人魚の脚
一体、どうして僕はこんなことをしているのだろう――今、僕は人魚に食べられている。
僕は、人生に深く絶望していた。だからこそ、いつ死んでも構わないと思っていた。
そんなある日、仕事をサボって海に行った。なぜ人は悩みを抱えると海に向かうのだろう? その理由は僕には分からない。でも、海は人工物ではなく、自然が作り出したものだ。人間は本能的に自然を愛しているのかもしれない。もしかすると、愛に飢えていたのかもしれない。僕は、人間よりも自然のほうが、愛せそうだった。
今は、大雨が降っている。まるで僕の心を映し出すかのように、激しく降っている。
海も雨も、水だ。成人男性の体の6割は水分でできているらしい。胎児に至っては9割が水らしい。
だから、水に惹かれるのだろうか?
そんなくだらないことを、僕はぼんやり考えていた。
そして――その海辺で、僕は人魚に出会った。
人魚は言った。「死にそうなんです」
「どうして?」と僕は尋ねた。
「脚がないから、人間の世界に入れないんです」
なるほど、と僕は思った。「死にそう」というのは飢えや外敵のことではなく、精神的に追い詰められているという意味なのだ。
人間が鳥のように空を飛べないのと同じで、人魚も魚の尾しか持たず、脚がない。それはどうしようもないことだ。生まれ変わるしかない。
「ある人魚の老人が言っていました。人間を食べれば、脚が生えるって」
「そんなの嘘だよ。きっと何も起こらない」
「そうかしら?」
「きっとそうだよ」
「でも、このまま死ぬくらいなら、人を食べたい」
「……」
「あなたを食べてもいい?」
「だめだ」
「どうして?」
「僕には、まだやらなければならないことがあるから」僕は嘘をついた。
「嘘ね」人魚は言った。
「どうして?」
「目を見ればわかる」
そう言って、人魚は僕の目をじっと見た。
そして――僕の耳を噛んだ。
「食べてもいい?」と、耳元でささやく。
「……うん」僕は答えた。
私は彼の耳を食べた。初めは痛そうにしていたが、やがてショック死したのか、白目をむいて絶命した。私は彼の体を食べ続けた。
「ごちそうさま」
私は自分の下半身を見た。脚は――まだ、生えていなかった。
「まだまだ足りないみたいね」
そう言って、人魚は海の中へ帰っていった。