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6-10話 最低のマニュアル人間

(――っ、くそっ!)


 バンッ! ――と幹を叩く音がする。

 (テル)たちが泊まる宿屋の裏手を通る浅い川。

 その川のほとりに生える木に手を付いた剣人(ケント)がいた。

 そのまま木にもたれ掛かると、剣人(ケント)は物思いに耽る。


(好きな女の子が男になっちゃうだなんて……こんなとき俺はどうするべきなんだろう……? こんな事、どんな恋愛マニュアル本にも書いてなかったじゃないか)


 と、そこへ――


「ねぇ剣人(ケント)、ちょっといいかな?」


 ――剣人(ケント)の背後から(テル)が声を掛ける。

 今一番会いたくない相手に、剣人(ケント)の心臓がドキリと跳ね上がる。


剣人(ケント)……少し話をしたいんだけど……」


 対話を求める(テル)に、だが剣人(ケント)は顔を向けようとすらしない。


「……悪い、(テル)、今は話したくないんだ。宿に戻ってくれないか?」


 背を向けたままの剣人(ケント)に対し、声に戸惑いの色をにじませる(テル)


剣人(ケント)、どうして? せっかく会えたっていうのに、どうして顔も合わせてくれないんだよ?」

「それは……」

「……もしかしてボクが男になっちゃったから? だから怒ってるの? たったそれだけの事で?」

「たった……それだけ……?」


 (テル)の言葉に、剣人(ケント)は激しい憤りを感じる。


(……たったそれだけだって? ずっと好きだった相手が、男になっちゃったんだぞ! それを『たったそれだけ』だなんて、どうしてそんな酷い事が言えるんだよ!)


「ねぇ剣人(ケント)、話を――」

「――うるさいっ!!」


 呼びかけてくる(テル)の言葉を遮り、剣人(ケント)が怒鳴る。


「いいからどっか行けよ! 話したくないって言ってるだろ!」

「な、何だよその態度――っ!」


 怒りを見せる剣人(ケント)に対し、(テル)もヒートアップし始める。


「言いたいことがあるならハッキリ言えよ、剣人(ケント)! 何も言わずに背を向けたままなんて、男らしくないぞ!」

「――――っ! ふざけんな!」


 (テル)の「男らしくない」という言葉に、カッと頭に血を昇らせる剣人(ケント)


「だったら(テル)は女らしくしてろよ! 何で女のくせに女が好きなんだよ、おかしいだろ!? 女なら男を好きになるべきじゃないか! 女なら男の格好しないで、お洒落して可愛くしてるべきだろ! 女なら――(テル)だって女だったら――」


 勢いで怒鳴ってから(しまった!)と思う剣人(ケント)

 それは――言われた(テル)が、真っ青な顔をしていたからだ。

 暫く沈黙が続いた後、とぎれとぎれに再び話を始める(テル)


「女なら――なるべき……。 女なら――してるべき……。 ずっとボクの事そんな風に思ってたんだ……」

「て……(テル)……」

「でも……そうだね。剣人(ケント)ってそう言う人間だったよね。口説くのだってマニュアル本頼みだし、『どうしたい』より『どうするべき』かばっかりで……。だからボクに対しても、本当は『こうあるべき』だって、いつも思ってたって事か……」

「うっ…………」


 言われて否定できない剣人(ケント)

 なぜならそれは図星だったから。


「ボクは……なんだかんだ言って剣人(ケント)なら分かってくれるって思ってた。ボクが男になったことを『良かったね』って言ってくれると思ってた。でも……そんなのはボクの勝手な思い込みだったんだね……」

「…………」

「ボク、ずっと言ってたよね? 体は女でも心は男だって。それに剣人(ケント)も言ってたじゃないか。『男になっても好きだ』って」

「そ、それは……」


 言われて剣人(ケント)は思い返す――


『――剣人(ケント)なんか将来ボクが手術して身も心も男になったときに、さっさと諦めてればよかったって後悔しろ!』

『それなら大丈夫! 俺は(テル)が男になっても大好きだから!』


 ――確かに(テル)とそんな会話を交わしていた(※1-6話参照)。


「でも……そんなのは噓だった……。本当は何も分かってくれてなかった……。中学からずっと一緒にいたのに……。結局剣人(ケント)は、ボクの中身じゃなく外身しか見てなかったんだ……。挙句に自分だけじゃなく他人(ひと)にまで『こうあるべき』を押し付けてくる……。そんなの……最低のマニュアル人間じゃないか!」


 (テル)のその言葉が、剣人(ケント)の心に突き刺さる。

 一つ一つの言葉が、剣人(ケント)の胸を締め付ける。

 理解あるセリフを言いながら、本音ではずっと『女ならこうあるべき』を(テル)に求め続けてきた。

 そんな自分の醜さを突き付けられる。


剣人(ケント)なんて…………剣人(ケント)なんて大っっっっっっ嫌いだっ!」

「――てっ……」


 最後に拒絶の言葉を投げつけ、パタパタと宿屋の方へ走り去る(テル)

 思わず呼び止めそうになった剣人(ケント)だが、その言葉を飲み込んだ。

 (テル)の姿が見えなくなるまで立ち尽くしていたが――


「……なんだよ。そんなに俺が悪いってのかよ……」


 ハァーと大きく息を吐き、剣人(ケント)は頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

 (テル)の残した言葉が頭の中をグルグル回る。


(俺は……)


 そのまま河畔の木にもたれ掛かり、動けなくなる剣人(ケント)

 と、そんなとき――


「ニャア……。エルっち、もう少し何とかならないのかニャア?」


 ――という通りすがりの女性の声が剣人(ケント)の耳に届いた。

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