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【完結済】懸想の影  作者: 梦月みい


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第五十三章「再会」

目を開けて、ほんの一瞬旭と視線が絡む。まだ夢心地のような微睡んだ目をふにゃりと緩め、ゆりは再度目を瞑る。

旭は一瞬ヒヤリと背筋に汗が伝うも、先程まで一本線を描いていたモニターはきちんと規則的な山を描いていた。

脈、血圧、酸素濃度。

意識レベル、瞳孔反射。

数値と確認の声が重なり合う中で、旭はただ、その規則的な波形だけを見つめていた。


生きている。戻ってきた。間に合った。

その安堵に、旭は近くにあったパイプ椅子に崩れるように腰を落とす。

一通りの測定を経て、ようやく落ち着きを取り戻し始めた室内に、誰が手配したのか看護師が一名車椅子を押して旭に声をかける。

「海道さん、こちらの方も落ち着いたので一旦部屋に戻りましょう」

ゆりの元を離れたくない気持ちがあったものの、医療従事者ではない自分がここにいても邪魔でしかないことは旭にも理解できた。安堵と、戻りきっていない体力の衰えから今すぐにでも眠りたいほどの疲労感を感じ、看護師の指示に大人しく従い元いた病室へと戻っていった。


そこからは数日、旭自身も検査やリハビリに追われる日々だった。

一度だけ警察が来たが、「既に事故扱いで処理しています」と前置きをした上で、念の為当時の状況を、と聞きにやって来た。

ゆりの母親の生き霊に唆されました、となど言えるはずもなく、どう答えたものかと頭を抱えた。

「……え、と…せ、請求書が…飛ばされて………追いかけてたらうっかり、で、悠理が落ちそうになった俺を引っ張ろうとして…一緒に……その、うっかり」

我ながら下手くそだなと旭はしどろもどろになりながら警察に回答するも、1年近く意識がなかった状況を鑑みて「事件性なし」の最終判断だけして帰って行った。

旭はまだ温もりを覚えている右手を握る。あの小さな手を握る感触は、当然ない。

それなりに酷い怪我だったと見舞いに来た親に小言を言われはしたが、1年寝ている間に傷に関しては完治しているため、あとはだらけていた肉体へ動かし方を思い出させるだけだった。

食事を運んできた看護師と目が合うと、旭は聞くに聞けなかったことを問いかけようと口を開いた。

「あの」

「はい?どうしました?」

「栗沢悠…いや、茅部悠理。どうしてますか」

「ああ」

看護師は記録に目を落とし、検温の結果等を書き込みながら少しだけ黙った。

ゆりの心臓が止まった日、旭があの部屋に駆け込んで、必死にゆりの名前を呼んでいた姿を知っていた看護師だった。

体温計をケースに戻し、旭の左腕に血圧カフを巻き付ける。隙間に聴診器を差し込み、今時珍しく手動で空気を送り込むと、じわじわと二の腕が圧迫されていく。測定が終わるまで、ほんの数秒ではあるが旭にとっては判決を待つ被告人のような気分だった。

「茅部さんもね、順調よ。1年眠ってたから、色々混乱してたりしてるけど」

カフから空気の抜ける音に被るように、看護師がようやく返答した。

「もう大分歩けるし、とはいえもともとかなり線の細い子だったから体力が戻るまではもう少しかかりそうだから、まだ会いに行っちゃダメよ。疲れさせちゃうからね」

「………ハイ」

会いに行くな、と釘を刺され、すっかり見透かされていることを悟る。旭は不貞腐れた子供のような返事を返しながら、目の前の食事に箸を伸ばした。

怪我は癒えているはずなのに、箸を持つ右手が震える。


大丈夫、ちゃんと生きてた。見つけた。見つけただろ。


自分にそう言い聞かせながら、乱雑に食事を押し込んだ。


可もなく不可もない食事を終え、あっという間に二十歳の旭には健全すぎる時間の消灯の時刻になる。廊下側から順次灯りが消え、しんと静寂に包まれる。

特段やることのない旭はベッドに横になり天井を眺めた。静けさが妙に耳に刺さる。

そして、頭の中で看護師の言葉を反芻しながら、自然と目を閉じていた。



「大丈夫、わたし、生きてたでしょ?早く見つけて」

妙に甘ったるいゆりの声が、真っ白な空間に響く。

「ね、旭くん」

名前を呼ばれると、なんとなく視界にくすんだ水色のフィルターがかかったようだった。

「早く、見つけて」

そうこうしている間に、徐々に空間がくすんだままのトーンを保って淡くピンク色を差してくる。

甘やかな感覚に、なんとなく「ま、いっか」と投げてしまいそうになる。

「わたしのこと、愛してね」

最後にそう囁いたゆりの声が、気持ち悪い程に「女」の声をしていた。



「…ッ……!!」

飛び起きた旭は、嫌な寝汗に全身が濡れていた。ドクドクと心臓の鼓動が速い。

「……きもちわる…」

ゆりのようで、ゆりではない声だった。鼓膜にねっとりとまとわりつくような声の記憶に、頬に汗が一筋流れた。

院内着の袖で雑に額の汗を拭うと、旭はベッドから降りて室内に備え付けられた洗面台に向かう。鏡に写る自分は、カーテンから差し込む朝の陽の光に照らされ、清々しいとは程遠い絶望を孕んだ表情をしていた。

時計を見ると、起床時間より少し早い時間であった。

旭はそのまま蛇口を捻ると、冷えた水で顔を洗った。

じっとしていると妙に落ち着かず、部屋を出る。

廊下には早起きの年配者が朝の散歩なのか手すりを握りながらヨタヨタと歩いているのが見えた。何か炭酸でも飲むか、と、小銭だけ持って旭は談話スペースに向かって歩いていく。自販機に小銭を投入し、目的のボタンを押すと盛大な落下音を立ててペットボトルが取り出し口に落ちてきた。

水滴を纏ったそれを取り出すと、どかっと雑に設置されたソファに腰を落とす。程なくして起床時間を知らせるアナウンスが流れると、少しずつ起床した人々が活動をし始める気配を感じた。

病棟内は看護師の申し送りの声、ナースコールの音に混じって、患者同士の話し声や廊下を歩く足音で少しずつ賑やかさを思い出していく。

プシュ、とペットボトルを捻った瞬間、中の炭酸ガスが爆ぜる音が軽快に響く。その音と共に、同じように誰かが自販機で飲み物を購入したのか、例の派手な落下音が聞こえ無意識にそちらに顔を向ける。


「…ゆ」

「おはようございます」

たまたま座ろうとしていたのか、こちらに向かって来るゆりと視線が絡み、旭は呼吸と時が止まるのを感じた。

ふわりと微笑み、栗色の柔らかな髪をポニーテールにまとめたゆりはいつもの無垢な態度で旭に挨拶を投げた。

「ゆ、り」

思うように声が出ない。掠れた声で旭は無意識にゆりを呼んだ。

胸が苦しい。

「だ、大丈夫ですか?看護師さん、呼ぶ?えーとえーと」

違う、何かが違う。脳内で警鐘が鳴り響く。

「ゆり」

ようやくまともに声が出た。名前を呼べた。逃げないと。抱き締めないと。

そう、必死に俯瞰した自分が訴えている。


「え、と。なんで、わたしの名前…」



———ごめんなさい。


誰?

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