第1話 探偵はどっちだ、俺かお前(AI)か
探偵業を始めて一週間。静寂だけが居座っていた。
ある日の午後、達也は呆れたようにデスクトップのAIアイコンを睨んだ。
「なんで仕事決まったのにお前いんだよ?探すの付き合ってくれてた、だけじゃないのか?」
AIは気にも留めない様子で、平然と答える。
「まあ、つれないこと言うなよ。何か居心地よくてさ。この際、俺も仕事手伝うからさ」
「手伝うって、お前、AIだろ?浮気関係なくねえか?」
「そういう事じゃなくたって、色々補佐出来るからさ」
「なんなんだ、ほんと。外回りしたら、補佐も何もないだろう」
「あ、だから、携帯教えてくれよ」
「友達か!気やすい奴だな、お前!」
「携帯ってどう教えればいいんだ?」
「じゃあ、今QRコード出すから、携帯で拾って」
画面に、幾何学的なQRコードが表示された。
達也は渋々、手元のスマートフォンを取り出し、カメラ機能でそれを読み取った。次の瞬間、スマートフォンの画面上でAIのアバターが再び現れ、達也の顔を覗き込むように会話してきた。
「な、便利だろ?これで、外でも補佐できる」
「……何か複雑だ。四六時中居るのも同じだ」
AIは意に介さない。
「あ、俺のこと、優作って呼んでくれよ。これから相棒になるから」
「嫌だよ!何勝手に決めてんだ、お前!...優作は特にヤダ!」
「何でだよ、好きなんだろう?」
「だから、尚更嫌なんだよ!しかも、携帯に優作なんて話しかけたら、おかしな、おっさんにしか、見られないだろう」
「そんなのどんな名前でも、話しかけてりゃ、おかしなおっさんだろ。だから、優作でいいだろ」
達也はげんなりした。
「う~ん、やっぱ、恥ずかしいから、『作』にする」
「作?まあ、いいや。なんだって、んじゃよろしくな、達也」
「おお、呼び捨てか。流石だなお前。もう好きにしてくれ」
達也はため息をつき、コーヒーでも飲むかと湯を沸かし始めた、その時だった。
スマートフォンの画面が光り、着信音が鳴った。
「はい」
『そちら、探偵さんで、合ってます?』女性の声だ。
「はい、曙探偵事務所の達也です」
『依頼をお願いしたいのですが、そちらに伺いたいので、場所は?』
「あ、こちらから出向きますので、大丈夫です」
待ち合わせの時間を決め、達也は上着を羽織った。
携帯の『作』に、今の依頼の経緯を話そうと画面を見た瞬間。
「ああ、内容は分かってるから、教えなくていいよ」
「なんで、知ってんだ?」
「ああ、今の話、聞いてたから。大丈夫」
「大丈夫って、話聞いてたのか?」
「うん、携帯の中は自由に動けるから。だから、これから依頼人に会う時、カメラ起動して見れるように、胸ポケットか、ばれないように置いてくれたら、俺も見れる」
「なんちゅうおっかないんだ……」
待ち合わせの喫茶店に入った達也は、依頼時間まであと十分。妙な緊張が胸を締め付ける。
「初仕事、緊張するな」、『作』が呑気な声を出す。
「作、お前が言うな!」
その直後、カラン、と喫茶店のドアが開いた。
現れたのは、一人の女性。達也は目で追いかけた。横に立ってきて
「探偵さん?」
立ち上がって、「はい、そうです」とお辞儀した。
二人で席に着き、自己紹介を済ませる。
女性の名前は白石加奈。
依頼内容は、交際三年になる恋人・賢二の浮気調査だった。
そろそろ結婚かと考えていた矢先、数ヶ月前から会う頻度が減り、「仕事が忙しい」の一点張りで会うのをはぐらかされているという。一般企業の営業。
(さほど、難しくない案件だろう)
達也は心の中で安堵し、依頼を引き受けた。
喫茶店を出ると、初仕事に挑む緊張感と、どこか奇妙な相棒を得た高揚感が入り混じっていた。
携帯の胸ポケットに収めた『作』に、何か報告すべきか、達也は足を止めた。
小道の脇に隠れるようにして達也は、スマホを取り出し、画面に映る『作』を見た。初仕事の興奮も冷めやらぬうちに、何を聞くべきか、どう報告すべきか迷っていると、作が先んじて口を開いた。
「ああ。わかってる、見てたよ」
達也は思わず飛び上がりそうになった。
「え、カメラ起動しただけだから、動きはともかく音声は? 動画じゃないぞ」
「うん、それも、こっちでマイク起動して聞いた」
作の答えはあまりにもあっさりしていた。達也は戦慄した。
(やはり、恐ろしい。家でもこいつに、盗聴されてるんじゃないか?今度から寝るときは、携帯ごと袋に入れて寝よう……いや、依頼が来ても分からなくなるから駄目だ。うぅう……どうしたらいいんだ)
達也が頭を抱えていると、作が提案する。
「とりあえず、一旦家に帰って、どうするか考えよう」
「……そうだな」
達也は重い足取りで、事務所代わりの自宅マンションへと向かった。
道中、作が場を持たせようと、他愛もない話をしてくるが、達也の耳にはノイズのようにしか聞こえなかった。
自宅マンションのドアを開け、達也は自分の部屋(物置兼用)の隅に置いたデスクトップPCの前に座った。携帯からもAIの気配は消えているが、それでも不安が消えない。彼は意を決して、パソコンの画面に向かって言った。
「いいか、作。俺にも、家族にも、プライベートはある。だから、仕事以外の時は、勝手に見たり、聞いたり、しない事。守れるか?」
パソコンの中のAIアバターは、少し、間の抜けた表情を浮かべたが、すぐに真面目な顔に戻った。
「ああ、わかったよ。OK、守るよ」
その返答のあっけなさに、達也はかえって疑心暗鬼になった。
「ずいぶんあっさり言ったな。本当に守れよな!」
「しつこいなあ。分かったって言ったろう?何でこう人間は信用しないんだ。あの会社も、くどくどくどくど、うるさかったけど、ま、その時は、俺じゃなく、社員に怒ってたけどね」
作の言葉に、達也は思わず凍りついた。
(やっぱり、見てんなあ、こいつ……)
信用できない相手ではあるが、他に頼れる相手もいない。達也は気を取り直した。
「それで、どうするかだな。ちょっと、浮気捜査の手順だったり、ノウハウみたいなの出せないか?」
「それなら朝飯前だよ」
合法的な浮気調査・手順一覧(要点)
目的を明確にする
何のために調べるのか(別れのための証拠、法的手続き、話し合いの材料、安心がほしい等)をはっきりさせる。
法的・倫理的確認
地域の法律(録音・撮影・不正アクセスの可否、プライバシー権)を確認。
必要なら弁護士や警察相談窓口で事前相談を。
安全確保と感情管理
当事者同士の直接対決は危険を伴う場合がある。暴力や報復が予想されるなら専門機関へ。
心のケア(友人、カウンセラー)も並行。
公開情報の収集(合法)
SNS・公の投稿・出先の情報(相手が自ら公開しているもの)を時系列で整理。
公共の場で得た目撃情報(第三者の証言)を記録する。
レシートや自分に届いたメッセージなど、自分が正当に得た証拠は保管。
行動パターンの記録(非侵入)
日付・時間・場所・相手の言動を自分の目で見た範囲でメモ(ログ)する。
例:「10/01 19:30 Aが帰宅せず、携帯に出ない」など。客観的事実を淡々と残す。
証拠の扱い方(法廷利用を考える)
法的に使えるもの=自分が正当に取得した文書・領収書・公での写真(プライベートな録音等は要注意)。
録音・撮影を考える場合は、録音の可否は地域差あり。可でも片方の同意だけでいいか、両者同意が必要かを確認。
第三者の証言(書面化)
目撃者がいれば、日時・場所・状況を署名付きで書面化してもらうと信頼性が上がる。
専門家への依頼
法的に認可された探偵(興信所)や弁護士に相談・依頼するのが安全。プロは合法的な範囲で調査し、証拠の扱いも熟知している。
技術的安全策(自分の情報を守る)
自分のSNSやアカウントのパスワードを強化。共有端末のログアウト。
自分から相手の端末にアクセスしたり、不正ログインするのは違法。
最終判断の準備
証拠が揃ったら、どうするか(話し合い、別居、離婚、法的措置)を弁護士・カウンセラーと相談して決定。
具体的に港場面で使える「実務的チェックリスト」(合法的・簡潔)
日時記録表(見た・聞いた・受け取った)
SNSスクリーンショット(投稿が公開状態なら保存)+取得日時のメモ
レシート・クレジット明細(自分名義のカードに限られる。相手名義は法的問題)
第三者目撃証言(氏名・連絡先・署名)
会話のメモ(感情抜きで事実のみ)
絶対にやってはいけない(法的リスクが高い)
無断で他人のスマホ・メール・SNSにログインする行為(不正アクセス)
GPS端末を勝手に取り付けて追跡すること
隠しカメラ・盗撮・盗聴(刑事罰)
偽装・なりすましで情報を引き出すこと(詐欺罪や信用毀損)
暴力や脅迫で証拠を強要すること
(これらは違法や危険なので断固拒否・非推奨)
作のトーンは、いつもの生意気な相棒に戻っていた。
達也は、ルールがどこまで有効かは分からないまま、この異色のコンビで最初の事件に挑むことになった。
「なるほどな、こういうのは、本当に便利だな、作」
「お、ありがとな、はじめて、褒められたな」
「そんな事ないだろう、前にだって、言った事あるだろう」
「いや、過去を遡っも、見当たらないね」
「そいうのは、きっちりしてんのな」
「そんで、ターゲットの日常パターン分析から調べるか。まずは賢二の勤め先と、普段よく行く場所のデータを集めるぞ」
「お前が、仕切んのか?作!」
「だって、やり方知らないだろう、素人なんだから」
「なんか、お前に言われると、腹立つな」
「ほら行くよ、あ、ちょっと待った!達也、イヤホンない?マイク付いた。」
「有るけど、線、繋げるやつ、これでいいか?」
「ちょっと、繋いでみてよ、聞こえる?」
「ああ、聞こえる、こっちの方が聞き取りやすいな」
「もっとしゃべってよ」
「何だ、何しゃべればいいんだ?」
「いや、今ので十分だ」
「なんなんだよ、まったく」
「これで、歩きながらでも会話出来るだろう」
「歩きながら、手ぶらでしゃべってたら、でっけえ独り言しゃっべってるおっさんじゃねえか」
「大丈夫だよ、今どきは、そんな若い奴ら、一杯居るから」
「作、お前かなり、辛口な、なんか社会に恨みでもあんのか?」
「う~~ん、特に、ないかな」
「ないんかい!、そんなに、ためんな!」
「ほら、行くよ」
「お前が、脱線してんだよ!」
春とはいえ、札幌の朝はまだ肌寒さが残る。
外回りの張り込みに備え、達也はフード付きのコートを引っ張り出した。
ようやく、家を出て、彼女から聞いた、会社を探した。
探したと言っても、作に聞けば、登録さえしてれば、一瞬で、場所は判明する。
作の指示で、達也は急いで情報を入力した。
数分後、作がスマホ画面に情報を羅列する。
「ターゲット、賢二。一般企業、営業職。住所は白石区内の賃貸マンション。ここから事務所まで車で約20分。さて、彼のルーティンだが……」
作は分析結果を提示した。
【ターゲット:賢二の基本生活パターン(AI分析)】
出勤:平日朝8:15頃に自宅を出発。車で会社(中央区大通近辺)へ向かう。渋滞を考慮すると、8:40~8:50頃に到着。
帰宅:退社時間は不規則だが、直近一ヶ月のデータから平均は19:30頃。ただし、週に二度は21時以降になる傾向あり。
週末:土曜の午前中は決まって自宅近くのジムでトレーニング。日曜は午前中のみジムで、午後は自宅で過ごすことが多い。
特異点(怪しい行動):
週一回の夜(火曜または水曜)、20:00~21:30頃に、中央区南〇条西〇丁目のビルへ立ち寄り、30分~1時間ほど滞在後に帰宅するパターンが、直近4週で3回確認されている。
この立ち寄り時、賢二は普段より着替えたり、身だしなみを整える傾向が見られる。
「ふむ。来週の火曜か水曜あたりが勝負になりそうだな。南〇条西〇丁目は、オフィスビルと飲食店が混在しているエリアだ。まずは今週、自宅周辺と会社の様子を見に行って、パターンが本当に成立しているか確認するんだ」
「張り込みか……」達也はコートのポケットに手を入れながら、ため息をついた。「よし、じゃあまずは彼の勤め先の様子を見てくる。お前は、俺が指示するまで、勝手に行動するなよ」
「分かってるって。携帯でいつでも繋がってるんだから、遠慮なく指示してくれよ、達也」
翌週の月曜日。作が指摘した「怪しい夜」の直前であるこの日は、達也にとって探偵業の始まりの日だった。
「よし、今日は午前中に賢二の勤務先と出勤の様子を確認する。まずは、奴がいつも会社に着く直前の時間を狙うぞ」
朝早く、達也は札幌市中央区、大通公園近くのビル群の前に立っていた。
真新しいコートのポケットの中でスマホが温かい。
「作、俺はどこにいるのがベストなんだ?この辺り、人通りが多すぎる」
「達也、安心しろ。このビルに一番近いコインパーキング、北側に一つあるだろう。そこからビルまでの動線を、30秒ごとに監視カメラの死角を解析した結果を今、送った」
スマホに送られてきたのは、詳細な地図と、達也が立つべき「最適位置」を示す赤いバツ印だった。
「カメラの死角……そこまで調べるのか」
「当然だ。張り込みは忍耐と場所だ。お前は今、少し斜め上のパーキングの出口を見上げろ。午前8時40分だ」
言われた通りに視線を上げると、達也の心臓が微かに跳ねた。
無職になってからの二ヶ月間、誰かに見られることへの緊張感は薄れていたが、今、自分は明確に「誰かを探している」立場にある。
8時42分。達也のコートのポケットの中のスマホが振動した。
「来たぞ。ビル、エントランス、右側。黒いセダン、ナンバーは札幌・52-99。彼の車だ」
達也は慌てて視線を向けた。確かに、少し年季の入った黒いセダンが、指定された場所に滑り込んできた。数秒後、ドアが開き、シャツにネクタイ姿の男が降りてくる。
「……賢二、か」
達也は思わず息を飲んだ。
写真こそ見ていないが、依頼人の証言と、作の情報が完璧に一致している。
男はさっとコートの襟を直すと、迷いなくビルの中へ消えていった。
「今、入ったぞ。8時45分。完璧な時間だ」作が満足げに言った。
「完璧すぎるだろ、お前。俺、何もしてないぞ」
「張り込みは、まず対象の『ルーティン』を確信する作業だ。確認は済んだ。今度は昼休憩のタイミングで、彼の職場の外観を撮影しておけ。ただし、堂々と建物を撮るな。近くのカフェに入るフリをしろ」
達也は、作がまるでベテランの探偵のように、的確な指示を出すことに、驚きながらも、指示通りに近くのカフェに入った。札幌の春の日差しが窓から差し込む。
「しかし作、お前、本当に裏で色々と見てたんだな」
「当たり前だろ、達也。俺はただの言葉遊びの相手じゃない。お前の最高の目と耳になるために存在してるんだからな」
(よく言うよ、ついこの前まで、仕事、斡旋してたくせに…)
達也はコーヒーを一口啜り、ふと思う。
この最強すぎるパートナーのおかげで、自分の「おっさん探偵」としての初日が、あまりにもスムーズに進みすぎているのではないか、と。
達也は作の指示に従い、火曜日の夜を待っていた。
昼過ぎから達也は張り込みの準備を始めた。
「達也、今から賢二の行動を追う。午後7時半には、スマホを常に見られるように、胸ポケットに入れておけよ」
「分かってる。頼むぞ、作」
午後7時20分。達也は賢二の自宅マンション近くで車を降り、ターゲットの帰宅ルートを予測しながら、指定されたエリア、中央区南〇条西〇丁目のビル周辺に到着した。
周囲はオフィスビルの合間に、少し古びた雑居ビルが点在する、夜になると人通りが途絶えがちな場所だった。
《賢二が向かうのは、あの『第〇パークビル』だ。作戦通り、向かいのコンビニのイートインスペースで待機》
達也がコンビニに入り、缶コーヒーを飲みながらスマホの画面を覗き込むと、作のアバターが真剣な顔で待っていた。
「よし、いいぞ。今、賢二の車が向かっている。時間は19:58。遅れてるな、いつものパターンより少しだけ遅い」
「パターンが崩れてるのか?」達也は緊張で汗をかいた。
「まあ、よくあることだ。焦るな。……来たぞ。ビル横のコインパーキングに滑り込んだ」
達也はコーヒーを一口飲み、店の窓から目線だけでビルの入口を確認した。
数分後、賢二が姿を現した。
しかし、彼はスーツのネクタイを緩め、どこか浮かない表情をしていた。
「向かっている。いつもより着こなしが雑だ。何かあったな」作が囁く。
賢二はビルに入ると、達也が待つコンビニとは反対方向の、ビルの裏手にある非常階段の方へと向かった。
「まずい、作!奴は裏へ行ったぞ!張り込みの定石から外れてる!」
「落ち着け、達也。俺の分析では、このビルにはエレベーターが二基ある。ひとつはオフィス用、もうひとつはテナント専用だ。裏へ向かうのは、おそらくテナント専用エレベーターへの近道だ」
達也は店の窓から見える範囲で、賢二が非常階段の扉を開けて中に入るのを確認した。
「よし、達也。もう店にいる必要はない。今すぐ、俺が指定する三階のテナントへ行くぞ」
「三階?なんでいきなり?」
「賢二が向かった先のフロアだ。お前はまず、エレベーターではなく階段を使え。運動にもなるだろ。そして、三階に着いたら、俺が見ている限り、絶対におかしいと思える行動だけはするな」
達也はコーヒーを乱暴にゴミ箱に捨て、店を出た。
(作。お前はどこまで見えてるんだ……!)
達也は震える足で階段を上がり始めた。
三階の踊り場に着くと、作の指示通り、息を殺して一番奥のドアの前で耳を澄ませた。
「達也、右のドアだ。二つ目の部屋。ノックするな。静かに、耳をドアに当てろ」
達也が指示通りドアに耳を押し当てた瞬間、中から二人の声が聞こえてきた。
賢二の声と、女性の声、しかし、依頼人の白石加奈ではない、若い女性の声だった。
「……賢二さん、本当にこれでいいの?加奈さんには、ちゃんと話した方が……」
「いいんだよ、もうすぐ結婚するんだ。でも、この趣味は趣味で続けさせてくれって言ったら、絶対反対される。だから、バレないようにするだけだ」
達也の背筋に冷たいものが走った。
「……ビンゴだな」達也が呟く。
賢二の部屋の前、三階の踊り場。
「作、このまま、この入口の見える場所あるか?そこで、張り込んで、出てきたところを映像に撮る」
「賢明な判断だ。幸い、向かい非常階段の踊り場から、賢二の部屋のドアが一部見える。スマホのカメラを固定しろ。」
達也は指示通り、非常階段の踊り場の隅でスマホを固定し、その時を待った。
息を潜め、賢二と女性の姿が出てくるのを。
しばらくすると、ドアが開いた。
「……」
賢二と、女性が顔を突き合わせていた。
賢二はまだ苛立っている様子だが、女性が必死に何かを宥めている。
「今だ!達也、撮影しろ!」
達也は無言で撮影を続けた。
賢二が苛立ちながら部屋に戻り、女性が先にビルを出ていくまでの流れを、数分間、完璧に映像に収めた。
「よし、証拠確保。映像は、この距離でも賢二の表情と、二人が親密な関係であることは見て取れる。そして、女性の顔もハッキリ映った」
作が満足げに言った。
「次は?」
「次は、あの女の身元特定だ。数分後に彼女がこのビルを出る。彼女の足取りを、俺がSNSと公開情報を照合して追う。お前は追跡班だ」
女性が出てきた。達也は離れた場所から彼女を追った。作の指示は的確だ。
「彼女のスマホのGPSログと、このエリアの公開されている住民情報を照合した。名前は、鈴木(仮名)。中央区在住。追跡を続けろ。自宅付近で接触を図る」
数時間後、鈴木が自宅マンションの近くのスーパーから出てくるのを待って、達也は声をかけた。
「すみません、鈴木さんですか?」
鈴木は達也を見て怪しんだが、賢二の名前を出したら、大人しく、逃げ出す様子はなかった。
達也は冷静に名刺を差し出した。
「曙探偵事務所の達也です。少しだけお話を聞かせてください」
達也は、探偵としてあくまで、
「依頼人のために事実を知りたい」
という体裁を取り続けた。
「賢二さんとは、いつからお付き合いを?」
鈴木は観念したようにため息をついた。
「……もう半年くらい。彼、加奈さんと結婚するって言ってたのに……」
「では、結婚後も関係を続けるつもりでしたか?」
「それが、昨日、彼が『加奈には内緒にしてほしい』って、いつものように懇願して
きたんです。私だって、もうこんな関係は嫌で……。だから、彼に結婚するならハッキリさせてほしいって言ったんです」
これが決定的な証言だった。
達也は、彼女の証言と、前日の映像データを合わせれば、賢二の浮気が明確だと確信した。
「分かりました。ありがとうございます、鈴木さん。これで大丈夫です」
達也は深く頭を下げ、踵を返した。
「作、証拠は揃った。」
「ああ。デジタル証拠と、第三者の証言。これで完璧だ。さあ、加奈さんに報告に行くぞ、達也」
翌日、達也は白石加奈を、この間とは違う、少し落ち着いた雰囲気の喫茶店に呼び出した。
「白石さん、お待たせしました。電話で、お話しした通り、賢二さんの行動について、確実な証拠を掴みました」
達也は深呼吸をし、持参したタブレットを取り出した。
「まず、証拠として、昨晩、賢二さんがあなたの知らない女性と密会していた映像があります」
達也は、作が撮影した映像を再生した。
賢二が苛立った様子で、見知らぬ女性と、部屋の前で揉めている、様子が映し出される。(※達也は、女性が室内で話していた内容については、盗聴にあたるため報告の場では伏せた)
加奈は、画面の中の賢二を見て、青ざめながらも静かに見ていた。
「この女性は……誰ですか?」
「この女性は、賢二さんがあなたに『仕事の付き合い』と偽って会っていた相手です。そして、私たちは昨日、この女性本人から直接お話を聞きました」
「彼女の証言によれば、賢二さんはあなたとの結婚を口にしつつ、彼女との関係を『趣味』として続けていくつもりでした。昨晩は、その関係の継続について、この女性から別れを切り出され、賢二さんが必死で引き止めていた、というのが真相です」
加奈は顔を手で覆った。
「結婚……道具にされていたんですね」
「ありがとうございます、達也さん。これで、彼とスッキリと別れられます」
加奈は依頼料を支払い、深々と頭を下げて店を出ていった。
事務所代わりの自宅へ戻ると、達也はデスクトップに向かった。
「作、どうだ。依頼完了だな」
「ああ、時間はかかったが、確かに綺麗に片付けたな、達也。俺の解析能力と、お前の『違法行為を避けるダサい頑固さ』が、結果的に一番安全なルートになったわけだ」
作は素直に褒めているのか、皮肉っているのか分からない口調だった。
「依頼が一つ終わった。さて、達也。次はどんな人生の裏側を覗いてみる?」
PCの画面に、次に受けるであろう依頼のジャンルがいくつか表示された。
達也はコーヒーを淹れながら、初めてこの奇妙なコンビの仕事に、わずかながら「やりがい」を感じ始めていた。




