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【完結済】懸想の影  作者: 梦月みい


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第十二章「僕と彼女の」

彼女と出会ったのは、大学に進学して間もなくの頃。

品行方正で頭も良くてスタイルも良く、顔もそこらのモデルなんか比じゃないくらいに可愛い。それでいてそういう所を鼻にかける嫌な性格では無く、どちらかと言うと天然気味なところもあり男女ともに彼女の事を嫌っている人物は見たことがなかった。自分とは住む世界が違いすぎる彼女と、接点など「同じ大学、同じ学年」という以外の接点が生じることも無く三年が経過。

対して自分はというと所謂陰キャ、という部類に入るであろうどこからどう見ても冴えない見た目で友達も彼女も居なくてやる事が無いために勉強は頑張っていたので成績だけはいい。


そんな彼女と初めて言葉を交わしたのはひょんなことがきっかけであった。

墨田千歳とご丁寧に名前が書かれた一冊のノートを彼女は「はい」と差し出す。「えっ、えっ」といかにも陰キャらしく挙動不審な声を漏らす様子に小さく笑いながら「先生が『再提出!』って言ってたよ」と言っていたので受け取る。なるほど、提出するノートを誤っていたらしい。

「名前なんて読むの?」

少し高めだが嫌味のない声に、自分の名前を問われ挙動不審に「チトセです」と答える。彼女は「チトセ君かぁ」と律儀に復唱し、にっこりと笑みを向けた。

「同じゼミなのにちゃんと喋ったことないよね?」

他愛のない彼女からの問いかけに終始挙動不審に言葉を返す。

講義前のほんの数分ではあったが、日頃遠巻きに眺めるだけの存在だった高嶺の花との談笑の時間。

心地よく幸せな一時である反面、彼女に向ける視線と自分に向ける視線が痛々しく刺さる。どうせ自分には分不相応、不釣り合い、馴れ馴れしいなどいわれのない言葉を向けているに違いない。そんな事はわかっている。だが彼女は今自分に目を向け、声を掛け、意識を向けている。分不相応はお前達だ。

そう思ったところで、惜しくも講義の時間となり彼女は友達を待たせていたらしい別の席へ戻って行ってしまった。


「楽しかった!また、お話ししようね」


残されたその言葉が耳の奥でリフレインしていて、講義は珍しく何も耳に入らずに終わった。


数日後。学食で、いつも通り一人で食事をとっていた千歳の元に食事の乗ったトレーを持った彼女がやって来て声をかけた。

「墨田君、一緒に食べてもいい?」

そう聞かれ、口に頬張ったばかりで咀嚼もしていない料理が一気に喉を通過するのを感じ、閉塞感と圧迫感に思わず咽せ返る。慌ててコップの水を飲み干してから特段空ける必要も無い元々散らかってもなんでもない彼女の為のスペースを空けるように片付けるような素振りで申し訳程度に教科書やペンケースを纏めて正面のスペースを指し示して頷いた。

ありがとぉ、と間延びした声すらも可愛い。そう思いながら正面に座る女神のような彼女を見遣る。

「きょ、今日はいつもの友達は?い、一緒じゃ」

我ながらの挙動不審度合いに笑えてくる、が、彼女はそんな自分に対し笑うこともなくほんの少しだけ眉尻を下げて「サボりなんだって」と返答してきた。

真面目で勤勉な彼女が付き合う友達ではない、と多少の憤りを感じつつも、彼女の交友関係に下手に口出しするのは良くはないだろう。そう考えて「そうなんだ」とだけ返して食事を再開する。正面に座った彼女はトレーの上に乗った学食で一番安いメニューであるうどんを上品に啜っていた。確か、周りの連中との話では彼女は北海道の田舎から上京して少ない仕送りとアルバイトで日々の生活をやりくりしているらしいと小耳に挟んだことがある。対して自分は、生まれも育ちも都内で、地元では割と大きな屋敷に住む次男坊で兄とともにどちらかと言うと好き勝手生きていると自覚もある。今食べているのも、朝家を出る前に住み込みのお手伝いさんが持たせた弁当である。

「か、上川、さん」

「ん?なぁに?」

「…ぼ…僕の弁当のおかず、少し食べませんか」

「えっ…で、でも」

遠慮なのか戸惑いなのか、瞳が僅かに揺らぐ。「家の人が張り切って詰めたんですけど、食べきれなくて」と伝えるとようやく小さく頷いて箸を持ち直す。

「ど…どれでも、す、好きなのどうぞ」

「うーん…じゃあ」

彼女は迷いなく卵焼きを選択し、トレーの上の漬物が乗った小皿にそれを乗せた。箸で半分に割って口に頬張ると、一気に顔が綻んだ。可愛い。

「ん、あまーい!墨田家の卵焼きは甘いやつなんだね」

うちも甘いやつなんだ、と小さな子供のように語る彼女を見てこちらも自然と顔が緩む。可愛い。

そうして食事を摂りながら、課題や講義の話をして昼休みの一時はあっという間に過ぎていく。それからというもの、言葉を交わす機会も増えていく。相変わらず屈託の無い、可愛い笑顔を向ける彼女に惹かれないはずがない。可愛い。


可愛い。


互いに好意を抱いて、それが形になったのはそこから2ヶ月ほど。それまで言葉を交わし、見つめ合い、時折手に触れた。

そうして、照れ屋で恥じらいの可愛い彼女と順調に交際を重ね、いつしか卒業の頃。

彼女は地元には帰らず、東京の中小企業で受付嬢として働くらしい。

それを機に、大学近くのアパートから少し都心寄りのアパートに引越しをする事にしたらしい。家賃は元々住んでいた所よりも3000円程値上がりはしたようだ。元のアパートから大学へは徒歩15分、新天地である職場へは、電車を乗り継いで片道1時間半。その通勤の時間を考えれば、3000円の負担は安いと判断したらしい。とはいえ彼女1人を新しい環境に放り込むのは心配であったため、自分も思い切って家を出ることにした。自分は家賃の心配は全くない。

彼女は新しい環境に笑顔を見せている、相変わらず可愛い。そうして新年度、新社会人として働く彼女を毎朝見送り、自分は部屋を掃除し、洗濯をし、食事の支度は余り得意ではないので彼女にお願いする事にして、清く美しい交際期間を過ごす。

大学時代からかれこれ2年と少し、可愛くて美しい彼女の為に清い関係を続けていたはずなのに、彼女の下着が清楚で可憐なものから少し派手なものが増えるようになった。化粧も少し濃くなった。付けていなかった口紅の色に、嗅いだことの無い香水の匂い。

「……まさか浮気…?」

そんなまさか、彼女に限って、と、頭を振ってそれを否定する。恐る恐る少し派手な、濃紺のレースのショーツを手に取る。腰部分には華奢なリボンがあしらわれ、それを結ぶタイプのようであった。そういえば昨日は帰りが少し普段よりも遅かったな、そう思いながらいつものようにクロッチ部分に鼻先を押し当ててすうっと匂いを嗅ぎ取る。嗅ぎ慣れた匂い、なのに知らない女の匂いがする。こんな匂いはしていなかった。いつもはもっと、ピンクとか水色とかの、シンプルで可愛らしい色合いの下着だった。もっと、清楚で愛らしい、そう、例えるならまだ熟れきっていない桃の果実のような、彼女はそういう匂いのはずだ。


そう思うといても経っても居られず、彼女の事を初めて職場に迎えに行くことにした。半同棲をしているのに、職場まで行くとなるとまるで束縛彼氏のようで気が引ける。

終業時間は、17時半。少し早めに17時を少し過ぎたところで彼女の職場に到着する。出入口の自動ドアのガラス越しに、目が合う。少しはにかんだような顔をし、にっこりと可愛い笑顔で軽く会釈をされ、胸の奥がきゅんとときめくような感覚を覚える。可愛い。

会社のビルの、1階の入口がよく見える道路を挟んだ向かいにあるカフェに入り、彼女の仕事終わりを待つ。

コーヒーの湯気の向こうで、仕方がなく愛想を振りまいて来客対応をしている彼女は、隣の受付嬢と並ぶとより彼女の美しさと可憐さが際立ってしまい、童話のお姫様のようである。

実家では飲んだことがない安いコーヒーを啜りながら、左腕に嵌った腕時計をちらちらと見る。先程から3分しか経過していない。

どうせ時間までは動くことは無いだろうと息を整えるように深呼吸をしてコーヒーを半分程飲む。独特の苦味と酸味が口の中を洗い流し目が覚めるような感覚を得る。

そうして28分。改めて小ぶりなオペラグラスを手にして、彼女の会社ビルの入口に目を向ける。

29分。彼女が腕時計に目を落とす。

30分。終業を告げるチャイムが鳴り、隣にいた女が「本日の受付は終了しました」と札を受付カウンターに立てる。彼女と会釈を交わしてから、伴って受付を離れる。着替えに行くのだろう。

自分も飲みかけのコーヒーをそのままに、荷物を纏めて伝票を持ち、会計を済ませる。

38分。喫茶店を出る。


41分。彼女が会社のビルから出てくる。


────男を、伴って。

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