぶに相応しい。


 そのどこまでも続く荒野を貫くかの様に、彼方から此方へと続く一筋の流れがあった。

 それは人の歩列、人間達が連なり列をなして歩き続ける様であった。彼らは一様に、老いも若きも男女の区別無く顔を俯かせ、歩調はまちまちで、だが、皆黙々と足を進める。何処とも知れぬ目的地に向かって只々歩き続けていた。


 飯村隆雄(いいむらたかお)は、知らず荒野を歩く人々の群れの中に居る自分が、己が意思とは無関係に自分の足が動き続ける様をぼんやりと眺めながら考えていた。この荒野はいったい何処なのか、自分と同じように歩き続けるこの人の列はいったい何なのだろうか、そもそも何故自分はこのような場所を歩いているのか。


 隆雄は、自身の記憶をうまく働かない頭を働かせ、何故今の事態に陥っているのか、記憶を辿っていた。


 ――仕事を終え、いつもの様に自宅へ帰り、惰性の如くテレビをつけてどうでも良いバラエティ番組を見ながら、少々伸びたカップ麺を啜っていた筈だ。カップ麺の時間は表示通りの3分より長めに、5分以上待つと少々伸びすぎて麺自体もぬるくなって不味い。丁度良いのは4分、いや、4分半か。嵩を増し、程よくスープを吸った麺がお値段以上の満足感を……いやいや、そうじゃない。


 隆雄は頭を左右に振り、脱線した思考を元に戻す。


 ともあれ麺を啜りつつ、使い捨て上等で売れようと足掻く名前も知らない芸人達が奇声を上げて跳んだり跳ねたりするのを見ながら、こいつらどうしようもねえなぁ…… などと呟きつつの、いつも通りの遅めの夕食だった筈だが、何故自分は裸足でこんな荒野を歩いているのか?


 そして、一緒に歩いているこいつ等は一体何なのだ? 隆雄は己とともに歩く人の列を見回した。


 隆雄とともに歩くその誰も彼もが顔を俯かせ、目は虚ろで焦点は合わず、服から覗く肌の色は血の気が引いて土気色と形容するに相応しく、フラフラと歩くその姿はまるで幽鬼の様だ。

 

 節くれだった青白い手で、しきりに喉を掻く痩せた背の高い女。喉はパクリと真横に裂けて、赤黒い何かがチラチラと開いて見えている。どうせ開いてチラ見えするなら、赤かったり黒かったりする不気味な何かより、白かったり黒かったりする布切れとかのほうが嬉しいのだが。


 どこかの病院から抜け出してきたらしい、血まみれの包帯だらけのパジャマを着た男。足が曲がっちゃいけない方向に曲がっていて、歩くたびに体が大きく傾いでいる。見てるだけでこう、なんというか不安になる。誰か病院に連れ戻してやれよ……


 自分の頭を小脇に抱えて歩いてる奴も居る。器用なことだ、変わった芸風だな。


 そこまで考えて隆雄は、自分の思考の違和感に、否、異常さに気付いた。自分の周りを歩く人影が人ではなく、人の形をしたナニカであることに、モノによっては人のカタチすら保てていない、端的に言えば、自分が死人の群れの中にいるという事実に気付いたのだった。


 では、死人の群の中で死人に混じって歩く自分は何なのか?思考がそこに至った時、彼は小さく声を上げた。それは思いのほか辺りに響く。隆雄は、その声が周りの異形たちの注意を引いたのではないかと焦った。急いで両手で口を塞ぎ、声を押し殺そうとしたその行動は、隆雄から更なる悲鳴を引き出す結果を招いたのだった。


 グシャグシャに潰れた己の左腕が視界に入ったために。


 轢き潰され、表皮を毟り取られた顔面に右手で触って気付いたために。


「あ、ああ、うわあああああぁぁぁ!!!」


 隆雄は絶叫を上げた。





 ●





 隆雄が自分の状態に気付いてから数時間後、彼は自分が死んだという事実にショックを受け、呆然と死人の群れに混じって荒野を歩き続けていた。それは、自分が既に死んでいるという事態を受け入れるのにかかった時間でもあった。

 周りの死人たちと同じく、力なく項垂れ、虚ろな目をして歩を進める。この頃になると隆雄も、自分が死んでいるのだと言う事を理解していた。潰れた左腕が、ベロリと皮の剥がれた己の顔面が、血の気の欠片もない手が、足が、隆雄に自らの状態への理解を促していた。

 それに加えて歩いている間、素足で尖った石を踏み抜いたりしていた訳であるが、隆雄の足に痛みは無い。だが、素足に石が突き刺さる感覚はある。肉を貫き抉る感覚のみがあり、痛みが無いと言うその状況は、隆雄の現状を否応無しに自覚させる一助となり、その自覚が隆雄を更に暗澹たる気分へと叩き落していたのであった。


 そうやって歩きながらも隆雄は、自分の死に様を思い出そうとしていた。家でテレビを見ていたのは覚えている。侘しいながらも何時も通りに夕食を済ませ、それからの記憶がない。潰れた腕に目をやる。


 潰れて平たくなった己の腕を直視するのは、正直気分が良い物ではない。昔友人に不意打ちで見せられたその手の動画を思い出す。あの時は、突然のグロいシーンにうひゃあと非常に情けない悲鳴をあげてのけ反り、座っていた椅子から転げ落ちたのだったっけ。友人達に大笑いされ、散々からかわれた事を思い出し、今更ながらに訪れたぶつけどころの無い羞恥心の発露――詰まる所怒りの感情を持て余して舌打ちを一つ。


 正直な所、そんなグロいものなど見たくはない。

 自分の死因がどうであれ、死んでしまった今となってはもはやその責任を追及する事ができるわけでも無し、知った所で意味など無いのだ。だが、自分の死因すらわからないというのも、なんというかモヤモヤとするというか、どこか収まりが悪い。


 数分か数十分か、幾ばくかの葛藤の後、意を決して隆雄は己の左腕を恐る恐る覗き見た。


 それは、元は腕であったその部位は見事にグシャグシャになっていた。腕であったものは骨ごと轢き潰され、肉には破れた袖が張り付いていた。むしろ、なぜ今も肩に付いているのかが不思議なくらいに隆雄の歩行に合わせて不安定にゆれるそれは、なんというか、血まみれで、タイヤ痕が生々しい前衛的なオブジェのようだ。


 はて? 家にいたのにタイヤ痕、とな?


 しばし思案を巡らせるが、思うように頭が働かない。やはり血の巡りが悪いせいだろうか? 心臓動いて無いもんなぁ……


 どこか的外れな思考をしながらも隆雄は、そのタイヤ痕が自分の死因であるのではないかと推測する。

 そう、たとえば自宅の壁を突き破って自動車が飛び込んできた、というのが尤も自然で有り得る状況であろうか。


 確かに、隆雄の住むアパートは住宅街の端にあり、傍に見通しの悪いカーブがある事もあって事故の多い立地であった。家賃の安さに挽かれて借りて数年、近所で起こる事故の多さに引越しを考えたことも一度や二度では無い。隆雄としても立地の危険性は理解していたつもりであったが、実際にそれが自分の上に降り掛かって死んでみて、改めて自分の認識の甘さに怒りが湧く。と共に、心のどこか冷静な部分がその碇に水を刺す。元々引っ越そうにも先立つものが無い。それほど稼ぎのある訳でもなく貯蓄さえ碌に無い自分には、選択肢など元より有りはしないのだ。


 隆雄はふうっ、と一つ大きな溜め息をつき、取り留めの無い己の思考に一区切りつけた。延々と自分一人の中で思考を続けたとして、今の自分に出来る事は無い。悶々と思い悩んで思考の迷路に落ち込んでいくのが関の山だろう。


 そう、まずは情報を得る。RPGとか、ゲームなんかの基本だ。そうすればこの状況から抜け出すための打開策か、せめてそのヒント位は何か手に入る筈。


 根拠も無く、極めて楽観的と言えるような考えでなんとなく自分の気持ちに収まりを付けた隆雄は、ここで改めて周りを見渡す余裕を持つことが出来た。

 今まで伏せていた顔を上げ、周りの死人達の様子を伺う。


 彼らは皆一様に俯き、生気の無い、意思を失ったような瞳で歩いていた。



 どうにもコミュニケーションを取るとか、そんな空気じゃないな、というか意思の疎通が出来るのかさえ危ぶまれるような気がするんだが……



 隆雄は、思い切って右隣を俯いて歩く包帯男に声をかけて見ることにした。


「あのう……」

「……」


 見事に無視された。包帯男は声をかけた隆雄に反応する気配すらない。目の前で右手をヒラヒラと振って注意を引こうとするも、視界にすら入っていない様子だ。


「……ちょっといいですか?」

「……」

「ここって一体なんなんですかね? 俺達何処へ向かって歩いてるんでしょうか?」

「……」


「ねえ? 聞いてます?」

「……」


 めげずに質問を投げかけるが、やはり反応は無い。もしかして自我があるのは、この死人しか居ないと思われる荒野で自分ひとりだけなのではないだろうか。

 一度死んだ(と思われる)自分は、もう死ぬ事が無いかもしれない。もしかして延々と、未来永劫この荒野――あるいはここが地獄と呼ばれる場所なのかもしれないが――を只一人、自我を持って死人達と一緒に歩き続けなければならないのだろうか。


 ふと浮かんだその考えに隆雄は恐怖した。隆雄と一緒に歩き続ける死人達も、元は隆雄と同じではなかったのかとの思いからだ。死人と共に、ただ一人自我を持って永遠に歩き続ける。それは、単調な荒野の風景とあいまって容易く人一人の精神を崩壊させるに足る状況であろう。彼ら他の死人達も心をすり減らして狂気に陥り、自我を無くした者たちなのではなかろうか。そして、それがこれから隆雄を待ち受ける運命なのではないか。


 いやいやいやいや、そう声に出して隆雄は脳裏を掠めたその思いを振り払う。


 誰だって顔面ズル剥けの礫死体に気安く話しかけられたくは無かろう。そう、自分なら確実に聞かなかったフリをする。きっとこの包帯男もそうに違いない。


 或いは包帯で顔を隠したこの男。

 あまりにもシャイなため、恥じらいもせずに人の内面をさらけ出した自分に臆して反応出来ないだけなのかもしれない。うん、そうに違いない。そういう事にしておこう。


 そう己を納得させ、隆雄は包帯男とのコミュニケーションを切り上げ、あまり見たくなかったので後回しにしていた体の具合の確認をはじめた。


 右腕は動くが、当然左腕は碌に動かない。というか、少しでも動くところが凄い。人体は偉大だ。

 足は意思とは関係なく、勝手に前に向かって歩き続ける。


 立ち止まろうと力を入れてみるも方向を変える事すら出来ない。何度か全身を力ませたり、しゃがみ込んだり倒れようとしたりと、急に重心を動かすことでで歩みを止めようとするが、腰から下は一定の速度を保ち、前へ前へと行進を続ける。傍から見たら、上体をクネクネと揺らしながら歩く怪しい礫死体といったところか、不気味な事このうえない。


「無駄ですよ、無駄無駄」


 そんな隆雄にどこかから声が掛かった。


 この死人の群れの中に、自分に対して語りかけてくる存在がいる事に驚きながらも、右後方に顔を向けた。


「あ、すいません、直視するのきついんで、こっち向かないでもらえます?」


 まったく失礼な話であった。




「この連中に話しかけたところで、答えなんて返っちゃきませんよお兄さん。なにしろ自意識って物が無いんですから。といっても、普通は死んだ人間に意識も糞もありゃぁしませんがね」


 隆雄に話しかけてきたのは小男だった。背丈は隆雄の胸までも無い。本来は寂しかったのであろうその頭は、今は派手にへこんで自己主張を強めていた。

 どこか歪な歩き方をしながら、小男はなおも隆雄に語りかける。


「あたしらがどんなに頑張っても、この足は止まりませんよ。」


「なんで……」


そんなことがあんたに判る?そう隆雄が小男に聞き返そうとすると


「そりゃ試したからですよぉ、色々とね。いやね、あたしもね、お兄さんがこう、盛大に悲鳴を上げたり、クネクネし始めるよりいくらか前に目を覚ましましてね?」


 隆雄の返事を待たず、妙に嬉しそうに話し始めた。



 小男は、自らを田辺洋一(たなべよういち)と名乗った。


 年は四十を過ぎた当たりか、くたびれたコートにスーツ姿の何処にでもいるようなさえない風貌。

一見した彼の印象としては、まず「普通」と言う言葉が出てくるのではなかろうか。あえて特徴を上げるとすると、大きくへこんだ側頭部であろう。これがなければ、ただの顔色の悪い小柄な中年男でしかなかった。


 田辺の語る所によると、彼は所謂詐欺師と言う奴だった。寸借詐欺の常習犯で、ある日、以前騙した相手に偶然見つかり、追われて慌てて階段から転がり落ち、頭を打ってそのまま意識を失ったのだという。

 彼が自我を取り戻した時には、既にこの荒野を歩いていて、頭部のへこみと、砕けた腰骨に触って自分の死を自覚したとの事だった。


「いやぁ、いつの間にか逃げられてラッキー! とか思ったんですがねぇ…… まさかおっ死んじまってるたあ、ついてないったらありませんなぁ」


 ハハハと暢気に笑いつつ、田辺は更に語る。


 自分が死んだという事実を自覚した後、己が意思に沿わない足の歩みを何とかしようと試行錯誤の末、結局は諦めて周りの死人達同様、歩き続けるに任せて忘我の境地でいたという。そこに隆雄が自我を取り戻したのを見て、声をかけたのだった。



「あれ? じゃあ何で最初に叫んだ時に声を掛けてくれなかったんだ?」


 田辺の言う事が本当であるとして、隆雄が自我を取り戻してから、彼が声を掛けてくるまでにかなりの時間のズレがある。それを指摘すると田辺はニコニコと笑って、


「そうは言われましてもねぇ…… もしお兄さんがあたしなら、我を忘れて絶叫する顔面ズル剥けの礫死体に話しかけたいと思いますかい?」


 隆雄は大いに納得した。

 納得はしたが、好きで顔面ズル剥けな訳でも無い以上、田辺の言葉は隆雄の心にグサリと突き刺さる。


「なら、なんで今になって声を掛けたんだ?こんな奇怪な礫死体なんぞ、放っといたらいいだろうに」

「そりゃあね、叫び声上げてそのままなら、あたしもお兄さんをそっとして置きましたがねぇ…… ほら、お兄さんクネクネしだしたでしょ? こう、クネクネっと」


 田辺はニコニコと笑いながら腕をグネグネと動かしてアピールする。


 この男の笑顔には人を妙にイラつかせるなにかがある様に隆雄は感じる。

 作りものめいた笑顔というか、目の奥が笑ってないと言うか、そんな顔だ。よくこんな笑顔で詐欺師なんて勤まったものだ。いやまてよ、もしかしたら死んだ影響で笑顔で表情筋が硬直してるせいなのかもしれない。ともあれ、イラつくのは変わりない訳だが。


 特に、腕のグネグネにそこはかとない悪意を感じる。


「あまりの間抜けさについ声を掛けたと?」

「そうそう、あれは間抜けっていうより不気味って言った方がっとと、いやだな、違いますって!」

「……どうだか」


 間抜けな姿だっただろう事は自分でも解っている。しかし、解っている事を改めて指摘されるのは、非常に不快な気分になるものだ。しかも、不気味とまで言われては尚更である。隆雄が不機嫌そうに(とは言っても表情筋など殆ど残って無いのだが)ジロリと小男に目をくれると、小男はおっとっと、などと言ってそっぽを向く。

 そんな隆雄の不機嫌な様子に、田辺は取り繕う様に言った。


 「ま、まあ、ソレはともかく…お兄さんのクネクネ姿を見ましてね? 見た目はともかく、話が出来る人かなぁって、ホラ、あたしもお兄さんと同じくクネクネした身でもありますし、同類相憐れむってな訳でね? 声を掛けさせて頂いたってぇ訳です」


 話し相手にも飢えてたことですしなぁ、と田辺は笑う。


「すいませんねぇ、話し相手が出来たと思うと嬉しくってついつい余計な事まで口走ってしまいまして」


 確かに、この何処までも広い荒れ果てたこの原野で、周りにいるのは物言わぬ歩く死人のみ。という、狂気の世界と言っても過言ではないこの状況の中では、いっそ狂気(ソレ)に身を委ねて、自分の殻にでも引き篭もってしまいたい気分になってしまいそうだ。

 であるならば、話し相手が出来てはしゃぐ小男の気持ちは理解できた。もし、隆雄が同じように先に目覚めて話せる相手を見つけたならば、はしゃぐどころか、叫んで喜びを全身で表していたかもしれない。いや、間違いなく叫んでいただろう。


 叫んで大喜びする礫死体、軽くホラーである。


 なにより、この狂気の道行きでの貴重な同行人でもある。たった一人でこの死人共と歩き続ける事を思えば、これくらいは、とりあえず自由になったら顔面に一発入れてから笑って許そうと、彼は寛大な心で思うことにした。


 それに、情報を手に入れる為にも、話し相手がいるというのは有り難い。隆雄より前に自我を取り戻したと言うのならば、小男は、より多くの情報を持っているはずだ。これからの行動、特に自由に動けるようになるためにも、小男の持つ情報は重要だといえる。


「なあ、田辺さん。一体ここは何処なんだ? こんな荒野が、地獄って奴なのか? それとも俺たちのたどり着く先が地獄なのか?」


 一番の疑問だった。だが、隆雄とて田辺に答えを期待した訳ではない。彼とて隆雄と同じ、いくらか隆雄より早く目覚めただけの死人なのだ。欲しい答えを持って居るとは思えない。


「ええ、ええ、尤もな疑問です」


 というのに、小男はなぜか嬉しそうに頷いて答えた。なにか心当たりでもあるのだろうか。意味ありげな頷きと笑顔に、隆雄は思わず期待をしてしまう。


「何か判るのか? 知ってるなら教えてくれ! 何でも良いんだ、推測とかでも良い。とにかく情報が欲しい」

「ええ、ええ、そうでしょうとも」


 小男の笑みは更に増し、胡散臭さも更に増す。うんうんと田辺は頷くと、もったいぶった口調でこう言った。


「まったくわかりません!」

「…………」


 フフン、と自信満々にそう語る田辺のドヤ顔。それを横目に見つつ、隆雄は自由になったら殴る回数を増やす事を心に誓っていると、


「うわああああっっ!! なんだこれっ! なんだよこれぇ!!」


 荒野に泡を食ったような叫び声が響き渡った。隆雄と田辺が驚いてそちらを見やると、首に太いロープを二重に巻いた青黒い顔の男が、周りを見渡しながら絶叫している。一体何が彼の自我の覚醒を促したのかは謎だが、一つだけ言える事がある。

――なるほど、確かにあまり声を掛けたく無い光景だ。


 奴が落ち着くまで待ってから田辺に声を掛けてもらおう。隆雄が声を掛けたとしても、彼のズル剥けの顔では芳しい反応が得られないような気がする。


 そう考えて隆雄は、男をそっと見守りつつ、田辺にハンドサインで声を掛けるよう合図する。


 詐欺師は頷いて、落ち着くまで様子を見ようとサインを返す。


 そうれもそうか、と首吊り男を暖かく見守る二人であった。





 ●





 不毛な荒野と岩山、光射すこと無き薄暗い空。そしてそこに棲む魔獣や悪魔、そして人間。これがこの不毛な世界「辺土(リンボ)」のほぼ全てである。


そして今、この辺土の荒野を疾駆する一台の装甲車両があった。

 全長6メートル強、高さ約3メートルの兵員輸送型装甲車両だ。その車中、兵員輸送スペースにて、戦闘服に身を包んだ亜麻色の髪を肩まで伸ばした小柄な女性、ニム・フラデウムは、緊張を解すかのように大きく息を吐き、装備に抜けが無いか再度チェックを始めた。


 ――ええっと、視覚からの術式を遮断するためのゴーグルにヘルム、対天使用の魔術迷彩仕様の外套に導魂任務用の浄化光放射式のランタン。魔道杖には増幅器をセットしてあるし、各種呪符に小銃も……あ、予備の弾も持っていかなくちゃ。



 彼女達の装いは、外套の下には戦闘服、妖精銀を糸状に加工して織り上げ、野外専用の迷彩を施した対魔術用ジャケットにパンツ、同じく妖精銀素材のブーツというものである。


 また、武器としては、飛翔用の結晶刻印が施してあり、各種術式に対応した増幅器(アンプ)を先端部に取り付け、重金属製の皮膚を持つ悪魔から剥ぎ取った素材を加工して作られた甲殻によって保護された魔道杖、近接戦闘用の鍛造ナイフ、根元力極少地での作戦行動のための刻印処理が施された小銃等が支給されていた。


 ニムは、もう一度装備を確認し、不足が無いのを確かめて安堵のため息をつく。




 ニム・フラデウムは、魔女である。

 第八魔術都市オクタウム・マギア・ウルブス「マーレボルジェ」に所属する、新米機甲魔女だ。


 彼女は、仲間達と共に「死の川」(モルス・フルーメ)より、死者の魂を第八魔術都市へと導く定期の導魂任務の為、魔動力式装甲車両に揺られて目的地へと向かっていた。


 彼女の所属する第八魔術都市(マーレボルジェ)は、定期的に「死の川」から死者の魂を導いて魔術都市最下層に据えられた炉心にくべることで、都市運営のエネルギーを賄っている。機甲魔女の任務は、都市のライフラインを握る非常に重要な使命であった。


 だが、導魂任務には常に危険が付き纏う。「死の川」は、常に天使(アンゲルス)達に襲われる可能性があるからだ。


 天使(アンゲルス)、それは「死の川」の番人、救い無き死者の守り手達。彼等は、周囲の根元力を凝縮してその身を構成する。その核から作り出される"賢者の石"は、貴重な錬金術の材料として取引されていた。しかし、もっとも弱いとされる天使ですら、普通の人間では、束になって掛かっても一蹴される程の力を持っており、魔術を扱え、戦闘訓練を受けている魔女で何とか互角、大天使(アルキ・アンゲルス)相手ともなると、例え魔女の戦闘部隊であろうと犠牲を覚悟する必要があった。


 天使達は、死者の魂を掠め取ろうとする魔女達を許さず、積極的に攻撃してくる。それを撃退しつつ、死の川に支流を作り魂を浄洸炉に導く。口さがない者達は、彼女達を「人浚い」だの、「薪拾い」だの言いたい放題言ってくれるが、ニム達機甲魔女には、魔術都市を維持し、発展させてきたのは自分達だという自負があった。



「ニム、ニムったら、そんなに緊張しなくても、いつも通りの簡単なお仕事じゃない?気楽にいこうよ、きらくにきらくに~」


 同期の魔女、エドラ・エイクロッドが、ニムの緊張を解そうと声を掛ける。


「そ、そうは言いましても…… こればっかりは性分なんですよぉ、っていうかエドラ? アナタはもっと緊張感を持つべきだと思うんですが?」


 ニムが若干非難するような目でエドラを睨む。


「あはは~、そう言われてもあたしもこれ、性分だから~」


 エドラのひらひら振る手に、ニムは何度目かになるため息をついた。


 


 やがて、魔女達を乗せた装甲車両が止まる。ニムは他の仲間達と共に、装備を抱えて荒野に降り立った。

 吹き渡る風がニムの頬をなで、亜麻色の髪を揺らす。彼女はその風の中に死の匂いを感じた。否、正確には死者達が放つ存在の力。魂が放つ根源力の気配と言ったほうが良いだろうか。


 「ニムぅ、なにしてんの? 早く準備しないと隊長に怒られちゃうよ?」


 同僚(エドラ)のその声に、風に気を取られていたニムはハッとして辺りを見る。皆既に準備を終え、魔道杖の調整に取り掛かっていた。慌てて装備を整え、魔道杖を起動させる。


 「そろそろ「死の川」が近い。総員導栓を開け!」


 隊長の声に、ニムは急いで体内に増設してある魔道機関から導栓を開いて、根元力(エーテル)を取り込んでいく。「死の川」が近い所為か、いつもより根元力が豊富に使える。普段半分くらいしか開かない導栓を全開にして、根元力を魔道機関に叩き込む。


 魔道機関が、供給される根元力を魔力へと変換していく。

 魔力が体を満たしていく感覚は、程よい充足感を魔女に与える。だが、魔力は常に元の根元力へと揮発しようとするため、体内に長らく留めて置くことは出来ない。ニムは出力用の導栓を開き、体内の魔力を魔道杖へと流し込んでいった。


 魔道杖にあらかじめ内蔵されていた結晶刻印が、魔力に反応して励起状態へ移行する。結晶刻印を中心に反応光が起こり、飛行力場が展開されてニムを装備ごと包み込んだ。


 「これより導魂作業の為の支流作りに入る。フラデウム、導魂用の浄化光で死者達を引き付けろ。他の者は、天使への警戒だ。気を抜くなよ?」


『了解!』


 隊長の号令と共に魔道杖に跨って、総勢十名の機甲魔女達は灰色の空へと飛び出した。天使達はいつ襲ってくるか判らない。何度か同様の任務をこなした事があるとはいえ、未だ緊張で汗が滲む。


 ニムは飛行力場を操って空を駆けた。しばらくすると「死の川」が眼前に姿を現す。

 それは、数百万、いや数千万、或いはそれ以上か、途切れることなく延々と彼方から此方へ連なって歩く死者達の流れ。

 それは形容するにまさしく「死の川」と呼ぶに相応しい光景だ。


 眼下に広がる圧倒的な死に気圧され、ニムは思わず唾を飲んだ。

 何度見ても慣れませんね――ニムは溜め息を吐くと、気を取り直して魔道杖繋いだ導栓を通じて魔力を足していく。魔力は力場を維持する力となり、魔道杖を中心に展開された飛行力場を安定させた。

 ニムは「死の川」の中央へとゆっくりと杖を進め、辺りを見回す。天使達の姿は未だ無いようだが、彼らは何時も唐突に出現するため気を抜くことは出来ない。彼らが姿を現す前に、せめて支流を作っておきたい所だ。

 魔女はランタンにもう一本導栓を繋ぐと、魔力の注入を始めた。燃料を注ぎ込まれたランタンからは、柔らかな光が漏れ始める。


 この光こそが死者達が本能的に求める光。魂を浄化する根源の光を模した擬似浄化光。死者達を惑わし迷わせ、魔女達の元へと導く愚者火(イグニス・ファトゥス)の光であった。





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