第28話 男湯での出来事
この学園には大浴場というものが存在していた。
基本的には寮内には個別の浴室などというものがなく、毎日の入浴はその大浴場で済ませる事になっていたのだ。
その日は実戦訓練があった為、多少身体を動かして汗をかいてしまった。
俺は急いでいたのだ。やはり風呂というのは一番風呂が気持ちがいい。
誰よりも最初に入る為に急いで大浴場へと向かったのである。
その時。なぜか、俺は一人の女子生徒とすれ違ったのである。
あれは、そうだ確か。アリシアの取り巻きをしていた二年生の女子。とはいえ、名前は知らない。
違和感を覚えながらも、俺は『男湯』と暖簾がかけられた大浴場に入っていくのであった。
その隣の大浴場の入り口には『女湯』の表記がある暖簾がかけられていた。
◇
「……ふむ、やはり一番風呂は気持ちが良いな」
脱衣所で服を脱いだ俺は大きな浴室に浸かる。しかも運動の後の一番風呂は格別であった。
と。誰かが風呂に入って来た。仕方があるまい。ここは大浴場なのだから。
独り占めする事など出来るはずもない。
「……ん?」
俺は大浴場に入って来た人物を視界に入れた時、目を疑った。
大浴場に入って来た人物には男なら誰もが持っているエクスカリバー(比喩ではあるが)がなかったのである。
ど、どういう事なのだ。流石の俺も躊躇った。
思考が追い付いていない。
竿がないどころではない。その胸板だ。男なら余程の肥満でもなければ胸板のはずであるが、板ではなかった。
胸が平坦ではなかったのだ。それなりに豊かに実った二つの膨らみを持っていた。
「え?」
お互い見つめ合う。時が止まったようだ。お互いに思考が停止してしまっているのだろう。
間違いない。フィオナである。幾度となく会ってきたのだ。服を着ていないくらいで見間違うはずもない。
だが、なぜ彼女が男湯に入って来たのか。
これにも一つの考えがあった。先ほど大浴場の入り口あたりでそれ違った二年生の女子生徒である。
アリシアの取り巻きをしていた二人組の一人だ。彼女はアリシアに命じられて行動をしたのだろう。
フィオナが大浴場にやってくるタイミングで男女の暖簾を入れ替えたのだ。そして、フィオナが入っていったタイミングで暖簾を再び元に戻す。
なぜ、そんな事をしたのか。そんな事は簡単である。
『光魔法』という稀有な魔法が使えるとはいえ、平民出身のフィオナがこの魔法学園に在籍している事がアリシアにとっては気に入らなかった。
アリシアは貴族第一主義的であり、平民を蔑視している、典型的な悪い意味での貴族的思考の体現者である。
この前、直接的な脅しにフィオナが屈しなかった事で一時撤退をしたのではあるがそれでもフィオナを退学させる事を諦めたわけではなかったのだ。
大方、フィオナの裸を男子達に見せる事で恥をかかせてやろうという魂胆なのだろう。
その結果、恥をかかされたフィオナがこの魔法学園に居づらくなり、退学をせざるを得なくなる。
それが恐らくではあるが裏で糸を引いているアリシアのシナリオなのだ。
なんという、卑劣な行いだろうか。いかに悪役令嬢として学園で有名な彼女とはいえ、考えている事が実に卑劣過ぎる。い、いや、まあ、彼女らしいと言えば彼女らしいが。
「あ? え? えっ! えっっ!? な、なんでアーサーさんがここに!?」
フィオナは顔を真っ赤にして明らかに動揺していた。まあ、無理もない。
俺も多少ではあるが勿論の事動揺している。あまりの事に頭が回っていないのか、フィオナは手で身体の大事な部分を隠す事すらしていない。
「こ……これはだな。説明には多少時間を要しそうだが。その、なんだ」
俺は咳払いをし、せめてもの気遣いとして視線を反らした。
「な、中々に良い身体をしているな。無駄な脂肪のない、洗練された身体だ。女性らしさはあるが、動きの邪魔にはならなさそうだ」
俺は感想を述べた。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うな、と内心思った。裸を男に見られたのだから悲鳴のひとつくらいが相場というものではないのか。
そうこうしているうちにガヤガヤとした音が聞こえてきた。流石にこれはまずいと察した俺はフィオナの手を引っ張り、浴槽内に引きずり込む。
「きゃっ!」
「説明は後だ。こっちに隠れろ」
その浴室には裏に隠れる事ができそうな巨大な人型の石像があった。裏がちょうど死角になっている為、しばらくは身を隠す事ができそうだ。
俺はフィオナの手首を引っ張り、身を潜める。
「フィオナよ……説明すると長くがるが。うっ!」
浴槽内の水質は透明だった為、身体を隠す役割を微塵も果たしていなかった。ついつい、視界にはその二つの膨らみが目に入ってしまう。
「あ、あまり見ないでください。恥ずかしいです」
流石に多少の恥じらいを覚えたからか、フィオナの奴は片手で軽くではあるが乳房を隠した。
「う、うむ。今、この状況の説明からしようか」
「は、はい。お願いします。なんでこんな事になったのでしょうか? 私は女湯に入って来たはずなのですけど」
「そ、それがだな。我が姉であるアリシアの策略だ。奴は平民であるお前を退学させる事を諦めていなかったのだ」
「あ、あのアリシアさんが」
「ここに来るより前にアリシアの取り巻きの一人とすれ違った。そいつが女湯と男湯の暖簾を変えたのだ。そして、お前が女湯の表記になっている男湯に入った事を確認し、元に戻した」
「な、なるほど。それでお風呂の中にアーサーさんがいたのですね」
「……うむ。と、というわけだ」
問題は事情を説明した所で問題が何も解決していない事にある。
「あれ!? アーサー君がいない? おかしいなぁ。僕達より先に大浴場に着いているはずなんだけど……」
リオンの声が聞こえてきた。どうやら、俺がいない事に疑問を抱き、
「ん? そこの石像の裏かな。なんか気配がするんだけど」
ダメだ。こいつは気配に聡すぎる。誤魔化し切れそうにない。
「フィオナよ。俺の背中に隠れろ」
「は、はい」
フィオナは俺の背中に隠れた。なぜ、背を向いて隠れない。前のまま隠れる。背中に柔らかい感覚が当たっているではないか。
「あっ。いたいた。アーサー君、こんなところにいた」
見つかってしまった。
「どうしてこんなところに。かくれんぼでもしているみたいに」
「べ、別に。な、何でも良いではないか。そういう気分だったのだ」
「ふーん……ねぇ、アーサー君。背中に誰か隠していない?」
びくっ!
俺は明らかに動揺した。
「か、隠してなどいないがなぜそんなような事を?」
「気配……かな。僕は魔法とかとは関係なく、気配でどこに誰がいるかを感じ取る事が出来るんだよ」
そうだ。こいつは完璧チート主人公なのだ。普通の人間を超越した感覚を持っている。こいつを誤魔化す事などできない。
洞察力に長けたこいつは俺の嘘も見抜いている。心拍数の上がり方や表情など微細な変化を読み取り、超能力みたいに洞察してくるのだ。
それはもはやテレパシーのようなものである。相手の思考が手に取るようにわかるのだ。
「背中に誰もいないなら、別に僕がそっち行ってもいいよね?」
「あ……ああ。そ、そうなるな。別に構わんぞ。背中には誰もいないのだからな」
まずい。リオンが騒ぎ立てるとは思わないが、フィオナの存在を確認したら軽く悲鳴くらい上げるかもしれない。そうすれば、男達が集まってくるであろう。
そうなればもう完全に裏で糸を引いているアリシアの思い通りの展開になってしまう。
フィオナに恥をかかせ魔法学園に居づらくさせ、退学に追い込むという魂胆が成功してしまう。
それはまずい。我が姉の悪事をみすみす成功させるわけにはいかなかった。
それにこのフィオナは姉の悪事にハメられたただの被害者なのだ。あまりに可哀想すぎるだろう。
かくなる上は、俺は覚悟を決めた。
「闇魔法『シャドウワープ』」
俺は自身の影からこの近くにいる誰かの影へと移動した。この闇魔法『シャドウワープ』は手を繋いだ相手を一緒に連れて行く事もできるのである。
「なっ!? 消えた!?」
リオンは驚いた様子で声を上げた。




