第十章「おとうさま」
彼女は言った。本当に愛しているのはあなたなの、と。
安い陳腐なよく聞く戯言にしか聞こえなかったが、俺も彼女を愛していたので一時の気の迷いは赦してやることにした。なのに、愛しい彼女との間に授かった一人娘は、憎らしいあの男との間に出来た不義の子であった。
あんなに愛していたのに、こんなに可愛がっていたのに、全部が偽物だと知った瞬間俺の理性は弾け飛んだ。
気が付けば彼女に馬乗りになって、可愛い綺麗な顔を死ぬ直前まで殴打していた。殺すつもりはない。だって俺は彼女を────由良を、愛しているから。
「ごめんなさいあなた、ごめんなさい、お願いします、由仁だけは、由仁のことは叩かないで、ごめんなさい」
必死にオネダリする彼女が愛おしいのに憎たらしい。
自分が必死に愛を注いで守って慈しんできた存在が、10歳になった時に唐突に突き付けられた事実に、由良の端正な顔を衝動的にむしゃくしゃしては張っていた。拳を顔面に奮ったのは最初の半殺しにした時だけ。それ以来理性は保っているつもりだった。
あんなに愛情を込めて育てた、由良によく似た顔立ちの美しい自分の娘だと思っていた存在が、自分の血が、DNAが、一滴も何も交わっていない事を知ってからあの男の存在がその顔にチラついて憎たらしいことこの上ない。
顔はまずいと、さすがの自分にも理性があるので、生意気にもあの男との不貞の結果の汚物は俺に向かって「母さんを叩かないで」と向かってくるので、二度と歯向かえないように腹部に拳を打ち付けてやった。小さく呻いてその場に蹲ったかと思えばその場に汚らしく嘔吐しやがったので、腹が立って再びその腹に一発蹴りを入れてやった。
俺が稼いで買った可愛い由良との為の家を汚しやがった罰をくれてやった。
とは言え俺にも世間体というものはあるので、このクソガキが高校を出るまでは可愛い由良の為に面倒を見てやらない事もない。
二度と俺に歯向かうな。
二度と俺に楯突くな。
二度と俺に声を聞かせるな。
二度と俺をイラつかせるな。
そう躾た結果、あの男との不貞のメスガキはすっかり大人しくなったので、許容してやる事にした。
そうしてあのメスガキが高校を卒業する年、由良から「あの子、進学で東京に行かせます」と聞いた。進学?何を生意気な。早急に働いて今まで無駄飯食らわせてやった恩返しくらいしたらどうか。進学費用は誰が出すんだ。あの男が出すのか?
矢継ぎ早に苛立ちに任せて由良に捲し立てるが、由良は大人しく表情も変えずに黙って俺が話終わるのを待っていた。こうなるように躾けたとは言え、なんとなく腹が立ったので力一杯頬を叩いた。手のひらがビリビリと痺れるような感覚が心地いい。
「……相談もせず申し訳ございませんでした。進学費用は全てあの子がアルバイトをして貯めたお金と、私の独身時代の貯金であなたのお金は一切触らせていません。学費は奨学金を……生活費も、自分でやらせます。この家はお前の家ではないと、よくよく言い聞かせてあります。二度と帰って来ません。……就職では無く進学をさせたのは、その方が今後の就職の際に……」
「ああ、もういい聞きたくないあんなガキの話」
無理矢理由良の話を切り上げさせて黙らせる。確かにこのご時世、女に学が必要は無いとは言うつもりはない。俺に金を返させるにしても、確かにあの娘は顔は由良に似て美しく可愛らしい顔をしている。身売りでもなんでも好きにしろとも思ったが、戸籍上は自分の娘になってしまっている以上はそういう事をさせては体裁が悪い。俺に迷惑がかからないのであれば最早あんな娘どうでもいい。好きに生きて好きに死ねばいい。
そう思っていたのに、俺への贖罪も無く東京に出て1年も経たずに腹をデカくしておめおめと帰ってきたと聞いて、本当に本当に殺してやろうかと思った。
よりにもよって、由良に似つかわしくない底辺のような義理の妹の所に駆け込んだというのも腹立たしい。憎たらしい。
そんなメスが産んだガキが、愛しい愛しい由良によく似ていた事も、本当に腸が煮えくり返るかと思った。
そうして世間から隠すように致し方なく病院に押し込めて秘密裏に出産させたかつて娘と呼んだ女は、退院間近のとある晴れた冬の日、赤ん坊ごと忽然と姿を消した。
誰も探すな、誰も咎めるな、あの女はここで出産はしていない。そうして使わなくていい金を病院に積んで、苛立ちを解消するように由良を殴って犯して、珍しく、いや何年かぶりに由良が泣いてごめんなさいと呟いたところでようやく満足して解放してやった三日後、由良は死にに行った。
願望岩、というところで、揃えた靴の下に「浮気をしていました、これ以上愛した夫を裏切るのは自分で自分が許せません」とご丁寧な遺書をしたためて、飛び降りた。
発見されたのは雪が溶けてからで死体も損傷が酷く、俺が奮った暴力の痕はわからない状態だった。
本当に、最期まで可愛い女だった。
────読み取れた記憶は、ここで終わった。




