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【完結済】懸想の影  作者: 梦月みい


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第五十九章「見ないフリ」

紹介状を手渡し、カルテを確認しながらいくつか問診をされる。当たり障りなく、だけど過不足なく返答したゆりは、新しく主治医となった医師がパソコンに向かってカルテを入力するのをぼんやりと眺めた。

キーボードを叩く軽快な音が響き、ゆりはまたぼんやりと輪郭の捉えられない何かを考えていた。

輪郭がわからないから、何を考えているのかわからない────

「じゃあ、向こうの病院からの申し送りの内容も確認できたし、一応は経過は良好そうだね。ご飯だけ無理のないようにしっかりいっぱい食べよう」

医師の言葉にはっと焦点を戻し、ゆりは曖昧に笑いながら小さく頷いた。

────わたしは、一体何を考えていた?

何がわからないのかわからない、そんな胸のつかえを感じながら、次回の外来の予約を調整する。

お大事に、また来週ね。という優しい声を受け、ぺこりと頭を下げて診察室を出る。

無意識に先程止まった検査室を一瞥してから、受付へと向かい直す。

決して騒々しくはない、病院内独特の喧騒。音に紛れるようにゆりは廊下を進んで行くと、先程立ち寄った中庭へと続くガラス扉の前で立ち止まった。

なにか、大事なものが────いや、やめよう。

少しだけ考えるように立ち竦んでから、改めて足は受付へと向かう。

『良好』と評された安心感と、無自覚な『不足』を探す不安感。

なにか心許ない感じを抱えながら、ゆりは会計を済ませて来た道を戻って行った。

来た時と同じように改札を抜け、電車に乗り、最寄りで降車してまた改札を抜ける。

駅近くのコンビニにふらっと立ち寄り、母が好きだったかな、とプリンを3つ買って帰路につく。

そうしたところで、慣れない温かさに「おかえりなさい」と出迎えられ、照れくささと違和感にはにかみながら「ただいま」と小さく返す。

どこの家庭でもよくあると思われる、「手を洗ってらっしゃい」という言葉を背中に受けて、素直に洗面所へ直行し、ゆりは丹念に手洗いとうがいを済ませ母の待つリビングへ向かう。

「…あの、ママ」

「ん?なぁに悠理ちゃん」

「プリン…買ってきたの。パパが帰ってきたら、みんなで食べよ」

「まぁ!ありがとう悠理ちゃん、ママねプリン好きなのよー」

ただのコンビニでよくあるプリンではあるが、母は大仰に喜んでみせた。決して嫌味でもなく、哀れみでもなく、ごく自然に「気を配ってくれたことが嬉しい」といった様子で、悠理は無意識に「間違えなくて良かった」と安堵した。

夕飯までは自室で復学に向けて再度教科書を開き、勉強をする。どうにも集中できず、まだ日の落ちきっていない外に目を向けるとゆりは立ち上がってカーテンを閉め、そのままベッドに転がった。

惰性で形式的に夕飯と入浴、「一家団欒」を済ませたところで、父親が不意にゆりに問いかけた。

「悠理、今日は何して過ごしてたんだ?」

「え、……っと、病院。行ってきたの。……経過は良好ですね、って」

なにかがころんと、ゆりの中で零れる感覚がした。

────今日のわたしは何をしていた?当たり障りなく、答えられた?間違えてない?

「そうか、一安心だな」

────ちがう、わからない、きもちわるい、たりない


拭えない違和感が少しずつ大きくなって行くのを感じながら、ゆりは入浴を済ませて早々にベッドに潜り込んだ。


久しぶりの外出だったから、疲れているだけ…そう思いながら、無理矢理に目を瞑った。

視界は真っ黒な影に覆われていて、どこか、なにか懐かしい。

なぜそう思ったのかは理解できない。

無意識に左手を伸ばすと、誰かの右手が重なったような感覚がした。それは大きくて、温度はないけれど、だけど────


「…………」

目を開くと、自室の天井だった。

真っ黒な影もなければ、なにもない。

ふと頬に触れると、目から一筋涙が溢れていた。泣いていたのか、泣くなんてどんな夢だったんだろう。

そう思いながら気だるい身体を起こし、枕元に置いたスマホで時間を確認する。母が、朝食を作って声を掛けてくる時間だ。

ゆりはベッドから身体を起こすと、簡単に寝具を整えて部屋着に着替え直す。

デスクに置いた卓上カレンダーを手に取って、次回の外来の予約日を目で置い、日付をなぞった。


────足りない、でも、わからない。次はいつだっただろう。破ってはいけない約束を、病院でしたんだっけ?


「悠理ちゃーん、朝ごはんできたわよー」

「……はぁーい」

ゆりは目元の涙を手の甲で拭うと、部屋を出て行った。

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