第四十六章「名前を呼ぶ」
一歩、また一歩と、眠り姫の横たわる場所へと近付いていく。
緊張で足が重い。その場所に近寄るにつれて、重力が増していくかのようだった。
依然として無言のまま、ただ二人が「死んだ場所」には留まっていたくなくて、夢中でその場所に向かう。
印象的な白を基調とした建物に、旭は幼い子供のように怖気付く。
対照的に、その場所はやたらと影が多かった。
「…まっくろだね」
幼児のようなゆりの物言いをきっかけに、旭はふう、と大きく息を吐いた。
「……行こうか」
「ん、…ね、旭くん」
「……あ?」
「ちゃんと、わたしの事見つけてね」
そんなの当たり前、だとか、それはどういう意味なのか、と、そう言葉を返す前に背筋に嫌な感覚が走り、視線がどろっと纏う。
——みぃつけた
胸の奥で、引き攣れるような痛みが走った。
それは痛覚というより、何かを強引に引き剥がされる感覚だった。
——違う。
ゆりじゃない。
誰かが、自分だけを掴んだ。
旭は、反射的に手を伸ばした。さっきまで、確かに繋いでいたはずの温度を探して。
「……ゆり」
声は出なかった。代わりに、耳の奥で、低く、規則的な音が鳴り始める。
——ドクン、ドクン。
その音が、この世界のものだと理解した瞬間、身体が、急激に重くなった。
落ちる、のとは違う。
押し戻される。
息が、無理やり肺に流れ込む。喉が焼け、胸が大きく上下する。
耐えられずに目を開けた瞬間、白い天井が視界いっぱいに広がった。
明るすぎる。近すぎる。
機械の音。消毒液の匂い。皮膚に触れる、シーツの感触。
旭は、理解するより先に、確信していた。
——戻ってしまった。
生き返った、という言葉はしっくりこない。正しくは、一人だけ、こちら側に引き戻された。
心臓が、勝手に動いている。意思とは無関係に、血を送っている。
「……ゆり?」
今度は、声が出た。どれくらい振りの発声なのか、声とは言ってもきちんと発音されているのかはわからない掠れた声だった。しかし、ちゃんと空気を震わせる、生きた声だ。
返事はない。
ベッドの横を見る。身体が思うように動かず目線のみぎこちなく動く。
あまりの意識とリンクしない身体の挙動に苛立ちが隠せない。
目を向けた先には、さっきまで「同じ輪郭」だったはずの存在はどこにもいない。
その瞬間、胸の奥が、ひどく冷えた。
——同じじゃなくなった。
それでも、分かる。
ここにいる。同じ病院の中だ。距離も、そう遠くない。
理由はない。理屈もない。
ただ、引き寄せられる感覚だけが、はっきりしていた。
旭は、ベッドの端に手をつき、ふらつく身体を無理やり起こした。




