第三十章「呪い」
この女は執拗に「愛」に飢えていた。
栗沢由仁という女を知ったのは、俺が19になった歳。大学2年に進級したとある日、新入生にとんでもなく可愛い子がいると男女ともにざわついていたのが始まりだった。自分は女にはさほど興味はなく、というとゲイなのかと疑われはしたがもはやそれもどうでもいい。自分の中に強烈に入り込んで来た1つ年下のみすぼらしく汚い少女の存在がひどく大きかった。気障ったらしく花冠を差し出した相手の少女は、その日初めて出会ったのにその後学校で見かける事はなかった。後になって知った事だったが、その日児童相談所の職員に保護されて施設に入ったらしかった。
その後のあの少女の生活が、せめて人並みであればと願っていたが、今にして思えばあれが一目惚れだったのかと、顔はどちらかというと悪くなかったらしい自分に対し仮初の好意のようなものを女子から向けられる度に悠理のことを考えていた。
あの小さな少女は、今何をしているのだろうか。どこにいるのだろうか。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、胸元に何かが追突した。見下ろすと小さな栗色の頭で、その色に覚えがあって思わず胸が跳ねる。
「わ、ごめんなさいっよそ見してました!」
一目見てわかった、栗沢悠理であると。
声が出ず無言で彼女を見下ろすと、怒られると思ったのか途端におどおどし始めて思わず笑みが溢れた。
「ひ…」
周囲の引き攣った声も構わず彼女を見つめた。
「あああああああのすみませんごめんなさいほんとこの子ったら前見てなくて許してやってくださいそれでは失礼しますほんとごめんなさい!!!」
彼女と一緒に歩いていたおそらく同級生らしい女子生徒が声を引き攣らせながら捲し立てるように謝罪しながら悠理の腕を引き無理矢理頭を下げて退散していった。その光景を思わず呆気に取られて見送っていると、先程まで件の「とんでもなく可愛い新入生」の話題で盛り上がっていた級友数名も同じように呆気に取られた様子でその僅か2分程にも満たないやり取りを見守ったのち、同情気味に肩を叩かれた。
「…旭…笑い方がやべーぞ…いくら噂の新入生とラッキースケベイベントばりに衝突したからって……あんな獲物を見つけたような醜悪な笑い方したらドン引きじゃん…」
「……………………うるせーよ……」
昔から笑い方が下手だとはよく言われてはいたが、醜悪と評されさすがにほんの少しだけ傷付いた。
「…で?あの子が例の?」
「お前のせいでぜんっぜん!!話せなかったけどな!!可愛いよな!!」
その噂の新入生と話す機会も見つけられないまま、数ヶ月の時が過ぎた。
気付けば当たり前のように彼女を目で追っている日々。
彼女は「あの日」の事を覚えているのだろうか、いや、話した時間もほんの数分の出来事で、まして小学生の頃の話である。自分にとっては明らかに虐待を受けているであろう小汚い少女の姿が平凡かつ一般的な日常を過ごしてきた自分には相当な異質で印象に強く残っていたが、彼女にとってはただのすれ違った人間の一人に過ぎないであろう。
彼女はあの日「栗沢悠理」と名乗ってはいたが、学生名簿を見た限りだと「茅部悠理」となっていたところから出来心のようなもので彼女の事を調べていた。
小学五年生の頃、近隣住人の通報により児童相談所に保護。隣県の夫婦にその後引き取られ、中高を過ごす。引き取った両親に遠慮してか、奨学金を得るため中高では相当な勉学に励んだ様子で無事に奨学金を得て都内の大学に入学し、一人暮らしをしているようだ。バイトはチェーンのファミレスで、週4で働いて生活費を稼いでいる。勉強漬けの日々故かこれ幸いに男関係はびっくりするほどクリアな生活をしていた。
そも、彼女が虐待を受けるきっかけはなんだったのか?と考察したついでに行き過ぎて彼女を調べていくうちに彼女が学友にはひた隠しにしている素性が知れてしまった。
彼女は母親が18の時に生まれた非嫡出児であった。母親の名前は栗沢由仁。北海道のとある資産家の一人娘で、大学進学と同時に東京に来たらしい。その時の交際相手かまでは調べられなかったが、そのまま妊娠。出産間際に北海道に戻り秘密裏に出産。このあたりの情報は掴めなかったので、おそらくではあるが栗沢家が外聞の為に秘匿した可能性があった。その後の経緯は辿れなかったが、都内に戻って母親である由仁と二人で暮らしていたが、悠理が3歳になるかならないかの頃から育児放棄、男の連れ込みが始まり、小学生に上がる頃には悠理の前で性行為に耽るなどの性的虐待もあったらしい。流石に悠理が直接的な性的被害に遭ったかどうかまでは口の軽い近所の主婦にも預かり知らぬところではあったが。
満足に食事も与えられず、平均よりも発育がかなり遅く小柄で華奢な身体はこうして出来上がったらしい。
そして件の栗沢由仁であるが、悠理が児童相談所に保護された後の所在が掴めていない。
顔立ちはとても愛らしく美しい顔立ちをしていたようだった。この情報だけで推測すると、自己顕示欲と承認欲求が強そうだという人物像が浮かぶが、当たらずとも遠からずだろう。
ともかく、そういう生活をしていたと知っては悠理の身辺が色々な意味で心配になって彼女の事を遠巻きながら見守ることにした。その為大学は辞めることになったが、致し方ない。大学よりも彼女の方が大切で、あの日彼女を守ると誓ったからにはその誓いは曲げるべきではない。
そんな生活をしているうちに彼女が「最近ストーカーにあってるっぽい」というような相談をバイト先で溢しているのを聞いて、一層彼女の身辺には気を配る生活を送るようになったのは記憶に新しい。




