1-6話 ジェンダーレスな恋模様
同じ日の放課後――。
「なぁ照、機嫌直してくれよ」
「うっさい! 剣人とはもう一生口利かないから!」
そんな言い争う声が廊下に響く。
肩を怒らせて歩く照を追いながら、剣人は宥めようと懸命だ。
(うーん、怒ってるなぁ。まぁでも仕方ない、このくらいは想定内だよ。この程度で挫ける俺じゃないぜ)
いくら邪険にされてもポジティブな剣人。
(なんたってこれまで散々フラれ続けてきているからなぁ。プライドなんてとっくにズタズタ。今さらこの程度じゃ傷つかないさ)
……どうやら根っからではなく、これまでの経験から作られたポジティブのようだ。
「もういいから付いてくるな! あっち行けよ剣人!」
「だからそう怒るなって。そうだ照、お詫びにこのあと……は部活があるから無理だけど、代わりに日曜にデートでも……」
「剣人とのデートの何がお詫びだよ! ボクにとっては罰ゲームじゃないか!」
「まぁまぁ、そう言わずに。今週読んだ情報雑誌によると、駅前に新しく出来たケーキ店が……」
「だから行かないって言ってるだろ!」
付き纏いにさすがにキレたのか、照は足を止めて剣人に向き直る。
「……あのさぁ剣人。昔から言ってるけど、改めてハッキリ伝えておくよ。ボクが剣人とどうこうなるなんて、絶対にありえないから。何度も言ってるとおり、ボクはLGBTQでいうところのトランスジェンダーなんだよ」
ちなみに、一言でトランスジェンダーといっても――
MtF(Male to Female)…体は男性だが心は女性
FtM(Female to Male)…体は女性だが心は男性
MtX(Male to X)…体は男性だが心は中性または無性
FtX(Female to X)…体は女性だが心は中性または無性
――など多様にあり、照の場合は――
「その中でもボクはFtMと呼ばれる性別。ボクの体は女でも、心は完全に男なんだ。女の体である自分に違和感があって、いずれ手術して完全な男になりたいと思ってる人間なんだよボクは」
「それは何度も聞いたけど……」
「だったらいい加減に分かってよ。ボクにとって男は恋愛対象外。何度告白されたって、相手が男じゃ気持ち悪いだけだってさ」
「そ、そんな……」
「だからさ剣人。ボクの事は諦めて他の子に行きなよ。恋愛対象にはならないけれど、剣人の事は好きだし親友だと思ってる。だからボクなんかに構ってないで、ほかの人と恋愛してちゃんと幸せになって欲しいんだよ」
子供に言い聞かすように、照は剣人を説得する。
だが――
「――いいや、ダメだ!」
剣人は取り付く島もない。
「だって初恋なんだ! 三年間ずっと好きだったんだぞ! そんな簡単に諦められるわけがないじゃないか!」
「……いや、そこは諦めようよ。無理なものは無理だって」
「いいや諦めない! 見てろよ、いつか照にオレを好きだって言わせてやる! 女が好きでも構うもんか! いつか『剣人だったら男でもいい』って言わせてやるからな!」
「……はぁ。もういいや、好きにすれば?」
発奮する剣人にあきれた様子の照。
「まぁそんな日は永遠に来ないだろうけどね」
「ぐぬぬ……。そこまで言うなら照、お前だって……」
「な、なんだよ?」
取り付く島もない照に剣人が切り返す。
「お前だっていい加減、ちゃんと陽莉に告白したらどうなんだ?」
「――うっ!」
「どうせまだ引き摺ってんだろ? 十年も前にフラれた事を」
――――
――
剣人の言葉に、心にずっと刺さったままの記憶が思い出される。
それは照がまだ小学生に上がる前、小さな幼児だったころのこと。
『ねえ陽莉。将来ボクたち結婚しようね』
照が言った何気ない一言。
まだ幼い、小学校に上がる前の頃に切り出した他愛もない約束。
だけど――
『え~、どうして? アタシとテルちゃんが結婚するの?』
『だって陽莉も、ボクの事が好きって言ってくれたでしょ?』
『うん、言ったよ』
『じゃあ好きなもの同士、結婚するのが当然だよ』
『え~、でもテルちゃん女の子でしょ?』
『大丈夫! 今は世界で同性婚が認められつつある時代だから!』
『うーん……。でもやっぱり変だよ、女の子同士で結婚なんて』
『変じゃないって! だって世間ではポリコレと言って同性愛を差別しない風潮が……』
『む~、そんな難しい事言われても分からないよぉ~』
『わ、分からないって……。で、でも陽莉はボクの事好きなんでしょ?』
『うん、好きだよ~』
『だったらボクと結婚を……』
『え~、結婚は無理だよぉ』
『ど、どうして……。ボクが女の子だから? そんな事だけで僕との結婚は無理なの……?』
『うん、そうだよ』
『そ、そんなぁ……! ねぇ陽莉、考え直してよ!』
『ん~……』
幼い陽莉は小首をかしげ、少し考えるしぐさを見せたのち――。
『やっぱり絶対に無理かな』
――ガァアアアアアアアアアンッ!
他愛無く切り出した約束は果たされず、無邪気な陽莉の言葉に心を抉られた照。
いまだに消えないトラウマを植え付けられた事件であった。
――――
――
「ウッギャアアアアアアアアアアアアアッ!」
回想から戻ってきた途端、頭を抱えて奇声を発する照。
「うぉっ、ビックリした! どうしたんだ照?」
「うぅう……思い出させないで……ト、トラウマが……」
どうやら黒歴史をフラッシュバックしたせいで、心が耐え切れなくなったようだ。
「やれやれ、やっぱりまだ引き摺ってんだな」
そんな照を、剣人は呆れた様子で見守る。
「いい加減にしろよ照。俺にジェンダーについて高説を垂れるくらいなら、お前だっていつまでも自分の性別の事を言い訳にして、陽莉との関係を引き延ばしてんじゃねーよ」
「う、うるさいな! ボクにも考えがあるって言ってるだろ!」
「考えってどんな?」
「だ、だから……大人になったらお金稼いで、手術して体もちゃんと男になってから告白を……」
「それ前から言ってるけど、告白できるまで何年かかるんだよ? それまで陽莉が誰とも付き合わずに待ってくれると思ってるのか?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
「いいからはやくもう一回告白してこい。どうせフラれるだろうけど、俺がついてるから」
「あーもう、いい加減にしろ! 剣人のアホ! だいたいボクがフラれたって剣人の出番なんて無いから!」
「何でだよ!? 俺に慰めさせてくれよ!」
「ふざけんな! 剣人なんか将来ボクが手術して身も心も男になったときに、さっさと諦めてればよかったって後悔しろ!」
「それなら大丈夫! 俺は照が男になっても大好きだから!」
「ぬぁっ! だからそういうこと言うなって言ってるだろ! いいか、お前なんか絶対好きになってやらないからな!」
仲良くいがみ合う照と剣人。
そんないつもの二人だった。




