第12話 光属性の正ヒロインを助けてしまう
ふーむ。
俺は何となく、馬車の中から景色を見ていた。ぼーっと。悪くない。
正直に言えば、今の俺ならば走っていった方が速いまである。
だが、こうして何もせずに景色を見ているというのもなかなかに赴きがあった。
効率は確かに重要ではあるが、こうして非効率な状況を楽しめる、心の余裕もなくてはならない。
と、そんな事をしているうちに王都フィンベルグが遠くに見えていた。
「うむ。もうすぐ王都に着くな」
俺がそう考えていた時の事であった。遠くにドラゴンが見えた。赤い、一匹のドラゴン。
この世界ではモンスターにも大抵の場合、属性が付与されている。火・水・風・地。そしてドラゴンにも稀に光と闇の属性を持つ者も存在した。ドラゴン自体が希少種な為、滅多に見る事はないが。
あの赤いドラゴンは間違いなく、火属性のドラゴンである、レッドドラゴンだ。
おかしい。本来、ドラゴンというのは洞窟の奥底にいるものだ。だから、こんな街の近くにいるというのは本来はありえない事なのだ。
何か、作為的なものを感じる。ドラゴンテイマーの技術でも持っている者にでも操られているのか。
ドラゴンは馬車を襲っていた。人が乗っているのは間違いない。
まずい。悪役貴族としてこの世界で生を受けた俺ではあるが、かといって、目の前で人が無残に食い殺されるところを楽しんで見ていられる程のサイコパスではいられなかった。
「馬車を止めてくれ」
俺は馬を操っていた使用人にそう命じ、馬車から降りた。
「そこまでにして貰おうか。竜よ」
馬車はまだ原型がある。恐らくは中の人は無事だろう。
「大人しく巣に逃げ帰ればよし。だが、このアーサー・フィン・オルレアンと闘うというのならば、命の保証はできぬぞ」
俺は鋭い眼光で火竜を睨みつける。
ガアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
火竜は咆哮を上げた。
「ふむ……撤退の意思はなしか。その愚かな選択。あの世で悔いるがよい」
ボワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
火竜は炎のブレスを放った。鍛え上げられた今の俺だったら、いかようにもできた。普通に避けても良いし。『シャドウワープ』で影から影に移動して避けてもいい。『シャドウウォール』で炎のブレスを防いでも良い。
つまりなんだって良いのだが。
「よっと……」
普通に俺は避ける事にした。火竜の攻撃など、鍛え上げられた俺に当たるはずがないだろう。スローモーションに見えた。
俺が避けた先にあった大木が一瞬にして焼失する。
火竜は大空に飛び立とうとした。上空に逃げて、手が届かないところからブレスで攻撃するつもりであろう。
「遅い!」
だが、今のこの俺がそんな事を許すはずがなかった。
俺は闇魔法『影縫い』を発動させる。『影縫い』の効果はシンプルであり、強力であった。影と肉体を縫い付け、移動できないようにする、というものだ。
この闇魔法『影縫い』の効果により、火竜は空に飛び立つ事に失敗した。
ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
飛び立つ事に失敗した火竜は地面に叩きつけられ、大きな砂埃を立てた。
火竜は大きな隙を晒した。この隙をこの俺が逃すわけがない。
俺は一瞬にして、火竜の首元に接近する。
「『シャドウナイフ』」
俺は『シャドウナイフ』におり、火竜の首元を斬り落とした。火竜の皮膚は鋼鉄よりも強固にできている。その為、余程の剣か技量がなければ容易に斬るなんていうのは不可能だ。
しかし、今の俺の『シャドウナイフ』の切れ味は並みいる名剣を凌ぐ程のものになっており、俺の剣の技量は達人の息に達していた。だからこの火竜の首を斬り落とす事など造作もない事であった。
断末魔を上げるまでもなく、火竜は絶命した。
「ふぅ……何とか間に合ったか」
俺は胸を撫で下ろす。どうやら、火竜が襲っていた馬車は無事だったようだ。
馬車から一人の少女が降りて来た。実に美しい少女であった。桃色の髪をした純朴そうではあるが可憐な少女。
俺は彼女の事を知っていた。
『フィオナ・オラトリア』。この原作ゲームの正ヒロインである。
「あ、あの。助けて頂き、誠にありがとうございます」
「あ……ああ。そうだな。良かった。その様子だったら命には何事もなさそうだな。怪我はないか?」
「は、はい。おかげ様で怪我もありません。私の名はフィオナ・オラトリアと申します。よろしければあなた様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「アーサー・フィン・オルレアンだ」
「その名はもしや、貴族様のものですか?」
「ま、まあ……一応はそうなる」
「そ、それはなんと恐れ多い。私など平民出身故に、貴族の方とこうしてお話をさせて頂くなど、実に恐れ多い事です」
「……そうか。そなたは平民の出身なのか」
……まあ、既に知っている事ではあるが、この場では知らない振りをしておこう。
「その平民出身のそなたがなぜ、こんなところに」
「それは王都にある魔法学園に入学する為なのです」
うむ。それも俺は知っていたが、ここも知らない振りをしておこう。色々と面倒くさい事になりそうだから。俺は面倒くさいことが嫌いなのだ。基本的に怠惰な人間なのだから。
「ほう。なぜ、魔法学園に。あそこは基本的に貴族か王族以外に入学を許されないのだろう?」
「それは何でも私が使える魔法が珍しい属性らしいんです。私がその珍しい属性の魔法を使えるという事で特別に魔法学園への入学を許可されたんです」
「ふむ……そうか。珍しい属性の魔法ね」
その事も俺は既に知っていた事だが。ここもあえて知らない振りをしておく。「なんで知っているんですか?」となるに決まっているからだ。あくまでも俺とこの娘――フィオナはただの初対面に過ぎない。
「ともかく、なんとお礼を申せばいいか。何か具体的なお礼をしたいところですが、私は平民の出である為、貴族様に差し上げるような金品は持ち合わせておりません」
「ん? ……ああ。いいよ。別に。何もしなくても。特に大した事してないし。こっちとしても何かして欲しくて助けたわけじゃないしね」
「竜退治をしたのに、大した事をしてないと。ほ、本来は褒賞されてもいい事のはずなのに、なんと懐の広いお方でしょうか」
フィオナは驚いて見せた。それにしてもなんて良い子だろうか。我が姉、アリシアとは大違いだ。こうして性格のまともな少女と話をするのは初めてと言って良い経験なので、些か戸惑ってしまう。
「た、大変です!」
「どうされたのですか?」
馬を操っていた男が
「馬車を引いていた馬が先ほどの騒動で逃げてしまいました」
無理もない。竜に襲われたのだ。馬も命欲しさから逃げ出す事であろう。
「な、なんという事でしょう!」
王都には大分近づいているとはいえ、まだまだ距離がある。徒歩では相当に時間がかかるだろう。それに盗賊でも現れかねない。何も金を持っていなかったとしても若くて美しい女というのはそれなりに金になるのだ。
それに野蛮な男達だったら、その前に存分に楽しむというのも相場だ。まだ光魔法の扱いに慣れていない彼女である。野盗を撃退するのに十分な力量を身に着けてはいないかもしれない。
ここで何かあっても後味が悪い。
「良かったら俺の馬車に乗っていくか? 君一人を乗せるくらいのスペースは十分にあるが」
「よ、よろしいのですか? 命を助けて頂いた上に、そのような事まで」
「ん? ……ああ。良いではないか。ここでこうして会ったのも何かの縁だ。それに俺も魔法学園に向かっている最中なのだ」
「そ、そうなのですか。で、では言葉に甘えさせて貰ってもよろしいでしょうか?」
「うむ。良いだろう。俺の馬車に乗るが良い」
「ありがとうございます! この御恩、決して忘れはしませんっ!」
フィオナは感謝の言葉を述べた。感激のあまり涙すら流しそうな表情になっていた。
俺とフィオナは馬車に乗り込む。そして馬車は王都にある魔法学園『ユグドラシル』を目指して馬車は走り出す。
この時。俺は気づいた、正ヒロインであるフィオナ・オラトリアを竜から助けるのは主人公リオンが消化するイベントであったという事に。
予定より早く、馬車から出発したが故にどうやら運命がねじ曲がってしまったようだった。
だが、隣で無垢な笑顔を浮かべている少女を死なせて良かったはずもない。
この時の俺はまだ、主人公リオンと立つはずの正ヒロイン、フィオナの恋愛フラグが俺と立ってしまったのだという事に、気づいてすらいなかった。




