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懸想の影  作者: 梦月みい
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序章「無音」

蒸せ返るような暑い日だった。

真夏というにはまだ幾分か早い、梅雨明けの頃。

男は、呆然と立ち尽くす一人の女性の姿を見つけ、思わず浮かんだ醜悪な笑みを隠すことが出来なかった。


────見つけた。


そう小さく呟く声は誰の元に届くことも無く、周囲の空気に紛れるように消えた。


男の視線の先にある女性は、困惑したように周囲を見回しては泣きそうに眉尻をただ下げている。

「どうされました」

音も無く女性の傍に寄った男は一か八かで声をかてみる。

すると、はっとした様子で顔を上げた女性は音のした方向に顔を向けた。


少し釣り目のアーモンドアイ、低いが形が整っている小さな鼻、厚みのある唇に生気のない白い頬。艶のないセミロングの栗毛が顔にかかり、まるでホラー映画の幽霊役のような風貌ですらあったが、男にはそれすら愛おしい様子でにちゃりと口元に笑みを浮かべる。


「あ、…の、」


絞り出すような発声の後、女性は驚いたように喉元に手をやる。

そして数度瞬きをすると、小さく唾を飲むような動作の後に再度男に視線を向けた。


「さっきまで…何も居なくて。誰も居なくて…声も出なくて。たまにぼんやり人影っぽいものが見えたんですけど、目が悪いのか…何も見えなくて、そしたらあの、あなたが」


やはりこれが、運命の導きなのか。

引き裂かれても尚、こうして────




*******




茹だるような熱気で、空気が陽炎のように揺らめいている。

褪せた景色に佇む高層ビル、商業施設。大掛かりなスクランブル交差点。

かつては『人が密集して、隙間を縫うように歩いていた気がする』その道路。

今は人の往来も、数える程でしかない。

どれも不思議とぼんやりと見えるようで、彼女はしきりに目を擦った。

────そんなことをしても無駄なのに、かわいいな。

そう小さく呟かれた言葉が耳に入ったのか、『再会』した時よりも幾分か生きているような相貌になった彼女は振り返った。


「なぁに?」


きょとん、とそれはそれは可愛らしく小首を傾げて自分よりも幾分か上背のある男の顔を見上げる。


「いや、お前が随分と可愛くなったもんだな、とね。ゆり」


ゆり、と呼ばれた少女はふわりと覚束無い様相で男に近寄った。

ほんの数日前は「まるで幽霊のような風貌」と揶揄されていた姿も、年相応に綺麗に梳かされたセミロングの栗毛を下ろし、生気のなかった頬や唇には薄く朱が差している。齢にして二十歳前後ではあるも、少し童顔であるが故に10代にも見える。


「旭くん、今日も引きこもり?」

「引きこもりじゃねーよ、ニンゲン観察だ」


旭くん、と呼ばれた男────海道 旭。

ゆりにとって初対面こそどことなく陰気で、「気持ち悪い」ような笑い方をする男であったが、数日共に過ごしてその印象を大きく変えていった。

気持ちの悪い笑い方をするところは変わらずであるが、それはそれはゆりを慈しむように、薄硝子に触れるように繊細に扱い、触れていく。

ゆりへの慈愛に満ちた眼差し。時折、ギラついた獣のような目を向けたりもするも、どうやら一応は持ち合えわせているらしい理性のようなものでそれも抑えているようだった。


とは言え、ゆりを「拾って」から四日が経ち、最初こそ何を警戒したのか不審者を見るような目で旭を見ていたゆりだったが、ほんの半日ほどの時間も経てば話す相手も頼る相手も旭しかいないと察したらしい様子で、ぽつりぽつりと身の上を話し始めた。

ゆり曰く、気付いたらここにいたらしい。ここに来る前の記憶についてはひどく断片的で、自分の年齢だけでなく名前ですらわからない。そう話したあたりで、旭がポツリと「ゆり」と呼んだ。

「…なんでわたしの名前、…あれ?ゆりってわたしの名前…?」

「お前のことなら知ってるよ、どうやら俺の事もすっかり忘れてくれているらしい事も、ね」

その時に見せた旭の笑顔が、ゆりに何かを思い出させようとしたが思い出すに至らなかった様子で小さく唸りながら腕を組んで考え込んでしまった。

「…ゆり?」

「……なんというか、あなたの笑った顔…」


『キモチワルイ』


そう吐かれた暴言に、ゆりは一瞬で「しまった」と口元を覆ったが、対して旭は少しばかりキョトンとした後大仰に笑い飛ばした。



「もう、……で。結局引きこもって人間観察?人間観察ってお仕事?それでご飯食べていけるの?」

「あ。お前そうやって俺のことバカにしてんだろ。…そうだな……、ゆり」


あれを見てみろ、と旭が人差し指を向けた先に目線を投げるゆり。

目を向けたそこには「場にそぐわない」ような陰気な空気感を纏った男とも女ともつかないような影と形容して差し障りのないようなモノ。それがゆらゆらフラフラと佇んでいる。


「……旭くん、あれ…なに…?」


少し不安を孕んだような声色で小さく質問を投げたゆりをちらりとだけ一瞥した旭は、「見てろ」とだけ雑に返すと一点その謎の影に目線を向け直し、口の中で言葉にならないような声で小さく何かを呟いた。

ゆりは旭に目を向けてから、不安と興味で同じように影に目を向けていると、それまでぎこちなく何かをためらうような動き方をしていた影がふわりと近くのビルに消えていった。

旭は変わらず、窓枠に肘をついてその光景を興味もなさそうに義務的に見つめている。ゆりが謎の不安感に押し潰されそうな心持ちで口を開こうとすると、それを制止するように旭の人差し指がゆりの唇をつく。

そのまま人差し指を、謎の影が消えたビルの屋上を指差す。


何が起きるんだろう、と、ゆりは想像がつきそうな、はたまた想像とは違う事が起きるのかとなんとも言い難い表情で形のいい唇を横一文字に結ぶ。

ややあってまずは想定通りに屋上に現れた影。その行方を見守っていたゆりと旭であったが、ゆりが小さく感嘆の声を漏らしたところでふっと影は消えてしまった。

「飛び降りた」ようにも見えるが、実際ゆりの目にはそうは見えなかった。

影だけが霧散し、影の影はそのまま下に落ちたかのようだった。

音は、特にしない。


何が起きたかわからずしばらく窓枠から身を乗り出してそれを眺めていたゆりだったが、いつの間にか立ち上がっていたらしい旭に頭上から声をかけられハッと我に帰ったようにゆりは現実に引き戻された。


「旭くん、今の」

「…俺のシゴト。ちゃんと見たか?」


少し得意げに口角を上げた旭の手には、先ほどゆりが見ていたものによく似た影のようなものがあった。




「アレ、わたし見たことあるわ」

「……アレ?」


数時間程経過してから、殺風景なフローリングの上で突拍子もなく呟いたゆりに、旭は怪訝そうな顔を向ける。

彼女は割合話しに突拍子が無く、なんとなく旭はそれに懐かしい気持ちを覚えつつも、ゆりの指す「アレ」の正体がわからずにいる。


「ほら、さっき旭くんがぶわーってしたやつ」


身振り手振り訴える様子に、旭は先程の「シゴト」の事を指しているのだと理解する。

それと同時に旭は一瞬さもマズいなと言わんばかりに眉根を寄せるも、ゆりの話しぶりからどうやらそれが「いつだったかテレビで見たことがある」ような事を言うので、向き直って話しを聞いてやっていた。要領を得ないゆりの話しは、時折イラつく事があるのが正直なところではあるものの、旭は今はそれは「特権」として甘んじて受け入れるつもりでいるらしかった。


「そんで?そのテレビで見た事のある俺のシゴト見てどうだったんだ?」


怖かったのだろうか、そう含ませた視線を投げかけたところ、受け止めたゆりはキョトンと首を傾げた。


「どうって……テレビで見たことがあるわってだけよ」

「………相変らず話しがヘタクソだなお前は…」


あれだけまとまりの無い話しを懇切丁寧に聞いてやったにも関わらず、結果ゆりの言いたいことと言えば「テレビで見たことがある」との訴え、たったその一言で終わる内容。

呆れもしたが、旭にとってはゆりのそれは今に始まったことではない、と深くため息を吐いた。


「…なによぅ、……えーと、なんだっけ。除霊?みたいな…そんな感じ?」

「……あー…まぁ、似たようなモンかな」

「じゃあ旭くんは霊媒師?お坊さん?神主さん?神父さん?あ、陰陽師!エクソシスト!」


聞き齧った知識だけであれやこれやと「職業」を挙げてくるゆりに例の気持ち悪い笑みを向けた旭。それを見てどうやらどれも違うらしいことを察したゆりは再び拗ねたように唇を尖らせる。


「ゆりの言う連中のような崇高なモンじゃないよ。…そうさな、強いて言えば…うーん…」


旭は少し考え込んだ。自身のシゴトとしているその行為に正式な名称などなかったからである。

答えを待っている間にゆりは飽きた様子で、先程その行為を眺めていた窓枠に腰掛けてスラリとした細い脚を組んで窓の外を眺める。景色と言えば相も変わらずの揺らめく空気と褪せた景色であるばかりであるものの、旭のシゴトを見てから少し見え方が変わった様子であるように少し遠くの方をゆびを向けた。


「ね、ね。旭くん。さっきみたいな影が見えるよ」

「あ?どれ……ほう」


旭も同じように立ち上がって窓枠から身を乗り出すように、ゆりの細い人差し指が向く方向を眺めてそれを確認すると感心したような声を上げた。


「……お前、なかなかいいな」


褒めるように旭はゆりの頭をくしゃりと撫で回し、そっと手を握る。


「少し離れてるな…、ゆり着いてこい。お前にもシゴトさせてやる」

「え、え?わたしも霊媒師?」

「ばーか」

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